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鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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 ※リセット28、気合を入れて執筆したら一回の投稿で
アップし切れない分量になりました(汗)
 という訳で時間が取れましたので別サーバーにアップして
纏めて読めるスタイルに編集させて頂きました。
 以下をクリックしてお読み下さいませv

 リセット 第28話(正式版)

PR
 ―目の前で起こった出来事が、眼鏡には信じられなかった。

 克哉は、彼の目の前で赤黒い刃に腹部を突き刺されていた。
 だが、それが深々と体内に刺さっているのは…眼鏡を突き飛ばした後に
克哉の方からこの子供を抱きしめようとしたからだ。
 そうでなければ…正面を向き合う形で、刺される事はなかった。

「…大丈夫、だよ…」

 そして、今にも消えてしまいそうな儚い声で克哉が呟いていく。
 口元には…血が、零れている。
 一気に顔が青ざめ、腹部からはゆっくりと…血が溢れ出して…樹海の
地面に静かに滴り落ちていく。
 それでも、克哉は自ら手を伸ばして…一層深くその刃が自分の中に
収まるのを承知の上で…小さい自分に、手を伸ばして抱きしめていく。

「うっ…あっ…」

 子供の自分が怯えたような声を漏らした。
 だが、克哉は迷わない。
 ギュウっと強く…その小さな身体を抱きしめていく。

「大丈夫だから…もう、怖がらなくても良いんだよ…小さな、『俺』…」

 あやすように、慈しむように…克哉は、少年を抱きしめていく。
 触れるたびに少年の肌を蝕んでいた黒い腫瘍が、彼の肌にも移って…
少年に触れている部位から、蝕まれ始めていく。
 それでも決して、手を離したりはしなかった。
 あまりの光景に…眼鏡はただ、言葉を失うしかない。

(何故、お前はそんな状態でそのガキを抱きしめている…っ! 早く
離さないと、お前までその不気味な奴に侵されるぞ…!)

 眼鏡は、ついとっさに克哉の方を心配してしまっていた。
 ようやく硬直が解けて、動けるようになると…その子供を引き剥がそうと
歩み寄ろうとしたが…。

「何をしている、早くそのガキを離せっ!」

「来ないで! ここでこの子を拒んだら…誰が受け入れるんだよ!」

 克哉が、全力を込めて一喝していった。
 その剣幕に、克哉の方が押されていく。

―苦しい、よぉ…

 その瞬間、黒いのっぺらぼうのような異様な仮面をつけた…少年の自分の
声質が変わっていった。
 泣きじゃくって、縋っているような…そんな感じで、自ら刃から手を離して
克哉の背中に腕を回していく。

「…良いんだよ、もう…その記憶を一人で抱えなくても。辛いなら…オレも
一緒に背負ってあげるから…ね」

―本当、に…? オレはもう…これを一人で抱えなくて、良いの…? 一人ぼっちの
記憶を…こんなに、辛くて苦しいものを…俺は一人で持っていなくて…良い、の…?

「うん、良いんだよ…。今まで、一人で本当に辛かったね…。だから、もう…
一人で背負わなくて…良いよ。今まで、大変、だったね…」

 そうして、激痛が伴う中で辛うじて克哉は微笑んで…子供の自分をぎゅうっと
強く抱きしめていった。
 その瞬間、少年の身体は光輝いていく。
 淡い光を放ちながら…徐々に細かい粒子となって…そのまま、克哉の中に
取り込まれていった。
 
―ありがとう。俺、ずっと寂しかった。こんなに辛くて痛いものを背負わされた挙句に
こんな森の奥で一人で過ごしていたのが、悲しくて苦しくて仕方なかったから…。
だから、だから…

 最後に、少年の泣き声が聞こえた。
 自らの内側に取り込んだ、小さな自分に向かって克哉は語りかけていく。

「…判っているよ。今まで…お疲れ様だったね…小さな『俺』…」

 そう、両手で胸を押さえるような格好になって…どこまでも優しい声音で
告げていく。
 その瞬間、少年が幸せそうに笑った気配がして…そして、完全に跡形もなく
小さな子供の自分は消えていく。
 全てが終わった途端、克哉の身体は…その場に崩れ落ちて、地面へと
倒れていった。

「危ない!」

 とっさに駆け寄って、眼鏡は克哉の身体を支えていく。
 それでどうにか、頭をぶつけるのだけは回避出来た。
 克哉の息は荒く、見るからに瀕死の状態だった。
 だが…眼鏡は、たった今…目の前で起こった事が理解出来なかった。
 どうして、もう一人の自分はあんなガキを必死になって受け入れようとしたのか。
 何故、自分にとってはあれだけ憎たらしく仕方なかったガキが、たったそれだけの
事であっさりと消えて…こいつの中に取り込まれたのか。
 全てが眼鏡にとっては信じられないことばかりで、混乱しきっていた。

「…これで、全ての憂いは絶ったよ…」

「…何でお前は、こんな真似をした…?」

 自分の腕の中にいる、瀕死の克哉に向かって静かに問いかけていく。

「…あの子が、ずっとこうされる事を心の奥底で望んでいるのを、感じて判って
いたから…。まったく、そういう所は本当にお前にそっくり、だよな…」

 それでも…ここは現実ではない世界。
 確かに弱ってはいたが…克哉は気持ちを強く持っていた。
 まだ…もう一人の自分に対して伝えなければいけない事は、沢山あった。
 だから荒い息を吐きながらも、その言葉が淀むことはなかった。

「…ずっと重いものを一人で背負って来たら、辛くて…当然だよな。だから…
あの子は、ううん…小学校の卒業式の日から…お前は、ずっと…孤立していた
事を…親友に裏切られた事で泣き続けて、いたんだよ…」

「お前、何を言っている…?」

 何故、こんな状況で…そんな話が飛び出るのかが…眼鏡には全然
判らなかった。
 だが、克哉は…必死に、片方の掌を…握り締めていく事で伝えていく。

「…憎しみを、晴らすには…あの子の存在を救うには…あの子が背負っている
痛みや苦しみを、オレ達のどちらかが受け入れてやるしか…なかったんだよ…。
 受容して…あの子を拒まないでいてやる事で…あの子は、切り離されている
事実から解放される。そうしたから…消えた、んだ…だって…」

 血まみれの手が、そっと眼鏡の頬に伸ばされる。
 その掌は…とても、温かくて…。

「…お前はあの日からずっと、その痛みを苦しみを…誰かに聞いて貰いたかった。
受け入れて貰いたかった。けれど…プライドが邪魔をして、家族にも誰にも
吐き出す事は出来なかった。けれど…心の奥底では、そうずっと思っていた
んだからね…」

 それは、誰にも悟られたくなかった少年時代の佐伯克哉の本当の願い。
 孤立したくなんて、なかった。
 親友に裏切られたくなかった。
 一人ぼっちで…誰にも理解されないまま、遠くの中学校になんて行きたく
なんてなかった。
 そんな本心を、口に出せずいえないまま…彼は眠り、抱え続けて…ずっと
ズクズクと胸が痛み続けていたなんて、そんな事は…。

「そんな、訳が…ない! お前は何をでたらめを…!」

「でたらめ、何かじゃないだろ…。認めろよ、自分の本心を…。自分の弱さも
罪を何もかもを…そうやってお前がみっともないから…と自分の中の認めたく
ない部分を否定し続けたら、その切り離された部分はどうすれば、良い…。
『自分』と大事な人間に否定される事ぐらい、辛くて悲しい事は…ないんだぜ…?」

―人の心の中には、色んなものが眠っている。
 綺麗なものも、汚いものも混然となって一人の人間の心の中に
潜んで…同時に存在している。
 これは即ち、彼が自分の中の認めたくない要素を切り離してしまったから
起こってしまった悲劇。
 あの少年の克哉は、彼の見たくない本心そのものだった。
 そして…孤独で変質して、あんな有様になってしまったのも全て…その
痛みを長い間、理解される事なく吐き出す事もなく抱え続けていたから…。

―誰かに受け入れられたい、理解されたい。

 その願いが叶ったから、だから少年は…克哉の中に溶け込んでいった。
 
「…お願いだから、どうか…その事実を受け入れて欲しい。だって…そうだろ?
自分の中の弱さも、罪も受け入れられないそんな人間がどうして…人を愛して、
一緒に生きて、いくんだ…? 子供の自分すら…受け入れられない、そんな
奴が…本当の意味で、他人を受け入れられるの、かな…?」

「っ!」

 それは彼にとっては耐え難いぐらいに、苦痛に満ちた一言。
 けれどそれでも…克哉は、眼鏡の腕の中に納まって間近で顔を見据えて
いきながら告げていく。

―克哉に残された時間は後、僅かだった。
 もうじき…この世界で、自分は形を保って存在出来なくなる。
 少しずつ、自分の中から力とかそういったものがゆっくりと流れ落ちて
いくような感覚を覚えていた。

 だからその前に、彼にはしなくてはいけない事があった。
 もう一人の自分に全ての事実を認めさせて、その背中を押すと
いう最後の仕上げを…。

―それまで、どうにか持ってくれ…!

