鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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「第四十二話 楽園の崩壊」 「眼鏡克哉→佐伯克哉→五十嵐太一 三者視点」
彼は自分の身体がゆっくりと、闇の中に落ちていく感覚を味わっていた。
奇妙な浮遊感すら感じながら…彼は深い、奈落の底へと堕ちていく。
不思議と…自分の心の中に、後悔は何もなかった。
むしろ…最後の最後で、過ちを犯さずに済んだという…ある種の清々しささえも
あった。
叫び声が聞こえる。
もう一人の自分の声。
それを聞きながら苦笑し…眼鏡はゆっくりと瞼を閉じていった。
(…これで良かったんだ…だから、もう泣くな…)
そう一言、直接言ってやれたら…という気持ちはあるが、もう自分の気持ちも声も
相手に伝える術はない。
どれくらいの時間、そうやって自分は穴の底へと落下していたのだろうか。
次第に…自分と言う存在の意識の境界線が曖昧になっていった。
―ついに、眠りに落ちる瞬間が…訪れようとしていた。
(まったく…悔いがないと言ったら嘘になるがな…)
だが、自分はこのまま…この闇の中に自分を完全に溶かしてやるつもりなどない。
必ず帰ってくると、アイツとも約束した。
自分はあくまで、自分の犯した罪の清算をする為に…そしてこの傷ついた心を
一時休める為だけに…堕ちる決断を下しただけなのだから。
そう自分の罪を自らの手でこうやって正したのなら…何年後、何十年後になるか
判らないが…次に目覚めた時に眼鏡は罪悪感でもう、心を痛める事はないだろう。
過ちは犯してしまう事、それ自体が罪ではない。
やってしまった事から目を逸らしたり…自らの手で正そうとしなかったり…次に
その経験を生かそうとしない、そういう姿勢こそが真の罪なのだ。
逃げ続けていた時、彼の心は切り裂けそうになっていた。
だが…土壇場で彼は、ようやく自らの罪を認めて…それを贖った。
この闇は…心の死ではなく、安息を彼に確実に齎す事だろう。
―彼は、癒す為に眠りに落ちるのだから…。
走馬灯のように、今まで自分が関わってきた人間の顔が…瞬く間に沢山浮かび上がり
通り過ぎていく。
そしてある人物の顔を浮かべた時…闇の中に、鮮烈な光が放たれる。
「―っ!」
それはまるで、宇宙空間に北極星や…太陽が燃え盛っているかのような鮮やかな焔。
もしくは、彷徨える旅人に道標を示してくれる一番星のように光り輝いていた。
…眼鏡にはその光が、まるで…その人物が自分に戻って来いと訴えかけているように
すら感じられていた。
そう、それは彼が感じているように…今、思い浮かべた人物が心の底から願っている
祈りの気持ちの象徴。
眼鏡と二度と会えないなんて御免だっ! と願っている人物達の気持ちの結晶が
闇の中を強烈に照らし出していく。
(あぁ…必ず、戻ってくる…だから、お前も…)
その日まで、祈っていてくれるのだろうか…?
もし自分が目覚めるその日が来るまで…この光が輝いていてくれているのならば…
自分は必ず、この穴から這い上がり…もう一度、戻って来れる事だろう。
そして彼が最後に浮かべたのは…太一と、克哉の事だった。
―その時、お前達は俺を果たして笑顔で出迎えてくれるだろうか…?
そんな未来が訪れてくれれば良いと、都合の良い事を考えながら…もう身体の
感覚が遠くなっていくのを感じられた。
―凄く、単純な事だったんだな。…お互いいがみ合うんじゃなくて、好意を持って…
笑顔で接することが出来てさえいれば…俺達は、ここまで抉れる事はなかった。
そんな簡単なことに、やっと気づいたんだな…俺は…。
どこかでもう一人の自分を取られてしまう嫉妬めいた気持ちがあると同時に…
酷く羨ましいと望む羨望の感情も潜んでいた。
お前達のように、お互いに愛し愛される関係を…俺も、誰かと築きあいたかった。
だが…自分と克哉の身体は、共有されているし…意識は二つあっても、肉体は「一つ」
しか存在しない。
だから片方が誰かを選べば…もう片方は、それを諦めるしかない。それが摂理だ。
(ずっと…俺の方も身体を持つ事が叶って…アイツと幸せになれれば良いのに…)
あの謎めいた男の力を用いれば、自分も限られた時間だけもう一つの肉体を
得る事が出来るのはすでに実証済みだ。
だが…あの男は言っていた。短い時間なら、自分だけの魔力で済むが…ずっと
自分に身体を与え続けるには相応の「対価」が必要だと。
その内容を聞いて…無理だと、思った。そこまで自分以外の誰かに期待するのは
図々しいとも感じた。
眼鏡は、だから期待しなかった。その対価を…誰か他の人間が払う事までは…。
だが…最後の瞬間、剥き出しの純粋な願いを心に浮かべていく。
―俺にも、<オレ>にも…それぞれ、大事な人間が出来て…全員が…笑顔を
浮かべている未来が存在して…欲しかった…。
そうすれば…俺と太一はきっと…ここまでいがみ合う事なく、せめて…
友人くらいにはなれたのかも知れない。
他愛無い話をしながら…笑い合える…そんな関係も、在り得たのかも知れない…。
(マヌケだな…ここまでいがみ合うくらいだったら…せめて、アイツと友人になりたかったと…
それが、俺のささやかな願いだった…なんてな…)
そんな本心に苦笑しながら、彼の思考はブラックアウトしていく。
