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鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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  顔を真っ赤にしながら、克哉は丁寧にチョコの包装を
剥がしていく。
 寝室のベッドシーツの上にこちらを組み敷いて覆い被さっている
もう一人の自分は…腰にタオルを一枚巻いただけの格好なので、
見ているとどうしても意識をしてしまう。
 それでも、今日は相手にやられっぱなしだったので…一回ぐらいは
相手の意表を突かないと、流石に気が済みそうになかった。
 頬を紅潮させながら挑発的な笑みを浮かべている克哉の表情には
どこか艶があり…眼鏡の心を強く煽っていく。

「…何のつもりだ? それはこれから…俺に贈ってくれる筈の
物なのだろう…?」

「…立った今、お前が包装よりも中身が重要だって言ったばかりだろう?
それなら…中身で勝負させてもらう事にしただけだよ?」

 それは他愛無い、恋人同士の睦言だった。
 ゆったりとした手つきで克哉が箱を開いていくと…そこには三種類の味の
生チョコレートが三つずつ、計九個程収められていた。
 手が汚れるのも構わず、箱にしっかりと収められていた一個を克哉は
手に取って行くと…そのままゆっくりと相手の口元に寄せていった。
 専用のプラスチック製の楊枝ではなく、指で取った物だから…洋酒が
練りこまれた深いブラウン色の生チョコは変形してしまっている。
 それでも、克哉は気にせずにこう口にしていった。

「…せっかくだから、オレが直接食べさせてやるよ…。ほら、口を
あ~んと広げて…?」
 
 瞳を半分伏せて、艶かしい顔を浮かべていきながら…眼鏡の唇に
チョコを押し当てていく。

「…ほう? 随分と今夜はサービスが良いな…? それなら遠慮なく
食べさせて貰うぞ…?」

 そういって、眼鏡は熱い舌先を…克哉の指先にねっとりと絡めていきながら
それを舐め取っていく。

「んんっ…!」

 日常生活ではあまり意識しないが、指先や指の間というのはかなり
敏感な性感帯だ。
 特に今みたいに相手と密着しながら見下ろされているような…そんな
体制でこんな真似をされたら、必要以上に感じてしまう。
 眼鏡もそれを判った上で、相手を挑発するように…丁寧に親指と
人差し指を舐め上げて、その指ごとチョコを頬張っていく。
 相手の舌先が、唾液を指先に感じて…その濡れた生暖かい感触に
ブルリ…と克哉は肩を震わせていった。
 
 チュパ…チュパ…

 指先を吸われたり、舐めあげられたりする音が軽く響き渡っていく。

「…うむ、悪くないな…だが、俺の好みとしては…指で掴まれて渡すよりも
こっちの方が好みだ…」

「えっ…?」

 克哉が一瞬、呆けた表情を浮かべていくと…空かさず、次のオレンジリキュールが
練りこまれた別の列の生チョコレートが唇に宛がわれていく。

「…次は口移しで…お前から貰いたい。良いか…?」

(…何でこいつは、こっちが憤死したくなるような提案とかを平然として
くるんだよ~!)

 心の中でそんな事を叫んでいったが、生チョコを唇の上に乗せられた状態では
単語になっていない振動が軽くするだけだった。
 どうしようか、と迷った瞬間…相手の掌がそっとこちらの頬に宛がわれていく。
 男性的な骨ばった手でありながら…その手は暖かくて、その温もりを感じた
瞬間に…優しく撫ぜられていく。
 まるで促されているような、そんな手つきに…克哉の抵抗の意思はゆっくりと
殺がれ始めて…。

(本当に、こいつって…ズルイよな…。こんな風に優しくされてしまったら…
これ以上、抵抗なんて出来ないよ…)

 瞳を熱っぽく潤ませて、羞恥を堪えていきながら…克哉の方から
そっと相手の首元に両腕を回していく。
 そうして…自ら唇を重ねて、舌先で相手の口内に…オレンジの香りがほんのりと
する橙色の生チョコレートを送り込んでいった。

「はっ…」

 克哉の舌が相手の口腔に忍び込んでいくと同時に、相手に強く背中を掻き抱かれて
引き寄せられていく。
 熱い口付けと…洋酒の香りに、酔いしれてしまいそうだ。
 クチャグチャ…とお互いの唾液と舌先が絡まりあう淫靡な水音が頭の中で
響き渡って、意識が飛びそうになる。
 お互いにあまり甘い味は好きではない性分の筈だった。
 しかし…こうやって味わうチョコの味は悪くなく、味覚とは別の領域を刺激されるので
双方とも夢中になって…相手の唇の味と一緒にそれを堪能していく。
 ようやく生チョコの塊が完全に溶け切った頃には…克哉はぐったりとなって
シーツの上に腕を投げ出していった。

「…お前、あんなキス…反則だ…」

「…ククッ、お前からのチョコも…キスもとても旨かったぞ…?」

 克哉の眼前には、心から愉快そうな笑みを浮かべたもう一人の自分の
顔が存在していた。
 それに少しムッっとなっていきながらも…相手の掌が今度はこちらの
項や肩口の辺りを撫ぜていくと…反発心もゆっくりと失せて…。

「…もう、本当にお前って…。けど、喜んで貰えたなら良かったよ…。
買って来たは良いけれど…お前が気に入らなかったらどうしようかって
思っていたから…」

「…まあ、悪くない味だった。お前が手ずから食べさせてくれたからな…」

 不意に耳元に唇を寄せられて、そんな事を囁かれたものだから…
克哉は再び顔をカッと熱く火照らせていく。
 まったく…今夜は何回、こんな風に相手に羞恥心を煽られているのだろう。
 挙式をした日から一ヵ月半。
 毎晩のように抱かれているのに、未だに相手の言動に、肌に…触れられる指先に
そして…低い声に慣れない。
 自分と同じ声と顔をしている筈なのに…どうしてこんなにドキドキするのか
克哉にも不思議で仕方なかったが…。

―その瞬間、相手の澄んだアイスブルーの双眸が宝石のように輝く

 まるでその瞳を、アクアマリンやブルートパーズのようだ…と一瞬、見蕩れた。
 宝石のように綺麗な瞳に、克哉の意識は釘付けになる。
 同じ瞳なのに、その瞳の色は…それぞれの心の在り方を良く示している。
 克哉の方の瞳が、同じ色合いの筈なのに…空や海を連想させる柔らかさが
あるなら、眼鏡の方は…やや硬質で、鉱石を思わせる色をしていた。
 宝石には魔力がある。
 見る者の心を容赦なく惹き付けて、狂わせる程の魅力が…。

―その瞳の持つ輝きに、今夜も克哉は惑わされていく

 抗えないまま…今夜も流されていく。
 小さなプライドも、意地も何もかもが…その視線の前では無になっていく。
 残るのはただ、相手を欲しいという剥き出しの強い欲望だけ。
 いつしか克哉の方も…蕩けたような、艶っぽい笑みを浮かべて…相手の
背中にそっと両腕を回していった。

「…なら、もっと食べる? …今夜は、初めてのバレンタインだしな…
サービス…しても、良いよ…?」

 そういって、三つ目の…抹茶味の生チョコレートを指先に取って、己の
口腔に含んでいく。
 そのままごく自然に…唇は重なり合い、自然と眼鏡の手つきもまた…
克哉を愛撫するような動きになっていった。
 その手に、克哉は翻弄されて甘い声を漏らしていく。

「んあっ…!」

 熱い口付けと、愛撫に…克哉の意識は早くも蕩けかけて…強請るように
腰を蠢かしていく。
 そうして…彼らの夜は、更けていく。

―来年もこうして二人で共に、この日を過ごせることを心から願いながら―
 
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―どうしてもう一人の自分はあんなに意地悪なんだろう

 自分の部屋に立てこもりながら、克哉はそんな事を
考え始めていた。
 そのくせ、心臓は凄くバクバク言っていて忙しなくなって
しまっている。
 
「バカ…」

 明かりが落とされた、シンプルな内装の室内で…克哉は
胸元をギュっと握り締めながら、呟いていった。
 片手には、相手に渡しそびれた四角い箱。
 
(せっかく…結婚してからの初めてのバレンタインなのに
何をやっているんだろ…オレ…)

 去年は、バレンタインなんて祝いようがなかった。
 今は夫となったもう一人の自分は、挙式をする以前は…
石榴が目の前に現れた時以外は会うことが叶わない存在だった。
 本来なら実らない恋、結婚して一緒に暮らすことなんて…
ありえない恋だったのに…。

「去年は、渡したくったって…会うことすら出来なかったんだよな…」

 昼間に、居たたまれない想いをしながら買って来たチョコレート。
 それをそっと見つめながら…克哉は逡巡していく。
 克哉とて、恥ずかしさやら意地悪されて悔しいやら…で一瞬
感情的になってしまったが、渡さないままでこの日を
終わらせたくなんてないのだ。

―けれど、小さな意地が邪魔をして…この扉を自分から開けるのは
躊躇われてしまった

 何となく素直になるキッカケがないままだったから…克哉はキュっと
唇を噛み締めながら、生チョコレートの入った箱を見つめていく。

(…一言ぐらい、謝ってくれたら出ていっても良いけど…)

 そんな事を考えた瞬間、いきなり…とんでもなく大きな音が
耳に飛び込んで来た。

ビービービービー!!