 心の中で強く願いながら、克哉はもう一人の自分と最後の対峙の時を
迎えようとしていた―

―克哉は…ずっと、自分達にとって幸せになる道が存在するだろうか
もう一人の自分の内側から、考え続けていた。
 彼が持っていた…ズバ抜けた観察眼と、客観性。
 それは自分に自信が持てなかった頃には生かせなかった
能力だったが、追い詰められた事で…彼は限られた時間の中で
自らの内の世界を視る事で、どうにか一筋の希望を見出していた。
 そして、誓っていた。
 …このほんの僅かな可能性を守る為ならば…どんな事でもすると。

 ―たった一度だけ、御堂に抱かれた日の朝に静かに決意していた―

 森の影から現れた小さな影に、二人はハっとなってそちらの
方へと一斉に視線を向けていった。
 其処にいた少年の克哉は、異様な風体と成り果てていた。
 それを目の当たりにして、彼らは驚愕するしかなかった。

「何だ、これは…!」

「っ…!」

 眼鏡は、つい震えながら声を発し…克哉は驚きの余りにまともに
声が出なくなっていた。
 子供の克哉は、真っ黒でつるりと…目、鼻、口の部分がまったくない
のっぺらぼうを連想させるような仮面をつけて、その場に立っていた。
 少年の服装はブレザー…かつて小学校の卒業の日につけていた
ものに間違いなかった。
 しかし…その隙間から覗いている首筋から、手首に掛けて…
まるで皮膚ガンに侵されているかのように赤黒い腫瘍のような
ものがびっしりと浮かんでいる。
 
(…そうか、あの子が…仮面をつけているのは…!)
 
 恐らく、克哉の推測が正しければ…恐らく、あの黒い腫瘍は彼の
顔にまで及んでいる。
 だから、きっとそんな顔を見られたくない…そして表情を読み取られたく
ないから、あんな異様な造りの仮面を纏っているのだろう。

―お前達だけ、どうして…! 無事なんだよ!

 少年が声を発すると同時に、森全体が震えた。
 ビリビリビリ、と静電気が走ったかのような刺激が全身に走っていく。

―僕だけが、こんなに苦しいものを背負わされて…ついに、こんな
姿にまでなったというのに…! どうして! どうしてっ! どうしてっ!

 それは子供が駄々を捏ねているような、癇癪を起こして感情を
爆発させているような…そんな、光景だった。
 肌が粟立つぐらい…激しい憎悪の波を少年から感じていく。
 いや、事実…彼は全てが憎くて仕方なかった。
 その強烈な負の感情が、心の世界…そう、彼が存在している
一帯を著しく歪めて、ここまでゾっとするような光景を生み出していた。
 
「…本当に、これが…俺の一部、なのか…?」

 誰にだって心の中に、認めたくない…直視したくない醜い
部分が存在しているだろう。
 その象徴を初めて、目に見える形で確認して…悔しいが眼鏡は動揺して
唇を震わしてしまっていた。
 あの子を救わなければとか、克哉が言っていた時には…何であんなガキを
自分が救わなければいけないんだ…と内心では、強く思っていた。
 だが、嫌でも納得した。
 これは…あまりに、哀れな姿だったからだ…。

「そうだよ、小さな身体に…この世界を歪める程の『憎悪』という猛毒を
受け入れさせられたからこそ…あの子は、あんな姿になったんだよ…!」

 拳を痛いぐらいに握り締めながら、悲しそうな眼差しを浮かべて克哉が
肯定していく。

「…早く、受け入れてあげてくれっ…! お前が受け入れない限り、自分の
後悔に満ちた過去を…消え去りたいと思った苦い記憶を拒絶し続けてる
限り、決してあの子は救われないから! どんなに醜くても、何でも…オレと
同じように、彼も…お前自身でもあるんだからっ!」

 克哉は、険しい顔を浮かべながら…もう一人の自分を激励していく。
 だが、眼鏡は身動き取れなかった。
 展開が速すぎて、あまりに彼にとって衝撃的な内容が立て続けに起こり
続けて…おかしくなりそうだった。
 せめて、もう少し…時間があれば、整理し…納得するだけの準備が出来る
余裕さえあれば、彼は受け入れられただろう。
 しかし…ずっとこの世界に存在し、それを見据えていた克哉に対して…
眼鏡はこの一年、ここから離れ続けていた。
 だから、彼は動けなかった。

―この俺が、動けないだと…っ?

 恐怖のあまりに、強張って動けないなど…彼は決して認めたくなかった。
 だが、冷や汗がジトリ…と服の下から滲み始めているのが判る。
 動悸が早くなり、心が大きく波打ち続ける。

「早くっ! あの子を見失わない内に…!」

「判っている…! 判っている…!」

 けど、眼鏡の心に反して…憎悪の塊である少年の自分と対峙して
彼の身体は動かなくなってしまった。
 頭では理解しているし、判っている。
 だが認めたくない気持ちの方がまだ強かった。圧倒されていた。
 情けなかった、信じたくなかった。
 その強烈な感情が、彼の心を満たしているにも関わらず…なおも
身体を動かせない現実に、本気で歯噛みしたくなった。

 だが、無理もなかったのだ。
 切り離さなければ正気を保てなかったくらい彼にとって苦痛が伴う
感情と記憶を、ある日いきなり突きつけられて…果たしてどれくらいの
人間がすんなりとそれを受け入れられるというのだろうか?
 苦い経験を、過去を受け入れるには勇気と時間がいる。
 その、時間の方が…今回の場合は、無情なくらい彼にとっては
足り無すぎたのだ―

「『俺』…! 早く、動いてっ!」

「判っているっ!」

 ようやく、歯を食いしばって歩み寄る勇気を持った瞬間…少年は、
こちらの方にいきなり素早い動きで歩み寄っていった。
 その手には黒光りする、何かが握られていて…。

「っ…!」

 それが何か、認識した時にはすでに遅かった。
 瞬く程の僅かな時間に、間合いを一気に詰められて…少年は
素早く眼鏡の懐に飛び込もうとしたその時―

「危ないっ! 『俺』…!」

 とっさの判断で、克哉は…もう一人の自分を突き飛ばしていく。
 そして…信じられない光景が、目の前で展開される。

「嘘、だろ…?」

 辺りが一気に真っ白に光ったと…錯覚するぐらいの衝撃的な
出来事が起こっていく。
 瞠目し、その場から足が縫い取られてしまったかのように…彼は
動けなくなっていった。
 ふがいない自分を、この時ほど…呪った瞬間はなかった。

「返事をしろっ…『オレ』…!!!!」

 眼鏡の悲痛な叫びは、黒い森全体に響き渡り…悲痛の感情を
伴って木霊していったのだった―

 其処に存在していたのは一本の醜悪な外見をした大樹だった。
 
 その大きな木はまるで酸性雨や有害なスモッグに晒されて、枝も葉も無残な
有様になってしまった状態に良く似ていた。
 樹皮は全てが逆立って向けていて、ボロボロだ。
 何より木の筈なのに、どす黒く変色している部分はまるで生きているようで
不気味に脈動を繰り返している。
 所々に樹皮が捲れている部位から、重症のアトピー性皮膚炎の人間の
肌のようなカサブタだらけのガサガサの部分が覗いて、見ているだけで
ゾっとするような木だった。

間違いない。この木の周辺に、あの子がいる

「何だとっ!」

 克哉が険しい表情を浮かべながら、そっと木に触れていった瞬間
周辺の激震は一旦、止まっていった。
 ようやく立ち上がる事が出来る状況になって二人は土埃を
払いながらその場から起き上がっていく。

本当に、こんな不気味な木がある周辺にあのガキがいるのか?」

「うん。だってこの歪んだ木が何よりの証だよ。あの子の中にある
猛毒がこの森の木の生態を大きく歪めてしまっているからこうなって
いるんだからね

猛毒、だと?」

そうだよ。オレ達の心の中に巣食う『ガン』そのものと言っても良いかも
知れない。お前がかつて抱いた、自分を裏切った人間への憎しみとその
記憶と御堂さんを陵辱して監禁していた今のお前にとっては苦い
思い出である二つの生々しい記憶があの子の中に息づいてしまって
いるからね。それを一人で背負い込んで、あの子は冒されてしまっている」

おい、お前は一体何を言っているんだ?」

 眼鏡には、克哉の言っている事がイマイチ良く判らない。
 いや無意識の内に、理解する事を拒んでしまっていた。

判らない? お前からあの子が分裂した理由、それはお前が無意識の
内にその記憶を抱くのを拒んでしまったからだよ。だからあの子は一人で
それを背負う事になった。あの子の性格も言動も歪んでしまったのは
だからだよ。苦しくて辛い、一番後悔している記憶があの子の中で
息づいて、何度も繰り返し繰り返し再生されている。
 その影響を受けてこの近隣の樹木も、こんなに変質して
しまっているそういう事、だよ

 ここは、佐伯克哉という人間が生み出した世界。
 この森も空も彼らが生み出した、一つの象徴的な姿なのだ。
 深い森はその苦い記憶を他者に決して悟られる為の城塞そのものなのだ

この森も、お前とあの子が生み出したものだよ。誰にも話さないで
オレ達は、後悔に満ちた過去を背負って生きてきた。誰にも弱みを
見せたくなかった。そういう心が、この深い森を生み出している。
ここに覆い隠している物を、決して誰にも悟られない為にね

