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走って向かっていた。
同じ容姿をした、立派な体躯をした青年二人が連れ立って駆けていく様子はかなり
人目を引いたらしく、すれ違う人が皆…振り返っていく。
だが、今の眼鏡と克哉にはそれを気にする余裕など一欠けらもなかった。
そして、目的の部屋に辿り付く頃には二人して…大きく息を切らせていた。
鼓動もまた、荒い呼吸に連動するように激しく脈打っていく。
バクバクバクバク…!
しっかりと閉ざされた扉の上部に設置されている「集中治療室」のプレートが点滅しているのを
見て…これが紛れもない現実である事を突きつけられていく。
まだ、御堂の家族は駆けつけて来ていないらしく…その部屋の前に佇むのは彼ら二人だけだった。
先程の地震のせいだろうか。
病院全体は今夜は忙しなく、落ち着きのない空気で満たされている。
慌しい様子で駆けていく看護婦達。
ストレッチャーと呼ばれる車輪付きの寝台に横たえられて運ばれていく患者達。
そして家族を見送って、途方に暮れた顔をしている人々…先程の地震によって通常よりも
遥かに多くの怪我人が運び込まれ続けているのは見て取れた。
(まるで…夢、みたいだ…。それくらいに、現実感がない…)
眼鏡の方は扉の前で無言のまま立ち尽くしていた。
その表情に…まったく、感情らしきものは見えない。
硬質過ぎて、まるで凍り付いてしまったかのようだ…それを見て、克哉は強い違和感を
覚えていった。
身体はこれだけ、小刻みに震え続けている癖に…顔だけは平静そのものだなんて…
酷くミスマッチな印象を与えていく。
彼は、ここにたどり着いてから一言も言葉を発していない。
顔色一つ、変わっていない。
その癖…肩と指先は酷く震えているのだ。
(それだけ…『俺』にとって、御堂さんがここに運び込まれた事はショックだったって…
事なんだろうけど、何故だろう…。酷く、引っ掛かる…)
タクシーに乗っていた時もそうだ。
眼鏡の方は震えているだけで…涙一つ、零す気配がない。
いや…それ以前からも、コイツはそんな感じではなかったか?
本来ならば泣いたり、取り乱したり…冷静さを失うのが当然の状況でも、いつだって…
この男は感情を乱れさせる事は滅多になかった。
それは自分にない、コイツの方だけが持っている強さだと…ずっと思っていた。
だが…その様子を見て、一つの疑念が克哉の中に生まれてくる。
(もしかして…コイツは、泣けないんじゃないのか…? 素直に泣き叫んだり、
怒ったり…自分の感情をストレートに出せないんじゃないのか…?)
瞳はこれだけ大きく揺れているのに、潤いを讃えて今にも雫が零れそうな
くらいにキラキラと輝いているのに…顔は殆ど歪められていない。
そんなアンバランスな表情が、酷く克哉には危うく思えた。
だから見ていられなくて…相手の方に手をそっと伸ばしていくと…。
「触れるなっ!」
激しい拒絶が、返って来た。
その態度は今まで見た事がないくらいに険しくて…語調も強くて。
克哉は相手のその反応に、大きくショックを受けていった。
「…お前の気持ちは有難いが、今の俺は…少し不安定だ。…変に手を伸ばされたり、温もりを
与えられたら…俺は、こんな状況でも…お前に縋ってしまいそうになる。だから…触るな…!」
それはピシャリ、とこちらを拒絶する態度だった。
タクシーの中では…まだ、優しい言葉を掛けるくらいは許されていた。
だが…この部屋の前にたどり着いて、現実を突きつけられてからは…そんな希望的観測
だけでは彼の心を癒す事は無理になってしまったのだろう。
今、最愛の恋人がこの扉の奥で…生死の境を彷徨っている。
その状況下でどうして…もう一人の自分とは言え、他の人間に縋る事など出来ようか。
眼鏡の瞳は…如実にそれを訴えていた。
今にも泣きそうな顔をしている癖に、涙一つ零せない不器用な男。
そういう奴だと知っていた。だから少しでも助けになりたくて自分は彼の傍に来た。
だが…この態度と言葉で、自分の無力感を克哉ははっきりと突きつけられていた。
所詮、こちらの気持ちなど独りよがりに過ぎなかったのだろうか?
コイツにとっては迷惑でしかなかったのだろうか…?
そこまで考えた時に、克哉の方も大きく項垂れて…まともに彼の顔を見返すことさえも
出来なくなってしまった。
「…判った。お前がそう言うなら…オレは、他の処に行くよ…」
傍にいても、邪魔扱いされるだけなら…姿を消した方がマシだと思った。
そうして眼鏡から背を向けて克哉が踵を返そうとした矢先に、いきなり口元を何かの布地で
覆われていった。
「っ…!」
克哉は声にならない叫びを漏らした。
ジタバタと暴れて、その布を外そうと試みていくが…瞬く間に意識が遠くなっていく。
(これは一体…? 何故、こんな…)
突然の事態に、頭が回らなくなる。
眼鏡の方を確認したくても、首一つ曲げる事すら瞬く間に困難になっていった。
(意識が…遠く、なって…)
声、一つ漏らせない状況下にいきなり追いやられて…克哉は混乱していく。
息が苦しくなっていく。身体に力が入らなくなっていく。
同時に、鼻に突くのは…あの鮮烈な甘酸っぱい香りだった。
(この、香りは…)
それ以上は、考えられなかった。
意識は完全に闇の中に落ち…ドサリ、とその場に崩れ落ちていく。
今の克哉には指先一本すら自由にする事が出来ない状況だった。
遠くなる意識の中…この言葉だけは、くっきりと聞き取れた。
―良くお眠りなさい…。深い眠りの中へ…
歌うような滑らかな口調で、告げられていく。
それが誰のものであったかすらも…克哉はもう判断出来ない。
そして彼は、浚われていく。
…どこまでもどこまでも、深い闇の中へと…緩やかに誘われていった―
出来れば拍手返信くらいはやりたかったんですが…今日締め切りの
別ジャンルのアンソロの原稿やるのが日中は精一杯でした(汗)
とりあえず原稿の本文自体は仕上がったので…編集すれば送信出来る
段階にはなっています。
何と言いますか…。
何で人のアンソロジーの原稿締め切りに大規模な家の模様替えなんぞを
決行するんですかい! うちのオカンは!!
