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鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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  ―あの桜の夜の記憶が蘇り、眼鏡は苦い想いが広がっていくのを
感じていった。

 確かに太一と克哉の関係は、ある日を境に歪んだものへと
変わってしまった。
 けれど…克哉の命が危険に晒された時、我が身を盾にしてでも
庇うだけの強い愛情を抱いていたのも確かで。

(厄介だな…)

 どうして、あの男はこんな感情を自分が抱いてしまった事を
見抜いて、残酷な現実を突きつけるような真似をするのだろう。
 何故、自分は…こんな感情を『オレ』に抱くようになったのか。
 最初は深入りをしないように気をつけていた。
 いずれ、危険が去ったら…こいつは、太一の元に戻すのだからと。
 もう一人の自分が死ねば、自分もこの世界に存在する拠所を
失ってしまうから。
 自分がこいつの面倒を見て、守るのはそれだけが理由だと…
必死に思うように努めていた。

 四肢に刻まれた黒い痕。
 それはこの一年、克哉を手中に収め続けた太一の独占欲の証だ。
 いつから…自分は、思うようになったのか…?
 そんな疑問を抱いた瞬間、再び世界は暗転していく。

 最後の夢の記憶は、眼鏡の中にこの厄介な想いが宿ってしまった日の
出来事だった。
 最初の頃は、半狂乱になって…Mr.Rが用意した薬も飲食物の類も
意識がない癖に暴れ続けて、受け付けなかったので手を焼き続けた。
 面倒看ている眼鏡の方が生傷が耐えなくなり、もうこんな奴なんて知るか! と
放り出したくなった事は数え切れないくらいだった。

 当然、最初はイライラムカムカしている事が多く…だからといって太一に
帰すと約束しているものに手をつける気もサラサラなかった。
 そんな真似をしたらややこしい事になるのは目に見えているし…肉が極端に
落ちた克哉の身体は、眼鏡にとっては魅力的には映らなかったからだ。
 だからその時期は…止むを得ず、口移しで薬や食事、水分の類を少しずつ
与えはしていたが…抱くことはなかった。
 意識のない相手を抱いたってつまらないと判りきっていたからだ。

 ただ…その時期から射撃訓練は始めていた。
 太一の父親の手の人間が再び放たれた場合、意識のない克哉を守る
必要性はあったからだ。
 応戦できなければ克哉は殺される。そして彼が死ねば自分も消える。
 だから最初は、自分の為に訓練も始めた。
 威嚇の為に放った一発が、予想外の事態を招いた苦い経験もまた…
彼に真剣に訓練に打ち込ませる大きな動機になっていた。
 
―故意ではなかったといえ、偶然とはいえ…不用意に放った一発で彼は銃で人を殺めた。
それは事実だったからだ。

 二週間に渡る訓練と、介護の日々。
 一人の意識がない人間の面倒というのは、綺麗ごとでは済まされない。
 特に克哉と自分は同体格とはいえ、かなり長身の部類に入るのだ。
 最初の頃は体力が何度限界を迎えたか判りはしない。
 だが…少しずつ克哉の抵抗が収まって、こちらが与える度に大人しく飲み込んで
くれるようになった辺りから、不覚にも自分は愛着を覚え始めてしまった。
 
(どうして…俺はこいつの面倒など、看ているんだろう…?)

 それは月が綺麗な夜だったことを覚えている。
 一日の仕事をどうにか終えて…ベッドの上で眠っている克哉の姿を見下ろしている
時、しみじみとそんな事を考えていた。
 ベッドサイドに腰を掛けながら、ぼんやりとそんな事を考えて…相手の方へと
振り返るような体制でその寝顔を眺めていた。

―その時、何かを探るようにもう一人の自分の手が蠢き…こちらの手を
キュッと握り締めてきたのだ。

 最初は、何が起こったのかびっくりした。
 もう一人の自分がこんな風に…意識を失った状態でこちらの手を
握ってきたことなど初めての事だったから…

「お、水…」

 掠れた、消え入りそうな声で…克哉が呟いていった。

「あぁ…そうか。そういえば…今日は昼からこいつに…飲み物の類は与えて
いなかったな…」

 そろそろ、こちらも疲労のピークに達していたので…そういえば夕食に流動食と
スープは与えたが…純粋な水分は確かに普段より与えていなかった気がした。
 恐らく、極限まで喉が渇いたからこその…無意識の行動だったのだろう。
 けれど…縋るように握られたその指の力は弱々しくて、却って乱暴に振りほどく
には躊躇いが出るほどであった。