だが、それは…最後の瞬間に浮かべた小さな希望そのものであった。
叶うことがないと判っていても、せめて夢見たい…そんなささやかな望みを胸に
抱きながら彼は落ち続けていく。
その瞬間、彼自身は楽園を閉ざす決意をしていく。
もう自分達に…逃避する為の場所などいらないのだから。
余計なエネルギーを消費しない為にも、心の中にもう一つの世界などいらない。
もう自分達は子供ではないのだ。
…今の克哉には、太一がいる。
かつて…この楽園を作った頃の自分のように、一人ではない。
だから楽園そのものを壊して…そして、深く開いてしまった奈落を塞ごうと…
主人格である彼自身が決意する事により、大きく世界そのものが揺らぎ始めていく。
眼鏡の身体も、鮮烈な光そのものへと変わっていく。
この深い闇の底までも照らし出す程の閃光。
全てを一つへと戻そうと…世界が変革を始めて胎動していく。
それは楽園も、奈落も…全てを壊して溶かして…もう一人の自分が生きられるエネルギー
へと変える為の行動。
これをやる為に、自分は奈落へと落ちた。
それでも…男は諦めない。自分は…まだやるべき事があるのだから。
だから己の残された精神力の全てを燃やし尽くして、穴の底から…楽園を揺るがして…
その地盤を破壊していった。
全てを終えたその時、彼はようやく深い眠りに落ちていく…。
―自らの魂に負った深い傷を癒す為の安息へと―
その顔は己のやるべき事をやった満足感に満ちていたのだった―
*
激震が地面中を走り抜けるのと同時に、どこかから轟音が響き渡っていた。
その音から少しでも遠ざかる為に佐伯克哉は全力で走り続けていた。
突然の事態に混乱しながらも、足元に大きな亀裂と断裂が走る中…どうにか足を
動かし続けて其処から克哉は逃れ続けていた。
「一体これ…何だって言うんだよっ…!」
もう一人の自分が落ちた事で、もう死にそうなくらいに泣きたい心境だというのに…
すぐにこんな事態に襲われたのでは、泣いている暇すらなかった。
むしろ…そんな悠長な真似をしていたら、亀裂の中に飲み込まれてしまうのがオチ
だろう。
「うわぁ! …良く、映画とかそういうので…クライマックスのシーンで…建物とか
大地が崩壊するっていうのあるけど…まさか、それと一緒なの、かな…っ?」
そうだとしたら、自分は出口まで全力で走らなければならないのだが…ざっと周囲を
見回しても、それらしきものはまったく見えない。
どちらの方向に逃げれば良いのか道標すらなく、こんな事態に巻き込まれて克哉は
パニックに陥っていた。
顔中には涙の痕がくっきりと残って目元も赤く腫れていたが…今は最早、そんな事を
構っている暇すらない。
全力でせめて亀裂に足を取られないように、逃げ続ける以外の術はなかった。
「くそっ…! どっちに逃げれば良いんだ…! このままじゃ…逃げ切れないっ…!
出口は、どこにあるんだよっ! <俺>!」
恐らく、この崩壊は…もう一人の自分が引き起こしているに違いないと半ば確信しながら
思わず叫んでしまっていた。
「確かに…もう、俺達に逃げる場所なんて…いらないって気持ち判るけど、ぶっ壊すなら
オレがここを出てからにしろよっ! オレはスタントマンでも、役者でも何でもない…
しがないサラリーマンにしか過ぎないんだからなっ!」
全身全霊を込めてもう一人の自分に対して文句を言い放ちながら、定期的に
大きく揺れ続ける大地を駆け続ける。
時折起こる大きな揺れに足を取られて、思わず転んでしまったり…大地に大きく走って
いく断裂に飲み込まれそうに何度もなりながらも、彼は諦めることなく…脱出出来る場所が
どこかにないか…探し続けていった。
「うわっ!」
突然、足元が裂けて…克哉の右足が其処に飲み込まれていく。
全身で踏ん張って、土に爪すら立てながら…己の身体を支えて踏ん張って…ギリギリの
処で落下を免れる。
「諦める…もんかぁ! 絶対に…オレは太一の処に戻るんだぁ!」
そう強い意志を持って叫んだ瞬間、灰色の雲の向こうに…光の柱が現れていった。
一目見て、確信していく。
あれこそが…恐らく、この世界から出る為の…出口そのものである事を…。
「あそこかっ…?」
その光は、もう一人の自分が示してくれているような気がした。
落下する寸前、彼はあれだけ…強い意志を込めて自分の背中を押してくれていたのだ。
それなら…あの光が罠である筈がないと感じられた。
だから克哉は迷わず、光に向かって…歯を食いしばりながら走る。走り続ける。
こんな楽園の崩壊に巻き込まれて堪るかっ! という…最後の意地を胸に抱きながら―
その瞬間…最大の大きな揺れが地面を襲い…光の柱の手前の地面が、大きく
割れてしまい…其処に至るまでの道筋が壊されてしまっていた。
このままでは…とても通る事など出来ない。
それがまさに、克哉に立ち塞がる…最後の難関となっていった。
「…冗談、だろ…?」
余りの事態に、一瞬どうすれば良いのか立ち尽くしていく。
だが…あまり長い時間、こうしている訳はいかない。
このままただ待っているだけでは…いずれ崩壊に巻き込まれて、自分自身も
断裂に飲み込まれてしまうのがオチだろう。
それでは…何の為にもう一人の自分が代わりに落ちてくれたのか…判らなくなる。
(うわっ…でも、凄い深い…! けど…今なら、全力で走って飛べば…向こう岸に
渡れる範囲かも知れない…!)