 唐突に派手なサイレンというか…危険信号のようなものが
部屋の外から聞こえ始めて、一瞬何事かと思った。

「うわっ! この音は何なんだよ!」

 何というか、映画とかドラマとかで鳴っている火災報知機とか、
これからここは崩壊しますよ~という時に鳴り始める音というか…
そんな音が突然聞こえ始めて、克哉はパニックになりかける。
 人間、そういう時は生存本能の方が優勢になるらしい。
 瞬間、もう一人の自分に腹を立てて閉じこもってしまったことなど
頭から吹っ飛んでとっさに、開錠してドアノブを回していくと…。

「やっと開けたな…まったく、手間が掛かる奴だな…!」

 その瞬間、隙間からもう一人の自分の手が伸びてきて、手首をガシっと
掴まれていった。
 あっ…と思った時にはすでに遅かった。
 瞬く間にもう一人の身体がその隙間から割り込んできて…強引に
唇を塞がれていった。

「むぐっ…!」

 克哉がジタバタと暴れて、とっさに相手の胸を押しのけようともがいたが…
そんな抵抗など物ともせずに、眼鏡は荒々しい口付けを施していく。

「んっ…ぅ…あぁ…」

 頭の中に、淫靡な水音が反響する程の熱烈な口付けを落とされて…
克哉の思考は一瞬、甘く蕩け始める。
 本当に、こういう手段は卑怯だ…とぼんやりと考えていくと…ようやく
唇を解放されていく。

「…お前って、本当にズルイ…」

「…そんなの、判りきっている事だろう…?」

 扉のすぐ目の前で、顎の周辺をやんわりと擽られていきながら…
こちらの瞳を覗き込まれていく。

(本当に…ズルイ、よ…。いつも意地悪な癖に…こういう時だけ、凄く
蕩けそうなぐらいに優しい目をしているなんて…)

 相手の目の奥が、今はとても柔らかくて穏やかだ。
 愛されていると…口にはあまりしてくれなくても、そう実感出来てしまう。
 そう思うと…意地を張っているのもダンダンとバカらしくなってきて…
克哉は溜息を吐いていく。

「…こっちを炙り出す為に火災報知機を使うなんて、どんな発想を
しているんだよ…。マンション中が大騒ぎになっても…知らないからな…」

「放っておけば良い。火災報知機の誤作動ぐらい…良くある話だ…」

「…お前って本当に良い神経しているよな。…オレと同一人物だなんて
やっぱり…信じられない…」
 
 と、呟いた瞬間…唇に指先を宛がわれていった。

「今は…同じ人間じゃなくて、二人だろう…俺達は…」

 はっきりと、強い口調で…そう宣言していった。
 そうだ…今は、同一存在ではなく…それぞれが別個の意思と身体を
持った人間として存在している。

「…そうだね」

 だからそれ以上は反論せずに、克哉も小さく頷いていった。
 そのまま…静かに相手の胸元に引き寄せられていく。
 さりげなく、部屋の奥に置かれているベッドの方までその体制で
誘導されていくと、トサっと小さな音を立ててその上に座らされていく。
 気づけば、もう一人の自分の顔が間近にあった。
 
「…そろそろ、お前の手に持っている物を俺にくれないか…?」

 ごく自然な動作で、ベッドの上に組み敷かれていきながら…
静かに囁かれていく。
 言われて、無意識の内に四角い箱を落とさないように強く握り締めて
しまっていた事を思い出す。
 そのせいで、綺麗にラッピングをされていた筈だったのに少しヘコんで
包装紙にシワなどが出来てしまっていた。

「…ちょっと、力込めてしまったから見た目悪くなっているよ…? 
それでも…良いのかよ…?」

「問題ない。外装よりも…中身が問題だろう? …お前の服装のセンスに難点が
あっても…お前という中身の方が美味しければ問題ないのと一緒だ…」
 
 そんな意地が悪いことを耳元で囁かれながら、ねっとりと…耳から
首筋に掛けてのラインを舐め上げられていく。

「どんな例えだよ! もう…!」

 と、相手の胸の下で再び暴れようとした瞬間…ふいに手を取られて
指先に口付けられていった。
 それで一気に毒気を抜かれていくと…。

「…お前の想いをちゃんと、俺にくれ…確認をする為にもな…」

 と、真摯な眼差しを浮かべながらそう言われてしまったら…こっちは
耳まで赤くしながら黙る他…なくなってしまう。
 何でこの男は、こうやって…こちらの羞恥を煽るような反則に近い行動
ばかりしてくるのだろう…としみじみ思ってしまった瞬間だった。

「…判った。仕方ないな…」

 と、呟きながら…克哉は自分の手の中に収められたチョコの包装を…
ゆっくりと剥がし始めていった―



 

 ※久しぶりの克克新婚ネタでのバレンタインものです。
 そして時間の関係上、二~三回に分けて掲載します。
 良かったらお付き合い下さいませ~。

 
 ―克哉は、結婚してから初めてのバレンタイン当日を迎えていた

 すでに時計の針は、もう一人の自分が帰ってくる午後七時を指そうと
していた。
 食卓の上には、今晩のおかずがキチンと並べられている。
 その前に座っていきながら…ソワソワした様子で、克哉は何度も
膝の上に置いてあるラッピングされたチョコレートを眺めていた。

(ううっ…何か今までのバレンタインの中で、一番緊張しているかも…)

 克哉は何度も、しっかりと包装されたチョコを眺めていきながら一人で
百面相を繰り返していた。
 今まで、克哉は基本的に貰う側の人間としてこの日を過ごして来た。
だが、今年は…もう一人の自分と結婚をしてしまったが為に、初めて
贈る側になったのだ。
 昼間に、ケーキ屋さんで…それなりに上等な生チョコレートを買って
丁寧に包んで貰った時のことを思い出して、更に顔から火を噴きそうに
なってしまった。
 …あんなに、バレンタイン当日に男がチョコを買うことが恥ずかしい
事だったなんで、今まで知らなかった。
 
(何であいつにチョコを贈るのに…こんなに恥ずかしい想いをしなくちゃ
いけないんだよ…!)

 けれど、この日を無視するということも克哉にはどうしても
出来なかった。
 ふと、今朝の見送りのシーンが頭の中で再生されてしまって…
克哉は思わず、口元を覆ってしまっていた。

―今夜、お前からどんなチョコを贈られるのか楽しみにしているぞ…?

 いつものように玄関先で、いってらっしゃいのキスをした直後に
耳元に唇を寄せられて、そんな風に甘く囁かれてしまったのだ。
 多分、その一言がなかったら2月14日という特別な日を意識
しないで終わっていただろう。

(…ううっ、あんな風に言われてしまったら無視する事も出来ないしな…。
本当にあいつって、意地悪だ…)

 そんな事をグルグルと考えていきながら、一人で顔を真っ赤にしたり
慌てた表情を浮かべたりして逡巡していく。
 もうすでに時刻は19時から随分と過ぎてしまっている。
 しかし…もう一人の自分が帰ってくる気配はない。

「遅いな…あいつ…」

 そんな事を呟きながら、克哉は机の上で頬杖をついていく。
 せっかく19時丁度に合わせて暖かいままで夕食を準備したというのに
二十分も経過してしまっては…一部、冷めているものも出始めていった。
 克哉としては、この妙に甘酸っぱいような気恥ずかしいような一時が
じれったくてしょうがない。
 延々と待たされ続けるのもそれなりに落ち着かない気分だった。
 それならいっそ早く帰って来てほしい…そんな事を考えた瞬間に、
玄関の方から物音がしていった。

「…帰って来たのか?」

 ドアの開閉音が聞こえた瞬間、弾かれるように克哉はその場から
立ち上がっていった。
 そのまま勢い良く…音のした方向へと駆け出していく。
 
 ドタバタドタバタ…!

 足音を大きく響かせながら、相手を出迎えに行くと…其処には
愉快そうに口角を上げているもう一人の自分の姿があった。

「ただいま、良い子に待っていたか…?」

 いつものように傲岸不遜な物言いで、こちらに語りかけてくる。
 相手の顔を見た瞬間、キュン…と何故か胸が締め付けられるような
甘酸っぱい思いを感じていった、

「…いつだって、オレは大人しく家を守っているってば…。おかえり、『俺』…。
今日も一日、お仕事お疲れ様…」

 それでも、にっこりと微笑んで…自分の夫に対して労いの言葉を
かけていく。
 瞬間、とても穏やかに…眼鏡が微笑んでいった。
 その表情は一瞬しか浮かべられないものであったけれど、ある時から
こうやって彼を出迎えて暖かい言葉を伝えていくと…優しい顔を見せて
くれるようになった。

(…この瞬間の、『俺』の顔って優しいから…好きだな…)

 きっと、その事を伝えてしまったら…意地っ張りで天邪鬼な性格をしている
彼のことだ。きっと…そのごく自然に浮かべている優しい表情を引っ込めて
隠してしまう事だろう。

「あぁ、無事に帰った…。夕食の支度は出来ているのか…?」

 そんな事を問いかけながら、もう一人の自分が克哉の髪先をそっと
くすぐっていく。
 その感覚に軽く肩を震わせていきながら…クスクスと笑っていった。

「ん…準備、してあるよ。後…その、もう一つの物も…」

 気恥ずかしくて、耳まで赤く染めていきながら克哉は相手に
告げていく。
 だが相手は面白そうに笑いながら、こちらの耳元でからかうように
言葉を紡いでいった。

「…楽しみにしているぞ…」

「あ、うん…」

 甘く、そんな一言を囁かれて克哉がうっとりと仕掛けていくと…
そのまま、優しく唇を塞がれていく。
 チョコと、夕食を用意してくれているのを考慮してくれたのだろう。
 それは触れ合うだけの…思いがけない優しいキスだった。

「んんっ…」

 深いキスをされないことの方が珍しいので、そのくすぐったいような
唇の感触に…つい、クスクスと笑ってしまう。

「こら…あまり、笑うな…」

 そんな事を眼鏡は呟きながら、啄ばむようなキスを繰り返されていく。
 …その心地よさに、そっと身体の力を抜いていきながら…暫く克哉は
相手の肩口にそっと凭れかかっていったのだった―
 ―眼鏡が四国に出張して、一泊している夜…克哉は一人、寂しく
夜を過ごしていた。
 
 今夜は一人で家事をこなして、夕食を食べてお風呂を済まして就寝の準備を
整えた訳だが…物足りなさみたいなものを感じていた。
 こんなに順調に予定通りのスケジュールをこなしたのは、結婚以来初めての
事だったのかも知れない。
 いつもは必ずどこかで、もう一人の自分にチョッカイを掛けられて邪魔をされるのが
当たり前になっていたからだ。

 昨晩、もう一人の自分が纏っていたクリーム色のパジャマに身を包んでいくと
ベッドの上にポスン、と乗りかかって横たわっていった。

 毎晩のように抱かれているから、ベッドシーツや布団カバーの交換も克哉の
毎日の日課の一つだ。
 だから結婚して二ヵ月半も経過しているのに、このベッドの上には…お互いの
匂いはあまり残っていない。
 けれど…パジャマからは、ほんの僅かだが…もう一人の自分の残り香を
感じて、少しだけホっとした気分になった。

(あいつの匂いがする…)

 基本的に同一人物だから、身体の匂いの違いなど本当は無いのかもしれない。
 けれど眼鏡は…喫煙の習慣があるから、いつもほんの僅かだが煙草の香りや
キスをした時にその味を感じる事があった。

 最初は煙草の匂いは少し苦手だった。だがそれも…愛しい人間のものだったら
気にならなくなるものだと…改めて、克哉は実感していった。

「…何か、夜にあいつがいないのって久しぶりで変な感じだな…。前はそれが
当たり前だった筈なのに…」

 良く考えてみると、夜に一人寝をするのは結婚してからは初めての
ような気がした。
 こちらが体調を崩しているか、熱でも出していない限り…基本的にセックスを
してから寝るのが当たり前で。
 …おかげで、家の家事を全部終えてヘトヘトの筈なのに…ベッドにこうやって
横たわっていても全然眠気がやってこない。
 
(…エッチしないで眠った日って、数えるぐらいしかなかったからな…)

 無意識の内に、自分の乳首に指を這わせているのに気づいて…ハっとなっていく。
 だが…今朝、一回抱かれている筈なのに身体の奥に妙な疼きがあって…
悶々としたものが次第に強くなっていく。