「喉、痛い…」

 無意識の言葉。
 弱々しく、儚い声で必死になって…こちらに呼びかけてくる。
 それが却って、こちらの庇護欲を刺激したのかもしれない。
 自分のような人間に、そんなものがあったのか…眼鏡は少し驚いたが。

「…仕方ないな。今、冷たい水を持ってきてやる…」

 そうして、一旦ベッドの上から立ち上がると…キッチンから、程好い温度に冷やされた
水を一杯持ってきてやった。
 そうして再び傍らに腰を掛けて、グイと煽っていくと…いつものように口移しで
ゆっくりと慎重に与えていってやった。
 最初の頃はスプーンやスポイトで与えたりもしていたが、まどろっこしくなったので
両腕を押さえつけながら強引に嚥下させる口移しをメインにやるようになった訳だが。

コクン…。

 今夜は、彼自身が水を欲していたのでいつになく大人しく…こちらが
与えた水を飲み込んでいった。

「ん…」

「最近は大人しく、飲みようになったな…旨いか?」

 返事が戻って来ることはないと承知の上で…つい、そんな事を尋ねながら
そっと髪を梳いていってやる。
 …こうやって毎回、大人しく飲んでくれるならば可愛げがあるものを…。
 そんな事を思いながら溜息交じりに…こいつの頭を撫ぜていってやると…。

「…っ!」

 不意打ちを、食らった。
 いきなり…ひどく安心したような表情をこいつが浮かべたからだ。
 微かに微笑んでいるような、安堵しきっているような顔だった。
 面倒を見るようになって…こんな顔をコイツを浮かべたのは本当にこの夜が
初めての事で…信じられないようなものを見るような眼差しで、眼鏡はその
寝顔を眺めていった。

―コイツが、俺の前でこんな顔を浮かべるなんて…初めて、だな…

 それは不覚にも…相手からやっと気を許してもらったような、そんな
気分になって悪くなかった。
 いや…むしろ、可愛いとすら思い始めて来ていた。

 更に相手の髪を梳いていってやる。
 それでも、安心しきったように克哉は眠り続けていた。
 その度にジンワリと…胸に暖かなものが広がっていくような気になった。

 そう…恐らく、克哉に好意を抱くようになったのは…この夜からだ。
 初めて、大人しくこちらが与えた水を飲んで…警戒心を解いてくれた。
 その様子を見た時に…眼鏡の心は引き寄せられてしまった。
 知らない内に、顔を寄せてしまっていた。

―やめろ、面倒な事になるぞ…

 理性の声が、頭の中で響き渡る。
 けれど、もう止める事は出来なかった。
 散々、口移しはしてきた。
 けれどそれは克哉に水や食事を与える為の人工呼吸や人命救助の
延長戦にある行為でしかなかった。

 けれど…この日、この口付けだけは違った。
 彼の意思で、ゆっくりと…その唇を寄せて、淡く重ねていく。
 まるで…麻薬のように、ジイン…と甘い快楽がそこから広がっていった。

(甘いな…)

 もっと味わってみたくなって、唇を舐め上げていく。
 …気持ちよかった。
 自覚した時、かなり悔しくなるくらいに…可愛いと思ってから、克哉に
口付けて…快楽を自分は感じてしまっていた。

―この夜から、変わってしまった。

 帰したくないと。
 出来るならこの日々が続いて欲しいと、そんな事をいつしか
望むようになってしまった。
 袋小路のような想い。
 救いはきっと、この先進んでも存在しないだろう。
 けれどこの記憶を想いだした時、彼は自覚するしかなかった。

 ―自分は、もう一人の『オレ』
 佐伯克哉に想いを寄せてしまっている事に―
 
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 ―果たしてそれはどんな運命の悪戯であったのか。

 彼の弾は、誰も傷つけない筈だった。
 周囲には、甘い香りが充満し始めていた。
 そう、眼鏡がこんな派手な立ち振る舞いをしたのは…全ては時間稼ぎの為だった。

 克哉の命が狙われている。
 それは太一の父親が指示している。
 この二点を告げないまま、克哉を浚うような真似をすれば…太一は死ぬ物狂いに
なってもう一人の自分を探すだろう。
 だから、事実を促した上で…あくまで避難という名目を伝えて警告していき、
挑発して…Mr.Rが焚いたその場の人間を痺れさせる香の効力が出るまでの
間…彼は無駄に、太一と会話を続けていた。
 眼鏡は中和剤を飲んでいるから、香の効力が出てからも自由に動ける。
 それから悠々ともう一人の自分をこの屋敷から連れ去る…筈だった。