裂けたばかりの大地は、ゆっくりと遠ざかっているが…まだ、距離的には
2メートル行くか行かないかくらいだ。
だが…躊躇っていては、その距離はゆっくりと広がり段々と飛び越えるには
厳しくなっていくだろう。
自分はかつて、運動部に所属していたし…体力もジャンプ力もソコソコある。
自信さえ持って挑めば、確実に飛べる距離だ。
だが失敗を恐れて身を竦ませれば…確実に落ちてしまう距離とも言えた。
(迷っている暇はないのは判っているけど…怖い、な…)
目の前に広がる穴の深さをうっかり見てしまい、ゴクンと息を呑んでいく。
あまりに心臓に悪すぎる光景だった。
だが…その瞬間、鮮烈に天空中に…声が響き渡った。
『―克哉さん』
その一言を聞いた時、思わず涙が出そうになってしまった。
太一の、声だった。
彼が…心から、自分を呼んでくれていた。
克哉は…太一からの呼びかけを聞いて、己の迷いは晴らしていく。
もう…立ち止まる訳にはいかなかった。
(逃げて堪るか…っ! ここで負けたら、何の為にもう一人の俺が…オレに生命力を
与えてくれたのか判らなくなるし…! 何より、太一に逢えなくなるなんて…嫌だっ!)
そう決意し、キッっと対岸を見つめて…克哉は一旦後ろへと下がり…全力で助走を
付けてその断裂を飛び越えようと、踏み出していく。
「いっけぇぇぇ!!」
ありったけの勇気を振り絞っての跳躍は…その瞬間、心臓が壊れてしまうんじゃないかと
いうくらいに荒い鼓動を刻んでいた。
喉はカラカラで、全身が震えてしまいそうだった。
だが…全力を出して彼は宙を飛んでいく。そして…無事、飛び越えていく!
「よしっ!!」
片膝をつきながら、対岸に着地していく。
若干、地面に膝が擦れたが今は最早そんな痛みに拘っている暇などない。
すぐに光の柱を目掛けて走り抜けていくと…もう一度、鮮明に…太一の声が聞こえていった。
『克哉さん! 起きてよっ! 貴方の声が聞きたいんだっ!』
それは心からの太一の叫び、そして望み。
克哉は彼の想いに応えるべく、走り抜けて…その光の中に身を躍らせていく。
その瞬間、己の身体が熔けるような…不思議な感覚を覚えていった。
(あぁ…オレは帰るんだ…この世界を後にして…現実、へと…)
フワリ、と浮遊感を感じながら…彼の身体はゆっくりと空へ上昇していく。
そして…彼は見た。
かつて楽園といわれていた場所が…崩壊し、荒廃していく様を…。
それは、この世界を作り出した眼鏡自身が望んだ事。
かつては…深い森に包まれ、清浄な水を湛えた泉と…美しい花畑で構成されていた
楽園と呼ばれる場所は、今では草木の一本すら生えない剥き出しの赤土の地面を晒し、
所々に大きな裂け目が刻み込まれていた。
それももうじき…完全に壊れ、そして…跡形もなく消える事だろう。
彼は…その場所が壊れる様を、消えていく様を…網膜に焼き付けていく。
ここは…そう、自分が生まれた場所なのだから。
小さかった、主人格である彼が…望み、自分を生み出した…云わば故郷に近い場所。
その崩壊を呆然と眺めながら…彼は、意識が遠ざかっていくのが判った。
この世界から…彼の存在が消えていく。
それはすなわち、現実に意識を帰していくのと同義語。
ようやく…彼は帰っていく。
もう一人の自分に強く背中を押されて「生きろ!」と言われ、心に生きる意志を
強く宿した状態で…愛しい相手の元へと。
そして…彼の身体もまた、光と同化して…その輪郭を失っていったのだった―
*
五十嵐太一は…受話器を置いていくと…険しい表情を浮かべていた。
克哉の着替えと、食料の類を購入し終えた直後…彼は覚悟を決めて、自分の
母親に電話をしたからだった。
…太一の母は巨大な企業やグループを総括して動かしているぐらいに…
表、裏世界…共に名が知れ渡っている大物である。
子供の頃から、どれくらい…自分はこの人に手玉に取られて来たか最早…
数え切れないくらいだった。
そんな相手を、一世一代の大芝居を打って…自分はダマし通したのだ。
自分がまさか…克哉の為なら、そこまで勇気を持ってやれてしまえた事に…
彼は脱力しながら…ベッドの上に、ヘナヘナと腰を掛けていった。