…昨日から新しい冷蔵庫やTVが運び込まれたり、タンスとかその他の
家具の配置を大幅に変更したりしたもんだから二日間、日中は素敵な
くらいにそちらの作業で時間取られました。
ついでにオトンがいないから夕飯担当は二日間とも私だったし…いかんせん
家の事で自由になる時間が予想より遥かに取れなかったです(る~るる~)
本日の23時59分までに送信しなきゃなんで、一先ずそちら優先します。
そちらを送信したら…今日の分の更新やるんでご了承下され。
…まあ、原稿が締め切り当日に出来上がっただけ良かったというか…
そんなギリギリチョップの段階ですが、終わったら少し日付超えるかもですが
今日の分はちゃんと書きますです。
少々お待ち下され。では、また後で上って来ますね(ペコリ)
―眼鏡が借りているマンションは、大地震が起こった時でも建物内の
被害が最小限に抑えられる設備が数多く設置されていた。
重要な部分には、振動を分散する行動になっている金属を。
建物自体も、一定以上の振動を受けると土台を固定している金具が
一旦外れて建物全体がスライドしてその揺れを逃がすという構造に
なっていた為に室内は大きな被害を被らずに済んでいた。
それでもTVをつければ、数多くの地震に関しての報道や緊急速報が
告げられていた。
御堂の危篤を告げる電話が鳴ったのは、そんな頃だった。
受話器を受け取って御堂の家族からその報を告げられた時…瞬く間に
眼鏡の顔は蒼白になり、気丈そうに振る舞っていたが…その手は青白く
なって大きく震えていた。
―嘘でしょう? 御堂が…危篤だ、なんて…!
受話器を受けとって、相手に挨拶を交わして少ししてから…眼鏡が耐え切れずに
叫んでしまった一言が、克哉の耳にはくっきりと残っている。
眼鏡はその後、すぐに表面上は普通に振る舞っていたが…その様子から見て
大きなショックを受けている事は明白だった。
普段ならば整った字を書く筈の男の手が、震えてヨレヨレの線になっている。
だが眼鏡は…懸命に御堂の家族から、搬送先の病院の住所と電話番号を
尋ねてそれをメモしていった。
(凄い真剣な顔しているな…『俺』…)
傍らで見ているだけで、それが伝わってくる。
一言一句でも、決して聞き逃さないように耳を澄ませて…彼は必要な情報を
家族から聞き出していった。
―はい、これくらいで結構です。そちらもご子息がこんな事態になってしまった
中で…早急にこちらに連絡を下さって有り難う御座いました。
私の方も出来るだけ早くそちらに駆けつけます。ご子息は…私めにとっても
大切な右腕であり、我が社にとっても重要な存在です。
それではこの辺で失礼します…
いつもの傲岸不遜な口調と違い、丁寧な応対をしながら…眼鏡は受話器を
下ろしていった。
男はすぐにこちらを振り返ると、真っ直ぐに克哉を見据えていく。
「御堂が、事故に巻き込まれて危篤状態だそうだ。俺はこれから搬送先の
病院の方へと向かう。お前はここの留守を…」
「嫌だ、オレも一緒に向かう。お前の体調だってまだ万全じゃないんだ…!
こんな時に黙ってここで一人で待っているなんて冗談じゃない。オレも
絶対に行くからなっ!」
克哉にしては強気な態度ではっきりと告げていった。
「俺たちが二人一緒にいる処を第三者に見られるのは…面倒な事、この上
ないけどな…」
「それなら、オレの事は里子に出された生き別れの双子の兄弟とでも
言っておけば良いだろ? 双子なら同じ顔をしていたって誰も不思議に
思ったりはしないからな。本田とか御堂さんとか、藤田くんとかが相手じゃ
なければ充分にそれで通じると思う。行こうよ…! グズグズしている
暇なんてないだろうっ!」
「あぁ、確かに時間の無駄だ。判った…好きにしろ」
そういって承諾していくと…二人は素早く、着慣れたスーツ姿に着替えて
タクシーを手配していく。
素早く身支度を整えている間、ずっと無言のままだった。
マンションの外で少し待って、合流していくと…挨拶もそこそこに大急ぎで
車内に乗り込んで運転手に行き先の病院名を記したメモを手渡す形で
行き先を告げていった。
「判りました…この住所ですな。今から急いで向かいますよ」
壮年を迎えた、黒髪をしっかりと押さえつけたヘアスタイルをしている運転手は
短くそう告げていくと…素早く車を発進していった。
克哉と眼鏡は、後ろの座席に連れ立って腰を掛けていた。
(…やっぱり、凄い険しい顔をしている…。無理もないよな。最愛の恋人が危篤、
だなんて知らせを受けたら…冷静でなどいられる訳がない…)
眼鏡の表情は、酷く張り詰めていて…一見すると感情の乱れは何もないように
さえ見えてしまう。
だが…克哉は瞳の奥に大きな感情の揺らめきがある事に気づいていた。
その瞳の輝きが、彼がどれだけ…この残酷な現実に対して憤っているのかを
如実に示していた。
タクシー内が…緊迫した空気で満たされていく。
最初は他愛無い会話や挨拶を投げかけていた運転手も、気づけば何も
言わなくなっていた。
行き先が病院である事と、彼のその態度から何かを察したのだろう。
重い沈黙が訪れる中…克哉はただ、必死になって祈り続けた。
(この地震は…誰の責任がある訳じゃない。自然現象だ…数多く怪我する人が
いる中に今回は御堂さんも含まれてしまっている。それだけの話なのに…
危篤、だなんて…。一体どれだけの大怪我を…)
眼鏡の方は、御堂の状態を詳しく聞いたのかも知れないが…克哉は一切
その情報を知らされていない。
その分だけ、モヤモヤと不安が湧き上がって叫びたくなってしまう。
運命とは時に理不尽な結果を齎す。
同じ震度5弱の地震が襲った地域にいても…自分達がいたマンションは殆ど
揺れる事がなく、怪我一つないというのに…この違いは果たして何だというのか。
(オレが…代わりになれれば良かったのに…! どうせ、一週間しか現実に
いる事が出来ない奴が無傷でピンピンとしているのに…あいつにとって
誰よりも大切な存在である…御堂さんが、どうして…!)
