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鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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 ―こいつを見ていると、酷くイライラした。

 眼鏡の方には、この四日間の克哉の思考回路は理解不能だった。
 どうして自分の前に現れたのかも疑問だった。
 だが…一度追い出して、高熱を出した時に献身的に看病をされた時点で
何となくだが、こちらに対しての強い好意みたいなのは感じ取っていた。
 想いを告げられれば、難なく追い出せたし拒絶も出来た。
 だが…口にされない状況では、看病された後では断り切れない感じで
あったし、嫌な予感がヒシヒシと感じていたのでつい引き止めてしまった。

 だが、さっき…コイツの悲鳴が聞こえた気がして、同じフロアにあった
耳鼻科の診療室の前に立ったらあの会話が聞こえて来て…眼鏡の方は
どうすれば良いのか判らなくなってしまった。
 自分に好意を抱いていて、自分を欲しいとかそう言い出される方がまだ
判りやすいし対処のしようがある。
 だが、御堂を助ける為に自分の命まで投げ出そうとする行動は本当に
眼鏡の理解の範疇を越えていた。

 こちらを想っているは判る。だが…いつからそんな気持ちをこちらに抱いて
いたのか…眼鏡の方には、心当たりはまったくない。
 だから、コイツに残されている時間が後僅かであるというのならば…聞いて
おかなければならない、と思った。
 そうしなければ…自分は一生、この目覚めの悪い想いを引きずる事に
なりそうだったからだ―
 暫くの睨み合いの後…気持ちを鎮めようと大きく深呼吸をしていく。
 そうしてから、苛立ち混じりに相手の襟首を力任せに掴んで引き寄せながら…
彼は口を開いていった。

「…お前は結局、何がしたいんだ? お前は…俺を好きなんじゃないのか?
この四日間の態度を見てもそうとしか思えないのに…何故、平気で自分の命を
投げ出してまで…御堂を助けようとする?
 しかもご丁寧に俺に説教までして…俺と御堂を続けようとする? 想っているのならば
普通は相手を欲しいと思わないのか…? 俺には、お前の考えが理解出来ない!」

「あぁ、普通ならばそう思うよっ! オレだって本来ならば…そこまでお人好しじゃない。
ここまで好きになったのならば…お前に抱かれたいとか、お前の存在ごと欲しいとか…
そう願った事は何度もある! 御堂さんを愛するように…オレ自身を愛して貰いたい!
そういう欲はずっとこの四日間渦巻き続けていたよっ!」

 そう、相手に愛して貰いたい…そういう欲を克哉は一切抱かなかった訳じゃない。
 ずっと自分の胸の奥では燻り続けていたのだ。
 だがそれを彼は懸命に押し殺し続けていたに過ぎない。

「だったら何故、そんな真似をする…! 欲しいなら欲しいと素直に言われればこっちだって
拒絶するなり、お前を跳ね除けるなり対処の仕様があるのに、何故…一言も言わないで
自分の身すら投げ打って…俺と御堂を助けようとするんだっ!」

「…オレは、お前の内側に閉じ込められていた時…結果的に一番近い処で、御堂さんを
想って変化していくお前を間近で見続けていたからだよ! …最初に、オレを好きなように
犯した挙句に…オレがあの不思議な眼鏡に縋ったせいだろうな。
気づいたら自分の人生すらもお前に乗っ取られて…自分は其処にいるのに、二度と自分の
意思で身体を動かせない。見ているだけの状態に陥った時には…最初はお前の事を
心底恨んだよ…!」

「あぁ、そうだ。お前の立場からしたら…それが当然の感情だ。俺にとってはお前は所詮…
俺が眠っている間にこの身体を代わりに使っていただけの存在に過ぎない。俺が目覚めれば
お前が眠るのが道理だ。だが…逆の立場ならば、俺はお前を絶対に恨むだろう。
それなのにどうして…俺に好意など抱いたんだ? ただ代わっていく俺を一番近い処で
見ていたからと言って…そんなに恨んでいた相手を、愛するうようになるものか…?」

 コイツの状況を自分なりに想像して、シュミレーションをしても…この想いを抱くに
至った動機が何なのか、眼鏡の方にはこうして話していても容易に共感出来ないし判らない。
 だが相手は目を一切、逸らさない。
 射抜くような強い眼差しでこちらを見据えて、言葉をぶつけてきた。
 本当ならば、言うべきでなかったのかも知れない。
 だが…相手の目を見て、こちらがそう想うようになった動機を真剣に聞きたがっているのは
すぐに判った。
 残された時間はもう15分を切っている。
 その残された刻の少なさが…彼を、吹っ切れさせてしまった。

「…自分でも馬鹿だと思う。けれど…御堂さんと再会するまで、お前がどれだけ…あの人を
想って密かに後悔していたかを見ている内に、いつの間にか放っておけなくなったんだ…。
だから、オレは…本物の御堂さんにお前が再会するまでの間…夢の中で、御堂さんという
形で現れてお前に抱かれ続けていた。そうしたら…情が移ったんだよ。
 あの人をどれだけ求めているのか…愛しているのか、それを受け止めながら…オレは
お前に何ヶ月も夢の中で御堂さんの身代わりになり続けた。
そうしたら…いつの間にか、お前を想うようになってしまったんだ…それがお前を
想うようになった、理由だ!」

「な、んだと…?」

 予想もしていなかった事実に…眼鏡が瞠目していく。
 打って変わって…相手の剣幕が、落ち着いて…顔に動揺が浮かんでいった。
 胸倉を掴んでいた手の力がふいに緩んだ。
 相手の呆然とした表情に…克哉は、遠い眼差しになっていった。

「…理解、した? それが…お前に心当たりがなくても…いつの間にかオレがお前を
想うようになった理由だよ。本物の御堂さんと再会してからは、オレの出番なんて…
まったく無くなってしまったけどね。けど…オレはそのおかげで、どれだけあの人を
愛しているのか…必要としていたのか、誰よりも知っているんだよ…」

 身代わりになり続けて、再会するまでは…毎晩のように抱かれていた。
 眼鏡がその夢を見る頻度は、あまりに高くて…望まれる度に、望むだけ自分は彼に
『御堂』を与え続けた。
 自分自身が決して愛される訳ではないと承知の上でも…ほんの僅かでもこいつの
飢えがその夢で潤せるならば、それで良いと…自分はいつしか想うようになった。
 克哉の言葉に、眼鏡は何も言い返せない。
 突きつけられた事実の重さに…口元を覆って肩を大きく震わせていた。
 克哉は、そんな彼を優しく見つめながら諭すような口調で…次の言葉を紡いでいった。

「それにね…オレがどうして、何も望んでいないのか判る…? オレが何かを欲すると
言う事は…何が引き換えになるか、お前は気づいているのかな…」

「…引き換えになるもの…だと?」

「…やっぱり、判っていないんだな…。オレとお前は、基本的に身体は一つだ。
今はMr.Rの力を借りてこの世界に存在出来ているけれど…オレが生きたいと
何かを望むこと、成し遂げたい事は…『お前から身体を奪う』事でしか成り立たない。
 一番欲しい存在がお前なのは確かだ…! けれど、オレという存在はお前から人生を
奪わなければ、生きる事が出来ない! それなら…オレは諦める以外の何が出来るって
言うんだ! それなら…オレには御堂さんとお前の幸せを望む事くらいしかやれる事
なんて…ないじゃないか!」

 血を吐くような叫びを、彼は訴えかけていく。
 そう…それが全ての動機。
 馬鹿な真似だと、愚かな行為だと言われても仕方がない。

 ―自分に一つの身体があるのならば、だ。

 だが…自分達は魂が二つあっても、身体は一つしか存在しない。
 想っても、叶うことはない。
 何故なら…あの男の力を借りなければ、本来ならば自分は存在しないのだ。
 愛する人を得て…鮮烈に輝く一等星のような彼の器を奪うことでしか自分は
生きれないと言うのならば。
 そうする事で…彼の器を奪ってしまう事に、愛する存在と引き裂いてしまう悲劇しか
生まないというのならば…自分は彼の輝きによって、霞んで儚くしか存在出来ない
星屑に過ぎなくても構わない。
 それが…二年間、閉じ込められた末に出した克哉の結論だったのだ…!

「それが…全てだよ。オレがこんな真似をしたのも…御堂さんの代わりに死ぬ事になっても
お前の幸せを願うのは…だから、だよ。あ…でも、もう一つだけ…理由がある、かな…?」

 ふと大切なものを思い出したかのように、フワリと克哉は笑っていく。
 その瞬間…彼の身体がゆっくりと透き通り始めていく。
 その異様な光景に眼鏡はぎょっとなっていく。

「お前、身体が…!」

「あぁ…もうオレに残された時間は、あまりないんだな…。それなら、ちゃんと聞いてよ。
…ちゃんと、これも…オレはお前に…伝えておきたいから…」

「…判った。聞いてやる。だから…早く言え。時間が、ないんだろう…!」

 落ち着いた表情の克哉と対照的に、眼鏡の方は…動揺を隠せないようだった。
 そんな半身を、克哉は優しく微笑みながら見つめていく。
 そうして、克哉の指先までも透き通って光を通し始めていく。
 …そしてゆっくりと、淡い光が…彼の身体から溢れ始めていった。
 この時点で、克哉に残された時間は、すでに…後十分も残されていなかった―
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最初に二つの光が宿りました。
けれど結果的にその場所で輝き続ける事が出来るのは一つの星だけでした。
 
―こっちへ
 
そして一つの星は必死になって消え去る運命の片割れに手を伸ばして、自分の光に
取り込みました。
そうすればこの光を守れると思ったから。
それは遠い昔に実際にあったかも知れない夢。
 
―この夢が彼を、激しくつき動かした大きな理由の一つかも知れなかった。
 
その現場にもう一人の自分に踏み込まれた時、克哉の頭は真っ白になってしまった。
 
(…何で、『俺』がここに…?)
 