「はは…やった。親父なら…ともかく、あの母さんに…はっきりと逆らった上で…
嘘の情報を掴ませるなんて、俺…かなり、頑張った、よな…」
太一は今、自分はヤクザの跡目にも…母親の後継者になる事もきっぱりと断った上で
母親に遠回しに…本来向かうべき方角と逆の場所に行くように仄めかしたのだ。
立場上、嘘を嗅ぎ分ける能力が鋭い母を過去に太一が騙せた経験は殆どない。
大抵は確実に見破られるだけだ。
だが…彼はそうしなければ、母や父を欺いて…克哉の周辺に付けられている追っ手達を
どうにかしない事には普通の生活を送らせてやる事も、都内から逃げ出す事も容易では
なくなるだろう。
だから騙した。彼は本来は…都内から南に下って羽田空港から…海外に抜け出すルートを
導き出していた。
だが…母には、遠回しに…他の交通機関を使って、北を目指すとも取れる発言をして…そして
曖昧に濁したままで受話器を下ろせたのだ。
母は恐らく、自分は…「私に対しては嘘をつけない」という印象を長年抱いていた筈だ。
だから、その情報を元に全力で捜索をするだろう。
あの非合法の裏サイトを作っていたのも…自分が自由を得る為だと誤魔化していたけれど
突き詰めれば…極道をやっている祖父や、経済界の大物をやっている偉大な母親に逆らう
事が出来なかった弱さがあったから…言いなりになっていたに過ぎなかった。
そんな彼が、祖父や母の意思に逆らい…自分の意思を貫く為に行動するというのはまさに
一種の革命的行為に等しいことだった。
そこまでしてでも、太一にとって克哉と離れる事は耐え難い事だった。
どんな事をしても、結果的に母や祖父を怒らせる事になっても…もう二度と、言いなりになった
状態で夢を諦めるようなみっともない事を…太一は、したくなかったのだ。
「やれば…出来た、んだな…。眼鏡掛けた克哉さんに問い詰められた時は…俺の
事情なんて知らない癖に…って反発してた、だけだったけど…。今なら、判る。
俺は…逃げていた、だけだったんだな…」
出来たのに、やらなかった。
今…行動を起こしてみて、彼ははっきりと…その自分のみっともない姿を直視する事となった。
それはとても怖くて…耐え難いことだったけれど、この先…夢を元に未来予想図を描く為には
欠かせない工程でもあった。
いつもの克哉も、眼鏡を掛けた克哉も…同じ一人の人間であると思うよりも、別人とか…
まったく違うものとして切り離していた方が判りやすかったから、一人の人間を…「二人」いる
ように解釈していたり。
ただ逃げ回って捕まらないようにしているだけで…具体的な行動を何もしないで40日以上も
過ごしていたのも…結局は彼の弱さから起因していた。
「克哉さん…俺、やっと判った。…あの時、克哉さんが…俺を本気で怒った
意味を…。ここまで間違えて…遠回りして、やっと…少しだけ…理解出来てきたよ…」
そう眼鏡が過ちを犯していたように、彼自身もまた…事態を悪化させるだけの行動や
態度しかしてこなかった。
それが…愛しい方の克哉を追い詰めてしまっていた現実を…逢えなかった40日もの
期間中に…ようやく気づけたのだ。
失くすかも知れない。二度と会えないかも知れない。
それはその現実を前にして…やっと見えた解答だった。
彼はベッドサイドに腰を掛けながら…シーツの上に横たわる愛しい人を見つめていく。
…克哉はまだ、目覚めない。
もう彼が意識を失ってから12時間以上が経過するのに…目覚める気配を見せない彼に
向かって小さくキスを落としていく。
「克哉さん…」
大きな声で呼び掛けて、その寝顔を見つめていく。
その瞬間…ビクっとその身体が反応したように見えた。
…太一は、自分の声が彼に伝わっているように感じられて…今度ははっきりとした
声で気持ちを伝えていく。
「克哉さん! 起きてよっ! 貴方の声が聞きたいんだっ!」
そう叫んだ時…彼の身体は、大きくシーツの上で跳ねていった。
急激な変化に戸惑いながら…太一は暴れる克哉の身体を強く抱きしめて…
自分の意思を、体温を必死に伝えていく。
「起きて! 克哉さん! 俺は…俺は…貴方がいなければ…ダメなんだっ!
