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鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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 ―どうにか、今日一日だけでもやり過ごせて…本当に良かった。

 ボロボロになって軋み続けていた身体を引きずって、どうにか…本日こなさなければ
ならない責務を終えて、帰路についた御堂は…やっとの想いで自宅まで戻ってくると
ベッドの上に盛大に倒れ込んでいった。
 どうにか上着とネクタイを外しただけの格好で、うつ伏せになって横になっていくと
すでに身体は鉛のように重くなってて、自由が効かなかった。

(…今日を無事に終えれば、後…二日は休みになる。その間にコンディションを
整えれば…大丈夫だろう…)

 今日は幸い、午前中を半休にしてもどうにか大丈夫なスケジュールだったから
助かっていた。
 …昨日、例の一件が起こる前にせっせとこなせる限りの仕事を片付けておいたのが
幸いしていた。
 おかげで、取引先との一件が片付けば…今週はゆっくりと休んでいても問題ない…
とまで考えていた時、つい苦笑したくなった。

(…あんな目に遭ったというのに…まったく私は辞めようとか、考えて
いなかったんだな…)

 そういえば昨日、佐伯の部屋から出て行った時も…取引先との一件をすっぽかすとか
そういう考えは一切、浮かんで来なかった。
 どうやったらこの体調で…少しでも支障なく業務を回していけるだろうか。
 そんな事ばかり、シュミレーションしていたような気がした。
 枕に顔を埋めながら、深々と溜息を突いていく。

 …克哉の前から、姿を消そうとか…二度と顔を見たくないとか、そんな事を
まったく考えなかった自分に…つい苦笑したくなった。

―困ったものだ。昨日の振る舞いは本気で怒っているし…憤りを覚えているのに
それでも…君を心底嫌いになり切れないみたいだな…。

 心の中でそう呟きながら、シーツの上でゴロリと転がって…目元を掌で覆っていく。
 瞼の裏に浮かぶのは、傲慢そうに…強気そうに微笑む恋人の顔と、昨日の…瞳に獰猛な
光を浮かべながら好き放題自分を犯し続けた彼の姿だった。
 あの射抜くような眼差しを思い出す度、ジワリ…とかつての恐怖心が…黒い染みのように
己の心の中に広がり続けていく。
 彼のその眼差しを見て、かつて…監禁までされて、延々と嬲られ続けた…あの暗黒の
日々の記憶が蘇ってしまっていた。

(…何を今更…。彼にあのような振る舞いをされても、それでも…受け入れて、この
一年を一緒に過ごしていた筈なのにな…)

 そう、一年の空白の時を経て再会した時に…自分の中では、その過去は水に
流して…許していたつもり、だった。
 だが、実際は無意識の領域で…その記憶は燻り続けていたようだった。
 …だから、それを連想させるようなあの…欲情に滾った双眸を思い出すだけで
かつて心中に鎮めていた憤りや、恐怖心が吹き出てしまっているのだろう。

「克哉…」

 ギュっと己の身体を抱き締めるようにしながら…苦々しげに、相手の顔を
思い浮かべながらも…身の奥に、欲望の火が灯っていく。
 忌々しい。昨日の出来事に自分は本気で憤っている筈なのに…彼の陵辱じみた
行為を許したくないと感じている筈なのに、その意思と裏腹に…身体は熱くなっていく。
 まるで、行き場の無い怒りが…出口を求めて、体中で暴れまわっているかのように…。

「くっ…!」

 顔を赤く染めながら、熱くなった下肢の周辺を弄っていく。
 スーツのズボンのフロントの部分に指を這わせて…そのジッパーを引き下げて
いくと…早くも反応した部分を取り出して、その幹に指を這わせていった。

 イライラして、ムカムカする。

 何とも表現し難い、すっきりとしない感情が噴き出してきて…御堂を問答無用で
翻弄されていく。
 これは、欲情しての反応ではない。
 怒張という言葉があるように…雄は、強い衝動や怒りの感情を抱くことで下半身が
反応する事がある。
 全てを吐き出して、少しでも頭に昇った血を下げたかった。
 ただその一心で…硬くなったペニスに指を這わせて…夢中で扱き上げていく。
 
「…ふっ…!」

 声を殺しながら、指を弾き返さんばかりに硬くなっている性器の余った皮の
部分を上下させるように指を動かしていく。
 裏筋の部分を他の四本の指で…先端の鈴口の部分を親指を濃厚に這わせる
ような形で刺激していく事で瞬く間に限界寸前まで張り詰めて、先端部分に
透明な先走りが滲み始めていった。

―ほう、もう反応しているのか…。相変わらずあんたのいやらしい処は…
感じやすくて、反応が早いな…

 ふいに、幻聴が聞こえる。
 思い出したくないのに、ふとした瞬間に…彼と肌を重ねた時の記憶が
脳裏に思い浮かんで、歯噛みしたくなった。
 本気で憤怒している。それなのに…ふとした瞬間に、奴の仕草が…他愛無い
一言が思い出されて、殺意にも似た衝動が競り上がってくる。

(…くっ…君という存在は、どこまで…私を踏み躙れば気が済むんだ…!)

 悔しかった。
 あれだけの事をされて、逃げ出そうと考えない自分が。
 これだけ屈辱的な事をされながら、彼を愛してしまった自分に…これだけ
呆れていながらも、克哉が興したあの会社を辞めようという想いは…どうしても
浮かばなかった。

「んっ…くっ…!」

 背筋に、ゾクゾクした衝動が這い上がってくる。
 けれど、こんな感覚じゃあ…足りないと心の奥で訴えかけていく。
 再会してから一年、そんなに頻繁でこそなかったが…何十回もすでに克哉と
身体を重ねている。
 だから、どうしても…自慰をしている最中に、彼の息遣いを…指の感触を…
そういうのを思い出してしまうのだ。
 それはまるで、消したくても消せない…深く染み込んでしまったシミのようだ。
 どれだけ自分の中から失くしてしまいたいと望んでも、もう決して消えないものと
なってしまったかのようで…そんな事実に、苦笑したくなった。

―どれだけ、君という存在は私を侵せば…気が済むんだ…!