呆然となりながら克哉は自分とまったく同じ顔をした男を凝視していく。
さっきまでMr.Rによって乱されていた現場まで彼に聞かれていたと思うといたたまれず、
このまま死んでしまいたい心境に陥っていく。
 
(…どこまで、オレ達のやりとりをコイツに知られてしまったんだ…?)
 
その情報が現時点では判らないだけに克哉は混乱するしかなかった。
嗚呼、まともに考えられなくなっていく。
この場に満ちる空気の静寂さと重苦しさと裏腹に…克哉の心臓は壊れそうなぐらいに
バクバクと忙しい音を立てていた。

「何で…どうし、て…?」

 克哉は泣きそうな顔をして、呟いていく。
 ほっとしたような、みっともない姿を晒しているのを見られた羞恥と…今、自分が決断
した事を聞かれていたという衝撃で、頭の中がグチャグチャだった。
 眼鏡の顔は、平静だった。
 だが…その肩と手は大きく震えている。
 相手が何を言い出すのか、固唾を呑んで見守っていると…いきなり眼鏡はMr.Rに
向かって渾身の力を持って、拳を叩きつけていた。

 ドガッ!

 激しく肉と肉がぶつかり合う音が、周囲に響き渡っていく。

『おやおや…せっかくこうして、対面出来ましたのに…随分と今宵は、乱暴な挨拶を
かまされたものですね…』

「うるさい…! お前は、どこまで俺達を掻き回せば気が済む…! 今の話は一体何だ!
こいつの命と引き換えに御堂を助けるなんて…そんな芸当が…!」

『出来ますよ、私ならば。対価さえキチンと頂ければね。魔法と呼ばれるものは…
必ず対価や犠牲を伴わなければ起こせないものですが、『強い意志』という源
さえあれば、かなりの確率で一般的に『奇跡』と呼ばれる現象は起こせます。
 まあ…これは奇跡と呼ぶには、ささやかな事ですけどね…ただ、エネルギーを
在る方から、無い方に逃がすだけの話。それくらいでしたら…私ならば、
造作のない事です…』

「うるさい! そんな事をしたら…コイツはどうなるんだ…!」

『実体を保てなくなって、消えます。そして…もう二度と肉体を伴って貴方の前に
現れなくなるだけの話ですよ…?』

 サラリ、とMr.Rが口にすると同時に再び…眼鏡は男に向かって拳を向けて
殴りかかっていく。
 だが、一度は許しても…二度まで簡単に殴られる気は流石にないようだった。
 男は、彼の拳をスウっと身を躍らせて交わしていくと軽やかなステップを
踏んで容易に攻撃が及ばない範囲へと身を逃がしていく。
 
『…どうやら、今の貴方は…頭に血が昇られて、まともに会話が出来ないご様子ですね…。
その方に残された時間はそう長くはありません…。私などに無駄に費やされるよりも…
最後の一時を、有意義に使われた方が宜しいでしょう?
 ですから、これにて退散させて頂きますよ…今から30分後、貴方から対価を
頂かせて貰います。宜しいですね…佐伯克哉さん?』

 妖艶に微笑みながら男は、克哉の方を見つめてくる。
 一瞬だけ、自分が出した結論に怯みそうになったがそれを顔に出さないように気をつけて
小さく頷いていく。
 Mr.Rはそれを楽しげに哂いながら見届けると…あっという間にその身を闇に紛れさせていった。
 瞬く間に…存在していた気配の一切の痕跡を消し、二人だけが残されていく。

 訪れる沈黙が、痛いぐらいに…重かった。
 お互いに何も言えない。
 乱れた着衣に、Mr.Rに無駄に煽られて燻った身体。そして…欲望のタガを外しやすく
する効能を持ったフレグランスの微香が、僅かに室内に漂っていた。
 何から話せば良いのか、克哉には見当がつかなかった。
 だが…これはチャンスだと、同時に思った。
 自分に残された時間が後三十分だと言うのならば…逆に踏ん切りが突く。
 その時間が過ぎ去れば、自分はあの契約の通り…もう二度とこの世に身体を伴って存在
出来なくなるというのならばやれる事をやろう、と…暫く睨み合った末に、克哉は決意していった。

「ねえ…『俺』…。聞いての通り、オレに残された時間は後…僅かしかない。だから…
どうしてもお前に言っておきたい言葉が幾つかあるんだ…。良かったら、聞いてくれないか…?」

「何だ…言ってみろ」

 眼鏡はかなり、怒っているようだった。
 だがそれを表に出さないように必死に押さえ込みながら、平静を取り繕っていく。
 あぁ…コイツはいつも、そうだ。
 感情を乱す事、容易に表に出すことをみっともないと考えて…滅多に感情をストレートに
表現しない。先程のように露にしながら、他人に殴りかかるなどこいつにしたら相当に
珍しい行動だった。
 そんな事をぼんやりと考えながら…言いたい言葉を必死に、頭の中で組み上げていく。
 反発を受ける事など、もとより覚悟の上だ。それを承知で…克哉は口に上らせていった。

「お前はもう少し…自分の感情を表に出したり、人にちゃんと伝えるようにした方が良いよ…。
ずっとお前を内側から見守り続けていたけれど…気持ちをキチンと伝えなかったり、
思っている事、感じている事をいつも押し殺してばかりいるせいで…肝心な所で人と
すれ違ったり、対立をする羽目になってしまっている気がするから…」

 それは、この二年間…眼鏡を内側から見守り続けていて、常々克哉が想い続けて
いた事だ。
 内側にいたからこそ、身近な人間に暖かい心を持っていたり労わりの気持ちを抱いている
事を克哉は知っていた。
 だが…コイツは、それを照れ臭がっているのか…滅多に口に出さない。胸に抱いて
外に出さないのだ。

 今、自分の会社内にいる人間に感謝していたり、御堂をどれだけ強く愛しているのかも
以前所属していた営業八課時代の仲間…本多や片桐に対しても、それなりに愛着を持って
接しているという事も克哉は全部知っている。
 だが表に出るのは、大抵皮肉交じりの言葉ばかりで…ついでに物言いも意地悪だ。
 そして…怒っていたり、悲しんでいたりそういう負の感情を滅多に人前に晒さない。
 一人で抱え込んで、誰の助けも得ようとしない。手を借りようとしない。
 それが…本来自然にあるべき、心の流れを大きく淀ませている原因になっている。
 そしてその淀みこそ…徐々に毒へ変わり、時に彼を凶暴にさせたり…嗜虐的にさせている
最大の原因である事を、やっと克哉は気づいたのだ。
 今の言葉を言っただけでも、ピクンと相手の顔が引きつっているのを感じていた。
 だが、言わなければ…怒られようとも激しい反発を受けようとも…時に相手にキチンと
告げなくてはいけない事があるのだから…!

「御堂さんにだって、あれだけ愛しているのなら…どうしてたまには、優しい言葉の一つも
掛けてやらないんだよっ! お前の場合…愛すれば愛しているだけ、相手を苛めたり
からかったりおちょくったり…追い詰めたり、掻き回したりして…誤解を招くような愛情表現しか
しないからあの人も混乱するし、不安にさせているんだってどうして気づかないだ…!
 あの人との関係がいつまでも安定しないのは、お前がキチンと想いを率直に伝えないからだ。
口に出さなきゃ…気持ちなんて絶対に通じないのに…! 愛しているなら、愛しているって
キチンと言えよ…! そうじゃなきゃ…本当に大切なものが壊れるぞ!」

 今、自分がやっている事は…馬鹿な真似に等しい。
 好きな相手の、大切な人間の為に自らの命すらも投げ打ち。
 そして…その相手と、好きな相手が幸せになれるように…怒りを買う事を覚悟の上で
こんな事を言っているのだから…。
 だが、もう克哉は迷わなかった。
 心を滅多に出さないコイツの本心を正確に知っているのは『コイツの内側』に位置して
感じ続けていた『自分だけ』なのだ…!
 それが本当に自分が成すべき事なのだ。
 一時しのぎに…相手に抱かれて、その憤りを発散させる事ではない。
 ケンカをしてても、真実を相手にぶつける…!
 そう決意して、克哉は…形振り構わずに、眼鏡の襟元を掴んで近づいていった。

「…お前の言いたい事は、それだけか…?」

「いや…まだまだ、言いたい事は山ほど…あるよ?」

 本気の憤りを宿しながら、眼鏡がこちらを睨みつけてくる。
 自分の叩きつけるような言葉に、彼は本気で怒っていた。
 だが克哉は怯まない。
 本気の光を瞳に宿しながら…グイ、と顔を近づいて…真っ向面から真剣な顔をして
向かい合っていった―
 
 

 ―あぁー!

 達した瞬間、克哉は堪えきれず高い声で啼いていった。

「は、あっ…はぁ…はっ…くっ…!」

 欲望を吐き出して、乱れた呼吸を零しながら克哉は回想していた。
 どうして、自分がこうして…Mr.Rの提案に乗って身体を伴って現れたのか。
 そのキッカケを…。
 男は言った。眼鏡と御堂には根本的な欠点があると。
 お互いに弱みを見せられない性分なのと、そのプライドの高さによって少しずつ
ズレが生じ始めて、このままでは…一年持たずに最悪の結末を迎える可能性があると。

 ―何もせずに放っておけば、あの方は最愛の方の心を破壊し…あの方自身も
恐らくその痛みに耐え切れずに崩壊するやも知れません。
 そうなれば…貴方は必然的に、もう一人のご自分の死に巻き込まれる事になります。
 何もしないで、巻き添えになられるのは…嫌なのではないですか?
 それなら…一週間だけ、チャンスを差し上げましょう。
 その結末にどうやったらあの二人が回避出来るか、必死に考えて足掻いて見ては
如何ですか? そうすれば…もしかしたら、その結末を変えられるかも知れませんよ…?

