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鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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※原稿の関係で予定より掲載遅れましたが、ここまで
この話に付き合って下さった方…ありがとうございます。
 二か月余り掛かりましたが、どうにか完結です。
 ここまで読んで下さった方に対して感謝の気持ちをここに
記しておきますね。
 それでは最終話。どうぞ読んでやって下さいませ。


 咎人の夢(眼鏡×御堂×克哉)                             10
                                                        11  12  13  14  15 16  17 18 19 20
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―克哉ともう一人の自分が、別々の肉体を持って隔てられた日から
今日で一年が経過しようとしていた。
 幽霊となった御堂と肉体を共有して生きることにも慣れて来て…
奇妙な日常も、ごく自然に受け入れられるようになった頃。
 …克哉は鏡を通して、向こう側の自分と…御堂が抱き合っている光景を
目撃する形となった。

「…もしかして、これは…俺と、御堂さん…」

 鏡とは本来、本来あるべきものを真逆の状態にしてそっくりと
そのまま映し出すもの。
 だが…今、克哉の部屋の壁に掛けられている鏡にはどうやら病室
らしい風景が映し出されている。
 そしてベッドの上から上半身を起こしている御堂と、スーツ姿をした
眼鏡を掛けた自分がきつく抱き合っていた。
 声までは聞こえない。けれど二人の様子から、想いが通じ合って抱擁しあって
いるように見えた。
 
(あぁ…お前は、御堂さんと…両想いに、なれたんだな…)

 その事に、喜びと安堵をおぼえていく。
 けれど…胸の中に、何かチリリとしたものを覚えたのも確かだった。
 幸せそうに寄り添い、口づけを交わす二人。
 この一年で…彼らがどんな風に時を過ごして来たのか詳細は知らない。
 それでも…見ているだけで、今の二人の間には温かな心が通っている
ことだけは伝わってきた。
 
「…そうか、お前も…ちゃんと御堂さんと…結ばれることが、出来たんだな…」

 結局は、自分も彼も…人格は違うとは言え同じ人間で。
 …だから、きっと同じ御堂孝典という人に惹かれるのは当然の事だ。
 自分だって霊体であっても、厳しくも優しいあの人に接している内に次第に
好きになってしまったのだから。
 彼がちゃんと幸せになってくれることを願って、一年前のあの日…自分は彼の背中を
押したのだから。
 だから心から喜ぶべきなのに…口元に笑みが浮かぶのと同時に…うっすらと
涙が頬を伝い始めていった。

「…何で、オレ…涙が…?」

 もう一人の自分が幸せをちゃんと掴んでいたことに対して…嬉しさを
覚えている筈なのに、それ以外の感情が胸の中にゆっくりと競り上がってくる。
 認めたくなかった。この光景を見て、喜び以外の感情が…自分の中に
生まれてしまっているのが。
 どれだけ克哉がその感情を押しとどめようとしても…後から、後から
溢れてくる。
 実体を伴った御堂と、しっかりと抱き合っているもう一人の自分を見て…
克哉はこの一年間、ずっと目を逸らし続けていた自分の本心に気づいていく。

「…幸せに、なれて…本当に、良かったね…『俺』…」

 自分が鏡を通して、相手が見えているように…その逆もあり得るかも知れない。
 そう思って、精一杯の笑みをどうにか浮かべていった。
 オレは、幸せだよ…と相手に伝えるように。
 けれど…涙が静かに伝ってしまっているせいでどこかぎこちない笑みに
なってしまっていた。
 けれど、それでも克哉は微笑む。
 どんな力が働いてこうして鏡を通して、お互いの姿が映されているかまでは
彼には判らない。
 しかしもう一人の自分が、最後に見るこちらの顔がクシャクシャの泣き顔に
なるのだけは…気持ち的に嫌だったから。

―オレは、幸せだよ…

 そう、相手がこちらに伝えるように…御堂を強く抱きしめているのに応える
ように…笑い続けていく。
 そうしている間に、午前0時が訪れていく。
 そして日付が変わったのとほぼ同時に…鏡の向こうの景色はゆっくりと
歪んでいき、そして…普段通りの佇まいを取り戻していった。
 今のは恐らく、Mr.R辺りが気まぐれで起こした奇跡の類だったのだろうか。
 もう二度と会えないと、様子を知ることも叶わないと諦めていたもう一人の
自分と御堂のその後を、十分程度という短い時間であったけれど確かに
克哉に伝えてくれていた。
 だが、もう一人の自分の姿が見えなくなった瞬間…自分の目元から
溢れんばかりの涙が流れ始めた。
 克哉は無意識のうちに…自分の口元を押さえていく。
 
「はっ…うぅ…」

 その瞬間に…克哉は、自分の本心を知ってしまった。
 すでに肉体を失ってしまった御堂と…それでも恋に落ちてしまった時から
決して気づかないようにしていた。
 けれど…もう一人の自分が向こうの世界の御堂と、生身を持っている彼と
抱き合っている姿を見た時についに隠せなくなってしまった。

―自分も、生身のあの人に一度でも良いから抱かれたかった事を…
あんな風に、抱き合いたかったのだと…

 その本心に気づいた時、小さな罪悪感を覚えた。
 例え魂だけになっても、好きな人と両想いになれただけ幸せだと
そう思っていた。満たされていると信じていた。
 だが、もうその誤魔化しも聴かない。
 自分の中には、それ以上を確かに望んでいる気持ちが潜んでいた。
 現状では、足りないと…浅ましい心が、叫んでいる。
 その荒れ狂う、胸に秘めた激情こそが…涙の正体だ。
 御堂を愛しているからこそ、現状では埋められない飢餓が自分の中に
存在している。

 望んだって、叶えられることではないのならば…あの人を苦しめるだけ
ならばそれは言ってはいけない言葉だった。
 …肉体を共有して、相手にこちらの感情が伝わってしまうこともあるのだから
考えることも禁じていた。
 けど、もうダメだ。自分は知ってしまった。
 自分の中の、醜い心を。赤裸々な欲望を…。
 そうして泣き続けていると…ふいに、フワリと大気に包み込まれているような
そんな感覚がしていった。

「御堂、さん…?」

 それで気づく。彼の魂が今…自分を包み込んでくれている事に。
 決して叶えられない願いを、今の御堂の負担にしかならない事を
望んでいる自分を労わるように…温かいものを感じていく。
 相手の方から、何も言わない。
 けれど…こちらを気遣ってくれているのだというその感情だけは
確かに伝わってくる。
 だが、今は…そんな優しさが逆に痛かった。

「御堂、さん…止めて、下さい…。オレは…貴方を困らせることを…
考えている、のに…」

―構わない。それでも…私は君を抱きしめたいんだ…。我が身が
ないことが本当に歯痒いがな…

「…お願いです、こんなオレに…優しくなんて、しないで下さい…」

 懇願するように、克哉は訴えていく。
 けれど相手の気配は…どこまでも包み込むような雰囲気は
決して離れる気配はない。
 大好きで、誰よりも尊敬をしている人。
 何度、こういう形でしか出会えなかったことを心の奥底では本当は
悲しく思っていたことだろう。
 同じ身体を共有して生きている以上、しっかりと考えてしまったことに
関しては御堂に伝わってしまう。 
 良くも悪くも嘘や偽りが出来ない環境だった。
 だから相手にどうしても知られたくないことは…意識の底に沈める他
なかったのだ。

「…オレは、貴方に…何度も『今のままでも充分幸せだ』と言っていた癖に…
心の底では、御堂さんの負担にしかならないことばかりを強く
願っていたんです…。そんなオレに、貴方に優しくされる資格なんて…
ないです、から…」

 何度も、自分は幸せだと…今のままでも満ちていると御堂に
伝えて来た。
 けれど…向こうの世界の二人を見て、克哉はずっとこの一年…
覆い隠していた本心を、ついに意識に登らせてしまった。
 本心から言っているつもりだった。この人に…身体がないことを引け目を
与えたくなかったから。
 肉体がなくても、それでもこの人を愛している…その気持ちだけは
自分にとっては真実だったから。
 けれど…本心を覆い隠せば隠すだけ、心の中に澱んだものが
広がってジワリジワリと広がって侵食していくようだった。
 だから、気づいた時…堰を切ったように自分は涙を零してしまったのだ。
 ずっと覆い隠していた感情が、ようやく出口を見出して…溢れだして
しまっていた。
 
(こんな事で泣いたら…御堂さんを、困らせるだけなのに…)

 なのに、止めようと頑張ってみても涙線は完全に壊れてしまったみたいで
熱い涙が零れ続けていく。
 
―貴方を凄い、好きです…御堂、さん…

 好きだから、困らせたくない。
 けれど好き過ぎるが故に…一度でもこの人の熱を、愛情をこの身で…
しっかりと感じ取りたかった。
 お互いに愛情を確認し合う為に…抱き合いたかった。
 この人と生身の身体を持って、愛し合いたかったのだ…自分は!

「御堂さん、御堂さん…御免、なさい…!」

 こんな事を望んでしまって御免なさい。
 絶対に叶えることが出来ない願いなど、相手にとっては負担にしか
ならないだろう。
 だから一生、覆い隠すつもりだった。
 もう一人の自分の事だって、あちらの御堂と上手くいったのならば心から
祝福するつもりだった。
 いや、祝う気持ちに嘘はない。幸せになって欲しいと心から願っていた。
 けれどその感情と同じ強さで…嫉妬をしてしまった。
 御堂が生きていること、触れあって確認できること。強く抱き合いながら
しっかりとキスを交わせること。
 それは…自分にとっては叶わないことだから。
 だからみっともないぐらいに…相手を羨んでしまったのに…こんな自分を
それでも愛しい人が気遣ってくれるのが余計に辛く感じられてしまった。

―謝る事じゃない。それに…私だって同じ気持ちだ…。君をいつしか
想うようになってから、君をしっかりと一度でも抱いて感じ取りたかったと…
だから、あんな形であっても…私は君を抱き続けたのだから…
 
 自分たちには、あんな形でしか一つになれない。
 セックスに近くても、御堂に生身の肉体が存在しない以上…あくまで
あの行為は疑似的なものでしかない。
 だから、一時的に満たされて誤魔化せても…胸の奥では、何かが
足りないと少しずつ何かが積もって来ていた。
 魂を重ねて、相手の身体を乗っ取って…脳を弄って快感を引き出して…
セックスに近づけても、熱い肉体を持って抱き合うことには決して叶わないのだ。

―そもそも死者が、生きている人間に執着して愛してしまうこと自体が…
罪だったのかも知れない。君の献身的な気持ちに惹かれて、いつしか
想うようになってしまった。けれど…私は本当に君と肉体を共有してこれから
長い人生を共に生きて良いのだろうかな…?

「そんな、事は言わないで下さい…。幽霊であっても…俺は、貴方が必要なんです!
どんな形でも、これから先も…貴方といたいんです!」

―克、哉…

 克哉は泣きながら、叫んでいた。
 御堂と生きる限り、克哉は他者と…生きている人間と抱き合えない。
 今までは眼を逸らして触れないようにしていたが…この恋は、克哉をその
深い業へと落としていく。
 温もりを与えることも、抱いて本当の意味でのセックスの快楽を与えられる
訳ではない。

 死者と生者との恋は、お互いに目を逸らしていたから…この一年はぬるま湯に
浸かっているように穏やかに過ぎていた。
 だがどうしても埋められないもの、満たせないものにお互いが気づいた時…
その欺瞞が明かされていく。
 克哉は其れが暴かれた瞬間、心の限りに叫んで訴えた。
 この恋は手を離したらそれで終わりなのだ。別れはイコール、御堂の成仏を
意味するのだから。
 眼鏡を掛けた方の佐伯克哉への憎しみは、今の克哉が献身的に仕えることに
よって晴れていった。
 本来、克哉と恋に落ちさえしなければ…御堂を現世に留めている未練はすでに
なくなっている筈なのだ。
 
―私がいる限り、君は…誰とも温もりを共有出来ない…。私のもので
ある限り、私は決して…君が他の誰かと抱き合うことなど許せないからな…

「えぇ、構いません。オレはその覚悟で、貴方に傍にいて欲しいんです…!」

 泣き晴らしながら、それでも克哉ははっきりと言い切っていく。
 愚かだと誰に詰られても良い。自分が馬鹿だという自覚もある。
 一生、自分の願いが果たされることは望めない。
 時に、それで悲しくても切なくなっても、愛しい人とは離れたくない。
 それが克哉の真実だった。 
 その覚悟に充ちた言葉を聞いて…御堂が苦笑したのを感じていった。
 お互いに何度、もう少し早く出会えていればと思った事だろう。
 克哉があの眼鏡に頼らず、自分の足で生きて…御堂と接していたのならば
真っ当な幸せが自分たちにも訪れていたのだろうか。
 過去を振り返って、もしも…と考えても仕方ないことだと判っている。
 それでも自分たちは、こんな状態でも恋をしてしまったのだ。
 ならば…この人が自分の傍にいてくれる限りは克哉から決して
手を放したくなどなかった。

―君には敵わないな。その真っ直ぐな気持ちが…私の心をこんなにも
変えてしまったんだな…

「…すみません、我儘で。けど…オレは、それでも…」

―判っている。君の気持ちは…共に生きている私が誰よりも知っている…

「御堂、さん…」

 そして、唇にキスを落とされていく。
 フワリ、と何かが触れたようなあやふやな感触だけど…それでもこちらに
口づけてくれている事は気配で感じ取っていた。
 そして泣きながら…克哉は告げた。精一杯の想いを。気持ちを…
この人を罪だと知っていても、自分の傍で…この地上に縛りつける一言を。

『貴方を愛しています…。本当なら、貴方を天国に旅立たせるのが…一番
良い方法だって判っていても、俺は一生…傍にいて欲しい。体を伴って
愛し合えなくても…それでも、一緒に…生きたいんです…』

 涙をポロポロと零しながら…覚悟を決めて伝えていく。
 もう…甘ったるい夢や日常で誤魔化せないなら、相手を縛りつけると
判っていても本心を伝えるしかない。

―克哉、君は本当に…バカだな…

「えぇ、自覚はあります…」

 泣きじゃくってクシャクシャの顔で、それでもどうにか笑おうとする。
 見ているだけで胸が詰まるような光景だった。
 御堂はその時、心から思った。
 本当に一度だけで良い。身体を持ってを彼に触れたいと、抱きたいと…
熱い肉を持って繋がりたいと。
 生々しいまでの欲望。けれど…心からの願いだった。

『君に触れたい…』

 御堂はその時、心からそれを願った。
 自分に対して愚かしいまでに一途な想いを向けてくれる存在と
ただ一度でも血の通った身体でもって抱き合えたならば…地獄に
堕ちても構わないとすら思った。

―其処まで望まれるならば…一度だけ貴方の願いを叶えて差し上げましょうか…?

 ふいに、御堂は一人の男の声を聞いた。
 聞き覚えがある声だ、確か…妖しいことや、現実とは思わないような
発言ばかりを繰り返していた謎の多い存在だった。
 何故、こんな時にそんな男の言葉が聞こえるのだろうか…? 

―願いを叶えるだと、どうやって…?