もう失いたくない! だから…起きてくれっ!」
強い願いを込めて、想いを告げていく。
その瞬間…長く閉ざされていた克哉の睫毛が揺れて…その青い綺麗な
瞳がゆっくりと開かれていった。
「克哉さんっ!」
心からの喜びを込めて、相手に微笑んでいく。
克哉もまた…微笑んでいく。
唇が…自然と重なり合い、お互いの瞳を覗き込んでいった。
胸に広がる幸福な気持ち。
それだけで…満ち足りた気持ちになり…笑顔で告げていく。
「お帰り…克哉さん…」
「ただいま…」
クスっとお互いに笑いながら…克哉が身体を起こそうとした刹那。
その笑顔が…固まっていった。
「あれ…どうしたの? 克哉さん…?」
その問いかけに、克哉の表情が固まっていく。
ふいに空気が硬直していくのを感じて…太一が、怪訝そうな顔を浮かべいくと…。
「…御免、オレ…身体が動かないみたい…なんだ…」
どこか悲しそうな顔を浮かべながら、ようやく観念して克哉は告げていく。
そう…半身を失い、楽園が崩壊した強烈なショックのせいで…彼は今、心と身体の連結に
大きな支障を来たしてしまっていて…指の一本も満足に動かせなくなっていたのだった―
「第四十二話 楽園の崩壊」 「眼鏡克哉→佐伯克哉→五十嵐太一 三者視点」
彼は自分の身体がゆっくりと、闇の中に落ちていく感覚を味わっていた。
奇妙な浮遊感すら感じながら…彼は深い、奈落の底へと堕ちていく。
不思議と…自分の心の中に、後悔は何もなかった。
むしろ…最後の最後で、過ちを犯さずに済んだという…ある種の清々しささえも
あった。
叫び声が聞こえる。
もう一人の自分の声。
それを聞きながら苦笑し…眼鏡はゆっくりと瞼を閉じていった。
(…これで良かったんだ…だから、もう泣くな…)
そう一言、直接言ってやれたら…という気持ちはあるが、もう自分の気持ちも声も
相手に伝える術はない。
どれくらいの時間、そうやって自分は穴の底へと落下していたのだろうか。
次第に…自分と言う存在の意識の境界線が曖昧になっていった。
―ついに、眠りに落ちる瞬間が…訪れようとしていた。
(まったく…悔いがないと言ったら嘘になるがな…)
だが、自分はこのまま…この闇の中に自分を完全に溶かしてやるつもりなどない。
必ず帰ってくると、アイツとも約束した。
自分はあくまで、自分の犯した罪の清算をする為に…そしてこの傷ついた心を
一時休める為だけに…堕ちる決断を下しただけなのだから。
そう自分の罪を自らの手でこうやって正したのなら…何年後、何十年後になるか
判らないが…次に目覚めた時に眼鏡は罪悪感でもう、心を痛める事はないだろう。
過ちは犯してしまう事、それ自体が罪ではない。
やってしまった事から目を逸らしたり…自らの手で正そうとしなかったり…次に
その経験を生かそうとしない、そういう姿勢こそが真の罪なのだ。
逃げ続けていた時、彼の心は切り裂けそうになっていた。
だが…土壇場で彼は、ようやく自らの罪を認めて…それを贖った。
この闇は…心の死ではなく、安息を彼に確実に齎す事だろう。
―彼は、癒す為に眠りに落ちるのだから…。
走馬灯のように、今まで自分が関わってきた人間の顔が…瞬く間に沢山浮かび上がり
通り過ぎていく。
そしてある人物の顔を浮かべた時…闇の中に、鮮烈な光が放たれる。
「―っ!」
それはまるで、宇宙空間に北極星や…太陽が燃え盛っているかのような鮮やかな焔。
もしくは、彷徨える旅人に道標を示してくれる一番星のように光り輝いていた。
…眼鏡にはその光が、まるで…その人物が自分に戻って来いと訴えかけているように
すら感じられていた。
そう、それは彼が感じているように…今、思い浮かべた人物が心の底から願っている
祈りの気持ちの象徴。
眼鏡と二度と会えないなんて御免だっ! と願っている人物達の気持ちの結晶が
闇の中を強烈に照らし出していく。
(あぁ…必ず、戻ってくる…だから、お前も…)
その日まで、祈っていてくれるのだろうか…?
もし自分が目覚めるその日が来るまで…この光が輝いていてくれているのならば…
自分は必ず、この穴から這い上がり…もう一度、戻って来れる事だろう。
そして彼が最後に浮かべたのは…太一と、克哉の事だった。
―その時、お前達は俺を果たして笑顔で出迎えてくれるだろうか…?
そんな未来が訪れてくれれば良いと、都合の良い事を考えながら…もう身体の
感覚が遠くなっていくのを感じられた。
―凄く、単純な事だったんだな。…お互いいがみ合うんじゃなくて、好意を持って…
笑顔で接することが出来てさえいれば…俺達は、ここまで抉れる事はなかった。
そんな簡単なことに、やっと気づいたんだな…俺は…。
どこかでもう一人の自分を取られてしまう嫉妬めいた気持ちがあると同時に…
酷く羨ましいと望む羨望の感情も潜んでいた。
お前達のように、お互いに愛し愛される関係を…俺も、誰かと築きあいたかった。
だが…自分と克哉の身体は、共有されているし…意識は二つあっても、肉体は「一つ」
しか存在しない。
だから片方が誰かを選べば…もう片方は、それを諦めるしかない。それが摂理だ。
(ずっと…俺の方も身体を持つ事が叶って…アイツと幸せになれれば良いのに…)
あの謎めいた男の力を用いれば、自分も限られた時間だけもう一つの肉体を
得る事が出来るのはすでに実証済みだ。
だが…あの男は言っていた。短い時間なら、自分だけの魔力で済むが…ずっと
自分に身体を与え続けるには相応の「対価」が必要だと。
その内容を聞いて…無理だと、思った。そこまで自分以外の誰かに期待するのは
図々しいとも感じた。
眼鏡は、だから期待しなかった。その対価を…誰か他の人間が払う事までは…。
だが…最後の瞬間、剥き出しの純粋な願いを心に浮かべていく。
―俺にも、<オレ>にも…それぞれ、大事な人間が出来て…全員が…笑顔を