 強すぎる自尊心が、許せないと叫ぶのも本当ならば…あんな目に遭わされても
離れる事をまったく考えなかったのも、確かな本心だった。
 そんな己に…どこかで屈辱さえも覚えながら、自らを鎮めようと…夢中で手を
動かし続けて、高みを目指していく。
 手の中の性器から、しとどに蜜を溢れさせて…手を蠢かす度にグチャヌチャと
粘質の水音が室内中に響き渡っていった。

「ふっ…ぅ…!」

 顔中を赤く染めながら、息を詰めて…その強い快楽に身を委ねていく。
 すぐに訪れる、頭が真っ白になるような…キーンと遠い場所で耳鳴りが
しているような感覚を覚えながら…頂点に達して、自分の掌を大量の
白濁で汚していった。

「はぁ…はぁ…」

 すぐに訪れる、快楽の余韻とあっという間に…頭の芯が冷めていくような感覚。
 ガク、と身体中の力を抜いていきながら…御堂は、溜息を突いた。
 無理矢理貫かれた場所はまだ引き攣れていて、ズキズキと痛む癖に…
身体がそれでも、彼の事を思い出して昂ぶってしまった事が悔しかった。
 だが…今はそれを頭の隅に追いやって、疲労の波に…一時、彼は身を
委ねる事にした。

―私は、それでも…君を想っているんだろうな…。酷く悔しい事だが…。

 ふとした瞬間に、そんな本心に気づかされながら…御堂は一時、意識を
手放していく。
 その眠りは、泥のように…深く、彼に一時の安息を齎していた―
 
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 早朝に出社すれば、留守番電話の方に…御堂から「本日は午前中は
半休で。午後から取引先に直接向かって、そのまま帰る」と言う簡潔で
要点だけを述べたメッセージが残されていた。

 朝早いオフィスの中には誰もまだ出社していない。
 大抵の日は、すぐ上に自宅を構えている眼鏡が一番乗りで出勤し
必要な書類をピックアップして、目を通しておく。
 この会社の社長は、彼である。自分がスムーズに動けば、部下達も
身動きとりやすくなる。
 だから、大抵の日は朝一番に出社するというルールを彼は守り続けていた。

「まったく…あいつらしい、要点だけを述べたメッセージだな…。だがここで
私情を一切交えず、やるべき事をそれでもやってくれているだけ…有難いな」

 昨日、自分が御堂にやった事を思えば…このまま会社を辞めたいという
気分になってもおかしくはないだろう。
 それでも、半休を取ってでも…今日アポを取った内で恐らく一番重要な
取引先との約束だけは果たしてくれようとしているだけで有難かった。
 最悪の場合、自分が代理でその会社に向かわねばならないか…と密かに
考えていたからだ。

(まったく…あんたのこういう処は、本当に尊敬するよ…孝典…)

 感情に流されず、成すべき事はキチンと最低限は果たそうとする。
 昨日、自分が乱暴したせいで…身体の方は正直、かなり酷い状態に
なっているだろうに…そう考えると苦い思いが広がったが、相手への
感謝と尊敬は忘れなかった。

 そして…今朝は久しぶりに、まともな朝食を食べたせいか…少しだけ気分が
解れるような想いがした。
 深い溜息を何度も呟きながら、自分用のしっかりした造りの椅子に腰を掛けて
克哉は…考えを巡らせていった。

(どうすれば…あいつとの仲を修復出来るんだろうか…)

 あの黒衣の男に踊らされて、自分は…獣のようになり、衝動のままに
御堂を犯して…傷つけてしまった。
 かつて御堂を監禁し、廃人になるギリギリの処まで追い詰めた過去が
あるだけに…再会してからずっと、気をつけていたにも関わらずだ。
 大切にしたかった。
 肩を並べて、対等なパートナーとして…同じ目線で語り合う存在で
いたいとずっと望みながら…この一年を過ごしていた筈なのに…。

「だが、それでも…あいつがこの会社を辞める、と今朝…言い出さなかっただけ
望みはあるな…」

 苦笑しながら、銀縁眼鏡を押し上げて…小さく呟いていく。
 そう、彼が果たすべき業務を放棄しないでくれただけ…まだ望みはあると
前向きに考える事にした。
 自分は、御堂を愛している。
 滅多に口に出してそれを伝えた事はなく…いつも意地の悪いことばかり
言って相手を振り回しているが…御堂に一度、別れを告げて立ち去った日から
彼の胸には揺るぎない、その想いが宿り続けているのだから…。

 こんな会社を興してまで、対等に立ちたいと強く願ったただ一人の相手。
 それを…こんな、過ち一つで壊してなるものか…!
 心の中で強く思いながら、彼は…椅子から立ち上がり、強く輝き始めた
朝日を…ジっと見据えていった。

 自分にとって、御堂孝典という存在は…真っ直ぐに未来を見据える為に
必要な存在なのだ。
 だから、諦めない。諦めるつもりもない。
 
(あんたが…俺を心底、嫌いになって顔も見たくない…。そう口にされるまでは
俺の方からは…御堂、あんたを離すつもりはない…。それが出来るくらいなら
この会社を興したりなんて…しなかった…)

 この会社を運営し、葛藤に振り回されて…業務に支障を出さない事。
 それが今の彼に出来る最善の手だ。
 御堂が、私情に流されずに…成すべき事をするのなら、それに習おう。
 胸に荒れ狂う想いがあったとしても…今日一日、乗り切れば…明日から二日間は
土日で休みとなる。
 ここで、感情に流されて…仕事に支障を出すなんて真似をすれば御堂に
呆れられるだけだ。
 だから男は…気持ちを切り替えていく。

―あんたに呆れられるような男に成り下がる事だけは…御免だ―

 胸に広がる煩悶や葛藤を押さえ込み、強い眼差しで…ただ、男は目の前の
事に集中し始める。
 御堂と一緒に作ったこの会社。
 ここに御堂が留まってくれている限り、この会社がある限りは…望みは
絶たれた訳ではないのだから…。