―今宵、一度だけ貴方に肉体を差し上げましょう…。そして身も心も
永遠に捕らえるように…克哉さんを抱いて下さい。地獄の業火に共に
焼き尽くされる日が訪れる日まで…この方を決して離さないようにね…

 それはまるで、悪魔の誘いの言葉のようだった。
 けれど…今の御堂は、それでも構わなかった。
 この男の手を取れば、後でどんな代価を請求されるのか判らない…
そんな得体の知れなさが滲んでいた。
 だが、本当にそれで一時でも肉体が持てるなら。
 克哉をこの腕に抱けるならば…構わないと思った。

―それが本当に出来るというのならば、すぐにやってみせろ…

―えぇ、滑稽なまでに貴方を思い続ける克哉さんに免じて。そして…
狂おしいまでの情熱に焼き焦がれている貴方に敬意を表して。
 ただ一度だけ、貴方達に夢を見せましょう…。その事によって
生じる葛藤や苦しみも、私にとっては極上のスパイスなのです。
 …愚かなまでに純粋で、真っ直ぐなその恋の顛末をどうか…貴方達の
生のある限り、眺めさせて下さいませ。
 …其処まで愚鈍に求めるというのならば、見守るのもそれなりに
楽しめそうですからね・・・

 そう、妖しい男は其れによって克哉が葛藤することを。
 ただの一度でも感じ取れば生ある限り、御堂の元を離れることがないと…
その鎖を与える為に気まぐれに力を貸すことを提案したのだ。
 純粋な好意だけではない、あくまで…見届けるのが楽しそうだと判断して、
その見世物に深みを与える為だけににこう切り出していったのだ。
 それを承知の上で…御堂は頷いていく。

―あぁ、好きにすれば良い…。早く、身体を与えてくれ…

 そう願った瞬間…ゆっくりと御堂の身体は具現し始めた。
 久しぶりに感じる五感が、身体の感覚が…最初は信じられなかった。
 しかしそれがはっきりと実感できるようになると同時に、克哉の顔がみるみる
内に驚愕に見開いていく。

「御堂、さん…嘘、で、しょう…?」
 
「…良いや、現実だ。…今夜だけ、だがな…一度だけでも、こうして…
君と確かに、触れあえるんだ…」

「本当、ですか…? 本当に、貴方と…」

「あぁ、そうだ。君を、身体を伴って…抱けるんだ…」

「あぁ…! 御堂、さん…御堂さん…!」

 それが現実だと、最初は信じられなかった。けれど克哉は…
御堂が身体を持って存在しているのはMr.Rが気まぐれを見せてくれたからと
いうことをすぐに察していった。
 あの男性が絡めば、そんな奇跡や魔法めいたことも実行に移せる筈だから。
 もう一人の自分と実際に顔を合わせたことがあったり、二つの世界を
交差させたり…そんな事が出来る存在なのだ。
 けれど最後に顔を合わせた時、自分はすでに相手に見切られてしまった様子
だったから期待しなかった。
 けれど…この瞬間ほど、あの男性が気まぐれを起こして…こうして御堂に
実体を与えてくれた事を心から感謝していった。

「凄く、嬉しいです…貴方と、こうして抱き合えるなんて…!」

「私、もだ…ずっと、君をこうして…抱き締めたかった…」

 それはいつ覚めるか判らない、束の間の夢。
 けれどこの夜だけで良い。
 身体を伴って、御堂と一度でも熱く抱き合えるならば…その願いが叶えられるならば
どんな代価を支払っても構わないとさえ思えた。
 初めて、想いを交わした状態で深く御堂と口づけていった。
 そのまま背骨が軋みそうなぐらいに激しく、腕の中に掻き抱かれていった。

「凄く、嬉しいです…御堂さん…御堂、さん…」

 克哉はその温もりを感触を、一生覚えておこうと思った。
 いつかまたこの恋に迷った時、この奇跡のような一日をはっきり
思い出しておけるようにする為に。
 愛する人とただ一度でも想いを交わし合い、深く繋がることが出来たなら
その人生は幸運なのだ。
 克哉は、その記憶だけで…これから先も迷いなく生きていける。
 彼の想いは、御堂の魂を、地上に縛りつける罪と繋がっていた。
 御堂の気持ちは、克哉を他の生者と抱き合う事を許さない罪へと
繋がっていた。
 恋をする事自体が、罪へと繋がっているのは事実だった。
 だが…その罪を含めた上で、お互いに納得ずくでその道を選ぶならば…
それは二人にとっては至上の夢へと繋がっていく。
 罪を犯しても共にいたいと願うぐらいに愛し合っているのならば…
全うしてこれから先も生きていけば良い。

―この夜の記憶さえあれば、きっと長い人生も…笑顔で歩んで
いけると…克哉はそう確信していたから…

 そうして克哉は、己の身を御堂に完全に委ねていく。
 そして…一度だけ、肉体を伴って…二人の心と体は深く繋がり合った。
 これが罪だと判っていても、離すことが出来ないならば…
これから先もずっと生きて行こう。

 狂気と正気の狭間のような危うい恋を。
 幾つもの咎の上に成立している自分たちの夢を。
 それでも、誰も愛さずに生きるよりは…例え苦しくて泣きたくても、
壊れそうになっても…誰も愛さないで生を終えるよりかはきっと
豊かな人生を送れると思うから―

―オレを一生、離さないで下さい…御堂さん…

 そして、達する寸前…克哉は心から祈りながら、御堂に告げていく

―あぁ、これからもずっと一緒だ…絶対に、君を離すものか…

 それは呪詛にも等しい、克哉の魂を縛りつける一言。
 けれどそれをやっと聞くことが出来て、克哉はどこまでも妖艶に…
そして美しく微笑んでいく。

―死者の魂すらも、地上に留めるぐらいに美しく…一つの儚い
夢のような花が咲いていく

 其れは咎という土壌の上に咲いた、どこまでも艶やかで…
華やかな幻想(ユメ)
 そして彼らの夢はこれからも続いていく。

 ―お互いに罪を犯し続けて、恋に苦しみ葛藤して生き続ける限り、ずっと―
 
 
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4月24日からの新連載です。
 無印の眼鏡×御堂ルートのED.NO「因果応報」を前提にした話です。
 シリアスで、ちょっとサスペンス風味の強い話です。
 眼鏡×御堂ルート前提ですが、眼鏡なしの克哉も色々と出張ります。
 それでも良い、という方だけ付き合ってやって下さいませ。
 最近掲載ペースが遅めですが、それでも付き合って下さっている方
どうもありがとうございます(ペコリ)
 やっとどの場面を出していくか決まったのでエピローグ行かせて頂きます~。

 咎人の夢(眼鏡×御堂×克哉)                             10
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 ―御堂が事故に遭った日は奇しくも、もう一つの世界から彼らが
帰還した日と同じだった

 その朝に、御堂が自動車事故に遭って意識不明状態になっていると
報を聞かされた時…克哉はその場で卒倒し兼ねない程のショックを受けていた。
 だが自分の上司である御堂が抜けた穴を、自分が埋めなければいけない。
 幸いにも命に関わる怪我はしていない。
 その事実だけを頼りに、彼はその日…御堂の元に駆けつけたい衝動を
必死に抑えつけて、普段の二倍も三倍も働き続けた。
 そして…彼が朝から無我夢中で昼食すら返上して働き続けて…
全てが落ち着いたのは夜八時を過ぎてからだった。

 病院を面会出来る時間はとっくの昔に過ぎている。だが…日中に
藤田に使いを出したおかげで、克哉は御堂が現在…どこの病室に入っているか
その情報を知っていた。
 意識不明状態であるが、大きな怪我はないので…今は個室に
移されて様子を見ている段階らしい。
 午後七時の時点で、面会時間ギリギリに駆けつけた藤田の情報から…
彼は其処までは把握して、そして…病院に忍び込んでいった。
 
―深夜の病院は薄暗く、異様に重苦しい雰囲気を纏っていた

 それでも病院内を定期的に巡回している夜勤の職員に見つからない
ように気を付けていきながら、彼は車椅子を使用している人間用の
避難スロープを用いて、忍び込んでいった。
 病院の裏手という隠された位置にあるせいか、もしくは職員が
こっそりと抜け出すように使っているせいか不明だが…人目につきにくそうな
場所で、入口が開かれている扉があるのは幸運だった。
  それでも…藤田から聞かされた情報だけでは、不安でこのままでは
眠れそうになかった。
 よりにもよって1年前、自分たちが帰ってきた日に御堂が事故に遭った。
 それは…向こうの世界で、御堂を目の前で失ってしまった経験を持つ
克哉にとっては耐え難い程に衝撃的な出来事だったのだ。

(御堂、あんたが無事なのを確認するまでは…今夜は、寝れそうにない…)

 自分がやっている事が褒められたことでないという自覚はあった。
 けれど…胸の中がざわめいて、どうしても止まらなかった。
 足音を忍ばせていきながらどうにか目的の病室へと辿りつき、
慎重に扉を開けて中に滑り込んでいく。
 窓際からは透明な月光が注いでいて…ベッドの上に横たわっている
御堂の怜悧な寝顔を、そっと照らし出していた。
 その硬質な美貌を確認して、やっと克哉は安堵の息を吐いていく。

「…無事、だったか…」

 藤田から、外傷は殆どないとすでに報告は受けていた。
 本来ならここまで不安を感じる必要はないと知っていても、やはり…
この人を一度失った体験は自分にとって大きなトラウマになっていたのだ。
 だからこの目で見るまで、どうしても…安心出来なかった。
 愚かな心配だという自覚はあった。けれど…この人が、大きな外傷もなく
こうして生きていてくれた事…それだけでも、泣きそうなぐらいに嬉しかった。
 まるで夢遊病者のように、眠っている御堂に引き寄せられて彼は枕元へと
歩み寄っていった。
 自分が近づいても、傍らに立っても相手が目覚める気配はない。

(…そういえば藤田の報告だと、朝に事故に遭って…強く全身を打ちつけてから
ずっと…御堂は意識がないままだと言っていたな…)

 朝から一度も、御堂は目覚めていない。
 昏睡状態が続いていると思いだして…ふと、邪な想いが湧きだしていった。
 …藤田も傍らに立って何度か呼びかけたが、まったく御堂が目覚める気配は
なかったという。それならば…自分が口づけても、この場限りのこととして終わるのでは
ないかと…卑怯な考えが過ぎっていく。
 無防備な寝顔を見て…普段は押し込めている想いが溢れてくる。
 …想いを自覚してから、二度とこの人を傷つけまいと殺し続けてきた欲望が…
ゆっくりと競り上がって来る。
 それ以上は望まない。せめて…一度だけでもキスをしたい。
 意識のない相手に向かって望んではいけない筈の想いが、彼の心の中に
満ちていった。

「…一度だけ、許してくれ…御堂…」

 そして、散々葛藤した上で…決断を下して相手の傍らに立ち…ベッドの上に
手をついていきながら顔を伏せて…相手の唇に、己のそれを重ねていった。
 触れるだけの口づけでも、脳髄が痺れそうになるぐらいに甘美に感じられた。
 かつて欲望を満たすためだけに…何度も深く口づけた。
 けれど…今、こうして触れるだけのキスをしている方が心は何倍も満ちていた。
 
「御堂…」

 そして、愛しげに相手の名を呟いていく。
 そう…自分にとって、この人が生きているだけで良いのだ。それを感じられれば
充分なのだ。触れるだけの口づけでも、相手の温もりと吐息を強く感じられる。
 彼は生きているのだと、そう強く実感して幸福で眩暈がしそうだった。
 月光が静かに差し込む室内で…暫く二人のシルエットは重なり続けていく。
 名残惜しげに唇を離して…そっと相手の顔を覗き込む。
 しかしその時、予想もしていなかった反応が相手の顔に現われる。

「…………」

 ゆっくりとその長い睫毛が揺れて…相手の意識が覚醒していく。
 最初は焦点が合わない、虚ろな眼差しだったが…すぐに力強いものへと
変化していく。

「さ、えき…か…?」

 そして相手はどこか困惑した様子で…声を掛けていく。
 一体これはどんなおとぎ話なんだ、と思った。
 恐らく彼が昏睡状態になって…多くの人間が目覚めてくれることを願って
声を掛け続けていた事だろう。
 それが…よりにもよって、彼をかつて廃人寸前まで追い詰めた自分のキスが
この人を目覚めさせるなんて、一体どんな性質の悪い冗談なのだろうか。
 お互いに驚愕の表情を浮かべていきながら、無言のまま見つめ合っていく。

(どうして、今…あんたが、目覚めるんだ…)

 たった一度きりの、自分だけが知っていれば良い。
 そういう意図のキスの筈だった。
 なのにその間に相手が目覚めてしまったのならば…それで通らなくなってしまう。
 けれどこちらを見つめる御堂の瞳は、真摯で力強いものだった。
 その輝きからは恐れていた嫌悪や憎しみの感情は感じられない。
 それが余計に、彼の混乱を強めていく一番の理由となっていった。

「怒らない、のか…?」

「…どうして、君を怒る必要が…あるんだ…?」

「…俺は今、あんたの意識がない間に…勝手に…」

 それ以上は、言いづらくて口に出来なかった。
 けれど御堂は微かに微笑みながら、続きを言葉にしていく。

「…君が私に、キスをした事か…?」

「っ…!」

 相手にストレートに言われて、何も言えなくなる。
 だが予想していた反応は、御堂からは返って来なかった。
 克哉の表情に、怯えたような色が滲む。腫れものに触れたような口づけは
相手の意識がないからこそ出来た行為だった。
  それを相手に知られてしまったら、居たたまれなくて仕方なく…身の置き場すら
なくなってしまいそうだ。
 そしてまた、二人とも沈黙していく。何を言えば、問いかければ良いのか
まったく判らない。頭の中がグルグルして、混乱していた。
 どれくらいの長い間、自分たちはそうして口を閉ざしたまま睨み合って
いったのだろうか。重い沈黙を破ったのは御堂の方からだった。

「…佐伯、私は…君との事を全て…思い出した…」

「…っ! 何、だって…」

 それは、この一年間…佐伯克哉が恐れつづけていた出来事だった。
 失っていた記憶を彼が取り戻せば、二度と自分はこの人の傍には
いられなくなるから。

「…君に凌辱された事、その場面を撮影されて脅迫された事…MGNで
長年掛けて積み重ねていったことを全て打ち砕かれそうになった事…
全てを、思い出した…そして、君をこの手に掛けようとした事もな…」

「そ、んな…嘘、だろう…?」

 克哉は認めたくなくて、否定の言葉を口にする。
 しかしその時、猛烈な違和感を覚えた。
 その事を告げる御堂の表情は何故か…優しかったのだ。
 どうしてこの人はこんな顔をしているのか判らなかった。
 自分のした事を考えれば、憎らしげに睨まれる方が相応しいのに…
何故かベッドに横たわり続ける御堂の瞳は、驚くほど穏やかだった。

「…事実だ。私は、君を刺した日の事を鮮明に思い出せる。この手が
真っ赤に染まり…鈍い感触を掌に感じた事を…」

「は、ははは…」

 その言葉を聞いた途端、全てが終わりだと思った。
 もう…自分はこの人の傍にいられる資格を永遠に失ってしまったのだと
実感していった。
 まるで壊れた人形のように力なく笑いが零れ続ける。
 いっそ正気など完全に失ってしまった方が楽だった。
 けれど…この日はいつ訪れても本来おかしくなかったのだ。だから
どうにかギリギリの処で踏みとどまって、その日が訪れたら言おうと
考え続けていた一言を口に登らせていった。

「…なら、俺はもう…貴方の傍にいられませんね…。仕事の引き継ぎが
出来次第…退職します。それまで、我慢して下さるよう…お願いします」

「…退職、だと。どうして…そんな事を君は言うんだ?」

「どうしてって…俺はあんたに、許されないことをしたんだ…。それなのに、
何故これ以上…傍にいることが出来るんだ…?」

「…なら、逆に問おう。それならどうして…私に刺されて重傷を負っていながら…
君は私の傍に居続けた。私は君を一度は殺そうとした人間だぞ…」

「それ、は…俺があんたを追い詰めて、その原因を作ったからだろう…」

 そう、あの事件の発端は全て自分が作った。
 その自覚があったからはっきりと彼は答えていく。
 だが…次の瞬間、御堂はきっぱりと言い切っていった。

「なら、逆に…言い返そう。追い詰められた果てに、そこから逃げる為に
殺人を犯そうとしたのいうのならば…脅迫よりも凌辱よりも、人を殺める方が
罪は重い。何故なら…殺したら、死んだらもうやり直せないからだ」

「っ…」

 御堂がその一言を放った瞬間、自分が殺してしまった向こうの世界の
彼の事を思い出していった。
 そうして竦んでいると、御堂の手がこちらの方に伸ばされていく。
 そして…ぎこちない動きで身体を起こし、克哉の頬に触れていった。
 指先は温かくて優しくて、それだけで涙が零れてしまいそうだった。

「…私は、君を殺そうとした。…なら、君も…私を詰り、その罪を
糾弾する資格はある…。自分ばかりが加害者だと思うな。
私も、君の前では…咎人、だ…」

「…そんな、事はない。俺は…あんたを…」

 そうして、脳裏に…ずっとこの一年間消えることがなかった向こうの世界の
御堂の死に顔が蘇っていく。
 けれどこの世界では御堂は生きている。
 こちら側で起こった、自分の刺殺未遂事件だって…今ではなかった事に
なっている。
 けれどどれだけなかった事になっても、記憶に刻まれたお互いの罪は
決して消えることはない。
 御堂に頬を撫ぜられてそれ以上、何も言えなかった。
 そんな克哉の方へ彼はそっと顔を寄せて…唇を重ねていった。

「っ…な、ぜ…?」

「…これ以上…自分を、責めるな…君がどれだけ…この一年、私に対して…
償おうとしてくれていたか…もう、知っているから…」

 その瞬間、克哉は耐え切れず…涙を零していった。
 こんなの不意打ち以外の何物でもなかった。
 ずっと誰にも言えなかった胸の底に秘めていた想いが溢れて来る。
 それが泪の結晶となって、彼の頬を濡らし続ける。

「嘘、だ…こんなのは、俺の…都合の良い…夢…だ…」

「違う。…私は、君を許したんだ。…この一年間、君は…誰よりも私の仕事を支えて
必死に働いてくれた。…そう、思い出すまで私は…君を心から信頼していた。
だから…思い出して腸が煮えくりかえるような想いだってある。…だが、それ以上に
今の私は…君を、失いたくないんだ…。どんな形でもな…」

「あんたが、俺を信頼…それこそ、何の冗談なんだ…?」

「事実だ。私は君以上に有能で…こちらの意図を的確に読み取って
動き続けてくれた部下…いや、仕事上のパートナーは存在しなかった」

 真っ直ぐに清冽に見つめられて、魂まで捉えられそうだった。
 だが相手は真剣な顔で、こちらに伝えてくる。
 心臓が破裂しそうなぐらい暴れ始めているような気がした。
 この誰よりも全てに厳しくて、有能で輝いていた人に認められる言葉を
告げられるだけで昇天してそのまま逝ってしまいそうなくらいだ。

「…むしろ、全てを思い出して…怯えているのは私の方だ。私は…
君を右腕として失いたくないんだ…。例え君が、かつて私に対して
非道な行いをした人間だと判ってもな…」

「嘘、だろ…。そんな都合の良い話が…ある訳が、ない…」

 御堂の唇から零れる言葉の一つ一つが、信じられないものだった。
 紡がれる度に彼はショックで茫然となっていく。
 嬉しさよりも信じられないという想いの方が強く、克哉は動揺の色を
どんどん濃くしていった。

「…私は本心を言っている。これは全て事実だ。信じてくれ…」

 そういって御堂がこちらの背中に腕を回していく。
 強い力で抱き締められて、目頭が再び熱くなるようだった。
 けれどこうしてこちらを抱きしめる御堂の腕は熱くて…これは夢ではないと
はっきり克哉に教えてくれていた。
 その瞬間、堰を切ったように克哉はその身体を抱きしめ返していく。

