鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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―忘れないで下さい。貴方の命は仮初のものであることを…。
ですから、本体である克哉さんが死なない限りは…貴方の御心が
強く在る限りは、真の意味で…貴方が死なれることはないでしょう
本日の午前中、あの男はそんな事を確かに言った。
だから…覚悟の上で、あいつを庇って…銃弾を受けたつもりだった。
あの瞬間、もう一人の自分を突き飛ばしたその時点で…自分は太一に
対して出遅れるのは覚悟の上だった。
だが、その銃弾が…克哉に命中し、彼の方が致命傷を負ったら…共倒れに
なるのは判りきっていった。
けれど…焼けるような痛みを胸に感じて、彼は少しだけ後悔していた。
(本当に…これで、俺は…助かる、のか…?)
銃弾は真っ直ぐ、彼の胸に命中した。
動脈を傷つけたらしく…其処に弾がめり込んだ瞬間…血飛沫が大量に
舞い散っていった。
其れはまるで、あの日の太一のようであった。
彼もまた、こんな痛みを…体験をして、生還したというのなら…自分も
きっと助かる筈だ、と強く信じ込んでいく。
忙しく胸を上下させていきながら、霞む目を必死に凝らして…もう一人の
自分の姿を探していった。
「目を、覚ませよ…! こんなの、嘘だぁぁぁ…!」
いつの間にか、もう一人の自分が駆けつけて…倒れこんでいる自分の
傍らに座り込んで、必死に顔を覗き込んでいた。
もうすでに顔はクシャクシャで…克哉は泣きじゃくっている。
これも妙なデ・ジャウを感じた。
「し、んぱい…する、な…。これ、くらい…じゃ、俺は…簡単に、は…
くたば、らない…から…」
「…ほ、んとうに…そう、だと…思っている、のかよ…!」
客観的に見ても、其れは致命傷にしか見えなかった。
彼が当たった場所とほぼ同じ場所に、数ヶ月前…太一も弾が当たっている。
だが…太一の場合は骨に当たって途中で…弾が止まっていたが、眼鏡の
場合は…それが貫通してしまっていた。
その分だけ出血は深く、瞬く間に彼の背中は血に濡れていく。
唐突に満ちていく死の匂い…克哉は、それが怖くて仕方なかった。
「…お前が、いる限りは…俺は、本当の…意味で、死なない。
だから…お前は、生きろ…克哉…」
息も絶え絶えに、必死の様子で…それだけ、言葉を紡いでいく。
その内容に、克哉は…目を見開いていく。
そんな彼の頬を眼鏡はどうにか…指先を伸ばして、涙を拭っていった。
「…そんな、の…残酷だよっ! お前が…いない、のに…どうして…!」
克哉は、滂沱の涙を零していく。
恥も外聞も何もない。ただ…自分の半身が、目の前で息絶えようと
する光景が悲しくて、辛くて仕方なかった。
だが…眼鏡はそんな彼を宥めようと、どうにか…少しでも笑みを作って
行こうとして…。
―信じろ。何年掛かっても、必ず…俺はお前の元に帰って来るから…
それは、言葉じゃなかった。
はっきりと頭の中に響き渡っていくような、不思議なメッセージだった。
同時に…眼鏡は、もう自分が限界である事を自覚していく。
どこまでも透明な笑顔を浮かべていき…そして。
―彼の身体はあっという間に、光り輝きながら消えていった。
初めから、其処に存在しなかったかのように。
たった今まで、そこにあった身体も、血の痕も…全てが一瞬に
して消えて…光の粒子となって舞い散っていく。
現実には到底ありえない光景。
だが、それで実感していく。もう一人の自分がこうしてこの世に
存在していたのは…ある種の『奇跡』に過ぎなかった事を…!
克哉は、呆然とするしかなかった。
愛しい人間が、目の前で…幻想的に消えていってしまう様を
目の当たりにして…一歩も動くことが出来なかった。
残されたのは、愛する人間が自分を守ろうと…携帯し続けていた一丁の
拳銃だけだった。
それすらも、血の痕のような生々しいものは残されていなかった。
「な、んだよ…! 今の…! 嘘、だろ…!」
たった今、克哉と同じ光景を目の当たりにした太一は…信じられないものに
遭遇したとばかりに、目を見開かせていた。
この手で、人の命を奪ってしまった…それだけでもショックであったのに
更に…人間が光に包まれて消えるなんて異常事態に遭遇して、彼は正直…
混乱してしまっていた。
「何で、同じ人間が…同時に二人存在しているだけでも在り得ないのに、
そいつが死んだら、まるで何もなかったように…消えるんだよ! どんな
ファンタジーだよ! 何で克哉さんの周りには、そんな在り得ない事ばかりが
続けて起こるんだよ! 眼鏡掛けて人格豹変だけでも信じられなかったに…!」
その瞬間、太一は克哉を一瞬だけ化け物を見るような眼差しで見た。
さっき目の前で起こった出来事が、彼の中の常識の枠を大きく逸脱していた
光景であったからだ。
だが、克哉は…そんな太一に対して、許せないという思いが…あっという間に
満ちていく。
眼鏡も太一も、克哉にとっては愛しい存在だった。
その二人が自分を巡って反目している事実は、彼にとっては胸を痛める
現実であった。
だが、片方が…その相手を殺したのなら。胸に満ちるのは殺意。
そして克哉の傍らには、眼鏡が持っていた拳銃が転がっていた。
彼は衝動的に其れを手に取っていき…本気の殺意を込めていきながら
太一を睨めつけていった。
「…太一ぃぃぃ!」
恐らく、生まれて始めて本当の憎悪というものを込めながら人の名を
呼んでいった。
自分の中にこんなにもどす黒い感情が渦巻く事があったなんて、これまでの
生の中ではただの一度もなかった。
本気で許せなかった。憤怒という言葉の意味を実感させられた。
かつて大事だった人間に、今の彼にとって一番大切な人間を殺される。
過去の想いと、現在の想いがぶつかりあってグチャグチャだった。
どれだけ陵辱されても酷い仕打ちをされても、克哉は太一にこれ程の憎しみの
篭った眼差しを向けたことはただの一度もなかった。
だが、本気の憎悪を…愛しい人に向けられた時、太一は最初は怯えた。
しかし次の瞬間、彼は高らかに哄笑していった。
「な、んだよ…! そんなに、もう一人の自分が大切、だったのかよ!
