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鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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 以前に書いた残雪を、改めて構成し直して再アップ
したお話。太一×克哉の悲恋です。
 1話と2話は以前にアップしたものの焼き直しですが…
3話目以降からは一からの書き直しになります。
 書き掛けで止まっている話の方は(不定期連載)の方に
あります。

 残雪(改) 
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―人との出会いには、必ず別れが存在する

 永遠に続く関係など本来ならば在りはしない。
 どんな生物でも死という概念からは逃れる事は出来ず、
どれだけ親しくなっても、愛し合っても…寄り添い共に人生を歩く決断をして
伴侶という存在になっても、死という別離からは人は逃れられない。
 なら、人を愛する事は無意味なのだろうか?
 それは否である。
 
 例えどれだけ一緒にいた時間が短くても、誰かを真剣に想い…
その心にお互いの存在を刻む事が出来たならば。
 両者の想いがそれぞれの心の中で輝き、明るい光をもたらす事が
出来たならば…出会った事に充分、意味があるのだ。
 例え死という別れが訪れてしまっても。
 相手が与えてくれた気持ちは、受け取った相手がしっかりと抱きとめて
いる限りは永遠のものとなる。
 大事なのは…相手からの気持ちを真摯に受け止める事と、それを
忘れずにいる事なのだから…。

―克哉さん、やっと会えたね…

 2年ぶりにアメリカから帰国して、久しぶりに日本の土を踏んだ翌日…
父の報告を受けて五十嵐太一は佐伯克哉の墓へと訪れていった。
 あの雪の日に最後に出会ってから、そして…今でも大切に持っている
石を受け継いだ日からはもう五年以上の月日が流れた。
 佐伯克哉の墓の周辺には幾つかの桜の木が植えられていて…
今の時期は見頃を迎えていた。
 季節は春を迎えて…すでに気候は暖かくなっている。
 けれど、こうして克哉の墓を前にすると…鮮明に思い出されるのは
やはりあの雪の日の記憶だった。
 太一と、その父親は花束と線香と柄杓、そして木桶に水を組んで
墓の前に訪れていた。
 線香に火を灯すと、それぞれが半分ずつ持って…静かに墓前に
置いていった。
 そしてそれぞれ…様々な想いを胸に秘めながら静かに黙祷を
捧げていった。
 五分程度した頃、太一がそっと口を開いていった。

「親父、ちょっと…克哉さんと二人で話して良いかい?」

「あぁ、線香と花はもう捧げたからな。…お前の方がこの人との縁が
よっぽど深い訳だし…車の方で待っている。終わったら来い」

「ああ…サンキュ。ゆっくりと語り終わったら戻るよ」

 父にそう軽口を叩いていきながら、人払いをしていった。
 そうしてようやく克哉と一対一で話す事が出来た。
 死人は口なし、と良く言う。
 死んでしまって墓に入ったら実際に語り合える訳でも…やりとりが
出来る訳ではない。
 それでも人が死んだ後に墓を作るのは、一種のその人への敬意や
愛情から派生するものだ。
 例え肉体が滅んでも、関わった人達の中からその人物の記憶や
思い出が消えさる訳ではない。
 葬式も、墓も…生きている人間が、死者への想いを断ち切る為に…
そして「死んだ後も思い遣る」為に存在している。
 今の太一が、まさにその心境だった。
 目の前に…大切な人がいるのと同じように、柔らかい笑みを微笑みながら
ゆっくりと墓の下の克哉に語りかけていった。

「…克哉さん、俺…夢が叶ったんだぜ。MGNの専属のCM曲の
アーティストになるって形で援助を受けてさ、アメリカの方では最近は
結構認められて来ているんだ…。結構、俺…頑張っているんだぜ。
克哉さんと同じサラリーマンに一度なるって決意した時は、こんな風な
未来が待っているなんて予想してもいなかったけどさ…。後、ついに
克哉さんの年を俺、抜いちゃったね。今は俺の方が…年上になるのかな。
そう思うと、ちょっと変な気持になるね…」
 
 現在の太一は28歳、27で最後を迎えた克哉の年齢よりも上に
なってしまっていた。
 克哉が五年前に死んでいるというのは…父から車の中で聞いた。
 だから克哉はあの雪の日の直後には死んでいるというのを今は
太一は知っていた。
 墓を前にしながら…ただ、克哉の面影を脳裏に描いていった。
 思い出の中の克哉はいつだって、儚く優しく微笑み続けている。
 桜の下に克哉が立ってその表情を浮かべているような…そんな幻を
見ながら…太一は言葉を続けていった。

「…克哉さんがさ、最後に俺に…優しさをくれた。あったかい想いをくれた。
その気持ちが…俺に夢を思い出させてくれたんだ。それで…克哉さんが
どんな気持ちでサラリーマンをやっていたのか理解したかった。
だから一度はMGNに勤務したんだ。その経験のおかげで今…俺は
結構OLやサラリーマンに共感して貰えるような曲や詩を書けるようになった。
…本当に今でも克哉さんに俺は助けられているって実感している。
だからこれからも…ずっとこれを大切にするから…」
 
 そうして、太一は静かに掌にお守りを乗せて相手に見せていった。
 克哉が最後に渡してくれた石、キラキラと変わらずに輝くダイヤモンドは
今も彼の心に温かいものを残してくれている。
 眼鏡を掛けた方の克哉とはいがみあって、険悪な関係だった。
 それが一時はどれだけ太一を荒ませていたのか…何もかもに絶望して
やけっぱちになっていた時期もあった。
 けれど…嫌な事も良い事もひっくるめて、太一は今でも彼を愛している。
 長い年月を経たからこそ…苦い記憶も一緒に、彼の中では昇華して…
それでも克哉を愛しているという結論を導き出した。

「…けど、出来るならさ…。俺、克哉さんに傍にいて欲しかった。
人生のパートナーとして…一緒に歩んで欲しかった。
貴方と一緒に成功を分かち合いたかったし、もっと触れ合いたかったし…
克哉さんを全身で愛したかった。それがもう叶う日は来ないのは残念だけど…
今では仕方ないな、と諦めている。…俺が、どちらの克哉さんも愛する事が
出来たなら…きっと違う未来が来ていたかも知れない。けど、あの頃の
俺は未熟で…貴方の良い面だけを見て、裏側の面を嫌悪してしまったから。
全てをひっくるめて克哉さんなんだって、そんな当たり前の事を判るのに…
何年もかかってしまったからね、俺は…」

 苦笑しながらそれでも言葉を続けていく。
  あの雪の日は今、思い返せば本当に短い時間しか会えなかったから。
 克哉の気持ちと想いを、こちらに伝えるだけで精いっぱいで。
 太一は己の心情や考え、そういった全てを口にするだけの時間は
存在しなかったから。
 だから彼は、墓という形になってしまっても…胸に秘めていたものを
全て相手にぶつけていく。
 この五年間、自分を支え続けていた…何よりも強い芯を。
 そしてあの頃の己の弱さや未熟さも、全て踏まえた上で…。
 やっと振り返ってあの頃を見つめ直す勇気が持てた。
 この恋が叶わなかった理由は、極めて単純だったのだ。
 あの人の…別人格をひっくるめて愛する事が出来なかった。
 もう一つの心を自分は忌避して、否定して攻撃をし続けてしまったから。
 二つの克哉の意識がどんな風に繋がっているのかなんて判らないけれど。
 太一の中にも荒んで何もかもどうでも良い、壊してグチャグチャに
してやりたいと思う黒い心と…陽の当たる場所で生きていきたい、
音楽を何よりも愛する白い心が同居する訳なのだから…。

―誰だって二重人格的な要素は存在する…相反する、ジキルとハイドの
ような極端な二面性は…殆どの人間の中に在るものなのだ…
 
 この五年間で様々な人間と接した。
 人の汚ない心や、綺麗な気持ちも沢山見て来た。
 サラリーマン社会や、日本とアメリカのそれぞれ異なる地で生活を
した経験や…音楽活動を通じて、学生だった時代とは比べ物にならない
ぐらいに沢山の経験を重ねて来た。
 そうして視野が広がった事で太一は…ようやく、克哉の二面性を、
二重人格をごく自然に受け入れられる心境にまで達したのだ。

「今でも、貴方を愛している…克哉さん…ずっと、俺の中から
この気持ちは消えない…」

 そして、やっと…この人に愛していると気持ちをぶつけていく。
 その瞬間…堰を切ったように太一の目から涙がポロポロと零れていった。
 どれだけ月日が流れても。
 例え相手がこの世からいなくなってしまっても残る気持ちが存在する事を
太一は克哉を愛して初めて知った。

―俺が生きている限り、きっと…この気持ちは永遠だ…
 
 死んでも残る想いがある。
 すでに相手が消えてしまっても、誰に何と言われようと己の中で
生き続ける感情がある。
 それはきっと『愛』と言われるもの。
 独占欲やエゴや、過度の相手への期待や…否定や、そういった先に
潜んでいる強くて純粋な気持ち。 
 それを太一は、自覚した。
 
「克哉、さん…克哉、さん…!」
 
 壊れた機械のように、ただ愛しい人の名前を呼び続ける。
 こんなにもこの人を想っていた自分を、ようやく理解していく。
 克哉が死んでいる事など、そして最後に逢った克哉が幽霊のような
ものであった事も太一は薄々とは気づいていた。
 その現実を受け入れる為に、それでも最後に自分の元に訪れてくれた
嬉しさや切なさを全てひっくるめて、太一は泣き続ける。
 五年前から自分の心の中で凍り続けていた想いが…やっと涙と
いう形になってキラキラと落ちていく。

―貴方を、愛している…俺は、ずっと…他の誰かを愛するようになっても…
それでも俺の中には貴方の存在は残り続けていく…それは間違いないから…

 そしてその克哉の愛こそが、辛い事があっても彼を支えていく。
 見えない手で守られ、庇護されるように。
 苦難の時に、彼の心を照らす希望となって…
 太一はそうして…彼に捧げる愛の歌を口ずさんでいった。
 MGNの新商品に採用される事が決まった一番の自信曲を。
 何よりも克哉への想いを散りばめた一曲を…この人を愛していると
日本中、世界中に叫んでいるに等しい一曲を…。

―黒い貴方も、白い貴方もひっくるめて今の俺は愛しているから…

 そんな、太一の生々しくも強い想いが込められた一曲を…
墓の下の克哉に向かって歌い続ける。
 心を揺さぶるような力強さに満ち溢れた声だった。
 その瞬間、太一は幻を見た。

―ありがとう…太一…嬉しいよ…(悪くない曲だな…)