「はぁ…ん…」

 ついに耐え切れなくなって、今朝…もう一人の自分に触れられたように
己の乳首に両手を添えていく。
 本来、男の自慰は性器だけで充分だ。あいつにここまで抱かれるまでは
克哉だってそうだった。
 だが…結婚してから、散々あいつに開発されたおかげで…乳首までが
敏感になってしまった。
 もう一人の自分がしていたように…無意識の内に、ゆっくりと乳首を
摘んでクリクリと弄り始めていく。
 最初は優しく…そして、徐々に力と熱を込めて。そうしている内に…
次第に熱っぽい吐息を零し、強請るように腰が動き始めていく。

「んっ…あっ…『俺』…」

 脳裏に、もう一人の自分がどんな手順で昨晩、こちらを抱いたのか
鮮明に思い描きながら胸を弄っていく。

(確か昨晩は…息が苦しくなるぐらいに激しいキスをされながら此処を弄られ続けて、
もう我慢が出来ないって処まで焦らされたな…)

 その事を思い出した瞬間、グチャグチャ…というもう一人の自分の舌が
こちらの口腔を犯していたリアルな感覚すらも思い出していく。
 それが一層、克哉の性感を煽り…制御を奪っていった。
 指先の動きは次第に大胆さを増していって…次第に、耐え難いほどの
快楽が生じていく。
 だが…どれだけ自分で弄っても、もう一人の自分が触れてくれている時の
ような鋭い快感は訪れてくれない。
 それがもどかしくて…つい、徐々に下肢に手を伸ばしていって…。

「ふっ…んんっ…」

 くぐもった声を零していきながら、克哉は半勃ち状態になっていた
己のペニスに触れていった。
 先端からはすでに先走りが滲んでいる。それを塗りこめるようにしながら
裏筋の部分からゆっくりと擦っていき…。

(こうやって…自分でスルのなんて、どれくらいぶりだろ…)

 頭の隅で、そんな事を考えていきながら…もっと強い快楽を得ようと夢中で
克哉は性器を扱き上げていった。
 だが、どれだけやっても自分で齎す快感には限界がある。
 もう一人の自分がシテくれている時のような底抜けの感覚は決して訪れず、
どこか物足りないような感じすらしてきた。

「はっ…こ、んなんじゃ…足りない…もっと…」

 挙式をした日から毎晩のようにあいつがいてくれたから忘れていた。
 かつては…こうやって寂しい夜を、毎晩のように過ごしていた事を。
 たまにしかやって来ないあいつを求めて…焦がれて、どれくらい気が狂いそうに
なっていたのだろうか。
 …久しぶりに自慰なんかしたせいで、あの時の…あいつに次、いつ会えるのか
判らない不安感を思い出してしまって、胸が切なくなってきた。

―いつの間にか、こんなに強く…オレの中に、お前が存在している…

 一晩くらい、あの会えなくて狂いそうだったあの永い夜の日々を思えば何て事が
ないと思っていた。
 けれど、まだ…こんなにも生々しく、あの頃の痛みと寂しさが自分の中に存在している。
 好きになればなるだけ、もっとと…欲深い心が叫んでいく。

「あっ…はぁ…オレを、こんな…身体に、して…。バカ…お前、何て…」

 この痛みを思い出して、知らぬ間に…克哉はうっすらと涙を浮かべていた。
 いつの間にか、自分の中にあいつへの想いが存在していた。
 好きで、好きすぎて…一度は本気で狂気に身を落としそうになってしまった
事すらもあった。
 その切ない日々の痛みを忘れてしまうぐらい…あいつと結婚して一緒に暮らすように
なってから、毎晩のように自分を抱きしめて寝てくれるようになってから幸せな気持ちで
いたのだと…彼がいない夜を久しぶりに過ごしたからこそ、強く感じていた。
 そのまま自分の感じるポイントを刺激するように、一心不乱に手を動かし続けて
ペニスを扱き上げていく。
 先端の部分が小刻みに震えて、溢れんばかりの蜜が滴っているのが自分でも
嫌でも判った。
 胸の中に巣食う切なさも、愛しさも、寂しさも…何もかもを吐き出したかった。
 
「くっ…うぁ…!」

 だから克哉は息を詰めながらくぐもった声を漏らし…その感覚に身を委ねていく。
 瞬間、ドバっと克哉は大量の白濁を掌の中に吐き出していった。
 強烈な快楽が走って、頭が真っ白になっていく。
 荒い呼吸を繰り返していきながら…仰向けの状態で再びゴロンとベッドの上に
横たわっていき、息が整うまで暫くボウっとして休んでいった。

「…はあ、あいつ…今頃、どうしているんだろ…」

 つい、そんな呟きが漏れてしまっていた。
 あいつも…今夜は、自分と同じようにやりきれない夜を過ごしているのだろうか?
 そんな事をつい考えてしまったら…ベッドサイドに置いてある携帯にふと目が
行ってしまった。
 自慰ぐらいでは、何か物足りなかった。
 身体は疲れているのに…気持ちはモヤモヤしたままで、何かしないままで
布団に横になったってとても眠れそうになかった。
 あいつへの思慕が、強い思いが湧き上がって苦しいぐらいだった。
 だから、克哉はふと…らしくない考えが浮かんでしまっていた。

(あいつに…メールでも、してみようかな…?)

 彼らはいざという時の為に携帯はお互いに一台ずつ所有していた。
 だが基本的に毎日顔を合わせている為、この携帯はちょっとしたお使いや買出し、
用件の為に使われているだけだ。
 声が聞きたいから、電話を掛けてみようかなとも少し思ったが…今の時刻はすでに
23時を指している。
 仕事の為に出張しているのだから、宿泊先で早めに休んでいる可能性も考慮したら
迷惑が掛からないのはメールの方だろう。
 そう考えた克哉は、一旦テッシュで掌を拭い…ウエットティッシュを四角い容器から
一枚抜き出して手を清めていった。
 それから携帯に手を伸ばして克哉はディスプレイと睨めっこを始めていった。

―たまには、率直な気持ちを…携帯という手段であいつに伝えても
良いかも知れない…

 克哉はゆっくりと衣類を整えていくと、携帯を片手にベッドの上にうつぶせに横たわって
もう一人の自分へ送るメールの文面を考え始めていったのだった―


 
 大の男二人が、弁当を挟んで睨み合っている光景など恐らく
傍から見たら滑稽以外の何物でもない。
 だが片方は、最愛の人間から初めて作ってもらった弁当は一欠けらだって
相手に渡したくはないと思い。
 もう片方は…自分が想っていたもう一人の自分がそれを作った事を
本能的に察しているので、卵焼きの一つぐらいは与えて貰いたい。
 第三者が客観的に見たら、お互いに譲るのが大人だろう…と確実に
ツッコミの一つもしたくなる状況だが、両者は限りなく本気だった。

 漫画的な表現に例えれば、今の眼鏡と本多の二人はバチバチバチ…! と
熱い火花を散らしているようなものだ。
 先程も本気で睨み合っていたが、こちらの方が真剣みは上かも知れない。
 …滅多に表に出さないし、克哉本人にそこまで頻繁に愛していると口に
している訳でないが…現在の眼鏡の、克哉に対しての執着心は半端ではない。

 特に以前から、すでに結婚して自分と相手は契りを交わしている間柄だとしても
まだ…克哉は指輪を受け取るまでの決断は下していない状況なのだ。
 …悔しいから、あまり認めたくはないのだが…まだ、眼鏡には克哉を
100%手に入れてはいないのだ。

 九割以上は、確信が持てる。だが…残念な事にほんの僅かだけ、不安
要素がまだ存在しているのも確かだ。
 克哉が自分を選んでくれて、彼が支払うである代価も込みで受け入れてくれた時、
その段階になって初めて、眼鏡は安心が出来る。
 毎晩のように、一日に何度でも抱く日すらあるのは…その不安の裏返しでもある。
 克哉が何だかんだ言って拒まないで、自分を受け入れてくれて…こちらの腕の中で
甘く啼いているその姿を見て…眼鏡は安定を保っているに過ぎないのだから…。

「…克哉、もう一度言うぜ。卵焼きの一つぐらいはくれたって良いだろ? 
お前…そんなに食う方じゃないんだから、その弁当の大きさだと多すぎるだろ」

「…生憎だな。確かにこの大きさは普段の俺の食事量からしたら若干は
多いかも知れないが、今日は東京から四国まで飛行機でやって来て…午前中に
一仕事を終えて腹が空いているんだ。今の俺なら…これぐらいは余裕で
平らげることなど余裕だ。そういうお前こそ…そろそろ外に移動して食事を
取る店を探さないと…メシを食う時間すらなくなるぞ」

「えっ…? そういえば時間は…! うわ、もうこんな時刻なのかっ?」

 眼鏡は本多を追っ払う名目で時間という口実を打ち出したのだが…その一言を
聞いて本多が慌てて胸の上着のポケットに収めてある携帯電話を取り出して
時間を確認していくと…物凄い目を剥いていった。
 自分達が話している間に、余裕で20分以上は過ぎてしまっているらしい。
 元々、営業の仕事など自由裁量の部分が多くて…何時に食事や休憩を
取るかとかは結構、融通が利く。
 だが…本日は出先にいるのだから、休憩や昼食時間その他はこの会社の
スケジュールに合わせるようにした方が良いだろう。
 そうすると…残り時間は、やはり20分程度しかない。
 この時間ではこの近隣の食事処に駆け込んでも…その店が混雑していた
場合は即アウトになってしまう。

「あぁ…だから、さっさと…」

「克哉、すまない! 時間がない。お前の言う通り…これから店を探して
食べに行っても時間には間に合わない。だから…お前の弁当を半分
くれないか?」

 ―ピキピキピキ!!