 そして、最初に出勤してきた部下が挨拶してくるまで、眼鏡は…目の前の
仕事にだけ集中し続けた。
 その表情に、迷いはなくなっていた。

 ―彼にとって、御堂は…何事にも代え難い、大切な存在であるという事。

 それだけは真実であったから…。
 再び、大きな過ちを犯してしまったその翌朝。
 眼鏡は…リビングのソファの上に横たわり、何度も寝返りを打っていた。

(やはり…寝心地が悪いな…)

 すでに窓の外は日が昇り、夜の帳がゆっくりと消えていこうとしている頃だ。
 カーテンの隙間から差し込む朝日に、眩しさを感じながら…彼はゆっくりと
瞼を開いて、身体を起こしていった。

「朝、か…」

 やはり、ベッドで眠らないと…身体の節々が痛む感じがした。
 だが、昨日…御堂を陵辱した現場である自分の寝室は、酷い状態だった
ので到底…眠れる状態ではなかったのだ。
 部屋に連れてくると同時に、その部屋を片付けておく事だけ命じておいて…
彼は結局、リビングで夜を明かす事にした。

 身体の奥には未だに欲望の火が燻っている状態で、もう一人の自分と一緒に
なんて過ごしたらどうなるか判らなかったし、恋人を無理矢理抱いたその夜に…
というのは自分のプライドが許せなかったからだ。
 結果、一人で眠っていた訳だが…やはり、少々夢見が悪かったようだ。
 身体のどこかに疲労感が残っていて、鉛のように重く感じられる。

「御堂…」

 それでも、この部屋の至る所には…恋人の残り香が微かに残されている。
 眼鏡は…ほんの少し、その香りが鼻につくだけで…胸が引き絞られるような
想いがした。 
 思い描くのは、ただ一人…御堂の面影だけだ。
 昨晩、あのような事が起こって…彼は果たして出社出来るのだろうか。
 部屋に戻って来た時、何の書置きもなく…恋人の姿もすでになかった事から
御堂は心底怒っている事は容易に推測出来る。

(…もしかしたら、午前中は動けないかも知れないな…)

 もし、御堂の姿が自分が出社した時になかったら…それだけ、昨晩の
後遺症が酷いという事だろう。
 そこら辺を藤田とか、他の従業員に察せられないで一日を過ごせる
だろうか。そんな不安がふと…脳裏を過ぎっていく。
 胸に広がるのは、ジワリとした不安と後悔。
 そんなネガティブな感情に引きずられたくなくて…頭を振りながら、眼鏡は
ソファから立ち上がっていった。

(あれこれ…悩んでいても仕方ないな。起こってしまった事はなかった
事には出来ない…。あるとすれば、これからをどうしていくか…だ…)

 そう思考を切り替えて、サイドテーブルに置いてあった銀縁眼鏡を
装着していくと…キッチンに立っているもう一人の自分の姿が視界に
入っていった。
 昨日はピチっとスーツを着ていたのに対し…今は、上着と赤い
ネクタイは外したラフな格好をしていた。
 
「あ、おはよう…『俺』。もうすぐ…朝食が出来るから、ちょっと待ってて?」

「朝食…?」

「もう、昨日お前が言ったんだろ…? とりあえずハウスキーパー代わりで
なら置いてやるって。だから…ちゃんと昨晩もお前の部屋の後片付けと
ベッドメイキングはしておいたし…ちょっと早起きして、朝ごはんも用意
しておいたよ。それなら…置いてくれるんだろう?」
 
 そういって、ニコリと人懐こく笑いながら…テキパキと焼きあがったトーストを
皿の上に乗せて…フライパンの上の透明なガラス蓋を開けて、フライ返しで
器用にソーセージと半熟に仕上げられた目玉焼きを乗せていく。
 後は、細かくしたベーコン、タマネギ、ニンジン、ネギなどを入れてざっと
煮て…コンソメの素を落とした簡単なスープだ。
 これは深皿に中身を注ぎ込んで、大き目のスプーンを用意していった。

「…お前も、トースト派で良かったんだよな。ちょっと…和食風にしようか
迷ったんだけど…オレと同一人物なら、好みは一緒かな…と思って
こういう感じにしたんだけど、大丈夫だったかな?」

「あぁ…トーストで構わない。旅館とかそういう場所に泊まったのなら
和食の朝食が出ても素直に受け入れるが…やはり朝は、カリっと
焼きあがったトーストに、コーヒーが良い…」

「ん、良かった。その辺はオレと一緒で…。ほら、コーヒーの準備も出来たよ。
すぐに食べるだろ?」

 そういって完成した料理を盛り付けて、四角いお盆の上に並べていくと…
大きなテーブルの上にそれを運んでいく。
 素直に眼鏡がその席に腰をかけていくと…鼻に、コーヒー特有の香ばしい芳香が
感じられていった。

「…ふん、なかなか悪くないみたいだな…」

「…一応、オレに出来る精一杯のものは作ったけれどね。及第点かどうかは…
お前の舌で判断してくれるかな?」

「あぁ…お前を置いてやっても良いかどうかは…実際に食べてみなければ
判らないがな。判断、してやるよ…」

「うわっ…本当にお前って偉そうだよな。…まあ、とりあえずは食べてみてよ。
それなりの味に仕上がっていると思うから…さ?」

 相変わらず、こちらがこんな態度をしていても…口元に微かな笑みを浮かべて
いるコイツの考えがまったく読めないままだった。

(…何でコイツは、そんなに俺の傍にいようとするんだ…?)

 その事に疑問を覚えながらも素直に眼鏡はスプーンを手に取って…
スープを一口、啜っていく。

「…旨い、な…」

 その声は、自然と漏れてしまっていた。
 暖かいスープを飲んだ瞬間、ホロリと…強張っていた身体の力が抜けるような
想いがした。
 それで実感する。どれだけ…昨日の夜から、自分の身体が強張り続けていたのかを。
 緊張で…冷え切ってしまったのかを…。
 他愛無い事であったのかも知れない。
 けれど…今朝、こうして…コイツが傍にいてくれて良かった、などと殊勝な事を
思い始めた。
 
(癪だから…口に出して言うつもりはないがな…)

 だが、その代わりに…眼鏡は無言でそのスープも、用意されたトーストや
目玉焼きの全てを平らげて…一言、告げていった。

「それなりに旨かった。一応…及第点、だな…」

「本当、良かった…!」

 眼鏡が食べている間、克哉も緊張していたらしい。
 その一言を貰って、心から安堵したような顔を浮かべていた。

(何故、こいつは…俺の傍にいたいと望んでいるんだ…?)