「この森があのガキと、俺の心の象徴だと言うのか?」

 言われて愕然となりながら、眼鏡は周囲を見渡していく。
 こんな黒くて、暗い森が自分の心の象徴と言われてかなりの
ショックを受けているようだった。
 だが克哉は、その続きの言葉を言いよどむ事はしなかった。
 自分が突きつけている事実が、彼にとってショックを与えるものである事は
充分に判っている。
 
 「そうだよ…吐き出せない負の感情は心の中で長い年月を経て…猛毒へと
変化していく。…そして、その毒は心を緩やかに蝕んで、人の正気を
奪っていくんだよ…」

 静かに目を伏せながら…克哉は答えていく。
 残酷な事実を突きつけているという自覚はあった。
 だが、彼がこの現状を認識しない限り…状況は決して、解決しない。
 それが判っている克哉は…だから、相手にとっては辛くなると
判っても真実を告げていった。

 精神病と言われる病気の大半は、無自覚の内に溜め込んだ怒りや
嘆きの感情が吹き出す形で現れる。
 長い年月の内に積み重なれたその人間の叫びは、創作や他者に打ち明けずに
心の中に溜め込む事で…いつしか、その人間を歪めて変質させてしまうのだ。
 それでも、年月を経る事で幾分か薄れる事もある。
 その毒が自然と消えて…心が回復する事もあったが、吐き出さなければ
整理されないぐらいに深い傷は…こうやって心象世界すらも大きく歪めて
ここまでおどろおどろしいものへと変えていくのだ―

「…嘘、だ…」

「嘘、じゃない!」

 信じられないと唇を震わせる眼鏡に向かって、克哉が一喝していく。

「…だから、言っているんだ…。あの子を、自分の中で悲鳴を上げたく
なるぐらいに辛い記憶を…お前自身が忌避して、遠ざけることによって…
あの子は痛みを背負わされたままで孤独に晒されるんだ。
 その苦痛が…この世界に全てを侵したら…多分、お前もオレも…きっと
今のように冷静を保ってはいられない。それに影響を受けて…呑み込まれる
可能性がある。だから…まだ、手遅れにならない内に…あの子を
どうにかしなきゃ…いけないんだよ…」

 そう、克哉が眼鏡に説明している間にも…おぞましい黒いものが
周辺の森を緩やかに変質させていく。
 黒い毒が、森に静かに広がり続けていく。
 この樹海が自分の心の現われだとしたら…それが、時間の経過と共に
こんな風に徐々に黒い毒が広がり続けている…それを実際に目の当たりに
して眼鏡は大きなショックを受けて、呆然としていた。

「…こんな話を、信じろというのか…?」

「…信じて貰わなきゃ、先には進めないよ。そして…放置していたら
何年後か十何年先の事になるか判らないけど…きっと、傍にいる人間すらも
傷つける事になる。…お前が御堂さんを愛して、ずっとこの先の未来も
共に歩んで行きたいと願うなら…この問題を解決しなきゃ、きっと…
お前が出ていても、オレが生きる事になっても…どちらが出ていても
佐伯克哉という存在は、あの人を傷つける存在に成り果ててしまうよ…」

 それは、確信に満ちた口調だった。
 …眼鏡に主導権を奪われたその日から、克哉はこの世界で
ひっそりと生き続けていた。
 少しずつ蝕まれる世界で、徐々に広がって増殖していく黒い影を
見据えながら生きてきた。
 それでも…御堂を偶然に駅の構内で見つけるまでは緩やかだった。
 爆発的に増えたのは、再会してその想いを自覚してから。
 そして、愛している事を思い知った時に…過去の自分が御堂に対して
犯してしまった幾つかの出来事を心底悔やんだ日からだった。
 
―そしてその苦痛を逃れる為に、自分の心の中に存在する残酷な
子供の部分を、無意識の内に彼は拒否をしてしまったのだ…

「………」

 克哉の口から放たれた真実は、眼鏡から言葉を奪い沈黙させていく。
 そんなもう一人の自分に向かって、克哉はゆっくりと歩み寄っていった。
 知らぬ間に、身体も大きく震えていた。
 青ざめて、険しい顔を浮かべている眼鏡に向かって…今度は、そっと
克哉の方から顔を向き合う形で抱きついていった。

「…今、オレが告げた事は…お前にとってショックな内容ばかりだったと
言うのは良く判るよ…。けれど、これ以上あの子を拒否したままでいちゃ…
誰も幸せになんて、なれないんだ…。今なら、まだ…どうにか出来る。
だからどうか…自分の闇と、向き合ってくれ…」

 静かな穏やかな声で、あやすように…克哉は告げていく。
 優しい手つきで、こちらの背中を何度も何度も…ポンポン、と軽く
叩いていった。

「…俺が向き合えば、本当に幸せに…なれるのか…?」

「なれるよ。だって…あの子が荒んでしまったのは辛い記憶を
背負わされた上に、お前に拒否されて…この深い森の中でずっと
一人ぼっちだったから…。
 あの子は…お前がお前自身を拒否してしまった部分の象徴。
 お前が認めたくない、みっともなくて辛くて後悔に満ちた過去の
結晶だよ…けれど、それを切り離している限り…お前の心もまた、
弱くなり続けるんだよ…」

 克哉も、あの子供の自分も…どちらも、眼鏡の心の認めたくない
部分の象徴のような存在だ。
 けれど、否定しようと何をしようと…元は一つのものを、無理に切り離して
分裂して存在させている限り、人の心は弱くなる。
 色んな要素が混じって、それを承認する事で人の心は強くたくましく…
何事にも揺るがない強靭な心を持ちうるのだ。
 自分の中に在る認めたくない部分、それを自らが拒否し続ける限り…
いつかは、その拒否している自分自身に裏切られ追い詰められる事に
なっていくのだ…。

「俺が弱いと、お前はそう言いたいのか…?」

「そうだよ。自分の認めたくない部分を拒否していたら弱くなって
当然だろ? 例えば数字に置き換えれば判りやすいだろうけど
全てひっくるめてお前が十の存在だとしたら、オレとあの子の部分を
拒否して4:3:3と比率してみろよ。
…本来10の存在である筈なのに、拒否をすることによって…お前は
4の存在となる。ようするに…氷に閉じこもってあの子を押さえつけようなんて
お前らしくない弱気な行動を取るのも、それで納得だろ?
 お前があの子を受け入れれば7になるし…その上でオレの部分も統合
すれば10になる。だから…勇気を持って受け入れて欲しいんだ。
 御堂さんが愛して、求めているのは…お前なんだからな…」

 しっかりと抱きとめながら、克哉はもう一人の自分を励まし…
諭していく。
 それがどういう事になるのか、彼自身とて判っているのだろう。
 統合した先には、自分がどうなる事も判った上で…それでも、彼は
眼鏡を励まし続けた。
 自分もまた、御堂を愛した。
 選ばれたのは自分でなかった事を辛いと思う気持ちはある。
 けれど克哉は…もう一人の自分も、内側から見て…御堂を守るために
己の身すら省みずに氷付けになる事を選んだことで好きになったのだ。
 だから、それは自分と同じ姿かたちをした兄弟が出来たようなそんな気持ち
だったのかも知れない。
 言われた言葉の重さに、眼鏡は…知らず全身を震わせていた。
 そんなもう一人の自分に向かって、克哉は勇気付けるように告げていく。

―オレの事は気にしなくて良いよ。全てを納得ずくで…すでに受け入れる
覚悟は出来ているから…大丈夫、だよ

 とても優しい声で、しっかりと告げてくる。
 聞いているこちらの胸が引き絞られそうになったその時…大樹の
影から黒い仮面をつけた、子供の自分が…静かに姿を現したのだった―
 
―暫くの睨み合いの後、克哉はポツリ…と呟いた
 
「全てに達観している訳じゃない。心のどこかでは…怖いと思う
気持ちはあるさ。
けれど…オレだって一度、お前と同じように逃げているんだ。
それで…お前と
御堂さんの間に横恋慕して、割り込むような真似は
筋が通らないだろう…。
そう思っているだけの話だよ…」
 
 深く俯きながら、克哉が答えていく。
 それを聞いて…眼鏡は言っている意味が判らない、という風な顔をした。
 ただ、彼は耳を傾けてくれているのだけは見ていれば充分に判る。
 だから克哉は言葉を続けていった。
 
「…あの眼鏡を最初、Mr.Rから受け取って…お前が御堂さんを陵辱して
その場面をビデオ撮影して脅すなんて真似をした時から、オレは相当に悩み
続けていた。本当にそんな酷いことを眼鏡を掛けている間に自分がしてしまった
のか…認めたくなかった。だからその苦痛から逃れる為に…オレは自らの意思で
眼鏡を掛け続ける事を選んで…そして、オレはお前の中に閉じ込められ
てしまった…」
 
「…そうだ。お前が眼鏡を掛けるという選択をしなかったら…確かに俺は
この一年間、現実で生きることはなかっただろう。…あの眼鏡を手にするまでの
肉体の所有権は確かにお前にあったんだからな…」
 