 さっきよりも眼鏡の額に浮かぶ青筋の数が格段に増えていった。
 同じ八課内の同僚が、本多のことをKY…ようするに今、流行の『空気が読めない奴』
と称していた事を小耳に挟んだことがあったが、この時程…その言葉に深く
頷いた瞬間は存在しなかった。

「…お前は、一体何を聞いているんだ? これは俺にとって大切な人間が
初めて作ってくれた大切な弁当なんだ? それを事欠いて…半分くれだと?
馬鹿も休み休み言え…」

「…でも、俺達は友人だろ? こっちが困っているのなら…少しぐらいは…」

「却下だ。そもそも、俺はこれから弁当を食べる為にこの屋上に赴いて
ゆっくりとランチタイムを堪能する予定だったんだ。それをお前が勝手に乱入して
邪魔をした挙句に…これだけ長くこちらの時間をロスさせたんだ。
それはお前側の都合だろう? それなのに…こちらの弁当を要求するなんて
図々しいにも程があるだろうが…」

「うっ…そ、そうだけど…」

 思いっきり正しい指摘をされまくって、本多はしょげていった。
 だが…たった今、克哉に振られて…しかもすでに大切な人間がいると聞かされて
彼は深いショック状態だった。
 振られたのならば仕方ない。けれどせめて…克哉から、暖かい気持ちでも
それを感じられる物でも…ちょっとだけでも何かを貰いたかったのだ。
 だから、眼鏡の言うことが正論だって判っている。
 しかし…駄々っ子は手に負えない。追い詰められた人間は気持ちに余裕がないから
聞き分けが格段に悪くなる…という法則に乗っ取って、今の本多は簡単に引く
気配がなかった。

「けど…俺は、お前から…ほんの少しでも、気持ちを貰いたいんだ!
確かにお前と恋人になれなかったのは悔しいけど…せめて、ダチとして
大切にしてもらっているって…それぐらいの優しさは見せてくれたって
良いじゃないかよ!」

「…友人として、か…」

 一瞬、お前の事など友人ではない。
 そう冷たい一言を言ってやっても良かったのかも知れなかった。
 克哉にとっては本多は親友でも、眼鏡にとっては本多は…もう一人の自分を巡る
『ライバル』以外の何者でもなかった。
 今まで同じ会社内に働いていても、一緒に食事をしたり飲みに言っても…良く考えて
みれば自分の方からこの男を「友人」として扱ったことは一度もない気がした。

「…俺にとっては、お前は…大切な、大切な存在、なんだ…。だから…
振られてしまったことは徐々に諦めるよ! けど…ここ数ヶ月のお前…
冷たすぎるぞ! せめて…友人として優しくしてくれる事ぐらい…
してくれたって良いだろ! そんなに…お前にとっては俺は、どうでも良い
存在になっちまったのかよ…。『親友』だって、以前は確かに…お前は
言ってくれたじゃねえか!」

「…そう、だな。…確かに『オレ』にとって…お前は、親友だな…」

 本多にはきっと、今の眼鏡の呟きの一人称が…もう一人の自分のことを
指している事など気づきはしないだろう。
 だが…この男の口から改めて聞かされて、ようやく気づいた。
 これから先、社会的に「佐伯克哉」として生きるのは自分の方である事を。
 そしてキクチに在籍する限りは…この男は自分の親友であり、仕事上の
パートナーなのだ。

(…いつまでも、こいつに対して…妙な敵愾心を持っていても仕方ないの
かも知れないな…。他の会社に移籍するというのなら、こいつの気持ちを
幾ら傷つけたって関係ないがな…)

 だが、営業八課は…もう一人の自分にとって『仲間』と認識している
人達が在籍している場だ。
 自分一人だけなら、こんな安月給でやりがいのない職場などさっさと
飛び出して新しい会社の一つや二つぐらい興している。
 けど、それをしなかったのは…せめて、あいつが大切に思っている『場』
くらいは守ってやりたい。
 そういう…気持ちから発生した事だ。
 ならば、目の前の男を『親友』…もしくは、友人として扱ってやるぐらいは
しなければならないのではないか…? と眼鏡はふと思った。

(…やれやれ、俺も随分と甘くなったものだな…)

 きっとあいつと結婚をしていなかったら、こんなに自分が変わることも
なかっただろう。
 …それでも、この弁当の中身をほんの少しでも本多に譲るのは却下だが…
代わりの物を与えてやるぐらいは妥協してやろうと思った。
 お互いの間に、沈黙が落ちていく。本多の瞳は…剥きだしの本音を語った
感情の昂ぶりのせいで…うっすらと涙すら滲んでいた。
 …どんな類の感情であっても、こちらを本当に想っていたり好きでなければ
こんな風に激情に駆られたりはしないだろう。
 それを見て…眼鏡は溜息を大きく突いていくと…一旦弁当に蓋をし直して
代わりに自分のカバンの中から、カロリーメイトのチーズとフルーツ味を
各一本ずつとウィダーインゼリーの各種ビタミンが配合されているバージョンのを
手渡していった。

「…弁当の中身はやれない。だが…代わりにこれをやる。時間がない時に
俺が栄養補給と軽く腹を満たす為に持ち歩いているものだ。大食漢のお前に
とっては足りないだろうが…それでも何も食わないでいるよりかはマシだろう。
…これで、弁当を食べるのは諦めてもらうが、良いな?」

「…克哉。あぁ、これで良い。悪い…我侭を言っちまって! けど…俺、すげぇ
嬉しいよ。ありがとう…!」

 そうして、本当に心から嬉しそうな笑みを浮かべながら克哉から渡されたバランス
栄養食品の数々を受け取っていく。
 それを見た時、眼鏡は限りなく居たたまれない心境に陥っていった。
 本当にこの男は単純だな、と想った。だが…この人の良さとおめでたさは半端では
ないと思った。
 …そして、もう一人の自分がこのうざくて暑苦しい男を何故、心から信頼して
『親友』と認めていたのか…ちょっとだけ理解出来た気がした。

(…この単純さと、お人好しさは特筆すべきものがあるな…)

  そう思いながら、眼鏡は軽く…フレームを押し上げる仕草をしていった。

「…とりあえず、そろそろ飯を食わせて貰うぞ。…まったく、お前のせいで…
ゆっくりとあいつの弁当を味わって食う時間がなくなったぞ…」

「あ、うん…御免な。けど…その、もうお前の弁当を欲しいとかは今日は言わないから
一緒に飯を食べても良いか?」

「…好きにしろ」

 そうして、眼鏡は屋上に備え付けられていたベンチに改めて腰を掛けていくと
弁当の蓋を外して食べ始めていった。
 この男に中断されたが、改めて他の弁当の具材を口に運んでいくと…どれも
眼鏡の口に合っていた。

(旨いな…あいつも、結婚した当初から随分と上達したものだ…)

 愛情、というスパイスも入っているからだろう。
 その弁当は物凄く美味しく感じられた。
 それを黙々と食べ進めていくと、本多もまた無言で…じっくりと眼鏡から貰った
カロリーメイトを味わうように食べていた。
 双方、言葉はないままだった。
 だが…今までと違って、眼鏡と本多との間にも少しだけ暖かいものが
生まれつつあった。
 そして…静かな昼食時間が終了する間際、本多ははにかむように笑いながら
こちらの顔を真っ直ぐ見据えながら、こう告げていった。

「…克哉、ありがとうな…」

「…改めて礼を言う程の事じゃない。気にするな…」

 あまりに率直にこちらに礼など言うものだから…つい、照れくさくなって
ぶっきら棒な言い方になってしまった。
 だがその口元に暖かい微笑が浮かんでいるのを見て…本多は嬉しくなった。
 
「…良いや、今日は俺…すげぇ、嬉しかったから。お前とこうやって…飯を食えて
本気で、良かった…」

 そんな言葉を、尚もこの男は臆面もなく続けていくものだから…眼鏡は軽く
相手の頭を叩く仕草をして抑制していった。
 瞬間、この出向先の会社の昼休み終了のチャイムが鳴り響いていく。

―そうして、二人の弁当を巡る一時は終わりを迎えたのだった―
―遠方の出張先、今回の出向先の会社のビルの屋上で
眼鏡は一人、弁当を広げていた。
 
 都内から飛行機で二時間前後。四国の外れにあるこの
小さな会社は…MGNが
今度作る新商品に欠かせない原料を
提供してくれる会社だった。
 キクチ・マーケーティングの営業八課の面々は…プロトファイバーの
営業を担当して
大成功を収めた事がキッカケで…予定していた三ヶ月間が
終わってからも、MGNから
何度も大きなプロジェクトに関して、協力を
要請されていた。
 今回の出張もそうだ。御堂が打ち立てている新商品は四種類の
ビタミンが豊富そうな
果物や野菜を原材料に使用しているが、
特に彼が打ち出しているのは「水」の
重要性であった。
 昨今、健康や体調の改善を語る上で良質の水の存在は欠かせない。
 プロトファイバーが美容と健康を打ち出し、若い女性に特に強く支持された事を
考慮して…次に御堂が意識をしたのはデトックス、ようするに毒出しだった。
 その新商品を大量に生産し、市場に回すには…良質の天然水を提供してくれる
会社と幾つか契約を結ぶのが不可欠だった。
 だが、もっとも提供量が見込めるこの会社は…特に社長が慎重な営業方針を
打ち立てていてMGNの人間では歯が立たなかった。
 それで…難航する交渉ごとでも、過去に幾つも片付けて来たという実績を
御堂に買われて…今回、克哉は本多と二人でこの辺鄙な地に一泊二日で
出張する事と相成ったのであった。
 
「まったく…これしきの事でこちらを飛ばして交渉ごとをさせるとは…。
御堂も、あまり部下には恵まれていないな…」
 
 そんな事を呟きながら青空の下で、眼鏡は弁当を広げていった。
 時刻はすでに13時を若干越えているぐらいの時間帯だ。
 本日は午前7時には家を出て…九時前には本多と共に飛行機に
乗ってこの出張先へ
向かっていた。
そして十時半頃からは取引先と会談を始めて…二時間余りに渡る
新企画のプレゼンや、営業の結果…無事に契約を取り付けるのに成功していた。
 早くも良い流れが生まれつつあったので…後は翌日いっぱいまでに必要な
資料や書類の作成を完成して、裏づけを取ればほぼ任務完了である。
 眼鏡にとっても仕事がスムーズに流れて、自分の果たすべき事が達成された時は
大層気分が良い。
 そして…本日に至っては彼の奥さんから、愛妻弁当まで
しっかりと手渡されていた。
 これを昼に食べるのを心待ちにしながら…本日はずっと、仕事を頑張って
こなしていたのだ。
 そうやって柔らかく微笑みながら弁当の包みを解いていくと…その瞬間、
屋上の扉が盛大に開け放たれていった。

「克哉っ! どこにいるんだ…! せっかく四国に来ているんだから
一緒にカツオの叩きが旨い店にでも食いに行こうぜ!」

 そして屋上に飛び込んでくると同時に、耳が痛くなる程の大声で
呼びかけてくるガタイの良い男が現れていく。
 キクチ・マーケーティング営業八課内において…克哉に次いでの
エース格の存在である本多憲二だ。
 …もう一人の自分と大学時代からずっと交流を重ねて、結構
親しいと言える間柄の友人であった。
 …せっかくの待ち望んでいた瞬間を、これ以上ない程のバッドタイミングで
邪魔をされて…眼鏡の額に、青筋がピクピクと浮かんでいた。

「…本多、そういうものはせめて夕食時に食いに行くようにしてくれ。
それだったら一杯やりながら付き合ってやっても良いが…な。
今は却下だ。今日は一人でこの弁当を堪能したい。…という訳で
お前は一人で外食でもしてくれ」