 その理由が、本当に昨晩言った通りの…お人よし過ぎる内容なのか…
訝しげに思いながらも、一先ず今朝だけは…例の寝室での痕跡を片付けて
くれた事と…この朝食を用意してくれた事を、ひっそりと…感謝していったのだった―

 ―今の自分は亡霊に過ぎないのだろうか。
 空には肉眼で捉える事が出来ない、数多の星々が犇いている。
 もう一人の自分と、御堂が鮮烈に輝く星ならば…
 眼鏡を掛けた彼の影に隠れて、その意識を沈ませた自分は
果たして…どんな星に例えられるのだろうか…?

 彼の会社が入っているビルの屋上。
 そこで二年数ヶ月ぶりに、もう一人の自分と対峙した時…
克哉は思った。
 相変わらず、もう一人の自分の纏っている気配は鋭くて…
相手の瞳を見つめるだけでも酷く緊張していた。

「…本当に久しぶりだね、『俺』。こうやってお互いに向き合って
話すのって…もう、どれくらいぶりなんだろうね…?」

 暫くの睨み合いの後、どこか寂しげな表情になりながら…克哉は
もう一人の自分に向かって声を掛けていった。
 
「さあな…二年は過ぎている事は確か、だな…」

 御堂と一度訣別し、再会したのが一年後。
 それから更に新しい会社を設立して仕事上のパートナー同士となってから
一年近くが過ぎていたので、まだ自分が主導権を握る以前に…もう一人の
自分を抱いたのは二年以上は前の話になる。

(あの頃の俺は…誰を抱くにしても、快楽の為にしか抱かなかったからな…)

 今でこそ、御堂への想いを自覚して…眼鏡は殊勝な感情を抱くようになったが
丁度、秋紀やもう一人の自分を抱いて愉しんでいた頃は自分の事しか見えて
いない時期だった。
 …愛する人が出来たからこそ、当時の自分のバカさ加減を苦々しく思っている
部分があるのだ。何故、今更になって…と如実に彼が顔に出すと―

「そっか…二年も経っていたんだ。あれから…どれくらいの時間が経過
したのか…オレは正直、把握出来ない状態だったから…」

 かつての佐伯克哉と呼ばれていた気弱な男は、そういって弱々しく笑ってみせた。
 そういう一挙一動が、今は無性に腹が立つ。

『もう一人のご自分と、久しぶりの対面を果たした気分はどうでしょうか…?』

 ふいに、黒衣の男が口を挟んでくる。

「…先程、お前が言っていた持参品というのは…もしかして、コイツの事か…?」

『その通りで御座います。…貴方様には現在、心から愛されている御方が
いる事はこちらも知っておりますが…彼ならば、浮気にはならないでしょう?
これは紛れもなく貴方の半身であり、今は私の力で具現化されているだけで…
貴方自身でもある存在なのですから―』

「ふざけるな! 俺は御堂以外をもう抱く気などない! しかもあんな真似をしでかした
直後に…『オレ』を抱くなんて事をやる気はまったくない! 引き取ってさっさと帰れっ!」

 眼鏡は本気で憤りながら、Mr.Rに掴み掛かっていく。
 だが…妖しい男は、悠然と微笑むだけで…まったく動じた様子を見せなかった。

「…おやおや、そんな事を言って宜しいのですか? 今…こうして、貴方の前に…もう
一人の御自分がいるのは、彼が心からそう願った結果だからですよ…?」

「なんだと…?」

 そう呟き、もう一人の自分をキッっと睨みつけていく。
 だが…彼は、今度は眼鏡の方の顔を強い眼差しで見つめ返す事なく…どこか、弱々しく
笑みを浮かべているだけだった。

「…お前、一体…何を企んで俺の前に現れたんだ…?」

「…何も、企んでなんていないよ。オレがそうしたいと望んだから、こうなっただけだよ…」

 猜疑心が篭った視線を向けながら、眼鏡が問いかけていくと…どこか悲しそうな顔を
浮かべながら答えていく。
 だが、そんな回答では眼鏡も納得出来ない。
 視線で…訴えかけて、こちらの真意を暴こうとしているみたいだった。 
 
 ―お前は一体、何を考えているのだと―

(…当然、だよな。…オレだって以前…こいつが目の前に現れた時はびっくりして、驚愕して
冷静でなんかいられなかった訳だし…)

 かつて、自分が表に出て生きていた頃の記憶を思い返しながら、やはりどこか力がなく
溜息を突いていった。

「もう一度、問う。何故だ…それを答えない限りは、俺はお前を傍になど置く気はない。
さっさとその男に引き取って貰って帰る事だな…」

 眼鏡は、苛立っているようだった。
 さっき自分自身が犯してしまった過ちについて。
 そして…その事態はMr.Rが一枚噛んでいる事を察して、警戒心が高まっている。
 中途半端な答えでは、彼は決して…自分を傍に置いてくれないだろう。
 ここでそれを言って良いか…迷った。だが…克哉は、口にする事にした。

「…お前を、放っておけなかったから。この一年…どれだけ御堂さんを想って、
大事にしているかをオレはお前の内側から、ずっと感じ取っていたし…見守っていた。
このまま放っておいたら…お前と、御堂さんは壊れるしかないと思ったから、だから
望んだんだ…。お前が嫌だ、というのなら…別に抱かなくたって良い。
 八つ当たりの対象にでも、家事をやらせるハウスキーパー代わりにでも何でも
良い…お前の傍にいて、何かやれる事があるならしてやりたい…。
 そう願っているだけ、だよ…!」