 そう提案されてから、翌日まで…自分は必死に考えた。
 二年近く、内側で見守り続けていた彼を見殺しにする事など…克哉には出来なかった。
 過ちを犯して、そのまま彼の命まで失われてしまう。
 そんな結末は嫌だと思ったから、克哉は男の提案に乗る事を決意した。
 そして出した最初の結論は、御堂の代わりに自分が彼の激しい衝動を受ける…と
言うものだった。男はそれに協力し…こっそりと欲望を解放しやすくなるフレグランスを
部屋に設置し、そしてその夜に…自分は彼の前に現れて実行に移される筈だった。

 ―だが、その浅はかな計画はその当日に御堂が彼の自宅を訪ねるという予想外の
行動によってあっさりと打ち砕かれてしまった。

 それからは答えなど、判らなくて…想いは空周りしてばかりで。
 根本的に彼らを救うにはどうすれば良いかなど…そんな視点は、男に指摘されるまで
克哉は全然、思い至らなかった。目先の事しか、見えていなかった。

(あいつが抱えている根本的な問題…それを、指摘しなきゃ…駄目、だったんだ…。
恐らく、その答えは…)

 そこまで考えた時、再び陰茎に指が絡まってきた。

「や、止めて下さい…! もう…嫌です…!」

 必死にもがきながら、抵抗をしていくが…両手の拘束は外れる気配がない。
 そうしている間に、Mr.Rの手が…スルリと椅子と、自分の背中の間に差し込まれて…
背面から直接臀部を撫ぜ回し始めていく。

「止めて下さい…! そんな、処は…!」

『…ずっと、弄って欲しかったんじゃないんですか…? ほら…もう此処は私の指に
吸い付いて来ているようですよ…?』

 男が嘲るように耳元で囁くと、スルリと克哉の内部に…皮手袋で覆われた指が
容赦なく入り込んで来た。

「はぁ…ううっ…!」

 克哉は苦しげに呻くが、相手が言う通り…其処はあっという間に男の指先を
飲み込んで妖しく蠢き始める。
 自分の意思と裏腹に反応する身体が、恨めしかった。
 だが…そんな彼の意思などお構いなしに、Mr.Rは前立腺の部位を探り当てると
其処を執拗に弄り上げていった。

『ほら…身体の方は正直なようですよ…。こんなに貪欲に私の指先を飲み込んで…
キツく締め付けているのが、ご自分でも判るでしょう…? この様子なら…指だけでも
イケそうですよね…?』

「ヤメ、ろ…! 嫌だ…オレは、こんなに嫌だぁ…!」

 早く自分は伝えないといけないのに…言わないと、アイツの為にしっかりと
言っておかないといけない事があるのに…快楽に溺れたくなどなかった。
 ポロポロと涙を流しながら、必死に抗っていく。
 その様子を見て…Mr.Rは心底愉快そうに…だが少しだけ哀れむような口調で
告げていった。

『何が、そんなに嫌なんですか? …私はただ、この数日疼き続けていた貴方の
身体を慰めて差し上げているだけ、ですよ…』

「そんな、事…オレは一切、望んでいない…! この瞬間だって御堂さんは…
今にも死にそうになっているのに…! アイツは、それを苦しんで…耐えているのに
オレが、こんな事をしてて…良い訳が、ないでしょうが…!」

 激昂しながら叫んでいくと…もう言葉は止まらなかった。

「オレはあの二人を救いたくて、現れる決意をしたのに…! 何も出来ないで、引っ掻き
回す事しか出来なくて…! そんな時に、こんな行為に没頭したくない…!
だからもう止めて下さい…! オレは、これ以上は嫌です…!」

 自分の最奥は確かに貪欲に快楽を求めて、疼いている。
 あのフレグランスの芳香が漂う中、それでも飲み込まれずに…このような綺麗事を
言える克哉に、Mr.Rは少しだけ感心していった。
 その意思の強さに敬意を示して…一つだけ救いの道を提示してやろうかと…男は
気まぐれを起こしていった。
 そう、かなり残酷で…正しい方を選ぶには、決意が伴う選択肢を。 

『おやおや…貴方は本当にお人好しみたいですね。このフレグランスの効能は常人なら
容易に抗えない程…強いものなんですけどね。ですが…そこまで申されるのでしたら、
貴方に選択肢を与えて差し上げましょう…?』

 そうして、男は一度…弄るような指の動きは止めてこちらに問いかけてきた。

『…確かに、この瞬間…あの方の最愛の方の命は脆くも消えようとしています。
このまま放っておけば…助かるか、命を落とすかは五分五分と言った処でしょう。
しかし…今、貴方を現実に存在させているエネルギーと…貴方自身の命を注ぎ込めば
確実に助けられる事でしょう…。
 ですが、そうすれば…貴方は私の力を持ってしても、二度とこのように一つの身体を
纏ってこの世に現れる事は叶わなくなります。
 …このまま放置すれば、貴方にとっては…最大の恋敵はいなくなる可能性があります。
さあ…貴方は、どちらの道を選択しますか?』

 その選択肢を聞いた時、克哉は驚きを隠せなかった。
 彼の目は大きく見開かれて…その後、深く溜息を突いていく。
 考えるまでもない。
 自分が選ぶべき道など…最初から決まっている。
 だが、決意するまではやはり…緊張して、少し時間が掛かった。
 
―その選択肢なら、オレが選ぶべき道など最初から決まっています。
オレはすでに…この世界に存在しない亡霊のようなものに過ぎない。
比べるまでもありません…どうか、御堂さんを助けて下さい!

 そう告げた時、Mr.Rは少しだけ驚いた顔を浮かべ…そして悠然と微笑んでいく。
 それは克哉にとっては、自分を死に導く…死神の微笑に等しかった。
 だが決して目を逸らさずに…対峙していく。
 背後に覆い被さる相手の方に向き直り続けるという苦しい体制であったが…
克哉は怯まなかった。

『判りました…貴方の決意に敬意を称して、その願いを叶えて差し上げましょう。
ですが…最後のこちらからの慈悲として、午前零時まで…貴方に猶予を差し上げます。
その間に…自分がされたい事をなさって下さい…』

 そうして…腕の拘束がパラリ、と解かれていった。
 突然の解放に…克哉自身が呆然としていると、更にとんでもない事を男はあっさりと
口にしていった。

―其処に立っている貴方様も、私たちのやり取りをずっと聞いておられたのでしょう。
いつまでも扉の前に立ち尽くしていないで…この部屋に入って来られたらどうですか…?

 その一言を聞いた時、背筋が凍るかと思った。
 だが…間もなくして、ガチャと音を立てて扉が開かれていく。
 其処に立っていたのは…眼鏡だった。

「な、んで…どうして…!」

「………」

 克哉が動揺を隠せずに青ざめていくのと対照的に…もう一人の自分の表情は
冷ややかで…同時に、信じられないという眼差しでこちらを見つめていた。
 そして二人は、見詰め合っていく。

 克哉に残された時間は後僅か。
 先程まで喘がされていた事や、たった今…命を投げ出そうとしていたそのやり取りを
全て聞かれていたという混乱が襲う中…最後の二人の邂逅が、ゆっくりと始まろうとしていた―



 ―気が付けば、椅子の手すりの部分に両手首を縛り付けられて拘束されていた。
 先程、急速に闇の中に落ちていった意識は瞬く間に覚醒し…この事態に
驚いていく。
 室内は、藍色の闇に包み込まれていた。
 内装からして、病院内の診療に使われている一室…のようだった。
 
(ここは、一体…?)

 まだ視界はぼんやりとして、はっきりと物の輪郭を据えられない。
 必死に目を凝らしながら周囲を見渡していく。
 時間の経過と共に、少しずつ状況を理解していく。
 窓の向こうには冴え渡る夜空に浮かぶ真円の月が。
 そして…目の前には闇の中ではくっきりとした存在感を放つ金色の豊かな
髪が靡いていた。

―お目覚めになりましたか?