「御堂…!」

「佐伯…許して、くれ…」

「違う、それは…俺の方こそ、あんたに言わなければいけない…事だ…」

 お互いに後悔の気持ちを持ちながら、強く抱きあい…謝罪の言葉を
口にしていく。
 そう、どちらが加害者で被害者という関係ではない。
 …両者とも、相手に対して罪を犯しているのは事実なのだ。
 後一歩で取り返しがつかない事態を招きかねなかった罪であり、咎。
 そう…記憶を失った上で、御堂に献身的に尽くして支えたことが…再び記憶が
蘇った時、克哉を許す最大の理由となったのだ。
 そして元来、公正な性格をした御堂は…己の咎をも認めた。
 自分ばかりが被害者ではないのだと、過ちを犯しているのだと自覚して…その上で
克哉だけを責めるのは筋違いだと考え、相殺する事に決めたのだ。
 人は誰でも過ちを犯す。人を傷つけて泣かせたり、どうしようもなく追い詰めて
取り返しのつかない事態を招いてしまうこともなる。

 生きている限り、時に加害者となることは決して避けられない。
 罪を犯さずに生きられる存在など、生きてきた年数を何十年と重ねていたら
決して不可能なのだから。
 罪悪感は人を縛って、人を過去に雁字搦めにしていく。
 けれど…罪を自らが長い年月を掛けて認めて受け入れていくか、傷つけた相手に
許されるかした時…人はようやく解放されるのだ。
 長らく自分を縛りつけていた罪から解き放たれるには…酷く困難で、償うのは
並大抵のことではない。
 けれど…この一年の、克哉の何も望まない献身的な行為こそが…御堂にとって
彼を許すキッカケとなった。
 だから全てを思い出した御堂の瞳に、憎しみの色がなかったのは…この一年を
共に過ごした信頼が生まれていたからだったのだ。

「…私が事故を起こしたのは…一年前のことを全て思いだして、その頭痛で
運転中に数秒…意識を失ってしまったからだ。そして意識を失っている間…
私は怒涛のように、忘れていた記憶の奔流を感じていた。
 それで君に対しての怒りと憎しみを、そして…君を刺してしまった罪を
ようやく思い出したんだ…」

「そう、か…やっぱり数日前のあの頭痛は…その予兆、だったんだな…」

「あぁ、その通りだ…」

「けれど…俺を刺したことは気にしなくて良い。俺はそうされるだけの事を
あんたに対してしたんだ。だからあれは自業自得で…あんたを
責めることじゃない…」

 その言葉を心から信じて、男は口にしていく。
 御堂は彼の一言を聞いて、はっきりと告げていった。

「君は…強いな。殺されかけても…私を責めもせずに…
許す、とはな…」

「…そんな、大したことじゃない」

「良いや、大した事だ。だから…君が私の罪を責めないのならば…
私だけが恨みに思う道理はない。それが私の出した…結論だ…」

「そう、か…」

 全てが信じられなかった。
 けれどこうやって触れ合っているのは事実で。
 本当にこれは現実に起こった事なのかと頬を抓りたくさえなった。
 けれど静かな瞳でこちらを見つめて、そっと抱き締めてくれている
御堂の温もりは現実だった。
 何も、望まないつもりだった。二度とこの人から何も奪わない。
 そう決めたつもりだったのに…こんな結末が待っているなんて
予想もしていなかった。
 嬉しくて、先程とは違った意味で涙が頬を伝っていく。
 その瞬間、彼はもう一人の自分が最後に言った言葉を…何があっても
御堂の傍から離れるなと告げた時の事を思い出していく。

(…あの時、罪悪感に負けて…御堂の元から去るのを選択していたら…
この日を迎えることも、なかったんだな…)

 いつだっていつ壊れるか判らない現実に怯えていた。
 けれど彼は贖う為に苦しくても、彼の傍に居続けて支え続けた。
 そう、憎しみは晴れるのだ。罪を犯した者が、傷つけた者に向き合い
贖う事によって。
 けれど大半の人間は己の罪に向き合うよりも…苦痛から逃げる方を
選択するものだ。けれど逃げた人間は一時楽になったとしても…
その罪を浄化するのに長い年月を掛けなければならない。
 これだけ早く、相手の心の憎しみが晴れたのは…彼が己の胸の痛みよりも
彼を支える事を迷いなく選んだ…結果なのだ。
 暫し様々な複雑な思いを抱きながら、彼らは抱き合い続けた。
 そして先に口を開いたのは、克哉の方からだった。
 
「…なら、お互いの罪を流そう。そして…一から、あんたとの関係を
再びやり直させてくれ…。それが俺の願いだ…」

「本当にそれで、良いのか…?」

「あぁ、それ以上の望みなんて、存在しない…」

 一度は彼を失ったことを思えば、必要とされて傍にいることを許される以上の
幸せなど存在しない。
 今なら、言えると思った。決して口にすまいと思っていた言葉を。
 けれどそれ以上に伝えたくて仕方なかった一言を彼はやっと喉の奥から
絞り出して告げていった。

「俺は…あんたを愛しているんだ。あんたの傍にいることを許される
以上の喜びなんて、存在しない…」

「さ、えき…」

 そう伝えた時、御堂は微笑んでくれた。嫌悪しないでくれていた。
 それだけで…自分にとっては僥倖なのだ。
 嬉しくて彼はもう一度、自分から顔を寄せていく。
 御堂はそれを拒まず、静かに瞳を伏せて克哉からの口づけを
受け入れていった。

―この瞬間に全てが一度終わり、そして始まっていった

 これから先、自分たちの関係がどうなるかなどまだ判らない。
 けれど御堂は、克哉の存在を…想いを否定せずに受け入れた事、それは
紛れもない事実だった。
 そして強くその身体を抱きしめながら、克哉は告げていく。

『あんたがこの世界に存在してくれれば、それで良い…』

 それは一度、喪失を味わった人間だから零す一言。
 御堂はそれを困惑した表情を浮かべながらも…受容していった。
 あまりにストレートすぎる一言に、御堂の方は絶句して耳まで赤く
染まっていった。
 ついには照れ隠しに、コホンと咳ばらいをして彼の方からも伝えていく。

「…君が、こんなに熱烈な言葉を平然と口にする男だとは思ってもみなかった…」

「俺は、自分が思ったことを正直に口にしただけだぞ…?」

 相手の照れた顔がまた可愛くて、克哉は強気に微笑んでみせる。
 二人の間に初めて、甘い空気が満ち始める。
 そうして頬を染めて俯いている御堂の顎を捉えて、そっとこちらの方を
向かせていくと…彼は決意を伝えるように、はっきりと宣言していった。

「あんたが俺が傍にいることを許してくれている限り、俺からは絶対に…
あんたの傍から、離れない…」

「あぁ、そうして…くれ…。罪悪に囚われて、勝手に離れたりしたら…
本気で怒るからな…」

「その言葉、あんたにそっくり返すよ。…愛しているぞ…御堂…」

「…っ!」

 そうして反論しようとした御堂の唇を、克哉は塞いでいく。
 そして…口づけている間に、ようやくこの人を腕の中に収めることが出来たのだと
永遠に叶わないと思っていた夢が叶ったことを思い知っていく。
 この想いが成就することは、咎を犯した自分にとっては永遠に見果てぬ夢の
筈だった。それが叶うなどどれほどの幸せなのだろうか。
 彼はその幸せを噛みしめながら、抱きしめ続ける。この幸福が、儚いもので
終わらないように、一日でも長く続くように願いながら…。
 その瞬間、運命の日は終わりを告げていく。
 そして一瞬だけ…病室の鏡が眩く輝き、世界に白い光が満ちていった。

「っ!」

 その時、彼は束の間…二度と会えないと決別した存在の面影を
鏡の中に見ていく。
 だがすぐに気を取り直して、相手に口の動きで判るように短い一言だけ
告げていった。
 そして彼はただ強く、御堂の身体を強く抱きしめ続けていった。

―その鏡に映っている存在に、今…自分は幸せだと確かに伝えていく為に…



   
4月24日からの新連載です。
 無印の眼鏡×御堂ルートのED.NO「因果応報」を前提にした話です。
 シリアスで、ちょっとサスペンス風味の強い話です。
 眼鏡×御堂ルート前提ですが、眼鏡なしの克哉も色々と出張ります。
 それでも良い、という方だけ付き合ってやって下さいませ。
 最近掲載ペースが遅めですが、それでも付き合って下さっている方
どうもありがとうございます(ペコリ)
 やっとどの場面を出していくか決まったのでエピローグ行かせて頂きます~。

 咎人の夢(眼鏡×御堂×克哉)                             10
                                                        11  12  13  14  15 16  17 18 19 20
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  ―御堂孝典が思い詰めて佐伯克哉を刺し、その一件が『無かった事』に
されてから一年余りの月日が流れようとしていた

 当初の内は関係者の中に多少の記憶の混乱等が起こっていたが…
それも日々を過ごす内に次第に収束していき、一か月もした頃には
記憶を思い出した者が出ても…当の刺された克哉が、普通の態度で
御堂のサポートをしている姿を見ている内に…例の事件の目撃証言は
デマや、見間違い、勘違いと纏められ、忘れ去られていった。
 そして克哉は…あの事件を忘れた御堂と、一から仕事仲間としての
関係を築き上げていった。

 元々、眼鏡を掛けて覚醒した克哉の能力はズバ抜けたものだった。
 そして真剣にさえなれば…多くの顧客や取引先、そして革新的な
プロジェクトの発足など造作もない事だった。
 そうしている内にMGNから声が掛かり、御堂とは上司と部下の関係で
あったが共に仕事をする機会や一緒に過ごす時間は多くなっていった。
 それは償いの為なのか…彼は一度も、御堂に性的な意味で触れることはなく…
あくまで部下として、献身的に彼を支え続けた。
 そうしている間に、御堂の信頼も厚くなり…肩書上は御堂が上司であったが
いつしか対等な目線で語り合える存在に徐々になっていった。
 そしてあの事件があった日から、明日で一年になろうとしたある夜。
 もうじき、重要なプロジェクトが本格的に軌道に乗る為に…その準備の
為に二人で夜遅くまで働いていた。
 ふと、克哉が書類から目を離して壁に掛けられた時計を眺めていくと…その短針は
もうじき23時を指そうとしていた。

(後、もう少しで…一年、か…)

 彼が今夜行うべき仕事の大半が、やっと片付いたおかげだろうか。
 ふと…その時刻を見て、克哉は遠い目を浮かべていった。
 後一時間が経過すれば、あの事件があった日から丁度一年になる。
 その事を思い出すと…チクリ、と胸が刺す想いがした。

(あんたを、失った日から…『オレ』と別れた日から…一年、か…)

 この世界に投げ出され、密かに御堂に対して贖罪をすると誓った日が
随分と遠く感じられた。
 その癖、瞼を閉じればすぐに我を失うぐらいにこちらに怒りをぶつけていた…
御堂の顔が、声が…鮮明に思い出されていく。
 まずはあの人の信頼を得ることから始めようと、がむしゃらに仕事を
こなし続けた。だから感傷的な気持ちに浸る暇などずっとなかったのだが…
今日だけは、そうもいかなくなっていた。
 彼が仕事をしている部屋の、扉の向こうには御堂の私室が続いている。
 扉を開けば、必死になって仕事をこなしている相手の姿を見ることが
出来るだろう。
 ふいに、御堂の顔が見たくなった。帰る…と相手に告げることを口実に
向こうに赴こうか…少し悩んでいった。

(…そんな下らないことで、あいつの仕事を邪魔しては悪いな…)

 しかし考えた末に出た結論は、以前の自分だったら絶対に考えない
ぐらいに殊勝なものであった。
 克哉の中には今も、御堂に対しての想いは変わらず存在している。
 だが…自分がしたことを思えば、こうして傍にいられるだけでも僥倖なのだ。
 欲しいとか、抱きたいとか…そんな事を到底口に出来る訳がなく。
 …本当にプラトニックな状態のまま、一年が過ぎてしまった。
 しかし相手の顔が見たいとか、触れたいという感情は変わらずに胸の中に
在り続けているので…本当にさりげなく御堂の肩に触れたり、口実を
作っては御堂に会いに行ったりと…自分らしくない純愛を貫いていた。
 
「…気を少し、沈めておくか…」

 そう呟きながら、彼は上着のポケットから煙草とライターを取り出して
紫煙を燻らせていく。
 ほろ苦い煙草の煙が、彼の穏やかでなくなった心をゆっくりと慰めて
くれていた。
 かつては欲望のままに行動して、思うがままに御堂を犯した。
 …その結果が、御堂の手を汚させて…自分自身の命もあと一歩で
失い掛けることとなった。
 けれどほんの少し歯車が狂っていれば…御堂は殺人者として社会的な
地位の全てを失って失墜していたし、自分も命を失っていてもおかしくはなかった。
 無意識の内に服の上から腹部に触れて…ゾっとなっていった。
 克哉があの日、負わされた傷は本来は致命傷で病院に素早く搬送されていたと
しても…助かる見込みはかなり低く、命を落とす可能性のが高いものだった。
 あの男が手を貸してくれたから…数日で傷は塞がり、殆ど仕事上に穴を空ける
事無く過ごすことは出来た。

 …本来の、この世界の佐伯克哉の記憶。それは断片だけでも今の
彼の中に確かに存在している。
 二つの世界がたった二日間の間だけ交差し、混じり合った一件。
 それによって…奇跡的に、自分たちはこうして共に過ごす時間を得ることが
出来た。けれど…その記憶があるおかげで、克哉は以前に比べて
酷く臆病になっていった。

(まるで…別人のようだな。以前は、すぐに怯えて…何で出来ないままでいた
あいつの事を馬鹿にして見下していたが…今の俺は、それと何の違いがあると
いうのだろうか…?)

 自嘲的に笑いながら、ふっと顔を顰めていく。
 …もう一人の自分と、自分が殺してしまった御堂はあの後…どうなったの
だろうかとふと気がかりになった。
 あちらの世界の御堂は迷わずに、天に召されたのだろうか? それともあいつの
方と仲良くやっているのだろうか…と、ふとそれを考えた瞬間、胸の中にモヤモヤと
どす黒い感情が生まれていく。

―あの二人の幸せを願う心と同じぐらいの強さで、嫉妬が生まれていく。

 最後の瞬間、判り合えた気がした。けれどそれから間もなく、自分が殺してしまった
方の御堂とは永遠に決別することとなってしまった。
 会えない人間の事ばかり考えて、『今』を生きれなくなるのは愚かだと思った。
 だから…努めて考えないようにしていた。なのに…今夜に限ってはそんな事ばかりが
頭の中に浮かび続けていた。

(なあ、お前は…一体、どうしているんだ…?)

 あの後、どうなったかなど…あの奇妙な事件の舞台を構成したMr.Rと
交流を途絶えさせてしまった以上、今の克哉には知る術はない。
 …この一年、もう一人の自分の事など殆ど考えなかった。なのに
今夜に限ってどうしてこんなにも気がかりを覚えているのだろうか。
 煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んで、深く吐きだしていった。
 そして…向こうの世界の御堂はどうなったのか。考えても意味のない
事の筈なのに、何故か…そんな考えばかりが頭の中に溢れていった。
 そうしている内に、15分はあっという間に過ぎていく。
 この扉の向こうにいる御堂も、そろそろ帰宅準備を始めていたとしても
おかしくはない時刻。
 この一本を吸い終えたら、自分も退社しなければ明日にそろそろ差し支えが
出てしまいそうだ。
 そう考えて、半分程の長さになった煙草を深く吸い込んでいくと…その
途端に、御堂の執務室の方からドサ、と何か大きな音が聞こえていった。

「っ…? 何だ、今の音は…?」

 それは大きな何かが倒れる時に生じる音のような気がした。
 気がかりになって克哉は慌てて、隣の部屋へと駆けていった。
 勢い良く扉が開くと…其処には苦しそうに頭を押さえこんで、床の上で
もがいている御堂の姿が目に入っていった。

「御堂部長! どうしたんですか!」

 尋常ではない相手の様子にぎょっとなって克哉は慌てて相手に声を
掛けていった。
 だが、御堂はこちらの言葉など耳に入っていないかのように…苦悶の
表情を浮かべて、うめき声を漏らすのみだった。

「はっ…ぐっ…ぁ…」

「御堂部長! しっかりして下さい! そんなに…苦しいなら、救急車を
今から手配します!」

 一年が経過して信頼関係が出来ているおかげか、プライベートの時は
もう少し彼に対して砕けた口調で接しているが、今は会社内であり…
今の自分たちは上司と部下の関係だ。
 だからあくまで、部下としての分を弁えた状態で声を掛けていく。

「頭が、痛い…割れ、そうだ…」

「頭痛、ですか…それなら…」

 相手が、そう苦しげに訴えかけていくのを聞いて…克哉は慌てて常備
されている救急箱のある部屋まで向かって、頭痛薬を取りに行こうと
立ちあがっていった。
 しかし、それを…御堂自身に袖を掴まれる形で阻まれていく。

「…御堂、さん…?」

「だ、い…じょうぶ…だ。今は、行く…な…」

「ですが、貴方がそんなに…苦しそうにしているのに…何もしないで
なんて…いられません、から…。薬を取りに行くだけ、です…。
ですから、離してくれませんか…?」

 あまりにも強い力で御堂がこちらの袖を掴んでいるので…
克哉は困った顔を浮かべながらそう告げていく。
 これでは御堂が、こちらに縋っているようではないか。そんな事は
この人に限っては似合わないし、らしくないと思ったから。
 だから出来るだけ動揺を悟られないようにして…穏やかな口調で
相手に伝えていった。

「行く、な…何か、を…思い出し、そうなんだ…。君に、関わる…
何かを…」

「っ!!」

 その瞬間、克哉の顔は一気に青ざめていった。
 …ついさっきまで、一年前の出来事を思い出していたからだろう。
 御堂のその一言に、戦慄を覚えていく。

(今の、言葉は…もしかして、御堂は…俺との間に起こった事を…
思い出しつつある、のか…?)