「な、んだと…?」

 余程、克哉の答えが意外だったのか…眼鏡は驚きを隠せなかったようだった。

「…オレは、お前と御堂さんの関係を守りたい。それ以外の意思なんてない…。
だから…置いて、くれ。何もしないで…ただ、傍観者でいて…黙ってそれを見過ごす
だけなんてのは…嫌、だよ…」

「…お前は、バカか…? そんな真似をして、お前が何の得をするって言うんだ…?」

「自分の心は、楽に出来るよ。それ以外でも、それ以下でもない。…で…どうする?
それでも…オレの言葉なんて、信用出来ないって突っぱねられてしまうのかな…」

 そう答えた克哉の顔は、どこか寂しそうなもので…ふいに、それを見た眼鏡の眉は
思いっきり顰められていった。
 そう答えている間、克哉の視線はただの一瞬も…こちらから逸らされる事はない。
 ただ…どこまでも、澄んだ眼差しを自分に向けてくるのみだ。
 それを見て…非常に落ち着かない気分になった。
 信じられないという不信の想いもあった。だが…それを表には出さずに、眼鏡は
不機嫌そうに言い捨てていった。

「…好きに、しろ…。ただし、俺の代わりに家事全般を担当して貰うぞ。正直…会社を
興してからは外食続きで…手料理などする暇があったら、身体を休めるか…又は
会社の仕事を少しでも片付ける方を優先していたからな。
 お前程度の腕前でも、飯を用意しておいてくれるなら…傍に置いてやる。
 そういう形で良いか…?」

 そういいながら克哉の手を乱暴に掴んで踵を返していった。

「わっ…! 何…いきなり…?」

「そろそろ、戻るぞ。幾らまだ秋口でも…夜は正直冷える。こんな処にずっと
立ち尽くしていたりしたら…風邪を引いてもおかしくはない。だから…そろそろ
部屋に戻るぞ…」

『話は付かれたみたいですね…。私が力添えをして差し上げた甲斐がありました…。
どうか、もう一人の自分との共同生活を愉しまれて下さいね…。
 それは滅多に経験出来る事ではない、貴重な事でしょうから…』

「黙れ。お前が妙な力を使うから…こんなややこしい事態になったんだろうが。
とりあえず…ハウスキーパー代わりに一旦、こいつは引き取ってやる。だが…
これ以上、変な真似はするなよ…」

『えぇ、承知の上ですよ…。それでは…私もそろそろ退散しますね。お元気で…
佐伯様。貴方の未来に、どうか幸があらん事を―』

 そう言いながら、男は艶やかに微笑みながらその場に立ち尽くし…二人をそっと
見送っていく。
 Mr.Rに背を向けていきながら…眼鏡は険しい顔をしながら、もう一人の
自分の手を握って足を進めていった。

「…あぁ、俺は不幸になどなるつもりはないからな…。行くぞ、『オレ』…」

「う、うん…」

  カツカツ、と靴音を乱暴に響かせながら階段を下って―眼鏡は再び、自分の
自室へと戻っていく。
 秋風の冷たく、黙って立っていれば凍ってしまいそうな寒い夜。
 そうして二人は再会した。

 身の奥に深い獣の衝動が未だに息づいている事を突きつけられた日。
 その獣の檻の中に、まるで生贄に捧げられる為に羊が…その中に飛び込んで来た。
 それがどのような結果を招き、歯車が回っていくのか…。
 この時点では、誰の想像も及ぶ処ではなかった―
  
                                   

  部屋に一人取り残されていた御堂は、暫くは呆然としていた。
  だが十分程過ぎた頃辺りから、ゆっくりと身体を動かし始めていく。
  今の自分の状態は余りに悲惨過ぎて、こんなに露骨に『犯された痕跡』を
肉体に残しておく事を許せなかったからだ。

「…うっ…くっ…」

 無理な体制を取らされた状態で犯されたものだから…身体を動かす度に全身の
筋肉が悲鳴を上げていた。
 特に股関節から内股周辺に掛けての筋肉が引き連れるようだ。
 それでも床を這いつくばるように進みながら、どうにか…風呂場まで進んでいく。
 精液とシャツで汚れたシャツをどうにか脱ぎ捨て…浴室に身体を運んでいくと
シャワーのコックに手を掛けて、適温になるまで待ってからその湯を全身に
掛けていった。

「ん…くっ…!」

 シャワーの湯が、アチコチに出来た擦り傷に沁みて痛みを感じたが…暫く
すればそんなに気にならなくなった。
 暖かい湯が、少しだけ…今の御堂の荒んだ心を解していってくれる。

(何故なんだ…どうして、今になって…あんな、事を…したんだ。佐伯…)

 肌にへばり付いていた…彼と自分の残滓を全て洗い流していくと、切ない表情を
浮かべながら壁に手を突いて項垂れていった。
 室内に、ただ…シャワーの落ちる水音だけが響いていく。
 ハウスキーパーを入れて定期的に掃除をしてもらっている浴槽は、入居して一年が
経過した今でも、壁も床も綺麗に整えられている。
 それを何気なく眺めながら…心の中は、克哉の事だけで埋め尽くされていた。

 湯が全てを洗い流すにしたがって、御堂の身体に染み込んでいた妙に甘ったるいような
匂いも落とされていく。
 それが鼻に突かなくなるに従って、さっきまで麻痺していた思考が復活するようだった。

「…ふっ…ぅ…」

 気づけば、目元から悔し涙が浮かんだ。
 胸が酷く軋んで、痛み続けていた。
 それでやっと…どれだけ再会してから一年の間に、佐伯克哉という男を信頼して重きを
置いていたのか…それを裏切られた事にショックを受けているのかを自覚した。

(あんな…風に…私の意志などお構いなしに、好きなように犯して…。もう二度と、
私の意志に反することはしないと…再会した時に、お前は言ってくれた筈なのに…!)