 二人の克哉の声が、はっきりと重なりながら聞こえていった。
 優しい声と、ぶっきらぼうな声。
 それを聞いて…太一は、言葉を失っていった。

「克哉、さん…今の…」

 たった一言、幻聴かも知れない声。
 けれどそれだけで彼には充分だった。
 強く強く、自分の手に残っているあの日の気持ちの結晶を握りしめていった。
 これはまるで、永遠に消えない雪みたいだ。
 雪は本来、儚く消えてしまうものなのに…白く輝き続けるダイヤモンドは
消えずに残り続ける雪の結晶のように太一には感じられた。
 想いにとらわれていると、人は見るかも知れない。
 けれど…それでも彼はもう構わなかったのだ。

「…一言でも、言葉を返してくれてありがとう…。克哉さんに気に入って
貰えたなら何よりだよ…。それじゃあ、俺はそろそろ行くから…」

 まだまだ語りたい事や、伝えたいものは一杯あったが夕方からは
またこなさなくてはいけないスケジュールがみっしり詰まっている。
 そろそろ東京に帰らないといけないという理性をどうにか働かせて…
太一は名残惜しげに墓から背を向けていった。

「けど、また会いに来るよ…。ここに、貴方がいるんだから…」

 きっと、太一が生きている限り…彼は時々にでも、ここに克哉と
語らいに来るだろう。
 今の自分は、きっとこの人と出会わなければいなかっただろうから。
 苦しい事やドロドロした気持ちの果てに、ようやく彼は真実を見つけられたから。
 もう揺らがない。
 傍に克哉がいなくても…残された愛情は今も、太一の心に織り込まれて
血と肉となっているのだから…。

『またね、克哉さん』
 
 さよなら、ではなく…また来ると、その意思を込めていきながら
彼はお寺の駐車場へと向かっていく。
 桜の花がヒラヒラと風が吹く度に舞い散って、心地よい風が
吹きぬけていった。

「さて、これからも頑張らなきゃな…次に来た時に克哉さんに
胸を張って近況報告出来るように…」
 
 そうして前向きに、未来を見据えていきながら…彼は
そう呟いていった。
 死んでも、本当の想いが残せればそれは人を生かして、希望の
光へとなっていく。
 克哉があの日託した石にはそれだけの力があったから。
 だから太一はこれからも大切にするだろう。

―克哉が残してくれたキラキラと輝く、白い石を…彼が生きている限りずっと…

 
 

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以前に書いた残雪を、改めて構成し直して再アップ
したお話。太一×克哉の悲恋です。
 1話と2話は以前にアップしたものの焼き直しですが…
3話目以降からは一からの書き直しになります。
 書き掛けで止まっている話の方は(不定期連載)の方に
あります。
 20で完結させる予定でしたが、長くなりそうなので
二回に分けて掲載します。ご了承下さいませ(ペコリ)

 残雪(改) 
                  10   
                 
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 そして克哉から最後の想いを託された日から、五年あまりの時間が
経過していった。
 三年間、サラリーマンを務めた太一は…その期間内に、自分が手がけた
商品のタイアップ曲を自らが手がけたいと申し出た事がキッカケで
上司の御堂に、MGNが手がける商品のCMソングを優先的に作る事を
条件に支援を受ける事となり、二年前からアメリカに渡って音楽の
勉強に専念する事となった。

 太一がMGNに受けて、採用される事になったのも克哉がその縁を
引き寄せてくれたからであった。
 彼が通っていた大学のOBである御堂を訪ねた際に…その理由として
プロトファイバーの営業を担当していた克哉の話題が登ったからだ。
 最初はそれで第一印象は最悪に近くなったが、太一が本気でこの会社で
働いてみたいと望んだ事で態度は軟化していき、偶然にも御堂が関係している
部署に配属された事から、意気投合するとまではいかなかったが、案外良い
上司と部下の関係は築けていたのだった。
 太一の実家の事が問題となり、CM曲を作るアーティストとして支援する事に
上層部が難色を示した時も積極的に説得をしてくれたのも御堂だった。
 そうして太一は結果的に、克哉と結ばれた場合に辿る経路に限りなく
近い未来を進んでいきながら…日本で、アーティストとして認められていった。
 克哉からの強い加護が、彼を本来あるべき場所へと導いたかのように…。
 そうして二年ぶりに日本の地を踏んだ太一は、父から佐伯克哉の墓を
見つけたという報告を受けて…父と一緒にその地へと向かっていった。
 二年ぶりに逢う息子の顔は精悍になっていて、もう立派な大人の男の顔へと
変わっていた。
 サラリーマン時代は黒く染めていた髪も今では以前のように鮮やかな
オレンジ色へと伸ばして、それなりに長く伸ばされていた。 
 落ち着いた色合いのワインレッドのシャツに、黒の革ジャンやパンツ、
ブーツで統一された服装を纏ってサングラスを掛けている太一は
本当にミュージシャンとしての雰囲気を纏わせていた。

(…結局、お前は自分の夢を叶えたな…。あの人を理解したいと言って…
サラリーマンになると言った時は夢もあきらめるかと思っていたが…
結局、叶えちまったな…コイツは…)
 
 日本に帰って来たのは昨日の夜の話だったが、その間も非常に
過密なスケジュールで動かされたようだった。
 だが、墓参りはすぐにしておきたいと言っていたので睡眠を削って
働きづくめだったようだ。
 そのおかげで太一は車の中ですっかり熟睡していた。

(…死んでも、想いは残るか…)

 太一が五十嵐の家の呪縛から逃れて、こうしてアーティストとして
成功するようになったのは…佐伯克哉の想いが、彼を護っているからだと…
父親も感じるようになっていた。
 本来なら一度留年している学生がMGNなんて大企業から内定を取るなど、
かなり厳しい事だろう。 
 だが入社してから太一の事を盛りたてて、音楽の勉強をするように勧めたのも
克哉と縁があったその御堂という上司の存在があったからだった。
 見えない糸に手繰り寄せられるように…太一は、陽の当たる場所での
未来を掴み始めている。
 その事を噛みしめていきながら…父親は、疲れている息子を少しでも
休ませてやろうと安全運転を心掛けながら…埼玉県の外れにある
佐伯克哉の墓所へと向かっていた。

―克哉さんの墓が見つかったなら絶対行く! それは俺の最優先事項だから…

 長い年月を経て、やっと…息子を墓にまで連れて行こうと決意して
一昨日電話した時に、太一は迷いなくそういった。
 今でも息子の心の中には、克哉への強い想いで満たされているのだろう。
 その事に後悔の念は今も尽きなかったが…自分が殺してしまった男の
心の内を見せられた一件から、太一の父は覚悟を決めて…義父の意思に
逆らう事になっても、息子の夢を支援するようへと変わった。

(あの件がなかったら…俺はいつまでも義父の顔色をうかがって
真剣に太一の味方になってやる事も出来ずしまいだったな…)

 この五年間は、太一の父にとっても戦いの日々だった。
 どんな手を使っても自分の跡継ぎに据えようとする五十嵐組のトップである
寅一に必死になって跡継ぎにさせるのをあきらめさせるように画策して奔走
していたのは他ならぬこの父だった。
 その努力がやっと実ったから、こうして太一を帰国させる事が出来る
段階にまで達した訳だった。
 だが、それくらいしなければ…克哉に対して償いが出来ないと想ったから、
男は腹を括っていた。

―一生、その秘密を息子さんに隠すぐらいの覚悟は持って下さい…

 そして、あの夜に太一と二人の佐伯克哉の間に起こった一連の出来事を
見せてくれたあの謎起き男性の言葉が、繰り返し脳裏に蘇る。

「安易に…懺悔して、楽になっては駄目、か…。本当に…それが
一番の罰だよな…」

 息子が寝ている事を確信しているからこそ、父は苦い心情をそっと
呟いていく。
 だからこそ、佐伯克哉を男は忘れる事が出来ない。
 そしてその罪の意識が生々しく息づいているからこそ…彼の中では
克哉の分も、太一の味方にならなければという想いが息づいているのだ。

「太一…もうじき、お前の大切な人の元に連れてってやれる…。もう少しだぞ…」

 佐伯克哉の墓は、様々な裏側の事実を知ってから手を回してすぐに
作らせた。
 彼の実家に知らせて、はっきりと名乗り上げる事はしなかったが…墓の
費用は全部、男が代わりに持つ形で…遺骨も静かに遺族へと引き渡したのだ。
 墓を作ってから五年近く経つのに、今まで太一に告げる事が出来なかったのは
罪悪感の為だ。
 だが…せめて、こういう形になってしまっても…彼らを引き合わせれば、
すこしはこの胸の痛みは和らいで、過去の過ちの清算が出来るだろうか。
 そう願って男はハンドルを握り…そして、もう目的地の間際へと
迫っていった。

「おい、そろそろ着くぞ…もう起きたらどうだ、太一…」

「ん~判った…今、起きるよ…親父…」

 そうして寝ぼけ眼で後部座席から起き上がる息子を眺めると…父は
知らずに微笑んでしまっていた。 

「ああ、お前の大事な人間に逢いに行くんだから…シャキっとしろ!」

「はいはい、判りましたよ…もうじき、会えるね…克哉さん…」

 そう呟きながら…今も大事に持っているあの石をそっとポケットから
取りだして…愛おしそうに太一はそっと握りしめて、目を伏せて
いったのだった― 

以前に書いた残雪を、改めて構成し直して再アップ
したお話。太一×克哉の悲恋です。
 1話と2話は以前にアップしたものの焼き直しですが…
3話目以降からは一からの書き直しになります。
 書き掛けで止まっている話の方は(不定期連載)の方に
あります。

 残雪(改) 
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  彼らの物語の観察者である太一の父は、ずっと謎であった場面を
見届ける事でガクっと崩れ落ちそうになった。
 だが、それでも…まだ、許される事なく…もう一つの場面を最後に
見せられていく。

―後、もう一つ…この場面を持って、二人の佐伯克哉さんと五十嵐太一さんの
道筋を追う旅は終わります…

 きっとそれが、男にとっては苦痛を与える場面である事を承知の上で…
Mr.Rは死にゆく者の心の世界で起こった出来事をそっと見せていった。
 男はそれを黙って受け入れていく。
 まるでそれが…息子の最愛の人間を、親としてのエゴで手に掛けて
しまった贖罪であるかのように…。
 そして、ゆっくりと命の灯が絶えようとしている…佐伯克哉の意識へと
再びシンクロしていった。

                      *
 
 ―死の瞬間を迎えたその時…彼の世界は、少しずつ暗闇に
閉ざされようとしていた

(俺は…このまま、死ぬのか…)

 身体の感覚は、当に全て失われてしまっていた。
 あれ程強烈に感じていた痛みも苦しみも、すでに肉体を失って
しまったからだろうか。もう彼は痛覚という形で感じる事もなかった。
 Mr.Rに手を差し伸べられた時に…己の命を存命させるよりも、もう一人の自分に
太一を会わせる事の方を優先して、その決断をした時から緩やかに深い地の底に
落ちてるような、水の中に浮かんでいるような奇妙な感覚を覚えていた。
 どうして最後の最後に、そんな気まぐれを起こしたのか自分自身でも
理解出来ないまま…たた、男は何もない空間に自分の意識が浮遊
しているのを感じていた。
 あの世、というものがある事を眼鏡は信じていなかった。
 死ねば人間は其処で終わりだ、と思っている。
 だからこそ死後の世界に期待など持っていないし…それにきっと自分が
行く事になるのは地獄の方だと判り切っていたからだ。

(あいつと太一は…少しでも話せたのか…?)