 そう思い至った瞬間、彼は怖くなった。
 傍にいられるだけで幸せだと思った。なのに…もし、彼が一年前の
出来事を、自分がかつて犯してしまった事を思い出してしまったら…
それは夢から御堂が覚めてしまうことを意味する。
 一からやり直して、この一年で築き上げた信頼関係。
 それがなくなって…御堂が再び、自分に対して憎しみの眼差しを向けて
しまったら、そう考えたら怖くて…その場から逃げ出したくなった。
 自分が傍にいる事で、彼があの事件を思い出すのならば…全力で
目の前から立ち去りたかった。
 けれど…愛しくて、尊敬して止まない存在がこんな風に苦しんでいる
姿を見て、どうしてそんな真似が出来るというのだろうか。
 御堂が、苦しげに頭を押さえて…苦しげな呼吸を繰り返していく。
 思い出さないでくれ、という願いと…早くこの人の苦しみが立ち去ってくれと
いう気持ちが心の中でせめぎあっていた。

「思い出さないで、くれ…」

 本当にごく小さな声で、そんな事を無意識のうちに呟いてしまっていた。
 あんたが思い出してしまったら、俺はもう傍にいられない。
 二度と欲しいとも、無理やり抱こうとも思わない。
 それならせめて…そのささやかな幸せだけでも、守りたかったのに…
現実は、その儚い願いは無残にも壊れようとしていた。
 あんたがいつか、他の誰かを選ぶ日が来ても…笑って見送るから。
 だからせめて、彼の傍らにいる事だけでも許して欲しかった。
 なのに…御堂は、思い出すことを選択しているように感じた。
 自分との間に起こった空白の出来事。
 克哉にとっては決して拭い去れない、自分自身が犯した罪を…。

「思い、出さなくて…良い…このまま、どうか…」

 懇願するように、彼は声を絞り出していた。
 だが御堂は苦しげな息を漏らすだけで…何も言ってくれない。
 気づけば一筋の涙が、頬に伝っていた。
 この夢がまだ続いて欲しいと願う気持ちが…浅ましくも彼の瞳に
涙を浮かべさせていた。
 例え触れ合えなくても、恋人になれなくても…嗚呼、そうだ。
 自分はこの一年、この人から信頼されて幸せだったのだ。
 だからどうか、それだけは壊したくなかった。
 失いたくなかったのだ。
 その激情が…本気で苦しんでいる御堂の身体を衝動的に
掻き抱くという行為に結びついていく。

「このまま、あんたの傍に…俺は、いたいんだ…!」

 そして、感情のままに…想いを吐露してしまっていた。
 瞬間…御堂の腕がきつく、こちらの身体を抱きしめ返した。
 途端に言葉を失って、克哉は瞳を見開いていく。
 何が起こったのか、とっさに理解出来なかった。
 だが…そうして、抱きあったまま…凍ったような時間が静かに
二人の間に流れていった。
 そして…御堂はポツリと小さく呟いていった。

「…佐伯、もう…大丈夫だ…。離して、くれないか…?」

 そして酷く弱々しい声で、御堂が告げて来る。

「…頭痛は、もう…平気、なのか…?」

「嗚呼…まだ多少は痛むが、我慢が出来ない程ではない。
この状態なら帰れそうだ…」

「本当ですか? まだ辛いようなら…タクシーの方を手配しますから
今夜はそれで帰られた方が…」

「…大丈夫だ、と私が言っているんだ。自分の体調ぐらいはこちらで
把握出来る。さしでがましい事はあまり言わないでくれ…」

 と強気な口調で言っているが、御堂の顔色はやはり…客観的に
見ても相当に悪かった。
 今にも倒れてしまいそうな危うい雰囲気を纏っている。
 きっぱりと拒絶する気丈な御堂の様子を眺めていると…もうすでに
過去の出来事を思い出してしまっているんじゃないかと猛烈に
不安な気持ちが湧き上がっていく。
 だが、「思い出したのか?」と問いかけるのが今は怖かった。
 本当に相手を案じるなら、それでもついていくと言い張るべきだったのだろう。
 しかし…今の克哉は、大きく怯んでしまっていた。

「…判りました。それなら、気を付けて帰って…下さい…」

 頭の中が混乱して、それ以上食い下がることが出来なかった。
 唐突に突きつけられた、自分とこの人の夢の終わり。
 そもそも…本気で憎まれた相手と、信頼関係を一から築き上げようなどと
いう願いがそもそも…厚かましかったのかも知れない。
 
「あぁ…君もな。おやすみ…」

 そう告げて、おぼつかない足取りで御堂はどうにか帰り支度を
整えて…自分の執務室を出て行こうとしていった。
 やはり相当に苦しそうなその様子を見て、克哉は胸が引き絞られていく。
 だが、御堂の背中はきっぱりと…克哉の手助けを拒んでいるようだった。

(…御堂、あんたにとって…俺はやはり、いらない存在に過ぎないのか…?)

 どれだけ努力をしても、贖おうとしてもやはり自分が犯した罪が
消えることもなければ、許されることもないのだろうか?
 その事に打ちひがれていきながらも…先程、無我夢中で抱き締めた
相手の体温と匂いを思い出していく。
 あんな風に彼の体温をしっかりと腕の中で感じたのは一年ぶりだった。
 たったそれだけで…確かに相手に劣情を覚えて、男としての本能を
強く刺激されている自分がいる。
 
「浅ましいな、俺は…」

 傍にいられるだけで満足だと願っていたのに、たったあれだけの事で
大きく揺らいでしまっている。
 こんな自分が、あの輝かしい人の傍にいること自体がおこがましい
事だったのかも知れない。
 覚悟をするべき時なのかも知れない。
 一年前のあの日、夢が覚めるまでで良いと自分は確かに願ったのだから。
 本当にその日が来てしまったのなら…それは潮時なのかも知れなかった。
 なのに、いざ訪れようとしていることを知ってしまったら動揺を隠せず、
怯んでしまうだけだった。
 情けなくて…そんな自分に苦笑しながら、彼は携帯でタクシーを会社の前に
呼びだして、帰宅する準備を整えていく。

―覚悟するしかないと、彼は決心をしていった

 考え方を変えれば、この一年間だけでも…自分はあの人の傍に
いる事を許されたのだから。
 そう思考を切り替えて、彼は自分の想いを振り切るように踵を返していく。

 ―そうして克哉が悲痛な覚悟を決めてから数日後、彼の元に
御堂が交通事故に遭ったという報が届いていったのだった―

 お待たせしました。ようやくアップです。
 …この内容、読む人を選ぶ内容だと思うので…咎人~の27話は、
本文部分を隠して掲載させて頂きます。
 アップし終えたら、記事の後ろに「つづきはこちら」と
出ますのでそれをクリックしてくださいませ。

 香坂自身は書きたい、と思って書くけれど…客観的に見て
人によっては理解出来ない。受け入れなれないかも…という内容なので
多少変えるか、自分の中で浮かんだままで掲載するかすっごい
ここ暫く…凄く悩んだんですよ。
 考えた末にこういう形で、掲載させて頂くことにしました。

 …香坂は大切な人が死んだ時点で終わりだとは思わないです。
 幽霊だろうが何だろうが、大切だった人の気配が感じられるなら…
其処にいてくれるなら、周りの人間が何と言おうが…それは
幸せだと、私は思う。
 けどあくまでこれは私の考えなので、この考えが後ろ向きと思ったり
幽霊となった相手と恋をして真剣になる。向き合う。
 そういうのに共感出来ない、拒絶反応示しそうだと感じられる方は…
この話を読み飛ばして下さるようにお願い致します。
 興味ある方だけ、どうぞです(ペコリ)
4月24日からの新連載です。
 無印の眼鏡×御堂ルートのED.NO「因果応報」を前提にした話です。
 シリアスで、ちょっとサスペンス風味の強い話です。
 眼鏡×御堂ルート前提ですが、眼鏡なしの克哉も色々と出張ります。
 それでも良い、という方だけ付き合ってやって下さいませ。
 最近掲載ペースが遅めですが、それでも付き合って下さっている方
どうもありがとうございます(ペコリ)
 やっとどの場面を出していくか決まったのでエピローグ行かせて頂きます~。

 咎人の夢(眼鏡×御堂×克哉)                             10
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 克哉サイド エピローグ1


 ―あの一件から半年余りの時が過ぎて、季節はいつの間にか春になろうとしていた

 佐伯克哉は、毎月…御堂孝典の月命日が来ると、見晴らしが良く…遠方に
海が望める丘に設えられた墓へ欠かさずお参りに来ていた。
 其処に辿りつくと同時に、克哉は周辺を丁寧に掃き…墓石を綺麗に
布で拭いてから花を添え…線香に火を付けていく。
 黒光りする見事な墓石に、玉石が敷き詰めらられ…隅にはツツジや椿の
花が植えられている。
 その敷地内を見事なぐらいに綺麗に掃除していくと…佐伯克哉は
汗を拭って一息突いていった。

―まったく…君も飽きずに良く…毎月、ここを訪れるな…

 その瞬間、自分の傍らに…御堂の気配を感じた。
 振り返っていくと…其処には彼の魂が存在している気配を
感じていった。

―えぇ、だって…貴方の墓ですから…やっぱり出来るだけ
気を配ったり…綺麗に保ちたいですから…

 克哉は微笑みながら、心の中でそう答えていくと…相手が呆れたように
溜息を吐いていったのが感じれた。
 実際に幽霊である御堂が呼吸をしている訳ではないが、霊体と言えど
元は人間である。
 感情表現や仕草の類は、生前と変わる処は殆どない。
 彼を視覚という形で克哉は常に据えられる訳ではないが…一つの肉体を
共有する同士として、今の克哉は御堂の声をほぼ確実に聞きとることは
可能になっていた。
 皐月の、気持の良い風が周囲に軽やかに吹きぬけていく。

―まったく、君はお人好し過ぎるな。ここに来れば…せっかくの休日の
半分が潰れてしまうのは判っているだろう。ここにあるのはすでに
私の亡骸でしかない…。魂は今は、君と共にある。
 それなのに…どうして、墓参りをする事に君は拘るんだ…?

―逆ですよ、貴方とこうして…常に共に生きるようになったからこそ…
オレは貴方の身体が収められている場所を蔑ろにしたくないんですよ…

 そういって、克哉は墓の前で手を合わせていきながら黙祷を
捧げていく。
 その時の彼は…酷く清廉な気配を身に纏う。
 御堂は、克哉のこの姿を見る度に酷く神妙な感情をいつしか
抱くようになった。
 感慨深い表情を浮かべながら…彼は、自分の為に祈る青年を
どこか切ない眼差しで見つめていった。

(生前は…いつまでも死者に囚われたり…死者を供養する事など
真剣に考えたりしなかった…。むしろ、いつまでもそういうことに時間や
気を取られる事を良しとしていなかったな…私は…)

 合理主義であり、常に新しい仕事に追われている御堂にとって…
30年も生きていれば、世話になっている相手や取引先が亡くなる事に
直面した事は何度もあった。
 けれど…生きていた頃、彼はどんな相手の死も長くは引きずらなかった。
 本当に恩を受けた相手を亡くした時は涙を浮かべる時もあった。
 だが、彼は長くそれを引きずらなかったし…其処まで墓参りとか、法事の類を
重要になど思わなかった。
 しかし、自分がそれを捧げられる立場になって初めて、彼は墓参りや
祈りに…価値を見出すようになった。
 
 死者への黙祷は、相手への敬意であり想いでもある。
 毎月繰り返されるこの行動が…この半年の間に、佐伯克哉という
人間に対して抱いていた全ての憎しみを洗い流していった。
 同じ肉体を共有する形だからこそ、御堂と克哉の間には一切の誤魔化しは
効かない。
 克哉が彼を軽んじたり、欺こうとすれば御堂にはすぐに判ってしまう。
 だからこそ…真剣に彼がこちらを今でも愛し、想いやる気持ちから
この行為を繰り返していることが伝わってくるのだ。

(…本当に、あいつとは…別人のようだな…)

 二重人格だの、憑依だの…そんな単語が、まさか自分の人生の中に
絡んでくるなど生きていた頃はまったく考えたことがなかった。
 御堂は今でも、眼鏡を掛けた方の佐伯克哉を時々思い出す。
 彼に対しての怒りは、まだ燻り続けている。どこかで…最後に顔を合した時の
激情に引きずられた時の感情は整理がついていない。
 けれど…同じ佐伯克哉でありながら、今の克哉と…眼鏡を掛けた彼とは
いつしか完全に区別して考えるようになった。
 例え肉体は同じでも、宿っている魂は異なるのだと。
 されど、自分を想ってくれているその気持ちだけは…どちらの彼であっても
本当のものだったと今は理解していた。

―これは自分の為だけに捧げられる祈り

 そう、死者を心から悼む行為には意味がある。
 …本当に自分の死に対して涙を流してくれる者。
 亡くなった後も心を砕き、想いやってくれる家族や克哉の存在が
あったからこそ…憎しみはいつしか晴れ、自分は本来あるべき心の
在り方を取り戻していった。
 一部の隙も見せないぐらいに真剣に…自分の墓の前で黙祷を
捧げてくれている姿を見ると…胸が苦しくなってくるようだ。
 そして、御堂は…この瞬間いつも克哉が涙ぐんでいることに
気づいている。
 だから…終わると同時に、そっと背後から包み込むように
抱きしめていく。

「あっ…」

 その瞬間、克哉は…こちらの気配に気づいたように小さく声を
漏らしていく。
 御堂からはこの瞬間、克哉の身体から温かな空気を感じて。
 克哉の方は、実体はなくても…御堂を、大気を通じて存在を
感じとっていく。
 切なくも、心が温まる一時。
 彼が墓参りをする度に…どうして自分が生きていた時に
巡り合えなかったのかと思う反面…この時間を重ねる度に、確実に
眼鏡を掛けていない佐伯克哉との間に絆のようなものが生まれてくる。

「御堂、さん…其処に、いるんですね…」

―あぁ…私は、ここにいる…

 今の御堂にとって、この世界に留まれている拠り所は…彼の肉体だ。
 完全に憑依している間は、御堂が彼の肉体を使えるし。
 こうして…幽体の状態で、大気に溶け込んだり…周囲を見回したり
通じ合っているものなら微かに存在を知覚して貰うことも出来る。
 穏やかで静謐な時間。
 そうしてお互いに無言のまま…そっと目を閉じて過ごしていく。

―黙祷は終わったのか…克哉…?

―はい、終わりました。そろそろ…帰りましょうか…御堂さん…

―あぁ、そうすることにしよう…

 そうして、御堂が歩き始めていくと…克哉は、ゆっくりと彼の方に
向かって手を伸ばしていった。
 実際に手を握り合える訳ではない。けれど…御堂の気配を感じる方へと
指先を差し出していく。
 まるで恋人のように、けれど…生身を持って触れ合えることはない。
 けれどその度に克哉は…あの二日間の間に、何度か御堂に触れあったり
口づけたりした体験を鮮明に再生していく。
 それだけで頬が熱くなり…顔が真っ赤になった。

―まったく君は本当に…可愛らしい反応をするな…

 ふと、御堂の声が鮮明に聞こえていった。
 フワリと優しく微笑まれた気配がして…一瞬だけ、端正な御堂の面立ちを
はっきりと思いだしていく。

―からかわないで下さい…恥ずかしくなります、から…

 最初の頃は、自分たちの関係はぎこちなかった。
 けれど同じ物を見て、同じ体験を…同一の肉体を拠点として共有していく内に
この半年間で、最大の理解者となった。
 お互いの温もりを感じあうことは出来ない。
 けれど…肉体という壁がないからこそ、心も近く感じ合えるし…何もかも
共有することが出来る。
 道が続いていく。これから何度も、自分たちはこの風景を眺めるだろう。

 御堂孝典という人間の亡骸がこの地に収められている限り…
佐伯克哉にとって、ここは特別な意味を持つ。
 彼の家族に、正式に認めて貰える訳ではない。
 御堂の魂が、彼の身体を介してこの世界に存在している事実を
告げられる訳ではない。
 けれど、彼の死を今も悼んでいる。偲んでいる存在がいるのだと…
そう伝えるように彼は月命日に、都合がつく日はここに訪れ…
献花と黙祷を捧げていく。
 だからこれからも…自分たちは何度も、移ろいゆく季節と共に
この周辺の景色を眺めながら、こうして共に帰路についていくのを
繰り返していく事だろう。
 心に温かなものが満ちていく。
 そして微かに存在を知覚出来る御堂が、こちらを振り向いたような
そんな気がすると…克哉は静かに目を伏せていく。

―そして、静かに口づけを交わしていく

 実際に触覚として感じている訳ではない。
 けれど唇に何かが掠めていったような感覚をふわりと
遠まわしに感じていく。
 そして…自分の身体の中に、御堂の魂が入り込んでくる。
 まるで己の一部であるかのように…違和感なく、彼の魂を
その身に感じて…克哉は温かい笑みを浮かべていく。

―ありがとう

 その感謝の気持ちだけが、静かに伝わってくる。
 あまり多くを語らない人だから、簡潔にまとめられてしまっているけれど…
御堂の声が聞こえて、克哉はジィンと胸が熱くなっていく。
 出来るなら、貴方の身体があった時に恋に落ちたかった。
 熱い抱擁を、口づけを交わしてみたかった。
 ここに来るたびに…御堂と、心が通じ合う度にその願いが頭をよぎって
時に泣きたくなる時もあるけれど、今の克哉は以前のように空虚ではない。
 この身は、自分のものであり…御堂のものでもある。
 彼が世界に関わる為に必要な器なのだと。
 だからやっと、克哉は自分を大切にしなければと思うようになった。