煩悶しながら、ふと視線を隣に座っている相手の方に向けると…眼鏡の
手が小さく震えていた。
顔に出さないように努めていても…身体は、今は制御しきれなくなって
いるようだった。
その様子を見て、ハっとなっていく。
出来もしなかった事を後悔するよりも…今、自分がしなければならない事は
何か…それを見て、気づいていく。
(…せめて、傍にいてお前を支えよう。そして…御堂さんが助かることを
心から祈ろう…! オレにはきっと、それくらいしか出来ないんだから…)
そう決意して、克哉は…眼鏡の手に自分の手を重ねてぎゅっと両手で
包み込んでいく。
「大丈夫だよ…あの人は、御堂さんはきっと助かるから…! そう信じよう…!」
自分の温もりを与えるように、励ましの言葉を口にしていく。
そう…こんな形であの人を失ってしまうなんて信じたくない。
だから、この瞬間…克哉は前向きな言葉を紡ぐ事にした。
もしそれでも、相手を失うことになったら下手な希望を持たせただけに
なってしまうかも知れない。
その状況下で希望的観測を口にするのは、非常に勇気がいる事だ。
だが…それを承知の上で克哉は、伝えて…ギュっとその手を握り締めていった。
「あぁ…そうだな。御堂が…死ぬ訳が、ない。あいつなら…きっと、最後まで
諦めずに足掻く筈だからな…」
そう告げた眼鏡の表情は、いつもの自信満々の様子とは裏腹に…酷く
儚げなものだった。
この男に、こんな顔をさせてしまうくらい…御堂孝典という存在は、
彼にとって重要な人である事を再認識していく。
(余計な事を考えるな…オレが今、コイツにしてやれる事だけを考えろ…!)
ズキン、と軋む胸を必死に意識の外に追いやりながら…強く強く、
相手の手を握り締めていく。
そしてようやく…目的地に辿り付くと同時に、二人は急いで代金を支払い。
御堂が収容されている集中治療室の方へと駆けて向かっていった―
御堂孝典は、都内を一人でドライブしていた。
昨晩は結局一晩で三本のワインを一人で空けたが、結局は軽い二日酔いと
ダルさが残されただけで気持ちが晴れる事はなかった。
直接、何度も眼鏡の携帯の方へとコールを続けたが…結果は、昨日と同じく
電源が入っていないままになっていたようだった。
それならば彼の家に直で向かえば…という考えも過ぎったが、携帯が途中で
電源を落とされてずっと戻されていない。
その事実が…何故か、こちらの存在を酷く拒絶されているように感じられてしまって
御堂は身動きが取れないままになっていた。
こんな気弱なのは、自分らしくはない!
そんな憤りのままに夜の街を愛車で走り抜けた結果―御堂は災害に巻き込まれる事
になってしまった
20時32分。
ここ数年世界各地で、大規模な地震災害が多発していて地震に関しての報道が多く
なっている中…この日、都内に震度5強の地震が発生した。
震度6から7の地震が襲えば、余程耐震装備が成されている建物以外は被害が
免れないし、電話線や電線、水道などのライフラインの断絶や…地面が割れたり、
橋や高速道路が壊れて横転したりなど派手な事態に陥る。
だが、震度5弱までならば…いる場所によっては、大きな被害から免れる可能性も
高く…都市機能も充分に生きているレベルだ。
この場合、大きく…現在身に置いている場所が明暗をくっきりと分けていく。
そして御堂は、地震に見舞われたその時…空いている道を走っていた為に本来の
交通規則で定められた制限速度よりも20~30キロ、速いスピードで愛車を走らせ
続けていた。
結果、同じような速度で走っていた湾岸の道路沿線は一瞬にして阿鼻叫喚地獄と
化していた。
地震によってハンドルを取られた対向車と時速70~80キロの速度が出た状態で
正面衝突。
それに伴い、その前後を走行していた車達と玉突き衝突も時間差で発生し…
瞬く間に大きな衝突音と、ガラスがひび割れる音が周囲に響き渡った。
「くっ…! ここ、は…?」
大規模な事故から3分後。
事故直度のショックによって、意識を飛ばしていた御堂の意識が徐々に覚醒していった。
最初は、黄色いもので目の前を覆われた上に、それによって顔面を圧迫されていたので
一体何が起こったのか把握は出来なかった。
だが少しして、それはエアバックが作動して…自分を守ってくれていたのだと判った。
(どうやら…顔とか頭は、エアバックによって…守られたみたいだな…)
だが、自分の脇腹やアバラ骨、そして二の腕に掛けてアチコチから鋭い痛みが走っていく。
どうやらアバラと二の腕は、ヒビでも入ったのだろう。そして…脇腹には不運にも、
エアバックで防ぎ切れなかった側面から飛び散ったガラスの破片の大きいのが深々と
突き刺さっていた。
どんな自動車でも、水難事故に遭った際に脱出出来るように…運転席の側面のガラスは
割れやすい構造になっている。
それが今回の場合は、不幸に繋がってしまっていた。
玉突き事故によって立て続けに強い衝撃に晒された御堂の愛車は、全面のガラスがその
ショックに耐え切れずに無残に大きくひび割れて…車内から満足に外の様子を伺えない
有様になっていた。
特に側面のガラスは酷い事になっていて、突き刺さっているガラスの他にも大きな
破片が幾つも御堂の腿や、足の周辺に散らばっていた。
身体を少し動かす度に鋭い痛みが走ったが…本能的にここにいたら危ないという直感が
彼の肉体を突き動かしていた。
(…このまま、車内にいたら…危ない気がする…!)
そう思った瞬間、車外から…そう離れていない距離内で、爆音と…赤々と燃える大きな
火柱が上がっていった。
同時に響き渡る人々の悲鳴。
御堂は、それを聞いて急きたてられるようにシートベルトを外して…車の外に出ようと
足掻いていった。
(このまま…ここにいたら、この車もまた…ガソリンに引火して炎上するかも知れない…。
すでに爆発している車がある以上、一刻も早く…車の傍から離れた方が良い…)
ここ数年、大きな地震に関しての報道が成される度に…御堂なりに、こういうケースの
場合はどのように行動したら生存確率が上がるかシュミレーションを重ねて来た。
その経験が初めて、この場に来て生かされる形となった。
脇腹の負傷はかなり深く、そこから自分の心臓が脈動する度に少しずつ出血していく
のが判った。だが…どれだけ痛くても辛くても、御堂は敢えてそれを引き抜こうとせずに…
激痛が伴うのを承知の上でそのままにしていく。
この状況でガラスの破片を抜き取れば、出血が酷くなるし…感染症などの二次
被害が出る可能性が格段に高まってしまうからだ。
御堂は、死にたくなかった。
激痛で意識が朦朧になりそうになっても、考えるのは…どうやってこの場から
生きて生還するか、その事ばかりだった。
必死の想いで車を飛び出すと…身を低い位置に保ちながら、這いずるようにして…
少しでも車が密集している地点から離れようと試みていく。
(佐伯…!)
頭の中に浮かぶのは、自分の恋人の事ばかりだった。
相手とすれ違ったまま…一言も話せないで、このまま逝くのなど冗談ではなかった!
その想いが彼の身体を突き動かしていく。
―私は、死ねない! 死にたくなどない! 君に何も言えないままで…こんなに
すれ違ったままでなど、絶対に逝きたくない!