 克哉の言葉に、眼鏡もそっと頷いていく。
 そして彼は…更に己の気持ちを吐露していく。
 ずっと…もう一人の自分に対して、克哉は言いたい事…伝えておきたい事は
溢れんばかりにあった。
 恐らく…この機会を逃せば、きっと言う機会を逸する。
 こうやって向かい合いながら言葉を交わせるなんて事は二度とないかも
知れない。
 そう思えば…言い難い事も口に出せるような気がした。
 
「そうだね。だから…オレは自分で、自分が生きる事を放棄したようなものだよ。
…その後に、御堂さんへの想いをお前は自覚して…緩やかに変化を遂げた。
あの人を解放することを選んでからのお前は…少しだけ、変わった。
 だから拒絶する気持ちが薄れて…オレの意識はゆっくりと浮上して…
内側から
お前をこの一年、見届けていた…。
そうしたら、お前の想いが緩やかに…流れ込んで
オレもいつしか、あの人を想うようになってしまっていた…」

 静かな声で、ようやく…もう一人の自分に対して言葉を紡いでいく。
 
「…そうか、それで…お前は、御堂を…」

 眼鏡もやっと、合点がいった。
 自分に肉体の所有権が移る前、克哉の方は御堂と接した事は殆ど
ない筈だった。
 それは信じられない程少なく、片手で数えられる程しか接点がない。
 なのに…どうして、彼が自分と同じように御堂を想うようになったのか…
一週間前に切り替わって…内側から克哉を見守るようになってから
ずっと抱き続けていた疑問だったのだ。

「そう…多分、お前を拒絶していた時よりも…オレ達を隔てる境界線が
今は曖昧になってしまっているんだと思う。だから…お前の中の強い
想いだけは静かにこちらに流れ続けて来た。
 それで…オレはあの人を好きになってしまった。それが…お前の問いかけ
に対する、こちらからの回答だよ…」

「…お前は、本当にそれで良いのか…?」

 相手の考えを聞いて、納得した。
 けれど…それでも眼鏡は問いかける。
 …恐らく、自分だったらこんなに素直に受け入れたりは出来ないからだ。
 眼鏡は…今は本気で愛する人がいる。
 だから何が何でも、消えたくないと思った。

 彼は万能だった。何でもこなす事が出来た。
 人の心を読み取って操作するのも、その気にさせてこちらに奉仕させる
のも簡単に出来る事だった。
 だが、御堂だけはどれだけ手を尽くしても…追い詰めても、何をしても
手に入らない…何よりも焦がれたものだった。
 一度は手放して、相手のその後の為に断腸の思いで諦めた想い。
 それが奇跡的に叶って、両思いになったのだ。
 そうなった以上…彼は誰と争おうと今は引く気などなかった。
 例え…自分を敵に回す事になっても―

「…今のお前は、何が何でも生きたい…と強い想いを抱いている。
そしてオレには…それが良く判っているから。それに…あの人は
オレを抱いている時、背面から泣きながら抱いた。けれど…お前に
抱かれている時は、正面を向きながら本当に…嬉しそうに、笑って
いただろう。それが…何よりの答えだろ…?」

 たった一度だけのセックスの記憶を思い出して、克哉の頬に…ツウっと
涙が伝っていった。
 それは見ているだけで…心が引き絞られるような切ない顔。
 透明な雫が宝石のように、キラキラと輝いて…静かに落ちる。
 不覚にもその様子に…眼鏡は一瞬、眼を奪われていった。
 もう、何も言い返せなかった…。

「…それでも、オレもあの人を愛している…。だから…あの人に
とって一番幸せになる事をしたい。それが…お前にこの身体を
譲る事なら、オレはいつだって自分の生など差し出すよ。
 あの人が愛して止まないのは…お前の方、何だからなっ!」

 初めて、克哉は声を荒げていく。
 静かだった涙が、激情に揺さぶられて滂沱のものと変わっていく。
 そして力強く言った。

「愛しているから…! あの人にオレは誰よりも幸せになって
貰いたいんだ! だから…その手をどうか…離さないでくれ『俺』…!」

 ゆっくりと眼鏡の方に間合いを詰めながら、その両肩をしっかりと
掴んで、睨み付けるかのようにこちらの瞳を覗き込んでくる。
 それは紛れも無い彼の本心、そして想い。
 涙で濡れた双眸は…ハっと息を呑むぐらいに迫力があった。
 やっと…もう一人の自分の事が判ったような、そんな気分になった。

「あぁ…判った…」

 もう、それ以上…何を言ってやれると言うのだろうか…?
 コイツの事を弱くて優柔不断で、どうしようもない奴だと思って
バカにしていた。
 だから…同じ肉体を共有していながら…眼鏡の方から、克哉の想いは
決して見えなかったし、伝わってくる事もなかった。
 …見下していたから、今まで見えなかったのだ。
 ここまでの熱い思いを、強い願いを…だからこそ、もう一人の自分は…
自分が生み出したあの厚い氷すらも打ち砕いて、眼鏡を解放するに
至ったのだ。

―傷つきたくなくて、御堂を傷つけたくなくて築き上げたあの氷が
ある限り…決して御堂と自分が幸せになる事がないと彼は判っていたから…
 
「…お前は、どうしようもないバカだな…」

 そう呟きながら、眼鏡はそっともう一人の自分を抱きしめていく。
 …その表情はどこか、優しかった。

「そうだね、自分でもちょっと思うよ…」

「ちょっと、なのか…? それに「大」の字がついてもおかしくない
レベルのバカっぷりだと思うがな…?」

「おい…! それは幾らなんでも酷すぎるってば…!」

 相手の肩に、顔を埋めるような体制で抱きしめたから…お互いに
顔を見ることは適わなかった。
 けれど…何となく、触れ合っている感覚から充分に判った。
 …ようやく、彼らはお互いを理解した。受け入れ始めた。
 だから…こうやって触れ合っているのは、心地よかった。

「あったかい…不思議だね。心だけの世界でも…こうして、お前に
抱きしめられるとこんな風に体温を感じられるって…」

「そうだな。どこまで現実と同じような感覚があるんだろうな…
この世界は…」

 小さな子供の自分が生み出した、全てを阻むような深い森の奥で…
二人はようやく、お互いを受け入れ始めていく。
 眼鏡の手がそっと、あやすような手つきで…相手の背中を抱きしめていく。
 自分がこんな仕草をするようになるなんて、と思ったが…重なり合っている
部分から、相手の感情が伝わる。
 
(あぁ、そうか…少しずつ、こいつの心が…俺の中に流れ込み始めて
いるのか…?)

 かつて、御堂をいたぶっていた頃の自分はもっと冴え渡るような心を
持っていた。
 それは澄みすぎていて、他者の痛みを理解出来ない絶対的な冷たさを
同時に孕んでいた。
 あの氷は、それ以前までの自分の心の象徴だったのかも知れない。
 冷たすぎて、恐らく自分はどんな人間の想いすらも受け入れなかった。
 傍にいた人間の殆どを退けて、そして傷つけていった。
 けれど…今は、ゆっくりと…氷が溶けていくようだった。
 もう一人の自分はお人よしと言えるぐらいのバカで…暖かかった。
 その温もりが…眼鏡の心を溶かして…ゆるやかに氷のようだったものを
どこか温かみのある水へと変えていく。

 氷では、命を育むことは出来ない。
 水だからこそ、この世の全てのものは生きる事が出来る。
 冷たすぎる心は自分自身も、大切な人も傷つける。
 それをようやく…この瞬間、眼鏡は理解していったのだ…。

―ここにとっくの昔に、自分の味方はいたのだ…

 やっと、その事実を知る事が出来た。
 暫く…そのまま二人で抱き合っていった。
 …その顔はお互いに優しく、自然に笑い合っていくと…ふいに
激震が二人を襲っていった。

「何だっ…!」

「うわわっ!」

 弾かれたように、二人は身体を離して…倒れそうになる肉体を、
その辺にある枝を掴んで支えていくと、更に揺れは酷くなっていった。

―お前達だけ…酷いよっ! オレにだけ…オレにだけ、こんな痛い
記憶を押し付けて…自分達だけ、苦痛から逃れて! 
 お前達が、憎い! 何も知らない顔をして…何も背負わないで…!
お前達何て…消えてしまえっ!!

 それは鼓膜を破るのではないかと思えるぐらいの物凄い大きな
音量で樹海全体に広がっていった。
 その嘆きに、憎悪に応えるように…木々の色が一気にどす黒く
代わり…一瞬にして深い緑を称えていた場所は黒い森へと
変わっていった。

「くっ…! 何だ、立って…いられない…!」

「這ってでも、良い…! どうにか…進んで、くれ…『俺』…!
多分、こんなにはっきりと声が聞こえる以上…あの子はきっと
そう遠くない所にいる筈だから…!」

「うわっ…くっ…判った。しかし…無様な、格好だな…」

 二人とも、激震を繰り返す森の中で…地面に這うような
格好で進み続けていく。
 揺れる枝や葉に、二人の衣服や肌は細かく傷つけられていく。
 それでも…二人は、土で身体が汚れても…ゆっくりとにじり寄るように
先に進んでいった。

―どれくらいの時間、そうやって進み続けたのだろうか…?