浮かべている未来が存在して…欲しかった…。
そうすれば…俺と太一はきっと…ここまでいがみ合う事なく、せめて…
友人くらいにはなれたのかも知れない。
他愛無い話をしながら…笑い合える…そんな関係も、在り得たのかも知れない…。
(マヌケだな…ここまでいがみ合うくらいだったら…せめて、アイツと友人になりたかったと…
それが、俺のささやかな願いだった…なんてな…)
そんな本心に苦笑しながら、彼の思考はブラックアウトしていく。
だが、それは…最後の瞬間に浮かべた小さな希望そのものであった。
叶うことがないと判っていても、せめて夢見たい…そんなささやかな望みを胸に
抱きながら彼は落ち続けていく。
その瞬間、彼自身は楽園を閉ざす決意をしていく。
もう自分達に…逃避する為の場所などいらないのだから。
余計なエネルギーを消費しない為にも、心の中にもう一つの世界などいらない。
もう自分達は子供ではないのだ。
…今の克哉には、太一がいる。
かつて…この楽園を作った頃の自分のように、一人ではない。
だから楽園そのものを壊して…そして、深く開いてしまった奈落を塞ごうと…
主人格である彼自身が決意する事により、大きく世界そのものが揺らぎ始めていく。
眼鏡の身体も、鮮烈な光そのものへと変わっていく。
この深い闇の底までも照らし出す程の閃光。
全てを一つへと戻そうと…世界が変革を始めて胎動していく。
それは楽園も、奈落も…全てを壊して溶かして…もう一人の自分が生きられるエネルギー
へと変える為の行動。
これをやる為に、自分は奈落へと落ちた。
それでも…男は諦めない。自分は…まだやるべき事があるのだから。
だから己の残された精神力の全てを燃やし尽くして、穴の底から…楽園を揺るがして…
その地盤を破壊していった。
全てを終えたその時、彼はようやく深い眠りに落ちていく…。
―自らの魂に負った深い傷を癒す為の安息へと―
その顔は己のやるべき事をやった満足感に満ちていたのだった―
*
激震が地面中を走り抜けるのと同時に、どこかから轟音が響き渡っていた。
その音から少しでも遠ざかる為に佐伯克哉は全力で走り続けていた。
突然の事態に混乱しながらも、足元に大きな亀裂と断裂が走る中…どうにか足を
動かし続けて其処から克哉は逃れ続けていた。
「一体これ…何だって言うんだよっ…!」
もう一人の自分が落ちた事で、もう死にそうなくらいに泣きたい心境だというのに…
すぐにこんな事態に襲われたのでは、泣いている暇すらなかった。
むしろ…そんな悠長な真似をしていたら、亀裂の中に飲み込まれてしまうのがオチ
だろう。
「うわぁ! …良く、映画とかそういうので…クライマックスのシーンで…建物とか
大地が崩壊するっていうのあるけど…まさか、それと一緒なの、かな…っ?」
そうだとしたら、自分は出口まで全力で走らなければならないのだが…ざっと周囲を
見回しても、それらしきものはまったく見えない。
どちらの方向に逃げれば良いのか道標すらなく、こんな事態に巻き込まれて克哉は
パニックに陥っていた。
顔中には涙の痕がくっきりと残って目元も赤く腫れていたが…今は最早、そんな事を
構っている暇すらない。
全力でせめて亀裂に足を取られないように、逃げ続ける以外の術はなかった。
「くそっ…! どっちに逃げれば良いんだ…! このままじゃ…逃げ切れないっ…!
出口は、どこにあるんだよっ! <俺>!」
恐らく、この崩壊は…もう一人の自分が引き起こしているに違いないと半ば確信しながら
思わず叫んでしまっていた。
「確かに…もう、俺達に逃げる場所なんて…いらないって気持ち判るけど、ぶっ壊すなら
オレがここを出てからにしろよっ! オレはスタントマンでも、役者でも何でもない…
しがないサラリーマンにしか過ぎないんだからなっ!」
全身全霊を込めてもう一人の自分に対して文句を言い放ちながら、定期的に
大きく揺れ続ける大地を駆け続ける。
時折起こる大きな揺れに足を取られて、思わず転んでしまったり…大地に大きく走って
いく断裂に飲み込まれそうに何度もなりながらも、彼は諦めることなく…脱出出来る場所が
どこかにないか…探し続けていった。
「うわっ!」
突然、足元が裂けて…克哉の右足が其処に飲み込まれていく。
全身で踏ん張って、土に爪すら立てながら…己の身体を支えて踏ん張って…ギリギリの
処で落下を免れる。
「諦める…もんかぁ! 絶対に…オレは太一の処に戻るんだぁ!」
そう強い意志を持って叫んだ瞬間、灰色の雲の向こうに…光の柱が現れていった。
一目見て、確信していく。
あれこそが…恐らく、この世界から出る為の…出口そのものである事を…。
「あそこかっ…?」
その光は、もう一人の自分が示してくれているような気がした。
落下する寸前、彼はあれだけ…強い意志を込めて自分の背中を押してくれていたのだ。
それなら…あの光が罠である筈がないと感じられた。
だから克哉は迷わず、光に向かって…歯を食いしばりながら走る。走り続ける。
こんな楽園の崩壊に巻き込まれて堪るかっ! という…最後の意地を胸に抱きながら―
その瞬間…最大の大きな揺れが地面を襲い…光の柱の手前の地面が、大きく
割れてしまい…其処に至るまでの道筋が壊されてしまっていた。
このままでは…とても通る事など出来ない。
それがまさに、克哉に立ち塞がる…最後の難関となっていった。
「…冗談、だろ…?」
余りの事態に、一瞬どうすれば良いのか立ち尽くしていく。
だが…あまり長い時間、こうしている訳はいかない。
このままただ待っているだけでは…いずれ崩壊に巻き込まれて、自分自身も
断裂に飲み込まれてしまうのがオチだろう。
それでは…何の為にもう一人の自分が代わりに落ちてくれたのか…判らなくなる。
(うわっ…でも、凄い深い…! けど…今なら、全力で走って飛べば…向こう岸に
渡れる範囲かも知れない…!)