 かつての彼は、自分などどうでも良いと思っていた。
 この世に存在していても何にもならず、人を傷つけるばかりで助けることすら
出来ない。
 そんな自分に絶望に似た諦めすら覚えていた。
 けれど今は違った。
 誰かの為に祈ること、愛すること。そして必要とされて相手に何か出来ることがあることは…
人を強くして、心を満たしていく。

「御堂さん…大好き、です…」

 そう告げて、克哉は微笑んでいく。
 誰にも祝福されない不毛の恋かも知れない。
 その人が亡くなった後に、恋に落ちて…こういう形で共に生きていくことに
なった事など人に話しても決して理解されないし…頭がおかしくなったと
思われるのがオチだろう。
 それでも構わなかった。
 例えこの世界に、克哉にだけしか見えなくても…御堂は確かに、こうして
自分の傍にいてくれるのだから。

―私、もだ…

 そして、いつの頃からか…御堂もまたこうして返してくれるようになった。
 お互いの中に、向こう側の世界へと隔てられたもう一人の克哉の存在が
よぎってチクリ、と胸が痛むこともある。
 けれど…彼とは、自分たちは世界を隔てられた以上二度と会えない。
 ならそれは過ぎ去りし過去と同じもの。
 それならば、今…こうして傍にいる存在だけを見つめて…誰にも
理解されなくても想いを交わし合えば良い。

―そして克哉は、御堂から赤面するような一言を告げられていく

 伝わってきた瞬間、克哉の顔は真紅に染まって俯いていく。
 だが決して嫌な気持ちではない。
 特に今日は週末の夜だ。遅くなっても全然問題ない。
 だから拒む理由はないのだが…けれど、やはりまだ…自分と御堂との
愛し合い方に戸惑いと違和感を覚えているのも事実だった。

―良いな、克哉…
 
 意志の確認ではなく、すでに確定事項のような口調で御堂が
告げていく。
 恥ずかしいし…半ば混乱していく。
 まだ二回しか経験していないから…怖くもあった。
 けれど…求められるのは、嬉しいから。
 だから克哉は悩んで暫く黙った末に…小さく告げていった。

『はい…貴方が、望むのでしたら…』

 そう答えた瞬間、我身に受け入れている御堂が…実に愉しそうに
笑ったような気がしたのだった―
 

 

4月24日からの新連載です。
 無印の眼鏡×御堂ルートのED.NO「因果応報」を前提にした話です。
 シリアスで、ちょっとサスペンス風味の強い話です。
 眼鏡×御堂ルート前提ですが、眼鏡なしの克哉も色々と出張ります。
 それでも良い、という方だけ付き合ってやって下さいませ。
 最近掲載ペースが遅めですが、それでも付き合って下さっている方
どうもありがとうございます(ペコリ)

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 ―彼が目覚めた場所は、例の公園の外れにある草むらの中だった

 強制的に元の世界に帰らされて、眼鏡と御堂が横たわっていたのは…
例の事件が起こった地点の程近い場所だった。
 周囲を見回すと、大きな街灯が見える。
 それを見て…あの街灯の光が届く位置で、最初の事件が起こったことを
思い出して…佐伯克哉は、遠い目になっていった。
 
「…俺は、戻って来た…のか…?」

 時間にすれば二日間足らずの間に起こった出来事だった。
 彼は意識を失っている時間の方が長かったせいで、その30時間の間に
起こった出来事の終盤しか知らない。
 けれどそれだけでも…始めと終わりしか体験しない状態でも、十分に
それは密度の濃いものだった。

(昨晩に…俺は、御堂にこの公園で刺された。そして…この世界では
午後辺りから、俺と御堂は失踪していることになっている…あいつの
話を総合すると、確かそういう事になっていた筈だな…)

 まだ、目覚めたばかりで身体の自由はあまり効かなかった。
 頭の中も混乱していて、情報が整理し切れていない。
 そして眼鏡が倒れているすぐ傍らには、御堂が草むらの中で仰向けで
横たわっていた。
 時々苦しそうな表情を浮かべる時もあるが、微かな寝息を立てながら
目の前で意識を失っている御堂を見て…克哉は泣きそうになった。

「生きて、いる…」

 そう、その事実だけでも…目の前で御堂を失ってしまった体験を
すでにしている彼には…涙が出るくらいに、嬉しいことだった。
 当然、先程の…向こうの世界の御堂とのやりとりを忘れた訳ではない。
 だが、あの人の亡骸を目の当たりにした時の衝撃。
 それが生々しく脳裏に刻まれてしまった彼からしたら…こうして、生きている
御堂の姿を見るだけでも…充分な救いだったのだ。

「あんたが、生きている…」

 目の前に倒れているのは、この世界の御堂。
 こちらの世界では…御堂の方が佐伯克哉を刺してしまっているという。
 そしてその事件の目撃者が多く存在しているからこそ、このような事態に
なってしまったのだと…もう一人の自分から聞いた。
 丁寧に説明された今も、ややこしくて…本気で混乱しそうな話だった。
 しかしその結果、彼の目の前には…「自分が犯した過ちを全てを忘れた御堂」が
存在する事となった。
 御堂が生きていることを確認するように、頬にそっと手を伸ばしていく。
 温かくて滑らかなその肌触りを指先で感じるだけで、この世の全てに
感謝したくなるような心境など…今まで味わったことがなかった。

(…好きだの、愛しているだの…そんな言葉は下らないと今まで思っていたが…
今のこの心境は、恐らくそういった類の感情なんだろうな…)

 そう考えると苦笑したくなったが、それでも…御堂に確認するように
触れることは止められなかった。
 この手触りが、愛おしくて仕方なかった。
 ただ触れているだけで満たされるようなこんな感情など知らなかった。
 けれどその幸せを感じれば感じるだけ、この人に本当に自分は惹かれていたのだと
自覚すればするだけ…かつて、自分がやった行為の愚かさを気づかされた。

「…俺は、こうなって…初めて、気づけたんだな…」

 力なく呟きながら、彼は…瞼を閉じていった。
 人は間違えなくては、気づけない時もある。
 己の力を過信している時、万能だと思い込んで人を思う通りに操作
しようとする時、優位に立とうと躍起になっている時…大抵は踏み躙られる
側の心の痛みに気づかない。
 一方的に相手の心をこちらに従うしかないように追い詰めれば、それは
いつか自分の身に跳ねかえってくるものだ。
 誰にだって心がある。自分の意思というものがある。
 それを無視して、己の欲望や欲求を叶えることしか考えなくなった時…
人はそう遠くない内に、そのしっぺ返しを食らうものなのだと…。

―結局、自分が御堂に待ち伏せされて刺されたのは彼の心を
踏み躙り続けた結果に過ぎなかった

 過ちに気付いた時には、向こうの世界では手遅れだった。
 この人を愛しているのだと気づいた時には、本来ならば
永遠に失ってその想いは二度と届かない筈だった。
 それでも、言えた。そして謝罪の言葉を辛うじて言えた。
 そして…目の前に、御堂がいてくれる。全てを忘れた御堂が…。

(俺は…あんたの傍にいて…良いのか…? あんたを
追い詰めて向こうの世界ではあんたを殺し…この世界では、
あんたを殺人者にさせてしまった俺が…本当に…)

 …こんな事を迷っているなんて、自分らしくないと思う。
 けれど彼の心は、確かに今…弱ってしまっていた。
 人をもっとも苦しめる感情は、後悔と罪悪感だ。
 強い罪の意識は、時にその人間の本性すら大きく歪めてしまう。
 今の眼鏡はまさに…その状態だった。
 問いかけるように、眠り続ける御堂に触れ続けて…迷い続ける。
 その刹那、相手の目がほんの短い間だけ…ゆっくりと開かれた。

「さ、えき…?」

 それは、何の感情も含まれていない…誰何の言葉に等しい
呼びかけだった。
 意識が覚醒したばかりで、現状を把握していない無防備な表情。
 それから徐々に相手の瞳に力が戻り…短い間だけ、こちらをはっきりと
視界に捉えていく。
 そしてすぐに惑いの色を帯びて…彼は問いかけて来た。

「…どうして、私は…こんな処で、寝ていたんだ…? 君は…何かを、
知っているのか…?」

 惑う彼の瞳には、克哉に対しての嫌悪も憎しみも含まれていない。
 知人や、仕事仲間の一人に対して…質問を投げかけているだけに
過ぎない反応だった。
 けれど…彼に一生憎まれても仕方ないとすら思っている眼鏡からしたら…
その反応こそ、救いだった。

「…あぁ、あんたは悪い夢を見ていただけだ。それで…やっと、ここで
目覚めただけ…ただ、それだけの事だ…」

「…何だか、要領を得ない答え…だな…。だが、そうか…あれは…
悪い…夢…だったの、だろうか…?」

 そうして、彼らしくない困惑した表情を浮かべていく。
 そういえばこちらの世界の御堂は、記憶を操作されている筈だった。
 昨晩の記憶と今まで彼がやってきた行為の数々は、辛うじて封じられている。
 そんな彼を見て、ふと…眼鏡は思った。

―もう一人のオレが最後に言っていたように、こちらの世界の御堂と…
自分は一から、やり直せるだろうかと…

 彼に対して自分がしてしまった事を考えれば、虫の良過ぎる考えだった。
 けれど彼がこちらの罪を忘れているのならば。
 この30時間余りの出来事を夢で済まして、それ以前の自分との間にあった
出来事を忘れてくれているのならば…。

(一から…御堂と、関係をやり直せる…チャンスなのか…?)

 その事に気づいた時、どうしてあいつがあそこまで必死になって
自分に対して、「御堂から離れるな」と訴えたのかやっと理解していく。
 それは大きな罪を犯してしまった、咎人の都合の良い夢なのかも知れない。
 けれど…この人の夢が覚めるまでの間で良い。
 傍にいたいと思った。一緒にいる時間を重ねたいと思った。
 いつか夢から醒めて、御堂は自分の罪を思い出してしまうかも知れない。
 もしくは昨晩の佐伯克哉という人間を殺そうとした忌わしい記憶が
いつか蘇ってしまう可能性もあるかも知れない。
 その危険を考えたら、自分はこの人の傍から離れた方が絶対に良い。
 そう考えて、深く葛藤した瞬間…何故か、もう一人の自分の声が
脳裏に響いていった。

―過去ばかり振り返って、悔やんでいたって仕方ないだろ…?
罪の意識に囚われて、本当に大切なものを手放してしまったら…
一生、後悔するよ…ねえ、俺…

 その声だけは嫌になるぐらいにはっきりと聞こえた。
 罪の意識に竦んでいる自分を、その声が背中を押していく。
 これはチャンスなのだ、と。
 一つの世界で、自分が殺されて御堂が犯罪者となる結末が起こった。
 片方の世界では自分が御堂を結果的に殺してしまった。
 どちらにしても救いようのない筈の結末を辿るしかない筈の自分たちの
前に…今、一つのか細い可能性が示されている。
 それはまさにクモの糸のように儚く脆い希望なのかも知れない。
 それでも…。

(俺は…あんたの傍に、それでもいたいんだ…)
 
 目の前の御堂は、無防備な寝顔を自分の前に晒して意識を
失っていた。
 Mr.Rのせいで、この30時間余りは翻弄され通しだったのだから
無理もない話だった。
 克哉は、彼の頬を撫ぜていく。
 今度は眠りも深くなっているらしく、その程度の刺激では目覚める気配がなかった。
 
「…この夢が覚めるまでで良い…どうか、あんたの傍にいさせてくれ…」

 彼は心からの祈りを込めていきながら、御堂の唇に口づけていく。
 奪うような、服従を強いるようなキスなら今まで何度もしてきた。
 けれど…こんな触れるだけの儚い接吻を相手にしたのは、これが初めての
ような気がした。
 懇願するように口づけながら、祈っていく。

 ―この夢が覚める日までで良い。この人の傍にいさせてくれと…

 御堂が全ての記憶を取り戻した時。
 それが…この仮初の夢が壊れる時。
 彼がこちらの罪を思い出し、再び憎しみの感情を思い出したら…その時は
逃げもせずに、それは当然の報いと受け止めることとしよう。
 こんな殊勝なことを考える自分が信じられなかった。
 けれど紛れもなく、それは真実の気持ち。
 恋人に、伴侶になりたいなど…そんな我儘は言わない。
 ただ、自分は…あんたと肩を並べられるような、そんな男になりたいと。
 あんたと同じ高みを登れるそうな、そんな存在になりたいと…間違えまくった末に
ようやく本心に気づいていく。
 夢が覚める日までで良い、と。

『咎人はただ、一日でも長く…愛しい人間の傍らにいられる事を願った』
 
 深夜を迎えているせいで、公園の敷地内の空気は冴え渡り
寒いぐらいだった。
 漆黒の闇の中、ただ月だけが静かに輝いている。
 そんな夜に…彼はただ、真摯に願い続ける。
 
―ようやく愛していると気づけた人とやり直して、夢が終わるその日まで
せめて共に過ごせることを…

 そう祈りながら…御堂に肩を貸して、せめて彼の自宅のマンションまで送って
行こうとして…佐伯克哉は公園から後にしていく。
 そんな彼の後姿を、黒衣の男は物陰から眺めて、小さく呟いていく。

「…この世界の貴方も、愛などという惰弱な感情に目覚めて…大いなる
可能性を潰してしまわれましたか…」

 心から残念そうに言いながら、男の姿もまた…闇の中に紛れていく。
 この世界の彼でダメだったら、別の世界の彼の可能性に掛けるしかない。
 今回の一件で示されたように、佐伯克哉には無数の未来が広がっている。
 ならばその中に…真に、男の願望を満たしている彼だっているだろう。
 完成された彼に出会えるその日まで、男もまた…新たな可能性を模索していく。

「…まあ良いでしょう。次の世界で…またお会い出来ることを祈っていますよ…。
佐伯克哉さん…」

 そう呟きながら、彼はゆっくりとその場から立ち去っていった。
 そうして…公園の中には、誰もいなくなり…静寂だけがその場を支配
していったのだった―


 

4月24日からの新連載です。
 無印の眼鏡×御堂ルートのED.NO「因果応報」を前提にした話です。
 シリアスで、ちょっとサスペンス風味の強い話です。
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―もう一人の自分と、意識を失って横たわる御堂が刻限を迎えて
向こう側の世界に強制的に返される寸前、克哉は必死になって
訴えかけていった。
 
『俺…!! 最後に言っておく!! 絶対に…絶対に、不幸になんか
なっちゃ駄目だからな!! 自分が御堂さんの傍にいる資格がないだとか、
変な罪悪感に縛られて、絶対に手を離したりなんか…するなよ!!』
 
 克哉は、今の相手が犯してしまいそうな過ちを予測して…それだけは
しないようにと祈りを込めて訴えかけていく。
 亡霊となって幽体となっている方の御堂と、眼鏡はその一言に
驚きを隠せず、目を見開いていく。
 Mr.Rも極めて不機嫌そうな表情を浮かべていたが、それでも克哉は
怯むことなく…もう一人の自分を見据えていく。
 
―そう、それこそが…恐らく、永遠にこの世界の御堂と決別する
事を余儀なくされる…眼鏡の、唯一の救いの方法だと克哉は
確信していたからだ。
 
 彼はこのややこしく交差しあった全ての事例のからくりを深く
理解している。そんな彼だからこそ見えた道。
 本来なら、この御堂と眼鏡が寄り添うのが一番のハッピーエンドで
あったことは判っている。
 だが、もうそれが叶わないのならば…せめて、他の方法を見出したかった。
 その一心で、克哉は懸命に伝えていく。
 
「お前と…そちらの御堂さんが、戻る世界は…極めて不安定だ。
その中で過ごしていたら、いつ…御堂さんの記憶が戻るか、判らない…。
けど、その夢が覚めるまでの間だけでも…お前が犯した罪を、この人が
忘れている間だけでも…支えて、守るんだ…! 本当に、御堂さんに対して
悪いと思っているのなら…そちらの世界の御堂さんだけでも、全力を
掛けてお前は…守るんだ!! それが、この人が夢から覚める前
だけでも…!!」
 
 きっと、戻ればこちらの世界の御堂のこの二日間の記憶は
混乱を極めてしまうだろう。
 傍にいれば、いつか…眼鏡が犯してしまった罪を、そして彼を
この手に掛けようとした記憶をも思い出してしまう日が来るかも知れない。
 きっと克哉が何も言わずに見送れば、きっと眼鏡は…御堂の為だと
言って彼の元から永遠に立ち去ってしまうようなそんな気がしたから。
 だから克哉は訴えかける。それは間違いだと。
 本当に愛しているのならば…どちらの世界の御堂でも、御堂である
事は変わらないのだから。
 そう結論付けて、克哉は…全力で叫んでいった。
 
「どちらの世界の御堂さんだろうと、『御堂孝典』という…佐伯克哉という
人間が心から愛した存在である事は変わらないんだ! だから…絶対に
諦めるなよ! 俺…!!」
 
 
 
 そう克哉が叫んだ瞬間、眼鏡は驚いた表情を浮かべていく。
 そして…どこか儚く笑っていった。
 こんなに切ない表情を浮かべられるなど知らなかった。
 ただ一方的に、克哉の言葉に耳を傾けていく。
 けれどそこに拒絶の色はなく、静かに聞いて…一つだけ、大きく
頷いて…こう告げた。
 
―あぁ…判った…
 
 と、ただ一言だけ告げて…そして、幻のように…もう一人の自分と
御堂は、消えてしまった。
 その場に残された者は、最初…二の句が告げなくなった。
 ただ…これで、もう二度ともう一人の自分に会うことはなくなって
しまったのだと…その事実が、克哉に実感を伴って襲いかかっていく。
 