良いよ、それなら…俺を、殺せよ! 俺にはもう、何もない…!
五十嵐の家の人間にも、部下にも見切られて…いらない者扱い
されたばっかだしな! あんたの手に掛かって死ねるなら…本望だよ。
さあ、俺を殺せよ…!」
やけっぱちになったように、太一が叫んでいく。
そう…今の彼が、安易に拳銃の引き金に手を掛けて幾度も発砲を
してしまった背景には、やはり…自分の部下達や家族にも、克哉に対しての
異常な執着心に呆れられてしまったという事実があった。
愛しい人間にも、部下にも、家族にも…見捨てられて一人ぼっち。
今の太一は心にどす黒いものが満ちていて…光を見失っていた。
自分を正しい方向へと引き戻す、希望が。
だからヤケクソな態度で、克哉を挑発して…終わりを願ってしまった。
同時に、克哉に対して…すでに自分は殺されても仕方ないと…半ば
気づいていた部分もあったから。
「…ああっ! お前は…『俺』を殺した! それだけは…許せないっ!!」
怒りに任せて、克哉は太一の胸元に照準を合わせて引き金を
引こうとした。その時、鮮烈に脳裏に声が響いていった。
―止めろ! お前までその手を血に染めるつもりか…!
俺は、ここにいる! だから…そんな馬鹿な真似は止せ!
お前は太一を愛していたんだろう! かつて愛していた奴を…
一時の感情で殺めてしまったら、お前は一生後悔するぞ!
知らない人間を殺しても、苦い想いを抱くのに…!
お前はそうやって、自分の心を曇らせるつもりかっ!
また、不思議な声が…聴覚を通してではなく、脳裏に直接…
響き渡っていく。最初は自分の都合の良い幻聴かと疑った。
しかしその声は幻聴で済ませるには余りに、強い力を
放っていて、克哉の心へと訴えかけていく。
だが…胸に、ジワリと暖かいものが満ちていく。
その瞬間…彼は思い知る。此処に、彼がいる事を…。
「あっ…」
再び、涙腺が壊れたかのように…克哉の瞳から、涙がポロポロと
零れ落ちていく。
そんな彼を宥めるように、背中からすっぽりと包み込まれていくような
感覚があった。
直接的な感覚ではない。物質として存在しない。
けれど…ふわりと暖かな何かを、背中に感じていく。
其処に、いる。もう一人の自分は…自分のすぐ、傍にいる。
それを実感した瞬間…彼の中に、冷静さが生まれていった。
(そこに、いるのか…? 『俺』…?)
―嗚呼、俺は…お前の中に、いる。もう一度…身体を取り戻して
お前の傍にいられるようになるには、長い時間が掛かるがな…。
その声を聞いた時、胸に満ちていたドロドロの感情が…霧散して
いくのを感じていった。
拳銃の引き金に宛てられていた人差し指から力が抜けていく。
そして、左手で…知らず、自分の身体を抱き締めていた。
(いつか…戻って来て、くれるのか…?)
―必ずだ。だから…お前は、信じて…待って、いろ…!