 そう、今夜の克哉は乱暴なプレイや…抱き方をしたというレベルではない。
 明らかにアレは、陵辱としか言えない行為だった。
 確かに再会してから何度か肌を重ねた際、彼の嗜虐性を時々感じる事があって
ヒヤリ…とする事は何度もあった。
 だが、こちらが怯えた態度を見せると…彼はそれ以上行動にする事はしなかったし
御堂が一言、「嫌だ」とはっきりと伝えれば強要する事もなかった。
 しかし…今夜は違っていた。
 
 幾ら御堂が声が嗄れるくらいに泣き叫ぼうと、訴えても…克哉は瞳に獰猛な
光を宿して、傲然とした態度のまま…自分を貫き続けた。
 両手を拘束されて、足を強引に押し広げられて…タオルを猿ぐつわの状態で
口に噛まされて…強烈なまでの快感を一方的に与えられた。
 愛情も何も感じられない、欲望だけを満たすだけのセックスだと…抱かれている
最中に強く感じた。
 だからこそ…御堂は、許せないと感じていた。

「克哉…どう、して…」

 一人、呟き続けても答えが返って来る事は決してない。
 膝が笑って、その場に何度も崩れ落ちそうになっていたが…どうにか身体に
力を込めて、倒れそうな身体を支えていった。
 肌から汚れや汗が全て洗い流されると…今度は克哉の欲望が留まったままに
なっている蕾に手を掛けていく。
 …ここを自分で掻き出すのは、未だに慣れず…どうしようもない羞恥を伴ったが
後処理をしないでいるともっと酷い事になる。
 そう割り切って、指を推し進めていく。

「くっ…あっ…!」

 無理矢理貫かれた其処は切れてしまっていて、指を押し込めるだけで鋭い痛みが
全身を走り抜けていった。
 泣きそうになりながら…指をどうにか押し進めて、赤い血液が混じった大量の白濁を
掻き出して…シャワーの湯に乗って、排水溝へと流し込んでいった。
 自分の鮮血を見て、先程の行為の惨たらしさを再確認していく。

「克、哉…」

 苦しげに御堂が名を呟く。
 だが、返事が戻ってくる事はない。
 自分がさっき、出て行けと言って彼はその通りにしただけなのだから…こちらが
恨み言を言う権利など、ない。
 それでも、目の前に今…彼がいるのなら、叫んで訴えたかった。
 何故、あんなに…こちらの意思を無視するような振る舞いを今更になって…
したのか。それでどれだけ、自分が辛かったかを…。

「…今の、私は…みっとも、ないな…」

 自嘲しながら、呟いていく。
 同時に…少しずつ頭の芯が冷めていくようだった。
 感情のままに行動をして、衝動に身を委ねるなど…自分はやりたくない。
 今までだって、ビジネスの場でも学生時代でも…己の感情を剥き出しにして
行動するような人種は軽蔑してきた。
 そんな人間と…同じ振る舞いをするなど、御堂のプライドが許さなかったのだ。
 だから胸の中に宿った強い怒りの感情を…理性を全て総動員して押さえ込んだ。

 先程の惨たらしい行為の名残を、消せる範囲で消し終えた後…シャワーの湯を
止めて、大きなバスタオルに手を伸ばしていく。
 壁に背中を凭れさせながら、どうにか懸命に水滴を拭っていくと…今度は克哉の
寝室まで、膝を突きながら戻って…適当に下着類や衣類を見繕って、それに
袖を通していった。
 こういう時だけは、自分と彼の体格がほぼ同じである事は有難かった。

 自分がさっきまで着ていたスーツや衣類は全て無残に引き千切られたか、もしくは
行為の最中に体液に塗れてグチャグチャになってしまったので…とても着られる
ような状態ではなかったからだ。
 相変わらず腰から下は力が入らなかったが…それでも、清潔な衣類を身に纏えば
少しは身も心もシャキッとなるような気がした。
 それから自分の携帯に手を伸ばして…愛用しているタクシー会社に連絡していった。 
 何度目かのコールの後に繋がっていくと、係の人間にまず名乗っていき…それから
ここの番地を伝えていく。
 向こうがその住所を復唱していくと…こちらも何度も頷いていきながら相槌を打ち
肯定していった。

「あぁ…その目印で大丈夫だ。今から15分後ぐらいには手配して指定の場所に
向かわせられるならば、それで。それでは宜しくお願いする」

 そう答える彼はいつもの、毅然とした態度に戻っていた。
 身体の方は相変わらず悲鳴を上げていたが…そんな姿を人前に晒すことなど
真っ平だという想いが…彼の身体を支えていた。
 胸に様々な暗い想いや、煩悶は存在していた。
 だが…今は、一旦この部屋を後にする事で…振り切っておく事にした。
 どれだけ無体な振る舞いをされたとしても…自分と克哉は今は、共同経営者という
立場であり…今では多くの部下がいるのだ。
 感情を表に出して、露骨に彼と反発してもしょうがない。…仕事場では。
 
 明日も、午後からはアポを取っている会社があるのだ。
 自分がやるべき事は…山積みだ。
 個人的な感情で、仕事を休んだり…支障を出す訳には…いかないのだ。

(午前中を半休にすれば…一社ぐらいならば、どうにか持つだろう…)

 だから、早く自分の部屋に戻って休みたかった。
 本当ならば、この下に勤めている会社があるのだから…移動しないで、
この部屋に休むのが一番良いと判っていても、今は…どうしてもここにこれ以上
居たくなかった。
 感情的な振る舞いをして、出社拒否などしないように。
 この荒れ狂う感情をどうにか午後までに宥めて、自分が成すべき責任を
果たせるように体制を整える為に…。
 彼は身支度をどうにか整えて、克哉の部屋を後にしていく。

 その背中には…強い意志と、無体な振る舞いをした己の恋人への強い不信感と
拒絶が…色濃く、残されていたのだった―
 

 ―先程、仕事上がりに御堂を久しぶりに自宅に招いた際…部屋に入った瞬間
濃密な匂いが室内中に満ちていた
 それは脳を蕩かせて、痺れさせるような甘く官能的な代物で…
 元々、下心があって恋人を招いた男の欲望を…押さえ込んでいた獣じみた
衝動を解き放たれてしまい…悲劇は起こった。

 自分の会社があるビルの屋上に移動すると同時に、スーツの内側に
移しておいた愛用のタバコの箱を取り出して、一本口に咥えながら火を
灯していく。
 すぐに先端から紫煙を燻らせながら、克哉は…手すりに身体を預けて…
自分の気持ちを鎮めようと試みていた。
 だが、あれ程の事をしでかしたというのに…身体の奥には未だに欲望の
炎が宿って、気を抜けば暴れだしてしまいそうだ…。

(何なんだ…これ、は…!)