 Mr.Rに最後の願いを告げた瞬間、眼鏡の意識ともう一人の克哉の意識の
力関係は逆転して…彼の方の意識が今度は内側に取りこまれる事になった。
 そのせいで、外では何が起こったのか良く判らなかった。
 黒衣の男の力を持ってしても…与えられる時間はごく僅かだとも
最初から言われていた。
 だが、それでも…もう一人の自分がずっと後生大事に持っていたあの石を
太一に渡すぐらいは出来たのだと信じたかった。

―うん、渡せたよ…『俺』…

「っ…!」

 だが、眼鏡がそう考えた瞬間…はっきりともう一人の自分の声が
聞こえていった。
 思わず驚愕の顔を浮かべていくと…ゆっくりと白い光と共に暗闇の中へと
克哉の意識が舞い降りて来た。
 暗闇に閉ざされていた瞬間に淡く優しい光が満ちていく。
 そんな中で…克哉は穏やかに微笑んで、眼鏡の意識と対峙していった。

「…どうして、お前が…ここに…」

「…オレとお前は一蓮托生だから…。もうじき、死ぬのなら…最後に、お前とも
少しは話しておきたい…と思っちゃダメかな…」

「…どうしてそんな事を考えた? 俺はお前と太一の関係をグチャグチャに
したようなものだぞ…?」

「けど、最後にこうして話す機会を…オレの想いを叶えるチャンスを
与えてくれたのも確かだろう…? ありがとう…これで悔いはなくなったよ…」

 あまりに克哉が穏やかに笑うので、眼鏡の胸の中が大きくざわめき
始めていく。
 心の世界でこうして向かい合いながら会話をするのは、どれくらいぶりの
話なのだろうか。
 同じ身体を共有していながら…意思の疎通をする事がなかった二人は…
人生の終わりの間際、精神世界にて対峙していく。

「…お前は、俺が憎くないのか…? お前から肉体の主導権を奪ったのは
間違いなく俺なんだぞ…?」

「ううん…元々の発端は、オレが…あの一件から目を逸らす為に逃避するのを
望んだからだし。オレの弱さが招いた事だから…。お前とオレは同じ人間
なんだから、お前が間違いを犯したら…オレの罪でもあるのだと。
其処から逃げようとしたのが…そもそものオレの過ちだったんだよ。
それで主導権を奪われたのなら…自業自得。オレ自身が責任を
取る事を放棄したから…こうなってしまったんだから…」

「ああ、確かにそうだが…だが…」

「…それでも、お前はあの石を捨てないでくれた。そして…オレの意識を
消そうとしなかった。そして…あの石を渡す機会まで与えてくれた。
オレにとってはもうそれだけで充分…感謝しているから。
だから人生の最後に、罪の意識を抱えて…一人さびしく消えていこうと
しないでよ…『俺』…」

「っ…! お前、は…」

 そうして克哉は、眼鏡を掛けた方の意識を抱きかかえていった。
 その瞬間に、相手が胸に抱え続けていた孤独や痛みがものすごい勢いで
克哉の中に伝わってくる。
 そんな彼の心を癒すように、克哉は強い力で相手を抱きしめていく。

―もうじきオレ達は消えてしまうんだ…。なら人生の最後に恨みや憎しみを
抱くのは止めたいんだ…。自分自身を憎んでも…空しいだけだから。
お前と、オレは…同じ人間なんだし。やっとその事を…最後になって
受け入れられたよ…

 そうして克哉はどこまでも達観したような笑みを浮かべていった。
 その言葉に…思わず泣きそうになる。
 だが、図星だった。
 眼鏡は…最後に自分が救われる事など、一切期待していなかった。
 誰にも泣かれる事なく、孤独な死を迎える事になっても…それは因果応報、
自分がした事に対しての当然の報いだと思っていたから。
 だから今、差し伸べられている救いの手が信じられなかった。
 感覚も何もかもが失われつつある中、克哉の温かさだけはしっかりと
感じられて、眼鏡は…がっくりと項垂れていった。
 
「お前は…馬鹿だ。どうして…俺を、許そうとする…」

「誰かを恨んで最後を迎えたくないんだ…。せめて、この優しい気持ちを…最後に
太一と話して、取り戻したこの温かい気持ちをしっかりと抱きながら…
オレは、死にたいから…。それに今になって、お前がどれだけの痛みを
抱えて傍にいたのか…理解、出来るから。だから…もう、自分を責めないで欲しい。
オレは、最後に…お前に感謝を伝えた上で、息絶えたいから…」

「ちっ…どこまで、お人よしなんだ…お前は…!」

「…お前だって、充分お人好しだよ。だって…オレと太一を会わせる機会を
作る為に、自分が助かる可能性をつぶしてしまったんだから…」

 そう憎まれ口を叩いていくが、克哉は意地っ張りなもう一人の自分を強く
抱きしめていった。
 今なら理解出来る。
 どれだけ言葉に出さなくても、眼鏡もまた…太一を想っていたのだと。
 最後に願った事が、自分の命を助ける事よりも…太一と克哉を会わせる事を
優先したのがその証だ。
 行動に、人の想いは確かに現れるから。 
 それが今になって理解出来たからこそ、克哉は全ての怒りも憎しみも
流して…許す形で、終焉を迎える事を願ったのだ。
 だから克哉はそんな自分を抱きしめる。
 孤独なまま、お互いに死の瞬間を迎えない為に…。

(やっとオレ…お前という存在を受け入れる事が出来るな…。お前を、
オレの一部でもあるお前を否定していたから…こうなってしまった気が
するから…。本当に最後になってしまったけれど…どうにか、お前の
事を受け入れる事が出来て…本当に良かった…)

 自分たちは一人ではない。
 だから、一緒に天に召されよう。
 穏やかな心を持ったまま…終わりを迎えよう。
 
 そうして克哉は赦しの笑みを浮かべていきながら強く強く…
もう一人の自分を抱きしめていく。

―チッ…仕方ないな。付き合ってやろう…

―うん、ありがとう…『俺』…

 そうして相手がそんな憎まれ口を叩いたのを聞いたのを最後に…
 二人の意識は共に闇の中へと落ちていく。
 そして本当に終焉の時を迎えたその時、初めて二人の意識が強く
重なりあった。
 最後に、二人は祈っていった。

―『どうか、太一…幸せにな…』

 眼鏡はようやく…己が赦された事によって素直に、心の奥底で
愛していた存在のこれから先の幸福を祈る事が出来た。
 そんな彼を、まるで天使か何かのように慈愛に満ちた眼差しで
克哉が見つめていく。

―やっと、素直になれたね…『俺』…

―ああ、そうだな…

 そうして白い光に包まれていきながら…二人は眠るように目を閉じていった。
 自分たちの存在が、希薄になるのを感じていく。
 それを彼らは抗う事なく受け入れて…死の瞬間を迎えていった。
 その時、二人の心は驚くぐらいに…安らかなものだった―

以前に書いた残雪を、改めて構成し直して再アップ
したお話。太一×克哉の悲恋です。
 1話と2話は以前にアップしたものの焼き直しですが…
3話目以降からは一からの書き直しになります。
 書き掛けで止まっている話の方は(不定期連載)の方に
あります。

 残雪(改) 
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―克哉はこの瞬間を、ずっと夢見ていた

 もう一人の自分に肉体の主導権を奪われてからはずっと、心の奥底で
眠り続けていた。
 眼鏡の意識を通じて微かに伝えられる否定の言葉と、自分だけを強く
求められる事に対して心を痛め続けていたせいで会う事は叶わなかったけれど
ようやく会いたくて堪らなかった、話したくて仕方なかった太一と対峙する事が
出来て克哉の瞳はうっすらと潤んでいた。

(けど、ここで泣き崩れている時間はないんだ…。オレに最後に与えられた
時間は少ない…。けれどこれは最後にあいつが与えてくれた機会なんだ。
これだけは、どうしても太一に…)

 そうして太一に強い力で抱きしめられている間、克哉は一方の腕で相手の
身体に抱きついていって、もう片方の手で白いコートのポケットを確認
するように探っていった。
 その中には小さいが、しっかりと堅い手触りがするのを感じられて
克哉は安堵の息を漏らしていった。

「…克哉、さん…やっと、会えた…」

「うん…オレもずっと、太一とこうして話したかった…。もう一度だけでも良いから…」

「…はは、両想いだね俺達。だから強くん念じていたから叶ったんだね…。
克哉さんの身体、暖かいね…」

「うん、そうだね…太一の身体も凄く温かいよ…」

 太一の手が、克哉を確認するように優しく頬を撫ぜていった。
 それだけの事に涙が出そうになるくらいに切なくなる。
 この瞬間をどれくらい待ちわびた事だろう。
 どれだけ会いたくて、焦がれる夜を過ごした事だろう。
 お互いの胸の中に万感の想いが広がり、喜びが満ちていく。

「はは、こうして抱きしめているだけで…俺、すっごい幸せだ…。克哉さんに
会える事って、こんなにも嬉しい事だったんだ…」

 太一の胸の中には、もう一人の克哉の意識に阻まれてこちらの克哉に
会うことが出来なかった期間の辛い想いがジワリ、と滲んでいるようだった。
 だが暗闇が長ければ長い程、時が満ちて機会が巡ってくれば望みが
叶えられた時の望みもまた大きなものとなるのだ。
 白い雪がフワフワと舞い散る中、二人はただ…抱き合っていく。 
 たったそれだけの事が心に染みいるぐらいに幸福で、涙が出そうだった。
 どれくらい克哉は太一の事を好きだったのか。
 太一はどれだけ、克哉を愛していたのか…お互いに噛みしめていた。

(こうして抱きしめらているだけで…涙が出そうになる…)