痛みで顔を歪めながら、みっともない有様だと自分でも思った。
だがもう形振りなど構っていられなかった。
格好つけて死ぬよりも、今の自分は無様でも生きたいと強く願っていた。
こんなに後悔したまま…この生を終える事など、御免なのだ!
自分は何も彼に伝えていない!
怒りも、許しも、愛情も…想いも、何もかもだ!
だから御堂は周囲に満ちる一酸化炭素や、ガソリンや機械類が燃焼する事によって
発生するその他の有毒な気体を吸わないように…逸る心を抑えていきながら…確実に
その場から離脱していく。
意識が続く限り、男はそうやって生き延びる可能性が高い道を進み続けた。
だが、都内では他にも同時に多くの事故が多発し…救急車や、救助隊は各地に
飛び続けたが運悪く対応が遅くなってしまう件も多々あった。
そして…御堂がどうにか、救急隊員によって保護された頃には…すでに多量の
出血によってかなり危険な状態へと陥っていた。
幸いにも搬送された病院が、災害による被災者を多く受け入れる体制を素早く
整えてくれていたので受け入れ拒否をされずに治療を施されたが、その頃には完全に
意識を失ったまま、昏睡状態になっていた。
21時半を過ぎた頃には身元の確認は済んでいたので、搬送された病院の
看護士の手によって、その家族に…危篤を告げる内容が早くも電話によって告げられた。
そして都内に在住の家族にその連絡が回ってくるとすぐに、現在の御堂の所属している
会社の社長である眼鏡の元へと…その事実が伝えられていったのだった-
本日は会社休みました(汗)
いつもなら平日は出勤前に書くんですが、30日分はもう少し
身体を休めて体制整えてから執筆します。
ご了承下さいませ。
連載はここからが最終局面に入っていきます。
とりあえず予定通りに、この流れに持っていけたので…後は
書きたい場面に向かって突き進むだけです。
この話、メガミドと名乗っているのに…殆ど克克やんか! と
自分でも書いてて途中で思いましたが、もうその点は開き直る事に
致しました(苦笑)
本当なら御堂さん、もうちょい出番があった筈なのにね…(遠い目)
このタイトルの意味も、ラスト周辺には明かされます。
んじゃもうちょい気持ちと体調が整ったら書きに上がって来ますね。
では…この辺で一旦、失礼します(ペコリ)
―丸一日高熱に侵され続けた眼鏡が意識を取り戻したのは朝方の事だった。
目覚めて真っ先に覚えた違和感は、場所の違いだった。
確か意識を失う直前は自分はリビングのソファの上にいた筈だ。
ベッドまで移動した記憶はない。
(何故、俺はここにいるんだ…?)
疑問に思いながらゆっくりと周囲を見渡していくとベッドサイドに誰かの姿があった。
最初は窓から眩いばかりの朝日が差し込んできているせいで視界が効かなかったが、
徐々にはっきりしてくると…今度は息を呑むしかなかった。
「…何故、『オレ』がここにいるんだ…?」
彼が呆然となりながら呟いていくと、間もなく克哉の方も身じろぎ始めていった。
真っ白く室内が光輝く中、相手の長い睫毛が揺れて…その瞼が開かれていった。
「…ん、おはよう『俺』。もう熱の方は大丈夫かな…?」
「…どうしてお前がここにいる? しかもどうやって入って来たんだ。俺は鍵は
毎晩キチンと掛けているし、お前に合鍵など渡した記憶はないのに…」
「ゴメン、忘れ物をしたからどうしても気になって屋上からベランダの方に降りる形で入った。
…オレの用はとっくに済んでいるけどね。ねぇ、『俺』…身体の具合いはどうかな?」
「何だと…? そんな馬鹿な真似をしたのか! 失敗して落下したらどうするつもりだったんだ…」
眼鏡が珍しく血相を変えながら怒鳴っていくのと対照的に、克哉の方の表情は
どこか穏やかだった。
見方によってはすでに達観している…と取れなくもない顔だった。
「その危険を犯してでも、やらないといけない事があったからね。…もう、それだけ身体を
起こして話せるのならば…大丈夫そうだね。じゃあ、オレはこれで…」
「待てっ…! どこに行くつもりだっ…話は全然終わってないだろうが!」
正直、今朝の件でもまた…眼鏡の方では疑問が幾つも渦巻いている状態だった。
木曜日の夜にもう一人の自分が姿を現してから今日で四日目。
その四日間の『オレ』の行動と言動は、眼鏡にとっては不可解なものばかりだった。
だが、彼の瞳は…酷く静かに澄んでいた。
その瞳で見つめられていくと、落ち着かなくなっていく。
(お前は一体、何を考えている…?)
眼鏡には、判らない。
いや…薄々とは感じ取っているのに、それから目を逸らそうとしているという方が
正しかった。
だが、気づく訳にはいかなかった。
恐らくそれをこちらが察しているとはっきりさせたら、もう一人の自分は恐らく…
自分の前からスウっといなくなってしまうような気がしたから。
「…これ以上、オレがここにいる訳にはいかないから。一度はお前に追い出された身、
だしな。それに…御堂さんがここに来たら何て言い訳する訳? 同じ人間が同時に二人
存在しているだなんて…怪現象、信じて貰える訳がないよ。
だから…オレは消えるよ。ちょっとお前から金銭的に世話になるのは心苦しいけれど…
後、三日もすればオレは肉体を持っては存在出来なくなる。それまでの期間…どこかの
安いホテルに滞在出来る分のお金だけは、用意して貰って良いかな…?」
「後、三日だと…?」
「うん、そう…オレは最初から期限付きでこうして一時的に存在しているだけ。現れた日から
数えて…一週間、水曜の夜いっぱいにはオレはお前の中へと還る。
…けれど、御堂さんとの修復はもっと早くやっておいた方が良いだろうから…オレは姿を
消すよ。熱が引いた状態ならば、お前にオレが手を貸せる事など何もないから…な」
そう告げた克哉の表情は悲しげで、見ているこちらの胸がツキンと…疼いた。
多分…ここで見送れば、二度とこいつは期日まで自分の前に姿を見せないだろう。
そんな予感がヒシヒシとしていった。
御堂と修復する事を考えるならば、確かに克哉の言った通りにした方が良い。
だが…ここで手を離したら、何かが手遅れになるような気がした。