それは時間にしたら、一分前後の短いやり取り。
けれど、其処に確かに…もう一人の自分の想いを感じた。
瞬く間に、彼の気配が消えていく。その儚い何かを手元に留めたくても…
幻のように、『俺』の気配も声も…消えてしまった。
自分の中に、力強い何かを感じる。声が聞こえなくても…。
―克哉の心の中で、彼が眠りに落ちたのを確かに感じ取った。
其処に立っていたのは、冷静さを取り戻した克哉だった。
太一は全てを覚悟して、その命を差し出すことで克哉に対して
行った自身の罪を贖おうと目を瞑ったままでいた。
だが、幾ら待っても…銃声が聞こえることはなかった。
恐る恐る目を開いていくと…其処には、どこか優しい顔をした
克哉が頬を濡らして、銃を下ろした状態でこちらを見つめていた。
「克哉、さん…?」
信じられないものを見る想いで、太一が呟いていく。
たった今まで見せていた克哉の夜叉のような恐ろしい憎しみと
怒りが、その顔から消え失せていた。
「ど、うして…?」
「…一度は、本気で愛した人間を…一時の感情で、オレは…
殺したく、ないよ…」
眼鏡は戻って来る。
その希望があるから…辛うじて、克哉は理性を取り戻した。
しかし太一の放った凶弾が、克哉の幸せを…あいつと共にいられる時間を
奪ったのもまた、事実であった。
愛しさと、憎悪とで…気が狂いそうなくらいだ。
けれど…彼は、ギリギリの処で選び取っていく。
お互いに感情に任せて殺し合う終末ではなく、お互いに…生きる道を。
こんな事が起こったしまった以上、もう太一の元には戻れない。
何もなかった頃のように笑いあいながら傍にいる事は無理だ。
きっと心を殺さなければ、傍にいる事は不可能で。
そんな事して傍にいれば、きっと同じ過ちを自分達は犯していく。
なら、離れるしかないと思った。
お互いが在るべき姿に戻る為に…必要なこと。
それは袂を分かつ以外にすでにない事を…瀬戸際で克哉は悟った。
全てを覚悟したからこそ…克哉は、どうにか笑ってみせたのだ。
「な、んで…許せるんだよ! あれは…克哉さん自身で、認めたくないけど…
今、克哉さんはあいつの事を好きだったんだろ! それなのに…どう、して…」
「あぁ、その件に関して、本気で怒っているよ。太一が…オレが戻らないって
いう答えを聞き遂げてくれたのなら、こんな事態は…絶対に起こらなかったん
だからね…」
だが、克哉は…その銃口を、自分の頭に突きつけて見せた。
愛しい相手のその異常な行動に…太一は、驚きの声を挙げていった。
「克哉さん! 何をしているんだよ!」
「近寄らないでくれ。太一が…近づいたら、オレは…自分でこの引き金を
引くから…」
「…何で! 克哉さんは何を考えているんだよ! 判らないよ…!」
自分を許して銃口を外したかと思えば、次のこの行動に太一は余計に…
混乱するしかなかった。
しかし、そんな事を言われてしまえば…太一とて身動きが取れなくなって
しまう。悔しいが…その場から動く訳にはいかなくなってしまった。
太一と克哉を隔てる距離は10メートル程。
克哉の方はいつの間にか…海へと続く穴の前に立っていた。
その向こうには間もなく暮れなずむ、赤い赤い太陽がそびえている。
青年の色素の薄い髪を…朱の陽光が染め上げて、まるで燃え上がっている
かのように太一の目には映っていた。
「太一…オレは、お前の元には…二度と戻らない。それが…お前の
たった今、犯した罪に対しての…オレの答えだよ」
「…っ!」
嫌だ、と叫ぼうとした。
だが…たった今、自分がしてしまった事の重さを、太一は自覚している。
自暴自棄になっていたからといって、安易に拳銃を向けることも…人に対して
それを打つなんて事は許される訳がない。
反論の言葉など、言う資格はすでになかった。
「…太一、どうして…そんな結論をオレが出したか、はっきりと今なら言えるよ。
…オレと太一はすれ違い続けた。オレは…太一を愛していたし、太一だって…
オレを愛してくれていた。けれど…信頼、しあえなかったんだよ。
だから太一は…オレから全てを奪って独占しないと、心が静まらなかった。
オレは、そんな真似をされて悲しかった。だから…全てを奪われてなるものかと、
心だけは反発を続けていた。だから…こんな結果に、なったんだね…」
「克哉さんが、オレを…愛していた…?」
その言葉に、信じられないという想いで…反芻していく。
彼はただの一度も、克哉を手中に収めていた時に…そんな実感を覚えた
試しがなかった。だから本気で…その肩と唇は震えて、いた。
「嗚呼、愛していたよ…。オレは太一が、音楽の事を語ってキラキラと目を
輝かせている姿を…とても、好きだった。俺にないものを持っていたお前に
強く惹かれて…気づかない間に、恋していたんだよ…。
あの時は、自分でも自覚なかったけれど…。
そんな太一を、変えてしまったのが自分であった事がオレには辛かった…。
暗い目をするようになった太一を…見ているのが、辛くて…。五十嵐の家の
人間に遠回しにその事で責められたりしている内に…オレは耐えられなくなって
オレは…食事を断つことで、死ぬことを選んでしまったんだと思う…」
「…っ!」
それは、部下に突きつけられた現実と、ほぼ被る内容だった。
太一の弱さが招いてしまった事。
克哉の口から其れを語られて、胸が再びズキズキと痛む想いがした。
「…はは、バカみたい、じゃん…! 克哉さんが、俺を愛してくれていた、
なんて…思いも、しなかった。克哉さんは…俺を犯した罪悪感で…それで
自分を投げ出して、傍にいたんだよ…。単なる偽善で…同時に、罪の意識を
失くす為に俺の傍にいたんだって…ずっと、思い込んでいた…!」
「バカ、だね…。ただ、償いの為に…自分の環境、全てを投げ出してまで…
太一の命令に従っていたなんて…本気で、思っていたのかよ…」
「何だよ…それ。俺ら、両想い…だった、んじゃん…なのに、どうして…!」
やっと、太一は…自分を取り戻した。
そして…初めて、『今の克哉』と対峙していった。
「…けれど、オレは…記憶を失くして。太一の事は忘れてしまっていた。
その時期に…オレは、献身的に介護してくれる…もう一人の『俺』に恋して…
思うようになってしまったから…」
「記憶、を…失くして、いた…?」
「うん、太一が目の前で撃たれたのがショックが大き過ぎたみたいで。
オレは意識を回復した時、前後一年くらいの事の殆どを忘れてしまっていた。
だから…オレは、あいつを知らぬ間に愛して…しまっていた…」
克哉は真実を語っていく。そう、自分は太一を忘れていた。
だからその間に、もう一人の自分の存在が入り込んでしまっていた。
その事実に、太一は…顔を歪めていく。
何のメロドラマだよ、とでも言いたそうな顔を浮かべていた。
「何だよ、それ…嘘、みたいな…話、じゃんか…」
「けど、本当の話だよ。だからオレの心変わりは…記憶喪失なんて事が
なかったら、きっと起こらなかったかも知れない。けれど…もう、起こって
しまった過去は変えられない。オレは…『俺』を愛してしまった。
そしてたった今、『俺』を殺した…太一を、愛しいと思う反面…心から
憎いと思っているのも、また真実なんだよ…」
そうして、一歩一歩…克哉は後ろに後ずさっていく。
太一は思わず、駆け寄りそうになったが…!