「はっ…は…」
 
 伝えられる想いは、最後に精一杯伝えた。
 自分がいったことは、亡くなってしまったこの世界の方の御堂にとっては
残酷極まりない一言だったのかも知れない。
 けれど…その事に拘って、彼が目の前の幸せに手を伸ばせずに諦めて
しまうことだけは嫌だと…そう思ったのだ。
 だから、克哉は伝えた。
 亡霊となった御堂に恨まれてしまう事になっても…それでも、自分は
彼に最後の言葉をどうしても言いたかったのだから仕方ないと思ったからだ。
 
(もう…二度と、お前に…オレも、会えないんだな…)
 
 体中から力が抜けて、その場に座り込んでいく。
 同じ身体に存在していたもう一人の自分。 
 あの謎の眼鏡を掛けてから、自分の中にまったく異なる性格をした
もう一つの人格が存在している。
 その事実を知った時は、彼の存在が怖かったし…認めたくなかった。
 けれどもうこの世界のどこにも…彼は存在しない。
 それは克哉に、自分の半分がもげてしまったような喪失感を覚えさせた。
 その場にいる誰もが、何も発せないまま沈黙だけが落ち続ける。
 長い静寂を破ったのは、Mr.Rでした。
 
「やれやれ…せっかく私が大がかりな仕掛けと様々な思惑を散りばめたと
いうのに…結局、一流の舞台ではなく、三文芝居のような結果が出来上がった
だけですね…。まったく、佐伯克哉という存在は常に私の予想と思惑を裏切り続ける
存在だというのがよ~く判りましたよ…今回の件でね…」
 
 呆れたように呟く黒衣の男の瞳は、冷たく…そして冷ややかだった。
 まるで自分の言うことを聞かない玩具など、興味が失せたという感じの
態度だった。
 
「貴方、という人は…」
 
「けど、それなりには楽しめましたよ。けれど…もう、貴方は完成してしまった
ようですね。これ以上私が何をしようと、今の貴方という存在はもう大きく変容
することもあの方を同時に内包する事もない。無限の可能性を秘めていた人間から、
実につまらない一人の人間が生まれただけですね…」
 
 そういって男は踵を返していく。
 もう…亡霊となった御堂孝典にも、完全に人格が固定されてしまった
佐伯克哉にも関心など持てないというように。
 その氷のような冷たさに、二人は何も言えなくなる。
 下手に反論したり、憤りをぶつけたりなどしたらタダでは済みそうに
ないぐらいに…Rは不愉快そうなオーラを立ち昇らせていたからだ。
 そしてコツコツ、と硬い床の上に足音を立てていきながら…完全に
黒衣の男の姿は、扉の向こうに消えていった。
 御堂は立ちつくしたまま茫然と…消え入りそうな声で呟いていく。
 
―私は一体…どうすれば、良いんだ…?
 
 彼らしくない、困惑しきった声だった。
 無理もない、彼の中には眼鏡を掛けた佐伯克哉への憎しみだけで
満たされていたのだから。
 けれど彼の本音を知って、御堂はこれ以上…憎めなくなってしまった。
 こうして御堂を亡霊という存在に変えてしまうぐらい強い怒りを、憎悪が
自分の中に渦巻いていた筈だった。
 なのに…その感情が無くなったら、自分の中で芯が抜けてしまった
ようになってしまったのだろう。
 この人がこんな風に弱っている姿を、今まで克哉は見たことがなかった。
 
―どちらの佐伯克哉にとっても、御堂孝典という存在は自分には
手に届かない、遥か高みに存在していた人だったから
 
 他者に厳しい代わりに、自分に対してはもっと厳しくて。
 若くして部長職に昇り詰めるに有能で。
 別世界のように感じている存在だった。
 なのに…もう一人の自分を憎み、そしてその憎しみが昇華されて
どうすれば良いのか惑っている姿は、凄く人間臭く感じてしまった。
  生々しい感情が、この人の中にも存在しているのだと…失礼かも
しれないが、克哉は知ることが出来て身近に感じられてしまった。
 
「御堂、さん…」
 
 この人が憎悪して、心を通わせたのは結局もう一人の自分の方で。
 克哉が残ったとしても何にもならないだろう。
 けれど…それでも、この人に対して何かしたかった。
 その想いが…予想もつかない結果を、もたらしていった。
 触れられないと判り切っていながら、克哉は御堂に向かって指先を
伸ばしていく。
 
「っ!!」
 
「なっ…」
 
 その瞬間、信じられないことが起こった。
 御堂の肩の部分と…克哉の指が、重なり合った。
 しかしそれは克哉の身体に、御堂が接している部位だけまるで溶けて
一体になってしまったような現象だった。
 
「もしかして…?」
 
 目の前の光景に、疑いの感情を持ちながらも自分の仮説が正しいことを
証明するようにグイっとさらに御堂に触れていく。
 …そして、御堂に触れた部位は間違いなく…溶け込んでしまっていた。
 
―これは、一体…何なんだ…? 何に触れようとも、何をしようとも今の私は
すり抜ける筈なのに…これでは、まるで…私の身体に触れている時のようだ…
 
「えっ…それ、は…どういう…意味、ですか…?」
 
 克哉は相手の言葉を聞いて、呆けたような表情を浮かべていく。
 だが先に体制を立て直したのは、今度は御堂の方だった。
 グイと間合いを詰めて、自ら克哉の方に体当たりしてくる。
 瞬間…何かが、自分の中に溶け込んでいくような奇妙な感覚を覚えていった。
 
「…やはり、な。どうやら…私は、君の身体を使えるようだ…」
 
 そして、奇妙な現象が起こった。
 紛れもなく克哉の声なのに、御堂の言葉が口から紡がれていく。
 そう、克哉自身は自覚がなかった。
 何があっても御堂を救いたいと願う気持ち、助けたいと願う気持ち。
 その為に自らすら投げ出しても良いという感情を抱いた為に…克哉には
御堂の魂に対しての抵抗がなくなってしまっていた。
 俗にいう憑依という行動だ。
 幽霊になるということは五感の感覚も、未来も何かを為すことも何も
出来なくなってしまう。
 けれど…唯一、出来るようになることがこの他者の身体を乗っ取るという
行動なのだ。
 さっきまでは別世界のものとは言え…御堂自身の肉体があった。
 だから他人の身体を奪おうなどと考えた事はなかったし試すこともなかった。
 けれどこの克哉の肉体は…さっきまで宿っていた、他の世界の御堂の
肉体よりも遥かに馴染んで、自由に使えた。
 
「やはりな…君の身体の方が、向こうの世界の私のものよりも自由に使える…。
一体これは、どうしてだ…?」
 
『それは多分、オレが全ての事情に通じているからだと思います…。ええっと
上手く言えないんですけど…オレ自身は、貴方の命を奪ってしまった事に
対して償えるというのなら…この身体を貴方に明け渡してしまっても構わないと
すら思っています。…そういう気持ちが、もしかしたら…この現象を引き起こして
しまっているのかも知れませんね…』
 
 克哉の身体の中に収まっている状態だから、今度は克哉の声が
頭の中にテレパシーのように響いていく。
 その一言を聞いて…御堂は、克哉からの強い情を覚えていった。
 嘘偽りがない、いや…同じ身体を共有している状態だからこそ…一切の
誤魔化しが効かない克哉からの真実の想いが溢れてくる。
 温かくて優しい…本気で自分を案じている気持ちが…彼の身体に
魂が包み込まれている状態だからこそ、ダイレクトに伝わってくる。
 その瞬間、どれだけ死が寒くて冷たいものなのかを御堂は思い知った。
 そして生きている間は蔑ろにしていた、人の温かさや優しさがどれだけ
愛おしく感じられるものなのかを思い知っていく。
 
―克哉の身体は温かかった。魂が包み込まれて守られていると
強く実感が出来るぐらいに…
 
 それが御堂の、荒んでいた心を癒していく。
 たった今、もう一人の佐伯克哉と別離して空虚になり掛けた心を
埋めていってくれる。
 当然、それだけで全ての傷が癒える訳ではない。
 けれど…冷たすぎる世界に突き落とされた身だからこそ…自分の魂を
丸ごと受容して、己の身に受け入れた克哉の存在に癒されていく。
 
「…本当に、君は…私がこの身体を使って生きる事を望んでも…
構わないというのか…?」
 
『はい、構いません。貴方の為に出来ることがあるのでしたら…
それは、オレの幸せですから…』
 
 そうして、自分の脳裏で克哉が儚く笑ったのを感じ取っていった。
 だから御堂は問いかけずにはいられなかった。
 
「それは…どうしてだ? ただ償いの為だけに、君は私に…其処までするのか…?」
 
『…償いだけじゃ、ないです。…もう一人の俺が、貴方を愛したように…きっと、
オレも知らない内に…貴方に惹かれて、愛すように…なっていたんでしょうね…』
 
 そうして、泣きそうな笑みを浮かべながら彼がそう答えていったのを感じ取っていった。
 同じ身体を使っているからこそ、一切の嘘偽りが存在出来ない距離で…
今、二人は語り合っている。
 それで御堂孝典は、克哉が…もう一人の彼に向っていっていた言葉の一つを
思い出していく。
 
―どちらの世界の御堂さんだろうと、『御堂孝典』という…佐伯克哉という
人間が心から愛した存在である事は変わらないんだ! と…
 
 なら、同じことが言える筈だ。
 一見すると正反対にしか見えない眼鏡を掛けた佐伯克哉と、掛けない方の彼。
 けれど…やはり、どちらも佐伯克哉なのだ。
 自分が最後に心を通わせた方も、こうして我が身にこちらの魂を受け入れて
自分の人生を明け渡そうとする愚かな選択をしようとする彼も…紛れもなく
今、自分が惹かれ始めている…『佐伯克哉』なのだ。
 その事実を、御堂は受け入れ始めていく。
 あれ程生々しかった憎悪は、簡単には消えてはくれない。まだ自分の心の
中で燻り続けている。
 けれど其れは事件が起こった当初に比べれば随分と小さなものに変わり
つつあった。
 
「…君みたいな、理解出来ない存在は初めてだ…。どうして、どちらの
佐伯克哉も…こんなにも、私の心を惑わせ…おかしくさせるんだ…?」
 
 克哉の身体に収まったまま、御堂は力なく呟いていく。
 こんな形で、相手を許してしまう日がこんなにも早く来るなんて…
信じたくなかった。
 けれど、憎しみを溶かす数少ない方法は…その相手に直接ぶつけること、自覚を
する事。そして愛を持って労わられること、そして時間の経過だけなのだ。
 自分らしくないぐらいに感情をむき出しにして、本音でぶつかりあって…そして
もう一人の克哉に受容されたからこそ、御堂の心は憎しみという深い霧が
晴れ始めていった。
 
『ごめん、なさい…』
 
「謝るな…それで、もう一度問う。本当に…君は私がこの先、君の身体を
使ってこの先の人生を生きる事になっても…その際、君の人生というものが
なくなってしまっても構わないと、それぐらいの覚悟で言っているんだな…?」
 
『………はい、そうです』
 
 その一言を聞いた瞬間、御堂は意を決していった。
 そしてこれ以上、佐伯克哉に対しての憎しみを抱くのは止めようと…
そう思った。
 自分の人生を捧げる覚悟で、自らの身体までも明け渡そうとするぐらいに
こちらの死を悔いている相手に対して…どうして、これ以上恨めるものかと思った。
 
「…君という存在は、愚かだな…」
 
『そう、ですね…』
 
「だが、私はそういう愚かさは…どうやら、嫌いではないらしい…」
 
『えっ…?』
 
 克哉が驚いた声を漏らしていく。
 だが、御堂は苦笑しながら呟いていった。
 心の中はグチャグチャで、あまりに色んな事がたった二日の間に起こり続けて
混乱してまとまってくれなかった。
 自分は肉体を失い、人生も…これから先の未来も全て閉ざされた。
 なのに…もう、彼を憎むことも報復しようと思うドロドロした想いを抱き続けること
自体がもう馬鹿らしくなってきたのだ。
 当然、全ては消えた訳ではない。けれど今の御堂は深い闇の中に鮮烈な
一条の光が差し込んで照らし出してくれたようなそんな心境になっていたのだ。
 
「…君の身体を、使わせて貰おう…。私には、まだやりたい事や成したいことがある。
当然、他人の人生を通じてになるから…不便さや不自由さは感じるだろう。だが、
君が構わないというのなら、この身体を遠慮なく使わせて貰おう。
 それで、構わないな…?」
 
 それは口調的には実に冷たいものだった。
 だが、同じ肉体を共有している状態だからこそ…今の御堂は、少しは温かい
感情を自分に持っている状態で、この提案を受けてくれたのだというのがしっかりと
感じ取れていく。
 それは半身を失ったばかりの克哉にとっては、最大の救いとなった。
 だから彼は嬉しそうに…涙を浮かべながら、頷いていった。
 
『はい…オレの身体で良ければ、幾らでも使って下さい…』
 
 これから先、自分の人生がなくなってしまっても…それでも自分が
最も惹かれて、焦がれた人にこの身体を捧げて役に立つというのならば
それで構わないと思った。
 償いの気持ち以上に、克哉はこの人のためにやれることがあったことに
喜びを覚えていたから。
 例え自分という存在がそれで消えてしまうことになってもそれでも…
愛する人の為に、何か出来るならば…十分な幸せではないだろうか?
 だから克哉は頷いて、承諾していく。
 
―その瞬間、彼らは…被害者と加害者としてではなく、一つの身体を共有して
生きていく存在同士へと、関係は変化したのだった―
 
 

4月24日からの新連載です。
 無印の眼鏡×御堂ルートのED.NO「因果応報」を前提にした話です。
 シリアスで、ちょっとサスペンス風味の強い話です。
 眼鏡×御堂ルート前提ですが、眼鏡なしの克哉も色々と出張ります。
 それでも良い、という方だけ付き合ってやって下さいませ。
 最近掲載ペースが遅めですが、それでも付き合って下さっている方…
どうもありがとうございます(ペコリ)
 
 
 咎人の夢(眼鏡×御堂×克哉)                             10
                                                        11  12  13  14  15 16  17 18 19 20
                     21 22
 

 ―彼を愛していると、惹かれていると気づいたのは愚かにも
御堂を失った後だった

 目の前で、相手が物言わぬ骸(ムクロ)となってしまった瞬間を
今でも眼鏡は忘れない。
 あの時の喪失感を、絶望を、慟哭はたった二日しか経過していないせいで
今でも生々しく彼の中で息づき、血を流しているかのように疼き続けている。

『お前の好きにすれば良い…』

 心から、そう思いながら彼は己の首元を相手の前に晒していった。
 御堂に生身の肉体があったのならば、憎くて堪らない相手をくびり殺す
千載一遇のチャンスだ。
 なのに、御堂も…克哉も、Mr.Rも…その場にいた誰もが彼の行動と
態度に驚き、言葉を失っていく。
 傲慢で身勝手な筈の男が、何もかも観念して罪を認めているような
その姿は…全員に、激しい衝撃を与えていた。

「あ、貴方という方は…一体、何というみっともない姿を曝して
いらっしゃるのですか! 貴方こそ、鬼畜王と呼ばれる程の素質を
秘めているお方! 何者にも屈せず、欲望のままに他者を踏み躙り
快楽の限りを尽くす…それこそが貴方に何よりも相応しいお姿でしょう!
何で、そのような愚かな行動を…」

 Mr.Rは心から嘆きながら、眼鏡に訴えかける。
 だが彼はつまらなそうに黒衣の男を見つめていくと…呆れた顔を
浮かべていった。

「…お前が俺をどう見ようが、何を望もうが勝手だがそれを俺に
押し付けるな。何故、俺がお前の望む者にならなくてはならない
義務があるんだ…?」

 静かな声、だが…その瞳に浮かんでいるあまりに冷酷な輝きに克哉と
Mr.Rは言葉を失っていく。
 殉教者のようにしおらしくなったかと思えば…やはり、傲慢な男と
しての姿も垣間見せる。
 だが…幽体となった御堂をみる度に切なく…悲しげな瞳を浮かべていく。
 御堂は、何も言わず…ただ、彼を見つめ続けているだけだった。
 禍々しい光を宿していた鋭い眼差しが、あまりの驚愕の為に和らいでいった。

―どうして、お前は私をそんな目で見るんだ…?

 透明な御堂は、憤りを含んだ様子でそう呟いていく。
 
「…俺は、あんたという存在を失って…気づいたからだ。…バカ、だよな…。
御堂孝典…あんたは、俺が殺してしまったようなものだ…。そうなってから
この気持ちに…気づくなんて、マヌケ以外の何者でもない…」

 さっきまで、プライドが先立って己の顔を決して上げようとしなかった
男が素顔を曝していく。
 目に熱い涙が伝っていく。
 それが頬を辿り…リノリウムの冷たい床の上に雫となって落ちていく。
 御堂にとって佐伯克哉という存在は自分の全てを奪った憎き略奪者以外の
何者でもなかった。
 血も涙もない。鬼とも獣とも思っていた存在が…涙を流して、こちらに
こんな声で語りかけてくるなど…御堂の想定外の反応だった。
 
―お前は、一体…何を、言っている…?

