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鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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 ―あの時期に、もう一人の俺を見て…つくづく思ったんだ。
 俺は今までの人生、ただの一度だって…あんなに誰かを想ったり、
 求めたりした事があっただろうか、と。
 人を傷つけたくない一心で…目立たないように無難に生きて来たオレに
 あれだけ情熱を抱いた事は…ただの一度もなかった。
 だから、オレは…。

 何となく掃除や洗濯…そして夕食の準備をしている内にあっという間に
夕方を迎えていた。
 一区切りがついて、ガラステーブルの上に腰を掛けながら…彼の寝室の
本棚にあったビジネス関連の書物に何気なく目を通しながら、克哉は時間を
潰している最中だった。
 眼鏡が興した会社のすぐ真上に構えられている住居スペースは…一人暮らしを
している人間にとっては広すぎる空間だ。
 一人でいると、つくづくそれを実感させられる。

(このリビングとキッチンだけで…オレが住んでいたアパートの一室くらいの
広さは余裕であるよな…)

 自分が大学時代から、慎ましく生活していたのに比べて…もう一人の自分は
そういう部分がまったくない。
 洋服でも住居でも、良質である事に拘り…その為の出費なら止むを得ないと
彼の方は考えているのだろう。
  その辺は自分との大きな違いだな、と思った。

(ここに寝に帰って来るだけなら…そんなに広くなくて良い、ってオレは
考えてしまうけどな…。こういう処がやっぱり…貧乏性なの、かな…)

 ゆったりと取られた空間は広く、室内にいるにも関わらずとても解放感があった。
 だが…この部屋で一日を過ごしていると、それが寂しさに何となく繋がっているような
気がした。
 
「…アイツはこの部屋に一人でいて、こんな寂しさを感じた事なんて…ないんだろうな。
あれだけ、自信満々な奴だし…」

 どこか憂いのある表情を浮かべながら、克哉は苦笑していく。
 …いや、自分がこんなに寂しさを覚えているのは…もう一つ理由があるから、だった。
 もう一人の自分と、御堂と訣別した一件から…完全に切り替わったのを境に…
克哉の意識は表に出る事はなかった。
 だから…今日一日、この部屋で過ごしていてやっと認識したのだ。
 あの安アパート時代に購入した家具や、洋服の類は…恐らくもう一人の自分も
気に入ったもの以外は全て処分をされていた事に。
 自分、という人間の痕跡が…そういった部分でも失くされていた事に…ショック、と
まではいかなかったが…少し切なかった。

(まあ、こんなの…ただの感傷だっていうのは判っているけどな…)

 もう一人の自分に主導権を譲った時点で…自分は亡霊に過ぎない存在になる。
 それを承知で…身を引いた筈なのに、それでも…何故、心は軋みを上げているの
だろうか…?

 夕食の準備はとっくに完了済みだった。
 後はもう一人の自分が帰って来るのを待つのみなのだが…先に断りなく、一人で
食べるのは気が引ける。
 …すでに時計の針は20時を過ぎている。
 住居がすぐ真上なのだから…帰って来ようと思えば、すぐに戻って来れる筈なのに…
どうして彼は戻ってこないのだろうか…?

(…もう就業時間を過ぎている筈なのに、な。少し気になるけど…オレが下のフロアに
覗きに行ったら…やっぱり問題、だよな…)

 一瞬、ちょっと立ち寄ってもう一人の自分が会社の方にいるのか…確認をしたくなったが
もし他の社員に見つかったら少しややこしい事になる。
 さっき食事の用意の為に…この近くのスーパーに素早く買い物に行ったけれど…
一応、細心の注意を払って出掛けるように心がけた。
 …何せ、眼鏡を掛けていて髪形が多少違っていたって…基本的に自分達の顔の
造作は一緒なのだ。
 同一人物である人間同士が、同時に存在しているというややこしい事情を…他の人間に
そう簡単に理解して貰えるとは限らないのだ。
 そういう配慮をしなくてはいけない処が、常々…自分は日陰者に過ぎないのだという
実感を強めてしまうのだが…。

「けど、あいつの携帯番号…オレが使っていた頃と一緒、なのかな…?」

 一番、無難なのはやはりもう一人の自分が使っている携帯電話に直接連絡を
取る事だろうか。
 だが、今朝に見た限り…自分が使っていた頃とデザインがまったく異なっていたし
機種も同じだったかどうか判らない。
 昨今は別の電話会社から移動しても、番号はそのままでOKというサービスが
登場していたが…彼がそれで、自分が使っていた頃の番号を残しておいてくれて
いるのかは…正直、判らなかった。

(良いや、モヤモヤと考え続けていても仕方がない…まず一回、掛けてみるか…)

 自宅電話の子機を手に取って、自分が使っていた頃のアドレスの番号をそのまま
入力していく。
 スタートボタンを押していくと、すぐに…ツゥルルルル、ツゥルルルルという呼び出し音が
聞こえて、そして…7~8回繰り返された頃、繋がった。

「はい…アクワイヤ・アソシエーション代表取締役の佐伯ですが…どういったご用件で
しょうか…」

 電話口から聞こえるのは、紛れもなく低く掠れたもう一人の自分の声だった。

「…あ、『オレ』だけど…もしかして今、忙しかったかな…? 一応、夕食の準備はしてあるから、
その…何時くらいに部屋に戻って来るのか聞きたくて…」

「…21時頃には一区切りついて、そちらに戻れると思う。それくらいの時間に合わせて…
食事を暖めて用意しておいてくれ。…あぁ、それと酒と、酒のツマミも用意しておいてくれ。
それくらいの準備は…出来るな?」

「あぁ、うん…了解。蒸留酒の類を用意しておけば良いんだよな?」

「…そうだ。酒の好みは不本意ながら…お前とほぼ一緒だからな。ツマミも…
俺が好みそうなのは見当が付くだろう。俺が帰る頃までにその辺の用意もしておいてくれ…。
頼んだぞ、『オレ』…」

「あ、うん…」

 克哉がそう頷くと同時に、素早く通話は切られていった。
 これが取引先相手ならば、一言断りを入れた後に…もう少し余韻を残してから切るという
礼儀をちゃんと守るのだろうが…その辺は流石、『俺』だった。
 彼にはそんな遠慮をする気はまったくないようであった。

「…まったく、本当に一方的なんだからな…。あぁ、でも…携帯の番号くらいはオレが
使っていたのを残しておいてくれていたのか…」

 何となくその事実にほっとしていく。
 アイツの事だから、面倒くさくてそのままにしていただけという可能性があったけれど…
それでも、ささやかに自分が紛れもなくそれ以前は、この世界に存在していたのだと…
小さいが、確かな痕跡みたいなものが残っていて…少し嬉しかった。

「…少しだけ、嬉しいかも。さて、あいつに頼まれた事だし…21時ジャストに合わせて
夕食と、一杯飲む準備でもしておいてやるかな…」

 そうして、食堂のテーブルの前から立ち上がって…再び、キッチンの方へと
向かっていくと…簡単に作れる酒のツマミの類を幾つか用意していく。

 ―ささやかでも、表には出さないが…恐らく深く傷ついているであろう、もう一人の
自分に対して、してやれる事があるだけでも…今の克哉は、救われる思いを
感じていたのだった―
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プロフィール
HN:
香坂
性別:
女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
 鬼畜眼鏡にハマり込みました。
 当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
 とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)

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