「…お前なぁ。せっかく二人きりで出張来ているっていうのに…
何だってその、すっげぇ冷たい態度なんだよ。…お前、今年に
なってから俺に対してメチャクチャ冷たくなったよな。
 前は誘えは飲みに行ったり夕食付き合ってくれたりしていたのに…
今じゃ全然付き合ってくれなくなったし。昼飯だって、時間帯が
重ならない限りは一人でさっさと食べちまっていてよ。
…俺はお前に惚れているって何度も言っているのに、何だって
いきなり…そんなにツレなくなっちまったんだよ…」

 眼鏡の冷たい態度に…本多は思いっきり肩を落としていく。
 だが、当の本人はまったく気にした様子がなかった。
 そのまま箸箱から箸を取り出してまずはほうれん草の白和えを
一口、口に放り込んでいくと程好い甘みと塩味が口の中に
広がっていく。

「…さあな。…ただ単に曖昧な態度を止めただけだ。お前が幾ら
『オレ』を口説こうと、決して靡くことはないからな。それなら…期待を
持たせるような言動や行為は慎んだ方が賢明だと判断しただけの
事だ。それでも二人きりで誘われるのなければ付き合ってやって
いるだろう…?」

「…何で、そんなにはっきりと言い切るんだよ…。俺はお前を
全力で口説いて振り向かせてみせるって…ずっと前に言ったのを
忘れたのかよ…克哉…!」

 本多が真剣な顔を浮かべながら詰め寄ってくる。
 だが、眼鏡は思いっきり額に怒りマークを浮かべていた。

(…あぁ、良く知っているとも…。俺があいつに本気になる前の話で
不問にしてやっていたが…あいつに言い寄るわ、キスするわ…
触りまくるわ…まあ、最後まではヤっていないから辛うじて許す事が
出来たが、あいつにお前が過去に触れた事があるって事が…
今となっては、不愉快極まりないんだ…!)

 だが、本多が本気になればなるだけ…眼鏡の怒りゲージは
MAX間近に近づいていく。
 本多にとっては、眼鏡でも克哉の方でも…どちらもひっくるめて
『佐伯克哉』と認識している。
 挙式をする前から…そうだった。克哉が眼鏡を掛けて今までとは
打って変わって強気な態度に出ても…「それもお前の一部だからな」
とあっさりと受け入れてしまっていた。

 …普通なら、これだけ人格が変わっている人間を前にして…それでも
変わらぬ態度を貫いてくれる存在は在り難いものなのだろう。
 だが、眼鏡にとっては違っていた。
 もう一人の自分と、俺は…同じ身体を共有していても心は分裂して
それぞれ独立の人格を形成している。
 そして…眼鏡は、今は…克哉に対して並ならぬ愛着を抱いてしまっている。
 だからあいつに色目を使う奴は決して許せないし、言い寄る存在なんか
現れた日には…本気で策略の一つや二つを仕掛けて失脚させて
やる事ぐらい…朝飯前に彼はこなす事だろう。
 それでも…辛うじて、粛清せずに本多と同僚として過ごしているのは…
もう一人の自分にとって、彼は「親友」であるからだ。
 だからこそ…ギリギリの所で踏み止まっていてやったのだが…。

―自分を熱い眼差しで見つめてくる本多に本気で顔面に拳を叩きつけたい
衝動に駆られていった

 眼鏡はまさに仁王もかくや…と言う雰囲気を纏いながら、本多を
全力で睨み付けていく。
 その瞳は、免疫がない人間で見つめられたのなら即座に竦んで動けなく
なるぐらいに怜悧で冷たく、力が込められた眼差しだった。
 だが本多は怯まない。そのおかげでバチバチバチ…と両者の攻防が
繰り広げられていった。

(俺に幾ら言い寄っても…絶対にお前には靡く事は在り得ない。そして…
お前がどれだけ『オレ』を想ったとしても…あいつを決して渡すつもり
なんかない。だから…お前の『佐伯克哉』への恋心はもう…持って
いるだけ、無駄なんだよ…本多…!)

 全力の気迫を込めながら本多の想いを撥ね退けている眼鏡の姿は…
鬼気迫るものすら感じられた。
 本多とて、最初は負けるものかと必死になって向かい合っていったが…
彼にとっては惚れた相手から、全力で拒絶オーラを放たれて…
こちらの想いを撥ね付けられているようなものである。
 だが、精神的にかなり強い方である彼は…何分間も、その凍てつくような
眼差しに耐えていく。
 だが…ついに、心が折れたらしい。少し…切なそうな表情を浮かべながら…
溜息を突き、ようやく本多は諦めたようだった。

「…その話は、もう二度とするな。俺は…すでにかけがえのない存在がいる。
そいつを…俺は大切にしたい。だから…お前の気持ちには応えられない。
だから…諦めろ、本多…」

 …辛そうにしている本多の顔を見て、何故か胸が少し痛んだ。
 だから冷酷に言い放つのではなく…ほんの少しだけ柔らかさを込めて
真実をその口から語っていった。

「そう、なのか…? いつの間に…お前に、そんな…存在が…」

 その一言にかなりショックを覚えているようだった。
 だが…いい加減、いつまでも曖昧なままでいたら自分も不快な思いを
しなければいけないし…本多だって、「あいつ」のことを吹っ切れない。
 もう一人の自分は、確かに魅力的だった。克哉自身は自覚して
いなかったが…本多の他にも、若干御堂を惹き付けていたのだ。
 そして…何より、最初は遊び半分で気まぐれにあいつを抱いていた
自分が、いつの間にかこれだけ本気になってしまったのだ。

 だから…本多があいつを簡単に忘れられないのは理解出来た。
 だが、もう眼鏡は譲るつもりなどないのだ。
 ようやく意を決して…本多の前に弁当箱を掲げて見せていき、
静かな声で真実を告げていく。

「…この弁当を作ってくれたのは、俺の大事な人間だ。今日…
俺が出張だと言ったら、朝早くから起きて準備をしてくれた。
…すでに俺には、そういう存在がいる。だから…もう、諦めろ。
お前は良い奴だとは思うが…『親友』以上にはどうしても見れない」

「…そう、か…。それなら、お前がツレなくなっていても…仕方ないよな。
もう、お前に大切な人が出来ているのなら…無理、ないか…」

 本多はかなり泣きそうな顔を浮かべながら…それでも、自分に
言い聞かせて感情が暴走しないように努めているみたいだった。
 そのまま…二人の間に、沈黙が落ちていく。
 今…自分が言ったことは本多から『もう一人の自分との恋を
成就させる』という儚い幻想を粉々に打ち砕かれたようなものだ。
 だが、このステップを踏ませなければ…自分は克哉に、本多を
会わせてやれない。
 叶う見込みがないのに、延々と希望だけ抱かせる方が残酷と
いう一面もあるのだ。だから…眼鏡は敢えて真っ直ぐに相手の
目をみながら語っていった。

「…あぁ、だから…諦めてくれ…俺には、もう…そいつ以外の人間は
見えなくなっているに等しいからな…」

 そうして、もう一度…大切そうにその弁当を見せていく。
 太陽の光が鮮やかに降り注ぐ、青空の屋上の中で…弁当箱の
中身がキラキラと輝いているよにさえ見えた。
 大切な存在が、愛情を込めて作ってくれた愛妻弁当。
 これが…自分を克哉が想ってくれている証のようなものだ。
 それを誇らしげに見せていくと…本多は大きく肩を落として…
顔を伏せた状態のまま呟いていた。

「…判った。お前への気持ちは…すっぱりと諦めるよ。…お前に
特別な存在が出来たのならば…俺の出る幕なんてないし。
けど…それがお前の大切な人が作った弁当だっていうのなら…
卵焼きの一つも、譲ってくれないか? 」

 ピッキン!

 恐らく今までの人生の中で一番激しく血管が脈を刻んだのが
自分でも判った。
 …これは克哉が生まれて初めて作ってくれた記念すべき弁当でも
あるのだ。これを本多にくれてやる事など言語道断に等しかった。

(本気で…この男、抹殺した方が良いかも知れないな…)

 もしかしたら本能的に、この弁当が『克哉』の方が作ったのをこの男は
感じ取っているのかも知れない。
 熱っぽい視線を弁当の中身に向けていきながら…再び、二人の
間に火花が散っていった。
 この状況をどうやって取り繕って…こいつに弁当を食べるのを
諦めさせれば良いだろうと必死に考えていく。

―そうして、今度は…弁当を巡る二人の熱い攻防戦がゆっくりと…
幕を開けていこうとしていたのだった―
 


 
―結婚してから二ヵ月半が過ぎ去ろうとした頃。眼鏡はある日、
本多と一泊予定で…遠方に出張する事となった

 結婚してから、夜に眼鏡が帰って来ないことなど…結婚してから
初めての経験で。
 克哉は若干の不安を思いながら、いつもよりも早く起床して…
台所でお弁当を作成していた。

 窓の外の天気は快晴。
 すでに三月の中旬を迎えているおかげで…気温も随分と暖かいものへと
変わって、まだ早朝ながら…日向ぼっこすれは気持ち良さそうな感じだった。
 だが、何となく克哉の気持ちは晴れない。

 ちょっとだけ憂いげな表情を浮かべていきながら…克哉は、ほうれん草の
白和えを作成しようと豆腐を裏ごししていた。
 やや目の粗いカゴの上に木綿豆腐を乗せていきながら…ゆっくりと
摩り下ろすようにして解していく。
 ちょっと固まりが残っているような部分は…指先で握り潰して細かくしていき
全体的に滑らかな感じになっていくと…塩、砂糖、ゴマペーストの順で
調味料を全体に掛けて、混ぜ込んでいった。
 それを塩茹でしたほうれん草と混ぜていけば…まずは一品が完成
していった。

(…結婚してから、あいつが帰って来ないことなんて…初めての
事だよな…)

 そんな事を考えてしまうと、少しだけ寂しいとか思ってしまう自分がいた。
 結婚前なんて、あいつがいない夜を過ごす事など当たり前だった。
 出没するのはいつだって気まぐれで…こちらが会いたいと強く望んだって
携帯電話やメールなどのコンタクト方法がある訳ではない。
 それに比べれば毎日のように顔を合わせて、夜になれば必ず帰って来て
くれるこの生活は…随分と幸せなものだった。
 なのに、たった一日…今夜は出張で帰って来ないというだけでやや沈みがちに
なっている自分に…少々呆れてしまった。

「…何か贅沢になっているよな。あいつが一日帰って来ないだけで…
寂しいとかってさ…」

 今は、まだ眼鏡は安らかな顔をして寝ている。
 …というか、もう一人の寝ている時じゃなければ…お弁当なんて
作れる訳がないのだ。
 一緒にいれば、顔を合わせれば…必ず眼鏡は克哉に対してちょっかいを
掛けてくる。