 もうじき、自分という存在は消えてしまう。
 だからこそ最後の瞬間まで…大好きな人とこうして会えて抱擁しあうことが出来た
この時を忘れないように強く念じていく。
 太一の匂いと体温、こうして頬や背中を擦られている感触…それらを自分の
魂に刻みつけるように。

「ねえ、オレ…ずっと太一に渡したいものがあったんだ…」

「えっ…何? 克哉さん…俺に贈り物をしてくれるの…?」

「…うん、太一が以前に…オレがプロトファイバーの営業が上手く行かなくて
凄く悩んでいた時に…サンストーンを贈ってくれただろ? お守りだって
言ってくれて…。それが嬉しかったから…お返しがしたくて、こっそりと
コレを買っていたんだ…。太一がオレにしてくれたように、機会があったら
渡そうと思っていたから…」

「えっ…マジ? 克哉さんが俺の為に何か買ってくれていた訳?
うっわ、すげぇ嬉しい…! 何々、是非渡してよ! 克哉さんの気持ちが
込められている品なら、何でも嬉しいよ!」

 その事実を明かした瞬間、太陽のように太一が笑う。
 この笑顔が本当に好きだった。
 見ているだけで心が満ちて、幸せな気持ちなれた。
 白い雪が降って空が曇天の雲に覆われている状況でも…其処だけ陽光が
輝いているようにすら感じられた。

「うん…なら、これを受け取って欲しい…。安月給のオレには、こんな小さな物を
買うのが精いっぱいだったけど…」

 そうしてさっきポケットを探って確認していた品を取り出していく。
 それはキラキラと輝く雪の結晶のようだった。
 目を焼くのではないかと思うぐらいに鮮烈に光っている、見事なカッティングが
刻まれているその石を見て太一は言葉を失っていく。

「克哉さん…これって、まさか…」

「うん…安物だけど、本物のダイヤモンド…。オレの給料なんてたかが知れているから
こんなに小さな物しか買えなかったけれど…クオリティもカラーもそれなりにある
結構良い品だよ…」

 雪が舞い散る中、そうして取り出された石は本当に雪の結晶が形に
なったもののように思えた。

「克哉さん、それって奮発しすぎだよ…。ダイヤなんて贈られたら…
俺が贈ったサンストーンとマジで釣り合わないから。こんなに高い品を
用意されてもちょっと申し訳ない気分になっちゃうだけだからさ…」

「ん、けど…オレはどうしても太一にこれを贈りたかったんだ…。
太一がサンストーンに想いを込めてくれたように…オレも同じくらいの
願いを込めておきたかったから…」

「…このダイヤが、克哉さんの想いなの…? ダイヤの石言葉って
一体なんだっけ…?」

 元々そんなに石言葉の類に詳しくない太一はピンと来ないらしくしきりに
首をかしげている。
 だが克哉は微かに首を横に振って、否定していく。

「…オレが贈りたいのは石言葉じゃなくて、ダイヤモンドという石
そのものの在り方についてだよ…。宝石全般についてと言い換えて
良いものかも知れないけれど…」

「ダイヤや、宝石の在り方…?」

「うん…太一にお返しがしたくて、同じくらいに気持ちが込められている物を
贈りたくてあれから少し宝石について勉強したんだよ。宝石ってさ、原石の
ままじゃ輝けなくて…見つけ出して研磨して、綺麗にカッティングとか
してあげないと綺麗に輝かないんだって。特にダイヤモンドは…地球上で
一番硬いから、ダイヤでしかカット出来なくて…こんな風に綺麗に輝く為には
ダイヤ同士が傷つけあわないと…いけないんだってさ…」

「…何かそういう言い方をされると、凄い壮絶に聞こえるね…。輝くって
事はさ…」

「うん、太一は夢を必死に追いかけているだろ…? その過程で絶対に傷ついたり
打ちのめされたりそういう事もあると思うんだ…。けれど、傷つけば傷つくだけ…
こんな風に研磨されて、輝ける筈だよ。だから…いつか夢が叶って、太一自身が
キラキラとこのダイヤモンドのように輝ける存在になってほしい…大成して欲しいと
いう願いを込めて…オレは、この石を贈るよ…」

「克哉、さん…俺、マジで…嬉しい。其処まで俺の事を考えて…くれていたんだ…」

 太一は泣きそうになる。
 そうして…克哉から小さなダイヤモンドを受け取っていく。
 これは太一にとって一生の宝物だった。
 克哉にとっても、自分の精いっぱいの想いを込めた品だった。
 最後にこれだけはどうしても太一に手渡ししたかった、その事だけを想って
克哉はもう一人の自分の意識に主導権を奪われてからも生き続けていた。
 けれど…これで何も思い残すことはない。
 そう思った瞬間、ふいに…自分の身体が霞んでいくのを感じていった。

―最後の時は、刻々と迫って来ているのを感じていた…

 自分は、もう消えるのだと。
 奇跡の時間は…もう終わり間際を迎えているのだと実感して、克哉は
太一の眼を真っすぐ見つめていった。
 突然、身体が薄く透けるようになった克哉の変化に太一は怪訝そうな
顔を浮かべていく。

「克哉、さん…?」

「太一…もう、オレには時間が残されてないみたい…。なら、最後に一度だけ
キスしたい。しっかりとその瞬間を…心に刻めるように…」

「…っ! 何を言っているんだよ! まだ克哉さんは俺と一緒にいてくれるんだろ!
やっとこうして会う事が出来たのに…いなくなるなんて、そんなの嫌だよ…!」

「ゴメン、もう…無理、なんだ…。今の俺は幽霊とか、生霊とかそういうのに近いから…。
これ以上は太一の傍に、いられない…みたい…」

「克哉さんっ…!」

 そんな会話をしている間に、克哉の身体はどんどん透明になっていく。
 無駄な事を話している時間はないと…その時に悟り、太一はグイと克哉を
引き寄せて唇を重ねていく。
 たった一度だけの愛しい人との口づけは、ただ唇を重ねているだけでも
二人の心を幸福で満たしていった。
 しっかりとこの時を心に刻みつけるように静かに目を伏せていく。
 白い雪がフワフワと舞い降りる中、銀世界の中でこうしてキスをしている様は
幻想的で、何かのワンシーンのようだった。

(ありがとう…)

 心の中で、克哉はそう太一に伝えていく。
 そして長い口づけが終わって、顔を離した瞬間に克哉はとびっきりの
笑顔を向けていく。
 儚くも美しい、幸福で満ちた表情を最後に残し…克哉は雪の中、
ゆっくりと大気に溶けるように姿を消していく。
 
「克哉、さん…」

 太一は、泣いていた。
 そうして…愛しい人が雪の中に消えていく様を眺めていく。
 その間…克哉は言葉もなく微笑み続け、最後に一言だけ想いを込めて
こう残していった。

―最後にありがとう太一…大好きだよ…

 そうして、佐伯克哉は永遠に…太一の前から消えていった。
 まるで夢か幻の中の出来事であったかのように…その場に足跡ひとつ残さず、
克哉という存在はその場から消えうせた。

「また、会えるよね…。もう一回ぐらい…俺が精いっぱい生きて、三途の川を
渡る事になった時ぐらい、は…。それに幽霊じゃなくて、生霊だったなら…
どっかで生きている筈だよね…。どちらでも良いから、もう一回ぐらい…
絶対に、会おうね…克哉さん…」

 そうして太一はその場に膝をついて号泣していく。
 愛しさで胸が詰まりそうになりながら、強く強く手の中に贈られた物を
握りしめていく。
 そう、佐伯克哉という存在が消えてしまってもそこに想いは残る。
 その白く輝く石…克哉からの気持ちはまるで…永遠に光り続ける
雪の結晶のように、キラキラと太一の手の中に残り続けていたのだった。

―まるでこの雪の日の、唯一消えないで存在し続ける結晶のように…




 

以前に書いた残雪を、改めて構成し直して再アップ
したお話。太一×克哉の悲恋です。
 1話と2話は以前にアップしたものの焼き直しですが…
3話目以降からは一からの書き直しになります。
 書き掛けで止まっている話の方は(不定期連載)の方に
あります。

 残雪(改) 
                  10   
                 
11   12   13  14    15

―自分が確実に相手を殺したのと同じ日に、太一が佐伯克哉と
再会していた事実に男は驚愕した

 その衝撃のせいで、意識は一時的に弾き飛ばされて…強制的に
赤い天幕で覆われた部屋へと引き戻されていく。

「これ、は…! 一体、何なんだ…! 何で、こんな、事が…!」

 男は、この出来事が起こった日に間違いなく佐伯克哉を車で
跳ね飛ばして殺した。
 雪の日にスリップしたように見せかけて。
 車一台を駄目にするぐらいのスピードを掛けて、跳ね飛ばした。
 そして…虫の息だった相手を、自分が愛用している針を使用して
完全に息の根を止めた。
 間違いない筈だった、それは自分を含めてあの日手を貸してくれた
五十嵐組の全員が確認している事だった。

『…答えは簡単ですよ。佐伯克哉さんは…いや、眼鏡を掛けた方の
克哉さんはご自分の心を、もう一人の克哉さんに与えた。
それで力を取り戻した心を…一時的に私の力で、太一さんにも
見えるぐらいに存在をはっきりさせていった。俗にいう幽霊という
奴ですよ。聞いてしまえば単純でしょう…?』

「幽霊、だと…そんなのが存在する訳が…」

『いいえ、存在しますよ。厳密に言えば思念体のようなものですね…。
こちらの眼鏡をかけていない克哉さんが最後に太一さんとどうしても
伝えたいと、渡したいと思っていたからこそ…こうして、僅かな時間だけでも
あの人は実体を持って存在出来た。
 時間にすればそれは30分にも満たない事。ですが…本当の想いが
其処に在れば…一人の人間を救うには充分ですから…』

 ソファに深く腰を掛けたままの太一の父親の髪をそっと撫ぜながら…
いつものように歌うように言葉を紡いでいく。
 だがその顔には苦いものが滲んでいるようにも、穏やかに淡々と
微笑んでいるようにも見える曖昧な顔を浮かべていた。

「…こんな、事が…本当に…」

『起こったからこそ、太一さんはお守りの中に大切にしまっている品を
この日、受け取る事が出来たんです…。あの中に入っているものが
太一さんを再生させ、再び立ちあがらせた。
 五十嵐組の貴方の厄介な養父と真っ向から対峙して…堅気の道を
歩みながら夢を追いかける事を選択した今の太一さんの基盤は…この日に
作られた訳です…』

