鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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※ この話はN克哉が事故で昏睡して記憶を失っている間、夢の世界で眼鏡と
十日間を過ごすという話です。それを了承の上でお読みください(終盤にやっと入りました…)
この八日間の間にこの人の存在がここまで自分の中で大きくなっていた事を
こうして抱き合って、初めて克哉は自覚していた。
鼓動が、吐息が重なって…自分の中に、もっと欲しいと求める強い衝動が湧き上がって
どうしようもなくなる。
荒々しい動作で着衣に手を掛けられて、脱がされる。
暖炉の火が煌々と燃えて…ほんのりと赤く染め上げられている室内で、克哉の
引き締まった身体が相手に晒されていく。
(…死ぬ程、恥ずかしい…)
喰い入るほど相手に裸体を見つめられて、黒革のソファの上で克哉は
顔を真っ赤にしながら目を閉じていく。
けれど…この人に抱かれる事を受け入れたのは、紛れもなく自分の意思だ。
「…お願いですから、兄さんも…脱いで。貴方の肌に…ちゃんと、触れたい…」
「…あぁ」
眼鏡は短く頷くと、愛撫の手を止めて…こちらが望む通りに今度は己の服に
手を掛けていく。
こちらからもそっと手を貸して…脱がすのを手伝っていくと…相手の均整の
取れた身体が眼前に晒されていった。
お互いに全ての衣服を脱ぎ去っての交歓は…これが初めての経験だった。
「…これで、良いか…?」
余裕の無い光を瞳に宿しながら、眼鏡が問いかける。
その獰猛さと真摯さが織り交じった瞳の色に…こちらの心臓が早鐘を打って
止まらなくなっていく。
「はい…」
赤くなりながら頷けば…いきなり足を大きく抱えられて、蕾に熱い塊を
押し当てられた。
愛撫も殆ど無く、いきなり直球で求められて…流石に克哉も慌てていく。
「ちょっ…と、待って! いきなりっ…!」
「それくらい、我慢していろ…! 俺が…この数日、どれくらい…お前を抱きたくて
我慢し続けて来たと思って、いる…っ!」
余裕の無い声で、そんな発言を言う眼鏡にびっくりして…こちらが反論を失って
いる間に容赦なく彼の熱いペニスが克哉の中に侵入してくる。
「ひぃ! あぁぁ!!!」
ズブリ、と根元までいきなりねじ込まれて…克哉の身体が悲鳴を上げる。
きつい際奥を無理やり押し開かれる感覚に…苦しくて、息が詰まりそうだった。
けれど…それ以上に、己の心が満たされているのを感じた。
「くっ…あっ…! 克哉…!」
余裕のない声で、初めて…眼鏡は克哉の名を呼んだ。
『克哉』は彼自身の名でもあったが…この世界においては、自分達は別々の心を
持った「二人」の人間として存在している。
自分の延長戦ではなく、一人の人間として呼びかけながら…際奥まで一気に
己の熱いモノを穿っていった。
「ん・・・うぅ…凄い、深いっ…!」
克哉もまた必死にその身体に縋り付いていきながら、強烈な感覚に耐えていく。
彼はまだ…かつて眼鏡に抱かれた時の記憶を取り戻していなかったが、今回は…
今までの彼の抱き方とは明らかに様子が違っていた。
焦らすことも、言葉で詰って追い詰めることもなく…ただ克哉の身体を激しく揺さぶり
夢中で突き上げて来る。
「兄…さ、ん…にい、さん…っ!」
うわ言のように何度も、克哉がそう呼びかけてくる。
少し身体を離して、眼鏡の顔を見つめれば…その瞳に、激情の色が濃く見えて…
それだけで背筋がゾクゾクしてきた。
荒い吐息も、快楽によって顰められた眉根も…身体と一緒に揺れるくせっ毛も、
しなやかな筋肉で覆われた肢体も…今、求めてくるこの人の全てが…愛おしくて堪らない。
「あっ…あっ!!」
相手のモノが己の内部ですぐにはち切れんばかりになって…自己主張をしているのが
判って、それだけで全身の血液が沸騰しそうになった。
お互いに信じられないくらいに興奮している。
丁寧な愛撫も、焦らしもすでに必要がない。
ただ純粋に相手が欲しくて、感じ取りたい気持ちでいっぱいで…一度目の抱合は
すぐにその想いだけで二人とも高みに登り詰めていった。
「…くっ…! もう、イクぞ…っ!」
「は、い…! 貴方を…オレの、中に…くだ、さい…!」
「っ!!」
快楽でトロンとなった瞳を浮かべながら、そんな殺し文句を言われたのでは堪らない。
間もなく眼鏡は…克哉の中に熱い精を勢い良く解放して…送り込んでいった。
「…あああぁっ!」
克哉と、眼鏡の身体がほぼ同時に頂点に達して小刻みな痙攣を繰り返していく。
荒い吐息を繰り返していきながら…余韻に浸っていくと…すぐに顎を捉えられて
激しいキスを求められていく。
「ふっ…ぅ…」
イッたばかりの身体に、荒々しいキスの刺激は強烈過ぎた。
まだ体内に眼鏡のモノを納めている身体が…たったそれだけの刺激で再び緩い
収縮を始めていく。
(…うわ、うわっ…!)
己の身体の浅ましい反応に、内心で克哉は焦り捲くったが…戸惑う隙も与えて
くれず…舌の根まできつく吸い上げられながら…激しい口付けは続けられた。
「やっ…だ、め…! これ以上されたら・・・また…っ!」
どうにか顔を振って、いやいやするような動作をしていくが…眼鏡は両手で
克哉の頬を包み込みながら短く告げていく。
「まだだ…。俺は…こんなのじゃ、足りない…! もっと…お前が、欲しい…っ!」
「…あっ…!」
その言葉に、再び身体の奥で欲望の火が灯っていくのを感じた。
首筋から鎖骨に掛けて、幾つも赤い痕を刻み込まれていきながら…胸の尖りを
両手で弄り上げられたら、堪ったものではない。
眼鏡の性器が熱を持って…己の中で硬く張り詰めてくるのが伝わってくる。
それに呼応するように…克哉の蕾の内部も、怪しい収縮をしながら…熱く
疼き始めていた。
「はい…オレも、貴方の全てが…欲しい。今、この瞬間…だけでもっ…!」
眼鏡の熱い気持ちに触れて、克哉もしっかりと己の意思を伝えていく。
…この時だけは、毎晩の声の主の事を頭の隅に追いやっていた。
あの人の声が聞こえる度、胸が引き連れそうな痛みを覚えていく。
しかし…大切な人だった、という想いは残っていても…まだ、顔も名前も
思い出していない存在よりも、記憶を失ってからの八日間…ずっと自分の傍に
いてくれた眼鏡の方が…今の克哉にとっては大きかったのだ。
眼鏡にとっても同じだ。
この数日で…内心は愛しくて仕方なくなっていた。
けれど…これ以上、感情が育てば…決して相手を帰してやれなくなる。
だから気づかない振りをしていた。冷たい態度を取っていた。
だが…こうして、一度失ったと思い込んだ後に…克哉がもう一度自分の
元に戻って来た事で全てがどうでも良くなった。
今はただ…素直な想いだけが、口を突いていった。
「…あぁ、この瞬間だけでも…俺は全力で、お前を…愛して、やるよ…」
初めて、優しい顔で…眼鏡が微笑む。
それだけで…どうしようもなく克哉は幸せでしょうがなかった。
相手をもっと確かに感じ取りたくて、彼の手に…己の指を絡めてしっかりと
握り締めていった。
…この行為が、恐らく…後で自分達にとてつもない痛みを齎すであろう事は
お互い覚悟の上だった。
それでも…これ以上、嘘をつく事も誤魔化すことも出来なくなるくらいに…
相手の存在が大きくなってしまったのだ。
「…はい、愛して…下さい。オレも…貴方を、愛したいから…」
「っ…!」
その言葉を聞いて、驚愕していた眼鏡を…克哉は優しい瞳を浮かべながら
そっとキスして、気持ちを伝えていく。
それを合図に再び眼鏡が、腰を蠢かして律動を始めていく。
すでに一度頂点に達した身体は…彼の熱く滾ったものを再び受け入れて
深い処まで包み込んでいく。
深く唇と身体を重ねて、想いを確かめ合う。
揺さぶる腰の動きも、克哉のペニスを追い上げる手の動きも…どちらも酷く
性急で…代わりにそれだけ、眼鏡にも余裕がない事が伝わってきた。
「ん…すご、く…気持ち…いいっ…! あっ…はぁ…んっ!!」
深いキスの合間に、相手と目が合えば…お互いに情熱を瞳の奥に宿して
宝石のように揺らめいている。
ぎゅっと手を重ねて…穿たれて、相手を刻み込まれて…克哉はただ
その熱に翻弄されるしかない。
相手の掌に包まれた性器からは、とめどなく先走りの蜜が溢れ出て…
亀頭から幹に掛けてびっしょりと濡れていた。
「…お前の中、凄く…いやらしく収縮して…俺を求めて、いるな…。
動かなくても…搾られて、しまいそうだ…」
「…やっ…ぁ…! お願いだから…そ、んな事は…言わない、で…くだ、さい…」
言葉で辱められれば…首を仰け反らせながら必死に眼鏡の下でもがいていく。
しかしそれを許さずに、己の腰を叩きつけながら相手の深い場所に己の
情熱を送り込み続けていく。
グチャグチャグチュ…グプッ…!
次第に先程に放った精と…新たに滲んだ先走りのせいで、腰を動かす度に
いやらしい接合音が部屋中に響き渡っていく。
身体を動かす度に黒革のソファの中のスプリングや針金が軋んで、ギシギシと
音を立てていた。
―そんな音すらも、今は快楽を高めるスパイスにしかならなかったのだが。
「…克哉、かつ、や…っ!」
余裕無く、自分の名前を呼んでくる眼鏡の声の響きが…あの人の声と重なる。
触れ合う度に、揺さぶられる度に…走馬灯のようにここ数年の…最後の記憶の
パーツが克哉の頭の中で組み上げられていった。
そして…ついに、克哉は思い出す。
あの日…銀縁眼鏡を謎の男に初めて渡された日の記憶を―!
「あっ…あぁぁぁぁ!!!」
強烈な快感と、記憶の奔流が克哉の意識に一気に流れ込んで…
耐え切れずに彼は大きな声で啼く事しか出来なかった。
思い出した、殆どの記憶を…けれど、あの人の記憶にはまだ届かない。
けれど…今、自分を抱いている男の正体が何なのか…克哉はやっと
思い出した。
「もう…イク、ぞ…っ! 克哉…っ!」
「ん…来て、くれ…<俺>」
ぎゅっと抱きしめながら、そう告げると…眼鏡は瞠目し…すぐに
切なげに瞳を細めて…己の腰を克哉の中に叩きつけて頂点を目指していく。
(…やはり、思い出したんだな…お前は…っ!)
近くに寄れば寄るだけ思い出すというのならば…自分と身体を重ねれば
確実に記憶は蘇ることぐらいは薄々とは感じていた。
眼鏡が克哉に性的なチョッカイを掛けていたのは…強い感情が伴わない内に
その行為を済ませてしまいたかったからだ。
一度抱いてしまえば…佐伯克哉の中に、自分が所有している記憶が流れて
殆どを思い出す。それは…初めから予想済みだった。
それでも…こうして抱いている男が『兄』ではなく、もう一人の自分で
ある事を思い出しても…克哉は決して、縋りつく腕の力を緩めはしなかった。
その葛藤も何もかもを叩きつけるように…更に眼鏡の律動は早く、激しい
ものへと変えられていく。
「ん…あっ! お願いだから…今、だけでも…オレを…離さない、で…!」
泣きそうな声で、克哉が訴えると…深いキスで眼鏡は応えてやった。
もっとも感じる部位をペニスの先端で執拗に擦り上げられ続けるのだから
堪ったものではない。
お互いに、今まで感じたことがないレベルの快楽の世界に導かれていく。
もう…何も考えられない。
ただ、この快感をどこまでもどこまでも感じていたい。
上も下も…相手でいっぱいに満たされて。
苦しいぐらいの強烈な悦楽を覚えながら…頭が真っ白になっていった。
荒い呼吸と、壊れそうなくらいに早くなった鼓動が重なっていく。
深く口付けながら…お互い、しっかりと相手の身体を抱きしめていきながら
先程よりも遥かに強い快感の波に、両者とも意識が浚われていく。
(あっ…熱い…!)
もう一度、克哉の中で相手のモノがドクン、と大きく脈動していくと…
期待を込めて、自分の内部がうねっているのが判った。
其処に勢い良く…眼鏡の情熱が送り込まれていく。
「ひぃあぁぁぁ!!!」
「克哉っ!!」
二人が叫び声を挙げるのはほぼ同時だった。
その瞬間、快楽によって…二人の意識はシンクロし、普段は決して消える事のない
心の障壁が…束の間だけ取り払われて…意識が一つに重なっていく。
その瞬間…白い光が二人に降り注いでいく!
「なっ…!」
―その瞬間、世界は一変した。
快楽の余韻で、眼鏡の意識が白い闇の中に溶けていく。
それは深い深海から…ゆっくりと地上に上がっていく感覚に
似ているのかも知れなかった。
ふわり、と意識が浮上すると同時に…ヒヤリとした空気と
藍色の闇が周辺に広がっていた。
暖炉の火が灯っていた明るい部屋から…冷たいリノリウムの床で
覆われた暗い部屋が、視界に広がっていた。
ピッ…ピッ・・・ピッ…ピッ…
情熱が過ぎ去った眼鏡の耳に最初に届いたのは…心拍数を測る機械の
規則正しい音と、誰かの涙が己の頬に落ちる音だった―
十日間を過ごすという話です。それを了承の上でお読みください(終盤にやっと入りました…)
この八日間の間にこの人の存在がここまで自分の中で大きくなっていた事を
こうして抱き合って、初めて克哉は自覚していた。
鼓動が、吐息が重なって…自分の中に、もっと欲しいと求める強い衝動が湧き上がって
どうしようもなくなる。
荒々しい動作で着衣に手を掛けられて、脱がされる。
暖炉の火が煌々と燃えて…ほんのりと赤く染め上げられている室内で、克哉の
引き締まった身体が相手に晒されていく。
(…死ぬ程、恥ずかしい…)
喰い入るほど相手に裸体を見つめられて、黒革のソファの上で克哉は
顔を真っ赤にしながら目を閉じていく。
けれど…この人に抱かれる事を受け入れたのは、紛れもなく自分の意思だ。
「…お願いですから、兄さんも…脱いで。貴方の肌に…ちゃんと、触れたい…」
「…あぁ」
眼鏡は短く頷くと、愛撫の手を止めて…こちらが望む通りに今度は己の服に
手を掛けていく。
こちらからもそっと手を貸して…脱がすのを手伝っていくと…相手の均整の
取れた身体が眼前に晒されていった。
お互いに全ての衣服を脱ぎ去っての交歓は…これが初めての経験だった。
「…これで、良いか…?」
余裕の無い光を瞳に宿しながら、眼鏡が問いかける。
その獰猛さと真摯さが織り交じった瞳の色に…こちらの心臓が早鐘を打って
止まらなくなっていく。
「はい…」
赤くなりながら頷けば…いきなり足を大きく抱えられて、蕾に熱い塊を
押し当てられた。
愛撫も殆ど無く、いきなり直球で求められて…流石に克哉も慌てていく。
「ちょっ…と、待って! いきなりっ…!」
「それくらい、我慢していろ…! 俺が…この数日、どれくらい…お前を抱きたくて
我慢し続けて来たと思って、いる…っ!」
余裕の無い声で、そんな発言を言う眼鏡にびっくりして…こちらが反論を失って
いる間に容赦なく彼の熱いペニスが克哉の中に侵入してくる。
「ひぃ! あぁぁ!!!」
ズブリ、と根元までいきなりねじ込まれて…克哉の身体が悲鳴を上げる。
きつい際奥を無理やり押し開かれる感覚に…苦しくて、息が詰まりそうだった。
けれど…それ以上に、己の心が満たされているのを感じた。
「くっ…あっ…! 克哉…!」
余裕のない声で、初めて…眼鏡は克哉の名を呼んだ。
『克哉』は彼自身の名でもあったが…この世界においては、自分達は別々の心を
持った「二人」の人間として存在している。
自分の延長戦ではなく、一人の人間として呼びかけながら…際奥まで一気に
己の熱いモノを穿っていった。
「ん・・・うぅ…凄い、深いっ…!」
克哉もまた必死にその身体に縋り付いていきながら、強烈な感覚に耐えていく。
彼はまだ…かつて眼鏡に抱かれた時の記憶を取り戻していなかったが、今回は…
今までの彼の抱き方とは明らかに様子が違っていた。
焦らすことも、言葉で詰って追い詰めることもなく…ただ克哉の身体を激しく揺さぶり
夢中で突き上げて来る。
「兄…さ、ん…にい、さん…っ!」
うわ言のように何度も、克哉がそう呼びかけてくる。
少し身体を離して、眼鏡の顔を見つめれば…その瞳に、激情の色が濃く見えて…
それだけで背筋がゾクゾクしてきた。
荒い吐息も、快楽によって顰められた眉根も…身体と一緒に揺れるくせっ毛も、
しなやかな筋肉で覆われた肢体も…今、求めてくるこの人の全てが…愛おしくて堪らない。
「あっ…あっ!!」
相手のモノが己の内部ですぐにはち切れんばかりになって…自己主張をしているのが
判って、それだけで全身の血液が沸騰しそうになった。
お互いに信じられないくらいに興奮している。
丁寧な愛撫も、焦らしもすでに必要がない。
ただ純粋に相手が欲しくて、感じ取りたい気持ちでいっぱいで…一度目の抱合は
すぐにその想いだけで二人とも高みに登り詰めていった。
「…くっ…! もう、イクぞ…っ!」
「は、い…! 貴方を…オレの、中に…くだ、さい…!」
「っ!!」
快楽でトロンとなった瞳を浮かべながら、そんな殺し文句を言われたのでは堪らない。
間もなく眼鏡は…克哉の中に熱い精を勢い良く解放して…送り込んでいった。
「…あああぁっ!」
克哉と、眼鏡の身体がほぼ同時に頂点に達して小刻みな痙攣を繰り返していく。
荒い吐息を繰り返していきながら…余韻に浸っていくと…すぐに顎を捉えられて
激しいキスを求められていく。
「ふっ…ぅ…」
イッたばかりの身体に、荒々しいキスの刺激は強烈過ぎた。
まだ体内に眼鏡のモノを納めている身体が…たったそれだけの刺激で再び緩い
収縮を始めていく。
(…うわ、うわっ…!)