何かまだ…コイツから聞き出しておかないといけない事があるような気がした。
だから、眼鏡は…口を開いていった。
「…馬鹿が。俺はまだ…正直、一人で全部身の回りの事をこなせる程、回復してはいない。
飯を作ったり掃除したりを…こんなダルい身体でこなすのは御免だ。
だから…もう一日ぐらいはここにいろ。その代わり、もうお前には触れないがな…」
かなりツッケンドンな、突き放したような口調だった。
だが…相手からの「ここにいろ」という発言が、克哉には嬉しかった。
ささいな事でも良い。何か出来る事があるならば…嫌われたり、疎ましく思われたりして
遠ざけられるよりもずっと良いと思うから…。
「うん…判った。飯ぐらいはちゃんとオレが用意させてもらうよ。だから…ゆっくりと
休んでくれて良いよ」
「…チッ、何をそんなに嬉しそうにしているんだ…お前は。もう良い…俺はもう少し
寝させてもらう。昼頃には起きるから…それまでには、お粥か何かを作って
おいてくれ。じゃあな…」
そうして…ボスン、という音を立てながらもう一度眼鏡はベッドシーツの上へと倒れ
込んでいった。
こちらから背を向けて、その顔を見えないようにしていたが…何となくその顔は
複雑なものをしているんだろうな…と克哉は感じ取ってしまった。
(…何となく、『俺』も察しているんだろうな…。こっちの気持ちは…)
態度で、克哉の方も…眼鏡がこちらの想いに気づきつつある事は感じ取っていた。
だが…敢えて、二人共それを口に出さなかったし…問い質す事はしなかった。
一言、はっきりと告げてしまえば…眼鏡には拒絶するしかない。
克哉も、そうなれば傍にはいられなくなってしまう。
(…気のせいかも知れないけれど、今夜は…凄く嫌な予感がする…。凄く胸騒ぎが
して…落ち着かない…)
もしかしたら、もう一人の自分もそれを感じ取っているから…自分を引き止めたのかも
知れない。
ザワザワ、と不安が胸の中に広がっていく。
漠然とした何か、それを上手く口には出来ないが…何かが起こると、そんな確信めいた
予感を感じていた。
薄氷のような危ういバランスを保ったまま、二人は共に…夜まで他愛無く過ごしていく。
そして、夜の22時に。
彼らが感じていた予感が的中した事を告げる、一通の電話の音が鳴り響いていった―
ツゥルルル…ツゥルルル…
携帯電話を耳元に押し当て、幾度もの呼び出し音を聞いている最中にふと
その音が途切れた。
気になってリダイヤルボタンを押して掛け直していくと、すぐに「お掛けになった電話は
現在電波の届かない所にいるか…」というアナウンスが流れていった。
「…くっ、どうして繋がらないんだ…!」
心底忌々しげに御堂は呟いていくと、やや乱暴な仕草で携帯を机の上に投げ出していった。
彼は本日の昼間、恋人のマンション前で不審な態度になっていた克哉と遭遇し、逃げられて
からも周辺を二時間は掛けて探索し続けていた。
午後三時に差し掛かった頃に見つからないだろうと見切りをつけて自宅の方へと
切り上げたが、釈然としない気持ちになっていた。
相手から何かリアクションがあるだろうかと、夕方頃まで待ち続けたがそれに焦れて…
鬱々した気分を少しでも紛らわそうと、とっておきのリバロとワインを開封して一人で
楽しんでいた。
だが、こんな状況ではどれだけお気に入りの食物や飲み物を口にしたとしても、
心から楽しむ事など出来そうになかった。
リバロは購入してから一ヶ月は寝かせて熟成を進ませてあったし、それに合うワインも
チョイスしてガーヴェで貯蔵しておいた。
フランスのボルドー地方のシャトーラネッサンの1997年もの。
値段的に手頃なものであるが、チーズと良い相性であると一般人の中でも
評判の良い一本だ。
ここ一年くらいは克哉も、御堂のワインの趣味に時々付き合ってくれるようになっていた
ので本来ならば今週の週末くらいには一緒に食べるつもりで予め用意してあったものだった。
「佐伯…君が、本当に判らない…」
二ヶ月前から、以前のようなゾっとするような眼差しを浮かべるようになったかと思えば
一昨日には部屋に入った瞬間に無理矢理陵辱されて、今日の昼間に会った時には
まるで別人のような雰囲気を纏っていきなり逃げ出されるのは…まるで行動に一貫性が
ないではないか。
自分が知っている佐伯克哉という男は、自信満々で傲慢な筈だった。
しかもずっと、自分の事は再会してから「御堂」か「孝典」と…呼び捨てにしか
して来なかった筈なのに…今更、「御堂さん」となどと呼ばれるとどうすれば良いのか
判らなくなってしまっていた。
「今更、私を御堂さんとだと…? 何だっていきなり、そんな他人行事に…それだけ、君に
とっても…一昨日の振る舞いは後悔している、事…なのか…?」
あんな佐伯の振る舞いは、そう…初めて彼と顔を合わせた日以来の事だ。
二年以上も前に、一度だけ見た事がある気弱そうな彼の態度。
しかし眼鏡を掛けた瞬間に別人のような振る舞いになり…それ以後、彼の態度は
一貫してそんなものだったので…すでに御堂の中では記憶の底に追いやられていた
情報だった。
まさか、同じ人間が同時に二人存在しているなど…常識人の御堂にとってはまったく
考えも及ばない事であった。
すでに何杯目になるか判らなくなりながら、グラスを傾けて赤い液体を喉の奥へと
流し込んでいく。
それなりに品質が良いワインでも、こんな性急なペースで飲み続けたら…味わいも
へったくれもない。
だが、もう色んな要因が重なり続けて…彼の心は乱されっぱなしだった。
もう眼鏡に対して怒っているのか、混乱しているのか…それとも、言いたい事を直接
ぶつけられずにもどかしくなっているだけなのか、自分でも判らない。
だが…自分の心がここまで荒れ狂っている原因を作ったのは、紛れもない…
佐伯克哉という存在である事だけは確かであった。
「克哉…どうして、一言も何も言って来ない。どんな言葉でも…君が何か、
謝罪でも何でも伝えてくれば、こちらは…少しぐらいなら、譲歩しても良いのに…
何故、なんだ。君は引け目を感じて…そのまま、私から逃げようと…言うのか…?