「…太一は、其処まで想っていたというのか…佐伯、克哉を…」

『ええ、両方の克哉さんもまた…太一さんを愛しておりました…』

「っ…!」

 その一言に、男の肩は大きく震えていった。
 驚きの余り、目が見開かれていった。

「あいつも…眼鏡を掛けた方も太一を想っていたというのかっ…!」

『その通りですよ…。そしてこの状況は、眼鏡を掛けた方の克哉さんが
最後に願ったから起きたんですよ…。貴方は良心に押しつぶされるのが嫌で
無意識に聞くことを拒否した…あの人の最後の願いは、「太一に最後に…
少しでも良いからもう一人の『オレ』に会わせてやってくれ…」でした。
そういう不器用な愛もまた…世の中には存在するんですよ…』

 それは、佐伯克哉を葬り去ってしまった太一の父からすれば…良心の
疼きを覚えずにはいられない事実だった。
 憎いだけの男だったなら、心なんて一切痛まなかった。
 だが、あいつの方も…太一に酷い事ばかりを強いていた男も言葉に
出さなくても、奴もまた息子を想っていたというのなら…自分がした事は…。
 事実を知れば知るだけ、耐えがたい苦痛を与えていた。

(いや、太一にとってそれだけ大事だった存在を俺は自分の独断で
殺してしまったんだ…。これくらいの胸の痛みぐらいは受けるのが筋だな…)

 どれだけ後悔しても、時は戻すことが出来ない。
 起こってしまった事をなかった事にもなかった事にも出来ない。
 真実の裏側を知る、というのは特に加害者にとっては耐え難い痛みを伴う。
 しかし…それでも、男は見届けるのを選択した。
 息子と、憎い筈の男との間に起こった事実を…。

『…眼鏡を掛けた太一さんは最初はご自分の気持ちを否定していました。
もう一人の自分の影響に過ぎない、俺には関係ないと思っていた。
けれど…太一さんと過ごしている内に、土壌に水が染み込むように少しずつ
想うようになっていたんですよ。けれど…太一さんが求めているのはあくまで
もう一人の自分で、自分は邪魔者としか扱われていない現実があの人の
心を頑なにして、決してその事実を認めようとなさいませんでした…。
けれど、太一さんへの想いを…そしてもう一人の自分の気持ちを良く知って
いたからこそ…あの品を、肌身離さず持ち歩いて守っていたんですよ…』

「そう、だったのか…」

 その頃には太一の父親の表情は精彩を欠いて…やつれたものに変わっていた。
 力なく項垂れ、事実を重く噛みしめていく。
 
(お前が、憎いだけの男なら良かったのに…)

 表に出さないで秘められていた想い。
 そして土壇場で、太一の為に…自分が助かる道よりも、ほんの僅かな時間でも
太一ともう一人の自分に会えるように願ったその姿に知らず涙が浮かんでいた。
 これまでの経緯を辿って見ていたが…とても表面的にはあの男が太一を
愛しているようには決して見えなかった。

「不器用な、愛か…本当に、その通りだな…」

 けれど人生の最後で相手の事を優先して思い遣る事は決して
簡単な事ではない。
 それでも彼は、自分の人生の終わりに…其れを行ったのだ。

『貴方がしてしまった事は…過去はもう変えられません。克哉さんの命は
永遠に失われて、その身体もまた貴方が処分をしてしまった。
そうなったら私の力を持ってしてもよみがえらせるのは不可能ですから…。
ですから、せめて…最後まで見届けて下さい。お二人の…いや、この三人が
辿ったその物語の結末を…』

 その言葉はまるで子守唄のように柔らかく、優しいものだった。
 そうして…太一の父の目元に白い手袋で覆われた指先がゆっくりと
宛がわれて、瞼を閉じさせられていった。
 瞬間に、急速な眠りが訪れていった。

―さあ、続きをご覧になって下さい…

 意識が朦朧(もうろう)としてくる中…太一の父の意識は再び深い闇の
中へと突き落とされていく。
 そして…物語の最後の幕はゆっくりと開かれていったのだった―



以前に書いた残雪を、改めて構成し直して再アップ
したお話。太一×克哉の悲恋です。
 1話と2話は以前にアップしたものの焼き直しですが…
3話目以降からは一からの書き直しになります。
 書き掛けで止まっている話の方は(不定期連載)の方に
あります。

 残雪(改) 
                  10   
                 
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―その日は都内にフワフワといた柔らかい雪が舞い散っていた
 
 東京という土地柄で、ボタ雪ではないものが降ることは極めて珍しかったが
この日は滅多にない例外が起こっていた。
 五十嵐太一は白い雪が静かに降り積もる中、必死な様子で佐伯克哉の
姿を探していった。

「ちくしょう…あいつは一体、どこに行ったんだよ…。親父や五十嵐組の
人間にも協力を仰いだっていうのに全く連絡がないままだし。俺一人じゃあ…
見つける事なんて、出来っこないよな…」

 白い息を吐いていきながら、太一はそれでも近所を彷徨い歩いていた。
 雪が降っているせいで電車の各線が運転見合わせになっていたり遅れての
発車になっていたから、自分の住んでいるアパートの周辺を捜すのが一番
可能性が高いと思って二時間余りくまなく探索したが、成果は全く
出ないままだった。
 つい先程まで一方的な行為によって痛めつけられていた身体が軋んで
悲鳴を上げていたけれど…それを押して、太一は探し続けた。

―今日、会えないままだったら…二度とあいつにも、克哉さんにも会えない…

 そんな強烈な予感が、彼の中であったから。
 だから今日は足掻くだけ足掻かなければならない、と本能で悟っていた。
 
「どこに、行ったんだよ…! あいつ…そんなに遠くには行っていない筈なのに…」

 太一は、知らない。
 先程自分が掛けた電話が、佐伯克哉の命を奪ったトリガーにも等しかった事を。
 自分の父に眼鏡が出て行った事を告げて、探すように協力を要請した事が…
密かに進められていた計画を実行に移すキッカケになった事を。
 この時点で、すでに佐伯克哉はここから一駅離れた小さな公園の近くで
父と五十嵐組の手に掛かってこの世の人間でなくなっている事など全く
予想する事なく、太一はそれでももう一度会えると信じて探し続けていた。

「あいつ、でも良い…。このまま、中途半端に終わるよりも…もう一度で良いから
探したいんだ…!」

 そして太一は、歩き回った末に小さな公園に辿り着いていった。
 ジャングルジムと、ブランコ。シーソーに何種類かの動物のモニュメント、
それと片隅に公衆便所と、天井が覆われた作りのベンチが設置されて
いる規模の公園だった。
 その頃には雪は2センチ余り周囲に積り始めて、静かに白く覆い始めていた。
 身を切られそうな寒さの中、無駄だと判っても彼は克哉の姿を追い求め
続けていた。
 
「…あれ? ここの周辺だけ…何で雪が無くなっているんだ…?」

 そして公園の外れ、ふと太一はその道路の一角だけ雪がごっそりと
無くなっている事に気づいて違和感を覚えていく。
 この日、彼は知らぬ間に導かれていた。
 黒衣の男…Mr.Rの見えざる手に…意識する事なく、太一は自然と
「克哉が命を落とした場所」へと招かれていたのだ。
 その周辺の雪が無くなっているのは、克哉の遺体と共に飛び散った血を
隠す為のものだった。
 その事に違和感を覚えていきながら太一は…ついに一時間程前まで
亡骸があった場所へと辿りついていった。
 
―その瞬間、眩い光が周囲を包み込んでいった

 それは目を焼くぐらいに鮮烈な輝きだった。
 思わず瞼を閉じて、その光をやり過ごしていくと…太一は、信じられないものを見た。

「嘘、だろ…?」

 たった今まで、何もなかった。
 人の気配すら感じられなかった。
 なのに其処に一人の人物が立っていた。

「夢、じゃないよな…これ、現実なのかよ…?」

 その顔を見て、太一は声が震えた。
 涙腺が緩んでしまいそうだった。
 否、そう思った時にはすでに自分は泣いてしまっていたのかも知れない。
 それぐらいの衝撃と喜びを彼はこの瞬間…覚えていた。
 身体が震えて、様々な想いがこみ上げてくる。
 ずっとこの日を待ち望んでいた。
 もう一度会える日を夢見て…それだけが彼の支えだった。
 なのに実際にその瞬間を迎えると…これが夢か幻ではないかと疑う気持ちが
強くて、実感出来なかった。

「夢じゃないよ…。今、確かにオレは…太一の傍にいるよ…」

 目の前の人物は見慣れたスーツ姿に、純白の白い長いフワフワの材質の
コートをまとって目の前に立っていた。
 それが今のこの人には凄く似合っていて目を奪われていた。
 儚い綺麗な微笑み、ずっと見たくて…会いたくて仕方なかった人。

「克哉、さん…!」

 太一は叫びながら相手の方に駆け出していき、愛しくて会いたくて
堪らなかったもう一人の佐伯克哉を、自分の腕の中に強い力で
抱き込んでいったのだった―

以前に書いた残雪を、改めて構成し直して再アップ
したお話。太一×克哉の悲恋です。
 1話と2話は以前にアップしたものの焼き直しですが…
3話目以降からは一からの書き直しになります。
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―さて、これから物語は最終局面に入っていきます。
 ですがその前に、ちょっと私の雑談に付き合って頂きましょうか。
 これは私の独白のようなものです。
 どうして…こんな気まぐれを、太一さんの父に見せたのかその理由の
ようなものです。

 太一さんの父は、表では喫茶店のマスターをやっていましたが…
裏の世界ではそれなりに名の知られた殺し屋でもありました。
 ご自分の義父や、妻の敵になる存在を人知れず排除してきた
そういう経歴を持つ方です。
 だから…彼には自分の身内の敵や、害になる存在を殺して消すという
思考パターンが知らず染み付いてしまったんです。

 どうして人殺しがタブーなのか、ご存じですか?
 どうして殺人を犯した者がどの国でも厳しく裁かれるようになったのか
その理由は意外と知られていません。
 それは…一度障害を取り除く為の手段に「殺人」を用いてしまった人間は
壁にぶち当たる度に、その解決法に殺人を選んでしまう可能性が極めて
高くなるからです。
 おかしなものですよね。
 戦争という状況下では、むしろその殺人を犯してはならないという制御を
外した人間こそ英雄と言われる訳ですが…日常を、平和な暮らしを望む時には
同族や、周りの人間を殺してしまう可能性のある人間は忌避される。
 太一さんの父親は裏の世界に浸りきっている間に、知らず…自分の家族の
為なら殺人を辞さない存在になっていたんです。