裂けたばかりの大地は、ゆっくりと遠ざかっているが…まだ、距離的には
2メートル行くか行かないかくらいだ。
だが…躊躇っていては、その距離はゆっくりと広がり段々と飛び越えるには
厳しくなっていくだろう。
自分はかつて、運動部に所属していたし…体力もジャンプ力もソコソコある。
自信さえ持って挑めば、確実に飛べる距離だ。
だが失敗を恐れて身を竦ませれば…確実に落ちてしまう距離とも言えた。
(迷っている暇はないのは判っているけど…怖い、な…)
目の前に広がる穴の深さをうっかり見てしまい、ゴクンと息を呑んでいく。
あまりに心臓に悪すぎる光景だった。
だが…その瞬間、鮮烈に天空中に…声が響き渡った。
『―克哉さん』
その一言を聞いた時、思わず涙が出そうになってしまった。
太一の、声だった。
彼が…心から、自分を呼んでくれていた。
克哉は…太一からの呼びかけを聞いて、己の迷いは晴らしていく。
もう…立ち止まる訳にはいかなかった。
(逃げて堪るか…っ! ここで負けたら、何の為にもう一人の俺が…オレに生命力を
与えてくれたのか判らなくなるし…! 何より、太一に逢えなくなるなんて…嫌だっ!)
そう決意し、キッっと対岸を見つめて…克哉は一旦後ろへと下がり…全力で助走を
付けてその断裂を飛び越えようと、踏み出していく。
「いっけぇぇぇ!!」
ありったけの勇気を振り絞っての跳躍は…その瞬間、心臓が壊れてしまうんじゃないかと
いうくらいに荒い鼓動を刻んでいた。
喉はカラカラで、全身が震えてしまいそうだった。
だが…全力を出して彼は宙を飛んでいく。そして…無事、飛び越えていく!
「よしっ!!」
片膝をつきながら、対岸に着地していく。
若干、地面に膝が擦れたが今は最早そんな痛みに拘っている暇などない。
すぐに光の柱を目掛けて走り抜けていくと…もう一度、鮮明に…太一の声が聞こえていった。
『克哉さん! 起きてよっ! 貴方の声が聞きたいんだっ!』
それは心からの太一の叫び、そして望み。
克哉は彼の想いに応えるべく、走り抜けて…その光の中に身を躍らせていく。
その瞬間、己の身体が熔けるような…不思議な感覚を覚えていった。
(あぁ…オレは帰るんだ…この世界を後にして…現実、へと…)
フワリ、と浮遊感を感じながら…彼の身体はゆっくりと空へ上昇していく。
そして…彼は見た。
かつて楽園といわれていた場所が…崩壊し、荒廃していく様を…。
それは、この世界を作り出した眼鏡自身が望んだ事。
かつては…深い森に包まれ、清浄な水を湛えた泉と…美しい花畑で構成されていた
楽園と呼ばれる場所は、今では草木の一本すら生えない剥き出しの赤土の地面を晒し、
所々に大きな裂け目が刻み込まれていた。
それももうじき…完全に壊れ、そして…跡形もなく消える事だろう。
彼は…その場所が壊れる様を、消えていく様を…網膜に焼き付けていく。
ここは…そう、自分が生まれた場所なのだから。
小さかった、主人格である彼が…望み、自分を生み出した…云わば故郷に近い場所。
その崩壊を呆然と眺めながら…彼は、意識が遠ざかっていくのが判った。
この世界から…彼の存在が消えていく。
それはすなわち、現実に意識を帰していくのと同義語。
ようやく…彼は帰っていく。
もう一人の自分に強く背中を押されて「生きろ!」と言われ、心に生きる意志を
強く宿した状態で…愛しい相手の元へと。
そして…彼の身体もまた、光と同化して…その輪郭を失っていったのだった―
*
五十嵐太一は…受話器を置いていくと…険しい表情を浮かべていた。
克哉の着替えと、食料の類を購入し終えた直後…彼は覚悟を決めて、自分の
母親に電話をしたからだった。
…太一の母は巨大な企業やグループを総括して動かしているぐらいに…
表、裏世界…共に名が知れ渡っている大物である。
子供の頃から、どれくらい…自分はこの人に手玉に取られて来たか最早…
数え切れないくらいだった。
そんな相手を、一世一代の大芝居を打って…自分はダマし通したのだ。
自分がまさか…克哉の為なら、そこまで勇気を持ってやれてしまえた事に…
彼は脱力しながら…ベッドの上に、ヘナヘナと腰を掛けていった。
「はは…やった。親父なら…ともかく、あの母さんに…はっきりと逆らった上で…
嘘の情報を掴ませるなんて、俺…かなり、頑張った、よな…」
太一は今、自分はヤクザの跡目にも…母親の後継者になる事もきっぱりと断った上で
母親に遠回しに…本来向かうべき方角と逆の場所に行くように仄めかしたのだ。
立場上、嘘を嗅ぎ分ける能力が鋭い母を過去に太一が騙せた経験は殆どない。
大抵は確実に見破られるだけだ。
だが…彼はそうしなければ、母や父を欺いて…克哉の周辺に付けられている追っ手達を
どうにかしない事には普通の生活を送らせてやる事も、都内から逃げ出す事も容易では
なくなるだろう。
だから騙した。彼は本来は…都内から南に下って羽田空港から…海外に抜け出すルートを
導き出していた。
だが…母には、遠回しに…他の交通機関を使って、北を目指すとも取れる発言をして…そして
曖昧に濁したままで受話器を下ろせたのだ。