 御堂を何回も、この衝動のままに犯し…何度も彼の中に熱い精を注ぎ込んで
やっと自分は正気に戻れたのだ。
 それは自らの意思で檻に繋いでおいた己の獣性が、放たれてしまった事による
悲惨な結末。
 もう二度と、御堂を怯えさせたくなくて…この一年、自分のこの暗黒面を押さえ込み
続けていたというのに…だ。

「くそ…っ!」

 歯噛みしながら、手すりの向こうに広がる鮮やかな夜景を睨みつけていく。
 こんな心境では、せっかく…最高の展望を約束出来る場所に身を置いても…
その美しさを感じ取る事も出来なくなってしまう。
 自分の心が荒んで、刺々しくなっているのを感じて…何度も舌打ちしていった。

(…御堂、すまない…)

 心の中で…愛しい恋人に向かって謝罪の言葉を浮かべたその時―
 背後から、聞き慣れた声がした。

「…こんばんは~。お久しぶりですね…佐伯克哉さん…」

 歌うように軽やかに、こちらに語りかけてくるその独特の口調。
 最後に声を聞いてから…すでに二年近くが経過しているが、これだけインパクトが
強い人物の事は容易には忘れられない。
 怪訝そうに眉を潜めながら後ろを振り向いていくと…其処には予想通り、長い金髪を
風に靡かせながら、黒衣に身を包んだ…妖しい男が佇んでいた。

 Mr.R。今、ここにいる眼鏡を掛けた佐伯克哉を解放した謎の男。
 この男が冴えなかった頃の自分に例の眼鏡を手渡さなければ…恐らく、現在ここに
いる克哉も存在していなかっただろう。
 それくらい…深く関わりながらも、こちらは何一つこの男の事を知らないでいる。
 そんな奇妙な間柄の、存在だった。
 
「…お前か。何の用だ…? 俺は正直言って、今は機嫌が良くない。ベラベラと
お前が何かを語りだしても、相手にしてやる余裕はないぞ…?」

「ほう? それは妙ですね…。貴方は先程、とても魅惑的な一時を味わっていた筈
ですけれどね…。久しぶりに己を解き放つ快感は、悪くなかったと思われますが…」

「…っ!」

 Mr.Rの言葉が指しているのは…先程の陵辱の時間の事だと悟った克哉は、
見る見る内に表情を険しくしていく。
 だが…男は、涼しい顔を浮かべたまま…そんな彼を陶酔的な眼差しをしながら
見つめ返していた。

「あぁ…例の香りはお気に召しましたか? 当店特製の…私自らが様々な貴重な
香料を材料に調合した物なんですけどね…。貴方様がこの一年、押し殺していた
本性を解き放つのに…大変お役に立ったでしょう!」

「貴様! お前が…あの香りを用意したのか…っ?」

 さっきまで、あの香りに嫌疑を掛けていた処だったので…克哉は激昂して…
憤怒の表情をしながら男の胸倉に掴みかかっていく。
 互いの吐息が感じられるぐらい至近距離で睨み合うが…男の余裕たっぷりな
態度は未だに崩れる気配がなかった。
 それが余計に…克哉を苛立たせていった。

「えぇ…お役に立ったでしょう…? 本来…貴方様はもっと輝くべき存在なのに
愛とか恋という儚く脆い代物に躍らされて…曇ってしまわれたのですから。
あの香りは…そんな貴方の本来の光を取り戻すための研磨剤程度の代物。
…久しぶりに己の本性のままに振舞われて…貴方は、とても充実した時間を
過ごされたのではないのですか…?」

「黙れ! それ以上…ふざけた事を言えば…こちらとて、ただで済まさないぞ…!」

 克哉の色素の薄い目が、はっきりとした怒りの感情を讃えて爛々と輝き始めた。
 その様子を見て…男はうっとりしたようにその瞳を見つめ返していく。

「ふざけた事など、こちらは申しておりませんよ…事実です。佐伯様…。
あぁ、でも貴方の大切な方は…そんな貴方の本性に対しては否定的に
なってしまっているんですよね。それでは…大変、苦しまれる事でしょう。
 ですから…貴方をお助けする意味で…今夜は持参品を用意しました。
お気に召して頂けると…幸いですね」

「持参品、だと…?」

 克哉が怪訝そうな表情を浮かべながら…男を見遣っていくと…Mr.Rは
心底愉快そうな笑みを浮かべて頷いていく。

「えぇ…必ず、貴方は気に入ると…こちらは確信しておりますからね。
一度は…当店で、貴方も愉しまれた素材ですから…」

「お前は、何を…?」

 そう、克哉が呟くと同時に…足音が…コツ、と小さく響いていった。
 屋上の入り口の方に視線を向けていくと…一つの人影が、其処に立っていた。
 最初は辺りが暗くて…顔まで判別出来なかったが、闇に目が慣れていくと…
ようやく、その人物が誰かが判り…克哉は、アっと息を呑んでいく。

 自分の中から久しく気配を消していた存在。
 かつて…この身体を、自分が解放されるまで使用していた者。
 そしてこちらが主導権を握ったその時から…とっくの昔に消えていたと
思い込んでいた―

「…どうして、『オレ』が…ここにいるんだ…っ?」

 もう、こいつは自分に呑み込まれていない筈だった。
 だが現実にもう一つの肉体を持って、其処に存在している。
 最初はどこか虚ろな眼差しを浮かべていた…自分とまったく同じ顔の造作をしている
存在は、ゆっくりとこちらに視線を向けて…。