 そういうのも適度なら、むしろスキンシップの一環として結構好きなのだが…
迂闊に朝早くなんてに起床すると、ただでさえ毎晩のように夜遅くまで抱かれて
いるというのに…朝からまたセックスをする羽目になるのだ。
克哉は自己防衛の為に出来るだけ相手が出社する時間近くまでベッドから
起き上がらないようにしていた。
 そうしないと…日によっては、正午過ぎまでぐったりとして寝込んで
いなければならない程…朝から疲労してしまうからだ。

(あいつに抱かれるのは嫌じゃないし…いや、むしろ…好きな方だけど…
あんまりされると、その後に一日丸々寝込む羽目になる事になるし…・。
本当は奥さんらしいことを、もうちょっとやりたいけどね…)

 しかし、何度か朝食を作ろうと試みて早起きをした日は…どの日も早朝から
激しく抱かれるという結果に終わってしまっていた。
 だが…一日帰って来ない日ぐらい、お弁当を作りたい。
 そう一念発起して…克哉は今朝、目覚ましの力を借りずに早い時間帯に
目覚めることに成功したのだ。

「…愛妻弁当だなんて、本当はオレの柄じゃないけれど…」

 頬を赤く染めながら、克哉は今度は卵焼きの作成に取り掛かっていく。
 卵を二個分くらいボウルに割っていくと…砂糖、みりんと酒を少々、つゆの素、
塩、胡椒、醤油、粉末のダシの素を少々ずつ振り入れて…菜箸で均等に
混ぜ込んで調味していった。
 それを熱した後に濡れ布巾の上に乗せて、程好く冷ましていった
四角型の卵焼き用のフライパンの上に流し込んでいく。
 最初は薄く焼いて行き、端っこの方にそれを寄せていくと…油を浸した
ティッシュで鍋の表面に油分を塗していって、そして同じ手順を繰り返して
徐々に巻き込んでいく。
 
 ここら辺の手順は…学生時代に家庭科で教わったままだ。
 一人暮らしをしている際、たまに気まぐれで作ることもあったが…
今、それを眼鏡に作ってやっているなんて少し不思議な気持ちだった。
 卵焼き用のフライパンの中には、3~4分もすれば…美味しそうな色合いの
形の良い卵焼きが出来上がっていた。
 それを皿の上に乗せて覚ましていくとざっと鍋に水を流して表面をキッチン
ペーパーで拭いていき、手入れをしていった。
 
「良し、卵焼きは上手くいった。後は…材料を冷まして、詰めていくだけだな…」

 克哉は今の仕上がりに満足そうな表情を浮かべていくと…嬉しそうに
笑いながら団扇で仰いで、全ての材料を冷まし始めていく。
 机の上に並んでいるのはご飯が詰めてある弁当箱。
 それと…さっき仕上げたカニ型のウィンナーを炒めたものと、昨晩の
残りであるエビチリだった。

 これに白和えしたほうれん草と…黄色い卵焼きを少量ずつ詰めて
いけば…彩が良い弁当に仕上がっていく筈だ。
 冷ましている間に…ご飯の上にパラリとカツオ風味のフリカケを
掛けていって中心に梅干を一個、チョコンと乗せていく。
 卵焼きは丁度良い大きさにカットしていき…若干冷めた頃を
見計らって四角く区切られた弁当箱のおかずスペースに詰めていく。
 他の材料も同じ要領で詰めていくと…其処には克哉の愛情も
たっぷりと詰め込まれた弁当が完成していった。

「…柄にもなく弁当なんて作ってしまったけれど…あいつは、喜んで
くれるかな…?」

 作り終わった後で、ちょっと照れくさくなって…軽く頬を染めながら呟いていくと
いきなり背後から抱きすくめられていった。

「あぁ…とっても嬉しいぞ? お前が…俺の為にわざわざ早起きしてまで…
愛妻弁当を作ってくれるだなんてな…?」

「お、俺…っ? い、いつからそこに…?」

 克哉が動揺したように叫んでいくと、心底愉快そうな表情を浮かべながら
背後でククっと相手が喉を鳴らして笑う声が聞こえていった。

「今さっきだ…今朝は目覚めたら、お前の姿がベッドになかったんで…軽く
探していたんだがな。なかなか貴重な光景に遭遇出来たもんだ…」

「そ、そう…で、まだ…ちょっと作業残っているんだけど…離して貰えないかな…?」

 抱きしめた早々、眼鏡の手は克哉の身体を妖しく蠢き始めていた。
 上はシャツ一枚しか羽織っていないというのに…胸の突起をゆっくりと弄るように
しながら掌を這わされていく。

「…片付けなんて後で構わないだろう…特に今夜は、俺は出先で…お前を
可愛がってやれないからな…。今日の分は、ここで…」

「やらなくて良いってば! お願いだから朝からこっちを著しく消耗なんて
させないでくれ…!」

 そう言いながら克哉は必死になってもがいていくが…相手の腕の力はかなり
強くて…一切外れる気配はない。

「…お前のこんな可愛い姿を、朝から見せつけられたら無理だ。諦めろ…」

「わっ…ちょ、ちょっと待って…あ、や…其処、を弄るなってば…はぁん…」

 眼鏡の指先はダンダンと大胆さを増していって、両手で的確に胸の突起を
責め始めていった。
 その状態で首筋や耳の穴周辺に唇と舌を這わされているのだから…溜まった
ものではなかった。

「…一晩、お前を抱けないんだ。今…ここでお前を食わせろ…」

「あぅ…んんっ…」

―耳元で、そんな事を…掠れた声音で囁くなんて反則だと思った。
 
 そんな誘惑の言葉を言われながら、求められたら…それ以上、抗えなく
なってしまう。
 だから克哉は観念して…そっと身体の力を抜いていく。

「…ん、判った…好きに、して良いよ…『俺』…」

 そうして、克哉は自分から苦しい体制になりながらも振り向いて、相手の唇に
そっとキスを落としていくと…素直に身を委ねて眼鏡に…キッチンで抱かれていった。
 立ったままのセックスは久しぶりで…少し苦しかったが、やっぱりもう一人の
自分に抱かれるのは気持ちよくて…。

 そして全ての行為が終わって、眼鏡が出社する時間を迎える頃には…
ぐったりとなりながらも、克哉は頑張って「いってらっしゃい」のキスの日課を
こなして…昼過ぎまで、ベッドの上でぐったりとなる羽目になったのだった― 
 

 ―ようやく求めて止まないものを与えられて、克哉が淫蕩な笑みを
浮かべて微笑んでいった。

「あっ…ん…凄く、イイ…そのまま、蕩けて…しまい、そう…」

 眼鏡の剛直を深々と身の奥で受け止めていきながら…甘い
吐息交じりに、そんな事を呟いていく。
 上半身を起こしている眼鏡の上に乗り上げていくような体制で…
克哉は淫らに腰をくねらせ続けていく。
 その度にグチュグチャ…と、接合部から厭らしい水音が漏れて
静かな室内に響き渡っていった。

「あぁ…俺の腕の中で、存分に蕩けろ…。その様を、たっぷりと
見ていてやるから…」

「うん…見て、恥ずかしいけど…お前に、なら…んんっ…」
  
 お互いに何も阻むものがない生まれたままの姿になっていても、
すでに冷たい外気すら気にならなくなるくらいに昂ぶって、身体が
熱く火照っている。
 克哉が、甘えた表情を浮かべながら…眼鏡の首元にすがり付いて
必死にキスを落としていく。
 いつになく積極的な克哉の様子に、男は心底…満足そうな笑みを
浮かべていった。

「…お前の中、燃えるように熱くなって…ヒクヒクって凄く厭らしく
俺を求めて蠢いているぞ…。ほら、自分でも…判る、だろう…?」

「ん、んんっ…判る。お前のも、凄く…オレの中で、熱くなって…
凄く、ドクドク言ってる…」

 自分の内部に納めている相手の性器が…火傷をしてしまいそうな
くらいに熱く感じられる。
 その感覚が、圧迫感が…克哉の心を満たしていく。
 眼鏡の手が…こちらの腰に回されていくと、淫靡な手つきで尻肉を
捏ねるように揉みしだいていく。
 相手に触れられる箇所全てが、快楽を訴えていく。
 その度に克哉の身体はいやらしく跳ね、更に身体の奥が
熱く燃え上がっていくのを感じていった。

 グチャグチャグチュグプ…。

 お互いが繋がっている箇所から、体液と空気が絡まりあっている
実に淫ら極まりない音が鳴り続けている。
 その度に、耳の中まで犯されているような奇妙な錯覚を覚えてしまう。
 だが…それが、今の克哉にとっては更に快楽を増す為のスパイスで
しかなかった。

(恥ずかしい、けど…少し…苦しい、けど…もっと、こいつを感じ取りたい…。
そして、もっと…一緒に…)

 もっと、気持ち良くなりたかった。
 眼鏡が先程、克哉をトコトンまで虐めて感じた姿を見たいと願ったように…
彼の中にも、同じ気持ちが生まれていく。
 今、自分をこうして深く刺し貫いている男に、感じて欲しい。
 もっともっと…気持ち良くなって貰いたい。
 何も考えられなくなるぐらいに、頭が真っ白になるような…あの天国の扉にも
似た感覚を…一緒に、他ならぬもう一人の自分と感じ取りたかった。
 その想いが…思わぬ奉仕精神を、克哉の中に宿らせていく。
 
「ねえ、もっと…オレの中で、気持ち良くなって…こうすれば、
お前は…気持ちよく、なれるかな…?」

 そう告げた瞬間、ギュウっと強く相手の背中にしがみついていきながら…
意識的に、己の括約筋を意識して収縮させていった。
 
「ぐぅ…っ!」

 ただでさえ克哉の中はキツくて締まっているというのに…意識的に、強く
締め付けられれば…瞬間的に、思わず放ってしまいそうなぐらいの強烈な
感覚が背筋に走り抜けていった。

「ん、ねえ…『俺』…気持ち、良い? もっと…こうした、方が…良い…?」

 そんな事を問いかけながら、克哉が再び…キュウ、キュウ…と繋がっている
場所を意識して窄めていく。
 その度に、眼鏡は今まで感じた事がない衝撃に耐えなければならなくなって
しまっていた。

「こら、あまり…締める、な。ただでさえ…お前の中は、キツくて…中にいるだけで
イキそうになるぐらいなんだ…。そんな、凶悪な事は…する、な…」

 珍しく余裕のない表情を浮かべながら、眼鏡が告げていく。
 本気で、半端じゃないぐらいに…意識的に締め付けてくる克哉の内部は
気持ちが良すぎた。
 セックスの時の持久力に関しては、結構自信がある方だったが…こんなのを
頻繁に繰り返されてしまったのでは、抱く側の面目が立たなくなる。
 それぐらい…意識的に締め上げてくる克哉の中は極上だったのだ。