母は恐らく、自分は…「私に対しては嘘をつけない」という印象を長年抱いていた筈だ。
だから、その情報を元に全力で捜索をするだろう。
あの非合法の裏サイトを作っていたのも…自分が自由を得る為だと誤魔化していたけれど
突き詰めれば…極道をやっている祖父や、経済界の大物をやっている偉大な母親に逆らう
事が出来なかった弱さがあったから…言いなりになっていたに過ぎなかった。
そんな彼が、祖父や母の意思に逆らい…自分の意思を貫く為に行動するというのはまさに
一種の革命的行為に等しいことだった。
そこまでしてでも、太一にとって克哉と離れる事は耐え難い事だった。
どんな事をしても、結果的に母や祖父を怒らせる事になっても…もう二度と、言いなりになった
状態で夢を諦めるようなみっともない事を…太一は、したくなかったのだ。
「やれば…出来た、んだな…。眼鏡掛けた克哉さんに問い詰められた時は…俺の
事情なんて知らない癖に…って反発してた、だけだったけど…。今なら、判る。
俺は…逃げていた、だけだったんだな…」
出来たのに、やらなかった。
今…行動を起こしてみて、彼ははっきりと…その自分のみっともない姿を直視する事となった。
それはとても怖くて…耐え難いことだったけれど、この先…夢を元に未来予想図を描く為には
欠かせない工程でもあった。
いつもの克哉も、眼鏡を掛けた克哉も…同じ一人の人間であると思うよりも、別人とか…
まったく違うものとして切り離していた方が判りやすかったから、一人の人間を…「二人」いる
ように解釈していたり。
ただ逃げ回って捕まらないようにしているだけで…具体的な行動を何もしないで40日以上も
過ごしていたのも…結局は彼の弱さから起因していた。
「克哉さん…俺、やっと判った。…あの時、克哉さんが…俺を本気で怒った
意味を…。ここまで間違えて…遠回りして、やっと…少しだけ…理解出来てきたよ…」
そう眼鏡が過ちを犯していたように、彼自身もまた…事態を悪化させるだけの行動や
態度しかしてこなかった。
それが…愛しい方の克哉を追い詰めてしまっていた現実を…逢えなかった40日もの
期間中に…ようやく気づけたのだ。
失くすかも知れない。二度と会えないかも知れない。
それはその現実を前にして…やっと見えた解答だった。
彼はベッドサイドに腰を掛けながら…シーツの上に横たわる愛しい人を見つめていく。
…克哉はまだ、目覚めない。
もう彼が意識を失ってから12時間以上が経過するのに…目覚める気配を見せない彼に
向かって小さくキスを落としていく。
「克哉さん…」
大きな声で呼び掛けて、その寝顔を見つめていく。
その瞬間…ビクっとその身体が反応したように見えた。
…太一は、自分の声が彼に伝わっているように感じられて…今度ははっきりとした
声で気持ちを伝えていく。
「克哉さん! 起きてよっ! 貴方の声が聞きたいんだっ!」
そう叫んだ時…彼の身体は、大きくシーツの上で跳ねていった。
急激な変化に戸惑いながら…太一は暴れる克哉の身体を強く抱きしめて…
自分の意思を、体温を必死に伝えていく。
「起きて! 克哉さん! 俺は…俺は…貴方がいなければ…ダメなんだっ!
もう失いたくない! だから…起きてくれっ!」
強い願いを込めて、想いを告げていく。
その瞬間…長く閉ざされていた克哉の睫毛が揺れて…その青い綺麗な
瞳がゆっくりと開かれていった。
「克哉さんっ!」
心からの喜びを込めて、相手に微笑んでいく。
克哉もまた…微笑んでいく。
唇が…自然と重なり合い、お互いの瞳を覗き込んでいった。
胸に広がる幸福な気持ち。
それだけで…満ち足りた気持ちになり…笑顔で告げていく。
「お帰り…克哉さん…」
「ただいま…」
クスっとお互いに笑いながら…克哉が身体を起こそうとした刹那。
その笑顔が…固まっていった。
「あれ…どうしたの? 克哉さん…?」
その問いかけに、克哉の表情が固まっていく。
ふいに空気が硬直していくのを感じて…太一が、怪訝そうな顔を浮かべいくと…。
「…御免、オレ…身体が動かないみたい…なんだ…」
どこか悲しそうな顔を浮かべながら、ようやく観念して克哉は告げていく。
そう…半身を失い、楽園が崩壊した強烈なショックのせいで…彼は今、心と身体の連結に
大きな支障を来たしてしまっていて…指の一本も満足に動かせなくなっていたのだった―
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女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
鬼畜眼鏡にハマり込みました。
当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)
当ブログサイトへのリンク方法
URL=http://yukio0201.blog.shinobi.jp/
リンクは同ジャンルの方はフリーです。気軽に切り貼りどうぞ。
…一言報告して貰えると凄く嬉しいです。
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