君の私への執着は…そんなものだと、言うのか…?」
もし、正午の頃の御堂の心境のまま…眼鏡の方と顔を合わせていたら、その
憤りを直接ぶつけるだけぶつけて、捲くし立てる結果に陥っていただろう。
眼鏡の方も…素直に頭を下げれる性格をしていないし…御堂は誰よりも
自尊心が高い性分だ。
あんな振る舞いをされたら黙っていられる訳がないし…簡単に許すものか、
そういうつもりで乗り込んだつもりだったが…そう、気弱で他人行事な克哉の
態度を見た事で…かなりの衝撃を受けてしまったのだ。
眼鏡は、御堂にとっては仕事上で掛け替えのないパートナーであると同時に
プライベートの方では大事な恋人でもある。
そんな相手に、あんなによそよそしい態度を取られて…あまつさえ、逃げられて
しまったら…ショックを受けない訳がないのだ。
結果、御堂の方は冷静さを取り戻して…同時にどこか、焦る想いがあった。
今でも強く怒っていた、それは事実だ。
あの振る舞いを許せないという感情は今も根強く、彼の中で息づいている。
だが…そのおかげで、もう一つの真意にも気づいていたのだ。
自分は簡単には許せない、だが…佐伯克哉という男と…このまま別れて
終わりにしたくなどない…という強い想いが。
それはプライドが高い御堂にとっては、容易に認められるものではなかった。
だが…突き動かされるように携帯電話を取って、相手に掛けたのに…途中で
切られてしまったという事実が更に彼を焦らせていく。
こんな有様では、どれだけ上質な酒を飲んだとしても酔いしれる事は出来ない。
「克哉…」
恐らく、たった今…高熱に浮かされているであろう眼鏡もまた…御堂の名を
呼び続けている。
本人達はまったく知る余地もない事だが…今、御堂が呟いたのと同じ瞬間に
眼鏡の方もまた…彼の名を呼び続けていた。
鮮明に、彼の顔が脳裏に浮かんでいく。
手を宙に伸ばして何かを求めるように彷徨い…そして、照明に翳していった。
「克哉…君に、私は…会いたい…」
逃げられたからこそ、そんな想いが湧いて来たのだろうか。
このまま…君と二度と会えないのなんて、御免だ。
他人のような振る舞いをされて、距離を置かれたまま遠ざかれてしまうことなど…
きっと自分は、耐えられない。
自分達には、再会してからの一年…積み重ねてきたものが沢山あるのだから。
たった一度の過ちで、それを全て壊しても良いのか? と…そんな感情もまた
彼の中に生まれ始めていく。
「酷い男だと、最初にあれだけ…思い知らされたにも関わらず…私は君を、好きに
なってしまったんだしな…怒ってはいるが、嫌いには…なれないんだ…。だから…」
どうか、自分を「御堂」と自信ありげに呼ぶ彼と会えますように。
そんな祈りを込めながら…御堂はまた、己のグラスを煽っていった。
―今夜は到底、一本分のワインでは満足出来そうになかった。
深酒をするなど、愚かな事だと判っていながらも…彼は一時の慰めに手を伸ばしていく。
次に会う時に、少しでも冷静に話せるように。
この滾る胸の怒りを、少しでも鎮めさせる為に…。
彼は起き上がって、専用のカーヴェの方へと足を向けて…もう一本、自分の心を宥めて
くれる赤い液体の詰まった瓶を、そっと手に取っていったのだった―
けれどその奥に潜んでいる本心からは目を背けていた。
だが、もう偽れそうにない。
だからオレは…少しだけ正直にならせてもらうよ。
オレがこうして身体を持って存在出来る時間はあまり残されていないのだから―
強く強く、御堂の代わりに抱き締められ続けて…やっとその抱擁が
解けた頃、克哉は全力で看病道具を揃えていった。
本来ならば、病院に連れていった方が良いのだろうが…自分とまさに同体格の
男を一人で連れて行くのは骨だし…眼鏡の方は車も所有していない。
それに…意識を失っているからこそ、今の自分は彼の傍にいられるのだ。
気が咎めたが…少々、眼鏡の財布から看病に必要そうな最低限の物だけを
買い揃えて、準備を進めていく。
(…オレがコイツにしてやれる事なんて、これくらいしかないからな…)
何の為に現れたのだろうか、迷う部分は多いけれど。
相手に何かしてやれる事がある方が、気持ち的には楽だった。
暖かいお湯を洗面器の中に浸していくと、タオルを一枚放り込んでいく。
それを持ってベッドの方まで運んでいくと…うっすらと汗を浮かべている眼鏡の
顔や首元を拭っていった。
高熱を出し続けている眼鏡は、絶え間なく呻き続けている。
どこか切なげな声音で、うわごとのように…「御堂」と呟くのを聞く度に、ツキンと
胸が痛むような想いがした。
だが、その気持ちを意識の底に沈めていきながら…丁寧に、相手の顔を拭って
いってやる。
(何か結構、整った顔立ちをしているな…)
自分と同じ顔。けれど…こうして客観的に見ると、整った顔立ちをしているんだなと
正直に感じられた。
ここまで、自分がナルシストだとは思ってもみなかった。
頬の稜線を優しく伝い、瞼から鼻筋、そして唇の辺りを拭いていくと…妙に緊張した。
薄い唇の柔らかい感触を指先でふと、感じてしまうと…さっき熱烈に交わされたキスを
思い出してしまって…カァーと顔が熱くなって、真っ赤になってしまった。
(意識しちゃダメだ…意識、しちゃ…!)
心の中ではそう思うのに、心臓がバクバクバク…と忙しなくなって大きな音を
立てているのを自覚していく。
必死に意識を逸らしていきながら…顎のラインから首筋も汗を拭い、Yシャツの
ボタンを外して胸元と、そして…手先までは拭いていった。
これ以上は相手を起こさないように拭うのは無理だ。
そう考えて…相手から離れようとした刹那、腕をギュっと掴まれていく。
「っ…!」
鋭い声が漏れそうになるのを必死に抑え込みながら、強い力で引かれていく。
腕の肉に相手の指が強く食い込んでいった。
そして…呟かれる言葉。
―御堂、行くな…! お前を…俺は…失いたく、ない…!