「ん、なら…もっと、オレの中で…気持ちよく、なって…『俺』…。お前が
気持ちよくなってくれると…凄く、嬉しいんだ…」

 そういって凄く嬉しそうに笑いながら…克哉は自ら腰を使って律動を
繰り返していった。
 いつだってセックスの時は、克哉は受身だった。
 眼鏡が求めるままに…流されるままに翻弄され、喘がされる。
 そんな克哉が、こんな事を言うなんて…一瞬、信じられなかった。
 けれど…シックスナインまでして、どこか克哉は吹っ切れたらしかった。
 キッカケは媚薬の力。
 けれど…それで、トコトンまで己の欲望に忠実になった事が…この二ヶ月
ずっと存在していた心の壁を、一時…取り払って克哉を正直にさせていた。

「クク…それは、さっきまでの俺の気持ちと、一緒だな…」

「そう、だね…今、きっと…オレ達…同じ、気持ちだと…思うよ…」

 そういって、抱き合いながら…深く身体を繋げていきながら…二人は
奇妙な一体感を覚えていく。
 今まで感じていた、不安が取り払われていくような…不思議な感覚。
 相手に、感じてもらいたい。一緒に気持ちよくなりたい。
 その想いをお互い抱くことで…いつもと、何かが違って感じられた。

「そうだな…今、両思いだな…俺達は…」

 そう口にした、眼鏡はとても優しい顔をしていた。
 その顔が…柔らかい月明かりに照らされて、一瞬克哉は見惚れていく。

―こんなに優しい顔をした彼を、結婚生活を送る以前は決して見たことなど
なかったから…

「ん、凄く…嬉しい…」

 克哉は、その顔を愛しげに見つめながら…再び意識的に相手のモノを締め上げて
腰をしきりに使い続けていく。
 行為が激しくなるにつれて…はあ、はあ…とお互いの呼吸が、荒く乱れて
忙しないものへと変わっていった。

―月を背にして、満たされたように笑う克哉の顔もまた…ハっとする
ぐらいに綺麗だった

 お互いに…相手の滅多に見れない顔を見ながら…夢中で求め合って
快楽を追い求めていく。
 双方の身体の間に挟まれている克哉の性器が、限界寸前まで張り詰めて
大量の蜜を零していきながら、暴れ狂っている。
 ギシギシギシ、とベッドは大きな軋み音を立てて揺れている。
 それは…二人の行為が情熱的で、激しいものである事の何よりの証でもあった。

「はっ…あっ…あぁ…! ふっ…う…『俺』…! もっと、オレを…愛して…!」

 願うように、切実な声音で…克哉が訴えかけていった。
 相手の背中に爪を立てるぐらいに、切羽詰った様子で…縋り付いて
そう懇願してくる様は、眼鏡の中にジワリと…奇妙なものを生み出していく。
 暖かくて、フワフワしたもの。
 かつての自分はバカにして、否定していたもの。
 それを嫌でも気づかされていく。

「あぁ…愛して、やるよ…。だから、今は俺だけを…感じて、いろ…!」

「ひゃう…んっ…! イイ…凄く、イイよ…も、っと…!」

 他の事なんて考えられないぐらいに、ただこの瞬間だけでも愛して欲しい。
 こうして身体を重ねている今、だけは…。
 この生活にもうじき最初の区切りが、「リミット」が間近である事をほんの
一時でも忘れられるぐらいに…激しく、今はただ犯して欲しかった。
 だから克哉はどこまでも乱れて、夢中で腰を使っていく。
 そんな彼に応えるように眼鏡もまた…ムチャクチャになるぐらいに激しく
突き上げて、相手を翻弄していった。

 ―そして二人はほぼ同じタイミングで達していく

 心臓が破れてしまうんじゃないかって疑いたくなるぐらいに、荒く脈動を
繰り返していた。
 息が苦しくて、米神の周辺にトクトクと血が集まっているような感覚がした。
 相手の情熱を…己の内部に、感じ取っていって克哉は…小さく、呟いていく。

―好き…

 たった一言。されど、今の克哉にとってはそれ以外の言葉は
思い浮かばないぐらいに素直な気持ち。
 それを聴いて眼鏡は、充足したように微笑むと…その気持ちに応えて
いくかのように、甘いキスを…その唇に落としていったのだった―
 
 

  ―ベッドの上で深く、唇を重ねあっていく。

  窓の外には綺麗な弧を描く三日月が浮かんでいた。
  二月の初旬、空気が冴え渡る夜。
  窓も薄っすらと曇って外も満足に見れない。
  服を丁寧に剥かれていく度に、吐く息すらも白く染まりそうな
冷たい外気に晒されて凍えていきそうだった。

 空調で一定の温度になるようにコントロールされている室内であっても
この時期、深夜の時間帯を迎えれば寒さを感じる。
 けれど…眼鏡の熱い舌が、こちらの口腔をねっとりと弄り…服の上
からでもその掌がこちらの肌をなぞりあげていけば、徐々に寒さなど
気にならないぐらいに…身体が火照り始めていった。

「はぁ…ん…」

 克哉が悩ましい声を、キスの合間に零していく。
 その間に、また相手の舌が唇から…歯列に掛けてやんわりと舐め上げて
こちらを煽るように蠢き続けていった。
 すでに克哉の方は先にベッドの傍らに腰掛けられる体制になり…眼鏡の
方はゆっくりとその上に乗り上げていった。

 ギシ、とスプリングが軋む音を立てながら…キングサイズのベッドの
上へと組み敷かれていく。
 淡い暖色系の照明に照らされながら…相手の顔を間近に見上げていくのは
やはり…結婚してから一ヶ月程度は経過しているのに、未だに慣れない。
 キスの合間にも、残されていた衣類は性急な手つきで剥ぎ取られていく。
 今夜もまた…克哉の方だけ、全裸にさせられていった。
 相手の舐めるような視線を感じて、それだけで血液が沸騰しそうになる。
 一緒の屋根の下で暮らして、毎晩のように抱かれ続けているにも関わらず
やはり…もう一人の自分に、抱かれる時は緊張していた。
 
「…寒いか…?」

「ううん、大丈夫…お前の体温を、感じるから…」

 先に脱がされると、やはり最初は寒さを感じていく。
 だが…それでも、相手の身体と触れ合っている箇所からじんわりと
温もりが伝わって来て徐々に気にならなくなっていく。
 
「…随分と、可愛いことを言うようになったもんだな…」

 相手が喉の奥で、ククっと笑いながら…こちらの胸元を弄っている姿を
見ると…つい、羞恥で頬を染めてしまう。

「…本当のこと、言っているだけだよ。…お前の体温を感じると…
凄く、気持ち良いし…」

「体温、だけか…?」

 耳朶に、そっと小さくキスを落とされながら…そんな意地悪な問いかけを
されていく。
 何となく、相手のその一言の裏に隠された意図らしきものは読み取れる。
 だから、つい照れてしまって拗ねたような表情を浮かべてしまった。

「…意地悪。確かに、お前と触れ合っていて気持ち良いのは…温もり、
だけじゃないよ…」

 プイ、と相手の方から顔を背けていくと…顎から耳の付け根の辺りに
そっと掌を宛がわれて、ゆっくりと耳穴の辺りを舌でくすぐられていく。
 その様子を見て、眼鏡は一層…楽しそうに笑っていった。

「…何か、今夜のお前は…可愛いな。少し普段と趣向を変えてみたくなる…」

「趣向って、何だよ…。まったく…また、エッチな事ばかり考えているんじゃ
ないだろうな…」

「…お前とこういう体制で一緒にいて、俺がそういう方面のことを考えないで
いるとでも思っているのか…?」

「うっ…確かに…」

 こちらは全裸で、相手の方だってすでに上半身の衣類は脱ぎ去って、ズボンの
フロント部分は寛げているような状態だ。
 この体制で抱き合っていて…確かにエッチな方向を考えないでいるのは
かなり難しい。
 克哉だって、つい…淫らな期待とか、そんな事が過ぎってしまう状態なのに…
この相手が、そっち方面に思考が行かないなんて確かに考えれなかった。

「…お前って、本当に…スケベ、だし…。一緒に顔を合わせていると…いつも、
エッチな事を仕掛けるか、オレを抱いてばかり…じゃないか…」

 途切れ途切れに、顔を赤くしながら呟いていく合間に…ゆっくりと下肢に
指先を這わされていく。
 すでに勃ち上がり切っているペニスを握りこまれていくと…先走りが滲んで
いる先端部分を、的確に指先で弄られ続けていく。
 その度に…いやらしい糸がネチャ…と引いて、クチュクチュと卑猥な水音が
聞こえていった。

「…お前は可愛いからな。こうやって抱いて…つい、虐めたくなる…」

「意地悪…はぁ…ん…」

 相手の手の動きは、じれったくなるぐらいにゆっくりだった。
 すでに火が点いてしまった肉体には…これぐらいの刺激じゃ全然足りないと
いうのに…それでも、煽るようにゆっくりとした動作で行為を続けていく。

「もっと、強く…擦って…足りない、から…」

 相手はこちらの快楽のポイントを知り尽くしている。
 そしてこの一ヶ月、克哉は散々抱かれているおかげで…相手がこちらの
感じるところを的確に付いてくれる時の強烈な愉悦をすでに覚えこまされている。
 だから、足りない。
 もっと深く弄って、気持ち良くして欲しい。
 おかしくなるぐらいに…こちらを乱して、理性など吹っ飛ぶぐらいに激しく
感じさせて欲しいのに…相手のこの動きでは、全然その領域にまでイケない。

「…さあな。今夜は、ジワリジワリ…とお前を追い上げていきたい気分なんだ…。
こうやって、たまには時間をじっくりと掛けるのも悪くない…」

 そう言いながら、相手は熱い眼差しを向けながら…相変わらず、ゆっくりと
した動きでこちらの性器を扱き続けていった。
 眼鏡の視線を感じるだけで、奇妙な電流が肌の上に駆け抜けていく。

「やっ…あんまり、焦らすなよ…。もう、オレは…耐え切れ、ないのに…」

 つい無意識の内に自ら性器の方に手を伸ばして慰めたくなってしまいそうな
心境に陥っていく。
 瞳の甘い涙を浮かべていきながら、必死になって懇願していく。
 
―早く相手が欲しくて仕方なかった

 眼鏡の情熱の証を、この身で受けてどこまでも乱されて、犯されていきたい。
 今夜の克哉は、特にその欲求が強かった。
 いつもは克哉の気持ちなどお構いなしに一方的に求めて抱いてくる癖に…
こちらがこんなに求めている夜に限って焦らすなんて、何て意地悪な男
なんだろうと心底思う。

「…今日は、凄く…オレ、お前が…欲しくて…堪らなかったのに…」

 日中に、つい…相手を想ってしまって自慰をしてしまうぐらい。
 それぐらい…待ち焦がれていたのに、なのにそんな日に限って
仕掛けてくるのも遅ければ、いざ行為になっても焦らされ続けるのだから
克哉にしてみれば堪ったものではなかった。