己の身体の浅ましい反応に、内心で克哉は焦り捲くったが…戸惑う隙も与えて
くれず…舌の根まできつく吸い上げられながら…激しい口付けは続けられた。
「やっ…だ、め…! これ以上されたら・・・また…っ!」
どうにか顔を振って、いやいやするような動作をしていくが…眼鏡は両手で
克哉の頬を包み込みながら短く告げていく。
「まだだ…。俺は…こんなのじゃ、足りない…! もっと…お前が、欲しい…っ!」
「…あっ…!」
その言葉に、再び身体の奥で欲望の火が灯っていくのを感じた。
首筋から鎖骨に掛けて、幾つも赤い痕を刻み込まれていきながら…胸の尖りを
両手で弄り上げられたら、堪ったものではない。
眼鏡の性器が熱を持って…己の中で硬く張り詰めてくるのが伝わってくる。
それに呼応するように…克哉の蕾の内部も、怪しい収縮をしながら…熱く
疼き始めていた。
「はい…オレも、貴方の全てが…欲しい。今、この瞬間…だけでもっ…!」
眼鏡の熱い気持ちに触れて、克哉もしっかりと己の意思を伝えていく。
…この時だけは、毎晩の声の主の事を頭の隅に追いやっていた。
あの人の声が聞こえる度、胸が引き連れそうな痛みを覚えていく。
しかし…大切な人だった、という想いは残っていても…まだ、顔も名前も
思い出していない存在よりも、記憶を失ってからの八日間…ずっと自分の傍に
いてくれた眼鏡の方が…今の克哉にとっては大きかったのだ。
眼鏡にとっても同じだ。
この数日で…内心は愛しくて仕方なくなっていた。
けれど…これ以上、感情が育てば…決して相手を帰してやれなくなる。
だから気づかない振りをしていた。冷たい態度を取っていた。
だが…こうして、一度失ったと思い込んだ後に…克哉がもう一度自分の
元に戻って来た事で全てがどうでも良くなった。
今はただ…素直な想いだけが、口を突いていった。
「…あぁ、この瞬間だけでも…俺は全力で、お前を…愛して、やるよ…」
初めて、優しい顔で…眼鏡が微笑む。
それだけで…どうしようもなく克哉は幸せでしょうがなかった。
相手をもっと確かに感じ取りたくて、彼の手に…己の指を絡めてしっかりと
握り締めていった。
…この行為が、恐らく…後で自分達にとてつもない痛みを齎すであろう事は
お互い覚悟の上だった。
それでも…これ以上、嘘をつく事も誤魔化すことも出来なくなるくらいに…
相手の存在が大きくなってしまったのだ。
「…はい、愛して…下さい。オレも…貴方を、愛したいから…」
「っ…!」
その言葉を聞いて、驚愕していた眼鏡を…克哉は優しい瞳を浮かべながら
そっとキスして、気持ちを伝えていく。
それを合図に再び眼鏡が、腰を蠢かして律動を始めていく。
すでに一度頂点に達した身体は…彼の熱く滾ったものを再び受け入れて
深い処まで包み込んでいく。
深く唇と身体を重ねて、想いを確かめ合う。
揺さぶる腰の動きも、克哉のペニスを追い上げる手の動きも…どちらも酷く
性急で…代わりにそれだけ、眼鏡にも余裕がない事が伝わってきた。
「ん…すご、く…気持ち…いいっ…! あっ…はぁ…んっ!!」
深いキスの合間に、相手と目が合えば…お互いに情熱を瞳の奥に宿して
宝石のように揺らめいている。
ぎゅっと手を重ねて…穿たれて、相手を刻み込まれて…克哉はただ
その熱に翻弄されるしかない。
相手の掌に包まれた性器からは、とめどなく先走りの蜜が溢れ出て…
亀頭から幹に掛けてびっしょりと濡れていた。
「…お前の中、凄く…いやらしく収縮して…俺を求めて、いるな…。
動かなくても…搾られて、しまいそうだ…」
「…やっ…ぁ…! お願いだから…そ、んな事は…言わない、で…くだ、さい…」
言葉で辱められれば…首を仰け反らせながら必死に眼鏡の下でもがいていく。
しかしそれを許さずに、己の腰を叩きつけながら相手の深い場所に己の
情熱を送り込み続けていく。
グチャグチャグチュ…グプッ…!
次第に先程に放った精と…新たに滲んだ先走りのせいで、腰を動かす度に
いやらしい接合音が部屋中に響き渡っていく。
身体を動かす度に黒革のソファの中のスプリングや針金が軋んで、ギシギシと
音を立てていた。
―そんな音すらも、今は快楽を高めるスパイスにしかならなかったのだが。
「…克哉、かつ、や…っ!」
余裕無く、自分の名前を呼んでくる眼鏡の声の響きが…あの人の声と重なる。
触れ合う度に、揺さぶられる度に…走馬灯のようにここ数年の…最後の記憶の
パーツが克哉の頭の中で組み上げられていった。
そして…ついに、克哉は思い出す。
あの日…銀縁眼鏡を謎の男に初めて渡された日の記憶を―!
「あっ…あぁぁぁぁ!!!」
強烈な快感と、記憶の奔流が克哉の意識に一気に流れ込んで…
耐え切れずに彼は大きな声で啼く事しか出来なかった。
思い出した、殆どの記憶を…けれど、あの人の記憶にはまだ届かない。
けれど…今、自分を抱いている男の正体が何なのか…克哉はやっと
思い出した。
「もう…イク、ぞ…っ! 克哉…っ!」
「ん…来て、くれ…<俺>」
ぎゅっと抱きしめながら、そう告げると…眼鏡は瞠目し…すぐに
切なげに瞳を細めて…己の腰を克哉の中に叩きつけて頂点を目指していく。
(…やはり、思い出したんだな…お前は…っ!)
近くに寄れば寄るだけ思い出すというのならば…自分と身体を重ねれば
確実に記憶は蘇ることぐらいは薄々とは感じていた。
眼鏡が克哉に性的なチョッカイを掛けていたのは…強い感情が伴わない内に
その行為を済ませてしまいたかったからだ。
一度抱いてしまえば…佐伯克哉の中に、自分が所有している記憶が流れて
殆どを思い出す。それは…初めから予想済みだった。
それでも…こうして抱いている男が『兄』ではなく、もう一人の自分で
ある事を思い出しても…克哉は決して、縋りつく腕の力を緩めはしなかった。
その葛藤も何もかもを叩きつけるように…更に眼鏡の律動は早く、激しい
ものへと変えられていく。
「ん…あっ! お願いだから…今、だけでも…オレを…離さない、で…!」
泣きそうな声で、克哉が訴えると…深いキスで眼鏡は応えてやった。
もっとも感じる部位をペニスの先端で執拗に擦り上げられ続けるのだから
堪ったものではない。
お互いに、今まで感じたことがないレベルの快楽の世界に導かれていく。
もう…何も考えられない。
ただ、この快感をどこまでもどこまでも感じていたい。
上も下も…相手でいっぱいに満たされて。
苦しいぐらいの強烈な悦楽を覚えながら…頭が真っ白になっていった。
荒い呼吸と、壊れそうなくらいに早くなった鼓動が重なっていく。
深く口付けながら…お互い、しっかりと相手の身体を抱きしめていきながら
先程よりも遥かに強い快感の波に、両者とも意識が浚われていく。
(あっ…熱い…!)
もう一度、克哉の中で相手のモノがドクン、と大きく脈動していくと…
期待を込めて、自分の内部がうねっているのが判った。
其処に勢い良く…眼鏡の情熱が送り込まれていく。
「ひぃあぁぁぁ!!!」
「克哉っ!!」
二人が叫び声を挙げるのはほぼ同時だった。
その瞬間、快楽によって…二人の意識はシンクロし、普段は決して消える事のない
心の障壁が…束の間だけ取り払われて…意識が一つに重なっていく。
その瞬間…白い光が二人に降り注いでいく!
「なっ…!」
―その瞬間、世界は一変した。
快楽の余韻で、眼鏡の意識が白い闇の中に溶けていく。
それは深い深海から…ゆっくりと地上に上がっていく感覚に
似ているのかも知れなかった。
ふわり、と意識が浮上すると同時に…ヒヤリとした空気と
藍色の闇が周辺に広がっていた。
暖炉の火が灯っていた明るい部屋から…冷たいリノリウムの床で
覆われた暗い部屋が、視界に広がっていた。
ピッ…ピッ・・・ピッ…ピッ…
情熱が過ぎ去った眼鏡の耳に最初に届いたのは…心拍数を測る機械の
規則正しい音と、誰かの涙が己の頬に落ちる音だった―
PR
※ この話はN克哉が事故で昏睡して記憶を失っている間、夢の世界で眼鏡と
十日間を過ごすという話です。それを了承の上でお読みください(終盤にやっと入りました…)
もうじき、夕暮れの時間帯が訪れようとしていた。
重い雲の隙間から微かに漏れるオレンジと赤、紫のグラデーションが掛かった
淡い光が白い雪を柔らかく染め上げていた。
こんな時間帯まで、自分がこうしてここにいる事を訝しげに思いながら
眼鏡はふと、大きな壁時計に視線を向けていく。
時刻は夕方四時を間もなく迎えようとしていた。
(…どうして、この世界はまだ続いている? あいつが…元の世界に戻ったのなら
終わっても良さそうなものだが…)
そうなれば、自分はまたあの藍色の闇の中でまどろむ日々に戻るのだろう。
…覚悟の上で、送り出した筈なのに…未だに、雪の世界は続き…一向に
闇が滲んでくる気配がない。
自分が眠る事を選択したのは、大事な存在が出来た佐伯克哉に…勝てなく
なったからだ。その相手との絆が深まれば深まるだけ、あいつは銀縁眼鏡を必要と
しなくなり…そして、眼鏡が出る事は出来なくなった。
幸せそうに笑って、恋人の傍らにいるあいつを見ているのがいつしか…辛くなった。
こんな嫌な思いをしてまで…どうして、あいつの目を通して世界を覗き見なければ
ならないのか。
その想いが講じて…眼鏡は再び、心の深い処で眠り続けるようになっていた。
(どうして…俺はこんなに苛立っている。元通りに戻るだけだと判っているのに…!)
言いようの無い憤りが、眼鏡の中に生まれて渦巻いていく。
胸の中がムカムカする。あいつが…恋人の腕の中に戻れば良いと、そうやって送り出して
やった筈なのに…長い時間が過ぎたせいでそれは苛立ちや怒りへと変化していく。
「ち…くしょう! どうして…っ!」
バンッ! と木の壁に拳を打ちつけていく。
その顔は悲痛に歪んでいる。
どうして…ここ数日の、笑顔を浮かべているあいつの顔がこんなに浮かんで、
消えてくれないのか。
何故、こんなに…戻って来い! と望む気持ちが止まらないのか…自分自身でも戸惑う
しかなかった。
瞬く間に、夕暮れの光は消えていき…白い世界が宵闇のベールへと包まれていく。
もうじき、夜が来る。
冷え込みが一層きつくなると予想して…暖炉の薪を追加しておこうと思った矢先に…玄関の
扉がドンドン! と強く叩かれる音が耳に届いた。
「なっ…?」
何が起こったか、最初は理解出来なかった。
この世界に足を踏み入れられるのは自分達以外にはMr.Rくらいしか存在しない筈だ。
ようするに二者選択だ。二分の一の確率で、あの謎の男か…もう一人の自分かしか
ドアを叩く人物は在りえない事になる。
唇と肩が、大きく震えていく。どうすれば良いのか不覚にも少し迷った。
しかし…体制を立て直すと一目散に玄関の方へと駆けていった。
勢い良く玄関の、大きな木の扉を開けていくと…其処には、克哉が立っていた。
「ど、うして…お前っ!」
もう帰ったと、信じて疑わなかった。
あの光に飛び込めば、こいつは恋人のいる世界へと帰れた筈なのに…何故、こんなに
遅くまでこの世界に留まっていたのか、理由が判らなかった。
「…貴方に、もう一度…どうしても、会いたかったから。ありがとうと…ロクに、
言えないままで…別れたくなんて、なかった…んです…」
克哉は自らの身体を必死に抱きしめながら、蚊のなくような小さな声で呟いていく。
その顔は蒼白で、今にも倒れそうな程だった。
「…帰り道の途中、少し吹雪いてしまって…こんなに帰って来るのが、遅くなって
しまったけれど…帰って、来れて…良かった…」
「お前っ!」
途端に、克哉は崩れ落ちそうになっていく。
とっさにその身体を抱きしめて支えていった。
…長時間、外にいたせいでその身体は芯まで冷え切っていて…冷たかった。
それに気づいて、眼鏡は大急ぎでその身体をリビングまで運んでいった。
暖炉が燃えている部屋のソファの上に座らせていくと、手早く熱いお湯を入れたバケツ
二つと毛布を運んで持ってきた。
毛布を克哉の身体の上に掛けていくと、素早く相手の厚手のズボンの裾を捲り上げて
靴下も脱がせて、足先40度前後のお湯につけていく。
「熱っ!」
「我慢しろ! お前は足先まで冷え切っているんだからな…っ!」
そうして、片方のバケツは相手の隣に置いて…指先をお湯に暫くつけ始めていく。
幸い、ずっと歩いて身体を動かし続けていたおかげで凍傷までには至っていなかったが…
克哉の身体は全身、どこもかしこも冷え切っていた。
5分もお湯につければ、手の先に赤みが戻り始める。
バケツの中のお湯が温くなってくると…手を取り出させて、タオルでそれを軽く拭い…
直接、こちらの掌でマッサージをしていってやる。
何度も指先から腕に掛けて擦り上げていってやると…再び克哉の手は血が通って
ようやくいつもの暖かさを取り戻していった。
「…あったかい。ありがとう…兄さん…」
「…どうして、戻ってきた?」
克哉が礼を告げると同時に、眼鏡は不機嫌そうな顔を浮かべて問いかけていく。
「…さっき、言った筈です。オレは…どうしても、貴方にもう一度会いたかったから。
…あんな風に背を向けて、顔も見てくれない状況で…貴方と別れてしまうのは嫌だと
思ったから。それ以外の理由はないです…」
「だから、どうして…そんな事をしようと思ったのか、それを聞いている。この数日…
お前にチョッカイ出し巻くって、何度も襲おうとしていた事ぐらい…判っているだろうが。
そんな奴の処にどうして…戻ってきたんだ?」
「けれど、貴方は本気でオレを襲おうとはしてなかった。必ず…オレが逃げる隙を
与えてくれていた…違いますか?」
真っ直ぐに眼鏡を見据えながら、問い返していく。
「…貴方は態度では、オレにエッチな事を散々するし…際どい事は言うし、少し
困ったけれど…本当に、オレが嫌だということは無理強いしなかった。
…それくらいは、気づいていましたから…」
そう、冗談めいた口調で自分の胸元や股間を弄くる…という真似は数え切れない
くらいされてきたが、無理やり抱くような真似は一度もされなかった。
ちゃんと克哉が反撃すれば逃げられたし、ある程度言い返せばそこで引き下がって
くれていた。二人きりしかいないのだから…その気になれば幾らでも抱けたのにも
関わらずだ。
その言葉を聞いて、眼鏡は何も答えられない。
…事実を言い当てられていたからだ。
「…オレだって、自分がどうしてこんな気持ちになったのか…不思議で
しょうがないんです。あの白い光に飛び込むべきだって…頭では判っていたのに
その間際で…何度も貴方の顔が浮かんで、出来なかった。
あんな形で、二度と会えないなんて嫌だったんです…。だから、戻ってきたんです…
貴方に、逢いたかったから…」
いつの間にか、克哉の瞳からは…涙がうっすらと滲み始めていた。
この人にもう一度会えて、安堵している自分がいた。
どうしようもない切ない胸の痛みと、幸福感。
必死な顔をしながら…自分の身体を温めてくれた事が…本当に嬉しくて、仕方なくて。
目の前に…こうしていられるだけで、泣きそうになった。
「…何故、お前は俺の前でそう…何度も、泣くんだ…」
こんな無防備な姿を、どうして自分の前で何度も晒すのか。
その度に眼鏡の心の奥で…モヤモヤした感情が広がっていく。
気づけばバケツをどけて、克哉の身体の隣に腰掛けていた。
肌と肌が触れ合うと…もっと近づきたいという衝動が、胸の奥から湧き上がった。
「…どうして、俺をこんなに…お前は、苛立たせる…馬鹿、が…!」
憎々しげに呟きながら、その身体を容赦ない力で抱きしめていく。
その腕の力は痛いぐらいで…一瞬、克哉の顔が苦痛で歪んだが…間もなくして
彼の方からも必死になってその身体に抱きついていった。
お互いの心臓の音が荒くなっているのが、聞こえる。
「…にい、さん…っ!」
首筋に問答無用で噛み付かれた。
その痛みに克哉はビクっと震えていくが…それでも、決して腕の力を緩めない。
離れたくない! その気持ちの方が痛みよりも今は遥かに勝っていたからだ。
「あっ…ぅ…!」
ソファの上に組み敷かれて、噛み付くように口付けられる。
荒々しいキスに何度も克哉の身体は跳ねていった。
眼鏡の舌が容赦なく口腔を犯し…克哉の舌を絡め取って、吸い上げていく。
その感覚だけで、すでに正気を失ってしまいそうだった。
「…今はお前を逃してやる気はない。俺をこんなに苛立たせた責任は…お前に
ちゃんと取ってもらうぞ…」
そうして、唇を離して…克哉のセーターとインナーをゆっくりと捲り上げて、
硬く張り詰めた胸の突起を乱暴に捏ねくり回していく。
たったそれだけの刺激で、ビクンと身体は震えていく。
「あっ…はっ…。…貴方の、好きに…して、下さい…。オレも…今は、貴方から…
離れたく、ないですから…っ!」
そうして、了承の意を伝える為に…克哉の方からも噛み付くように口付ける。
今までのチョッカイとは違う。
本気でお互いにこうしたいと望み…行為に及んでいく。
何度も何度も、深く唇を貪りあい…その快感に酔いしれていく。
そして唇がそっと離れていくと…低く掠れた甘い声で、眼鏡は囁いた。
『お前を…抱くぞ…』
その囁きだけで、克哉の背中に甘い痺れが走っていく。
顔を真っ赤に染めながら…ぎゅっと相手に抱きついて、克哉は構わないと
いう気持ちを相手に確かに、伝えていった―
十日間を過ごすという話です。それを了承の上でお読みください(終盤にやっと入りました…)
もうじき、夕暮れの時間帯が訪れようとしていた。
重い雲の隙間から微かに漏れるオレンジと赤、紫のグラデーションが掛かった
淡い光が白い雪を柔らかく染め上げていた。
こんな時間帯まで、自分がこうしてここにいる事を訝しげに思いながら
眼鏡はふと、大きな壁時計に視線を向けていく。
時刻は夕方四時を間もなく迎えようとしていた。
(…どうして、この世界はまだ続いている? あいつが…元の世界に戻ったのなら
終わっても良さそうなものだが…)
そうなれば、自分はまたあの藍色の闇の中でまどろむ日々に戻るのだろう。
…覚悟の上で、送り出した筈なのに…未だに、雪の世界は続き…一向に
闇が滲んでくる気配がない。
自分が眠る事を選択したのは、大事な存在が出来た佐伯克哉に…勝てなく
なったからだ。その相手との絆が深まれば深まるだけ、あいつは銀縁眼鏡を必要と
しなくなり…そして、眼鏡が出る事は出来なくなった。
幸せそうに笑って、恋人の傍らにいるあいつを見ているのがいつしか…辛くなった。
こんな嫌な思いをしてまで…どうして、あいつの目を通して世界を覗き見なければ
ならないのか。
その想いが講じて…眼鏡は再び、心の深い処で眠り続けるようになっていた。
(どうして…俺はこんなに苛立っている。元通りに戻るだけだと判っているのに…!)