―だが、目の前の光景は…彼らが立てた計画の全てを打ち砕いてしまっていた。

 銃弾が響き渡ると同時に、鮮やかに赤い花が周囲に飛び散っていく。
 それは舞い散る桜の花びらではない。
 人の身体から溢れ出る、血飛沫だった。
 たった今放たれた銃弾は、命中した人間の動脈を深く傷つけて…勢い良く血を
迸らせていく。
 嗚呼、淡い桜の花弁と…その鮮やかな赤は、闇の中で酷く映えていた。
 おぞましいくらいに美しい、もう一人の鮮やかな華。

 その場にいた人間は、絶叫すら上げることも出来ずに…その光景を魅入られたように
見守る事しか出来なかった。
 最初に悲鳴を上げたのは…この一ヶ月ばかり、人形のように何の感情も表さなく
なっていた克哉だった。

―うわぁぁぁぁぁぁ!!!

 長らく意識を閉ざしていた彼が、絶叫を挙げていく。
 それくらい、今…目の前で起こった出来事は彼に衝撃を与えたのだ。
 身体全体を大きく震わせながら、彼は不自由な身体を必死に…今、打たれたばかりの
人物に向かって延ばしていく。

―あ、ああぁ…うっ…あぁ…。

 あまりのショックに、言葉になっていなかった。
 ただ、壊れた機械のように単語になっていない声を喉の奥から漏らしていく。
 本当なら、彼の名を呼びかけたかったのだろう。
 だが…長らく意識を閉ざしていた彼には、そんな事すら侭成らなくなってしまっている。

―若っ!! しっかりしてくだせぇ!

 克哉が叫ぶのと同時に周りにいた人間の呪縛もようやく解けていった。
 そう…今、銃弾を受けたのは…狙われていた克哉ではない。
 反射的に彼を救おうと、克哉の前に立ちふさがった太一の方だった。
 至近距離で打たれたせいか、銃弾は彼の左胸と鎖骨の間くらいの位置を貫通して
大量の出血を溢れさせていた。
 心臓は辛うじて避けていたが、動脈は傷つけてしまっていた。
 だから…今も物凄い勢いで、彼の命の証である血液は流れ続けている。
 あまりの予想外の出来事に、眼鏡は…立ち竦むことしか出来なかった。

―知らぬ間に、形勢は逆転していた。

 太一は荒い呼吸を吐いて、ゼーゼーと苦しそうな呼吸を繰り返していた。
 青年の身体に、耐え難い激痛が襲い掛かる。
 皮肉にもそのおかげで、彼は意識を辛うじて保っていられた。
 目が霞んで、苦しくて…痛くて、全身から脂汗すらじっとりと浮かんでいく。
 だが、彼は…最後の気力を振り絞って眼鏡を睨みつけて…こう叫んでいった。

―あんたに一時、預けておく…だが、絶対に片付いたら克哉さんを
返して貰うからなっ! 絶対に忘れるなよっ…!

 今の彼は、そうとしか言えなかった。
 この男が言っていた話が事実だったと…今、この身を持って彼は
知ったばかりだからだ。
 本当に自分の父親がその依頼をしたかどうかまでは…現段階では判らない。
 けれど一つだけはっきりしているのは、克哉の命が狙われているのは事実だと
彼は認めた。
 だから、苦渋の選択で…彼は克哉を手放す決意をした。

―俺は、死なない! この傷が癒えたら…克哉さんを絶対にあんたの元から
連れ戻させて貰う! それまでには…この人の命を狙う奴の全てを一掃してやるっ!
 だから覚えておけ! …預けるだけ、だ! その人は渡さない! 絶対に…!
 あんたが一時避難だと言ったから、任せるだけだ…!

―もうしゃべらないで下さい! 若、傷に触ります!

―野郎共! 早く病院の手配をせんかっ! 一刻を争うぞぉ!!