「来るなっ!」
全身で克哉は、太一を拒絶した。
「どうして…! 落ちる気かよ…克哉さん…!」
「そう、そのつもり。そして…それ以後は、太一の中でオレを死んだことに
して欲しい…」
「どうしてだよ! 何でそんな真似を…!」
「…こんな強い憎しみを抱いた状態で、オレはもう太一の傍にいる事は
出来ないから。近くにいる限り、オレはきっと…お前の事を恨む。
けれどどれだけ…強い怒りも悲しみも、それから距離を置いて…時の
流れに身を浸せば、消えていくっていうのをオレは知っているから…。
もう罪の意識とか、償いとかで…人を縛るのも、縛られるのも…オレは
沢山だから。だから…オレは、太一の元から永遠に去らせてもらう…」
そうして、克哉は綺麗に笑った。
思わず見惚れるくらいの…慈愛の表情を浮かべながら…。
「太一に、もう一度…過去に囚われないで、音楽をやって欲しいから…。
だからオレの事は忘れて欲しい。今、ここでオレが飛び降りたら…オレを
死んだものと扱って、どうか…自分の夢を思い出して、欲しいんだ…」
「…っ!!」
その瞬間、胸を穿たれたような想いだった。
たった今…自分の犯した罪を思ったら一生、憎まれても仕方ないことだった。
それを克哉は許そうとしているのだ。
こんな馬鹿な真似をして、清算しようとしている事に気づいて…太一は、知らず
涙を溢れさせていた。
俺はこんなに優しい人を憎み続けていたのだ。
俺はここまで想ってくれていた人を、恨み続けていたのだ。
俺はこの人から、全てを奪ったのに許そうとして。
そして…俺の手から永遠にすり抜けていこうとしている。
「嫌だっ! 克哉さん…! 俺は貴方を愛しているんだっ! それなのに…
どうして俺から逃げ続けるんだよぉぉ!」
太一は耐えられず、間合いを詰めて克哉の方へと駆け寄っていった。
そんな彼を、どこか悲しそうに見つめながら…克哉は、そのまま後ずさり…
海の方へと、太一を見据えた格好のまま…落下していく。
「さようなら、太一…」
「克哉さぁぁぁん!!」
本気で泣き叫びながら、太一は…克哉の方へ手を必死に伸ばしていく。
だがその手はあっという間にすり抜けて空を切っていった。
―どうか、幸せに…
最後の最後に、こちらを慮る言葉を発し…克哉の姿は、海の中へと
落ちて瞬く間に見えなくなっていく。
放心したように…穴の手前にへたり込み、海の藻屑となった…
愛しい人を…太一は目で探していく。
追いかけたいのに、目の前で起こった事のショックが大き過ぎて…
身体が指一本、満足に動かせなかった。
「…何で、こんな俺を…最後に、許して…いなく、なるんだよ…!
克哉さんの、馬鹿野郎…!」
後から、後から…涙が溢れてくる。
ポロポロポロ、と…涙腺が壊れたかのように、透明な滴が太一の目元から
流れ続けていった。
小さな掛け違いの連続で、彼らは両想いであったにも関わらず…
過ちをお互いに犯し続けてしまった。
だが、最後の最後で…克哉は、『許す』という形でそれを…
どうにか正したのだ。
愛されていた。想われていた。
それを踏みにじり続けたのは、自分の態度や行いであった事を…
こんな形で知るなんて、何て皮肉だと想った。
けれど…彼はもう知ってしまった。克哉の想いを。
心変わりは許せないと思った。
それくらいなら殺してしまおうとも思っていたけれど…自分は確かに、
克哉に愛されていた現実も知って…どす黒い想いが変質していくのを
確かに感じ取っていた。
沢山の涙を零し、自分のして来た事を後悔し続けた後。
涙を拭いて、立ち上がった太一の瞳からは…少なくとも、何もかも
絶望していた、あの暗い色合いは…確かに消えていた―
ですから、本体である克哉さんが死なない限りは…貴方の御心が
強く在る限りは、真の意味で…貴方が死なれることはないでしょう
本日の午前中、あの男はそんな事を確かに言った。
だから…覚悟の上で、あいつを庇って…銃弾を受けたつもりだった。
あの瞬間、もう一人の自分を突き飛ばしたその時点で…自分は太一に
対して出遅れるのは覚悟の上だった。
だが、その銃弾が…克哉に命中し、彼の方が致命傷を負ったら…共倒れに
なるのは判りきっていった。
けれど…焼けるような痛みを胸に感じて、彼は少しだけ後悔していた。
(本当に…これで、俺は…助かる、のか…?)