言いようの無い憤りが、眼鏡の中に生まれて渦巻いていく。
胸の中がムカムカする。あいつが…恋人の腕の中に戻れば良いと、そうやって送り出して
やった筈なのに…長い時間が過ぎたせいでそれは苛立ちや怒りへと変化していく。
「ち…くしょう! どうして…っ!」
バンッ! と木の壁に拳を打ちつけていく。
その顔は悲痛に歪んでいる。
どうして…ここ数日の、笑顔を浮かべているあいつの顔がこんなに浮かんで、
消えてくれないのか。
何故、こんなに…戻って来い! と望む気持ちが止まらないのか…自分自身でも戸惑う
しかなかった。
瞬く間に、夕暮れの光は消えていき…白い世界が宵闇のベールへと包まれていく。
もうじき、夜が来る。
冷え込みが一層きつくなると予想して…暖炉の薪を追加しておこうと思った矢先に…玄関の
扉がドンドン! と強く叩かれる音が耳に届いた。
「なっ…?」
何が起こったか、最初は理解出来なかった。
この世界に足を踏み入れられるのは自分達以外にはMr.Rくらいしか存在しない筈だ。
ようするに二者選択だ。二分の一の確率で、あの謎の男か…もう一人の自分かしか
ドアを叩く人物は在りえない事になる。
唇と肩が、大きく震えていく。どうすれば良いのか不覚にも少し迷った。
しかし…体制を立て直すと一目散に玄関の方へと駆けていった。
勢い良く玄関の、大きな木の扉を開けていくと…其処には、克哉が立っていた。
「ど、うして…お前っ!」
もう帰ったと、信じて疑わなかった。
あの光に飛び込めば、こいつは恋人のいる世界へと帰れた筈なのに…何故、こんなに
遅くまでこの世界に留まっていたのか、理由が判らなかった。
「…貴方に、もう一度…どうしても、会いたかったから。ありがとうと…ロクに、
言えないままで…別れたくなんて、なかった…んです…」
克哉は自らの身体を必死に抱きしめながら、蚊のなくような小さな声で呟いていく。
その顔は蒼白で、今にも倒れそうな程だった。
「…帰り道の途中、少し吹雪いてしまって…こんなに帰って来るのが、遅くなって
しまったけれど…帰って、来れて…良かった…」
「お前っ!」
途端に、克哉は崩れ落ちそうになっていく。
とっさにその身体を抱きしめて支えていった。
…長時間、外にいたせいでその身体は芯まで冷え切っていて…冷たかった。
それに気づいて、眼鏡は大急ぎでその身体をリビングまで運んでいった。
暖炉が燃えている部屋のソファの上に座らせていくと、手早く熱いお湯を入れたバケツ
二つと毛布を運んで持ってきた。
毛布を克哉の身体の上に掛けていくと、素早く相手の厚手のズボンの裾を捲り上げて
靴下も脱がせて、足先40度前後のお湯につけていく。
「熱っ!」
「我慢しろ! お前は足先まで冷え切っているんだからな…っ!」
そうして、片方のバケツは相手の隣に置いて…指先をお湯に暫くつけ始めていく。
幸い、ずっと歩いて身体を動かし続けていたおかげで凍傷までには至っていなかったが…
克哉の身体は全身、どこもかしこも冷え切っていた。
5分もお湯につければ、手の先に赤みが戻り始める。
バケツの中のお湯が温くなってくると…手を取り出させて、タオルでそれを軽く拭い…
直接、こちらの掌でマッサージをしていってやる。
何度も指先から腕に掛けて擦り上げていってやると…再び克哉の手は血が通って
ようやくいつもの暖かさを取り戻していった。
「…あったかい。ありがとう…兄さん…」
「…どうして、戻ってきた?」
克哉が礼を告げると同時に、眼鏡は不機嫌そうな顔を浮かべて問いかけていく。
「…さっき、言った筈です。オレは…どうしても、貴方にもう一度会いたかったから。
…あんな風に背を向けて、顔も見てくれない状況で…貴方と別れてしまうのは嫌だと
思ったから。それ以外の理由はないです…」
「だから、どうして…そんな事をしようと思ったのか、それを聞いている。この数日…
お前にチョッカイ出し巻くって、何度も襲おうとしていた事ぐらい…判っているだろうが。
そんな奴の処にどうして…戻ってきたんだ?」
「けれど、貴方は本気でオレを襲おうとはしてなかった。必ず…オレが逃げる隙を
与えてくれていた…違いますか?」
真っ直ぐに眼鏡を見据えながら、問い返していく。
「…貴方は態度では、オレにエッチな事を散々するし…際どい事は言うし、少し
困ったけれど…本当に、オレが嫌だということは無理強いしなかった。
…それくらいは、気づいていましたから…」
そう、冗談めいた口調で自分の胸元や股間を弄くる…という真似は数え切れない
くらいされてきたが、無理やり抱くような真似は一度もされなかった。
ちゃんと克哉が反撃すれば逃げられたし、ある程度言い返せばそこで引き下がって
くれていた。二人きりしかいないのだから…その気になれば幾らでも抱けたのにも
関わらずだ。
その言葉を聞いて、眼鏡は何も答えられない。
…事実を言い当てられていたからだ。
「…オレだって、自分がどうしてこんな気持ちになったのか…不思議で
しょうがないんです。あの白い光に飛び込むべきだって…頭では判っていたのに
その間際で…何度も貴方の顔が浮かんで、出来なかった。
あんな形で、二度と会えないなんて嫌だったんです…。だから、戻ってきたんです…
貴方に、逢いたかったから…」
いつの間にか、克哉の瞳からは…涙がうっすらと滲み始めていた。
この人にもう一度会えて、安堵している自分がいた。
どうしようもない切ない胸の痛みと、幸福感。
必死な顔をしながら…自分の身体を温めてくれた事が…本当に嬉しくて、仕方なくて。
目の前に…こうしていられるだけで、泣きそうになった。
「…何故、お前は俺の前でそう…何度も、泣くんだ…」
こんな無防備な姿を、どうして自分の前で何度も晒すのか。
その度に眼鏡の心の奥で…モヤモヤした感情が広がっていく。
気づけばバケツをどけて、克哉の身体の隣に腰掛けていた。
肌と肌が触れ合うと…もっと近づきたいという衝動が、胸の奥から湧き上がった。
「…どうして、俺をこんなに…お前は、苛立たせる…馬鹿、が…!」
憎々しげに呟きながら、その身体を容赦ない力で抱きしめていく。
その腕の力は痛いぐらいで…一瞬、克哉の顔が苦痛で歪んだが…間もなくして
彼の方からも必死になってその身体に抱きついていった。
お互いの心臓の音が荒くなっているのが、聞こえる。
「…にい、さん…っ!」
首筋に問答無用で噛み付かれた。
その痛みに克哉はビクっと震えていくが…それでも、決して腕の力を緩めない。
離れたくない! その気持ちの方が痛みよりも今は遥かに勝っていたからだ。
「あっ…ぅ…!」
ソファの上に組み敷かれて、噛み付くように口付けられる。
荒々しいキスに何度も克哉の身体は跳ねていった。
眼鏡の舌が容赦なく口腔を犯し…克哉の舌を絡め取って、吸い上げていく。
その感覚だけで、すでに正気を失ってしまいそうだった。
「…今はお前を逃してやる気はない。俺をこんなに苛立たせた責任は…お前に
ちゃんと取ってもらうぞ…」
そうして、唇を離して…克哉のセーターとインナーをゆっくりと捲り上げて、
硬く張り詰めた胸の突起を乱暴に捏ねくり回していく。
たったそれだけの刺激で、ビクンと身体は震えていく。
「あっ…はっ…。…貴方の、好きに…して、下さい…。オレも…今は、貴方から…
離れたく、ないですから…っ!」
そうして、了承の意を伝える為に…克哉の方からも噛み付くように口付ける。
今までのチョッカイとは違う。
本気でお互いにこうしたいと望み…行為に及んでいく。
何度も何度も、深く唇を貪りあい…その快感に酔いしれていく。
そして唇がそっと離れていくと…低く掠れた甘い声で、眼鏡は囁いた。
『お前を…抱くぞ…』
その囁きだけで、克哉の背中に甘い痺れが走っていく。
顔を真っ赤に染めながら…ぎゅっと相手に抱きついて、克哉は構わないと
いう気持ちを相手に確かに、伝えていった―
※ この話はN克哉が事故で昏睡して記憶を失っている間、夢の世界で眼鏡と
十日間を過ごすという話です。それを了承の上でお読みください(やっと中盤…)
八日目の、朝七時前後。
隣で寝ている眼鏡が目覚める前に、克哉は揺さぶり起こされていった。
『おい、克哉!』
『佐伯君…』
『克哉…』
まったく異なる声が三種類重なって聞こえてくる。
最初の声だけは辛うじて聞き覚えがあった。
「本多…? け、けど…残り二つの声は…」
最初の威勢の良い声はどうやっても間違えようがない。大学のバレー部で一緒だった
本多憲二のものだった。
直後に聞こえる声は酷く穏やかで、壮年の男性のものっぽく…そして、最後に聞こえた
ものは…いつも自分の脳裏に響き渡る声と同じだった。
彼ら三人の声が聞こえた時、世界は大きく揺れた。
激震、と言える位の激しい揺れが建物全体に走っていく。
「な、何だ…っ! こ、れ…!」
ぎゅっとベッドの縁に捕まりながら、身体を支えていった。
揺れが収まると同時にふと窓の外を見て、ぎょっとなった。
今朝は雪も降り止んでて…真っ白い空の中心に…雲がうねりながらキラキラと強烈な
光を放っていた。
このロッジがある場所から少し離れた崖の先に一筋の強い光が差し込み、
神々しくすらあった。
『克哉っ!!』
その叫び声が聞こえた瞬間、自分の胸が射抜かれたかと思った。
とっさにその胸を押さえて、身体を起こしていく。
もう、何も考えられなかった。考えるよりも先に身体は突き動かされるように
ベッドから起き上がって、外に行く支度を整え始めていた。
「行かなきゃ…っ!」
今、強い意志を持った呼びかけにより…この世界と外界を繋ぐ扉が微かに
こじ開けられようとしていた。
白い光は、その象徴だと…克哉は本能で察していた。
パジャマから白いセーターと厚手の黒いズボン、そして白のマフラーとダウンコート、
スキー用の長靴と手袋を身に纏い…しっかりと防寒していく。
「…どこに行くつもりだ?」
準備が終わって部屋を飛び出す間際、不機嫌そうな眼鏡の声が聞こえた。
…それを聞いた時、ぎょっとなった。
思わず相手の方を振り返ると…今までの中で最大中に不貞腐れた表情を顔に浮かべて
こちらを睨んで来ている。
「…ちょっとだけ、外に…行くつもり…だよ…」
その迫力に押されて、たどたどしく答えると…ベッドサイドに置いてあった銀縁眼鏡を
顔に掛けて…押し上げる動作をしていく。
「…そうか、勝手にしろ…」
そうして、怒っているような表情を浮かべて…ふい、とこちらから視線を外していった。
「…お前がどうなろうと、俺の知った事ではない。お前が予定よりも早く…帰るべき場所に
戻るというのなら…それでも良いさ。好きにしろ…」
いつも克哉が聞いていた声は、基本的に眼鏡の方に届く事はなかった。
しかし今朝だけは例外で…あの三人の声と、白い光は…彼の方にも感じていた。
眼鏡の方はその三人の声の主がそれぞれ誰だか、全員承知している。
彼らの必死の呼びかけが…この夢の世界を揺らがせ、克哉をここから連れ出そうと
しているのだろう。あの白い光は恐らく…その象徴だ。
多分、其処に克哉が向かえば…期日よりも先に、克哉は現実へと戻る事を…眼鏡は
薄々と感じていた。
だから敢えて、突き放すような言葉を投げかけていく。
しかし…その態度に、克哉は傷ついた顔を浮かべていった。
「…予定よりも早く帰るべき場所に戻るって…一体、どういう事…?」
克哉の方は、この世界が己の夢の中である事実を知らない。
だから眼鏡が言う言葉の意味が理解出来なかった。
「…さあな。とりあえずあの光に向かえば…判る事じゃないのか?」
そうして、ゴロンと寝返りを打って…克哉から視線を外していく。
克哉は、呆然と其処に立ち尽くす事しか出来なかった。
どうしてだか判らないけど…今の眼鏡は酷く、悲しんでいるような…憤っているような
そんな気配を感じて、つい…その場に硬直してしまう。
身動きが取れないまま、長い沈黙が落ちていく。
このまま…この人と離れたら、二度と…会えないような、そんな嫌な予感がして
行かなければならない、という衝動が掻き消えていく。
「…行けよ」
眼鏡が短く告げていく。
それでやっと、呪縛が解けた気がした。
「…お前は本来、在るべき場所に戻るべきだ。今なら…快く見送ってやる。
だから…行けよ」
こちらの顔を見る事なく、静かな声で…眼鏡が告げていく。
けれど…克哉は動けなかった。
気づけば…涙が、静かに頬を伝い始めていく。
(どうして…オレ、泣いて…?)
自分自身でも、不思議だった。
どうして涙を流しているのか理由が判らなかった。
胸が引き絞られるように痛む。
切なくて…キュウ、と締め付けられるようだった。
「ど、うして…」
もう、会えないような感じで彼はこんな事を言っているのだろう。
どうして…自分はそれを聞いて、身動き取れなくなっているのだろう…。
チクタクチクタク、と規則正しい時計の秒針の音が静寂の中で
静かに響き渡っていく。
しかし、窓の向こうの白い光が少しずつ弱々しくなっているのに気づいて
克哉はやっと、踵を返していく。
「…必ず、ここにもう一度帰って来るから…待ってて!」
そう強い意志を込めた声で眼鏡に告げて、克哉はロッジを後にして…
白い光が差し込んでいる崖の方へと向かっていく。
そう言った時…眼鏡が果たしてどんな顔を浮かべていたのか、最後まで克哉は
知る事はなかった―
十日間を過ごすという話です。それを了承の上でお読みください(やっと中盤…)
八日目の、朝七時前後。
隣で寝ている眼鏡が目覚める前に、克哉は揺さぶり起こされていった。
『おい、克哉!』
『佐伯君…』
『克哉…』
まったく異なる声が三種類重なって聞こえてくる。
最初の声だけは辛うじて聞き覚えがあった。
「本多…? け、けど…残り二つの声は…」
最初の威勢の良い声はどうやっても間違えようがない。大学のバレー部で一緒だった
本多憲二のものだった。
直後に聞こえる声は酷く穏やかで、壮年の男性のものっぽく…そして、最後に聞こえた
ものは…いつも自分の脳裏に響き渡る声と同じだった。
彼ら三人の声が聞こえた時、世界は大きく揺れた。
激震、と言える位の激しい揺れが建物全体に走っていく。
「な、何だ…っ! こ、れ…!」
ぎゅっとベッドの縁に捕まりながら、身体を支えていった。
揺れが収まると同時にふと窓の外を見て、ぎょっとなった。
今朝は雪も降り止んでて…真っ白い空の中心に…雲がうねりながらキラキラと強烈な
光を放っていた。
このロッジがある場所から少し離れた崖の先に一筋の強い光が差し込み、
神々しくすらあった。
『克哉っ!!』
その叫び声が聞こえた瞬間、自分の胸が射抜かれたかと思った。
とっさにその胸を押さえて、身体を起こしていく。
もう、何も考えられなかった。考えるよりも先に身体は突き動かされるように
ベッドから起き上がって、外に行く支度を整え始めていた。
「行かなきゃ…っ!」
今、強い意志を持った呼びかけにより…この世界と外界を繋ぐ扉が微かに
こじ開けられようとしていた。
白い光は、その象徴だと…克哉は本能で察していた。
パジャマから白いセーターと厚手の黒いズボン、そして白のマフラーとダウンコート、
スキー用の長靴と手袋を身に纏い…しっかりと防寒していく。
「…どこに行くつもりだ?」
準備が終わって部屋を飛び出す間際、不機嫌そうな眼鏡の声が聞こえた。
…それを聞いた時、ぎょっとなった。
思わず相手の方を振り返ると…今までの中で最大中に不貞腐れた表情を顔に浮かべて
こちらを睨んで来ている。
「…ちょっとだけ、外に…行くつもり…だよ…」
その迫力に押されて、たどたどしく答えると…ベッドサイドに置いてあった銀縁眼鏡を
顔に掛けて…押し上げる動作をしていく。
「…そうか、勝手にしろ…」
そうして、怒っているような表情を浮かべて…ふい、とこちらから視線を外していった。
「…お前がどうなろうと、俺の知った事ではない。お前が予定よりも早く…帰るべき場所に
戻るというのなら…それでも良いさ。好きにしろ…」
いつも克哉が聞いていた声は、基本的に眼鏡の方に届く事はなかった。
しかし今朝だけは例外で…あの三人の声と、白い光は…彼の方にも感じていた。
眼鏡の方はその三人の声の主がそれぞれ誰だか、全員承知している。
彼らの必死の呼びかけが…この夢の世界を揺らがせ、克哉をここから連れ出そうと
しているのだろう。あの白い光は恐らく…その象徴だ。
多分、其処に克哉が向かえば…期日よりも先に、克哉は現実へと戻る事を…眼鏡は
薄々と感じていた。
だから敢えて、突き放すような言葉を投げかけていく。
しかし…その態度に、克哉は傷ついた顔を浮かべていった。
「…予定よりも早く帰るべき場所に戻るって…一体、どういう事…?」
克哉の方は、この世界が己の夢の中である事実を知らない。
だから眼鏡が言う言葉の意味が理解出来なかった。
「…さあな。とりあえずあの光に向かえば…判る事じゃないのか?」
そうして、ゴロンと寝返りを打って…克哉から視線を外していく。
克哉は、呆然と其処に立ち尽くす事しか出来なかった。
どうしてだか判らないけど…今の眼鏡は酷く、悲しんでいるような…憤っているような
そんな気配を感じて、つい…その場に硬直してしまう。
身動きが取れないまま、長い沈黙が落ちていく。
このまま…この人と離れたら、二度と…会えないような、そんな嫌な予感がして
行かなければならない、という衝動が掻き消えていく。
「…行けよ」
眼鏡が短く告げていく。
それでやっと、呪縛が解けた気がした。
「…お前は本来、在るべき場所に戻るべきだ。今なら…快く見送ってやる。
だから…行けよ」
こちらの顔を見る事なく、静かな声で…眼鏡が告げていく。
けれど…克哉は動けなかった。
気づけば…涙が、静かに頬を伝い始めていく。
(どうして…オレ、泣いて…?)