苦しげに、辛そうな様子で…必死に縋り付いてくる。
多分…今、彼は悪夢に魘されている。
大切な人間を失ってしまう、もしくは別れを突きつけられる夢を。
それに抗おうと、彼は必死に夢の中で抗っているのだろう。
この腕の強さが…それを物語っていた。
(それだけ…お前は、御堂さんを愛しているんだな…)
自分もその姿を見て、泣きそうになった。
けれど…静かに涙を伝らせるだけで、顔をクシャクシャにはしないように心がけて
どうにか微笑んでいく。
そして眼鏡の耳元に唇を寄せていくと、あやすように告げていった。
「…大丈夫だ、私は…ここに、いるから…」
出来るだけ、自分が良く知っている御堂の声のトーンや口調に真似て…そう囁いて
いってやると…安堵したのか、ふっと…眼鏡の表情が和らいでいった。
相手の指先が、虚空に何かを求めるように彷徨っていく。
その指に…克哉は己の手を絡めて、ギュっと握り返していった。
それは胸が軋むぐらいに切ない行為であったけれど…それで安堵したのだろう。
彼は苦悶の表情を、浮かべなくなっていた。
克哉は…その様子を、穏やかな瞳を讃えながら…見守っていった。
(オレで良ければ、幾らでも代わりになる…。傍にいるから…)
この時、だけでも。
高熱が去って、恐らく意識を取り戻してしまったら…自分はもう、こうして傍にいる事は
出来なくなってしまうのならば…せめて、それまででも。
身代わりになっても良い。
自分自身を必要とされなくても…何が出来る事があるなら、何でもしてやりたかった。
―私は、ここにいる…
いつもの自分の一人称ではなく、あの人の口調で…まるで子供を寝かしつける時に
そっと囁く睦言のように、優しい声音で呟き続ける。
何も求める気はないから、どうか…傍にいさせて欲しい。
お前の為になる事を、何も出来ないままで…この時間を終えたくないから―
そして眼鏡の様子が安定するまで、それを続けていくと…ふと、眼鏡の携帯が
大きく鳴り響いていった。
その着信音には聞き覚えがあった。
御堂専用に設定してあるものだ。
それを聞いて…克哉は、ぎょっとなって…慌てて携帯電話の方に駆け寄っていった。
ディスプレイの表示を見ると、間違いない。
名前表示に、「御堂孝典」とあった。
(御堂さんからだ…!)
自分が、この電話を取るかどうか…迷った。
暫く手の中で振動していく電話を凝視しながら、強く葛藤した。
今、自分が眼鏡の代わりになって…この電話を取るか、否か。
彼の方はとても電話を取って会話を出来る状況ではないし…自分が出て、それらしく
演技をした処で疑われるかも知れない。
そう考えると、どうしても取る事は躊躇われた。
(本来なら…御堂さんに、コイツがこんな状況になっている事を告げるべきだって、
それは判っている。けれど…)
告げたら、自分はもう傍にいられなくなってしまう。
そう考えた克哉は…誘惑に、負けてしまった。
どうせ諦めなければならない想いならば…せめて、この状態になっている時だけでも
傍にいたかった。
だから、彼は…携帯の電源を落としてしまった。
(御免なさい、御堂さん…。オレには、貴方からの電話を取る勇気はないです…)
必ず、貴方の元に返すから…アイツの熱が落ち着くまでの間で良いから、傍に
いさせて下さいと…心の中で謝り続けながら、克哉はその場で硬直し続けた。
それはもしかしたら、ささいな罪であったのかも知れない。
だが…これが、思いもよらぬ流れを生み出すトリガーになってしまった事を…
克哉はまだ、気づいて…いなかったのだった―
二人の兄妹が幸せを求めてあちこちを旅をしていたら、探していたものは
自分の家にあったというお話です。
人というのはすでに欲しいものを手に入れていても、解釈や物の見方によって
幾らでも不幸や盲目になれるものなのですよね。
本当に欲しいものはすでに貴方達は手に収めている事実に…
いつ、気づかれるのでしょうかね…?
屋上から死ぬ思いで眼鏡の部屋に侵入した克哉は、ベランダに着地した際に…
腰が砕けそうになっていた。
心臓がバクバクと鳴り、どっと冷たい汗が背筋から競り上がって来る。
同時に…そのまま全身に力が入らなくなって、コンクリートの地面の上にへたり
込んでいった。
「はあ…は、はっ…はぁ…」
呼吸が全然、一定になってくれない。
激しい動悸と眩暈の発作に襲われて1~2分、そのままの体制になっていた。
(こ、怖かった…もし着地に失敗していたら、本気でどうしようかと…)
そう感じながらも、どうにか目標の地点にたどり着けた事に心から感謝しながら…
克哉は室内の探索を始めていった。
窓ガラスを開けて、室内に入り込んでいくと…ブワっと何か濃密な香りが襲い掛かった。
「うわっ…これ、は…?」
一日だけこの部屋で一緒に暮らしていた時はあまり意識していなかったが…この部屋の
中には甘酸っぱい何かの果実のような、蟲惑的が匂いが充満していた。
外界から、その空間に入った事によって強く意識をさせられていく。
(二日前に初めてこの部屋に来た時には…オレも少しだけつけていたからな…)
あの時はMr.Rの言葉に素直に従い、逆らう事もせずに素直につけたが…今思うと
軽率な行動だった。
昨日の眼鏡の、強い拒絶の態度を思い出してズキン…と胸が痛む想いがした。
「…早く、探さないと…!」
キッと強い眼差しを浮かべながら室内に目を凝らすと…とんでもない物に遭遇した。
リビングのソファの上に、もう一人の自分が…乱れた服装のまま、横たわっていた。
胸元は大きく肌蹴ていて、Yシャツとスーツズボンだけを纏っているだけだった。
相手の顔は真っ赤に染まり、苦しげに胸を上下させている。
傍から見ても一目で、高熱か何かを出しているのだと判る状態だった。
「だ、大丈夫か…? 『俺』…!」
慌てて駆け寄りそうになるが、ふっと…冷静な考えが頭を過ぎっていく。
今の彼は締め切った室内に長い時間にいて…例の欲望を解き放つ効能を持つ
フレグランスに晒され続けていた。
この状況で…彼の元に駆け寄れば、問答無用で押し倒される可能性が高い。
昨日の一件がなければ、喜んで身を差し出した事だろう。
だが…今はダメだ。
あれだけ御堂に対して拘って態度を示していた彼の、そんな隙を突いて抱かれようと
するのは卑怯以外の何物でもない。
だから、どうにか傍に行きたい衝動を堪えて…室内探索を始めていった。
リビングに置いてある調度品から、棚…大きなTVの上から、豪奢なソファの裏まで
くまなく探していったが…まったくそれらしい瓶が見つかる気配はない。
(この部屋にはないのか…?)
少しずつ、もう一人の自分を早く楽にしてやりたいという気持ちから…焦りが生まれてくる。
だが、どうにか深呼吸をして心を宥めていきながら…探索を続ける。
一人で暮らすには十分過ぎる程に広い部屋の数々。
キッチンも…風呂場も、彼の書斎に当たる部屋も、全てを見ていったが…どこにもない。
Mr.Rは果たしてどこに例のフレグランスを設置したのだろうか…?
どこにもそれらしい小瓶が見えなかった。
(どこにあるんだ…?)