銃弾は真っ直ぐ、彼の胸に命中した。
動脈を傷つけたらしく…其処に弾がめり込んだ瞬間…血飛沫が大量に
舞い散っていった。
其れはまるで、あの日の太一のようであった。
彼もまた、こんな痛みを…体験をして、生還したというのなら…自分も
きっと助かる筈だ、と強く信じ込んでいく。
忙しく胸を上下させていきながら、霞む目を必死に凝らして…もう一人の
自分の姿を探していった。
「目を、覚ませよ…! こんなの、嘘だぁぁぁ…!」
いつの間にか、もう一人の自分が駆けつけて…倒れこんでいる自分の
傍らに座り込んで、必死に顔を覗き込んでいた。
もうすでに顔はクシャクシャで…克哉は泣きじゃくっている。
これも妙なデ・ジャウを感じた。
「し、んぱい…する、な…。これ、くらい…じゃ、俺は…簡単に、は…
くたば、らない…から…」
「…ほ、んとうに…そう、だと…思っている、のかよ…!」
客観的に見ても、其れは致命傷にしか見えなかった。
彼が当たった場所とほぼ同じ場所に、数ヶ月前…太一も弾が当たっている。
だが…太一の場合は骨に当たって途中で…弾が止まっていたが、眼鏡の
場合は…それが貫通してしまっていた。
その分だけ出血は深く、瞬く間に彼の背中は血に濡れていく。
唐突に満ちていく死の匂い…克哉は、それが怖くて仕方なかった。
「…お前が、いる限りは…俺は、本当の…意味で、死なない。
だから…お前は、生きろ…克哉…」
息も絶え絶えに、必死の様子で…それだけ、言葉を紡いでいく。
その内容に、克哉は…目を見開いていく。
そんな彼の頬を眼鏡はどうにか…指先を伸ばして、涙を拭っていった。
「…そんな、の…残酷だよっ! お前が…いない、のに…どうして…!」
克哉は、滂沱の涙を零していく。
恥も外聞も何もない。ただ…自分の半身が、目の前で息絶えようと
する光景が悲しくて、辛くて仕方なかった。
だが…眼鏡はそんな彼を宥めようと、どうにか…少しでも笑みを作って
行こうとして…。
―信じろ。何年掛かっても、必ず…俺はお前の元に帰って来るから…
それは、言葉じゃなかった。
はっきりと頭の中に響き渡っていくような、不思議なメッセージだった。
同時に…眼鏡は、もう自分が限界である事を自覚していく。
どこまでも透明な笑顔を浮かべていき…そして。
―彼の身体はあっという間に、光り輝きながら消えていった。
初めから、其処に存在しなかったかのように。
たった今まで、そこにあった身体も、血の痕も…全てが一瞬に
して消えて…光の粒子となって舞い散っていく。
現実には到底ありえない光景。
だが、それで実感していく。もう一人の自分がこうしてこの世に
存在していたのは…ある種の『奇跡』に過ぎなかった事を…!
克哉は、呆然とするしかなかった。
愛しい人間が、目の前で…幻想的に消えていってしまう様を
目の当たりにして…一歩も動くことが出来なかった。
残されたのは、愛する人間が自分を守ろうと…携帯し続けていた一丁の
拳銃だけだった。
それすらも、血の痕のような生々しいものは残されていなかった。
「な、んだよ…! 今の…! 嘘、だろ…!」
たった今、克哉と同じ光景を目の当たりにした太一は…信じられないものに
遭遇したとばかりに、目を見開かせていた。
この手で、人の命を奪ってしまった…それだけでもショックであったのに
更に…人間が光に包まれて消えるなんて異常事態に遭遇して、彼は正直…
混乱してしまっていた。
「何で、同じ人間が…同時に二人存在しているだけでも在り得ないのに、
そいつが死んだら、まるで何もなかったように…消えるんだよ! どんな
ファンタジーだよ! 何で克哉さんの周りには、そんな在り得ない事ばかりが
続けて起こるんだよ! 眼鏡掛けて人格豹変だけでも信じられなかったに…!」
その瞬間、太一は克哉を一瞬だけ化け物を見るような眼差しで見た。
さっき目の前で起こった出来事が、彼の中の常識の枠を大きく逸脱していた
光景であったからだ。
だが、克哉は…そんな太一に対して、許せないという思いが…あっという間に
満ちていく。
眼鏡も太一も、克哉にとっては愛しい存在だった。
その二人が自分を巡って反目している事実は、彼にとっては胸を痛める
現実であった。
だが、片方が…その相手を殺したのなら。胸に満ちるのは殺意。
そして克哉の傍らには、眼鏡が持っていた拳銃が転がっていた。
彼は衝動的に其れを手に取っていき…本気の殺意を込めていきながら
太一を睨めつけていった。
「…太一ぃぃぃ!」
恐らく、生まれて始めて本当の憎悪というものを込めながら人の名を
呼んでいった。
自分の中にこんなにもどす黒い感情が渦巻く事があったなんて、これまでの
生の中ではただの一度もなかった。
本気で許せなかった。憤怒という言葉の意味を実感させられた。
かつて大事だった人間に、今の彼にとって一番大切な人間を殺される。
過去の想いと、現在の想いがぶつかりあってグチャグチャだった。
どれだけ陵辱されても酷い仕打ちをされても、克哉は太一にこれ程の憎しみの
篭った眼差しを向けたことはただの一度もなかった。
だが、本気の憎悪を…愛しい人に向けられた時、太一は最初は怯えた。
しかし次の瞬間、彼は高らかに哄笑していった。
「な、んだよ…! そんなに、もう一人の自分が大切、だったのかよ!