自分自身でも、不思議だった。
どうして涙を流しているのか理由が判らなかった。
胸が引き絞られるように痛む。
切なくて…キュウ、と締め付けられるようだった。
「ど、うして…」
もう、会えないような感じで彼はこんな事を言っているのだろう。
どうして…自分はそれを聞いて、身動き取れなくなっているのだろう…。
チクタクチクタク、と規則正しい時計の秒針の音が静寂の中で
静かに響き渡っていく。
しかし、窓の向こうの白い光が少しずつ弱々しくなっているのに気づいて
克哉はやっと、踵を返していく。
「…必ず、ここにもう一度帰って来るから…待ってて!」
そう強い意志を込めた声で眼鏡に告げて、克哉はロッジを後にして…
白い光が差し込んでいる崖の方へと向かっていく。
そう言った時…眼鏡が果たしてどんな顔を浮かべていたのか、最後まで克哉は
知る事はなかった―
※ この話はN克哉が事故で昏睡して記憶を失っている間、夢の世界で眼鏡と
十日間を過ごすという話です。それを了承の上でお読みください(やっと中盤…)
深夜遅く、眼鏡がしっかりと寝静まった頃を見計らって…克哉はコソコソと自分の
部屋から毛布を持ち込んで、彼の部屋に侵入していった。
目的は出来るだけ傍で眠る為だ。記憶は基本的に…眼鏡と一緒にいる時にしか
思い出せないから、克哉としてはもう少し近づきたいのだが…あんまり寄りすぎると
今度は襲われかけるから、かなりスリリングな毎日を送っていた。
(よ、良かった…兄さん、起きてないみたいだ…)
毎晩の事ながら、酷く緊張していた。
ドキドキと心臓を荒立たせながら、ベッドの上に横たわっている眼鏡の隣に自分も
横になっていく。
ベッドサイズはどの部屋に置かれている物でもダブルサイズはある。
身長180を超える自分達でも、中心辺りにいるように心がければある程度寝返りを打っても
大丈夫な大きさだった。
自分の身体がベッドのスプリングに沈むのを感じて…克哉は溜息を突く。
(…本当にこの人は、オレと顔が良く似ているな…)
今夜は外も穏やかなようだった。
雪や風も殆ど降る事なく、高い位置に備え付けられている窓からはもうじき満月に
なろうとしている白い月が静かに浮かんでいる。
その月光に照らされた顔立ちは整っていて、長い睫が目元に微かな陰影を作り…微かな
色気を醸し出していた。
陶器めいた、白い肌につい触れてみたくて…そっと頬に手を伸ばしていく。
軽く滑らせていくと、肌の表面は滑らかで触り心地は良かった。
「う…ん…」
こちらの手に反応したのか、微かに呻き声を漏らしながらモゾモゾと眼鏡が身動きする。
それに一瞬、起こしてしまったかとビクリとなったが…相手が起きる気配がないのが判ると
ほっと溜息を突いていく。
(何で…こんなにこの人は、オレに似ているんだろう…。オレに兄さんなんて…
いない筈、なのに…)
今の克哉は20歳前後までの記憶を取り戻していた。
だからこそ、確信もって言えた。佐伯克哉には…双子の兄なんて存在しない事を。
少なくとも育つ過程において、まったく一緒に過ごしてきた記憶はない。
けれど…自分に瓜二つ過ぎる容姿は逆に双子以外では有り得ない気がした。
他人でここまで似ているのは可笑しすぎる。
だからこそ…克哉は混乱していた。
「…兄さん、貴方は一体…本当はオレにとってどんな存在なんですか…?」
その答えは、この七日間で思い出せた20歳までの記憶の中には存在しない。
だからこそ…余計に、この人に対しての興味は尽きなかった。
人には知りえない謎を解きたいという欲求がある。
好奇心、知識欲は時に強い衝動で人を突き動かす力があるのだ。
克哉にとって、こうして彼の隣で眠ることは相手に襲われて良いようにされる危険に
満ちた行為である。
けれどそのリスクを犯してでも、毎晩聞こえる『声』と…この人の正体に関して知りたいと
いう気持ちを抱いていた。
『克哉…克哉…』
静寂の中、また今夜も…切なく自分の事を呼ぶ声が脳裏に響いてくる。
その声はとても優しく…同時に切ない色合いを持っていた。
ただ静かに自分に対して呼びかけてくる声。
―目覚めた日から、一日も途切れる事のない…哀切を帯びた声掛けだった。
(また今夜も…貴方の声が聞こえる。…早く、知りたい。貴方が一体誰なのかを…)
克哉は目を閉じて、その呼びかけに耳を澄ませていく。
毎日、夜から朝に掛けての間だけ聞こえ続ける謎の声は…一日も早く記憶を
思い出さなければと克哉を掻き立てる原動力となった。
だから…身の危険を感じながらでも、眼鏡の傍を離れないように必死にくっついて
いるのだが…。
ふと、今は便宜上…兄と呼んでいる人の顔を見つめていく。
それを見て…少しだけ不思議な気持ちになった。
目の前で安らかな顔を晒して眠りこけている姿を見て、少しだけドキドキしている
自分がいた。
(まあ、あれだけ…セクハラされまくれば、多少は意識もするだろうけどな…)
自分がここで目覚めて、初めてキスされた日から数えて、この五日間は…本気で
貞操の危機を感じたか数え切れないくらいだった。
こっちがアワアワするような振る舞いや発言を平気でしでかしてくるし、すぐ押し倒したり
際どい処に触ってくるし…一緒にいて本当に気が抜けない。
本当に兄弟なら、そんな真似をする筈がない。それでも…。
「…貴方の事、嫌いじゃないんだよな…。むしろ、好きと嫌いのどちらかだとしたら…好き、
なんだと思う…」
克哉の胸に、この人の胸の中で泣きじゃくった日の記憶が蘇る。
…本当に兄弟なのか、疑う気持ちがあっても…記憶の事を差し置いても出来るだけ傍に
いたいと望むのは…あの日、不安を抱いていた自分に優しくしてくれたからだと思う。
「っ…わっ…!」
ふいに、眼鏡の腕が伸びて…その胸に引き寄せられる。
もしかして起きたのか、と思ってヒヤっとしたが…どうやら無意識の内にこちらを
抱き寄せただけらしい。
思いがけず、強い力で相手の胸元に顔を埋める格好になって…耳まで赤くなっていく。
(うわ…うわ、うわっ…)
相手の鼓動を間近に感じて、赤面していく。
それでも…この雪で覆われた世界は、空気すらも酷く冷たく澄み切っていて。
…そんな中で、この温もりはとてつもない引力となっていた。
どうしようもなく、意識をしている自分がいる。
夕食の時のように…あんな風にチョッカイを掛けられたら、一応反撃して…拒むけれど、
もし…この人が真剣な顔をして自分を求めてきたら、多分拒めないような気がしていた。
幸い、今の処…そんな事態にはならないで済んでいるけれど。
『克哉…克哉…』
そう、顔も思い出せない声の主のように…こんな切ない声で自分の事を呼びかけてきたら―
きっと…許してしまう気がする。
そんな自分に呆れながら、克哉はそっと瞳を閉じていく。
傍に寄り添って眠る…相手の体温はとても暖かく。
心地よさを感じていきながら、静かに眠りの淵に落ちていった―
十日間を過ごすという話です。それを了承の上でお読みください(やっと中盤…)
深夜遅く、眼鏡がしっかりと寝静まった頃を見計らって…克哉はコソコソと自分の
部屋から毛布を持ち込んで、彼の部屋に侵入していった。
目的は出来るだけ傍で眠る為だ。記憶は基本的に…眼鏡と一緒にいる時にしか
思い出せないから、克哉としてはもう少し近づきたいのだが…あんまり寄りすぎると
今度は襲われかけるから、かなりスリリングな毎日を送っていた。
(よ、良かった…兄さん、起きてないみたいだ…)
毎晩の事ながら、酷く緊張していた。
ドキドキと心臓を荒立たせながら、ベッドの上に横たわっている眼鏡の隣に自分も
横になっていく。
ベッドサイズはどの部屋に置かれている物でもダブルサイズはある。
身長180を超える自分達でも、中心辺りにいるように心がければある程度寝返りを打っても
大丈夫な大きさだった。
自分の身体がベッドのスプリングに沈むのを感じて…克哉は溜息を突く。
(…本当にこの人は、オレと顔が良く似ているな…)
今夜は外も穏やかなようだった。
雪や風も殆ど降る事なく、高い位置に備え付けられている窓からはもうじき満月に
なろうとしている白い月が静かに浮かんでいる。
その月光に照らされた顔立ちは整っていて、長い睫が目元に微かな陰影を作り…微かな
色気を醸し出していた。
陶器めいた、白い肌につい触れてみたくて…そっと頬に手を伸ばしていく。
軽く滑らせていくと、肌の表面は滑らかで触り心地は良かった。
「う…ん…」
こちらの手に反応したのか、微かに呻き声を漏らしながらモゾモゾと眼鏡が身動きする。
それに一瞬、起こしてしまったかとビクリとなったが…相手が起きる気配がないのが判ると
ほっと溜息を突いていく。
(何で…こんなにこの人は、オレに似ているんだろう…。オレに兄さんなんて…
いない筈、なのに…)
今の克哉は20歳前後までの記憶を取り戻していた。
だからこそ、確信もって言えた。佐伯克哉には…双子の兄なんて存在しない事を。
少なくとも育つ過程において、まったく一緒に過ごしてきた記憶はない。
けれど…自分に瓜二つ過ぎる容姿は逆に双子以外では有り得ない気がした。
他人でここまで似ているのは可笑しすぎる。
だからこそ…克哉は混乱していた。
「…兄さん、貴方は一体…本当はオレにとってどんな存在なんですか…?」
その答えは、この七日間で思い出せた20歳までの記憶の中には存在しない。
だからこそ…余計に、この人に対しての興味は尽きなかった。
人には知りえない謎を解きたいという欲求がある。
好奇心、知識欲は時に強い衝動で人を突き動かす力があるのだ。
克哉にとって、こうして彼の隣で眠ることは相手に襲われて良いようにされる危険に
満ちた行為である。
けれどそのリスクを犯してでも、毎晩聞こえる『声』と…この人の正体に関して知りたいと
いう気持ちを抱いていた。
『克哉…克哉…』
静寂の中、また今夜も…切なく自分の事を呼ぶ声が脳裏に響いてくる。
その声はとても優しく…同時に切ない色合いを持っていた。
ただ静かに自分に対して呼びかけてくる声。
―目覚めた日から、一日も途切れる事のない…哀切を帯びた声掛けだった。
(また今夜も…貴方の声が聞こえる。…早く、知りたい。貴方が一体誰なのかを…)
克哉は目を閉じて、その呼びかけに耳を澄ませていく。
毎日、夜から朝に掛けての間だけ聞こえ続ける謎の声は…一日も早く記憶を
思い出さなければと克哉を掻き立てる原動力となった。
だから…身の危険を感じながらでも、眼鏡の傍を離れないように必死にくっついて
いるのだが…。
ふと、今は便宜上…兄と呼んでいる人の顔を見つめていく。
それを見て…少しだけ不思議な気持ちになった。
目の前で安らかな顔を晒して眠りこけている姿を見て、少しだけドキドキしている
自分がいた。
(まあ、あれだけ…セクハラされまくれば、多少は意識もするだろうけどな…)
自分がここで目覚めて、初めてキスされた日から数えて、この五日間は…本気で
貞操の危機を感じたか数え切れないくらいだった。
こっちがアワアワするような振る舞いや発言を平気でしでかしてくるし、すぐ押し倒したり
際どい処に触ってくるし…一緒にいて本当に気が抜けない。
本当に兄弟なら、そんな真似をする筈がない。それでも…。
「…貴方の事、嫌いじゃないんだよな…。むしろ、好きと嫌いのどちらかだとしたら…好き、
なんだと思う…」
克哉の胸に、この人の胸の中で泣きじゃくった日の記憶が蘇る。
…本当に兄弟なのか、疑う気持ちがあっても…記憶の事を差し置いても出来るだけ傍に
いたいと望むのは…あの日、不安を抱いていた自分に優しくしてくれたからだと思う。
「っ…わっ…!」
ふいに、眼鏡の腕が伸びて…その胸に引き寄せられる。
もしかして起きたのか、と思ってヒヤっとしたが…どうやら無意識の内にこちらを
抱き寄せただけらしい。
思いがけず、強い力で相手の胸元に顔を埋める格好になって…耳まで赤くなっていく。
(うわ…うわ、うわっ…)
相手の鼓動を間近に感じて、赤面していく。
それでも…この雪で覆われた世界は、空気すらも酷く冷たく澄み切っていて。
…そんな中で、この温もりはとてつもない引力となっていた。
どうしようもなく、意識をしている自分がいる。
夕食の時のように…あんな風にチョッカイを掛けられたら、一応反撃して…拒むけれど、
もし…この人が真剣な顔をして自分を求めてきたら、多分拒めないような気がしていた。
幸い、今の処…そんな事態にはならないで済んでいるけれど。
『克哉…克哉…』
そう、顔も思い出せない声の主のように…こんな切ない声で自分の事を呼びかけてきたら―
きっと…許してしまう気がする。
そんな自分に呆れながら、克哉はそっと瞳を閉じていく。
傍に寄り添って眠る…相手の体温はとても暖かく。
心地よさを感じていきながら、静かに眠りの淵に落ちていった―
※ この話はN克哉が事故で昏睡して記憶を失っている間、夢の世界で眼鏡と
十日間を過ごすという話です。それを了承の上でお読みください(やっと中盤…)
この世界に来てから、七日目の夜。
眼鏡の胸で泣いて縋りついた日からは五日程が経過していた。
あれから克哉の記憶は徐々に戻り続けて、現在は大学に入学した頃くらいまでは
思い出したらしい。
6日目の朝辺りから、それまでは完全に眼鏡任せだった家事の類をやり始めたので
気になって「本多の事は思い出せたのか?」と聞いたら、うんと頷いていたので
丁度それくらいまでは戻ったんだな、と納得する事にした。
本多憲二との出会いは、大学に入学してバレー部に入ってからの事だ。
こいつの事を思い出したのなら…現在の克哉の記憶は18~21歳の間くらいまでは
回復したという目安となる。
この辺りまで思い出せば、自分がどんな人間だったか…という事は把握出来るので
最初の五日間までは酷くおどおどした態度を見せていた克哉も、段々自分が知っている
彼に近づいていた。
「~♪」
本日の夕食は、克哉の方が担当する運びとなった。
キッチンに鼻歌を歌いながらエプロンをつけて一人で立ち…大きな鍋を前にややぎこちない
手つきではあるが包丁を握って鶏肉やニンジン、玉ねぎ、ジャガイモなどを下ごしらえして
シチューを作っている。
大量の蒸気を溢れさせている鍋から、アクを梳くって…ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎの
順に野菜を入れてグツグツと煮込んでいた。
煮込んでいる間、洗濯物をしたり…洗い物を片付けたり、レタスとトマトだけの簡単な
サラダを作ったり、パンをバターを薄く塗ってオーブントースターで焼いてカリっと仕上げ
たりして時間を潰していく。
具がしっかりと煮込み終わる頃には市販のシチューの素を用意して、
火を下ろして掻き混ぜていく。
ここら辺は今の時代、便利な物があってくれて本当に良かったな…と思った。
「よし、こんな物かな…久しぶりに作った気がするけど…上手く出来て良かった」
シチューの素を全部溶かして、適度なとろみがついていくと…安心したような
笑みを浮かべていった。
とりあえずサラダも、トーストもどうにか失敗せずに済んだ。
これなら…彼に、それなりに美味しい夕食を振舞う事が出来るだろうと…安堵した瞬間
背後から、何か気配がした。
「っ…! 何っ!」
克哉がシチューに気を取られている間に、眼鏡がいつの間にか忍び寄って背後を
取っていく。
ふいに自分の胸元から腹部に掛けて、怪しく手が蠢き…カプっと耳朶の辺りを
思いっきり甘噛みされていく。
「っ…!! な、何をいたずらしているんですかっ!」
「…別に? お前が何か上機嫌でキッチンを立っている姿を見てチョッカイを掛けたい
気分になっているだけだ…気にするな…」
「気にします! 火を使っている間に…妙な事を仕掛けないで…あっ!」
ふいに服の隙間から手を差し入れられて、胸の突起を軽く摘まれれば…克哉の
身体はビクっと震えていく。
「ちょっ…指、冷たい…ですから! やめ…」
こっちが外そうともがいている内に、チュっと首筋に吸い付かれて軽く舐め
上げられていく。
そのまま…調子に乗って、両方の指で突起を弄り上げていくと…。
ドカッ!!!!
克哉も負けじと、眼鏡の胸元に強烈な肘鉄を食らわしていく。
「もう!! いい加減にして下さい! オレは貴方にちゃんと美味しい夕食を食べて
欲しくて頑張っているんです! 邪魔しないで下さい」
「…俺は夕食よりも、お前を食わせて貰った方が欲求が満たせるんだがな…」
パァン!!