 まるで芝居の台詞を口にするかのように滑らかに、黒衣の男が告げる。
 その容姿に、歌うような語調。
 間違いはなかった。自分をこうして…実体化させる程の力を持ち、今回の一件の
発端を作った人物が静かに其処に佇んでいた。

「Mr.R…! 何故、貴方が…! どうして、オレを拘束なんてしているんですか…!」

『いえ、ただのお仕置きですよ…後は私の趣味と、貴方に対しての忠告も兼ねて…
このような場を設けさせて頂いただけの話です』

「…オレには貴方にお仕置きされる言われなんて、ありません…!」

『本当にそうですか? せっかく…このような機会を差し上げたにも関わらず、引っ掻き回す
だけで望んでいる事は何一つ出来ず…挙句の果てに、あの方に拒絶されているような貴方が
お仕置きされる謂れはないと…本気でおっしゃるつもりですか…?』

「…っ!」

 図星を突かれて、克哉の表情は硬くなった。
 それを見て…男は心底、楽しそうに笑う。

『…事実を言われて、何も言い返せないという顔をしていますね…。やれやれ、それでは
到底…本来あの方達が辿るべき道筋をひっくり返す事など…出来そうにないですね…』

「そ、んな…! そんなのは…嫌だ! あの二人の内のどちらかが死ぬ結末なんて…
そんなの、オレは認めたくない…!」

『…そうですね。私もそれでは退屈ですから、貴方にこうして肉体を与えて、一週間だけ
存在する事が出来るという機会を差し上げた。それで…少しでもあの方達が大きく翳る
運命を覆すことが出来るなら、というつもりでした。
 特に良心によって本心を押し殺し続けて…欲望を発散されない限りは、徐々にあの方は内側からの
圧迫に押しつぶされていつしか…愛しい方そのものを完膚なきまでに破壊されてしまう、と。
 その本来の流れをどうやって貴方が変えていくのか…見守っていましたが、正直期待外れ
でした…。貴方は、トコトン…人の気持ちも判らなければ、根本的に物事をどうすれば解決
出来るか…そういう事を考える能力が備わっていないようですからね…』

 嘲るように、男が嗤う。
 その整った、人形のような表情に克哉はゾっとなった。
 ツウっと頬の稜線を皮手袋で覆われた指先で辿られて…その妖しい感覚に背筋に
冷たい汗が伝っていく。

『…欲望をご自分の身体で発散させる、などという真似をされたら…その後に残された
二人がどのような想いを抱くか…まったく想像が出来ない。佐伯克哉という存在は、
あの方も含め…トコトン、人の気持ちを理解出来ないようですね。
 だからこそ…見守っている私も、退屈せずに済むんですけどね…』

「やめ、ろ…!」

 ふいにシャツのボタンを作為的な手つきで外されて、胸の突起を弄り上げられていく。
 克哉は必死にもがいて抵抗したが…男は背後からぴったりと密着した状態で、
彼の乳首を弄り始めていった。

「嫌、だ…! 離せ…!」

『おやおや…本当に止めて宜しいんですか? この身体は…あの方に抱かれたくて…
この四日間、熱く火照り続けていたんでは、ないんですか…? もうこんなに…硬く
尖らせて、反応させている癖に…』

「ひゃあ…!」

 ふいに硬く張り詰めた突起を指先で強く摘まれて、克哉は鋭い悲鳴を上げていく。

『なかなかの感度ですね…こうされると、もっと貴方のようないやらしくて素敵な方は…
悦ばれるんじゃないんですかね…?』

 クスクスと笑いながら、Mr.Rは今度は胸の突起の先端を、爪先で軽く抉るようにして
痛みが混じった快感を与えてくる。
 それを左右交互にされたら、溜まったものではない。
 瞬く間に克哉は耳元まで赤く染めて…その感覚に耐えていった。
 そうしている間に男の手は更に執拗さを増していく。
 カリ、と耳朶を食まれて…熱い吐息混じりに囁かれると…ビクリ、と身体全体が
震え始めていった。

『…あぁ、人の気持ちが判らないというよりも…貴方はご自分の欲求に正直に
なられただけですね…。ずっと、夢の中で御堂さんの身代わりに抱かれ続けて…いつしか、
貴方の中には欲望が灯ったのでしょう? あの方に愛されたいと…抱かれて、どこまでも
ムチャクチャに貫かれたいと…貴方は、あの二人の為と言いながらご自分の欲求を
満たす事しか考えられなかった。違いますか…克哉さん…?』

「…っ! そ、んな事は…!」

 ―本当にない、と言い切れるのだろうか…?

 痛みと、快感が入り混じりながら責められていくと…ふと、そんな想いがじんわりと
彼の中に広がっていく。
 そうだ…指摘されるまで、気づかないようにしていた。
 抱かれたい、というよりも…自分はあいつの傍にいたい…と願っていた。
 だからその想いを常に優先してばかりで…本当にあの二人が、大きくすれ違いながら
互いに自滅しあっていく…その悲しい流れをどうやったら変える事が出来るのか。
 その根本的な解決方法を…自分は一度でも、考えた事があったのだろうか…?

『…どうやら、否定し切れないみたいですね。どうせ…貴方の事ですから、ご自分の
身体を投げ出してあの方の欲求を発散させるくらいしか…思いつかなかったのでしょう?
 それを盾にした方が…貴方も、この淫らな身体を満足させられますからね…』

 言葉で辱めながら、男の手はゆっくりと…克哉の下肢へと向かっていく。
 スーツズボンの上からやんわりと性器を撫ぜ擦られて…ビクリ、と下肢が反応していく。
 認めたくなかった。
 だが…身体は如実に示している。
 この四日間、克哉の身体は…ずっと飢え続けていたのだと、ほんの僅かなチョッカイだけで
これだけ身体を熱くしている。
 それは紛れもない事実なのだから―

「止めて、下さい…! これ以上、オレを無理矢理暴かないで下さい! そんな本心は…
気づくたくなかったし…見たく、ない…!」

 必死に頭を振りながら、克哉は訴えていく。
 だが男は一切容赦するつもりなどなかった。
 フロントの部分に手を這わせると、ジッパーを引き下げて…硬く張り詰めている
克哉のペニスを外気に晒し始める。
 しっかりと自己主張をしている己の欲望の証を目の当たりにして、克哉は居たたまれない
気持ちになっていった。

『駄目ですよ…これはお仕置きと言ったでしょう…? 人の気持ちが判らない、理解出来ない
結局…本質的にはあの方と同じ欠陥を抱えている貴方に…じっくりと言い聞かせる為に
私は親切で…このような機会を設けて差し上げているんですよ…?』

「これの、どこが…親切なんですかっ! …人を拘束して、辱めて…こんな酷い行為を
している…癖、に…あぁ―!!」

 ペニスの先端の、先走りを滲ませている部分を滑らかな皮手袋で弄られて…鋭い
快感が全身を走り抜けていく。
 ここは男にとっては殆ど急所に近い部分だ。
 瞬く間に身体全体から力が抜けて、荒い吐息を漏らしながら喘ぐしかなくなる。

『親切、でしょう? …貴方がやろうとしていた行為では…一時しのぎにしかならない。
数ヶ月、半年単位では回避出来ても…根本からの解決には至らない。その回答を…
今、貴方に教えて差し上げているんですから…。
 あの方を救いたいのなら、貴方が言わなくては…しなくてはならなかった事が…
他にあります。それを…今日、貴方は薄々と…本当は気づかれているんで
はないんですか…?』

 その一言を言われた時、真っ先に思い浮かんだのは…泣けない、あいつの姿だった。
 ショックを受けている癖に…感情を表に出せない。
 本当は涙を零して取り乱したいだろうに…アイツは、決してそんな弱さを自分にも…
いや、恐らく他の誰にも見せようとはしないのだろう。
 
(…もしかして、根本的な解決っていうのは…)

 ようやく気づく…この男が示唆しているものが、何なのか…その輪郭だけでも。
 だがしかし…すぐにねっとりとした愛撫が齎す悦楽によって、克哉の思考は霞みが
掛かっていった。

「ヤダ…もう、離して下さいっ…! こんなのは、嫌です…!」
 
 必死に頭を振りかぶりながら再びもがき始めるが、拘束はまったく緩む気配がなかった。
 そうしている間に男の手は一層熱が込められていき。

―冷静に貴方が判断出来るように、一度…その熱を吐き出させて差し上げましょう…

 そう告げて、ペニスを的確な愛撫によって追い詰めて…克哉を容赦なく…絶頂へと
導いていったのだった―
 
 二人して病院に辿り付くとすぐに、御堂が収容されている集中治療室の方へと
走って向かっていた。
 同じ容姿をした、立派な体躯をした青年二人が連れ立って駆けていく様子はかなり
人目を引いたらしく、すれ違う人が皆…振り返っていく。
 だが、今の眼鏡と克哉にはそれを気にする余裕など一欠けらもなかった。

 そして、目的の部屋に辿り付く頃には二人して…大きく息を切らせていた。
 鼓動もまた、荒い呼吸に連動するように激しく脈打っていく。

 バクバクバクバク…!

 しっかりと閉ざされた扉の上部に設置されている「集中治療室」のプレートが点滅しているのを
見て…これが紛れもない現実である事を突きつけられていく。
 まだ、御堂の家族は駆けつけて来ていないらしく…その部屋の前に佇むのは彼ら二人だけだった。
 先程の地震のせいだろうか。
 病院全体は今夜は忙しなく、落ち着きのない空気で満たされている。
 慌しい様子で駆けていく看護婦達。
 ストレッチャーと呼ばれる車輪付きの寝台に横たえられて運ばれていく患者達。
 そして家族を見送って、途方に暮れた顔をしている人々…先程の地震によって通常よりも
遥かに多くの怪我人が運び込まれ続けているのは見て取れた。
 
(まるで…夢、みたいだ…。それくらいに、現実感がない…)

 眼鏡の方は扉の前で無言のまま立ち尽くしていた。
 その表情に…まったく、感情らしきものは見えない。
 硬質過ぎて、まるで凍り付いてしまったかのようだ…それを見て、克哉は強い違和感を
覚えていった。

 身体はこれだけ、小刻みに震え続けている癖に…顔だけは平静そのものだなんて…
酷くミスマッチな印象を与えていく。
 彼は、ここにたどり着いてから一言も言葉を発していない。
 顔色一つ、変わっていない。
 その癖…肩と指先は酷く震えているのだ。

(それだけ…『俺』にとって、御堂さんがここに運び込まれた事はショックだったって…
事なんだろうけど、何故だろう…。酷く、引っ掛かる…)

 タクシーに乗っていた時もそうだ。
 眼鏡の方は震えているだけで…涙一つ、零す気配がない。
 いや…それ以前からも、コイツはそんな感じではなかったか?
 本来ならば泣いたり、取り乱したり…冷静さを失うのが当然の状況でも、いつだって…
この男は感情を乱れさせる事は滅多になかった。
 それは自分にない、コイツの方だけが持っている強さだと…ずっと思っていた。
 だが…その様子を見て、一つの疑念が克哉の中に生まれてくる。

(もしかして…コイツは、泣けないんじゃないのか…? 素直に泣き叫んだり、
怒ったり…自分の感情をストレートに出せないんじゃないのか…?)