 ようやく視界が開けて、黒い森を抜けていく。
 その眼前に広がるのは…おどろおどろしい雰囲気を纏っていて
醜悪な外見をした一本の大樹だった―
 
 
 
 本日分、『リセット24』は力入れて書きたいので…恐らく朝だけでは
書き終わらないと思います。
 そういう訳で書ければ帰宅後に残り部分を書いてアップ、体調的に
厳しそうなら翌日の朝に書いて…二日間で一話書くという形で
掲載させて頂きます。
 肝心な部分だったり、佳境の部分はちょっと多めに時間取って
掲載したので…ご了承下さい。

 以下は呟き。もうじきオンリーですね!
 知り合いの方にちょっとした無料冊子でも用意して持って行こうかと
画策しているんですが…なかなか時間が取れません(汗)
 克克なら新婚ネタで一個仕上げられそうな気するけど…誰かいる人
いますか…?(ビクビク)
 4~8P程度のペラい本なら、土曜一日使えば出来ますけどね。
 持っていくかどうか現在悩み中…(む~ん)
―その広大な樹海は、子供の姿をした佐伯克哉の精神が
生み出した複雑な想いそのものだった

 克哉と眼鏡の目の前には、鬱蒼とした木々が樹立して存在していた。
 余りにも多くの葉が折り重なっていて、その奥には光など殆ど差しそうに
ない雰囲気の樹海を目の前にして…眼鏡は眉を顰めていった。

「…お前、本当にこんな場所に入って行こうというのか…?」

「うん。だって…きっとあの子はここにいる筈だからね」

 きっぱりと言い切りながら、克哉は眼鏡の手を強引に引いていきながら
ズンズンと前に進んでいく。
 現実にいた頃は泣いてばかりだった筈なのに、何だって今自分の目の前に
いるコイツはこんなに強気でいるのか本気で不思議でしょうがなかった。

(何なんだこの変わりようは…?)

 御堂の前では、泣いてばかりいた。
 その想いを自覚しながら…殊勝な気持ちばかり抱いていたのを内側から
感じて知っている。
 愛しい人間に関する記憶だけは、氷の中にいた時でも時折感じる事は
出来たからだ。
 …だが、こいつと人格が切り替わってからの一週間。
 もう一人の自分が何を想い、考えていたのか眼鏡の方は全てを
知っている訳ではない。
 だから、接すれば接するだけ疑問は大きく膨らんでいく。
 
―こいつがここまで、強気であの子供を捜す理由は何故か…と。

 眼鏡が逡巡している間に、克哉はがむしゃらに森の中を突き進んでいった。
 しかし奥に進めば進むほど、光は殆ど差さなくなり…視界が徐々に
効かなくなる。
 元々、太陽など望むべくもない世界だが…光が差さない深い森の中を
地図も方位磁石もない状態で進むというのは現実ではまさに自殺行為以外の
何物でもない愚行だ。
 
「おい! どんどん…暗くなっているぞ! お前方向が判って進んでいるのか?」

「ううん、全然判らないよ」

「何っ…!」

 あまりにケロリ、と言い放たれてしまったので…眼鏡の方が本気で驚く
番になった。

「…オレには、あの子が本気で隠れてしまったら探知する事がし辛い。オレと
あの子は…遠い存在だからね。けど、お前とあの子は確かに繋がりあって
いる。探し出したかったら…お前を連れた状態で、あの子が隠れている場所
まで辿りつく以外に方法はないよ。だから進んでいる」

「…お前、ここで遭難して二度と戻れなかったという不安はないのか。聞けば
聞くだけ…聞いているこっちが心配になってくるぞ…」

「絶対に戻るよ。オレ達が揃って遭難したら…御堂さんが絶対に悲しむから。
それなら…絶対にどれだけ時間が掛かっても…オレ達にはあの子を探し出して
全ての悲しみの元を断つしか道はないんだから。逆にお前に聞くけれど
…竦んで、立ち止まって…それで何になるっていうんだ?」

 真っ直ぐに…こちらを見据えていきながら克哉が問いかけていく。
 もう一人の自分の瞳に、余りに迷いがなかったので逆に眼鏡の方が
言葉に詰まる結果になった。
 そうだ…御堂と自分は、やっと再会出来た。心を通わせて…ようやく
肌を重ねることが出来た。
 それなのに…何を弱気になっていたのだろうか…と歯噛みしたい
気持ちに陥った。

「…そうだな。ここまで来れば毒を食らわば皿まで…だな。判った…かなり
不安要素があるが、今はお前にトコトン付き合ってやる…。俺は絶対に
御堂の元に帰らなければならないからな…」

「…ん、ありがとうな。オレ…」

 そう微笑んだ克哉の表情が思いがけず優しいものだったので、眼鏡は
少しだけ眼を奪われていった。

(って…何、コイツに眼を奪われているんだ…。コイツと俺は基本的に
同じ顔をしている筈だろう…?)

 眼鏡は口元を覆いながら、自分で突っ込みを入れていった。
 するとこちらがそっぽを向いている間に、克哉は予想もつかない
行動をし始めていった。

「とは言いつつも…明かりもなく、こんな深い森の中を進んでいくのは…
不安でしょうがないよね。…えい!」

 そう克哉が掛け声を出していくと同時に…彼の手の中に、一つのカンテラが
生まれていった。
 あまりに非現実な光景に、眼鏡は驚愕に眼を見開いていった。

「なっ…!」

「…あは、一応…ここはオレ達の世界でもあるから…気合入れればこれくらいの
物は作れるみたいだよ。…この樹海みたいな大きなものは、ちょっと厳しそう
だけどね…」

「…そういえば、ここは現実じゃなくて…俺たちの世界でもあったな。なら…
こういう物も作れるのか…?」

 ふと、好奇心を抱いて…眼鏡ももう一人の自分に習って念じていくと…
次の瞬間、手の中にとんでもないものが生まれていった。

「…っ! って何を作っているんだお前は!」

 それを見て克哉は顔を真っ赤にしながら叫んでいく。
 眼鏡が手の中に生み出したもの…それは乗馬鞭と、荒縄だった。
 そういえばこの男の元々の性癖は…相当に難有りだった事実を思い出し
克哉はかなり頭痛を覚えていく。

「…あのクソガキをお仕置きする為には良いかなと思ってやって
みただけの話だが、何か文句あるのか…?」

「大有りだよ! そんなものを持って現れたらあの子が怯えるだろうが!
これは没収するよ!」

 といって克哉は鞭と荒縄を、眼鏡の手からひったくるように奪っていくと
全力でそれを木々の向こうに放り投げていった。

「貴様! 人の渾身の力作に何をする!」

「こんな物を渾身の力を込めて作るなっ! ほんっとお前…信じられない!」

 何で自分たちは、こんな低レベルな事で言い争いをしなくてはいけない
のだろうか…と半ば頭の片隅で思いながらも、克哉はもう一人の自分を
睨み付けていく。

「…何だその眼は…そんなに反抗的な態度を取るっていうのなら…
お前に思い知らせてやっても良いんだぞ…?」

「へえ、やれるものならやってみたら? もうそういう酷いことはしない
筈じゃなかったっけ…『俺』…?」

「…御堂の人格を崩壊させるような行為は二度としないという意味だ。
…元々の俺は、相手を啼かせたり…苛め抜くのを好む性癖だからな…。
心配するな、加減はしてやる…」

 相手の物言いを聞いて、克哉は楽しそうに笑っていった。

「…はは、やっとお前らしくなったな。…それで良いんだよ。ま…
お前に此処で苛め抜かれるのは勘弁願いたいけどね…」

 その発言を聞いて、眼鏡は怪訝そうな顔を浮かべていく。

「…どういう意味だ?」

「…お前、御堂さんを想う余り…自分のそういう性癖まで否定しながら
ずっと生きていただろう? だから弱っていってしまった。
…確かにあんな風に、相手の人格を崩壊させる寸前までいたぶるような
そんな真似は二度としちゃいけないけれど…だからと言って、お前のその
嗜虐的な性癖が消える訳じゃない。折り合いをつけながら…それを出して
生きていったって良いんじゃないかな…と言いたいだけだよ」

 そう告げる克哉の表情は、達観したものだった。
 それを聞いて…眼鏡は、違和感を覚えていく。

―こいつも、御堂を想っている筈じゃないのか…?

 しかし今の言い方は、『眼鏡』が現実に戻ることを前提にした言い方の
ような気がしてならなかった。
 けれど…好きな相手がいながら、ここまで潔く…自分が生きる事を
諦められるものだろうか?
 眼鏡にはそれが理解出来ない。
 だから不機嫌そうな声を出しながら、逆に問いかけていく。

「…何だかさっきからお前の発言を聞いているとイライラしてくる。…そうだ、
ずっと疑問で仕方なかった。…お前も、御堂を想っている筈だろう…?
それなのに、どうして…そんなに全てをあっさりと諦められるんだ?
人の性癖を理解して認めるのも良いが…どうして、そう…達観したような
そんな顔をお前はしていられるんだ…?」

 この世界に来てから、展開が速すぎて…頭と心がまったくついていって
いなかったが…ようやく眼鏡は自分のペースを取り戻して、ずっと不思議で
仕方なかった事を尋ねていく。
 それに対して…克哉はどこか儚い表情を浮かべながら、そっと眼鏡を
見つめていった。

―それはどこまでも澄んだ宝石のようなアイスブルーの双眸

 その瞳に、一瞬…意識が捕らえられていく。
 深い樹林の中で二人はようやくお互いと向き合い…対峙していく。
 
―森の奥では小さい克哉の鳴き声が、微かに聞こえ続けていた―

 ―眠りに落ちた後、眼鏡の意識はゆっくりと深い場所へと
飲み込まれていった。
 その過程で、小さな子供の泣き声を聴いた。

―あの声は一体、何だ…?