良いよ、それなら…俺を、殺せよ! 俺にはもう、何もない…!
五十嵐の家の人間にも、部下にも見切られて…いらない者扱い
されたばっかだしな! あんたの手に掛かって死ねるなら…本望だよ。
さあ、俺を殺せよ…!」
やけっぱちになったように、太一が叫んでいく。
そう…今の彼が、安易に拳銃の引き金に手を掛けて幾度も発砲を
してしまった背景には、やはり…自分の部下達や家族にも、克哉に対しての
異常な執着心に呆れられてしまったという事実があった。
愛しい人間にも、部下にも、家族にも…見捨てられて一人ぼっち。
今の太一は心にどす黒いものが満ちていて…光を見失っていた。
自分を正しい方向へと引き戻す、希望が。
だからヤケクソな態度で、克哉を挑発して…終わりを願ってしまった。
同時に、克哉に対して…すでに自分は殺されても仕方ないと…半ば
気づいていた部分もあったから。
「…ああっ! お前は…『俺』を殺した! それだけは…許せないっ!!」
怒りに任せて、克哉は太一の胸元に照準を合わせて引き金を
引こうとした。その時、鮮烈に脳裏に声が響いていった。
―止めろ! お前までその手を血に染めるつもりか…!
俺は、ここにいる! だから…そんな馬鹿な真似は止せ!
お前は太一を愛していたんだろう! かつて愛していた奴を…
一時の感情で殺めてしまったら、お前は一生後悔するぞ!
知らない人間を殺しても、苦い想いを抱くのに…!
お前はそうやって、自分の心を曇らせるつもりかっ!
また、不思議な声が…聴覚を通してではなく、脳裏に直接…
響き渡っていく。最初は自分の都合の良い幻聴かと疑った。
しかしその声は幻聴で済ませるには余りに、強い力を
放っていて、克哉の心へと訴えかけていく。
だが…胸に、ジワリと暖かいものが満ちていく。
その瞬間…彼は思い知る。此処に、彼がいる事を…。
「あっ…」
再び、涙腺が壊れたかのように…克哉の瞳から、涙がポロポロと
零れ落ちていく。
そんな彼を宥めるように、背中からすっぽりと包み込まれていくような
感覚があった。
直接的な感覚ではない。物質として存在しない。
けれど…ふわりと暖かな何かを、背中に感じていく。
其処に、いる。もう一人の自分は…自分のすぐ、傍にいる。
それを実感した瞬間…彼の中に、冷静さが生まれていった。
(そこに、いるのか…? 『俺』…?)
―嗚呼、俺は…お前の中に、いる。もう一度…身体を取り戻して
お前の傍にいられるようになるには、長い時間が掛かるがな…。
その声を聞いた時、胸に満ちていたドロドロの感情が…霧散して
いくのを感じていった。
拳銃の引き金に宛てられていた人差し指から力が抜けていく。
そして、左手で…知らず、自分の身体を抱き締めていた。
(いつか…戻って来て、くれるのか…?)
―必ずだ。だから…お前は、信じて…待って、いろ…!