「ほう…? 俺は逆に…今夜は時間を掛けて、じっくりと追い上げて…
俺が欲しくて堪らないとばかりに狂わせていきたい気持ちなんだがな…」

「もう、そうなっているよ…! 意地悪…」

 克哉は、身の奥からジワリジワリと湧き上がる衝動に我を失いそうに
なっている。
 彼は、知らない。自分のその状態が…相手が今朝、さりげなく枕元に
置いてくれたレモン水の中に仕込まれた媚薬の作用である事を。
 それを一日掛けてじっくりと飲み干してしまった為に…克哉は
今日一日…身体が熱くなり続けて仕方なかった。
 男はそれを判った上で…ともかく、追い込んで愉しんでいる事実を…
まだ知らなかった。

「早く…お前を、頂戴…!」

 ずっと性器に手を伸ばしても、阻まれ続けたが…耐え切れずに腰を
淫らにくねらせ続けて、相手の熱を切望していく。

「…其処まで、俺が欲しくて仕方なくなっているのなら…その
気持ちを汲んでやろう…。口で、俺のを愛して…ソノ気にさせてみろ。
そうしたら…すぐにでも、お前の中に熱いのをくれてやる…」

「本当…?」

 淫蕩な瞳を浮かべながら、克哉が期待したように相手を見上げていく。

「あぁ、俺はこういう事では嘘を言わない…正直な男だからな…」

「良く、言うよ…けど、その言葉…信じる。だから…」

 そうして、克哉は自ら身体を起こしていくと…相手の下肢の方へと
顔を埋めていく。
 普段だったら羞恥の余りにきっと、躊躇いを感じてしまうだろう。
 だがもう…今はそんな事に構っていられる余裕などまったくなかった。
 欲しくて欲しくて、気が狂いそうで。
 その為だったら何でもやれる…そんな危険な状態の一歩手前まで、
欲情の余り…克哉は、追い込まれてしまっていたから…」

―お前を、頂戴…

 そう、魅惑的な笑みを浮かべて克哉が強請り…ゆっくりと眼鏡の
性器へと舌を這わせていった。
 その様子を…眼鏡は、実に満足そうに眺めていった―
 
 
  ―体中がフワフワして、落ち着かない感じがした。

 達したばかりの身体は敏感になっているが…同時に脱力しているので
泡風呂の中に沈められていくと、まるで空に浮かんでいるような
奇妙な気分がした。

(フワフワの泡が、何か雲っぽく感じられるな…)

 湯船に放り込まれた後、すぐにもう一人の自分が入ってきて
背後から抱きすくめられるような格好になっていく。
 そしてそのまま…一緒に湯に浸かっていた。
 眼鏡が優しく、克哉の髪を梳いていきながら生え際や米神に
小さくキスを落としていく。
 …そういう、微細な刺激が妙に心地よく感じられた。

「ん…何か、気持ち良い…」

 湯船の中で身を寄せ合うのも不思議な感じだ。
 肌が吸い付いているような、ツルリと滑っているような…そんな
奇妙な感覚を互いに身体を軽く動かす度に感じていく。
 それでも…少し温いぐらいのお湯は、熱く貪りあった身体には
むしろ丁度良くて。
 無意識の内に…縋るものを求めるように、後ろにいるもう一人の
自分の指先を求めて…そっと握っていく。

「…気分は、どうだ…?」

「うっ…ん…悪くないよ…。むしろ、フワフワして…良い、気持ち…」

「そうか…」

 背後で、眼鏡がフっと笑ったような気配を感じた。
 その後、ふわりと柔らかい沈黙が二人の間に落ちていった。
 時々、身体が揺れあうので…その度にチャプチャプ、という水音だけが
辺りに響いていくが…せいぜいそれくらいで。
 お互いに無言のまま、指を這わせて…さりげなく相手の身体を
触りあったりしていた。

 ミルクの香りが充満するバスルームで…こんな風にゆったりした
一時を過ごすと、こんなに満たされた気分になるなんて…予想も
していなかった。
 相変わらず、もう一人の自分は身勝手でこちらのペースなんて
お構いなしの酷い奴だけど、こうやって抱き合った後に優しくして
くれる一時は、かなり好きだった。

(結婚前は…いつもヤルだけヤッたらすぐにこいつは消えてしまって
いたからな…)

 一人で終わった後に残されるその度に、切なくて。
 こんな寂しい気持ちを味わい続けるなら…いっそ、もう出て来るなよ!と
思った時期もあった。
 抱かれる度に、自分の中ではこいつの存在が大きくなっていって。
 そんなの究極のナルシストじゃないか…と、自分で信じられなかった。

(あぁ…でも、この一ヶ月は…毎晩抱かれて身体的に辛い部分はあるけど…
毎日が、幸せだよな…)

 いつコイツが現れるか判らず、焦燥していた時期を思えば…今は
毎日、一緒に過ごせて。
 抱かれた後も、こいつの寝顔をたまに見れる日まである。
 いつも終わったら消えてしまう…そんな切ない日々を過ごしていた時を
思えば、一緒にいられる事。
 それ自体が…とても、幸せな事なのではないだろうか…?
 湯船に浸かって、リラックスした状態だからこそ…何となく克哉は
その事実に気づいていった。
 
 さりげなく、こちらの身体をそっと背後から抱きしめるように…相手の
両腕が、克哉の胸の辺りで交差していく。
 その手に何気なく、克哉は己の手を乗せていった。
 式を挙げたのに、自分達の指先には…その証である指輪は存在しない。
 いや、あの夜は確かにあった。
 儀式の最中に…指輪を交換したのは、確かに覚えていたから。
 けれど、激しく抱かれて意識が朦朧として…この新居で目覚めた時には
すでに無くて…。

(あの夜の記憶は…かなり曖昧、だよな…しかも、新居で目覚めた時には
ほぼ丸一日が過ぎていて、夜で…その…)

 その初夜の記憶まで思い出して、克哉はカアっと赤くなった。
 今思えば…この一ヶ月は抱かれてばかりだった。
 克哉はそれに気づいて、だんだんこうして相手の腕の中にいる事が
いたたまれない気持ちになっていった。

「なあ…さっきの指輪の話、信じて良いのか…?」

 蒸し返すのは、しつこいと思われるかも知れない。
 そう思ったが、それでも聞き返さずにはいられなかった。
 克哉がそう問いかけた瞬間、いきなり顎を掴まれて…苦しい
体制で、強引に口付けられていく。
 あまりの激しさに、つい息苦しくなって呼吸困難に陥りそうな
ぐらいだった。
 だが、その熱烈なキスが…何よりもはっきりと、眼鏡の意思を
伝えてくれていた。

―俺を信じろ

 と、態度ではっきりと示してくれているような、そんな気がした。

「はっ…ぁ…」

「…不安は、治まったか…?」

「うん、大分…」

 ぐったりとなりながら、もう一人の自分の身体の上に凭れかかっていく。
 こうやって…身を寄せ合って、一緒にいるのがとても気持ちよかった。

「…まったく、お前は…こちらに尋ねるばかりで、全然…俺が言って欲しいと
望んでいる事は口にしないな…?」

「えっ…どういう、事…?」

「…お前は、指輪がなくて不安を感じているみたいだが…俺だって、お前の方から
まったく「好き」とか「愛している」とか…口にしてくれなかったら、少しぐらいは
不安を感じると…思ったことはないのか…?」

「っ…! そ、それは…」

 眼鏡に指摘されて、ハっと気づいていく。
 そういえば…この一ヶ月、毎晩のように抱かれていたから…失念していたけど
毎日、肌を重ねていても…お互いに、そういう類の言葉は口にしていなかった
のは確かだった。

「…俺は、そんな事で不安を感じるぐらいなら…お前にもう少し『好き』と
いう言葉ぐらいは言って欲しいがな…」

「ご、御免…」

「謝るぐらいなら、今言ったらどうだ? 俺はいつだって…お前からの
その一言を待ち望んでいるんだぞ…?」

 そんな事を言われながら、背後から手を伸ばされて…顎から首筋に
掛けてゆっくりとくすぐられていく。
 その感覚に肌が粟立っていくような心持ちになっていく。
 暖かいお湯の中のせいかいつもよりもフワ~と気持ちが、解れていく。
 だから普段は羞恥と意地が邪魔をして、なかなか言えないでいた言葉が
すんなりと口を突いた。

「…お前の事、好き…だよ…」

 凄く躊躇いがちではあったが、気恥ずかしそうに克哉が呟いていく。
 それだけで耳まで真っ赤に染まっていった。
 その様子に気づいて…再び、眼鏡が笑っていった。

「よく言えたな…俺も、お前を好きだぞ…」

「ん、判っている…」

 そうして、再び唇を重ね合う。
 言葉を交し合った後でのキスは、快感もひとしおで…つい、腰をモジモジと
させていくと…自分の臀部辺りで、相手のモノもはっきりと息づいているのに
気づいていった。

「っ…!」

「それじゃあ、お互いの想いを確認しあうとするか…」

「ちょ、ちょっと待って! まだ、さっきの疲れがあるんだけど!」

「関係ない。それとも…お前がそんな可愛いことを言った直後に、俺に我慢を
しろと言うつもりなのか…?」

「だから、何でそんなにお前…いつも盛れるんだよ! 一日に何回も何回も
抱かれたら、オレだって身体が持たな…んんっ!」

 腕の中で克哉がジタバタ暴れていくと、それを押さえつけるように
強引に眼鏡がそのうるさい口を塞いでいった。
 そのまま…スルリと、相手のモノが自分の中に割り入ってくると…最早
克哉は観念するしかなくなっていく。

―こいつは本当に…! けど…それだけ、求めてくれているって事…なの、かな…?

 怒る気持ちと、求められて嬉しい気持ちが半々になっていく。
 フっと瞼を開けて、相手の顔を見つめていくと…眼鏡の、アイスブルーの瞳が
優しい色を湛えているのに気づいて…抵抗を止めていった。

(こんな目で見つめられたら…断わりきれない、よな…)

 それを認めるのは悔しかったけれど。
 自分も、その眼差しを自覚した瞬間…もう一度相手が、欲しくなってしまった。
 だから…ようやく克哉は抵抗を止めて、その首に腕を回していった。

 濃厚なミルクの香りに包まれながら、再び二人は熱い一時を過ごしていく。
 この日々がいつまで続くかは…今は判らない。
 けれど、会えなくて気が狂いそうな夜を思えば…今は確かに、克哉は
幸せで満たされた日々を送っていた。

 その幸せを噛み締めて、再び…情熱に身を委ねていく。
 相手の熱さを身の奥で感じながら、克哉は再び…狂乱の中へと
愛しい人間の手で落とされていったのだった―
 
 
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プロフィール
HN:
香坂
性別:
女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
 鬼畜眼鏡にハマり込みました。
 当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
 とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)

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