「…さあ、何でだろうね?」

 意味深に微笑みながら、悪戯っぽく答えていく。
 克哉は…呆然と立ち尽くしながら、もう一人の自分と対峙していった―

―同じ過ちは二度と繰り返すまい、と心に誓っていた筈だった。
 
 だが、嵐のような衝動が過ぎ去って…正気に戻ってから、自分のベッドルームで
佐伯克哉は愕然としていた。
 たった今まで自分が行っていた行動に、ショックを受けて。
 しかしどれだけ後悔しても、何をしても…時間が巻き戻ることはなく。
 同時にやってしまった事を無かった事にする事も出来ない。

「御堂…」

 以前、自分が監禁していた頃と同じ…虚ろな眼差しをしながら…ここ一年くらいは
彼にとって良きパートナーであり、愛しい恋人である存在に声を掛ける。
 御堂は、何の反応を示してくれない。
 彼にとって忘れがたい過去を呼び覚ます、あまりに強烈な出来事が起こってしまった
為に…彼の心は一時、閉ざされてしまったようだった。
 
 新しい会社を設立して、その運営も軌道に乗り始めて。
 二度とこの人に対して酷い振る舞いを…あの鬼畜で外道めいた行為をするものかと
心に誓って、再会してからは穏やかな関係を築けていた筈だったのに。
 二ヶ月ほど触れ合えぬ時間が生まれたせいで、少し歯車がズレ始めて。
 そのせいで…自分は同じ過ちを犯してしまった。

「…御堂、答えてくれ…!」

 呼びかけている人物の様子は、悲惨な状態だった。
 四肢には赤黒い痕がくっきりと残されて、全身には克哉の所有欲の証が刻み込まれている。
 身体のアチコチには、お互いが放った精液の残滓がこびり付いて、御堂の整った顔には
涙の痕がくっきりと刻み込まれていた。
 
「ぁ……」

 何度目になるか判らない、克哉の悲痛な呼びかけに…御堂がやっと反応していく。 
 さっきまで無反応であった御堂が、微かにこちらに視線を向けて…か細くながらも声を
漏らした事に…彼はほっとしていく。
 だが…目の前にいる人物が克哉―自分をさっき乱暴に犯した当人であると認識すると
同時にその瞳が、不安定に揺れて…そして悲痛な叫びが喉の奥から迸った。

「うあっ…あぁ―!」

 其れは監禁し続けた日々の終わりに、彼が示した反応ととても良く似ていた。
 陵辱、と呼ばれる行為によって…誇りも矜持も、全て踏み躙られて。
 信頼という感情がお互いの間に生まれた時期に…過去と同じ振る舞いをされた
事によって、御堂の心に大きなダメージを与えてしまっていたのだ。
 
「や、めろ…もう…止めろ…!」

 さっきまでの扱いがあまりにも、かつての非道な頃の彼を思い出すような行為ばかり
だったので…あの頃と同じ拒絶を、愛しい人間が示していく。
 愛していた筈だった、大事にしたいと強く願っていた存在の筈だったのに―
 その想いが強すぎて、克哉は再び闇の中に堕ちてしまった。

 求めている気持ちが強すぎて。
 御堂と言う存在を欲しがりすぎて。
 その強烈な欲求を封じて、己の中にある獣の衝動を抑え続けた結果。
 二ヶ月間の触れ合えなかった時期の到来により、彼は一時…
己のコントロールが出来なくなってしまっていた。

「孝典…すまな、かった…!」

 御堂に縋りつくように、克哉がその身体を強く強く抱き締めていく。
 だが…返って来たのは、強い強張りと…拒絶感だった。
 その身体の硬さから…御堂はこちらに対して、酷く怯えていたり強い不信感を
抱いているのだというのが伝わってくる。
 それが悲しくて…切なくて、克哉の表情が悲痛に染まっていく。
 だが、御堂から怯えているような態度は消える事はない。
 彼の意思を無視して、己の欲求だけを…嗜虐的な衝動のままに犯してしまった
行為に対しての代償は、このような形で返って来てしまった。

「離せ…もう、私に今は…触れないで、くれ…!」

 やっと、御堂の瞳に光が戻ってくる。
 先程の人形のような態度に比べれば、反応があるだけ克哉は有難いと思っていたが
それでも戻ってくるのは険しい表情と、言葉ばかりだった。

「…今は、君の顔を…見たくない…! 一人に、させておいて…くれっ…!」

 吐き捨てるように、克哉の存在を拒むような発言をする。
 それに胸がズキリ、と痛むような想いがしたが…今の自分には、それを反論する
資格すらありはしないのだ。

「判った…一旦、俺が出て行く。あんたは…落ち着くまでここにいると良い…」

 ここは、克哉の興した会社と同じビルにある…彼自身の居室だ。
 だが…今の御堂はそっとしておいた方が良いと…そう判断して諦めて、克哉は
自分の方が出て行く決断をしていった。
 大急ぎで自分の部屋に向かうと、性行為によって汚れた衣類を脱ぎ去って…
新しいスーツやYシャツ、下着の類を身に纏っていく。

「…あんたも、身体をどうか冷やさないようにな…」

 着替えを終えて、寝室から出てくると同時に…片手には薄手の毛布を、持っていた。
 御堂の剥き出しの肩に、そっと毛布を掛けていくと…そのまま静かに克哉は
部屋の外に出ていく。
 御堂はその場に一人で取り残されて…呆然とした顔を浮かべながら、呟いていった。

「どうして…何だ…今になって、何故…」

 信頼していたからこそ、今夜の振る舞いは許しがたく…御堂の心に、深い不信の感情を
植えつけていた。
 愛していた、だからこそ…辛かった。
 御堂の意思など、まるで無視していたかのような…強引な、情交。
 いや…最早、強姦と呼べるくらいに乱暴に犯された事が…御堂にとっては、過去の過ちを
なぞられているようで…苦しかった。
 
 扉の向こうに、彼の姿が消えていく。
 その背中をジっと追いながら…御堂は深く項垂れて…。
 爪が肉に食い込んでいくぐらいに強く…その拳を握り締め続けていた―
 
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HN:
香坂
性別:
女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
 鬼畜眼鏡にハマり込みました。
 当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
 とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)

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