 恐らく、眼鏡のこんな顔を見ることになるなど彼にとっては考えたことも
なかったのだろう。
 ついさっき、相手を決して許さないと怒号した御堂は毒気を抜かれて
戸惑いの顔をようやく浮かべていった。
 怒りに怒りを、憎しみに憎しみを返すことは火に油を勢いよく注ぎ込む
ようなものだ。
 だが、目の前で流される涙に…御堂は、怒りを一瞬忘れてしまった。

―どうして、お前が…私の前で、泣いて…いる、んだ…? どうして…

 御堂の声を聞いて、どこまでも眼鏡は透明な表情を浮かべていく。
 喜怒哀楽の四つの中に当てはめるなら、それは「哀」を感じさせる
顔つきだった。
 瞳の奥に、今まで見たことがないくらいに優しい色が宿っていく。

「…あんたを永遠に失ってしまった事。追い詰めて殺してしまったことは
きっと俺の中で決して消えることがない…罪であり、咎だ…」

「…『俺』…」

 少し離れた位置から、二人のやり取りを見守る克哉が切なげに
呟いていく。
 これは罪を犯してしまった人間の、最後の言葉。
 もうじき永遠に、「自らが殺してしまった御堂」には手が届かなくなる。
 そう悟ったから、男は何もかもかなぐり捨てた。
 Mr.Rが語ったあの挑発的な言葉が、彼に最後の意地を捨てさせたのだ。
 腹が立ったし、プライドが許さないと最初は思った。
 けれど…彼に謝罪することも、想いを告げることもこれ以後は決して
二度と出来ないのだ。
 ならば…悔しいが、Rの言う通りだ。ここで想いを告げなかったら生涯
消えることのない後悔を残すことになるだろう。
 だからこそ、男は…初めて己の弱さを隠す為に纏っていた傲慢や
強気の仮面を外していく。

「あんたが、俺を許せないというのなら…殺しても、構わない。けど…
これだけは言わせてくれ…。こうなって、初めて気づいた。俺は…あんたに
知らない間に惹かれて、思うようになっていた。だから…欲しくて、欲しくて
堪らなくて、間違った方法で手に入れようとしてしまった…。
俺は、あんたを…」

―言うな!! そんな戯言で、許せると…思っているのかっ!!

 次の瞬間、遮るように御堂は吠えた。
 そして再び怒りで瞳が爛々と輝き始める。
 それはまるで眼鏡からの言葉など聞きたくないと激しく拒絶するような
そんな反応だった。

「戯言じゃない!! 俺は、あんたを愛している!! 言う資格など俺に
ないって判っている!! だが…俺が殺してしまったあんたには、もう…
元の世界に戻ったら二度と言葉は届かない!! エゴだって判っていても…
それでも、俺はあんたに伝えたかったんだ!」

  形振り構わない、本気の告白。
 いつだって臆病で、傲慢の仮面で己を鎧続けて来た男の…みっともないまでの
魂の叫び。
 傍から見たらそれは愚かな行動にしか見えないのかも知れない。
 けれど時に真実の、剥き出しの想いは…頑なだった憎しみを、怒りを打ち砕く
力すら込められている。

―そんな、一方的にぶつけられて…私に、どうしろっていうんだ!!
殺したいぐらいにお前が憎くて憎くて堪らないのに…!! そんな目で、
顔で…想い、など告げられてしまったら…私は…!!

 その瞬間に、御堂は…嫌でも気付かざるを得なかった。
 相手を憎む心の奥底に潜む、隠された感情を。
 目を背けて決してありえないと頑なに拒み続けて逸らして来た
感情が、一体何といわれるものだったのかを察していく。

―こうして、命を失ってしまった後で…そんな事を告げられて、私に
一体どうしろというんだ! どうして、私に血の通った身体のある内に
そう言わなかった! お前は、もう…私の前から、消えるというのに―!

「す、まない…けど、俺は…」

 愚かで、身勝手で自分の感情をぶつけるだけの行動でしかなかった。
 目の前にいる眼鏡は、恋に悩み…迷い、臆病になっている一人の男でしか
なかった。
 だんだんと透明になり、この世界から消え失せようとする姿を目の当たりに
して…御堂もまた、泣きそうな顔になっていった。

―二人とも、結局は良く似た同士だったのだ

 プライドが高く、人の上に立つ事に秀でる事に歓びを覚え…己を
磨く為にあらゆる努力を惜しまない人種。
 どこまでも高みを目指していける輝ける魂同士。
 だからこそ、自尊心が邪魔をして本心に気づけないままだった。
 手を伸ばせば、其処にあったのに。
 凌辱や強姦という間違った形であっても、何度も身体を繋げたことさえ
あったというのに…結局、本当の終わりを迎えるまで、彼らは心を
通わす事すら出来なかった。
 けれど…剥き出しの心をぶつけあったことで、もう一人の自分は
別れの間際に、御堂から…憎しみ以外の感情を引き出していった。

―お前を、憎むぞ…佐伯…私は、いつまでも…

 きっと肉体があれば、御堂は涙を流していただろう。
 それぐらいに悲痛な表情を浮かべながら力なく呟いていく。
 眼鏡の身体が、御堂と同じぐらいに透け始める。
 もうじき、完全に消えてしまう。そう悟った瞬間…二人は無意識の
内に互いに指を伸ばしていた。
 その光景を眺めていた克哉が、泣いているのが目に入った。
 だがすぐにただ…眼鏡は真っ直ぐ、自分が憧れて止まなかった
孤高の存在だけを見つめていった。

『すまな、かった…』

 そして染みいるような声で眼鏡はただ、心からの謝罪をもう一度
告げていく。
 相手の心の中にある憎しみを溶かす、ただ一つの鍵を…自分の
中の意地も自尊心も、何もかも捨て去って告げていく。

―貴方ほどの人が俺みたいな人間の為に、いつまでも憎しみに
囚われないように…

 もう貴方の肉体が永遠に失われてしまったのならば、せめて
安らかにこれからは眠れるように…。
 咎人は最後にただ、それだけを願って…相手に伝えていく。
 許してくれなど、自分からは決して乞えない。
 だから許せないなら、それで構わない。
 
―貴方が俺を心から憎んでいようと、俺は貴方を愛している…

 そう祈りを込めて、心の中で思った瞬間…彼がこの世界に
留まれるリミットは訪れようとしていた。
 ベッドの上の御堂の姿も、眼鏡に連動するように…徐々に
輪郭を失って透明になっていく。
 
―佐伯、佐伯ー!!

 そうして、憎しみではなく…愛しみの感情を込めて初めて、
幽体となってしまった御堂が眼鏡の名を呼んでいく。
 その瞬間、眼鏡は嬉しそうに笑った。
 
―あんたに、そんなに必死になって…呼んで貰える日が…
来る、なんてな…

 そんな言葉を、本当に幸せそうに呟いていく。
 見る見る内に彼の姿が遠くなる。
 幻のように、陽炎のように…そして儚いもののように
徐々に消えていって、そして…。

―眩い光が走り抜け、眼鏡と…ベッドの上に横たわっていた
御堂は本来の世界へと戻っていく

 この世界に残される側の二人は、黙ってそれを
見送るしかなかった。
 結局、こういう時…人は無力だ。
 目の前から誰かがすり抜けていく間際でも、何も出来ることが
ない時…やりきれない気持ちだけが胸の中に広がっていく。

―その間際、最後に克哉の声が…道を分つ二人にせめてもの
救いを与えようと…大きく響き渡っていったのだった―
 

4月24日からの新連載です。
 無印の眼鏡×御堂ルートのED.NO「因果応報」を前提にした話です。
 シリアスで、ちょっとサスペンス風味の強い話です。
 眼鏡×御堂ルート前提ですが、眼鏡なしの克哉も色々と出張ります。
 それでも良い、という方だけ付き合ってやって下さいませ。
 このややこしい設定をどうやったら読み手に判りやすく伝えられるだろうって
試行錯誤していたら予定より大幅に遅くなりました(汗)
 待たせてしまって申し訳ありません~。

 

 咎人の夢(眼鏡×御堂×克哉)                             10
                                                        11  12  13  14  15 16  17 18 19 20
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 ―二人の佐伯克哉は、同時に予想だにしていなかった光景を
間の当たりにすることになった

「御堂……?」

「御堂、さん……?」

 もう一人の自分と御堂の身体がうっすらと透明になり始めているだけでも
驚愕したというのに、更に横たわっている御堂の傍らには完全に透き通り
輪郭だけが浮かび上がっている、もう一人の御堂の姿が存在していた。
 映画などで、幽霊や精神体がホログラフのように揺らめいている
演出が良くされるが、もう一人の御堂はまさにそんな感じであった。

「…………」

 さっきまで激しくもがき苦しんでいたのが嘘のように…ベッドの上に
寝そべる御堂の容態は安定し始めていた。
 だが、もう一人の御堂は怒りに瞳を爛々(ランラン)と輝かせながら
二人の克哉を睨みつけている。
 言葉には出さないが、その眼差しだけでどれだけ深く…不当に
命を奪われた方の彼が、こちらを憎んでいるのか判ってしまった。

「御堂、さん…」

 それでも、克哉は御堂に向かって問いかける。
 この人の痛みが、苦しみが判る気がしたから。
 案じるように手を伸ばし語りかけていくが…それを相手は安っぽい
同情を向けられたと判断したようだ。
 カッと鋭く幽体の御堂の瞳が見開き、恫喝していった。
 
―どうして、お前のために…私が死ななければならなかったんだ!!

「っ…!」

 その一言を放った瞬間、眼鏡の方は苦しげに眉を潜めていった。
 すまない、ともごめんなさいとも最早…安易に謝罪の言葉を掛けられる
ような雰囲気ではなくなっていた。

―その顔を見るだけで、どれだけ眼鏡が御堂の死に関して苦しんでいるか
後悔しているのか克哉には充分に見て取れた

 だが、憎悪の感情に囚われてしまっている今の御堂には…眼鏡の
顔に浮かんでいる悔恨の想いに気づけずにいる。

―私が、私がどれだけ苦労をして…若くして、これだけのものを築き上げたと
思っているんだ! 周りの者が遊び回ろうとも、どれだけ嫉妬されようとも
自分の信じる道を進み続けて、道を作り続けて来た! なのに…ずっと
努力して作りあげたものを、お前に全て壊されて無にされた!
やり直す機会すらも与えられずに…私は、命すらも奪われた!!
 お前だけは、絶対に許さない!

「っ…!!」

 その瞬間、もう一人の自分が顔を背けた。
 まるで心臓病の患者が激しい発作を起こしてしまった時のように
強く胸を抑えて、不規則に喘ぎ続ける。
 その反応を見て、克哉は判ってしまった。
 もう一人の自分は…御堂を、やはり好きなのだと。
 だからこそ、彼からの一言一言が鋭い刃となって深く心を切り裂いていく。

「…す、ま……」

 眼鏡が、そこまで言い掛けて…口を閉ざしていく。
 そして自分の顔を決して誰にも見られまいと…顔を俯かせていった。
 たったそれだけの言葉、けれど…今では完全に分断されてしまっているのに…
否、完全に分たれたからこそ客観性を持って観察出来てしまった。
 克哉はそれで気づいてしまったのだ。

―彼は本当に御堂に対して心から「すまない…」と告げようとした事を…

 言外の想い。
 御堂程の理性的なはずの人間を、殺人という行為に走らせるまで追い詰めてしまった
根底にあるのは…眼鏡の、御堂に対しての強い執着のせいだった。
 彼は御堂への想いを、相手を屈服させて自分に服従をさせようという間違った
方向に向かってしまった。
 それ故に罪を犯し…取り返しのつかない結果を招いてしまった。
 克哉は、その想いを知っている。
 この肉体は、元々…今、目の前にいる方の彼の物でもあった。
 御堂に対して言葉を詰まらせて何も言えないままでいる彼に強い
共鳴を示していく。
 その瞬間、この脳内に一度は刻み込まれた彼の記憶が…鮮明に再生されて
走馬灯のように勢いよく走り抜けていく。

(『俺』の…心が、叫びが…オレの中に流れ込んでくる…!!)

―御堂ぉぉぉぉぉ!!

 そして克哉の心の中に、怒涛のように…御堂を目の前で失った時の
眼鏡の魂の叫びが響き渡っていった。
 何て悲劇なんだろう。
 どれくらい彼らはすれ違ってしまっているのだろう。
 御堂の方の心までは克哉は知らない。
 けれど…もう一人の自分の心に宿っていたこの強烈な執着心は、
想いは…恐らく、「恋」と言い換えられるものだったのだ。
 御堂という存在に彼は惹かれたからこそ、近づきたかった。 
 手に入れて、自分の傍に繋ぎとめたかった。
 その手段を間違えて…愛する人間を殺してしまった人間の叫びと苦しみは
克哉の心をも、容赦なく切り裂いていく。

(お前は、どれだけ馬鹿なんだよ…!! もっと早く気づいていれば…
それで正しい手段で、想いを告げていれば良かったのに!!)

 まるで容赦なく押し寄せてくる巨大な津波のように、彼の後悔と
胸の痛みが伝わってくる。
 克哉は気づけば泣いていた。
 自分は素直に涙を流せるのに、絶対に感情を表に出せない不器用な
もう一人の自分の事が、哀しかった。

―お前も、泣ければ良いのに…

 なのに、もう一人の自分は顔を俯かせるだけで何も言えない。
 自分には言う資格などないというように、ただ黙って御堂からの
憤りの言葉と憎悪の視線を受け続けるだけだ。
 御堂の火花を散らすような容赦ない視線が、彼だけに注がれる。
 その瞬間Mr.Rは高らかに、嘲笑うように言い放った。

「ほら、どう為されたんですか! お二人とも!! 貴方達はもうじき
引き離されて二度と顔を合わすことなどない!! 言わばこれが…
殺された者と、殺した者の最後の邂逅となる訳なのです!!
 どうせこれっきりの事。それならば己の中にある憤りを! 怒りを!!
憎しみを!! 本音を思う存分に相手に叩きつけたらどうです!!
 せっかく最後の時間と機会をこうして差し上げたのですから…
精一杯活用して下さいませ!!」

 そして黒衣の男はいつまでも睨み合いを続けて硬直し続けている
二人を焚きつけるように言葉を吐いていった。
 それはまるで、芝居の中の悪役が悲劇に向かうための引き金を
引くようなそんな光景だった。

「貴方は、何を! あの二人をいがみ合わせてそんなに
楽しいんですか!!」

 その瞬間、傍観者に過ぎなかった克哉が目を見開いて…Mr.Rに
飛び掛かって鋭い一撃を食らわしていく。

「っ!!」

 だが、この男なら容易にかわせる筈だった克哉の攻撃は…見事に
Rの鳩尾に吸い込まれていく。

「…くっ! 良いパンチですね…」

「うるさい!! これ以上…あの二人を焚きつけるような事は…言うなぁ!!」

 克哉は泣きじゃくりながら、もう一回パンチを繰り広げていく。
 どうしてもこの男の今の行動を許すことが出来なかった。
 あんな悲劇を辿った二人を焚きつけて、嘲笑うようなそんな真似をしたことが…
眼鏡の心を知ってしまったが故に…どうしても許せなくて、悔しくて。
 ポロポロと涙を零しながら、がむしゃらにRに殴りかかっていくが…
命中したのは最初だけで、それ以後の攻撃は全て相手の掌に阻まれていった。

「…やれやれ、まるで駄々っ子ですね。私に八つ当たりをしてそんなに
愉しいですか…?」

「なっ…!」

 Rが呆れたように肩を落としていくと…克哉の顔色は一気に変わっていく。
 その時、すぐ目の前の御堂が呟いた。

―…くそ、こんな状態じゃゃなければ…お前をくびり殺してやるものを…!!
肉体がないことをこんなにも恨めしく思ったことはないぞ…!!
 
 そうして、ベッドの上で意識を失っているAの世界の方の御堂を
見て憎々しく呟いていった。
 そう…こちらの御堂は、肉体の意識がない状態でもすぐ傍で聞いていた
為に二つの世界のからくりを知ってしまっていた。
 その為に綻びが生まれて…彼は身体から追い出されてしまったのだ。
 本来の世界に戻ろうとしている肉体の中に、本来この世界の存在である
彼は留まる事が出来ない。
 束の間でも、さっきまでのように肉体を使うことが出来たならば御堂は
躊躇いなくこの男への復讐を果たしていただろう。
 それが出来ないからこそ、御堂は本当に悔しそうに怒号していった。
 彼がそう叫んだ瞬間…予想もしないことが起こった。
 
―本当にそう思うなら、あんたの好きにしろ…。御堂孝典、あんたには…
俺に復讐をする…その、権利がある…

 そうして、観念したように…その場に膝をつき…己の顔を高く上げて
無防備な首元を御堂の幽体に向かって曝け出していく。
 傲慢な筈の男のその行動に、御堂は言葉を失っていく。

(どうしたんだよ…「俺」…それは、まるで…自分を殺してくれ、と御堂さんに
向かって言っているような…もんじゃないか…!)

 眼鏡のその行動に、その場にいた誰もが騒然となって言葉を失って
立ち尽くしていく。
 その中心で…男は、殉教者のように瞳を閉じて…己の身を差し出すような
態度を取っていった。

―そうしている間にも、ベッドの上の御堂と…眼鏡の身体はゆっくりと
実体を失いつつあったのだった―

4月24日からの新連載です。
 無印の眼鏡×御堂ルートのED.NO「因果応報」を前提にした話です。
 シリアスで、ちょっとサスペンス風味の強い話です。
 眼鏡×御堂ルート前提ですが、眼鏡なしの克哉も色々と出張ります。
 それでも良い、という方だけ付き合ってやって下さいませ。
 このややこしい設定をどうやったら読み手に判りやすく伝えられるだろうって
試行錯誤していたら予定より大幅に遅くなりました(汗)
 待たせてしまって申し訳ありません~。

 

 咎人の夢(眼鏡×御堂×克哉)                             10
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―もう一人の自分相手に隠された事情の全てを話す覚悟をしたは良いが、佐伯克哉は
それでどうやって相手に判りやすく伝えられるかどうかを迷っていた

(…グダグダと話すと、却って混乱させたり…誤解させてしまいそうだからな。
どこから切り出せば良いんだろう…?)