 瞳はこれだけ大きく揺れているのに、潤いを讃えて今にも雫が零れそうな
くらいにキラキラと輝いているのに…顔は殆ど歪められていない。
 そんなアンバランスな表情が、酷く克哉には危うく思えた。
 だから見ていられなくて…相手の方に手をそっと伸ばしていくと…。

「触れるなっ!」

 激しい拒絶が、返って来た。
 その態度は今まで見た事がないくらいに険しくて…語調も強くて。
 克哉は相手のその反応に、大きくショックを受けていった。

「…お前の気持ちは有難いが、今の俺は…少し不安定だ。…変に手を伸ばされたり、温もりを
与えられたら…俺は、こんな状況でも…お前に縋ってしまいそうになる。だから…触るな…!」

 それはピシャリ、とこちらを拒絶する態度だった。
 タクシーの中では…まだ、優しい言葉を掛けるくらいは許されていた。
 だが…この部屋の前にたどり着いて、現実を突きつけられてからは…そんな希望的観測
だけでは彼の心を癒す事は無理になってしまったのだろう。
 今、最愛の恋人がこの扉の奥で…生死の境を彷徨っている。
 その状況下でどうして…もう一人の自分とは言え、他の人間に縋る事など出来ようか。
 眼鏡の瞳は…如実にそれを訴えていた。

 今にも泣きそうな顔をしている癖に、涙一つ零せない不器用な男。
 そういう奴だと知っていた。だから少しでも助けになりたくて自分は彼の傍に来た。
 だが…この態度と言葉で、自分の無力感を克哉ははっきりと突きつけられていた。
 所詮、こちらの気持ちなど独りよがりに過ぎなかったのだろうか?
 コイツにとっては迷惑でしかなかったのだろうか…?
 そこまで考えた時に、克哉の方も大きく項垂れて…まともに彼の顔を見返すことさえも
出来なくなってしまった。

「…判った。お前がそう言うなら…オレは、他の処に行くよ…」

 傍にいても、邪魔扱いされるだけなら…姿を消した方がマシだと思った。
 そうして眼鏡から背を向けて克哉が踵を返そうとした矢先に、いきなり口元を何かの布地で
覆われていった。

「っ…!」

 克哉は声にならない叫びを漏らした。
 ジタバタと暴れて、その布を外そうと試みていくが…瞬く間に意識が遠くなっていく。

(これは一体…? 何故、こんな…)

 突然の事態に、頭が回らなくなる。
 眼鏡の方を確認したくても、首一つ曲げる事すら瞬く間に困難になっていった。

(意識が…遠く、なって…)

 声、一つ漏らせない状況下にいきなり追いやられて…克哉は混乱していく。
 息が苦しくなっていく。身体に力が入らなくなっていく。
 同時に、鼻に突くのは…あの鮮烈な甘酸っぱい香りだった。

(この、香りは…)

 それ以上は、考えられなかった。
 意識は完全に闇の中に落ち…ドサリ、とその場に崩れ落ちていく。
 今の克哉には指先一本すら自由にする事が出来ない状況だった。
 遠くなる意識の中…この言葉だけは、くっきりと聞き取れた。

―良くお眠りなさい…。深い眠りの中へ…

 歌うような滑らかな口調で、告げられていく。
 それが誰のものであったかすらも…克哉はもう判断出来ない。
 そして彼は、浚われていく。

 …どこまでもどこまでも、深い闇の中へと…緩やかに誘われていった―

 ―眼鏡が借りているマンションは、大地震が起こった時でも建物内の
被害が最小限に抑えられる設備が数多く設置されていた。
 重要な部分には、振動を分散する行動になっている金属を。
 建物自体も、一定以上の振動を受けると土台を固定している金具が
一旦外れて建物全体がスライドしてその揺れを逃がすという構造に
なっていた為に室内は大きな被害を被らずに済んでいた。

 それでもTVをつければ、数多くの地震に関しての報道や緊急速報が
告げられていた。
 御堂の危篤を告げる電話が鳴ったのは、そんな頃だった。
 受話器を受け取って御堂の家族からその報を告げられた時…瞬く間に
眼鏡の顔は蒼白になり、気丈そうに振る舞っていたが…その手は青白く
なって大きく震えていた。

―嘘でしょう? 御堂が…危篤だ、なんて…!

 受話器を受けとって、相手に挨拶を交わして少ししてから…眼鏡が耐え切れずに
叫んでしまった一言が、克哉の耳にはくっきりと残っている。
 眼鏡はその後、すぐに表面上は普通に振る舞っていたが…その様子から見て
大きなショックを受けている事は明白だった。
 普段ならば整った字を書く筈の男の手が、震えてヨレヨレの線になっている。
 だが眼鏡は…懸命に御堂の家族から、搬送先の病院の住所と電話番号を
尋ねてそれをメモしていった。
 
(凄い真剣な顔しているな…『俺』…)

 傍らで見ているだけで、それが伝わってくる。
 一言一句でも、決して聞き逃さないように耳を澄ませて…彼は必要な情報を
家族から聞き出していった。

―はい、これくらいで結構です。そちらもご子息がこんな事態になってしまった
中で…早急にこちらに連絡を下さって有り難う御座いました。
 私の方も出来るだけ早くそちらに駆けつけます。ご子息は…私めにとっても
大切な右腕であり、我が社にとっても重要な存在です。
 それではこの辺で失礼します…

 いつもの傲岸不遜な口調と違い、丁寧な応対をしながら…眼鏡は受話器を
下ろしていった。
 男はすぐにこちらを振り返ると、真っ直ぐに克哉を見据えていく。

「御堂が、事故に巻き込まれて危篤状態だそうだ。俺はこれから搬送先の
病院の方へと向かう。お前はここの留守を…」

「嫌だ、オレも一緒に向かう。お前の体調だってまだ万全じゃないんだ…!
こんな時に黙ってここで一人で待っているなんて冗談じゃない。オレも
絶対に行くからなっ!」

 克哉にしては強気な態度ではっきりと告げていった。

「俺たちが二人一緒にいる処を第三者に見られるのは…面倒な事、この上
ないけどな…」

「それなら、オレの事は里子に出された生き別れの双子の兄弟とでも
言っておけば良いだろ? 双子なら同じ顔をしていたって誰も不思議に
思ったりはしないからな。本田とか御堂さんとか、藤田くんとかが相手じゃ
なければ充分にそれで通じると思う。行こうよ…! グズグズしている
暇なんてないだろうっ!」

「あぁ、確かに時間の無駄だ。判った…好きにしろ」

 そういって承諾していくと…二人は素早く、着慣れたスーツ姿に着替えて
タクシーを手配していく。
 素早く身支度を整えている間、ずっと無言のままだった。
 マンションの外で少し待って、合流していくと…挨拶もそこそこに大急ぎで
車内に乗り込んで運転手に行き先の病院名を記したメモを手渡す形で
行き先を告げていった。

「判りました…この住所ですな。今から急いで向かいますよ」

 壮年を迎えた、黒髪をしっかりと押さえつけたヘアスタイルをしている運転手は
短くそう告げていくと…素早く車を発進していった。
 克哉と眼鏡は、後ろの座席に連れ立って腰を掛けていた。

(…やっぱり、凄い険しい顔をしている…。無理もないよな。最愛の恋人が危篤、
だなんて知らせを受けたら…冷静でなどいられる訳がない…)

 眼鏡の表情は、酷く張り詰めていて…一見すると感情の乱れは何もないように
さえ見えてしまう。
 だが…克哉は瞳の奥に大きな感情の揺らめきがある事に気づいていた。
 その瞳の輝きが、彼がどれだけ…この残酷な現実に対して憤っているのかを
如実に示していた。
 タクシー内が…緊迫した空気で満たされていく。
 最初は他愛無い会話や挨拶を投げかけていた運転手も、気づけば何も
言わなくなっていた。
 行き先が病院である事と、彼のその態度から何かを察したのだろう。
 重い沈黙が訪れる中…克哉はただ、必死になって祈り続けた。

(この地震は…誰の責任がある訳じゃない。自然現象だ…数多く怪我する人が
いる中に今回は御堂さんも含まれてしまっている。それだけの話なのに…
危篤、だなんて…。一体どれだけの大怪我を…)

 眼鏡の方は、御堂の状態を詳しく聞いたのかも知れないが…克哉は一切
その情報を知らされていない。
 その分だけ、モヤモヤと不安が湧き上がって叫びたくなってしまう。
 運命とは時に理不尽な結果を齎す。
 同じ震度5弱の地震が襲った地域にいても…自分達がいたマンションは殆ど
揺れる事がなく、怪我一つないというのに…この違いは果たして何だというのか。

(オレが…代わりになれれば良かったのに…! どうせ、一週間しか現実に
いる事が出来ない奴が無傷でピンピンとしているのに…あいつにとって
誰よりも大切な存在である…御堂さんが、どうして…!)