相変わらずの眼鏡の物言いに、今度は本日の調理の参考に使った料理書を片手に
思いっきり叩き上げていく。
「に・い・さ・ん? あんまりこっちの邪魔をすると…オレの方にも…考えがあるよ?」
克哉がにっこりと笑いながら、声に不穏な調子を混ぜて言い切っていく。
なかなか黒いものを滲ませている朗らかな笑顔である。
その凄みに、一瞬…眼鏡も言葉に詰まったが…すぐに強気な笑みを浮かべて
応戦していく。
「ほう? お前の考えなど…たかが知れているが、どんな案を持ち出すつもりなんだ?」
「さあ…何だろうね? 夕食抜きなんて案はどう? 今日の夕飯はオレが作っているん
だから…夕食を食べさせるかどうかの権利はオレの方が握っていると思うんだけど…?」
「…ふっ。その程度か。それくらいで俺が怯むと思うか?」
「あぁ…その際には、オレの方でしっかりと食料庫への鍵は隠させて貰うから。
そうしたら…明日の朝まで兄さんの方は何も食べる事が出来ないでしょ? こんな案は
どうかな…?」
それは流石に応えるので、眼鏡は一瞬…答えに詰まった。
このロッジには冷蔵庫ではなく、食材の殆どは専用の冷室に置かれている。
夢の世界なのに妙にこのロッジはリアルに作られていて…食料庫にもしっかりと
鍵の類はつけられている。ついでに空腹感までちゃんとある。
それを握られてしまったら、空腹で明日の朝まで過ごす事になる。
ここで下手に怒らせれば、もっと長い時間…こちらへの食料の供給は絶たれて
しまうかも知れない。この状況下で…下手な振る舞いをするのは、明らかに
こちらの不利であった。
「…ちっ! 知恵が回るようになったな。…お前に今日の夕食を任せたのは
失敗だったか…」
「もう、そんな妙なチョッカイを掛けてくるのが悪いんでしょ? ここで止めてくれれば
オレだってそんな真似しないよ。…そろそろ、シチューが完成するから…お皿とか
並べるの手伝ってよ」
そう言って笑いながら、シチュー皿を用意して…その中にシチューを注ぎ始めていく。
「…気に入らんな」
眼鏡は憮然としながらも克哉の言葉に従って、一応…この場は言う事を聞いてやる事にした。
そうして…暖かい食事が、食卓の上に並べられていく。
…目の前には、克哉がニコニコと微笑みながら…先に座って待っていた。
「お待たせ、兄さん。…さあ、夕食をどうぞ」
そう笑顔で薦められてると、不本意ながら…悪い気分ではなかった。
相手のペースに乗せられるのは好ましくないが、目の前に並んでいる夕食はどれも
簡単なものばかりだが確かに美味しそうだったからだ。
「あぁ…」
眼鏡の口から、不機嫌そうな響きの声が漏れる。
それでも表情は…微かに微笑んでいた。
ゆっくりとした動作で克哉が作った夕食に手をつけていく。
どれも悪くない味だったので…一応、眼鏡の機嫌はそれなりに回復していった。
―そうして、七日目の夜は静かに更けていった。
十日間を過ごすという話です。それを了承の上でお読みください(やっと中盤…)
この世界に来てから、七日目の夜。
眼鏡の胸で泣いて縋りついた日からは五日程が経過していた。
あれから克哉の記憶は徐々に戻り続けて、現在は大学に入学した頃くらいまでは
思い出したらしい。
6日目の朝辺りから、それまでは完全に眼鏡任せだった家事の類をやり始めたので
気になって「本多の事は思い出せたのか?」と聞いたら、うんと頷いていたので
丁度それくらいまでは戻ったんだな、と納得する事にした。
本多憲二との出会いは、大学に入学してバレー部に入ってからの事だ。
こいつの事を思い出したのなら…現在の克哉の記憶は18~21歳の間くらいまでは
回復したという目安となる。
この辺りまで思い出せば、自分がどんな人間だったか…という事は把握出来るので
最初の五日間までは酷くおどおどした態度を見せていた克哉も、段々自分が知っている
彼に近づいていた。
「~♪」
本日の夕食は、克哉の方が担当する運びとなった。
キッチンに鼻歌を歌いながらエプロンをつけて一人で立ち…大きな鍋を前にややぎこちない
手つきではあるが包丁を握って鶏肉やニンジン、玉ねぎ、ジャガイモなどを下ごしらえして
シチューを作っている。
大量の蒸気を溢れさせている鍋から、アクを梳くって…ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎの
順に野菜を入れてグツグツと煮込んでいた。
煮込んでいる間、洗濯物をしたり…洗い物を片付けたり、レタスとトマトだけの簡単な
サラダを作ったり、パンをバターを薄く塗ってオーブントースターで焼いてカリっと仕上げ
たりして時間を潰していく。
具がしっかりと煮込み終わる頃には市販のシチューの素を用意して、
火を下ろして掻き混ぜていく。
ここら辺は今の時代、便利な物があってくれて本当に良かったな…と思った。
「よし、こんな物かな…久しぶりに作った気がするけど…上手く出来て良かった」
シチューの素を全部溶かして、適度なとろみがついていくと…安心したような
笑みを浮かべていった。
とりあえずサラダも、トーストもどうにか失敗せずに済んだ。
これなら…彼に、それなりに美味しい夕食を振舞う事が出来るだろうと…安堵した瞬間
背後から、何か気配がした。
「っ…! 何っ!」
克哉がシチューに気を取られている間に、眼鏡がいつの間にか忍び寄って背後を
取っていく。
ふいに自分の胸元から腹部に掛けて、怪しく手が蠢き…カプっと耳朶の辺りを
思いっきり甘噛みされていく。
「っ…!! な、何をいたずらしているんですかっ!」
「…別に? お前が何か上機嫌でキッチンを立っている姿を見てチョッカイを掛けたい
気分になっているだけだ…気にするな…」
「気にします! 火を使っている間に…妙な事を仕掛けないで…あっ!」
ふいに服の隙間から手を差し入れられて、胸の突起を軽く摘まれれば…克哉の
身体はビクっと震えていく。
「ちょっ…指、冷たい…ですから! やめ…」
こっちが外そうともがいている内に、チュっと首筋に吸い付かれて軽く舐め
上げられていく。
そのまま…調子に乗って、両方の指で突起を弄り上げていくと…。
ドカッ!!!!
克哉も負けじと、眼鏡の胸元に強烈な肘鉄を食らわしていく。
「もう!! いい加減にして下さい! オレは貴方にちゃんと美味しい夕食を食べて
欲しくて頑張っているんです! 邪魔しないで下さい」
「…俺は夕食よりも、お前を食わせて貰った方が欲求が満たせるんだがな…」
パァン!!
相変わらずの眼鏡の物言いに、今度は本日の調理の参考に使った料理書を片手に
思いっきり叩き上げていく。
「に・い・さ・ん? あんまりこっちの邪魔をすると…オレの方にも…考えがあるよ?」
克哉がにっこりと笑いながら、声に不穏な調子を混ぜて言い切っていく。
なかなか黒いものを滲ませている朗らかな笑顔である。
その凄みに、一瞬…眼鏡も言葉に詰まったが…すぐに強気な笑みを浮かべて
応戦していく。
「ほう? お前の考えなど…たかが知れているが、どんな案を持ち出すつもりなんだ?」
「さあ…何だろうね? 夕食抜きなんて案はどう? 今日の夕飯はオレが作っているん
だから…夕食を食べさせるかどうかの権利はオレの方が握っていると思うんだけど…?」
「…ふっ。その程度か。それくらいで俺が怯むと思うか?」
「あぁ…その際には、オレの方でしっかりと食料庫への鍵は隠させて貰うから。
そうしたら…明日の朝まで兄さんの方は何も食べる事が出来ないでしょ? こんな案は
どうかな…?」
それは流石に応えるので、眼鏡は一瞬…答えに詰まった。
このロッジには冷蔵庫ではなく、食材の殆どは専用の冷室に置かれている。
夢の世界なのに妙にこのロッジはリアルに作られていて…食料庫にもしっかりと
鍵の類はつけられている。ついでに空腹感までちゃんとある。
それを握られてしまったら、空腹で明日の朝まで過ごす事になる。
ここで下手に怒らせれば、もっと長い時間…こちらへの食料の供給は絶たれて
しまうかも知れない。この状況下で…下手な振る舞いをするのは、明らかに
こちらの不利であった。
「…ちっ! 知恵が回るようになったな。…お前に今日の夕食を任せたのは
失敗だったか…」
「もう、そんな妙なチョッカイを掛けてくるのが悪いんでしょ? ここで止めてくれれば
オレだってそんな真似しないよ。…そろそろ、シチューが完成するから…お皿とか
並べるの手伝ってよ」
そう言って笑いながら、シチュー皿を用意して…その中にシチューを注ぎ始めていく。
「…気に入らんな」
眼鏡は憮然としながらも克哉の言葉に従って、一応…この場は言う事を聞いてやる事にした。
そうして…暖かい食事が、食卓の上に並べられていく。
…目の前には、克哉がニコニコと微笑みながら…先に座って待っていた。
「お待たせ、兄さん。…さあ、夕食をどうぞ」
そう笑顔で薦められてると、不本意ながら…悪い気分ではなかった。
相手のペースに乗せられるのは好ましくないが、目の前に並んでいる夕食はどれも
簡単なものばかりだが確かに美味しそうだったからだ。
「あぁ…」
眼鏡の口から、不機嫌そうな響きの声が漏れる。
それでも表情は…微かに微笑んでいた。
ゆっくりとした動作で克哉が作った夕食に手をつけていく。
どれも悪くない味だったので…一応、眼鏡の機嫌はそれなりに回復していった。
―そうして、七日目の夜は静かに更けていった。
溜息を突きながら、とりあえず抱きしめ続けてやると…次第に克哉の身体から
力が抜けて…相手の体重が全て、こちらに掛けられた。
まったく同じ体格である為…それなりに眼鏡の方にも負担が掛かっていたが今は
敢えて何も言わずに好きなようにさせていった。
先程までのヤル気は、見事に拡散されてしまっている。
それが判ったのか…子供のように克哉は、相手に抱きつき続ける。
記憶を失ってから、初めて拠り所を得たような…そんな気持ちになって…。
(暖かい…)
眼鏡の鼓動を感じ取って、克哉はほっと息を突いた。
ふと…瞳から涙がうっすらと滲んでいく。
それで初めて…記憶を失くしてから、どれくらい自分は無理をして普通に振舞って
笑っていたのか、嫌でも自覚せざるを得なかった。
記憶がなくなる、という事は…自分自身がどんな人間だったかも判らなくなるという
事である。自分がどんな事を好きだったのか、嫌いだったのか…どんな事を体験して
生きてきたのか…何を大事に想い、どんな人達が自分の周りにいたのかも
関係する全ての事を、忘れてしまうという事なのだ。
誰だってこの状況で不安を覚えないで済む訳がないのだ。
それでも…誰かにこうやって、縋りついた瞬間…ほっと安心して、嗚咽を漏らし始める。
「…おい。泣いているのか…?」
「…ご、御免。何か…ほっとしたら、つい涙が…」
「…面倒な奴だな。…好きにしろ…」
口でそう言いつつも…特にどけ、とも何とも言わず…深い溜息を突きながら
克哉の頭をグシャグシャ、と掻き混ぜていく。
何とも、珍妙な気持ちだった。
…そのまま、二人の間に沈黙が落ちていく。
耳に入る音は、微かな風の音と…風によってその度に微かに軋む窓の音、そして
お互いの息遣いと…鼓動のリズムだけだった。
「…ありがとう、甘えさせてくれて…少し、ほっと出来た…」
「…特別に、だからな。…普段の俺なら、こんな振る舞いは…そうは、しない…」
「…だろうね。貴方は…ちょっと意地悪な感じがするから。けど…今は優しくしてくれて、
本当に…ありがとう」
そうして、うっすらと頬に涙が伝っている顔を上げて…こちらを真っ直ぐ見つめていく。
…そんな弱々しい表情で、微笑まれても…こっちは困惑するしか出来ない。
言いようの無い、モヤモヤした気持ちが胸の中に更に大きく広がっていく。
それが不快なのか、悪くないものなのか…今の眼鏡にはまったく判らなかった。
「…ん。貴方に優しくして貰えると…凄く嬉しい。…貴方が本当に、オレの兄さんか
どうか判らないけど…優しくして貰えるとこんなに嬉しいって事は、記憶失う前も
…オレは貴方の事を好きだったんだろうな…」
「っ!!」
思ってもいなかった事を言われて、眼鏡はぎょっとする。
一体全体、こいつはこちらの心をどれくらい掻き乱せば済むのだろうか?
もう一人の自分が…<俺>を好きだなんて、有り得る訳がない。
そう考えて、視線で反論の気持ちを示していくが…こちらの反応を見て
ふっと克哉は楽しそうに…笑った。
「…オレが好きだっていうの、そんなに…驚く事なんですか?」
「…当然だ。そんな事が有り得る訳がない…」
ベッドの上でぐったりとしながら眼鏡が答えていくと…そんな彼の反応も楽しいのか
またぎゅっと抱きついて克哉がクスクスと笑い続ける。
「…何か照れている兄さん、可愛い…。そんな顔も出来るんだ…」
「誰が可愛いって言うんだ。冗談も大概にしろ…」
プイ、と克哉から顔を背けながら、呟いていくが…相手の腕の力は一向に弱まる
気配を見せない。
すっかり相手の方はこちらに甘える気満々のようだ。
何かを確認するかのように…こちらの輪郭を、頬の稜線を…鼻筋や顎のラインを指先で
辿っていた。
瞳を笑ませながら、そんな風に触れられるとくすぐったいような居心地が悪いような
妙な気分になってくる。
けれど、もう…不快になっていないのは…自分でも不思議だった。
「…本当に、暖かい…」
しみじみとそう呟きながら、克哉は…もう一度、相手の胸に顔を埋めていく。
再び…克哉の目元に涙が浮かんでくる。
それで初めて…自分自身が、記憶を失くした事で…こんなに不安を覚えていた事を
自覚出来た。
自然と肩が震えて、また嗚咽が零れていく。
記憶が無くても…目の前の人に迷惑を掛けては駄目だと、そう思って閉じ込めていた
不安や惑いなどのマイナスの感情が…一粒、一粒…涙となって零れ落ちていく。
「おい…泣くな。本当に…面倒な奴だな…」
そう言いながら眼鏡は相手の顔に唇を寄せて、そっと涙を拭っていってやる。
最初は舌で涙を拭われて驚いた顔をしていたが…特に反論せずに、眼鏡の
成すがままだった。
拭い終わると、ほっとしたのだろう。
ふっと瞼を閉じていくと…そのまま、昨日からずっと張り詰めていたものが緩んで
そのまま眼鏡の胸の上で…安らかに眠り始めていた。
「…おい、寝るな…。と、もう…遅いみたいだな…」
はあ、と深い溜息を吐きながら相手の身体を揺さぶったが一向に起きる気配がなかった。
スースースーと実に穏やかな寝息を零しながら、幸せそうな顔をして…
克哉は眠っていた。
これじゃあ、まるっきり子供だ。
まだ…以前に一夜の相手にした、あの秋紀とかいう少年の方が手を出す気分になれる。
よっぽど悪戯してやろうと思ったが…こうまで、あまりに無防備な姿を晒されると…そんな
気持ちさえも萎えて…どうにでもなれ、という気分になった。
「…まあ、仕方ない。乗りかかった船だ…。後、九日…子供のお守りを続けてやろう…」
そうして、眼鏡も仕方なく瞼を閉じて…一時の休息へと意識を落としていく。
…隣に暖かい気配がある、という事だけは…悪い気分でなかったのが今の
唯一の救いだった―
力が抜けて…相手の体重が全て、こちらに掛けられた。
まったく同じ体格である為…それなりに眼鏡の方にも負担が掛かっていたが今は
敢えて何も言わずに好きなようにさせていった。
先程までのヤル気は、見事に拡散されてしまっている。
それが判ったのか…子供のように克哉は、相手に抱きつき続ける。
記憶を失ってから、初めて拠り所を得たような…そんな気持ちになって…。
(暖かい…)
眼鏡の鼓動を感じ取って、克哉はほっと息を突いた。
ふと…瞳から涙がうっすらと滲んでいく。
それで初めて…記憶を失くしてから、どれくらい自分は無理をして普通に振舞って
笑っていたのか、嫌でも自覚せざるを得なかった。
記憶がなくなる、という事は…自分自身がどんな人間だったかも判らなくなるという
事である。自分がどんな事を好きだったのか、嫌いだったのか…どんな事を体験して
生きてきたのか…何を大事に想い、どんな人達が自分の周りにいたのかも
関係する全ての事を、忘れてしまうという事なのだ。
誰だってこの状況で不安を覚えないで済む訳がないのだ。
それでも…誰かにこうやって、縋りついた瞬間…ほっと安心して、嗚咽を漏らし始める。
「…おい。泣いているのか…?」
「…ご、御免。何か…ほっとしたら、つい涙が…」
「…面倒な奴だな。…好きにしろ…」
口でそう言いつつも…特にどけ、とも何とも言わず…深い溜息を突きながら
克哉の頭をグシャグシャ、と掻き混ぜていく。
何とも、珍妙な気持ちだった。
…そのまま、二人の間に沈黙が落ちていく。
耳に入る音は、微かな風の音と…風によってその度に微かに軋む窓の音、そして
お互いの息遣いと…鼓動のリズムだけだった。
「…ありがとう、甘えさせてくれて…少し、ほっと出来た…」
「…特別に、だからな。…普段の俺なら、こんな振る舞いは…そうは、しない…」
「…だろうね。貴方は…ちょっと意地悪な感じがするから。けど…今は優しくしてくれて、
本当に…ありがとう」
そうして、うっすらと頬に涙が伝っている顔を上げて…こちらを真っ直ぐ見つめていく。
…そんな弱々しい表情で、微笑まれても…こっちは困惑するしか出来ない。
言いようの無い、モヤモヤした気持ちが胸の中に更に大きく広がっていく。
それが不快なのか、悪くないものなのか…今の眼鏡にはまったく判らなかった。
「…ん。貴方に優しくして貰えると…凄く嬉しい。…貴方が本当に、オレの兄さんか
どうか判らないけど…優しくして貰えるとこんなに嬉しいって事は、記憶失う前も
…オレは貴方の事を好きだったんだろうな…」
「っ!!」
思ってもいなかった事を言われて、眼鏡はぎょっとする。
一体全体、こいつはこちらの心をどれくらい掻き乱せば済むのだろうか?
もう一人の自分が…<俺>を好きだなんて、有り得る訳がない。
そう考えて、視線で反論の気持ちを示していくが…こちらの反応を見て
ふっと克哉は楽しそうに…笑った。
「…オレが好きだっていうの、そんなに…驚く事なんですか?」
「…当然だ。そんな事が有り得る訳がない…」
ベッドの上でぐったりとしながら眼鏡が答えていくと…そんな彼の反応も楽しいのか
またぎゅっと抱きついて克哉がクスクスと笑い続ける。
「…何か照れている兄さん、可愛い…。そんな顔も出来るんだ…」
「誰が可愛いって言うんだ。冗談も大概にしろ…」
プイ、と克哉から顔を背けながら、呟いていくが…相手の腕の力は一向に弱まる
気配を見せない。
すっかり相手の方はこちらに甘える気満々のようだ。
何かを確認するかのように…こちらの輪郭を、頬の稜線を…鼻筋や顎のラインを指先で
辿っていた。
瞳を笑ませながら、そんな風に触れられるとくすぐったいような居心地が悪いような
妙な気分になってくる。
けれど、もう…不快になっていないのは…自分でも不思議だった。
「…本当に、暖かい…」
しみじみとそう呟きながら、克哉は…もう一度、相手の胸に顔を埋めていく。
再び…克哉の目元に涙が浮かんでくる。
それで初めて…自分自身が、記憶を失くした事で…こんなに不安を覚えていた事を
自覚出来た。
自然と肩が震えて、また嗚咽が零れていく。
記憶が無くても…目の前の人に迷惑を掛けては駄目だと、そう思って閉じ込めていた
不安や惑いなどのマイナスの感情が…一粒、一粒…涙となって零れ落ちていく。
「おい…泣くな。本当に…面倒な奴だな…」
そう言いながら眼鏡は相手の顔に唇を寄せて、そっと涙を拭っていってやる。
最初は舌で涙を拭われて驚いた顔をしていたが…特に反論せずに、眼鏡の
成すがままだった。
拭い終わると、ほっとしたのだろう。
ふっと瞼を閉じていくと…そのまま、昨日からずっと張り詰めていたものが緩んで
そのまま眼鏡の胸の上で…安らかに眠り始めていた。
「…おい、寝るな…。と、もう…遅いみたいだな…」
はあ、と深い溜息を吐きながら相手の身体を揺さぶったが一向に起きる気配がなかった。
スースースーと実に穏やかな寝息を零しながら、幸せそうな顔をして…
克哉は眠っていた。
これじゃあ、まるっきり子供だ。
まだ…以前に一夜の相手にした、あの秋紀とかいう少年の方が手を出す気分になれる。
よっぽど悪戯してやろうと思ったが…こうまで、あまりに無防備な姿を晒されると…そんな
気持ちさえも萎えて…どうにでもなれ、という気分になった。
「…まあ、仕方ない。乗りかかった船だ…。後、九日…子供のお守りを続けてやろう…」
そうして、眼鏡も仕方なく瞼を閉じて…一時の休息へと意識を落としていく。
…隣に暖かい気配がある、という事だけは…悪い気分でなかったのが今の
唯一の救いだった―
眼鏡が余裕たっぷりに微笑むのと対照的に、克哉の方は困惑を隠し切れない
ようだった。
瞳に惑いの色を濃く浮かべて…逃げようと身体を少しずつ…ズラしていくが、しっかりと
腰を押さえ込まれて阻まれていく。
「んっ…ぁ…」
そうしている内にもう一度、唇を塞がれる。
先程よりも深いキスだった。浅い処を舌先でくすぐられて背筋に悪寒に似た感覚が
走り抜けていった。
「ちょっと待って…! あの…何でこんな事をっ?」
眼鏡の腕の中でもがきまくるが、一向に逃げられそうな気配はない。
「…お前に欲情したからだが?」
あっさりととんでもない事を言ってのけて…そんな克哉の混乱を更に強めていく。
「よ、欲情って…うわっ…!」
眼鏡の手が服の隙間から侵入し…背骨から腰のラインを怪しく撫ぜ回される。
そのまま両手が尻房の処に回されて、捏ねくり回されれば…何とも妙な疼きを
覚えていった。
「…な、んで…こんな、事…」
「…言っておくが、お前とこういう事をするのは…今回が初めてじゃあないぞ? 今まで
だって何回があった訳だし…な?」
「そ、うなの…?」
その一言を聞いて、克哉の抵抗が少しだけ緩んだ。
お互いの下肢を押し付けあう格好になると…先に眼鏡の方が兆しを見せ始めて
硬く熱を帯びてくるのが…ズボン越しでも伝わって来ている。
相手が間違いなく自分に欲情していると…はっきりと伝わってくると、克哉の方は
耳まで真っ赤にしながら…疑問を口にしていった。
「…じゃあ、その…オレと貴方って…恋人同士、だったの…?」
ぶはっ!!