―だから当初は佐伯克哉さんを手に掛けても、この方は何の心の痛みも
罪の意識も覚えなかった

 この世界において、私のもっともお気に入りの存在を殺しても何も感じずに
その他大勢と一緒に扱われる。
 何となくそれが私には気に入らなかったから。
 だから…この人の抱えている謎を解いて差し上げる代償に、せめて心の痛みを
覚えて頂くことにしたんですよ。

 どうして人は人を殺せるかご存じですか?
 殺すにはいくつかの理由がありますが、一つはその対象に異常な執着を
覚えて独占したがること。
 一つは憎悪や憤怒を覚えて、殺人を犯してはならないという制御を振り切って
しまうこと。
 そして三つめは…その対象から完全に関心を失くして、家畜や何かを殺すように
無感情に殺すことです。
 その場合、殺される対象に一切感情移入をせずに無機質に処分します。

 三つ目の場合…殺す相手がどんな風に考えているのか、何を思っていたのか
そんなことを知るのは却って邪魔になります。
 相手を理解すれば、心の痛みが増すだけですから。
 心底憎いだけの存在である事、相手が悪人で救いようのない人間だったと
確信を深めるならともかく…相手の優しさや、善なる部分を見出してしまったら…
罪悪感が湧くだけですからね。
 だから私は…せめて、心の痛みだけでも覚えて頂くことにしました。
 それがささやかな意趣返しであると共に…私なりの、気遣いでもあります。

 だって真実を知らないままでいたら…太一さんの父親は、その謎に少しずつ
押しつぶされて心が病むかも知れないでしょう?
 そうなったら息子である太一さんは苦しんだり悲しんだりします。
 克哉さんは最後に、太一さんの幸福だけを祈りました。
 私はそれを知っている。

―だから一度だけ気まぐれですが、こうして手を差し伸べた訳です。
 この世界においての…両方の佐伯克哉さんが望んだたった一つの最後の
願を叶える為にね…
  これは私の他愛無い独白のようなものです。
 さて、最後の幕をそろそろ開くと致しましょう。
 佐伯克哉さんと、五十嵐太一さんの二人の物語の終焉を…ね。 

                          *

 そして、太一の父親はゆっくりとあの日の佐伯克哉の意識へと同調していった。
 シンクロした瞬間に真っ先に飛び込んできたのは…目の前に立っている
あの日の自分の酷薄な眼差しだった。
 何の感情もなく、冷たい目でこちらを見ているのに気づいて…改めて
思い知らされていく。

―今までこうやって自分が手に掛けた人間が、それ以前にどんな人生を
辿っていたのか、何を思い考えているのかなど興味を持とうとしなかった

 だが、太一と彼のやりとりを追っている内に…どんな形であれ太一が
この男に執着をしている事を知れば知るだけ、この時に犯した己の所業を
心底後悔するようになった。
 だが、すでに殺してしまった事実は変えられない。
 こうしてあの日の光景を改めて見れたとしても過去に干渉して起こった
出来事まで変えられる訳ではない。

(…俺は、俺のした出来事を受け入れるしかないんだな…。本当の事を
太一に知られたら憎まれても仕方ない事をしたのだと、な…)

 そうして、男は観念していく。
 ゆっくりと意識は溶けていき…佐伯克哉の深層意識へと堕ちていく。
 深い海の底に潜っていくような、そんな奇妙な感覚だった。
 そもそも他者の意識の中に入り込んで、其処で起こった出来事を見るなど
普通なら到底不可能な行為である。
 だが、男は憎い筈の存在に…同調し、克哉の視点でその光景を見ることになる。
 太一の父は、傍観者としてただその光景を静かに眺める形になっていた。

―気分はどうですか? 佐伯克哉さん…

―最悪だな。身体は痛いし、全身が物凄くだるい…。今度ばかりは流石に
助からないのか…?

―えぇ、貴方は先程…車に跳ねられて、重傷を負いました。雪で路面も
滑っていましたし…かなりのスピードが出た状態での衝突でしたから。
今から救急車を手配しても、助かる見込みは薄いですし…生き延びたとしても
身体に大きな後遺症が残るでしょう…

―ちっ、やはりな…。さっき、衝突した時にそんな気はしていた…。
なら、これで俺は助からないという訳か…。その割には今はさっきほど
痛みは感じられないのだが…

 克哉は不思議そうに透明になった己の身体を見つめていく。
 この状態はあれか、映画や漫画で良くある意識体だけで存在
している感じなのだろうか。
 さっきまで感じていた激痛は存在せず、フワフワと自分の身体が頼りない
もののようになった気分だった。
 それこそ風でも吹いたら吹き飛ばされてしまいそうなぐらいにあやふやな
ものに成り果てたようだった。

―えぇ、今の貴方は魂が肉体から切り離されようとしていますからね…。
だから身体が感じている痛みも遠いものになっています…。
このまま何もしなければ…ただ、息絶えるのみでしょう…?

―それで最後にこうやって会う奴が、お前になる訳か…。お前は黒い
衣装を常に纏っているし…さながら、俺にとっての死神になる訳か…?

―心外ですね。私は貴方に救いの手を差し伸べに来たというのに…。
貴方はこのままでは確実に死にます…。ですが、貴方が生きる事を望むと
いうのなら…私の力で持って生存させる事は可能です。
 ですが貴方の身体には重篤な後遺症が残ることは避けられませんし…
貴方がそれに同意しなければ無理ですから…。
 一つだけ、私は貴方の願いを叶えて差し上げます。貴方のその願いが
生き延びる事ならば…助けることも可能ですが、どうなさいますか…?

―ほう、一つだけ…お前が望みを叶えてくれるというのか…?

 Rからの申し出を聞いて、眼鏡を掛けた佐伯克哉は心底意外そうに
呟いていった。
 まさかこの男がそんな温情をこちらに与えてくれるなど予想もして
いなかったからだ…。

―えぇ、ここでの貴方は私が望む者には進化してくださいませんでしたが…
それでもそれなりに私の退屈を紛らわせてくれましたからね。だから一つだけ…
餞別として、そちらの最後の願いを叶えるとしましょう…。さあ、貴方は何を
願いますか…?

―本当に、一つだけ願いを叶えてくれるのか…?

―はい、そうです。その代わり叶えられる願いは…一つだけです。
そしてそれは貴方が強く望んでいるものでなければなりません…。
貴方が強くそれを求める気持ちがなければ、実現することは不可能ですから…。
さあ、もう貴方に残された時間は多くはありません。…そろそろ、決断を
なさって下さい…

 こうして心の世界でやりとりしていると実感しづらいが、眼鏡の身体は
少しずつ輪郭を失くしていた。
 魂が肉体から切り離されて、命の灯が消えようとしている…その事実が
如実に現れ始めていた。
 ゆっくりと、命に翳りが見え始めていくのが自分でも良く判った。
 本当に…自分は助からないのだと、死が間近に訪れているのだと…
嫌でも実感させられていく。

(もう…俺は、死ぬのか…)

 そう実感した瞬間、一つの願いが浮かんでいく。
 現実を生きている間は目を逸らしていた事実。
 見ないようにしていた…己の、本心が浮かんでくるのを実感した。

(俺が、このまま死んだら…お前は、どうするんだ…?)

 脳裏に浮かぶのは、太一の顔ばかりだった。
 一緒にいた間…彼はいつだって苦しそうな顔ばかりしていた。
 悲しげな、泣きそうなそんな顔しか見れないでいた。
 けれど…太一の事を考えた瞬間、もう一人の自分の意識と同調
していくのが判った。
 その瞬間に浮かび上がったのは太陽のように明るい、眩しいまでの
太一の笑顔だけが浮かんでいく。

(嗚呼、そうか…俺は…いや、俺も…お前を、好き…だったんだな…)

 滑稽、だった。
 最後になってようやくその事に気づくなんて。
 けれど相手が、弱い方の自分ばかりを求めて自分を否定ばかりする事で
頑なになってしまっていた。
 意地を張り、相手を傷つけるような行為しか出来なかった。
 本心から目を逸らして…太一を痛めつけるような言動しか口を突いて
出てこなかったのだ。

(…あいつばかりを求めているお前が、腹立たしかった。『俺』を見ようとしない
お前に苛立ってばかりいた…。なのに…もう、終わりだという段階になって
今更気づくなど…道化以外の何物でもないな…)

 もう自分という存在が消えるという段階になって、やっと本心に気づいた。
 けれど…命は助かったとしても、自分の身体には後遺症が残ると
Rははっきりと告げていた。
 助けることまでは出来ても、其処までは回避出来ないのだと。
 なら…自分が生き延びたとしても、もしそれが誰かの助けなしに生きられない
状況であるのなら…下手をすれば、太一に大きな負担を強いてしまうことになる。
 もしくは自分の家族に、経済的なものや介護の負担を掛けてしまう
形になるかも知れない。
 後遺症が残る、と告げられた時点で…男は、自分が生き延びる事に対して
激しい抵抗を覚えていた。
 太一に伝えたい気持ちがあった。
 あいつの本当の願いを、叶えてやりたかった。
 生き延びたとしても…誰かに負担や負担を掛けなければならないとするならば、
自分が最後に願うことは…。

(俺がこれから死ぬというのなら…せめて、お前の願いを叶えてやるよ…)

 眼鏡は、そうして…己が生き延びるよりも…最後の最後で、相手の事だけを
思い遣っていく。
 意地も何もかもを捨てて、その心の奥底に存在していたもの。
 相手がこちらを愛していなくても構わなかった。
 それでも、たった一つだけ願うことはただ一つだけ…。

―俺の、最後の願いは…

 そうして彼は、意識が途切れそうになる間際に…黒衣の男にその
願いを告げていく。
 それは無償の愛に近い想いと、行動に近かった。
 自己を捨て去り…ただ、相手を思い遣る域に達していなければ出来ない
事でもあった。

―それが、最後に貴方が望まれることなのですね…。非常に残念ですが、
判りました。その最後の願いを叶えましょう…

 そう、Rの了承する声を遠くに聞いていきながら…眼鏡を掛けた
佐伯克哉の意識は、闇の中に静かに溶けていったのだった―
  
 以前に書いた残雪を、改めて構成し直して再アップ
したお話。太一×克哉の悲恋です。
 1話と2話は以前にアップしたものの焼き直しですが…
3話目以降からは一からの書き直しになります。
 書き掛けで止まっている話の方は(不定期連載)の方に
あります。

 残雪(改) 
                  10    11   12

―そして二人の決別する場面を見届けた瞬間、太一の父親の
意識は唐突に現実の…赤い天幕で覆われた部屋へと
引き戻されていく

 突然の場面展開は、この夜の間に何度も繰り返されてきたので
最初の時程の衝撃はなかったが、やはり…慣れるものでもなかった。
 フワフワと夢の中を未だに彷徨っているようなあやふやさを覚えながら
自分の傍らに立っている長い金髪と漆黒の衣装を纏う妖しい男性の
方へと向き直っていく。