 煩悶しながら、ふと視線を隣に座っている相手の方に向けると…眼鏡の
手が小さく震えていた。
 顔に出さないように努めていても…身体は、今は制御しきれなくなって
いるようだった。
 その様子を見て、ハっとなっていく。
 出来もしなかった事を後悔するよりも…今、自分がしなければならない事は
何か…それを見て、気づいていく。

(…せめて、傍にいてお前を支えよう。そして…御堂さんが助かることを
心から祈ろう…! オレにはきっと、それくらいしか出来ないんだから…)

 そう決意して、克哉は…眼鏡の手に自分の手を重ねてぎゅっと両手で
包み込んでいく。

「大丈夫だよ…あの人は、御堂さんはきっと助かるから…! そう信じよう…!」

 自分の温もりを与えるように、励ましの言葉を口にしていく。
 そう…こんな形であの人を失ってしまうなんて信じたくない。
 だから、この瞬間…克哉は前向きな言葉を紡ぐ事にした。

 もしそれでも、相手を失うことになったら下手な希望を持たせただけに
なってしまうかも知れない。
 その状況下で希望的観測を口にするのは、非常に勇気がいる事だ。
 だが…それを承知の上で克哉は、伝えて…ギュっとその手を握り締めていった。
 
「あぁ…そうだな。御堂が…死ぬ訳が、ない。あいつなら…きっと、最後まで
諦めずに足掻く筈だからな…」

 そう告げた眼鏡の表情は、いつもの自信満々の様子とは裏腹に…酷く
儚げなものだった。
 この男に、こんな顔をさせてしまうくらい…御堂孝典という存在は、
彼にとって重要な人である事を再認識していく。

(余計な事を考えるな…オレが今、コイツにしてやれる事だけを考えろ…!)

 ズキン、と軋む胸を必死に意識の外に追いやりながら…強く強く、
相手の手を握り締めていく。
 そしてようやく…目的地に辿り付くと同時に、二人は急いで代金を支払い。
 御堂が収容されている集中治療室の方へと駆けて向かっていった―

  眼鏡達のいる部屋に、無常な電話が突きつけられる二時間前。
  御堂孝典は、都内を一人でドライブしていた。
  昨晩は結局一晩で三本のワインを一人で空けたが、結局は軽い二日酔いと
ダルさが残されただけで気持ちが晴れる事はなかった。

 直接、何度も眼鏡の携帯の方へとコールを続けたが…結果は、昨日と同じく
電源が入っていないままになっていたようだった。
 それならば彼の家に直で向かえば…という考えも過ぎったが、携帯が途中で
電源を落とされてずっと戻されていない。
 その事実が…何故か、こちらの存在を酷く拒絶されているように感じられてしまって
御堂は身動きが取れないままになっていた。
 こんな気弱なのは、自分らしくはない!
 そんな憤りのままに夜の街を愛車で走り抜けた結果―御堂は災害に巻き込まれる事
になってしまった

 20時32分。
 ここ数年世界各地で、大規模な地震災害が多発していて地震に関しての報道が多く
なっている中…この日、都内に震度5強の地震が発生した。
 震度6から7の地震が襲えば、余程耐震装備が成されている建物以外は被害が
免れないし、電話線や電線、水道などのライフラインの断絶や…地面が割れたり、
橋や高速道路が壊れて横転したりなど派手な事態に陥る。
 だが、震度5弱までならば…いる場所によっては、大きな被害から免れる可能性も
高く…都市機能も充分に生きているレベルだ。

 この場合、大きく…現在身に置いている場所が明暗をくっきりと分けていく。
 そして御堂は、地震に見舞われたその時…空いている道を走っていた為に本来の
交通規則で定められた制限速度よりも20~30キロ、速いスピードで愛車を走らせ
続けていた。
 結果、同じような速度で走っていた湾岸の道路沿線は一瞬にして阿鼻叫喚地獄と
化していた。
 
 地震によってハンドルを取られた対向車と時速70~80キロの速度が出た状態で
正面衝突。
 それに伴い、その前後を走行していた車達と玉突き衝突も時間差で発生し…
瞬く間に大きな衝突音と、ガラスがひび割れる音が周囲に響き渡った。

「くっ…! ここ、は…?」

 大規模な事故から3分後。
 事故直度のショックによって、意識を飛ばしていた御堂の意識が徐々に覚醒していった。
 最初は、黄色いもので目の前を覆われた上に、それによって顔面を圧迫されていたので
一体何が起こったのか把握は出来なかった。
 だが少しして、それはエアバックが作動して…自分を守ってくれていたのだと判った。

(どうやら…顔とか頭は、エアバックによって…守られたみたいだな…)

 だが、自分の脇腹やアバラ骨、そして二の腕に掛けてアチコチから鋭い痛みが走っていく。
 どうやらアバラと二の腕は、ヒビでも入ったのだろう。そして…脇腹には不運にも、
エアバックで防ぎ切れなかった側面から飛び散ったガラスの破片の大きいのが深々と
突き刺さっていた。
 どんな自動車でも、水難事故に遭った際に脱出出来るように…運転席の側面のガラスは
割れやすい構造になっている。
 それが今回の場合は、不幸に繋がってしまっていた。

 玉突き事故によって立て続けに強い衝撃に晒された御堂の愛車は、全面のガラスがその
ショックに耐え切れずに無残に大きくひび割れて…車内から満足に外の様子を伺えない
有様になっていた。
 特に側面のガラスは酷い事になっていて、突き刺さっているガラスの他にも大きな
破片が幾つも御堂の腿や、足の周辺に散らばっていた。
 身体を少し動かす度に鋭い痛みが走ったが…本能的にここにいたら危ないという直感が
彼の肉体を突き動かしていた。

(…このまま、車内にいたら…危ない気がする…!)

 そう思った瞬間、車外から…そう離れていない距離内で、爆音と…赤々と燃える大きな
火柱が上がっていった。
 同時に響き渡る人々の悲鳴。
 御堂は、それを聞いて急きたてられるようにシートベルトを外して…車の外に出ようと
足掻いていった。
 
(このまま…ここにいたら、この車もまた…ガソリンに引火して炎上するかも知れない…。
すでに爆発している車がある以上、一刻も早く…車の傍から離れた方が良い…)

 ここ数年、大きな地震に関しての報道が成される度に…御堂なりに、こういうケースの
場合はどのように行動したら生存確率が上がるかシュミレーションを重ねて来た。
 その経験が初めて、この場に来て生かされる形となった。
 脇腹の負傷はかなり深く、そこから自分の心臓が脈動する度に少しずつ出血していく
のが判った。だが…どれだけ痛くても辛くても、御堂は敢えてそれを引き抜こうとせずに…
激痛が伴うのを承知の上でそのままにしていく。

 この状況でガラスの破片を抜き取れば、出血が酷くなるし…感染症などの二次
被害が出る可能性が格段に高まってしまうからだ。
 御堂は、死にたくなかった。
 激痛で意識が朦朧になりそうになっても、考えるのは…どうやってこの場から
生きて生還するか、その事ばかりだった。
 必死の想いで車を飛び出すと…身を低い位置に保ちながら、這いずるようにして…
少しでも車が密集している地点から離れようと試みていく。

(佐伯…!)

 頭の中に浮かぶのは、自分の恋人の事ばかりだった。
 相手とすれ違ったまま…一言も話せないで、このまま逝くのなど冗談ではなかった!
 その想いが彼の身体を突き動かしていく。

 ―私は、死ねない! 死にたくなどない! 君に何も言えないままで…こんなに
すれ違ったままでなど、絶対に逝きたくない!

 痛みで顔を歪めながら、みっともない有様だと自分でも思った。
 だがもう形振りなど構っていられなかった。
 格好つけて死ぬよりも、今の自分は無様でも生きたいと強く願っていた。
 こんなに後悔したまま…この生を終える事など、御免なのだ!
 自分は何も彼に伝えていない!
 怒りも、許しも、愛情も…想いも、何もかもだ!

 だから御堂は周囲に満ちる一酸化炭素や、ガソリンや機械類が燃焼する事によって
発生するその他の有毒な気体を吸わないように…逸る心を抑えていきながら…確実に
その場から離脱していく。
 意識が続く限り、男はそうやって生き延びる可能性が高い道を進み続けた。
 だが、都内では他にも同時に多くの事故が多発し…救急車や、救助隊は各地に
飛び続けたが運悪く対応が遅くなってしまう件も多々あった。

 そして…御堂がどうにか、救急隊員によって保護された頃には…すでに多量の
出血によってかなり危険な状態へと陥っていた。
 幸いにも搬送された病院が、災害による被災者を多く受け入れる体制を素早く
整えてくれていたので受け入れ拒否をされずに治療を施されたが、その頃には完全に
意識を失ったまま、昏睡状態になっていた。

 21時半を過ぎた頃には身元の確認は済んでいたので、搬送された病院の
看護士の手によって、その家族に…危篤を告げる内容が早くも電話によって告げられた。
 そして都内に在住の家族にその連絡が回ってくるとすぐに、現在の御堂の所属している
会社の社長である眼鏡の元へと…その事実が伝えられていったのだった-

―丸一日高熱に侵され続けた眼鏡が意識を取り戻したのは朝方の事だった。
目覚めて真っ先に覚えた違和感は、場所の違いだった。
確か意識を失う直前は自分はリビングのソファの上にいた筈だ。
ベッドまで移動した記憶はない。
 
(何故、俺はここにいるんだ…?)
 