それは時間にしたら、一分前後の短いやり取り。
けれど、其処に確かに…もう一人の自分の想いを感じた。
瞬く間に、彼の気配が消えていく。その儚い何かを手元に留めたくても…
幻のように、『俺』の気配も声も…消えてしまった。
自分の中に、力強い何かを感じる。声が聞こえなくても…。
―克哉の心の中で、彼が眠りに落ちたのを確かに感じ取った。
其処に立っていたのは、冷静さを取り戻した克哉だった。
太一は全てを覚悟して、その命を差し出すことで克哉に対して
行った自身の罪を贖おうと目を瞑ったままでいた。
だが、幾ら待っても…銃声が聞こえることはなかった。
恐る恐る目を開いていくと…其処には、どこか優しい顔をした
克哉が頬を濡らして、銃を下ろした状態でこちらを見つめていた。
「克哉、さん…?」
信じられないものを見る想いで、太一が呟いていく。
たった今まで見せていた克哉の夜叉のような恐ろしい憎しみと
怒りが、その顔から消え失せていた。
「ど、うして…?」
「…一度は、本気で愛した人間を…一時の感情で、オレは…
殺したく、ないよ…」
眼鏡は戻って来る。
その希望があるから…辛うじて、克哉は理性を取り戻した。
しかし太一の放った凶弾が、克哉の幸せを…あいつと共にいられる時間を
奪ったのもまた、事実であった。
愛しさと、憎悪とで…気が狂いそうなくらいだ。
けれど…彼は、ギリギリの処で選び取っていく。
お互いに感情に任せて殺し合う終末ではなく、お互いに…生きる道を。
こんな事が起こったしまった以上、もう太一の元には戻れない。
何もなかった頃のように笑いあいながら傍にいる事は無理だ。
きっと心を殺さなければ、傍にいる事は不可能で。
そんな事して傍にいれば、きっと同じ過ちを自分達は犯していく。
なら、離れるしかないと思った。
お互いが在るべき姿に戻る為に…必要なこと。
それは袂を分かつ以外にすでにない事を…瀬戸際で克哉は悟った。
全てを覚悟したからこそ…克哉は、どうにか笑ってみせたのだ。
「な、んで…許せるんだよ! あれは…克哉さん自身で、認めたくないけど…
今、克哉さんはあいつの事を好きだったんだろ! それなのに…どう、して…」
「あぁ、その件に関して、本気で怒っているよ。太一が…オレが戻らないって
いう答えを聞き遂げてくれたのなら、こんな事態は…絶対に起こらなかったん
だからね…」
だが、克哉は…その銃口を、自分の頭に突きつけて見せた。
愛しい相手のその異常な行動に…太一は、驚きの声を挙げていった。
「克哉さん! 何をしているんだよ!」
「近寄らないでくれ。太一が…近づいたら、オレは…自分でこの引き金を
引くから…」
「…何で! 克哉さんは何を考えているんだよ! 判らないよ…!」
自分を許して銃口を外したかと思えば、次のこの行動に太一は余計に…
混乱するしかなかった。
しかし、そんな事を言われてしまえば…太一とて身動きが取れなくなって
しまう。悔しいが…その場から動く訳にはいかなくなってしまった。
太一と克哉を隔てる距離は10メートル程。
克哉の方はいつの間にか…海へと続く穴の前に立っていた。
その向こうには間もなく暮れなずむ、赤い赤い太陽がそびえている。
青年の色素の薄い髪を…朱の陽光が染め上げて、まるで燃え上がっている
かのように太一の目には映っていた。
「太一…オレは、お前の元には…二度と戻らない。それが…お前の
たった今、犯した罪に対しての…オレの答えだよ」
「…っ!」
嫌だ、と叫ぼうとした。
だが…たった今、自分がしてしまった事の重さを、太一は自覚している。
自暴自棄になっていたからといって、安易に拳銃を向けることも…人に対して
それを打つなんて事は許される訳がない。
反論の言葉など、言う資格はすでになかった。
「…太一、どうして…そんな結論をオレが出したか、はっきりと今なら言えるよ。
…オレと太一はすれ違い続けた。オレは…太一を愛していたし、太一だって…
オレを愛してくれていた。けれど…信頼、しあえなかったんだよ。
だから太一は…オレから全てを奪って独占しないと、心が静まらなかった。
オレは、そんな真似をされて悲しかった。だから…全てを奪われてなるものかと、
心だけは反発を続けていた。だから…こんな結果に、なったんだね…」
「克哉さんが、オレを…愛していた…?」
その言葉に、信じられないという想いで…反芻していく。
彼はただの一度も、克哉を手中に収めていた時に…そんな実感を覚えた
試しがなかった。だから本気で…その肩と唇は震えて、いた。
「嗚呼、愛していたよ…。オレは太一が、音楽の事を語ってキラキラと目を
輝かせている姿を…とても、好きだった。俺にないものを持っていたお前に
強く惹かれて…気づかない間に、恋していたんだよ…。
あの時は、自分でも自覚なかったけれど…。
そんな太一を、変えてしまったのが自分であった事がオレには辛かった…。
暗い目をするようになった太一を…見ているのが、辛くて…。五十嵐の家の
人間に遠回しにその事で責められたりしている内に…オレは耐えられなくなって
オレは…食事を断つことで、死ぬことを選んでしまったんだと思う…」
「…っ!」
それは、部下に突きつけられた現実と、ほぼ被る内容だった。
太一の弱さが招いてしまった事。
克哉の口から其れを語られて、胸が再びズキズキと痛む想いがした。
「…はは、バカみたい、じゃん…! 克哉さんが、俺を愛してくれていた、
なんて…思いも、しなかった。克哉さんは…俺を犯した罪悪感で…それで
自分を投げ出して、傍にいたんだよ…。単なる偽善で…同時に、罪の意識を
失くす為に俺の傍にいたんだって…ずっと、思い込んでいた…!」
「バカ、だね…。ただ、償いの為に…自分の環境、全てを投げ出してまで…
太一の命令に従っていたなんて…本気で、思っていたのかよ…」
「何だよ…それ。俺ら、両想い…だった、んじゃん…なのに、どうして…!」
やっと、太一は…自分を取り戻した。
そして…初めて、『今の克哉』と対峙していった。
「…けれど、オレは…記憶を失くして。太一の事は忘れてしまっていた。
その時期に…オレは、献身的に介護してくれる…もう一人の『俺』に恋して…
思うようになってしまったから…」
「記憶、を…失くして、いた…?」
「うん、太一が目の前で撃たれたのがショックが大き過ぎたみたいで。
オレは意識を回復した時、前後一年くらいの事の殆どを忘れてしまっていた。
だから…オレは、あいつを知らぬ間に愛して…しまっていた…」
克哉は真実を語っていく。そう、自分は太一を忘れていた。
だからその間に、もう一人の自分の存在が入り込んでしまっていた。
その事実に、太一は…顔を歪めていく。
何のメロドラマだよ、とでも言いたそうな顔を浮かべていた。
「何だよ、それ…嘘、みたいな…話、じゃんか…」
「けど、本当の話だよ。だからオレの心変わりは…記憶喪失なんて事が
なかったら、きっと起こらなかったかも知れない。けれど…もう、起こって
しまった過去は変えられない。オレは…『俺』を愛してしまった。
そしてたった今、『俺』を殺した…太一を、愛しいと思う反面…心から
憎いと思っているのも、また真実なんだよ…」
そうして、一歩一歩…克哉は後ろに後ずさっていく。
太一は思わず、駆け寄りそうになったが…!