『…これが眼鏡を掛けた方の佐伯克哉さんと、五十嵐太一さんの
決別した日の出来事です。この日を境に…佐伯克哉さんは
完全に姿を消しました。その事は貴方も良く知っているんでしょう…?』

「っ…!」

 その言葉に男は肩を震わせていく。
 彼は…この後に何が起こったのかを知っていた。
 最後に雪、という言葉が彼らのやりとりの中に存在していた事から…
直前に見た出来事が、『あの日』に繋がることに気づいていた。

『…ふふっ、ご自分がした事から逃げられませんよ。人というのは
深い業を背負っている。我が子の為ならば…人は鬼にも悪魔にも
なれます。この日に…貴方は決行したんですよね…?』

「な、何でお前がそれを…!」

 決行、という単語が出た瞬間に男の顔は蒼白なって大きく
肩を震わせていった。
 そして黒衣の男は…何もかもを見透かしたような顔を浮かべながら
唄うように言葉を紡いでいく。

『ええ、私は退屈という病魔に常に犯されている存在。そしてその苦痛を
和らげる何よりの妙薬が…佐伯克哉という人だったんです。ですから…
貴方にこのように太一さんとの間に起こった事の断片を伝えられるように…
あの人に起こった事ならば大概の事は知っていますよ…貴方が犯した
罪の事もね…』

「…知ってて、俺にそんな気まぐれを見せたというのか…?」

『はい、その通りですよ…。だから貴方は、佐伯克哉が失踪…いや
この世から姿を消した後にご自分の息子が立ち直った事に深い疑問を
覚えざるを得なかった。あの時の貴方は…太一さんを眼鏡を掛けた方の
克哉さんから解放する為なら、手を汚すことも辞さなかった。
だから、貴方は…」

「もう、言うな…! 嫌って程…俺がした事が間違っていることなど
思い知らされた! 太一が其処まで…あの弱々しい感じの奴を愛していたことも
それでも離れようとしなかったのも、今なら…あいつの心の中を垣間見た今なら
理解出来るから、心底後悔しているのに! それ以上こっちの心を抉るんじゃねぇ!」

 男にとって、たった一瞬でも眼鏡を掛けた方が…憎かったはずの男が
太一に情らしきものを見せた事で、大きく揺さぶられてしまっていた。
 憎いだけ存在であったなら、彼は決してこんな風に…あの日の事を
悔いることはしなかっただろう。
 だが、最後の最後に見せた相手の表情に太一が揺さぶられたように…
あの切ない顔が、男の中にとっくの昔に捨て去った筈の良心を大きく
刺激して、果てしない痛みへと変わっていく。
 太一の意識に同調する形で、軌跡を辿っていったから…だからこそ
男は耐えられなかった。
 あの日の直前に、これが起こった事だというのならば…自分がした事は
太一をどん底に叩き落すだけだったのだと思い知らされる。

―佐伯克哉の失踪

 太一は、再び克哉に会える日を夢見ている。
 それが…今の彼を立ちなおさせて、前向きにさせている事だと男は
理解している。
 けれど、そんな息子にどうして言うことが出来るだろうか。

―彼が愛して止まない存在は、太一の父であるこの男性が指示を
出したことによって、この日に命を落としているなどという事実を…!

 そして、五十嵐組の人間の手によって、佐伯克哉の遺体は完全に
闇に葬り去られている。
 闇から闇に消え、彼という存在が二度と太一の前に現れることがないように
その痕跡すら消すように手を下した。
 それをやったのは…紛れもない、この二人に起こった出来事を
夢という形で見て共有した…この太一の父親だったのだ。

「けど、どうして…何が起こったんだ? あいつは…俺が、その
数時間後には…息絶えている筈なのに。どうやって…太一に
アレが手渡されたんだ? 今もあいつを支えている物が…どうして…?」

 そう、それこそが最大の謎だった。
 太一が今も大切に持っているあの品が、この決別の日から…太一の父が
手を下すまでの十時間にも満たない間に渡されて、息子に希望を灯したのか。
 あの日の事は良く覚えている。
 眼鏡が太一の部屋を出た時から、五十嵐組の人間がずっと仔細にマークして
動向を追っていた。
 だから報告を受けて、この男性はあの日の佐伯克哉の足取りは
完全に把握している。
 そしてその報告の中には…。

―太一と接触したという報告は何一つ存在していない筈だったのだ…!

 真っ白い雪が覆い、都会の町が銀世界に変わった日。
 佐伯克哉は真っ赤な血を出して…周囲を真紅に染めながら息絶えた筈だった。
 それを見届けたのは自分。
 そして彼が完全に息絶えた事も確認した筈だった。
 だからこそ彼は…あれから一年以上も経過しているのにその謎に
心をさいなまれて、消えない罪によって悩み続けていた。
 恐らくその謎がなければ、さっさとあんな憎いだけの男の事など忘れて
いる筈だった。
 そしてそれこそが…今夜、この胡散臭い男性の誘いを受けた
最大の動機に繋がっていたのだ…!

『さあ、これから…貴方が知りたかった謎を解く為の場面へと
繋がります…。私は敢えて、今は貴方を断罪しません。
これからお見せするのは…インナースペースの出来事。
現実の人間には知りようもない…私とあの方だけが知っている
やりとりをお見せしましょう…。貴方が冷たく、息絶えようとしている
克哉さんを見ている時…彼の心の中で何が起こっていたのか、
そして彼が何をしたのか…其処に全ての答えが存在しています。
さあ、どうぞご覧下さい…!』

「うぉぉぉぉぉぉ!!」

 
耐え切れずに太一の父は獣の咆哮のような叫び声を挙げた。
 忘れかけていた心の痛みが、罪悪感というものが呼び覚まされて
耐え難い苦痛を男に与えていく。
 だが、それを承知の上で真実を追い求めたのも紛れもなく彼自身だった。
 だから、己の罪を見据える覚悟を持って…彼は真相へと突き進んでいく。

 そして、知りたかった真実の扉はゆっくりと彼の前に開かれていき…
男の意識は再び、闇の中へと沈んでいったのだった―

 
以前に書いた残雪を、改めて構成し直して再アップ
したお話。太一×克哉の悲恋です。
 1話と2話は以前にアップしたものの焼き直しですが…
3話目以降からは一からの書き直しになります。
 書き掛けで止まっている話の方は(不定期連載)の方に
あります。

 残雪(改) 
                  10    11



 ―太一の目の前に一瞬だけ儚い笑顔が浮かび、消えていく

 言葉を失いながら…青年は憎いはずの男の顔を見つめていく。
 愛情のカケラもない蹂躙するだけのセックスが終わり、決別の時が
訪れた時に…そんな顔を見るなんて反則以外の何物でもなかった。

(今の、顔…克哉さん、だよな…どうして、今…何だよ! こいつが
俺の目の前から消える直前に…何で!)

 それでも一瞬だけでも、あの人の声を聞けた。
 その顔を垣間見ることが出来たことで…太一の目に涙が
浮かんでいく。

(克哉さん…克哉さん…克哉さん…!)

 今のキスは、きっと自分が求めている方の克哉からのものだと
確信した瞬間…滂沱のように涙が溢れていく。
 涙腺が壊れてしまったかのように、太一は泣き続けた。
 そして確かに…それは、もう一人の克哉からのメッセージであり、
想いでもあった。
 たった一瞬だけでも、会えたならば…。
 あの人からこうして口付けを与えられたならば…この長い年月、
この男に蹂躙され続けても、何でも傍にいた甲斐があった。
 そう思おうとした。だが…次に相手の顔を見たその時には…
いつもの眼鏡を掛けた方の克哉が存在していた。

―たったそれだけの事に、太一は再び打ちのめされていく

 何も、言えなかった。
 あの人から言葉を貰えたなら、自分も届けたかったのに…その暇すら
与えられず、束の間の逢瀬は終わりを迎えた。
 お互いの間に重苦しい、沈黙の時間が流れていく。
 一瞬だけ見えた優しい瞳は、今は見る影もない。
 たった一言で良い。この気持ちを…想いをあの人に伝えたかった。
 その一瞬の為に、憎い男の傍に居続けた。
 けれど相手からボールは渡されたけれど、こちらから返すことが
出来ないようなものだった。
 一方通行のキャッチボール。それでは、太一の心を満たすには
充分ではなかったのだ。

「ど、う…し、て…」

 太一が呟いた言葉は精彩もなく、掠れたものだった。

「一言で、良いのに…あの人に、俺…伝えたかったのに…」

「………」

 冷たい目で眼鏡が睨みつけてくる。
 それでも壊れたスピーカーのように、途切れ途切れに言葉を続けていく。

「…一言で、良いから…あの、人に…好き、だって…ちゃんと…言いたかった。
そうしなきゃ…俺は、この…気持ちに決着を、つけられない…。いつまでも
燻って…克哉さんに、囚われ続ける。そうしなきゃ…諦めることすら、
出来ないんだよ…!」

 涙が、ポロポロと溢れていく。
 それはこの男の傍にいる間…ずっと心の奥底に秘められていた
克哉への強く熱い想い。
 決してこの男に知られたくなかった。意地を張って隠していた本音。
 けれど…あの人の面影を一瞬でも見てしまったら、押し殺すことすら
出来なくなって…零れ続けていく。

「…それで、お前は俺を引きとめたつもりか…?」

「…別にお前になんて言ってない…! ただの独り言みたいなもんだって!」

「…なら、お前は俺が目の前にいても…最後まで素通りして、俺自身を
見ないまま…終わりにするというんだな…?」

「へっ…?」

 その瞬間、太一は言葉を失った。
 相手の顔に浮かんでいる切なげな…今にも泣きそうな顔に、完全に
面食らってしまったからだ。
 一年以上一緒にいたが、こんな顔を見たのは初めてでアッケに取られていく。
 だが…すぐにいつもの冷徹な表情に戻って、己の銀縁眼鏡を押し上げる
仕草をしていった。

「…俺も独り言を言っただけだ。さっさと忘れろ…。今日は、雪が降ると言う。
せいぜい…身体を冷やさないように気をつけろ…」

「えっ…?」

 それは、今まで太一が聞いたことがない類の発言だった。
 こちらを気遣う言葉などこの男から一度だって聞いたことはなかった。
 なのに…もう、これで最後だというのに…その間際にこんな情を見せるなど
卑怯ではないだろうか。
 太一だって、心のどこかで愛している人間と同じ顔をしている存在から
少しぐらい優しくされたいという想いを抱いていた。
 なのに、どうしてそれを見せるのが今なのか…本気で文句を言って
やりたかった。