その発言を聞いた瞬間、眼鏡は思いっきりむせていった。
まさかそんな事を聞かれるとは予想もしていなかったので…こちらも動揺するしか
なかった。
「…さあ、どうだろうな…? お前の想像に任せておく。ただ…俺と何回かセックスをした事が
あるのは…事実だがな…」
どうにか30秒くらいで体制を整えて、嘘じゃない範囲で答えていった。
自分とこいつが恋人同士である訳がない。
外の世界では、不本意にも同じ身体を共有している間柄なのだから。
こいつの…恋人は…。
(…これ以上は考えるのは、止めておくか。つまらない事だ…)
眼鏡が思考を中断させている間、克哉の方は色々とグルグル考えていたらしい。
悩んで、迷って…瞳に困惑の色を滲ませている。
それから…キッと唇を結んでいくと…自分から、眼鏡に口付けていった。
「っ!」
今度は、眼鏡の方が驚かされる番だった。
それは触れる程度のたわいないものであったけれど…向こうの方からされた、という
事が信じられなかった。
「…やっぱり。貴方に触れる度に…少しずつだけど、何かを思い出していく…」
自分から触れてみた時、はっきりとそれを自覚した。
それはどれも大した事がない思い出ばかりだったが…眼鏡の傍にいればいるだけ
近くにいればいるだけ、触れれば触れるだけ…自分の中の知識とか、記憶とかそういう
ものが流れ込んでくる。
例えるならば今の克哉は初期化したばかりのパソコンで、眼鏡の方は外付けのハード
ディスクのようなものなのだ。
克哉の方から記憶が消えていても、衝撃を受けた時に深層意識の中にいた眼鏡の方は
今までの記憶を保持している。
この世界では、近くにいればいるだけ…克哉は色んな事を思い出せる。だから克哉は
彼に嫌われるのが恐い…と本能的に感じていたのだ。
ジワリ、と彼に触れる度に…記憶のカケラが、浮かんでくる。
昨日目覚めたばかりの時は…何も思い出せなくて、不安だった。
けれど…兄と呼んでいるこの人が自分の近くにいる時だけ、何かを思い出すのが
多かった事は昨日から何となくは感じていた。
「…どんな事を思い出しているんだ?」
「…えっと、今は…子供の頃の時の記憶の方が多い、かな…? 幼稚園の頃に…仲の
良かった奴と一緒に遊んでいたりとか、泥だらけになって帰って来て母さんに怒られたりとか
そんな他愛無い事ばかりだけど…んっ!」
ふいに腰骨をやんわりと撫ぜられて、ピクっと身体を震えさせていく。
その度に、頭の中に軽い電流が走って…自分の中の回線が一つ一つ、繋がっていく
感覚がした。
それで…克哉は覚悟を決めた。
この人と恋人であるかどうかなど…今は判らない。
だが、今の自分にとって…彼と一緒にいる事は必要なのだと、本能的に察したのだ。
自分にはどうしても、思い出さなければいけない事がある。
それは目覚めてから、ずっと強く感じていた事なのだから…。
「…兄さん。オレにとって…今は、貴方が…必要、なんです…オレには…どうしても、
思い出さないといけない事が…あるみたい、だから…」
無意識の内に、感じていた。
自分の中に大切な記憶があると。決して忘れたままでいてはいけないものが存在
していると。記憶の断片を思い出して、更にその確信は強まっていった。
「…ほう?」
しかし、克哉の言葉を…どこか興味なさげに眼鏡は相槌を打っていく。
「…だから、離れないで下さい…今、だけは…っ!」
泣きそうな顔を浮かべて…克哉が訴える。
瞳にうっすらと涙を浮かべて…懸命に気持ちを伝える様は…どこか冷淡だった
眼鏡の心境に…変化を齎していった。
克哉の頬にそっと静かに手を伸ばしていくと…相手の頬を撫ぜながら、先程とは違って
少しだけ優しさが篭ったキスを落としていく。
「…そんなにお前が言うなら、傍にいてやるよ…」
面倒だとは思ったが…こうまで言われると、邪険にする気も無くなっていた。
そうして、もう一度だけ…キスを落としていった。
―今度は、克哉も拒む事はなかった。
大切なものを思い出したいと願いながら、強く強く…。
記憶を失くして、不安に満たされている心をどうにか宥めようと…目の前の
温もりに縋り付いてくる。
そんな克哉を、眼鏡は溜息をつきながら…先程とは違う意味合いで、自分の腕の中に
閉じ込めていった―
ようだった。
瞳に惑いの色を濃く浮かべて…逃げようと身体を少しずつ…ズラしていくが、しっかりと
腰を押さえ込まれて阻まれていく。
「んっ…ぁ…」
そうしている内にもう一度、唇を塞がれる。
先程よりも深いキスだった。浅い処を舌先でくすぐられて背筋に悪寒に似た感覚が
走り抜けていった。
「ちょっと待って…! あの…何でこんな事をっ?」
眼鏡の腕の中でもがきまくるが、一向に逃げられそうな気配はない。
「…お前に欲情したからだが?」
あっさりととんでもない事を言ってのけて…そんな克哉の混乱を更に強めていく。
「よ、欲情って…うわっ…!」
眼鏡の手が服の隙間から侵入し…背骨から腰のラインを怪しく撫ぜ回される。
そのまま両手が尻房の処に回されて、捏ねくり回されれば…何とも妙な疼きを
覚えていった。
「…な、んで…こんな、事…」
「…言っておくが、お前とこういう事をするのは…今回が初めてじゃあないぞ? 今まで
だって何回があった訳だし…な?」
「そ、うなの…?」
その一言を聞いて、克哉の抵抗が少しだけ緩んだ。
お互いの下肢を押し付けあう格好になると…先に眼鏡の方が兆しを見せ始めて
硬く熱を帯びてくるのが…ズボン越しでも伝わって来ている。
相手が間違いなく自分に欲情していると…はっきりと伝わってくると、克哉の方は
耳まで真っ赤にしながら…疑問を口にしていった。
「…じゃあ、その…オレと貴方って…恋人同士、だったの…?」
ぶはっ!!
その発言を聞いた瞬間、眼鏡は思いっきりむせていった。
まさかそんな事を聞かれるとは予想もしていなかったので…こちらも動揺するしか
なかった。
「…さあ、どうだろうな…? お前の想像に任せておく。ただ…俺と何回かセックスをした事が
あるのは…事実だがな…」
どうにか30秒くらいで体制を整えて、嘘じゃない範囲で答えていった。
自分とこいつが恋人同士である訳がない。
外の世界では、不本意にも同じ身体を共有している間柄なのだから。
こいつの…恋人は…。
(…これ以上は考えるのは、止めておくか。つまらない事だ…)
眼鏡が思考を中断させている間、克哉の方は色々とグルグル考えていたらしい。
悩んで、迷って…瞳に困惑の色を滲ませている。
それから…キッと唇を結んでいくと…自分から、眼鏡に口付けていった。
「っ!」
今度は、眼鏡の方が驚かされる番だった。
それは触れる程度のたわいないものであったけれど…向こうの方からされた、という
事が信じられなかった。
「…やっぱり。貴方に触れる度に…少しずつだけど、何かを思い出していく…」
自分から触れてみた時、はっきりとそれを自覚した。
それはどれも大した事がない思い出ばかりだったが…眼鏡の傍にいればいるだけ
近くにいればいるだけ、触れれば触れるだけ…自分の中の知識とか、記憶とかそういう
ものが流れ込んでくる。
例えるならば今の克哉は初期化したばかりのパソコンで、眼鏡の方は外付けのハード
ディスクのようなものなのだ。
克哉の方から記憶が消えていても、衝撃を受けた時に深層意識の中にいた眼鏡の方は
今までの記憶を保持している。
この世界では、近くにいればいるだけ…克哉は色んな事を思い出せる。だから克哉は
彼に嫌われるのが恐い…と本能的に感じていたのだ。
ジワリ、と彼に触れる度に…記憶のカケラが、浮かんでくる。
昨日目覚めたばかりの時は…何も思い出せなくて、不安だった。
けれど…兄と呼んでいるこの人が自分の近くにいる時だけ、何かを思い出すのが
多かった事は昨日から何となくは感じていた。
「…どんな事を思い出しているんだ?」
「…えっと、今は…子供の頃の時の記憶の方が多い、かな…? 幼稚園の頃に…仲の
良かった奴と一緒に遊んでいたりとか、泥だらけになって帰って来て母さんに怒られたりとか
そんな他愛無い事ばかりだけど…んっ!」
ふいに腰骨をやんわりと撫ぜられて、ピクっと身体を震えさせていく。
その度に、頭の中に軽い電流が走って…自分の中の回線が一つ一つ、繋がっていく
感覚がした。
それで…克哉は覚悟を決めた。
この人と恋人であるかどうかなど…今は判らない。
だが、今の自分にとって…彼と一緒にいる事は必要なのだと、本能的に察したのだ。
自分にはどうしても、思い出さなければいけない事がある。
それは目覚めてから、ずっと強く感じていた事なのだから…。
「…兄さん。オレにとって…今は、貴方が…必要、なんです…オレには…どうしても、
思い出さないといけない事が…あるみたい、だから…」
無意識の内に、感じていた。
自分の中に大切な記憶があると。決して忘れたままでいてはいけないものが存在
していると。記憶の断片を思い出して、更にその確信は強まっていった。
「…ほう?」
しかし、克哉の言葉を…どこか興味なさげに眼鏡は相槌を打っていく。
「…だから、離れないで下さい…今、だけは…っ!」
泣きそうな顔を浮かべて…克哉が訴える。
瞳にうっすらと涙を浮かべて…懸命に気持ちを伝える様は…どこか冷淡だった
眼鏡の心境に…変化を齎していった。
克哉の頬にそっと静かに手を伸ばしていくと…相手の頬を撫ぜながら、先程とは違って
少しだけ優しさが篭ったキスを落としていく。
「…そんなにお前が言うなら、傍にいてやるよ…」
面倒だとは思ったが…こうまで言われると、邪険にする気も無くなっていた。
そうして、もう一度だけ…キスを落としていった。
―今度は、克哉も拒む事はなかった。
大切なものを思い出したいと願いながら、強く強く…。
記憶を失くして、不安に満たされている心をどうにか宥めようと…目の前の
温もりに縋り付いてくる。
そんな克哉を、眼鏡は溜息をつきながら…先程とは違う意味合いで、自分の腕の中に
閉じ込めていった―
寝室に辿り着くと同時に、バタンと扉を閉じて…眼鏡は即座にベッドの上に
横たわって不貞寝をする。
いっその事、残りの日数をこうして過ごしてしまおうか…などとかなりネガティブな考えが
頭を過ぎっていく。
「…何とも非生産的な話だな…」
しかし、それでは自分が退屈で死ぬ方が先になるような気がした。
シーツの上を何回か転がって、やりきれなさを逃がそうと足掻いてみる。
深呼吸すれば、ある程度は精神が安定するなんて嘘だと思った。
幾ら深く溜息を突いても、胸の奥にあるイライラは一向に無くなってくれない。
余計に黒い染みのように広がっていくばかりだ。
コンコンコン…
そうしている内に、ドアを三回ノックする音が聞こえた。
誰が来たか何て見なくても判る。
今、この世界には自分達ただ二人しかいないのだから―
『兄さん、入って良い?』
「…断る。今は一人にさせておいてくれ…」
『…オレ、そんなに…怒らせるような事をしたのなら、謝るよ。だから…』
「…謝ってどうにかなると思っているのか? お前が何かしたから怒っているんじゃなくて
お前と一緒にいると、俺は腹が立って仕方が無くなるんだ。
だから暫く一人にさせろ。ある程度落ち着いたら下に戻ってやるから…」
段々取り繕うのも面倒になって、素で接し始める。
こういうやや冷たい物言いをしている方が余程、本来の自分らしく感じられて
やっと少し安心出来た。
…この夢の中で最初に目覚めた頃の佐伯克哉は、Mr・Rが言っていた通り…無垢な
状態になってしまっていた。
ようするに…物言いから何から、かなり子供っぽくて…いつも通りに全然接せられる
雰囲気ではなかったのだ。
一方的に懐かれて、甘えられて…まさにインプリティングとでも言うのだろうか?
Mr・Rに自分が兄だと嘘を吐かれても、一切疑う事無く信じ込んで…こちらに
懐き倒して来たのだ。
一晩寝起きしたら、幾分か精神年齢が上がってまともに会話出来るようになっていたから
ほっとしたが…ようするに眼鏡のイライラは昨日からの積み重ねの結果である。
今はこいつの顔を見たくない、もう限界だ。
それが正直な眼鏡の心境であった。
『やだよ。オレは…兄さんの傍にいたいんだから…』
「子供じゃないんだ。ちゃんとこちらの意見くらいキチンと汲み取れ。落ち着いたら
ちゃんと戻ると言っているんだから…その通りにしろ」
『……………』
扉越しに、やや大きな声を出して言い返すと…暫くの間、沈黙が落ちる。
その静寂を破ったのは…克哉の方だった。
バァン!!
大きな音を立てて扉を開いていく。
その顔は…少し怒っているようであった。
ズカズカとこちらの方に歩み寄ってくると、いきなりベッドシーツに横たわっている
眼鏡の上に乗り上げて、必死の形相で…訴えかける。
「ねえ! そんなに…オレ、兄さんを怒らせる真似をした? それなら何をしたのか
キチンと言ってよ! 一方的に怒られて無視されるような事されるのは…嫌、だよ…!」
(…お前に兄さん、何て言われている事自体が俺の苛立ちの原因なんだが…な…)
実際は自分達は兄弟でも何でもなく、同じ肉体を共有する存在である。
ここは彼の心の世界だから、こうして二人で在れるが…これは言わば、特殊な
状況以外の何物でもない。
…何と言えば良いのか、少し考えている内に…この状況が、何とも珍しい事になっている
事にふと…気づいた。
(…これじゃあ、俺がこいつに組み敷かれているみたいだな…有り得ない話だが…)
「ねえ、兄さん! 何か言ってよ…! 貴方に嫌われたら…オレ…!」
今の克哉には、記憶が一切ない。
何も判らないし、思い出せない状況で…ただ二人きりで過ごしているのだ。
だから眼鏡に頼るしかないし、目の前にいる存在に嫌われたらと思うと恐くなって
とてもじゃないが落ち着いていられないのだ。
「うるさい奴だ…少し黙れ…」
悲痛な表情を浮かべている克哉の顔を見て、ふと…触手が動いた。
相手の腕を強引な力で引き寄せていくと…身を起こして、自分の唇で相手のそれを
塞いで黙らせていく。
いきなりのキスに、今度は克哉の方が驚く番だった。
思ってもみなかった行動を取られて…呆気に取られて、言葉を失っているようだった。
その顔を見て…少しだけ、眼鏡の嗜虐心が満たされていく。
やっと自分のペースを取り戻せたような感じだった。
「…って、兄さん…今の…何…?」
「…ただのキスだが?」
「…兄弟で、そういう事って…するものだっけ…?」
「普通は、しないな」
と、答えながら面倒なのでもう一回唇を塞いでいく。
少なくともこうしている間は…ゴチャゴチャとうるさい事を言わなくなるのなら
押し問答をしているよりはこんな振る舞いをしていた方が何万倍もマシだった。
触れるだけのキスだったが…時間を重ねていく内に幾度か吸い付いていったり
軽く唇の輪郭を舌先で舐め上げたりしてやる。
その間…克哉の方は呆然と、その口付けを受けているだけだ。
唇が離れた頃には…腰や腕の力が抜けたせいか…ガクンと、眼鏡の身体の上に
倒れ込む形になった。
距離があって、兄さん呼ばわりされている内はイマイチ…気が乗らなかったが、
こうやって呆然とした顔で…こちらに密着しているのなら少しは手を出しても良いと
いう気分になった。
「な…に、今の…どうし、て…?」
「お前がゴチャゴチャとうるさいからだ…。気が変わった。…俺を苛立たせた責任は
お前にキチンと取って貰おうじゃないか…なぁ…?」
そうして、愕然とした表情を浮かべている克哉の腰と背中に両腕を回して
自分の方へと引き寄せていく。
その時、この世界に来て初めて…眼鏡はいつも通りの強気な笑みを口元に
浮かべていった―
横たわって不貞寝をする。
いっその事、残りの日数をこうして過ごしてしまおうか…などとかなりネガティブな考えが
頭を過ぎっていく。
「…何とも非生産的な話だな…」
しかし、それでは自分が退屈で死ぬ方が先になるような気がした。
シーツの上を何回か転がって、やりきれなさを逃がそうと足掻いてみる。
深呼吸すれば、ある程度は精神が安定するなんて嘘だと思った。
幾ら深く溜息を突いても、胸の奥にあるイライラは一向に無くなってくれない。
余計に黒い染みのように広がっていくばかりだ。
コンコンコン…
そうしている内に、ドアを三回ノックする音が聞こえた。
誰が来たか何て見なくても判る。
今、この世界には自分達ただ二人しかいないのだから―
『兄さん、入って良い?』
「…断る。今は一人にさせておいてくれ…」
『…オレ、そんなに…怒らせるような事をしたのなら、謝るよ。だから…』
「…謝ってどうにかなると思っているのか? お前が何かしたから怒っているんじゃなくて
お前と一緒にいると、俺は腹が立って仕方が無くなるんだ。
だから暫く一人にさせろ。ある程度落ち着いたら下に戻ってやるから…」
段々取り繕うのも面倒になって、素で接し始める。
こういうやや冷たい物言いをしている方が余程、本来の自分らしく感じられて
やっと少し安心出来た。
…この夢の中で最初に目覚めた頃の佐伯克哉は、Mr・Rが言っていた通り…無垢な
状態になってしまっていた。
ようするに…物言いから何から、かなり子供っぽくて…いつも通りに全然接せられる
雰囲気ではなかったのだ。
一方的に懐かれて、甘えられて…まさにインプリティングとでも言うのだろうか?