 あの残酷な子供の自分のものなのか?
 違和感を覚えながら…青い闇の中にゆっくりと飲み込まれていく。
 白や水色、青や紺の光が乱反射して…まるで万華鏡のようにキラキラと
輝いていた。
 その中をゆっくり…少しずつ墜ちていく。

(何であのガキの泣き声なんて…聞こえるんだ…?)

―俺はそんなにいらないのかよっ…!

 一瞬だけ桜の幻影が見える。
 アレは…何だ?
 もしかして…卒業式の日、なのだろうか?

―俺はお前を好きだったのに…お前にとって、俺は追い詰めるだけの
存在だというのなら…!

 少年の嘆きは、終わらない。
 けれど、眼鏡の耳には届かない。
 それは自分の過去に実際にあった事なのに…今の彼には、酷く
遠く感じられてしまった。
 切り離された自分の心。恐らくあの日に感じた自分の痛みも苦しみも…
あの子供の中に存在しているのだろう。
 徐々に、全てが遠ざかっていく。
 そうしている間に、どこかにフワリ…と着地していった。
 一瞬、仰向けに倒れる格好で…横たわっていくと…フワフワした感触の
地面の他に、青い闇だけが…ただ広がっていった。

「やっと来たんだね…」

 もう一人の自分の声が、気づけば聞こえていた。
 小さく頷いていくと…ゆっくりと自分のすぐ傍で…優柔不断な性格を
した自分が…具現化していった。

―気づけば、そいつに膝枕をされている格好になっていた。

 アイスブルーの瞳が穏やかに、こちらの眼を覗き込んでくる。
 あやすようにその髪を梳かれて、頬を静かに撫ぜられていく。

「…いたのか」

「うん…やっと、ここで顔を合わす事が出来たね…『俺』…」

「…俺は会いたくはなかったがな…」

 顔を見ている内に、眼鏡の中に穏やかではない感情が湧き始めていく。
 それは怒りや嫉妬と呼ばれるもの。
 …愛しくて堪らない御堂に、一時でもこいつが愛されて…受け入れられて
キスを交わした事を知っている。
 例え心が通わなくても…身体を重ねた事実がある。
 それだけで言いようのない負の感情があふれ出して…眼鏡の心を
荒ませていく。

「…うん、そうだね。お前にとって…オレは言わば恋敵のようなものだからね…。
会いたくなくて、当然だよ…。けど、今だけは妥協してくれるか…?」

「何故だ…?」

「あの子を、一緒に探してくれないか…?」

「…あの子って、あのガキの事か…?」

「…他に誰がいるっていうんだよ。そう…小学校の卒業式の日の苦い記憶を
抱いてしまっている12歳の時の俺らの姿をした子だよ。…必死に抑えていたん
だけど…逃げられてしまったからね。奥の方に行ったから…外には出ていない
筈なんだ…」

「…貴様、強引に人の眠りを妨げた上に…あのガキを逃がしたっていうのか…?」

 眼鏡の方が、気炎を吐きそうな勢いで憤っていくと…申し訳なさそうに
克哉は肩を竦めていった。
 そう…御堂に最後の願いをした時、そのまま克哉は全力であの氷に
体当たりして、強引に…眼鏡とあの子供を解放したのだ。
 その直後、克哉は代わりにあの子供を必死に抱きしめて抑えていたから…
眼鏡は愛しい、という気持ちだけで御堂と接する事が出来た。
 だが…行為が終わって、彼の意識がゆっくりとここに降りてくる間に
克哉の隙をついて…あの子供は逃げてしまったのだ。

「…それは、御免。予想以上にあの子の力が強くて…」

「お前が惰弱だからこそ…そんな失態を犯すんだ。…で、あのガキは…
一体どちらの方向に逃げたっていうんだ」

 眼鏡が問いかけると同時に、克哉はそっと指を指して…少年が
消えた方向を示していった。

「あっちの方向だよ。あの奥は…深い霧みたいなのが出ているから…
一人で行ったら確実に迷うような気がして…。だから一緒に行って
貰えるかな…?」

「…俺だって、方角なんて判らないがな。お前と一緒に行動する事に
何のメリットがあるというんだ…?」

「…あの子とは、オレよりも…お前の方が深い繋がりがある。お前が
御堂さんを愛したと自覚するまでは…あの子はお前の心の中に
存在していたんだからね…。だから俺よりも、お前との方が縁が
深い筈だから…」

「…あんなガキが、自分の中にいたなんてゾっとする限りだがな…」

 苦々しげに眼鏡が呟くと同時に、フイに克哉の表情が険しくなった。
 こんなに怒っているような顔を浮かべるコイツを見た事なんて今まで
なかったから…一瞬、眼鏡は言葉に詰まっていった。

「…お前がそうやって、あの子の部分も…オレを司る部分も拒絶
したからこそ…こうやって別々に存在しているんだよ…?」

 そう告げた克哉の表情は、憤怒を必死に押し殺している風だった。

「…どういう事だ?」

「…オレも、あの子の部分も…全てをひっくるめて「佐伯克哉」という
人間だって事だよ。その意味は追々…判ると思う。そろそろ行こうか…?」

 自分の膝の上に頭を乗せている眼鏡に向かってそう問いかけていくと…
いきなり強引にその頭を退けて、克哉は立ち上がっていった。

「うわっ! …お前、一言ぐらいは断わってから立ち上がれ…!」

「…あんな冷たいことばかり言っているんだから、自業自得だろ? 恐らく
あっちの方向にあの子がいる。そして…お前と一緒でなければきっと見つけ
だせない筈だ。何故なら…」

 其処で克哉は言葉を区切って、はっきりと告げていった。

「…あの子の本心は、お前の中に還りたがっているんだからね…」

「なっ…?」

 予想もしていなかった事を言われて、眼鏡がその場に硬直していると
その隙をついて…克哉は強引に彼の手を取ってスタスタと歩き始めていった。
 自分の手を引く克哉の背中には…迷いがなかった。

「さあ行こう。オレ達が…本当に幸せになる為には、まずあの子を
見つけないといけない。…その為に手を貸してくれ」

 そう、振り向きながら克哉ははっきりと告げていく。
 …その口調の強さに、眼鏡は反論を奪われていった。
 
「…其処まで頼むなら、手を貸してやらんでもない…」

「…ありがとう」

 全然素直じゃない様子で眼鏡が頷いていくと…克哉は柔らかく微笑み
ながら進んでいく。
 
―そして青い闇が晴れる所まで進んでいった先に現れたのは…どこまでも
深い樹海だった―
 

―今、佐伯克哉は例えようのない憤怒に突き動かされていた。

(胸が焼け焦げそうだ…!)

 あの残酷な子供の自分を押さえ込む為に、自らごと封じ込めたと
いうのに…もう一人の自分が必死に訴え、こちらの痛い所を突いて
いったのがキッカケで少しずつあの厚い氷はひび割れていった。
 だが、眼鏡にとって決定打は…たった今、二人がした口付けだった。

 心の伴わないセックスをする所までは、耐えられた。
 けれど…あの瞬間、御堂は心からもう一人の自分を愛しいと
想いながらキスをしているのが伝わって来てしまった。

―それがどうしても、眼鏡には許すことが出来なかった…!

 あの瞬間に、思い知った。
 自分は絶対に、御堂がもう一人の自分を愛して末永く添い遂げる所を
内側で見守る事なんて出来ないのだと!

「み、どう…」

 喉の奥から引き絞るような切迫した声で、その名前を呼んでいく。
 灼けるように熱い舌先で相手の口腔を掻き回し…歯列から、内側の
柔らかい肉を丹念に辿っていく。
 その口付けの余りの熱さと、濃厚さに…御堂は酸欠しかける。
 だが、それでも決して容赦などしてやらない。
 弱い方の自分に対しての嫉妬が、消えない。
 どれだけ貪っても、足りないと飢える心がある。
 その衝動のままに相手をがむしゃらに抱きしめて…その火照った肌を
弄り始めていった。

「さ、えき…! どうして、そんな…!」

「黙っていて、くれ…。今は、あんたが欲しくて、堪らないんだ…!」

「そ、んな事…言われて、も…はっ…んんっ…!」

 ボタンを飛ばしそうな勢いで乱暴にワイシャツを剥いていくと、キスだけで
すでに硬く張り詰めていた胸の突起をしつこいぐらいに摘み上げていく。
 相手の指先がそれを挟み込み、クニクニと刺激されるだけで何故…
こんなにも電流のような強烈な快楽が走るのか。
 御堂の意思と関係なく、唇からは甘ったるい嬌声が零れていく。

「やっ…さ、えき…佐伯ぃ…んっ…!」

「御堂、やっと…あんたに、触れられた…」

 情熱的な瞳を称えながら、眼鏡は…やっと愛しい人にこうして
触れることが出来た喜びを噛み締めていく。
 胸を焦がす嫉妬の感情は相変わらず胸の奥に滾っていたが…
それを上回るぐらいの喜びが、彼の中に広がっていく。
 
―残酷な少年は、眠っている。だから愛しいという想いだけで…
この人に触れる事が出来る…!