「じゃあな…」

「…待て、よ…!」

 男が身支度を整えて、この部屋を出て行こうとする間際…太一は
ベッドから起き上がり、相手にそう呼びかけていく。
 だが…相手は振り返ることも、足を止めることもなかった。

「…これ以上、お前に振り回されるのは御免だ…。俺は俺の好きなように
生きる。だからお前も…もう一人の『オレ』に縛られずに生きろ…」

「待てよ! 待てったら!! 克哉! 待てよ!」

 初めて、相手を「克哉」と認めて呼びかけていく。
 だがそれでも男は振り返らず…部屋を出ていった。
 追いかけたかった。だが身体が軋んで、思うように動かなかったので
それは叶わなかった。
 部屋のカーペットに這いずり回る格好になって相手を追いかけたが、
結局、間に合わず…太一はその場に崩れていく。

「ちく、しょう…! 何で、最後に…あんな…!」

 そう呟きながら、太一はむせび泣いていく。
 そしてそれと同じ頃…外には、白い雪がゆっくりと降り始めようと
していたのだった―

 
 以前に書いた残雪を、改めて構成し直して再アップ
したお話。太一×克哉の悲恋です。
 1話と2話は以前にアップしたものの焼き直しですが…
3話目以降からは一からの再編成になります。
(一部、必要と思われる部分を掲載している箇所があります)
 書き掛けで止まっている話の方は(不定期連載)の方に
あります。

 残雪(改) 
                



―さあ、ここからは佳境に入りますよ…

 佐伯克哉と五十嵐太一との間に起こった出来事を、奇妙な男に
夢という形で見せられながら…太一の父はぼんやりと頷いていく。
 恐らくまだ夢は続いていく予感があったが、様々な場面を
見せられている内に…少しずつ彼の中で組み上がっていくものがあった。
 だがそれは半分程度、完成したジグソーパズルのようなもの。
 残り半分、肝心の部分を示した絵柄はまだ彼の前に現れていなかった。

―さあ、憎しみあっている二人が…これから火花を散らして決別する様を
ご覧になって下さい…。対岸の火事ならば、それもまた一種の見物でしょう…?

 黒衣の男の声は弾んでいて愉しそうだった。
 だが、それに不快感を示すことも反論することも特になく…身体の
力を抜いて、再び夢の世界に意識を集中していく。

(…この後、どうやって…お前は救われたんだ…太一…?)

 まだ、現時点では男の目にはどうやって救いが存在したのか
その道筋は見えて来ない。
 けれど少しずつ…その答えに近づいていると信じて…愉快そうに
笑うRの声を聞いていきながら…彼の意識は再び闇に落ちていく。

 浮かんでは沈み、沈んではまた浮かび上がって…現と夢の中を
繰り返し彷徨いながら…再び、二人の佐伯克哉と五十嵐太一の
物語は進行していく。

―次は彼らの、決別の場面だった―

                         *

 先程まで儚げに笑う方の…白の克哉の夢を続けて見たことで
幸せな気持ちで満たされていた。
 だが、目覚めて間もない頃に…玄関先に眼鏡を掛けた克哉が
立っている気配を感じて、太一はベッドの上で不快感を露にしていった。

(…せっかくさっきまで克哉さんの夢を見て幸せな気持ちになって
いたのにさ…何もかもがぶち壊しだ…何か嫌な感じ…)

 時計の針をチラっと眺めれば、午前四時を指していた。
 冬の寒い時期であるせいか…この時間帯はまだ真っ暗で、起きるに
しても寝るにしても中途半端だった。
 眼鏡を掛けた克哉が、部屋の中にズカズカと上がりこんでくる気配を
感じて…太一は起きるかどうか迷った。

(いいや…あいつを起きて出迎えてやる義理なんてないし…このまま
寝たふりをしていようっと…)

 太一は、この不毛な生活がまだ続くとどこかで信じていた。
 きっと眼鏡を掛けた克哉は…こちらが寝ているのなどお構いなしに
自分の隣に滑り込んで来て、何でもない顔で眠るのだろう。
 そうなった場合、下手に起きていたら変なチョッカイを掛けられかねない。
 だから寝た振りを決め込んだ訳だが…眼鏡は、太一の隣に横たわることはなく、
何やらゴソゴソと派手にやっているようだった。

(…? 何だ、あいつ…何をやっているんだ…?)


 疑問に思って太一が寝返りを打ちながら…相手の方を振り返っていくと
彼はぎょっとなった。
 大きなボストンバックに、眼鏡が色んな物を詰め込んでいる光景が
飛び込んで来たからだ。
 それは荷造りをしているように見えて、思わず太一は跳ね起きていった。

「ちょ…! あんた、何をしているんだよ…!」

「…起きたのか。チッ…そのまま寝ていれば良いものを…。見て判らないのか…?
荷造りをしているんだ…?」

「…どっか、出張にでも行くつもりなのかよ…」

「いいや、ここを出ていくんだ。もう帰るつもりはない」

「なっ…!」

 唐突に突きつけられた三行半に、太一は言葉を失っていく。
 無理やり抱かれた時も嫌悪感や苛立ちでいっぱいだったが、それでも普段と
大きく変わる処など見られなかった。
 なのに帰って来る早々に『出て行く』と突然言われて…太一は半ば
パニックになりかけた。

(…こんな奴、好きでも何でもないけど…こいつが出て行ったら、克哉さんとの
接点が何にもなくなっちまう…!)

 決して目の前の相手を必要とする事も、愛することもなく…ただ、求めている
方の克哉と出会うことだけを望んでこの男と暮らしていた。
 傍にさえいれば、必ず彼が求めている方の克哉に会えることを願って。
 なのに…この男が出ていったら、これまでの我慢は完全に無駄になってしまう。
 だから気づいたら太一は叫んでいた。

「ちょっと待てよ…! 何でいきなり、出て行くんだよ! 俺の事を好きにしまくって
一言も相談なしに突然出て行くなんて…訳判らないだろ!」

「…お前を嬲ったり蹂躙したり、屈服させるのも最初はそれなりに刺激的で
面白かったが…今は飽きた。それに…俺はもう、弱い方のオレに主導権を渡す
つもりはない。お前の望みを叶えてやる義理もない。…俺を見ようともしないお前の
傍にいる事にこれ以上意味などないだろう…? もう飽きたから出て行く。
それだけの話だ…」

「ふざけるんじゃねえよ! 俺はまだ諦めるつもりはない! 絶対に克哉さんに…
俺が求めている克哉さんにもう一度だけでも会いたいんだ! だからお前が出て行く
事なんて許さない! 人を舐めるのもいい加減にしろ…!」

 相手の言葉に激昂して、太一は相手の襟首を強く掴んでいく。
 お互いの吐息が掛かりそうなぐらいに近距離で見詰め合っても、両者との
間に甘い感情は一切ない。
 太一が本気の怒りの感情を宿して相手を食い入るように見つめていく。
 だが…眼鏡の表情は酷く冷めたものだった。

「………………」

 何の感情も宿していない冷たいアイスブルーの双眸は、ゾッとするぐらいに
澄み切っていた。
 太一はその目に怯みそうになるが…全力で睨みつけて己の怒りを伝えていく。

「俺はあんたが出て行くことなんて許さない! 俺はまだ諦めない!
克哉さんにもう一度会う…その日まで…絶対に…!」

「…お前のエゴに、いつまで俺を巻き込むつもりだ…?」

「…っ!」

 それは、静かな声だった。
 だからこそ逆に、一瞬…太一の心に冷や水を掛けるような効果があった。

「…いつまで俺は、『俺』を見ようとしないお前の傍で…虚しい日々を
送らないといけないんだ…?」

「…それ、は…」

 どうしてか、言葉が出なかった。
 きっといつものように…相手から憎まれ口か、意地悪な発言が飛び出してくれれば
太一は幾らでも反論することが出来ただろう。
 だが…その日に眼鏡は少しだけ違っているように見えた。
 表情に、何か脆いものが感じられた。

「…あいつばかりを求めるお前の傍に居続けて…俺に何のメリットがあるんだ…?
もう馬鹿馬鹿しいから…お前の傍になど、いたくない。いい加減…無駄な望みを
捨てて…俺を解放しろ。俺はもう、お前に飽きた。だからお前もさっさと…あいつを
諦めることだ…」

 それは眼鏡なりの最終通牒のようなものだった。
 だが太一は力いっぱい否定していく。

「絶対に嫌だ! 俺はあの人を…諦めたくない! もう一度だけでも良い…!
どうしても…会いたいんだ…!!」

 太一は泣きながら、眼鏡を掛けた太一に向かってただ一人への強烈な
想いを告げていく。
 彼の中で決して揺らがない想いを。
 たった一度だけでも奇跡が起こることを信じて。

―だが、その言葉が眼鏡を掛けた克哉の心に大きな亀裂を与えていく

 目の前にいながら…それなりに長い期間を共に過ごしていながら、
決して太一は、彼の方を求めなかった。見ようともしなかった。

「…いい加減に、しろ…!」

 その瞬間、冷め切っていた克哉の表情に激しい怒りの感情が垣間見えた。
 こんな茶番に付き合っていられるか、と心底思った瞬間…般若のような
恐ろしい顔を、男は浮かべていく。

「っ…!」

 その恐怖に、太一は言葉を失って後ずさっていく。
 だが…それを男は許さなかった。
 強引で容赦ない力で青年の身体を引き寄せていくと…そのまま荒々しく
ベッドの上に組み敷いていった。

「…気が変わった。最後に俺を本気で起こらせた責任を…お前自身に
取って貰う…。せいぜい悔やむことだな…」

「何を…悔やむっていうんだよ! うわっ! 止めろ!」

 太一は男の身体の下でジタバタともがいたが、体格の上では相手の方が
勝っている為に無駄な抵抗となった。
 そして衣類を引き剥がすような勢いで再び脱がされ始めていく。
 キスも愛撫もなく、ただ怒りを吐き出す為の排泄行為のようなセックスを
またされるのかと思って太一は嫌悪感を露にしたが、眼鏡はそんな青年を
冷ややかな目で見下ろして…強引に下肢の衣類を完全に剥いていく。

―あいつばかりを求めた罪を…

 そして、そう告げながら…眼鏡は慣らすことも一切せずに、強引に
太一を犯し始めていった―
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プロフィール
HN:
香坂
性別:
女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
 鬼畜眼鏡にハマり込みました。
 当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
 とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)

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 …一言報告して貰えると凄く嬉しいです。
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