Mr・Rに自分が兄だと嘘を吐かれても、一切疑う事無く信じ込んで…こちらに
懐き倒して来たのだ。
一晩寝起きしたら、幾分か精神年齢が上がってまともに会話出来るようになっていたから
ほっとしたが…ようするに眼鏡のイライラは昨日からの積み重ねの結果である。
今はこいつの顔を見たくない、もう限界だ。
それが正直な眼鏡の心境であった。
『やだよ。オレは…兄さんの傍にいたいんだから…』
「子供じゃないんだ。ちゃんとこちらの意見くらいキチンと汲み取れ。落ち着いたら
ちゃんと戻ると言っているんだから…その通りにしろ」
『……………』
扉越しに、やや大きな声を出して言い返すと…暫くの間、沈黙が落ちる。
その静寂を破ったのは…克哉の方だった。
バァン!!
大きな音を立てて扉を開いていく。
その顔は…少し怒っているようであった。
ズカズカとこちらの方に歩み寄ってくると、いきなりベッドシーツに横たわっている
眼鏡の上に乗り上げて、必死の形相で…訴えかける。
「ねえ! そんなに…オレ、兄さんを怒らせる真似をした? それなら何をしたのか
キチンと言ってよ! 一方的に怒られて無視されるような事されるのは…嫌、だよ…!」
(…お前に兄さん、何て言われている事自体が俺の苛立ちの原因なんだが…な…)
実際は自分達は兄弟でも何でもなく、同じ肉体を共有する存在である。
ここは彼の心の世界だから、こうして二人で在れるが…これは言わば、特殊な
状況以外の何物でもない。
…何と言えば良いのか、少し考えている内に…この状況が、何とも珍しい事になっている
事にふと…気づいた。
(…これじゃあ、俺がこいつに組み敷かれているみたいだな…有り得ない話だが…)
「ねえ、兄さん! 何か言ってよ…! 貴方に嫌われたら…オレ…!」
今の克哉には、記憶が一切ない。
何も判らないし、思い出せない状況で…ただ二人きりで過ごしているのだ。
だから眼鏡に頼るしかないし、目の前にいる存在に嫌われたらと思うと恐くなって
とてもじゃないが落ち着いていられないのだ。
「うるさい奴だ…少し黙れ…」
悲痛な表情を浮かべている克哉の顔を見て、ふと…触手が動いた。
相手の腕を強引な力で引き寄せていくと…身を起こして、自分の唇で相手のそれを
塞いで黙らせていく。
いきなりのキスに、今度は克哉の方が驚く番だった。
思ってもみなかった行動を取られて…呆気に取られて、言葉を失っているようだった。
その顔を見て…少しだけ、眼鏡の嗜虐心が満たされていく。
やっと自分のペースを取り戻せたような感じだった。
「…って、兄さん…今の…何…?」
「…ただのキスだが?」
「…兄弟で、そういう事って…するものだっけ…?」
「普通は、しないな」
と、答えながら面倒なのでもう一回唇を塞いでいく。
少なくともこうしている間は…ゴチャゴチャとうるさい事を言わなくなるのなら
押し問答をしているよりはこんな振る舞いをしていた方が何万倍もマシだった。
触れるだけのキスだったが…時間を重ねていく内に幾度か吸い付いていったり
軽く唇の輪郭を舌先で舐め上げたりしてやる。
その間…克哉の方は呆然と、その口付けを受けているだけだ。
唇が離れた頃には…腰や腕の力が抜けたせいか…ガクンと、眼鏡の身体の上に
倒れ込む形になった。
距離があって、兄さん呼ばわりされている内はイマイチ…気が乗らなかったが、
こうやって呆然とした顔で…こちらに密着しているのなら少しは手を出しても良いと
いう気分になった。
「な…に、今の…どうし、て…?」
「お前がゴチャゴチャとうるさいからだ…。気が変わった。…俺を苛立たせた責任は
お前にキチンと取って貰おうじゃないか…なぁ…?」
そうして、愕然とした表情を浮かべている克哉の腰と背中に両腕を回して
自分の方へと引き寄せていく。
その時、この世界に来て初めて…眼鏡はいつも通りの強気な笑みを口元に
浮かべていった―
外から帰って来ると、とりあえず暖かい飲み物を用意してやる事にした。
もう一人の自分と十日間を過ごさないといけないのは…もう変えられない事なので、
少しでも快適に過ごす為に…多少は気遣ってやる事にしたのだ。
室内には暖炉とフカフカのクリーム色の絨毯が敷き詰められているせいか、
かなり暖かかった。
克哉をリビングルームにあるソファの上に座らせると、キッチンから二人分の紅茶を
運んで一先ず手渡してやった。
窓の外には相変わらず、ヒラヒラヒラと粉雪が舞っていた。
「ほら…紅茶だ。熱いから気をつけろよ…」
「ん、ありがとう…兄さん」
…相変わらず、警戒心のカケラもない笑顔でこちらを「兄さん」と呼ぶ克哉に
眼鏡はチリ、とまた苛立ちを覚える。
(…こいつの平和そうな顔を見ているとどうしてもイラつくな…)
今までにこいつを二回ぐらい抱いた事があったが…どちらの時も、こちらが
仕掛けると混乱して、イヤイヤしながら快楽に浸る…というパターンばかり
だったので…こんな風に警戒心もまったくなく、屈託ない笑顔を向けられるのは
初めての経験で…正直、どうすれば良いのか判らない。
同じ、細長いソファの上に腰掛けているが…その距離は若干、遠い。
少し腕を伸ばして引き寄せる事は充分可能な距離だったが…イマイチ、そんな
気になれなかった。
(むしろ…警戒したり、嫌だ嫌だと言ってくれていた方が…よっぽど、抱く気が
起こるな…)
Mr.Rは無視をするのも、優しく扱って大事にするのも…欲望のままに陵辱するのも
自分の自由、と言っていたが…無視はし辛いし、優しく扱うとこちらが非常に居たたまれない
気分になるし…ついでに言うと欲望のままに陵辱するのもイマイチ乗り切れない。
眼鏡の方は正直…二日目で、この状況を持て余し気味だった。
熱い紅茶を火傷しないように飲み進めながら…何度目になるか判らない、深い溜息を
漏らしていく。
少し離れた位置で克哉は…兄と信じ込んでいる相手が入れた紅茶を
大事そうに喉に流し込んでいた。
「…兄さん。凄く浮かない顔をしているけど…平気?」
(…お前のせいなんだが、な…思いっきり…)
よっぽど、直接言ってやろうかと思ったが…寸でのところで飲み込んでいく。
こちらが浮かない顔をしていると…ようやく、犬コロのような人懐こい笑みが消えて
少し困ったような表情に変わっていく。
それでやっと…本来のペースを眼鏡は取り戻せた気がした。
「…この部屋が寒いから、な。それで不機嫌になっているだけだ…気にするな…」
そういって、紅茶を飲み干して…とっとと別の部屋にでも移動しようと思った矢先に
克哉に手首を掴まれた。
唐突な行動に、つい…訝しげな顔になってしまっていた。
「…何だ?」
「兄さん…寒いんだよね?」
「…見れば判るだろう。お前の為に…外まで迎えにいったばかりだしな…」
「…御免。どうしても朝日を見たいって思ってしまったから…迷惑、掛けて御免なさい…」
シュンとうな垂れながらそう言うと同時に、ふいに…克哉は眼鏡の掌をマッサージ始めた。
まさかそんな行動に出るとはまったく予想もしていなかっただけに…眼鏡は
ぎょっとして目を見開いていく。
しかし克哉の動作はまったく止まる様子がない。
はぁ~と熱い吐息を掛けて、こちらの指先を暖め始めていた。
「…っ! ってお前! 何をやっているんだ…!」
「えっ…だって、兄さん…寒いって言っていたし…」
まさか、こんな気恥ずかしい真似をしでかすとは予想もしていなかっただけに
完全に眼鏡はペースを乱されていた。
「…もしかして、嫌だった?」
「…もういい。されているだけで恥ずかしくなるから…止めろ」
ぶっきらぼうにそう言うと…眼鏡は克哉から、少し乱暴に手を離して
今度こそソファから立ち上がって踵を返していく。
決して相手の方を振り返らなかったので…バレる事はなかっただろうが…
眼鏡の耳はほんのりと赤く染まっていた。
(…たかがこれしきの事で、どうしてこの俺が動揺しなければいけないんだ…?)
胸の中に言いようのない苛立ちが更に広がり、憤りへと変わっていく。
自分がペースを握って相手を翻弄するのなら大歓迎だが、相手にこちらのペースを
乱され巻くって動揺させられるなど冗談ではない。
それは断じて、眼鏡にとっては許せない事実だった。
「ほんっきで恨むぞ…あの男…っ!」
こんな状況で、後…九日も過ごす羽目になるなど冗談ではない。
どうにかしてそれを縮められないだろうか真剣に眼鏡は考え始めた。
スリッパを履いてバタバタと音を立てていきながら、一先ず二階の寝室になっている
部屋の方に逃げ込んでいく。
―今は、何も考えずに一人になりたい。
そう思いながら、リビングから躍起になって離れようとしている眼鏡の後を…
極力、足音と気配をさせないように気をつけながら…克哉が追いかけていった―
もう一人の自分と十日間を過ごさないといけないのは…もう変えられない事なので、
少しでも快適に過ごす為に…多少は気遣ってやる事にしたのだ。
室内には暖炉とフカフカのクリーム色の絨毯が敷き詰められているせいか、
かなり暖かかった。
克哉をリビングルームにあるソファの上に座らせると、キッチンから二人分の紅茶を
運んで一先ず手渡してやった。
窓の外には相変わらず、ヒラヒラヒラと粉雪が舞っていた。
「ほら…紅茶だ。熱いから気をつけろよ…」
「ん、ありがとう…兄さん」
…相変わらず、警戒心のカケラもない笑顔でこちらを「兄さん」と呼ぶ克哉に
眼鏡はチリ、とまた苛立ちを覚える。
(…こいつの平和そうな顔を見ているとどうしてもイラつくな…)
今までにこいつを二回ぐらい抱いた事があったが…どちらの時も、こちらが
仕掛けると混乱して、イヤイヤしながら快楽に浸る…というパターンばかり
だったので…こんな風に警戒心もまったくなく、屈託ない笑顔を向けられるのは
初めての経験で…正直、どうすれば良いのか判らない。
同じ、細長いソファの上に腰掛けているが…その距離は若干、遠い。
少し腕を伸ばして引き寄せる事は充分可能な距離だったが…イマイチ、そんな
気になれなかった。
(むしろ…警戒したり、嫌だ嫌だと言ってくれていた方が…よっぽど、抱く気が
起こるな…)
Mr.Rは無視をするのも、優しく扱って大事にするのも…欲望のままに陵辱するのも
自分の自由、と言っていたが…無視はし辛いし、優しく扱うとこちらが非常に居たたまれない
気分になるし…ついでに言うと欲望のままに陵辱するのもイマイチ乗り切れない。
眼鏡の方は正直…二日目で、この状況を持て余し気味だった。
熱い紅茶を火傷しないように飲み進めながら…何度目になるか判らない、深い溜息を
漏らしていく。
少し離れた位置で克哉は…兄と信じ込んでいる相手が入れた紅茶を
大事そうに喉に流し込んでいた。
「…兄さん。凄く浮かない顔をしているけど…平気?」
(…お前のせいなんだが、な…思いっきり…)
よっぽど、直接言ってやろうかと思ったが…寸でのところで飲み込んでいく。
こちらが浮かない顔をしていると…ようやく、犬コロのような人懐こい笑みが消えて
少し困ったような表情に変わっていく。
それでやっと…本来のペースを眼鏡は取り戻せた気がした。
「…この部屋が寒いから、な。それで不機嫌になっているだけだ…気にするな…」
そういって、紅茶を飲み干して…とっとと別の部屋にでも移動しようと思った矢先に
克哉に手首を掴まれた。
唐突な行動に、つい…訝しげな顔になってしまっていた。
「…何だ?」
「兄さん…寒いんだよね?」
「…見れば判るだろう。お前の為に…外まで迎えにいったばかりだしな…」
「…御免。どうしても朝日を見たいって思ってしまったから…迷惑、掛けて御免なさい…」
シュンとうな垂れながらそう言うと同時に、ふいに…克哉は眼鏡の掌をマッサージ始めた。
まさかそんな行動に出るとはまったく予想もしていなかっただけに…眼鏡は
ぎょっとして目を見開いていく。
しかし克哉の動作はまったく止まる様子がない。
はぁ~と熱い吐息を掛けて、こちらの指先を暖め始めていた。
「…っ! ってお前! 何をやっているんだ…!」
「えっ…だって、兄さん…寒いって言っていたし…」
まさか、こんな気恥ずかしい真似をしでかすとは予想もしていなかっただけに
完全に眼鏡はペースを乱されていた。
「…もしかして、嫌だった?」
「…もういい。されているだけで恥ずかしくなるから…止めろ」
ぶっきらぼうにそう言うと…眼鏡は克哉から、少し乱暴に手を離して
今度こそソファから立ち上がって踵を返していく。
決して相手の方を振り返らなかったので…バレる事はなかっただろうが…
眼鏡の耳はほんのりと赤く染まっていた。
(…たかがこれしきの事で、どうしてこの俺が動揺しなければいけないんだ…?)
胸の中に言いようのない苛立ちが更に広がり、憤りへと変わっていく。
自分がペースを握って相手を翻弄するのなら大歓迎だが、相手にこちらのペースを
乱され巻くって動揺させられるなど冗談ではない。
それは断じて、眼鏡にとっては許せない事実だった。
「ほんっきで恨むぞ…あの男…っ!」
こんな状況で、後…九日も過ごす羽目になるなど冗談ではない。
どうにかしてそれを縮められないだろうか真剣に眼鏡は考え始めた。
スリッパを履いてバタバタと音を立てていきながら、一先ず二階の寝室になっている
部屋の方に逃げ込んでいく。
―今は、何も考えずに一人になりたい。
そう思いながら、リビングから躍起になって離れようとしている眼鏡の後を…
極力、足音と気配をさせないように気をつけながら…克哉が追いかけていった―
眼鏡は『あの日』から再び…佐伯克哉の心の中で静かに眠っていた。
しかし…突然、その闇は大きな振動が走り、ひび割れていった。
最初は何が起こったのかと思った。
どれくらいの時間が経過したのかは、はっきりとは判らない。
その激震があってから暫くして…漆黒の闇の中に、黒衣の男が静かに浮かび上がり
ゆっくりと彼の元へと歩み寄った。
「お久しぶりです…お元気でしたか?」
「…俺が元気なように見えるか?」
「えぇ、とても。以前にお逢いした時と変わられないようで…嬉しいですよ」
こちらが不機嫌そうに言い返したにも関わらず、胡散臭そうな笑顔を浮かべてあっさりと
そう言ってくるものだから…正直、毒気を抜かれた。
「…どうして、お前がここにいる? ここは俺たちの領域で…お前がおいそれと入って
来られる場所じゃない筈だが…」
「…えぇ、普通の状態でしたら…私も貴方達のように精神力の強い御方の心に入り込む
事は容易に出来る事ではありません。ですが…今は、大きな綻びが生まれましたからね…」
「…その綻びとは、何の事だ?」
眼鏡は、もう一人の自分が強い意思を持ち始めた頃から…緩やかにその中に
溶け込んで何ヶ月も眠り続けている状態になっていた。
そのせいで…ここ数ヶ月間の外の世界の情報については断片的にしか
判っていない。だから…今はどうなっているのかも悔しいがまったく知らない状況だった。
「…佐伯克哉さんが、大きな事故に巻き込まれて…意識不明の重態になりました…」
「っ! 何だ、と…?」
「…そして、あの人の心の方は…今は仮初の死を迎えている。
貴方がここで目覚めるまでの間…ようするに、貴方達の身体は空虚なものになっていた。
だから…こうして、私が介入する事が出来た訳です…」
「…どうして、俺にそれが判らなかったんだ…?」
同じ身体を共有し、その心の世界に存在していながら…眼鏡はまったく、
今はどうなっているのか判らなかった。
そんな重大な事をよりにもよってこんな怪しい男に告げられて知った事で非常に眼鏡の
プライドは傷つけられていた。だからかなり激しく眉が寄っていた。
それでも…目の前の男は悠然と微笑みながら、言葉を紡いでいく。
「…事故にあった時点で、佐伯克哉さんは…全てをシャットアウトしたからですよ。
あれをご覧になって下さい…」
そうして…長い金髪を揺らしながら、闇の中で…Mr・Rは指し示していく。
その指の先には…ふいに、ふわっと白く輝く何かが浮かび上がり…輪郭を
形作っていった。
音も、しっかりと踏み締める為の大地もない曖昧な世界の床を…男はゆったりした
足取りで進んでいく。
闇の中に浮かび上がったのは…氷か水晶で作られた結晶のようだった。
大きな結晶のその中心には…裸のままの、佐伯克哉が穏やかな顔を
しながら…立ち尽くす形で眠り続けていた。
「…何でこいつは、こんな風になっているんだ…?」
「…どうやら、事故の際に…もう助からない! と死を覚悟したんでしょうね。実際は同乗者の
方の咄嗟の機転で…被害は最小限に抑えられたのですが…。
恐らく…死に行く際に…全てを閉ざし、硬い殻で覆って…貴方と、ご自分の魂だけでも
壊れぬように守ったのでしょうね…」
そう、その水晶のような殻は…己の魂だけでも守ろうと庇った為に生まれた。
水晶のアチコチは大きくひび割れて、断裂していた。
しかし…そのおかげで、眼鏡の方の意識は衝撃を感じた程度で済んで
無事だったのだ。
しかし…突然、その闇は大きな振動が走り、ひび割れていった。
最初は何が起こったのかと思った。
どれくらいの時間が経過したのかは、はっきりとは判らない。
その激震があってから暫くして…漆黒の闇の中に、黒衣の男が静かに浮かび上がり
ゆっくりと彼の元へと歩み寄った。
「お久しぶりです…お元気でしたか?」
「…俺が元気なように見えるか?」
「えぇ、とても。以前にお逢いした時と変わられないようで…嬉しいですよ」
こちらが不機嫌そうに言い返したにも関わらず、胡散臭そうな笑顔を浮かべてあっさりと
そう言ってくるものだから…正直、毒気を抜かれた。
「…どうして、お前がここにいる? ここは俺たちの領域で…お前がおいそれと入って
来られる場所じゃない筈だが…」
「…えぇ、普通の状態でしたら…私も貴方達のように精神力の強い御方の心に入り込む
事は容易に出来る事ではありません。ですが…今は、大きな綻びが生まれましたからね…」
「…その綻びとは、何の事だ?」
眼鏡は、もう一人の自分が強い意思を持ち始めた頃から…緩やかにその中に
溶け込んで何ヶ月も眠り続けている状態になっていた。
そのせいで…ここ数ヶ月間の外の世界の情報については断片的にしか
判っていない。だから…今はどうなっているのかも悔しいがまったく知らない状況だった。
「…佐伯克哉さんが、大きな事故に巻き込まれて…意識不明の重態になりました…」
「っ! 何だ、と…?」
「…そして、あの人の心の方は…今は仮初の死を迎えている。
貴方がここで目覚めるまでの間…ようするに、貴方達の身体は空虚なものになっていた。
だから…こうして、私が介入する事が出来た訳です…」
「…どうして、俺にそれが判らなかったんだ…?」
同じ身体を共有し、その心の世界に存在していながら…眼鏡はまったく、
今はどうなっているのか判らなかった。
そんな重大な事をよりにもよってこんな怪しい男に告げられて知った事で非常に眼鏡の
プライドは傷つけられていた。だからかなり激しく眉が寄っていた。
それでも…目の前の男は悠然と微笑みながら、言葉を紡いでいく。
「…事故にあった時点で、佐伯克哉さんは…全てをシャットアウトしたからですよ。
あれをご覧になって下さい…」
そうして…長い金髪を揺らしながら、闇の中で…Mr・Rは指し示していく。
その指の先には…ふいに、ふわっと白く輝く何かが浮かび上がり…輪郭を
形作っていった。
音も、しっかりと踏み締める為の大地もない曖昧な世界の床を…男はゆったりした
足取りで進んでいく。
闇の中に浮かび上がったのは…氷か水晶で作られた結晶のようだった。
大きな結晶のその中心には…裸のままの、佐伯克哉が穏やかな顔を
しながら…立ち尽くす形で眠り続けていた。
「…何でこいつは、こんな風になっているんだ…?」
「…どうやら、事故の際に…もう助からない! と死を覚悟したんでしょうね。実際は同乗者の
方の咄嗟の機転で…被害は最小限に抑えられたのですが…。
恐らく…死に行く際に…全てを閉ざし、硬い殻で覆って…貴方と、ご自分の魂だけでも
壊れぬように守ったのでしょうね…」
そう、その水晶のような殻は…己の魂だけでも守ろうと庇った為に生まれた。
水晶のアチコチは大きくひび割れて、断裂していた。
しかし…そのおかげで、眼鏡の方の意識は衝撃を感じた程度で済んで
無事だったのだ。
「…どうして、俺ですら知らない事をお前の方が良く判っているんだ…?」
心底、現状と男の説明に苛立ちを覚えながら眼鏡は問いかけていった。
「…簡単ですよ。この人が死に行く寸前の強い願いに…この私が少しだけ力を貸して
叶えて差し上げたのですから。だから…事情に多少は詳しい。それだけの話です…。
肉体が滅んでも、魂だけでも無事ならば…私の力で…私の力が及ぶ領域内だけでも
貴方達を生かせますからね…。どちらの貴方でも、殺すには惜しい素質を持っていますから…
微力ながら、お手伝いさせて貰っただけですよ…」
「…前々から、胡散臭い男だとは思っていたが…そんな事まで出来たのか…お前は…」
非常に非現実的な話ではあるが、この男ならそれくらいやれるだろうぐらいで
眼鏡は流す事にした。そもそも自分達がこうして二つに意識が分かれたキッカケを作ったのも
この謎の男である。こいつには妙な力がある。それだけ承知していれば充分だった。
「…それで、貴方に頼みたい事があります。…この人の心と、身体のリンクが繋がるまで
恐らく後…十日から二週間は掛かるでしょう。その間…ここで二人で過ごしていて貰いたいのです。
今のこの人は、外界から全てを閉ざしてしまったおかげで…心が無垢な、真っ白な状態に
なってしまっています。
その間、半身である貴方が傍にいれば…回復も早まるでしょうからね…」
「…ようするにこいつは、全てを忘れている状況な訳か。それなら…その間、俺がこいつの
代わりに外に出ていれば良いだけじゃないのか…? 何故お前は、そんな面倒な事を
俺に頼むんだ…?」
眼鏡の方は思いっきりやる気なさそうに問い返していった。
「…この人がキチンと目覚めなければ、貴方の意識も表には出れませんよ。
先程…肉体と心のリンク、という単語を出したでしょう?