 相手の方も大雑把な事情を把握している。
 だが口でだけ説明すると非常にややこしいし、長くなるのは確かだった。
 誤解させないようにこのからくりを相手に伝えるにはどうしたらいいか。
 まずその方向に思考を巡らせていく。

(何か…小道具があった方が判りやすくなるかな…?)

 今、自分たちがいる部屋は…サイドテーブルとベッド、そして奥の方にある
クローゼット以外の物は置かれていないようだった。
 …物置兼衣装部屋に使っている部屋に、急遽ベッドとサイドテーブルを置いたような
感じだった。
 そう考えて、何か手頃な物はないかと無意識の内にさっき強引に眼鏡に羽織わされた
Mr.Rの黒いコートのポケットを探る仕草をしていった。
 その時…何が手応えを感じて取り出していくと…其処にはクラブRと印字された
マッチが二つ、掌に乗せられていた。

(…ここ、店名が書かれたマッチなんであったんだ…。一体誰に配っているんだろ…?)

 あの怪しい風貌の男が、マッチを配って店の宣伝などやっている姿など
本気で想像出来ない。
 つい思い浮かべてしまって克哉は複雑な表情を浮かべていった。

「…おい、俺にちゃんと説明してくれるんじゃなかったのか…?」

「わわっ! ごめん! 今すぐ簡潔に説明するから…『俺』!!」

 あまりにも間が空きすぎてしまったので…もう一人の自分の額に青筋が
くっきりと浮かんでしまっていた。
 克哉は慌てて弁明していくと…ベッドの傍に置かれていたサイドテーブルの上に
二個のマッチの箱と、その箱の前に三本ずつマッチ棒を並べていく。
 箱一つに対して、三本のマッチ。それを左右にくっきりと分けていく。

「…お前は一体、何をしているんだ…?」

「お前に今の状況を判りやすく説明するには…こうやって視覚的な部分も交えた方が
良いと思ったからな。だから時間を取らせて貰った」

「…これが一体、何を指しているというんだ…?」

「…これからちゃんと説明するよ。そうだな…まずはマッチ箱は「世界」を。
マッチ棒は…オレとお前、御堂さんを指していると思ってくれ」

「…マッチ箱が二つ、ということは世界が二つという意味で正しいのか?」

「あぁ、そうだ。そして…マッチ棒は三つ。正式には御堂さんと佐伯克哉の
二人の問題だが…意志は三人分、絡んでいる。だから三本とした方が
判りやすいと思った。ここまでは良いか?」

「あぁ、理解した」

 そこまで説明すると、克哉はまず右側の方を指さしながら言った。

「…そして、もう一つ判りやすく説明する為に…右側をAの世界とする。
こちら側は…御堂さんが佐伯克哉を刺して、その命を奪おうとした事実が
存在している。MGNの女子社員が、御堂さんの凶行の現場を見て社内を
騒がしたのも…こちら側の世界だ」

「…そっちがもう一人の…いや、この身体の本来の持主である『俺』が生きていた
世界に当たる訳か…?」

 恐る恐る、眼鏡が尋ねていくと…克哉は小さく頷いていった。
 そう…今の彼が纏っている佐伯克哉の肉体はAの世界の彼のものだ。
 
「あぁ、その証明が…お前の腹部の大きな傷跡だ。それがAの世界の佐伯克哉の
肉体に刻みこまれている筈だ…」

「…なら、お前はB…ようするに、こっち側の世界の佐伯克哉の肉体を使って
いるということか…?」

 眼鏡が左側のマッチ箱の方を指さしていく。
 その問いに関して、克哉は小さく頷いていった。

「…そう、それがBの世界。…お前が御堂さんの凶刃をかわして結果…御堂さんの
方が車に跳ねられて即死してしまった世界の方だ。こちらの世界では佐伯克哉は
腕に怪我を負ったが命に別条はなく…代わりに、御堂孝典が死んでしまっている。
そして…今の「オレ」は、AとBの両方の「オレ」の心をBの世界の佐伯克哉の中に
入れた結果だ…」

「…なら、今の『俺』は…Aの世界の佐伯克哉の身体の中に入れらせられた…
Bの世界の佐伯克哉の心ということか…?」

「…うん、多分…そういう事になるんだと思う…」

 克哉が正しく説明出来るのは、ここまでだ。
 この問いに関しては歯切れが悪くなってしまうが…もう一人の自分がここまでは
正しく理解してくれたことにほっとしていく。

「…ここまでは大体理解出来た。なら次の質問に行かせて貰おう。どうして…
二つの世界が混ざるなんて事態になった? それで今現在…俺達は、どっちの世界に
いて…どういう状況になっているんだ? お前が答えを知っているというのならば…
それをキチンと説明して貰おうか?」

「あぁ、キチンと答えるよ。…まず、今現在の状況を説明すると…こうなってる」

 そういって克哉はAの世界側にあったマッチ棒を三本とも、Bの世界側に
移していく。
 そして…Bの世界にあったマッチ棒を一本だけ、AとBの箱の真ん中に位置
させていった。
 その状況に、眼鏡は眼を丸くさせていった。

「…何だ、これは…? Aの世界には何も残っていないじゃないか…!」

「そう、それがAの世界に関しての答え。こちらでは…目撃者がいたせいで…
御堂さんが犯した罪を、よりにもよってMGNの多くの社員に知られる形に
なってしまった。最初の時点では…御堂さんから、昨晩の出来事と…お前に
凌辱された日々の記憶を奪って、Mr.Rに仮初の肉体を与えられたオレが
普通に生きてあの人に接することで…昨晩の事件を、御堂さんがお前を
刺した事実自体をなかったことにする予定だったんだ…」

「それがどうして、全員がこっちに移動する結果になっているんだ?」

「…目撃者が多すぎて、R自身にも他人の記憶の修正がどれぐらいまで
効くか判らない事態になってしまった。その為に…御堂さんの記憶は早くも
不安定な状態になって、綻びが出来てしまった。だからMr.Rはその事態が
発生した時に、とんでもない提案を出して来たんだ…」

「それが、Bの世界に…全員を移すということなのか?」

「…あぁ、このBの世界は昨晩の事件が起こる直前までまったく同じ道筋を
辿っているらしい。ようするに、Aの世界の御堂さんの記憶の綻びが起きないように
「御堂さんが死んだ」ことになっている世界に、御堂さんを放り込んだ。
そして…御堂さんが人を殺した事になっている世界に、御堂さんの亡骸を時期を
見て出現させることで…今日の昼前後を境に…それぞれの事件を「なかった」事に
して…それ以上の綻びを喰い止めようとしたんだ。
 どちらの世界でも記憶操作を行っている。だが…その世界で起こった本当に起こった
「事件」に関しては、当人たちの世界が入れ替わっていることでそれ以上、追求しようと
する人間は本来なら発生しない筈だった。
例えるなら、舞台と役者の一斉取り換えみたいなものだね…」

「…そんな事が、本当に出来るというのか…?」

 克哉の説明を聞いていた眼鏡は、今の話を信じられないという話をする。
 …無理もないことだと思った。自分がもし、誰かから同じ話を聞かされたというのなら
きっと同じ反応をするだろう。
 そう思うと…彼の反応も仕方ないかな、という気がした。

「…オレも、Mr.Rにこの提案を持ちかけられた時は本当にそんな事が出来るのか
信じられなかった。けど…オレは、Aの世界の事を覚えているんだけど…MGNに
最初に顔を出した時、まるで幽霊を見ているようなそんな眼差しを向けられた。
 けど…こっちの世界に来た時は、心配そうに…「佐伯さん、昨日は何かあった
みたいですけど…どうしたんですか?」という反応にその例の事件の目撃者で
ある女性社員の反応が大きく変わっていた。
 その時点で、信じるしかなかったよ。本当にあの人は…そんな信じられない
事を実際に行ってしまったんだって…!」

「………」

 御堂をどうにかして助けたい一心だった。
 その為なら悪魔の誘いであっても克哉は迷わず乗っていただろう。
 本来なら起こり得る筈がない出来事。
 けれどそれが実際に起こったからこそ、この目の前に示されているような
状態になってしまっている訳だった。
 あまりの事に、眼鏡は言葉を失い掛ける。だが…まだまだ、気にかかることは
何個かあった。
 そう、今…目の前で示されている通り…Bの世界に五本のマッチ棒が置かれて
いる状態。
 これの謎が明かされないことには、彼の気分も晴れることはなかった。

「大体の事は判った。だが…この中心の御堂の状態と、この五本のマッチ棒が
こっち側の世界にある事を説明して貰おうか」

「うん、その前に…もう少し御堂さんの状況を判りやすくする為に、真ん中の御堂さんは
こうさせて貰うね」

「あっ…!」

 そうして、克哉は仲間外れになっていたBの世界の御堂を差す一本をパキっと
半分に折って、片方をAの世界に。もう一方を…Bの世界にある一本の上に
乗せて重ねるように置いていった。
 そして、残り四本を二本ずつ重ねて置いて…纏めていく。
 すると…五本のマッチは二本ずつ上下にまとめられたのが二組。
 半分だけのマッチを乗せたマッチが一本置かれていく。
 一見すると5→3になったように見える光景。
 マッチ棒で例えられて、ビジュアルで見せつけられたことによって…
眼鏡はようやく、今の状況を理解して納得していった。

「そうか…この二本ずつ一組になっているのが俺とお前で…
この欠けたマッチを指しているのが、御堂と言いたい訳だな…?」

「あぁ、きっと恐らく…今はこういう状況になっているんだと思う。
そして…それぞれの世界には本来ならば、「オレ」と「お前」がワンセットで
一つの身体に収まっている筈だった。けれど…これはオレの推測なんだけど
どちらの世界の「俺」もショックで心が弱ってしまっている状態だった。
 そしてオレの心には、強い願いが宿っていた為にそのままでは…きっと
両方の佐伯克哉の肉体の主導権は…「オレ」が握ってしまう状態に
なっていたんだと思う。けど、Mr.Rは…お前の心をどうにかして残す
事に執着していた…」

「だから、Aの世界の佐伯克哉に…二つの「俺」の心を。Bの世界の
佐伯克哉には…二つのお前の方の心を宿させたと。そういう事か…?」

「あぁ…それでほぼ、間違いないと思う…」

「…っ!」

 そう、恐らく…この現状はその為によって引き起こされたものだ。
 そして…きっと、自然淘汰が知らないうちに行われて…自分たちは
知らないうちに統合してしまっていた。
 矛盾するそれぞれの世界の記憶を同時に抱き…もう一つの心と
肉体という壁を持って永遠に阻まれてしまった二人の佐伯克哉という
存在がこうして生まれてしまった訳だ。

「…なら、俺が目覚める直前に夢に見た…もう一人の狂った目をした御堂が…
もう一人の御堂を襲っているあれは…やはり…」

「あぁ、恐らく…突然命を奪われて、憎しみと無念の虜になったBの方の御堂さんが…
Aの方の御堂さんの身体に宿ってしまっているんだと思う…だから…」

 克哉はそうして、半分に割れたマッチ棒を…御堂を意味しているマッチ棒の
束をそっと指さしていく。
 だからこそ、御堂は今…苦しめられてしまっている。
 そして…記憶を奪ってしまった御堂よりも、憎悪の感情を抱いて…眼鏡に
されたことも生々しく覚えている方のが優勢になってしまっているのだろう。
 先程、息苦しくなるような…乱暴で荒いキスをこちらにしてきた御堂の…
狂気に満ちた眼差しを思い出して、胸が引き絞られそうだった。

「…二人の御堂が、一つの身体の主導権を奪い合って…争っている
状況になっている訳か…」

「うん…」

 其処まで、全てを暴かれて相手に伝えた瞬間…克哉は泣きそうになった。
 何でこんな事になってしまったんだろうと呪いたくなった。
 あらかた、説明し終えて…二人の間に重い沈黙が落ちていく。
 語るべきことがなくなれば…自分の心と向き合うしかなくなる。
 己の心に宿る、強い想いを再び思い出して克哉は唇を必死に
噛みしめるしか出来なくなった。 

―オレ『オレ』はただ、御堂さんを救いたかっただけなのに―

 二つの世界の克哉の心がその瞬間、重なり合って同時に叫んでいた。
 Rが言っていた。二つの世界を繋げてしまったのは…克哉のせいだと。
 直前まで同じ道筋を辿っていた世界。
 分岐した後も、克哉の立場はどちらも変わらず「傍観者」であり…もう一人の
自分のせいで道を大きく踏み外してしまったあの人に深く同情してしまった。
 その想いを、ほぼ同じ時間帯に願ったことが…異なる分岐をした筈の
世界を繋げる「大きな因子」となってしまった。

 だからこそ…Mr.Rはこんな大がかりな舞台を用意して彼の願いを
叶えようとしたのだ。
 なのに、自分(自分)が思い描いていた道筋は全然上手くいかなくて。
 せめて生きている方の世界の御堂だけでも平穏な日常に戻したかった。
 その一心で、身代わりだろうと…Rの言いなりだろうと、何でもやるつもり
だったのに…どうして、ここまで大きく予定は狂い続けてしまっているのだろうか…?
 そこまで考えて、克哉は嗚咽を殺しながら…知らず、ベッドの上で苦しみ続けている
御堂に向かって呟いてしまっていた。

「ごめん、なさい…」

「………」

 御堂に対して、謝った瞬間…もう一人の自分が何か言いたげに唇を動かしかけた。
 けれど彼は…何も言わずに、口を噤み続けていく。

「…オレ『オレ』はどうしたら…貴方に贖(あがな)えますか…?」

 

 苦しんで、額に脂汗を浮かべて悶え続ける御堂の元に歩み寄っていくと…
鋭い一撃で、顔を勢いよく引っかかれていく。
 頬に一筋の爪痕が刻まれ、程無くして赤い血が滴り落ちる。
 それでも克哉は…御堂の傍を離れない。
 眼鏡はその状況を見せつけられてイライラした様子で叫んでいった。

「…もう、止めろ…! 何でそんな光景を、俺に見せつける…!」

 必死になって御堂に対して謝り…罪を償おうとしている克哉の姿を見て
耐えきれないぐらいの苛立ちを覚えていった。
 御堂を欲しがって犯し続けたのも、彼から社会的な地位を奪い去ってやろうと
幾つも画策して、実際に追い詰めたのは自分の方だ。
 なのに克哉は…まるで自分が犯した罪であるかのように、謝り続けるのが…
酷く、眼鏡の心を逆撫でしていった。
 けれど…それでも、克哉の謝罪は止まらなかった。
 御堂の心がそれで済むならと…殉教者のように、身を守ろうともせずに…
焦点を失った空虚な眼差しを浮かべた御堂の攻撃をその身で受けようとする。

「止めろぉぉぉー!!」

 何かが耐えられなくなって、眼鏡は吠えていく。
 瞬間…とんでもない事が起こった。

「おい! 『俺』…! 身体が…! お前、透けて…」

「なっ…!」

 そう、彼が叫んだ瞬間…蒸気のようなものが眼鏡と御堂の身体から
立ち昇り始めて…その度に、彼らの身体が透け始めていく。
 あまりの予想外の出来事に、二人は言葉を失い掛けて混乱していく。

「何で、お前の身体がそんな、事に…っ?」

「知るか! 一体これは…何なんだっ?」

 二人がパニックに陥り掛けると、唐突に扉が開かれていった。
 そして其処に立っていたのはMr.Rだった。
 どうやら眼鏡に先程、黒いコートを剥ぎ取られてしまっていたが予備のコートを
引っぱり出して来たらしい。
 見覚えのある服装のまま入口で佇んでいる。
 ただ一つだけいつもと違う処があるとすれば、ゾっとするぐらいに
冷たい冷笑を口元に湛えて不敵に笑っているだった。
 そして克哉が困惑している間に、一方的に最終通牒を突きつけていった。

「それは…当然の結果ですよ。二つの世界を隔てる因子は…あちらの世界の
佐伯克哉さんに、全てを説明してしまった為に失ってしまった。このまま…
お二人を同じ世界に置いておけば、世界の修正は起こり…どちらかの佐伯克哉
さんが死ななければ収まらなくなる。
 だから…私は、佐伯克哉さんと御堂孝典さんの身体をあるべき世界に戻す
事にさせて頂きました。
 …そうしなければ、こちらの世界の御堂さんが…あちらの世界の御堂さんの
心を食いつぶして乗っ取りかねませんし…何より、私の主となる方が修正されて
再び命を落とされることになりますからね…」

「そんな、約束が違うじゃないですか! そんな、事って…!」

「…どんな形であれ、貴方は私との契約を…今夜の舞台に出て、当店のお客様を
存分に楽しませるという約束に不履行を出されました。そして…決してあの方には
舞台裏の事を話すな、と言っておいた筈なのに…懇切丁寧に話してしまった。
 そんな貴方に対して、私が…どうして約束を守る義務があるというのですか?
 勝手にそちらがなさるのならば、私も自由にやらせてもらうだけですよ…!」

 この男にしては珍しく、怒ったような口調で冷たく言い放っていった。
 その瞬間…克哉は背筋に冷たいものが走っていくのを感じていった。

「『俺』…御堂、さん!」

 そして克哉は必死に二人の名前を呼んだ瞬間…とんでもないものを
目の当たりにしていく。

「そ、んな…」

 そして、克哉は…御堂の方を見ながら…茫然として、言葉を失っていったのだった―
 

 
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プロフィール
HN:
香坂
性別:
女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
 鬼畜眼鏡にハマり込みました。
 当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
 とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)

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