疑問に思いながらゆっくりと周囲を見渡していくとベッドサイドに誰かの姿があった。
最初は窓から眩いばかりの朝日が差し込んできているせいで視界が効かなかったが、
徐々にはっきりしてくると…今度は息を呑むしかなかった。
 
「…何故、『オレ』がここにいるんだ…?」
 
彼が呆然となりながら呟いていくと、間もなく克哉の方も身じろぎ始めていった。
真っ白く室内が光輝く中、相手の長い睫毛が揺れて…その瞼が開かれていった。
 
「…ん、おはよう『俺』。もう熱の方は大丈夫かな…?」
 
「…どうしてお前がここにいる? しかもどうやって入って来たんだ。俺は鍵は
毎晩キチンと掛けているし、お前に合鍵など渡した記憶はないのに…」
 
「ゴメン、忘れ物をしたからどうしても気になって屋上からベランダの方に降りる形で入った。
…オレの用はとっくに済んでいるけどね。ねぇ、『俺』…身体の具合いはどうかな?」
 
「何だと…? そんな馬鹿な真似をしたのか! 失敗して落下したらどうするつもりだったんだ…」

 眼鏡が珍しく血相を変えながら怒鳴っていくのと対照的に、克哉の方の表情は
どこか穏やかだった。
 見方によってはすでに達観している…と取れなくもない顔だった。

「その危険を犯してでも、やらないといけない事があったからね。…もう、それだけ身体を
起こして話せるのならば…大丈夫そうだね。じゃあ、オレはこれで…」

「待てっ…! どこに行くつもりだっ…話は全然終わってないだろうが!」

 正直、今朝の件でもまた…眼鏡の方では疑問が幾つも渦巻いている状態だった。
 木曜日の夜にもう一人の自分が姿を現してから今日で四日目。
 その四日間の『オレ』の行動と言動は、眼鏡にとっては不可解なものばかりだった。
 だが、彼の瞳は…酷く静かに澄んでいた。
 その瞳で見つめられていくと、落ち着かなくなっていく。

(お前は一体、何を考えている…?)

 眼鏡には、判らない。
 いや…薄々とは感じ取っているのに、それから目を逸らそうとしているという方が
正しかった。
 だが、気づく訳にはいかなかった。
 恐らくそれをこちらが察しているとはっきりさせたら、もう一人の自分は恐らく…
自分の前からスウっといなくなってしまうような気がしたから。

「…これ以上、オレがここにいる訳にはいかないから。一度はお前に追い出された身、
だしな。それに…御堂さんがここに来たら何て言い訳する訳? 同じ人間が同時に二人
存在しているだなんて…怪現象、信じて貰える訳がないよ。
 だから…オレは消えるよ。ちょっとお前から金銭的に世話になるのは心苦しいけれど…
後、三日もすればオレは肉体を持っては存在出来なくなる。それまでの期間…どこかの
安いホテルに滞在出来る分のお金だけは、用意して貰って良いかな…?」

「後、三日だと…?」

「うん、そう…オレは最初から期限付きでこうして一時的に存在しているだけ。現れた日から
数えて…一週間、水曜の夜いっぱいにはオレはお前の中へと還る。
 …けれど、御堂さんとの修復はもっと早くやっておいた方が良いだろうから…オレは姿を
消すよ。熱が引いた状態ならば、お前にオレが手を貸せる事など何もないから…な」

 そう告げた克哉の表情は悲しげで、見ているこちらの胸がツキンと…疼いた。
 多分…ここで見送れば、二度とこいつは期日まで自分の前に姿を見せないだろう。
 そんな予感がヒシヒシとしていった。
 御堂と修復する事を考えるならば、確かに克哉の言った通りにした方が良い。
 だが…ここで手を離したら、何かが手遅れになるような気がした。
 何かまだ…コイツから聞き出しておかないといけない事があるような気がした。
 だから、眼鏡は…口を開いていった。

「…馬鹿が。俺はまだ…正直、一人で全部身の回りの事をこなせる程、回復してはいない。
飯を作ったり掃除したりを…こんなダルい身体でこなすのは御免だ。
 だから…もう一日ぐらいはここにいろ。その代わり、もうお前には触れないがな…」

 かなりツッケンドンな、突き放したような口調だった。
 だが…相手からの「ここにいろ」という発言が、克哉には嬉しかった。
 ささいな事でも良い。何か出来る事があるならば…嫌われたり、疎ましく思われたりして
遠ざけられるよりもずっと良いと思うから…。

「うん…判った。飯ぐらいはちゃんとオレが用意させてもらうよ。だから…ゆっくりと
休んでくれて良いよ」

「…チッ、何をそんなに嬉しそうにしているんだ…お前は。もう良い…俺はもう少し
寝させてもらう。昼頃には起きるから…それまでには、お粥か何かを作って
おいてくれ。じゃあな…」

 そうして…ボスン、という音を立てながらもう一度眼鏡はベッドシーツの上へと倒れ
込んでいった。
 こちらから背を向けて、その顔を見えないようにしていたが…何となくその顔は
複雑なものをしているんだろうな…と克哉は感じ取ってしまった。

(…何となく、『俺』も察しているんだろうな…。こっちの気持ちは…)

 態度で、克哉の方も…眼鏡がこちらの想いに気づきつつある事は感じ取っていた。
 だが…敢えて、二人共それを口に出さなかったし…問い質す事はしなかった。
 一言、はっきりと告げてしまえば…眼鏡には拒絶するしかない。
 克哉も、そうなれば傍にはいられなくなってしまう。
 
(…気のせいかも知れないけれど、今夜は…凄く嫌な予感がする…。凄く胸騒ぎが
して…落ち着かない…)

 もしかしたら、もう一人の自分もそれを感じ取っているから…自分を引き止めたのかも
知れない。
 ザワザワ、と不安が胸の中に広がっていく。 
 漠然とした何か、それを上手く口には出来ないが…何かが起こると、そんな確信めいた
予感を感じていた。

 薄氷のような危ういバランスを保ったまま、二人は共に…夜まで他愛無く過ごしていく。
 そして、夜の22時に。
 彼らが感じていた予感が的中した事を告げる、一通の電話の音が鳴り響いていった―
 
  

 

ツゥルルル…ツゥルルル…
 
 携帯電話を耳元に押し当て、幾度もの呼び出し音を聞いている最中にふと
その音が途切れた。
 気になってリダイヤルボタンを押して掛け直していくと、すぐに「お掛けになった電話は
現在電波の届かない所にいるか…」というアナウンスが流れていった。
 
「…くっ、どうして繋がらないんだ…!」
 
 心底忌々しげに御堂は呟いていくと、やや乱暴な仕草で携帯を机の上に投げ出していった。
 彼は本日の昼間、恋人のマンション前で不審な態度になっていた克哉と遭遇し、逃げられて
からも周辺を二時間は掛けて探索し続けていた。
 午後三時に差し掛かった頃に見つからないだろうと見切りをつけて自宅の方へと
切り上げたが、釈然としない気持ちになっていた。

 相手から何かリアクションがあるだろうかと、夕方頃まで待ち続けたがそれに焦れて…
鬱々した気分を少しでも紛らわそうと、とっておきのリバロとワインを開封して一人で
楽しんでいた。
 だが、こんな状況ではどれだけお気に入りの食物や飲み物を口にしたとしても、
心から楽しむ事など出来そうになかった。

 リバロは購入してから一ヶ月は寝かせて熟成を進ませてあったし、それに合うワインも
チョイスしてガーヴェで貯蔵しておいた。 
 フランスのボルドー地方のシャトーラネッサンの1997年もの。
 値段的に手頃なものであるが、チーズと良い相性であると一般人の中でも
評判の良い一本だ。
 ここ一年くらいは克哉も、御堂のワインの趣味に時々付き合ってくれるようになっていた
ので本来ならば今週の週末くらいには一緒に食べるつもりで予め用意してあったものだった。

「佐伯…君が、本当に判らない…」

 二ヶ月前から、以前のようなゾっとするような眼差しを浮かべるようになったかと思えば
一昨日には部屋に入った瞬間に無理矢理陵辱されて、今日の昼間に会った時には
まるで別人のような雰囲気を纏っていきなり逃げ出されるのは…まるで行動に一貫性が
ないではないか。
 自分が知っている佐伯克哉という男は、自信満々で傲慢な筈だった。
 しかもずっと、自分の事は再会してから「御堂」か「孝典」と…呼び捨てにしか
して来なかった筈なのに…今更、「御堂さん」となどと呼ばれるとどうすれば良いのか
判らなくなってしまっていた。

「今更、私を御堂さんとだと…? 何だっていきなり、そんな他人行事に…それだけ、君に
とっても…一昨日の振る舞いは後悔している、事…なのか…?」

 あんな佐伯の振る舞いは、そう…初めて彼と顔を合わせた日以来の事だ。
 二年以上も前に、一度だけ見た事がある気弱そうな彼の態度。
 しかし眼鏡を掛けた瞬間に別人のような振る舞いになり…それ以後、彼の態度は
一貫してそんなものだったので…すでに御堂の中では記憶の底に追いやられていた
情報だった。
 まさか、同じ人間が同時に二人存在しているなど…常識人の御堂にとってはまったく
考えも及ばない事であった。

 すでに何杯目になるか判らなくなりながら、グラスを傾けて赤い液体を喉の奥へと
流し込んでいく。
 それなりに品質が良いワインでも、こんな性急なペースで飲み続けたら…味わいも
へったくれもない。

 だが、もう色んな要因が重なり続けて…彼の心は乱されっぱなしだった。
 もう眼鏡に対して怒っているのか、混乱しているのか…それとも、言いたい事を直接
ぶつけられずにもどかしくなっているだけなのか、自分でも判らない。
 だが…自分の心がここまで荒れ狂っている原因を作ったのは、紛れもない…
佐伯克哉という存在である事だけは確かであった。

「克哉…どうして、一言も何も言って来ない。どんな言葉でも…君が何か、
謝罪でも何でも伝えてくれば、こちらは…少しぐらいなら、譲歩しても良いのに…
何故、なんだ。君は引け目を感じて…そのまま、私から逃げようと…言うのか…?
君の私への執着は…そんなものだと、言うのか…?」

 もし、正午の頃の御堂の心境のまま…眼鏡の方と顔を合わせていたら、その
憤りを直接ぶつけるだけぶつけて、捲くし立てる結果に陥っていただろう。
 眼鏡の方も…素直に頭を下げれる性格をしていないし…御堂は誰よりも
自尊心が高い性分だ。
 あんな振る舞いをされたら黙っていられる訳がないし…簡単に許すものか、
そういうつもりで乗り込んだつもりだったが…そう、気弱で他人行事な克哉の
態度を見た事で…かなりの衝撃を受けてしまったのだ。