この水晶で覆われている限りは…外部からの衝撃が無い代わりに、接点も失われる。
まずは…この中から、この人の心を出して安心させない事には…いつまでも貴方たちの
身体は眠り続けるだけでしょう…」
「…それは非常に面倒な事だな」
何とも厄介な事になったもんだ…と、それが正直な眼鏡の感想だった。
「…ここは言わば、貴方達だけの世界です。貴方さえ敵意を抱かなければ…佐伯克哉
という人間にとって、何よりも安全な場所。今のこの人は…一時的にですが、ここに
逃げ込んで己の魂を守っています。それを壊した後…支える事が出来るのは、ようするに
同じ魂から生まれ出でた…貴方以外にはいない。そういう話な訳です…」
「…もし、俺が拒否したらどうなると言うんだ?」
「さあ…? どうでしょうね。貴方が協力して下さるのなら…私の補助も良く効いて
十日から二週間程で目覚める事が出来るでしょうが…ね。私だけの力ではいつの日に
なるのか判りません…とだけお答えしておきましょうか?」
「…ちっ。ようするに…早く目覚めさせたかったら俺はお前に協力するしかないって訳か…。
気に入らんな…」
悠然と微笑むMr.Rと対照的に…眼鏡の表情はかなり浮かなかった。
自分が物事の手綱を引いてリードするのなら良いが、相手に握られてその通りにしなければ
ならないのはかなり癪だった。
「…貴方が非常に飲み込みの早い方で、私の方も助かります。では…協力して下さるのなら
その水晶に…そっと触れてみて下さい…」
「…判った。触れれば良いんだな…」
眼鏡の言葉に、Mr.Rは楽しげに微笑みながら頷いていく。
そうして…自分の傍らに存在している水晶にそっと両手を触れさせていった。
パリィィィィン!!!!
触れた途端、瞬く程の間に水晶はガラスのように儚く砕け散り…その破片がキラキラと
煌きながら周囲に舞い散っていった。
佐伯克哉の身体は、宙に投げ出される形になり…それをとっさに、眼鏡は
抱きかかえていく。
子供のように…無防備な、顔だった。
自分が抱きしめている間に、ふっとMr.Rが彼の耳元で何かを囁いて…そっと
離れていった。
(子供みたいな顔して…スヤスヤと眠っているな…)
そんな感想を抱いた瞬間、突き刺すような寒さが襲い掛かって来た。
一瞬の内に空虚な闇は…一面の銀世界へと変わり、裸だった克哉も…白いセーターと
厚手のズボンという、風景に見合った格好へ変化していった。
「何だこれはっ…?」
「…自らを閉じ込めていた殻が破られた事で…この人の現在の心象風景が…
現れたんですよ。この白い雪は…現在の無垢になった心を。この寒さは…
第三者の介入を拒絶している事を現しています。
目覚めたばかりのこの人は…じきに介入者である、私もじきに弾き出すでしょう。
その間…この夢の中で傍にいる事が出来るのは…同じ深層の海から生まれ出でた
貴方だけとなるでしょう…」
「雪の中に二人きりで…生きていろっていうのか。なかなかのサバイバルだな…」
その言葉の奥には、冗談じゃないという響きが大いに含まれていた。
「あぁ…大丈夫ですよ。これは夢の中…と申したでしょう。ですから…紡がれたばかりの
内ならば…これくらいの事は出来ますから…」
そうして、Mr.Rの長いおさげが風雪と共に吹かれている内に…白い雪の上に
蜃気楼のような揺らめきが生まれ、あっという間に大きな木造のロッジが目の前に
生まれていく。
現実ならば有り得ない光景に…思わず、眼鏡は瞠目してしまった。
「どうですか? なかなか良いロッジでしょう? あぁ…食料や蒔、防寒用具の類も
しっかり完備しておきましたから…住み心地は良い筈ですよ…」
「…随分と便利というか、何でも有なんだな。…俺が望めば、白亜の宮殿か何かでも
作り出す事が出来るのか?」
「えぇ…強く望めば、今の内ならば出来るでしょうが…あ、もう無理ですね。
…佐伯克哉さんが目覚めたようですから…」
「…何?」
自分と黒衣の男が話している内に、腕の中に収めていた克哉が瞼を揺らして
「うぅ…ん…」と短く呻いていた。
「タイムリミットです。私や貴方がこの世界に…他の物を作り出すのはもう
出来ません。彼が目覚めた時点で…ここは彼を中心に、回っていくでしょうからね…
あぁ…さりげなく貴方達の間柄は、双子の兄弟という事にしておきましたのでそのように
振舞って下さいね…」
そのまま…雪が吹き荒ぶと同時に、黒衣の男の輪郭が薄くなり…そのまま
風に乗って…静かに消え行こうとしていた。
禍々しいまでの…綺麗な笑みに、思わず眼鏡はぞっとなる。
そして男は…歌うような口調で、悪魔のような誘惑の言葉を口に上らせていった。
『そろそろ…私は退出の時間のようですね。
今の佐伯克哉さんは無垢で、脆弱な存在です。…ですから、懐柔して…貴方の
思うが侭にする事も、言いくるめて…貴方の方が再び肉体の主導権を握る事も
望めば充分に可能となる事でしょう。
…無視をするのも、優しく扱って大事にするのも…欲望のままに陵辱するのも、貴方の
自由になされば良いと思います。…それは、他の誰にも知りえない…貴方達二人だけの
秘め事となるのですから…ね…』
そうして、完全に男の姿は消え…自分達だけが、白い世界に取り残された。
腕の中の克哉を眺めて…眼鏡は、ふっと…自虐めいた笑みを浮かべた。
「…なるほど、そういう楽しみがあるのなら…このつまらない世界で十日を
過ごすのも…悪くはないな…」
そうして、まだ意識が混濁したままの…もう一人の自分の唇に、熱い舌を
ゆるく這わせていく。
挑発的にその唇を噛んで…軽く吸い上げれば…剣呑な光が、眼鏡の瞳の中に
宿っていた。
その腕の中で…無防備に眠る、無垢な心に戻った魂が眠り続けている。
この閉ざされた世界でただ二人きりで過ごす事でどのような結末が生まれるのかは
まだ誰にも予想がつかない事だった。
愛か、憎しみか。
それとも欲望か、絶望か。
悲しみか、至上の悦びか。
それとも…耐えがたき罪の意識か、懺悔か。
それは全てが終わった後にしか判らない事だろう。
そうして彼らにとっての約束の十日間は幕を開けたのだった―
心底、現状と男の説明に苛立ちを覚えながら眼鏡は問いかけていった。
「…簡単ですよ。この人が死に行く寸前の強い願いに…この私が少しだけ力を貸して
叶えて差し上げたのですから。だから…事情に多少は詳しい。それだけの話です…。
肉体が滅んでも、魂だけでも無事ならば…私の力で…私の力が及ぶ領域内だけでも
貴方達を生かせますからね…。どちらの貴方でも、殺すには惜しい素質を持っていますから…
微力ながら、お手伝いさせて貰っただけですよ…」
「…前々から、胡散臭い男だとは思っていたが…そんな事まで出来たのか…お前は…」
非常に非現実的な話ではあるが、この男ならそれくらいやれるだろうぐらいで
眼鏡は流す事にした。そもそも自分達がこうして二つに意識が分かれたキッカケを作ったのも
この謎の男である。こいつには妙な力がある。それだけ承知していれば充分だった。
「…それで、貴方に頼みたい事があります。…この人の心と、身体のリンクが繋がるまで
恐らく後…十日から二週間は掛かるでしょう。その間…ここで二人で過ごしていて貰いたいのです。
今のこの人は、外界から全てを閉ざしてしまったおかげで…心が無垢な、真っ白な状態に
なってしまっています。
その間、半身である貴方が傍にいれば…回復も早まるでしょうからね…」
「…ようするにこいつは、全てを忘れている状況な訳か。それなら…その間、俺がこいつの
代わりに外に出ていれば良いだけじゃないのか…? 何故お前は、そんな面倒な事を
俺に頼むんだ…?」
眼鏡の方は思いっきりやる気なさそうに問い返していった。
「…この人がキチンと目覚めなければ、貴方の意識も表には出れませんよ。
先程…肉体と心のリンク、という単語を出したでしょう?
この水晶で覆われている限りは…外部からの衝撃が無い代わりに、接点も失われる。
まずは…この中から、この人の心を出して安心させない事には…いつまでも貴方たちの
身体は眠り続けるだけでしょう…」
「…それは非常に面倒な事だな」
何とも厄介な事になったもんだ…と、それが正直な眼鏡の感想だった。
「…ここは言わば、貴方達だけの世界です。貴方さえ敵意を抱かなければ…佐伯克哉
という人間にとって、何よりも安全な場所。今のこの人は…一時的にですが、ここに
逃げ込んで己の魂を守っています。それを壊した後…支える事が出来るのは、ようするに
同じ魂から生まれ出でた…貴方以外にはいない。そういう話な訳です…」
「…もし、俺が拒否したらどうなると言うんだ?」
「さあ…? どうでしょうね。貴方が協力して下さるのなら…私の補助も良く効いて
十日から二週間程で目覚める事が出来るでしょうが…ね。私だけの力ではいつの日に
なるのか判りません…とだけお答えしておきましょうか?」
「…ちっ。ようするに…早く目覚めさせたかったら俺はお前に協力するしかないって訳か…。
気に入らんな…」
悠然と微笑むMr.Rと対照的に…眼鏡の表情はかなり浮かなかった。
自分が物事の手綱を引いてリードするのなら良いが、相手に握られてその通りにしなければ
ならないのはかなり癪だった。
「…貴方が非常に飲み込みの早い方で、私の方も助かります。では…協力して下さるのなら
その水晶に…そっと触れてみて下さい…」
「…判った。触れれば良いんだな…」
眼鏡の言葉に、Mr.Rは楽しげに微笑みながら頷いていく。
そうして…自分の傍らに存在している水晶にそっと両手を触れさせていった。
パリィィィィン!!!!
触れた途端、瞬く程の間に水晶はガラスのように儚く砕け散り…その破片がキラキラと
煌きながら周囲に舞い散っていった。
佐伯克哉の身体は、宙に投げ出される形になり…それをとっさに、眼鏡は
抱きかかえていく。
子供のように…無防備な、顔だった。
自分が抱きしめている間に、ふっとMr.Rが彼の耳元で何かを囁いて…そっと
離れていった。
(子供みたいな顔して…スヤスヤと眠っているな…)
そんな感想を抱いた瞬間、突き刺すような寒さが襲い掛かって来た。
一瞬の内に空虚な闇は…一面の銀世界へと変わり、裸だった克哉も…白いセーターと
厚手のズボンという、風景に見合った格好へ変化していった。
「何だこれはっ…?」
「…自らを閉じ込めていた殻が破られた事で…この人の現在の心象風景が…
現れたんですよ。この白い雪は…現在の無垢になった心を。この寒さは…
第三者の介入を拒絶している事を現しています。
目覚めたばかりのこの人は…じきに介入者である、私もじきに弾き出すでしょう。
その間…この夢の中で傍にいる事が出来るのは…同じ深層の海から生まれ出でた
貴方だけとなるでしょう…」
「雪の中に二人きりで…生きていろっていうのか。なかなかのサバイバルだな…」
その言葉の奥には、冗談じゃないという響きが大いに含まれていた。
「あぁ…大丈夫ですよ。これは夢の中…と申したでしょう。ですから…紡がれたばかりの
内ならば…これくらいの事は出来ますから…」
そうして、Mr.Rの長いおさげが風雪と共に吹かれている内に…白い雪の上に
蜃気楼のような揺らめきが生まれ、あっという間に大きな木造のロッジが目の前に
生まれていく。
現実ならば有り得ない光景に…思わず、眼鏡は瞠目してしまった。
「どうですか? なかなか良いロッジでしょう? あぁ…食料や蒔、防寒用具の類も
しっかり完備しておきましたから…住み心地は良い筈ですよ…」
「…随分と便利というか、何でも有なんだな。…俺が望めば、白亜の宮殿か何かでも
作り出す事が出来るのか?」
「えぇ…強く望めば、今の内ならば出来るでしょうが…あ、もう無理ですね。
…佐伯克哉さんが目覚めたようですから…」
「…何?」
自分と黒衣の男が話している内に、腕の中に収めていた克哉が瞼を揺らして
「うぅ…ん…」と短く呻いていた。
「タイムリミットです。私や貴方がこの世界に…他の物を作り出すのはもう
出来ません。彼が目覚めた時点で…ここは彼を中心に、回っていくでしょうからね…
あぁ…さりげなく貴方達の間柄は、双子の兄弟という事にしておきましたのでそのように
振舞って下さいね…」
そのまま…雪が吹き荒ぶと同時に、黒衣の男の輪郭が薄くなり…そのまま
風に乗って…静かに消え行こうとしていた。
禍々しいまでの…綺麗な笑みに、思わず眼鏡はぞっとなる。
そして男は…歌うような口調で、悪魔のような誘惑の言葉を口に上らせていった。
『そろそろ…私は退出の時間のようですね。
今の佐伯克哉さんは無垢で、脆弱な存在です。…ですから、懐柔して…貴方の
思うが侭にする事も、言いくるめて…貴方の方が再び肉体の主導権を握る事も
望めば充分に可能となる事でしょう。
…無視をするのも、優しく扱って大事にするのも…欲望のままに陵辱するのも、貴方の
自由になされば良いと思います。…それは、他の誰にも知りえない…貴方達二人だけの
秘め事となるのですから…ね…』
そうして、完全に男の姿は消え…自分達だけが、白い世界に取り残された。
腕の中の克哉を眺めて…眼鏡は、ふっと…自虐めいた笑みを浮かべた。
「…なるほど、そういう楽しみがあるのなら…このつまらない世界で十日を
過ごすのも…悪くはないな…」
そうして、まだ意識が混濁したままの…もう一人の自分の唇に、熱い舌を
ゆるく這わせていく。
挑発的にその唇を噛んで…軽く吸い上げれば…剣呑な光が、眼鏡の瞳の中に
宿っていた。
その腕の中で…無防備に眠る、無垢な心に戻った魂が眠り続けている。
この閉ざされた世界でただ二人きりで過ごす事でどのような結末が生まれるのかは
まだ誰にも予想がつかない事だった。
愛か、憎しみか。
それとも欲望か、絶望か。
悲しみか、至上の悦びか。
それとも…耐えがたき罪の意識か、懺悔か。
それは全てが終わった後にしか判らない事だろう。
そうして彼らにとっての約束の十日間は幕を開けたのだった―
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プロフィール
HN:
香坂
性別:
女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
鬼畜眼鏡にハマり込みました。
当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)
当ブログサイトへのリンク方法
URL=http://yukio0201.blog.shinobi.jp/
リンクは同ジャンルの方はフリーです。気軽に切り貼りどうぞ。
…一言報告して貰えると凄く嬉しいです。
当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)
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