 それがどれだけ、喜ばしい事か…思わず涙ぐみそうになる。
 御堂が、この腕の中にいる。
 胸いっぱいに広がっていく多幸感に…眩暈すらしそうだった。

―それで、良い。今は…オレが、抑えているから…

 もう一人の自分の声がか細い様子で、頭の中に響いていく。

―だから、今は…御堂さんと、過ごしていてくれ…後で…

 その言葉が頭に響いて、眼鏡ははっきりと…克哉に告げていく。

―あぁ、必ず行く。だから今は…黙っていろ…

―…うん

 どこか切なそうに、もう一人の自分の頷く声が聞こえて…そして
完全に今は気配が途絶えていった。
 恐らく、もう一人の自分は…さっき、自分があの二人がキスをしていた
時に感じたショックと嘆きの感情を何倍もの規模で味わっているのだろう。
 だが、それでも…眼鏡は御堂へと触れる事に躊躇いを見せなかった。

(お前の痛みは判るが…それでも、俺は決して…御堂を誰にも渡す
つもりはない…!)

 こんなに愛しい人間をどうして、手放せるというのか。
 御堂の敏感な場所に触れ、愛撫を施していく度に…愛しさと喜びが
溢れて、息が詰まりそうなぐらいだ。
 深いキスと胸への愛撫を執拗なぐらい続けていくと…御堂の身体が
もっと深い刺激を求めて、小刻みに腰をくねらせ続けていく。

「御堂…ここに、いい加減触れて欲しくて…堪らないのか…?」

「あっ…判っている、のなら…焦らす、な…」

 胸に添えていた手の片方を下肢へと伸ばし…相手のズボンのフロント部分を
寛げさせて性器をそっと握りこんでいくと…すでに其処は熱く張り詰めて、
ドクンドクンと荒く脈動していた。
 先端からうっすらと先走りが溢れている姿は、相手が自分の手で感じてくれて
いた何よりの証で…克哉の男としての征服欲を満たしていく。

「…やっぱり、あんたは…相変わらず、いやらしい身体だな…。ちょっと触れた
だけで、もうこんなに…濡れてる…」

「だから! そういう事を…イチイチ、口にするなと…! どうして、君はいつだって…
そんなに、意地が悪い…んだ…」

 目元を真紅に染めながら必死に訴えていくと…克哉は相手の耳元に唇を
寄せて、殺し文句をささやいていった。

―あんたが可愛くて愛しくて仕方ないからな。つい…虐めたくなる…

 それを聞いた瞬間、ゾクンとした快感が背筋を走り抜けていく。

「っ…!」

 恥ずかしくて嬉しくて、ついまともな言葉を発せられなくなる。
 そうしている間に…御堂の性器を扱き上げる男の手は一層熱の篭ったものとなり
容赦なくこちらを煽り上げていく。
 グチャグチュ…と淫らな粘質の水音が、手が動く度に響き渡り…聴覚さえも
犯されているような錯覚を覚えていく。

(体中の…全てが、熱い…!)

 先週、自分が克哉を抱く側に回った時も相当に身体を熱く感じたものだが…
今、御堂が感じている熱はその比ではなかった。
 血液が沸騰してしまいそうな…という形容詞が一番相応しい。
 自分がこんなに熱くなれるとは…今まで知らなかった。
 ペニスを弄られる度に、自分の蕾もまたヒクヒクと卑猥に蠕動を繰り返して
浅ましく蠢いていた。
 限界近くまで追い上げられて、頭が真っ白になるような感覚を覚えていく。

「はぁ…あっ…! 佐伯、もう…!」

「あぁ、イケよ。あんたのとびっきりの顔を…見せて、くれ…」

「はぁぁー!」

 一際大きな声を発しながらそして…ビックン、と大きく全身を跳ねさせていくと…
御堂は眼鏡の掌の中に熱く吐精していった。
 忙しない呼吸を繰り返して、心臓が破裂しような感覚を味わっていくと同時に…
いきなり両足を掲げられて大きく、足を開かせていく。

「はっ…佐伯、何を…っ? はっ…あぁー!」

「すまない…だが、もう…我慢、出来そうに…ない…」

 足を大きく割り開かせたと同時に、眼鏡は御堂の蕾に性器の先端を宛がい、
そのまま一気に貫いていく。
 一応、ローションだけは己の性器にたっぷりとつけてくれていたおかげで…
一年ぶりの割りにはすんなりと入ったが…久しぶりの性交に、御堂は快楽
混じりの苦痛も同時に感じてしまっていた。

(苦、しい…が…だが、満たされる気持ちも…あるな…)

 本来、男の身体は同性を受け入れるようには作られていない。
 だから…性急な性器の挿入は、正直苦しくて辛い部分があった。
 だが…焦がれた男の熱を身の奥でようやく感じられて…満たされて
いたのもまた事実だった。

―克哉が、自分の中で確かに息づいていた

 それだけで、おかしくなりそうだった。
 御堂の方から男の背中に腕を回して必死になってすがり付いていく。
 克哉もまた…それに応えるように、強くその身体を掻き抱いていった。
 お互いの気持ちが確かに重なり合う。

「やっと…あんたを、抱けた…」

 心から嬉しそうに、眼鏡が告げていく。
 御堂も…その顔を見て、綻ぶように微笑んでみせた。

「…私、もだ…。やっと、私を好きだと言った君に…触れられた…」

 双方とも、とても幸せそうな顔を浮かべていく。
 それは…これから起こる大きな運命の前の一時の幸福な時間。
 そのまま二人は唇を深く重ねあい…お互いにその顔を見つめあう
正常位の体制で交歓を続けていく。
 繋がった部位から淫らな音が響き続ける。
 相手が動く度にその腹部に御堂の性器はこすられ続けて…耐え難い
までの強烈な快楽が走り抜けていった。

「あっ…ひっ…! やだ…そんな、に激しく…されたら、もう…!」

「どこまでも…乱れろよ。…あんたが、俺の腕の中で…感じて悶えて
くれるのは、凄く…そそる、からな…」

「そんな、のって…! も、や…駄目だ…もう、ダメ…!」

 眼鏡が御堂の内部の脆弱な場所を丹念に攻め上げていくと…それだけで
堪え切れないとばかりに、その引き締まった肉体が跳ねていく。
 感じて必死に喘いでいる御堂の姿は、ハっと息を呑むぐらいに
艶があった。
 双方が絡み合う音が脳裏に響き、荒く刻まれたそのリズムが確かに
重なり合う。
 それは一つに束の間だけでも溶けてしまえそうなぐらいの強烈な
感覚と快感。
 余裕のない表情を浮かべながら、それを感じ取っていくと…二人は
ほぼ同じタイミングで限界を迎えようとしていた。

「もう…イク、ぞ…! 孝典…!」

「ん、はぁぁ…っ…!」

 競り上がってくる熱い衝動。
 それを叩きつけるように眼鏡は…御堂の内部で熱い精を解放して注ぎ込んでいく。
 お互いにビクンビクン、と身体を小刻みに痙攣させていきながら…ほぼ同じ
タイミングで達していって…ベッドシーツの上に折り重なっていった。

―同時に眼鏡は、心地よいまどろみへと意識が浚われそうになった

(もう…リミット、か…)

 本当はもう少し、愛しい人間の感触と体温を…感じていたかった。
 だが…これから、自分は心の世界に戻らないといけなかった。
 あの残虐な子供の自分を、どうにかしなければ…きっと、いつか自分は
この人を傷つけてしまうから…。

(必ず…戻ってくる、からな…)

 もう、満足にこの人に説明している時間の余裕はなかった。
 だから…心の中でそう呟きながら、とても優しいキスを御堂の唇に
落としていった。

「愛して、る…」

 最後に、どうにかその気持ちだけを告げて…彼の意識もまた、
深い闇の中へと落ちていく。
 どうか、どうか…必ずこの人の下へと帰れるように…心から祈りながら、
眼鏡はそっと意識を手放していった。

「…佐伯、眠ったのか…?」

 少し経ってから、自分の上に思いっきり体重を掛けて眠り込んでいった眼鏡に
大して…御堂は、苦笑がちに尋ねていく。
 最初は少しだけ眉を顰めていったが…フウ、とため息を吐いていくと…そっと布団を
手探りで掛けていきながら…お互いに楽な体制へと変えていった。

「…本当に、君は…手間が掛かるし、こちらを驚かせる事ばかりするな…」

 そう、呟きながら…御堂からも、相手の唇にキスを落としていく。
 そして…その傍らに横たわりながら、瞼を閉じていった。
 今でも困惑はある。
 事態についていけなくて…訝しがる気持ちも広がっていた。
 だがそれら全てをグっと飲み込んで、ただ御堂は一つの事を祈っていた。