 眼鏡は、御堂にとっては仕事上で掛け替えのないパートナーであると同時に
プライベートの方では大事な恋人でもある。
 そんな相手に、あんなによそよそしい態度を取られて…あまつさえ、逃げられて
しまったら…ショックを受けない訳がないのだ。

 結果、御堂の方は冷静さを取り戻して…同時にどこか、焦る想いがあった。
 今でも強く怒っていた、それは事実だ。
 あの振る舞いを許せないという感情は今も根強く、彼の中で息づいている。
 だが…そのおかげで、もう一つの真意にも気づいていたのだ。
 自分は簡単には許せない、だが…佐伯克哉という男と…このまま別れて
終わりにしたくなどない…という強い想いが。

 それはプライドが高い御堂にとっては、容易に認められるものではなかった。
 だが…突き動かされるように携帯電話を取って、相手に掛けたのに…途中で
切られてしまったという事実が更に彼を焦らせていく。
 こんな有様では、どれだけ上質な酒を飲んだとしても酔いしれる事は出来ない。

「克哉…」

 恐らく、たった今…高熱に浮かされているであろう眼鏡もまた…御堂の名を
呼び続けている。
 本人達はまったく知る余地もない事だが…今、御堂が呟いたのと同じ瞬間に
眼鏡の方もまた…彼の名を呼び続けていた。
 鮮明に、彼の顔が脳裏に浮かんでいく。
 手を宙に伸ばして何かを求めるように彷徨い…そして、照明に翳していった。

「克哉…君に、私は…会いたい…」

 逃げられたからこそ、そんな想いが湧いて来たのだろうか。
 このまま…君と二度と会えないのなんて、御免だ。
 他人のような振る舞いをされて、距離を置かれたまま遠ざかれてしまうことなど…
きっと自分は、耐えられない。
 自分達には、再会してからの一年…積み重ねてきたものが沢山あるのだから。
 たった一度の過ちで、それを全て壊しても良いのか? と…そんな感情もまた
彼の中に生まれ始めていく。

「酷い男だと、最初にあれだけ…思い知らされたにも関わらず…私は君を、好きに
なってしまったんだしな…怒ってはいるが、嫌いには…なれないんだ…。だから…」

 どうか、自分を「御堂」と自信ありげに呼ぶ彼と会えますように。
 そんな祈りを込めながら…御堂はまた、己のグラスを煽っていった。

 ―今夜は到底、一本分のワインでは満足出来そうになかった。

 深酒をするなど、愚かな事だと判っていながらも…彼は一時の慰めに手を伸ばしていく。
 次に会う時に、少しでも冷静に話せるように。
 この滾る胸の怒りを、少しでも鎮めさせる為に…。
 彼は起き上がって、専用のカーヴェの方へと足を向けて…もう一本、自分の心を宥めて
くれる赤い液体の詰まった瓶を、そっと手に取っていったのだった―

 ―お前の為に何かをしたい。それが最初の動機だった。
 けれどその奥に潜んでいる本心からは目を背けていた。
 だが、もう偽れそうにない。
 だからオレは…少しだけ正直にならせてもらうよ。
 オレがこうして身体を持って存在出来る時間はあまり残されていないのだから―

 強く強く、御堂の代わりに抱き締められ続けて…やっとその抱擁が
解けた頃、克哉は全力で看病道具を揃えていった。
 本来ならば、病院に連れていった方が良いのだろうが…自分とまさに同体格の
男を一人で連れて行くのは骨だし…眼鏡の方は車も所有していない。
 それに…意識を失っているからこそ、今の自分は彼の傍にいられるのだ。
 気が咎めたが…少々、眼鏡の財布から看病に必要そうな最低限の物だけを
買い揃えて、準備を進めていく。

(…オレがコイツにしてやれる事なんて、これくらいしかないからな…)

 何の為に現れたのだろうか、迷う部分は多いけれど。
 相手に何かしてやれる事がある方が、気持ち的には楽だった。
 暖かいお湯を洗面器の中に浸していくと、タオルを一枚放り込んでいく。
 それを持ってベッドの方まで運んでいくと…うっすらと汗を浮かべている眼鏡の
顔や首元を拭っていった。

 高熱を出し続けている眼鏡は、絶え間なく呻き続けている。
 どこか切なげな声音で、うわごとのように…「御堂」と呟くのを聞く度に、ツキンと
胸が痛むような想いがした。
 だが、その気持ちを意識の底に沈めていきながら…丁寧に、相手の顔を拭って
いってやる。

(何か結構、整った顔立ちをしているな…)

 自分と同じ顔。けれど…こうして客観的に見ると、整った顔立ちをしているんだなと
正直に感じられた。
 ここまで、自分がナルシストだとは思ってもみなかった。
 頬の稜線を優しく伝い、瞼から鼻筋、そして唇の辺りを拭いていくと…妙に緊張した。
 薄い唇の柔らかい感触を指先でふと、感じてしまうと…さっき熱烈に交わされたキスを
思い出してしまって…カァーと顔が熱くなって、真っ赤になってしまった。

(意識しちゃダメだ…意識、しちゃ…!)

 心の中ではそう思うのに、心臓がバクバクバク…と忙しなくなって大きな音を
立てているのを自覚していく。
 必死に意識を逸らしていきながら…顎のラインから首筋も汗を拭い、Yシャツの
ボタンを外して胸元と、そして…手先までは拭いていった。
 これ以上は相手を起こさないように拭うのは無理だ。
 そう考えて…相手から離れようとした刹那、腕をギュっと掴まれていく。

「っ…!」

 鋭い声が漏れそうになるのを必死に抑え込みながら、強い力で引かれていく。
 腕の肉に相手の指が強く食い込んでいった。
 そして…呟かれる言葉。

―御堂、行くな…! お前を…俺は…失いたく、ない…!

 苦しげに、辛そうな様子で…必死に縋り付いてくる。
 多分…今、彼は悪夢に魘されている。
 大切な人間を失ってしまう、もしくは別れを突きつけられる夢を。
 それに抗おうと、彼は必死に夢の中で抗っているのだろう。
 この腕の強さが…それを物語っていた。

(それだけ…お前は、御堂さんを愛しているんだな…)

 自分もその姿を見て、泣きそうになった。
 けれど…静かに涙を伝らせるだけで、顔をクシャクシャにはしないように心がけて
どうにか微笑んでいく。
 そして眼鏡の耳元に唇を寄せていくと、あやすように告げていった。

「…大丈夫だ、私は…ここに、いるから…」

 出来るだけ、自分が良く知っている御堂の声のトーンや口調に真似て…そう囁いて
いってやると…安堵したのか、ふっと…眼鏡の表情が和らいでいった。
 相手の指先が、虚空に何かを求めるように彷徨っていく。
 その指に…克哉は己の手を絡めて、ギュっと握り返していった。
 それは胸が軋むぐらいに切ない行為であったけれど…それで安堵したのだろう。
 彼は苦悶の表情を、浮かべなくなっていた。
 克哉は…その様子を、穏やかな瞳を讃えながら…見守っていった。

(オレで良ければ、幾らでも代わりになる…。傍にいるから…)

 この時、だけでも。
 高熱が去って、恐らく意識を取り戻してしまったら…自分はもう、こうして傍にいる事は
出来なくなってしまうのならば…せめて、それまででも。
 身代わりになっても良い。
 自分自身を必要とされなくても…何が出来る事があるなら、何でもしてやりたかった。

―私は、ここにいる…

 いつもの自分の一人称ではなく、あの人の口調で…まるで子供を寝かしつける時に
そっと囁く睦言のように、優しい声音で呟き続ける。
 何も求める気はないから、どうか…傍にいさせて欲しい。
 お前の為になる事を、何も出来ないままで…この時間を終えたくないから―
 そして眼鏡の様子が安定するまで、それを続けていくと…ふと、眼鏡の携帯が
大きく鳴り響いていった。

 その着信音には聞き覚えがあった。
 御堂専用に設定してあるものだ。
 それを聞いて…克哉は、ぎょっとなって…慌てて携帯電話の方に駆け寄っていった。
 ディスプレイの表示を見ると、間違いない。
 名前表示に、「御堂孝典」とあった。

(御堂さんからだ…!)

 自分が、この電話を取るかどうか…迷った。
 暫く手の中で振動していく電話を凝視しながら、強く葛藤した。
 今、自分が眼鏡の代わりになって…この電話を取るか、否か。
 彼の方はとても電話を取って会話を出来る状況ではないし…自分が出て、それらしく
演技をした処で疑われるかも知れない。
 そう考えると、どうしても取る事は躊躇われた。

(本来なら…御堂さんに、コイツがこんな状況になっている事を告げるべきだって、
それは判っている。けれど…)

 告げたら、自分はもう傍にいられなくなってしまう。
 そう考えた克哉は…誘惑に、負けてしまった。
 どうせ諦めなければならない想いならば…せめて、この状態になっている時だけでも
傍にいたかった。
 だから、彼は…携帯の電源を落としてしまった。

(御免なさい、御堂さん…。オレには、貴方からの電話を取る勇気はないです…)

 必ず、貴方の元に返すから…アイツの熱が落ち着くまでの間で良いから、傍に
いさせて下さいと…心の中で謝り続けながら、克哉はその場で硬直し続けた。
 それはもしかしたら、ささいな罪であったのかも知れない。
 だが…これが、思いもよらぬ流れを生み出すトリガーになってしまった事を…
克哉はまだ、気づいて…いなかったのだった―

 
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香坂
性別:
女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
 鬼畜眼鏡にハマり込みました。
 当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
 とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)

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