寝室に入り込むと、大きなキングサイズのベッドが視界に飛び込んできた。
一昨日の晩に、初めて部屋に泊まった時に自分自身がベッドメイキングをして…横たわった
場所を見ると、また胸がチリチリと痛んでいく。
(何で、さっきからこんなに胸が痛み続けるんだろう…? あいつが、御堂さんを愛していると
いうのを…一番身近で見守り続けていたのは、オレだっていうのに…)
どこか切ない表情を浮かべながら、部屋の中を再び探り続ける。
眼鏡の部屋は、どの部屋も最低限の家具とか置かれておらず…シンプルで機能的な
内装になっていた。
ゴチャゴチャとしていないから…探すのはそんなに難しくない筈なのに、それらしい物は
まったく姿を見せない。
フレグランスというからには、きっと瓶に入っている筈なのだが…克哉自身はその形状が
どういった物なのか一度も見ていない。
大きさもどれくらいなのかを知らない。
少しずつ焦りで焦れていく。
その心を鎮めたくて天井を仰いだその時、天井の照明…白い半透明のカバー内に何か小さな
小瓶らしき物が入っていた事に気づいていく。
「なっ…?」
それに気づくと同時に、近くにあった椅子を持って来て…すぐにその照明のカバーを
外していくと…そこには克哉の指一本ぐらいの大きさの赤い液体で満たされた小瓶が、
蛍光灯と蛍光灯の隙間に、透明テープで貼り付けられていた。
(これだ…!)
克哉は確信していくと、それを手に取って…大急ぎで洗面所に向かっていった。
その流しで赤い液体を一気に流し捨てていくと…その小瓶を床に叩きつけて破壊していく。
そしてそのガラスの後始末をしてから…やっともう一人の自分の元へと向かっていった。
リビングの窓を全開にして、換気扇を回していく。
一刻も早く駆けつけたい気持ちを抑えていきながら…部屋全体の空気が入れ替わるのを
待ち続けた。
そして濃密な空気から、冷たく澄んだ大気に切り替わった頃を見計らって…克哉は
眼鏡の元へとようやく駆け寄っていった。
「大丈夫か…?」
必死の顔を浮かべながら、もう一人の自分の傍らに立っていった。
相手の肩を掴んで揺さぶり上げていくが、眼鏡は重い瞼を開く気配はなかった。
だが…克哉はなおも、相手に呼びかけ続けていった。
「おい…起きろよっ! 『俺』…! いつまで、意識を失ったままなんだよ…!」
懸命な様子で相手の身体を揺さぶり続けると、ようやく変化が現れた。
あれだけしっかりと閉じられていた瞼がうっすらと開き始めて、淡い色彩の双眸がゆっくりと
其処から覗き始めていく。
その澄んだ眼差しを目の当たりにした瞬間…つい、目を奪われていった。
「…あっ…」
小さく声を漏らして、見惚れていくのと同時に…相手に強く引き寄せられて、心臓が
止まるかと思った。
強い腕に閉じ込められていく。
相手の心臓の鼓動を間近に感じて、バクバクバクと…忙しなく胸が高鳴り続けていた。
そして重ねられる唇。
初めて触れたその唇は、うっとりと陶酔したくなる程甘く…克哉の意識を瞬く間に
浚っていってしまった。
「ん、はっ…」
深く唇を吸われ続けて、つい甘い声音が零れていった。
そうしている間に相手の舌先が入り込んで、たっぷりと淫らに…その口内を丹念に
舐め上げられていった。
自分の頬の内側から、上下の歯列。上顎の部分から舌の付け根まで…容赦なく
熱い舌先を押し当てられ、擦り上げられていった。
「あっ…んんっ…」
初めて交わされる情熱的な口付けに…克哉は、あっという間に夢中になっていく。
今までの人生で、何人かの女性とも付き合って来た。
しかしどの相手とも…こんなに熱烈な口付けを交わした経験がない。
全てを奪われそうになるくらいに執拗で熱いキス。
それに全ての意識を奪われながら、全身から力が抜けていってしまいそうな甘い
感覚に堪えていく。
息が苦しくて、そのまま窒息してしまいそうだ。
だが…眼鏡の方は、相変わらず容赦をする気配を見せない。
そうしている間に、こちらの股間が妖しく疼いていくのに気づかされて余計に
顔を真っ赤にして…我が身を持て余していった。
(もう、ダメだ…これ以上…されたら…)
お前を欲しいという、この誘惑に勝てなくなってしまうかも知れない。
そんな恐怖感を覚えながらようやく唇が解放されていくと…。
「み、どう…」
と…小さく相手が呟く、甘く優しい声音が耳に届いた。
「えっ…?」
瞬間、胸が焼け焦げそうになるくらいに苦しくなった。
同時に…無自覚の内に涙が溢れ始めていく。
それは瞬く間に克哉の両頬を濡らして、床にポタリ…と零れていった。
「あ、れ…? 何で…」
自分の意思と関係なく、涙が止まってくれない。
その事実に呆然としながらも…無意識の内に口元を押さえてしまっていた。
判っていた筈なのに、自分に今のキスが施されたのではないのだと…少し冷静に
なれば自覚出来た筈なのに…そんな考えと裏腹に、目から雫が流れ続ける。
少しすると自嘲的な笑みが浮かび始めていった。
力ない笑い声が、克哉の口から漏れていく。
最初から判っていた事なのに…その事実を突きつけられたら、こんなに涙が溢れて
くるなんて予想もしていなかった。
そうしている間に…きつく、きつく抱き締められていく。
そして…もう一度、告げられた。
―御堂
今度は、少しだけさっきよりもしっかりとした声音で。
現実を突きつけられていく。
胸が軋んで、悲鳴を上げそうだった。
それで初めて…自分はこんなにも、コイツの事が好きだったのだと自覚した。
強く抱き締められる。
だが呟かれるのは、『御堂』という単語だけで、自分の事など決して呼びはしない。
(良いよ…今だけでも、代わりになってやるよ…)
夢の中では、そうやって自分は抱かれ続けたのだから。
身代わりくらい、お前の為ならば幾らでもやってやる。
そう決意して…克哉は、もう一人の自分の傍に居続けた。
彼が目覚めるまで、傍にいよう、と。
決して、自分自身を必要とされなくても…。
それでも、克哉は何かをしてやりたかったから。
だから自分の想いを全て、グっと呑み込んで…彼はその暖かく残酷な
腕の中へと収まり続けたのだった―
休めたりコチョコチョと色んな事をやっていたらこの時間になりました(汗)
はい、すみません。
25日分…本日の起きていられるリミット時間内に
書きあがりませんでしたのでお休み扱いにしておきます。
…星屑17話はちょっと長い展開になりそうです。すみません。
代わりに26日分はきちんと続き書いていつものように朝の内に
アップしておきますので了承下さい。
その代わり25日内に雑事は結構片付いたので良しとします…。
んじゃおやすみなさいませ。
三時間寝れば、どうにか頭働いてくれると信じたい…(むん!)
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
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当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)
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…一言報告して貰えると凄く嬉しいです。