「来るなっ!」
全身で克哉は、太一を拒絶した。
「どうして…! 落ちる気かよ…克哉さん…!」
「そう、そのつもり。そして…それ以後は、太一の中でオレを死んだことに
して欲しい…」
「どうしてだよ! 何でそんな真似を…!」
「…こんな強い憎しみを抱いた状態で、オレはもう太一の傍にいる事は
出来ないから。近くにいる限り、オレはきっと…お前の事を恨む。
けれどどれだけ…強い怒りも悲しみも、それから距離を置いて…時の
流れに身を浸せば、消えていくっていうのをオレは知っているから…。
もう罪の意識とか、償いとかで…人を縛るのも、縛られるのも…オレは
沢山だから。だから…オレは、太一の元から永遠に去らせてもらう…」
そうして、克哉は綺麗に笑った。
思わず見惚れるくらいの…慈愛の表情を浮かべながら…。
「太一に、もう一度…過去に囚われないで、音楽をやって欲しいから…。
だからオレの事は忘れて欲しい。今、ここでオレが飛び降りたら…オレを
死んだものと扱って、どうか…自分の夢を思い出して、欲しいんだ…」
「…っ!!」
その瞬間、胸を穿たれたような想いだった。
たった今…自分の犯した罪を思ったら一生、憎まれても仕方ないことだった。
それを克哉は許そうとしているのだ。
こんな馬鹿な真似をして、清算しようとしている事に気づいて…太一は、知らず
涙を溢れさせていた。
俺はこんなに優しい人を憎み続けていたのだ。
俺はここまで想ってくれていた人を、恨み続けていたのだ。
俺はこの人から、全てを奪ったのに許そうとして。
そして…俺の手から永遠にすり抜けていこうとしている。
「嫌だっ! 克哉さん…! 俺は貴方を愛しているんだっ! それなのに…
どうして俺から逃げ続けるんだよぉぉ!」
太一は耐えられず、間合いを詰めて克哉の方へと駆け寄っていった。
そんな彼を、どこか悲しそうに見つめながら…克哉は、そのまま後ずさり…
海の方へと、太一を見据えた格好のまま…落下していく。
「さようなら、太一…」
「克哉さぁぁぁん!!」
本気で泣き叫びながら、太一は…克哉の方へ手を必死に伸ばしていく。
だがその手はあっという間にすり抜けて空を切っていった。
―どうか、幸せに…
最後の最後に、こちらを慮る言葉を発し…克哉の姿は、海の中へと
落ちて瞬く間に見えなくなっていく。
放心したように…穴の手前にへたり込み、海の藻屑となった…
愛しい人を…太一は目で探していく。
追いかけたいのに、目の前で起こった事のショックが大き過ぎて…
身体が指一本、満足に動かせなかった。
「…何で、こんな俺を…最後に、許して…いなく、なるんだよ…!
克哉さんの、馬鹿野郎…!」
後から、後から…涙が溢れてくる。
ポロポロポロ、と…涙腺が壊れたかのように、透明な滴が太一の目元から
流れ続けていった。
小さな掛け違いの連続で、彼らは両想いであったにも関わらず…
過ちをお互いに犯し続けてしまった。
だが、最後の最後で…克哉は、『許す』という形でそれを…
どうにか正したのだ。
愛されていた。想われていた。
それを踏みにじり続けたのは、自分の態度や行いであった事を…
こんな形で知るなんて、何て皮肉だと想った。
けれど…彼はもう知ってしまった。克哉の想いを。
心変わりは許せないと思った。
それくらいなら殺してしまおうとも思っていたけれど…自分は確かに、
克哉に愛されていた現実も知って…どす黒い想いが変質していくのを
確かに感じ取っていた。
沢山の涙を零し、自分のして来た事を後悔し続けた後。
涙を拭いて、立ち上がった太一の瞳からは…少なくとも、何もかも
絶望していた、あの暗い色合いは…確かに消えていた―
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香坂
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女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
鬼畜眼鏡にハマり込みました。
当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)
当ブログサイトへのリンク方法
URL=http://yukio0201.blog.shinobi.jp/
リンクは同ジャンルの方はフリーです。気軽に切り貼りどうぞ。
…一言報告して貰えると凄く嬉しいです。
当面は、一日一話ぐらいのペースで
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とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
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