―自分が目覚めた時に、どうか…君の姿が消えていないようにと…

 やっと、この時…御堂は、『佐伯克哉』という存在をしっかりと掴めたような
実感を感じることが出来たのだ。
 どちらの彼でも、自分を愛してくれていると。
 そう感じることが出来たからこそ…彼はただ、祈る。

 せめて夜明けまで…消えないで自分の傍らにいて欲しいと…強く願いながら
少し遅れて…御堂も、深い眠りへと落ちていったのだった―

 

―たった一度で良いんです。心からオレを、愛しいと思って
キスして下さい…

 それが、御堂に告げた克哉の願いの内容だった。
 …お互いに険しい表情を浮かべながら至近距離で見詰め合う。
 御堂も克哉も、真剣な眼差しだった。

「…本当にそんな事で、良いのか…?」

 確認するように、御堂が問いかけ…躊躇いがちな仕草で
克哉を引き寄せて…その頬を撫ぜていく。
 その掌の思いがけない温かさと優しさに…思わず涙ぐみそうに
なっていく。
 
「…はい。それで、充分です…」

 本音を言うなら、一度で良いから…心から自分の方を愛しいと
思いながら「抱いて」欲しい。
 一週間前の交歓は、お互いにとって余りに切なく悲しいもので
あったから。
 好きだと自覚した人間と初めて抱き合った記憶がそんなもので
ある事は、克哉自身とて…辛い。
 だが、御堂は…もう一人の自分にとって最愛の人物。
 そして…この人もまた、眼鏡の事を想ってくれている。
 
―克哉はその事実を知っていながら、御堂に抱いて欲しいという
口に出す事はどうしても出来なかった

 内側で、あいつがどれだけこの人を愛して想っていたか…焦がれている
姿を見続けていて、何故そんな事を口に出せるというのだろうか。
 
(御免な…一度だけ、許して…くれ…)

 これが、最後だから。
 たった一度だけ愛されながらこの人とキスされた思い出を抱いて…
それで、お前に全てを譲るから。
 だからどうか…ただ一度だけ、この人に自分が愛されることを…
許して、欲しいと…もう一人の自分に静かに伝えていく。

 ドクン…!

 呼応するように、自分の心臓が大きく跳ねていく。

―好きに、しろ…!

 怒り交じりに、眼鏡の声が聞こえる。
 けれど…無理やり、止めるような真似はしなかった。
 だが…。

 ドックンドックンドックン…!

 緊張とは違う、早鐘が心臓から刻まれ続ける。
 それで自覚する。
 …もう一人の自分が、今…目覚めて、その殻を突き破ろうと
している気配を―

「…克哉」

 初めて、御堂が…自分を下の名で呼ぶ。
 それは、佐伯と呼んでいた眼鏡を掛けた方の自分と区別する為の
事だと、何となくは感じた。
 けれど…凄い嬉しくて、泣きそうで…胸が引き絞られそうになる。

(あぁ…オレも、この人をこんなに…いつの間にか、好きに…
なっていたんだな…)

 今までに何人かの女性と付き合った経験がある。
 けれど、誰にもこんな切ない感情を抱いたことはなかった。
 自分は、本当に…御堂が、好きなのだと…ただ、腕の中にいるだけで
実感していく。

「孝典、さん…」

 克哉も、同じように…初めて、御堂の下の名前を呼んでいく。
 それは最初で最後になる、呼びかけ。
 御堂の指先が、克哉の髪を慈しむように撫ぜていった。

―とても、幸せな一時で胸が潰れそうだった

 御堂の紫紺の瞳は、柔らかい色合いを浮かべていた。
 克哉のアイスブルーの双眸はうっすらと涙をたたえて…宝石のように
光り輝いている。
 暫く、お互いに瞳を覗き込むようにしながら見つめあい…そして、静かに
顔が寄せられていく。
 
―双方とも、それからは無言。そして静寂が落ちていく―

 シィン、と部屋の中から音が消えていく。
 代わりにお互いの息遣いや吐息、そして…唇が重ねあう柔らかい感触
などその他のものを鋭敏に拾い上げ始めていった。
 克哉の方から強い力で…御堂の首元にしがみついていく。
 それに応えるように、御堂も…ギュウっと息が詰まりそうなぐらいに
力を込めて、相手の身体を抱き締めていった。

『これで、良い…』

 今まで、26年間生きて来た。
 眼鏡を得た日から…自分は内側に閉じ込められて、恐らくこれからも
そんな日々は続いていくだろう。
 自分はその現実を許容して全て受け入れた。
 けれど…この一瞬、本当に好きだと想った人と…たった一度でもこうして
心から大切にされて、キスをしたその記憶。
 長い人生において、つかの間に過ぎないその瞬間だけでも…今まで
生きてきて良かった、と思えた。

 短い時間だけでも愛された記憶。
 それだけで…もう、自分には充分、なのだ。
 後は、貴方の幸せをただ…祈ろう。
 もう一人の自分と、貴方が本当に幸せになる為に必要な事。
 この一週間、その道筋を考え続けて来た。
 そして…克哉はすでに、その為の答えを導き出していた。

 ―あの残虐な子供の自分も、眼鏡を掛けた自分も…そして自分自身も、
悲劇しか招きそうにない状態の中で、救われる為の道を―

『…勇気を…!』

 心から、克哉は祈っていく。
 深く深く、この人に口付けられていきながら…ぎゅっとそのスーツの
背中の生地を強く握り締めて、祈っていく。
 永遠とも想えるぐらいに、永い口付けが終わっていく。
 互いの口元から、銀糸を伝らせながら…そっと顔を離していくと。

「ありがとう…ございます…」

 最後に、そう短く告げて…克哉は目を閉じ、まるで糸が切れた人形の
ようにその場に崩れ落ちていく。

「克哉っ!?」

 とっさに御堂は相手の背に腕を回して、その身体を支えていったが…
完全に克哉は意識を失い、ぐったりとなっていく。
 同じ体格の人間同士が、意識を失った相手の身体を支えるのにも
限界がある。
 せめて頭を打たないように配慮しながら…ホテルのカーペットの上に
その身体を一旦横にしてから、再び呼びかけていく。

「克哉…起きろ! 一体、君に何が…?」

 御堂は、動揺していた。
 困惑の余りに叫びだしたい状態に陥っていた。
 しかし、克哉のさっきの言葉を思い出して…ハっとなっていく。

―それがオレの最後の願いです。叶えて下さいますか…?

 その台詞が鮮明に脳裏に再生されて…御堂は全身を小刻みに
震わせていった。

「…君は、もしかして…自分がこうなる事を覚悟の上で…私にあんな、
願いを…したのか…?」

 意識を失った克哉は、当然答えない。
 けれど…うわ言のように、細く掠れた声で…最後にこう告げた。

―待っていて、下、さい…。次に目覚めた時は…きっと、アイツと…
貴方は、会える筈…ですから…

 何を、言っているのかと一瞬疑った。
 知らぬ間に…御堂の瞳に、涙が零れていった。
 かつて…自分に酷い行為を繰り返した佐伯克哉を悪魔だと想った。
 けれど…今、自分の腕の中に崩れ落ちた佐伯克哉は何だというのか。
 どこまでも、愚かなぐらいにこちらの事ばかり…気遣って。
 本当に同じ人間なのかと、疑いたくなった。

―何故、一人の人間の中に悪魔と天使の顔が同時に存在するのだと…!

 心から、御堂は叫びたくなった。
 声が嗄れるぐらいに御堂は呼びかけ続ける。
 だが、佐伯克哉はどれだけ揺さぶろうとも髪を掴もうとも目覚める
気配を見せなかった。

「克哉―!」

 けれど、その悲痛な叫びは…最後に、完全に意識を落とす克哉の
耳に届いていく。
 それだけで…少しだけ、嬉しかった。

―さようなら…

 そう、心の中で呟き…克哉の意識は深層の部分へと落ちていき―

 咆哮を上げながら、一匹の獣が…目覚めていく。
 余りの展開に、御堂は瞠目し…硬直していると…。

「御堂…」

 次に目覚めた佐伯克哉は、聞き覚えのある掠れたハスキーな声で
自分の名を呼んでいく。

「さ、えき…?」

 確認するように、その名を呼んでいく。
 そして…次の瞬間、心臓が止まりそうになった。

―今、御堂を鋭く射抜く双眸は…焦がれて止まないあの熱さが宿っていたから…

 御堂は、震えていく。
 動揺して、困惑して…惑いながらも、その身体に腕を伸ばしていくと…強引に
その腕に抱きかかえられて、ベッドの上に連れ込まれていく。

「佐伯、何を…っ?」

「…あんたを、抱くぞ…御堂」

 展開についていけず、御堂がパニックに陥りかけると…眼鏡を掛けて
いなくても、雰囲気がガラリ…と変わった佐伯克哉は、きっぱりとそう告げて…
噛み付くような口付けを、御堂に落としていったのだった― 
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HN:
香坂
性別:
女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
 鬼畜眼鏡にハマり込みました。
 当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
 とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)

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