 眼鏡は鬼気迫る様子で、全力を振り絞ってこちらに訴えかけてくる太一の
形相から目を逸らせなかった。

(何でこいつは…そこまで、コイツに執着するんだ…?)

 もう人形のようになって、自分の意思で動きもしないのに。
 飲食すらも拒んで、自らを死においやるような真似をし続ける奴に…どうして
この男は我が身を差し出してでも庇い、絶対に取り戻すと…こちらに啖呵を
切り続けるのだろうか。

―克哉、さん…克哉、さん…!

―あぁ…ぅ…あっ…!

 克哉は、泣きながら…満足に動かない指先を必死になって…血まみれになっている
太一に延ばしていく。

―俺、死なないからね…待って、て…がっはっ…!

 克哉の指先にようやく、手を伸ばして握り込んでいくと同時に彼は微笑み…
その瞬間、再び口から大量の鮮血を吐いていく。
 壮絶な光景だった。
 だが…其処に確かに克哉に対しての強い想いが存在していた。

 皮肉な話だった。
 克哉はもう二度と見れないと諦めて、絶望に陥って…自らを閉ざしてしまった。
 だが…そのかつての彼とまったく同じ微笑みを、こんな…克哉を庇って自らの
命を危険に晒したその時に…一年ぶりに見れたのだから。

―た、いちっ…! やだっ…! 死んじゃ…いやだぁぁぁ!!

 初めて、克哉は…閉ざしてからまともな言葉を紡いでいった。

―いやだぁぁぁ!!

 克哉は半狂乱になっていた。
 そんな彼を安心させるように…太一は優しく、笑っていく。
 それが余計に…この場の悲壮感を濃厚にしていた。
 克哉が暴れて、必死になって太一に縋りついていく。
 だが…そんな真似をすれば、他の人間は太一に近づけなくなってしまう。
 彼は一刻を争う重傷を負っている。
 眼鏡は…これ以上、迷っている暇はないと思った。

『ちっ…いい加減にしろっ! 泣き叫んで現状の何が変わる! 邪魔をするだけなら…
大人しく黙っていろっ!』

 二人の元に駆け寄ると、ジタバタとみっともなくもがくもう一人の自分を無理矢理
太一の身体から引き剥がし、みぞおちに拳を入れていく。
 綺麗にその拳が、胸の肋骨の下部のくぼみの部分にめり込んでいく。

―はっ…うっ…!

 短く呻くと同時に、克哉は意識を失った。
 ぐったりと彼の腕に凭れ掛かるその身体の軽さに驚いていく。
 自分と克哉は、ほぼ同じ体格の筈だからこそ、その落差に彼は再び愕然とする。

―仕方ねぇ! 早く救急車を呼べぇ! このままじゃ…若がっ! 若がっ!

 周辺は、相変わらず騒然としていた。
 誰も今は、眼鏡と克哉の事など構う余裕はなかった。
 ただ…大量の血を流しながら瀕死の状態に陥っている太一を助けることだけに
五十嵐組の面々の意識は向けられていた。
 どうやら突然のアクシデントによって、途中まで撒かれていた痺れさせる効果の
ある香は中断されていたようだった。
 その場にいる人間の誰もが、普通に行動し…太一を救おうと、各自必死に
なって屋敷中を駈けずり廻っていた。

 逃げ出すには絶好のタイミング。
 だが其処から立ち去るのは…酷い罪悪感が伴った。

―何を立ち尽くされておられるのです? 今こそ…もう一人の貴方を連れて
逃げ出す絶好の機会でしょう? 私の方は…今、この屋敷の裏門の外へと
黒い車に乗って待機しています。そこまで、いらっしゃって下さい…

 いきなり、Mr.Rの声が頭の中に響き渡っていく。

 太一の血飛沫をまともに受けて、血まみれのもう一人の自分。
 これを連れて歩いて逃走するのは、確かに問題があった。

『ちっ…もう、迷っている暇はない…!』

 たった今、起こった出来事に頭はまったくついていけてなかった。
 しかし彼は思考を切り替えて、もう一人の自分と肩を組んでその場からの
離脱を計っていった。

 計画は大幅に狂いまくって、とんでもない方向へと突き進んでしまった。
 だがもう…歯車は動き始めてしまったのだ。
 どれだけ、こんな筈ではなかった! と嘆いたとしても起こった事はもう
変える事は出来ない。
 それなら…その時出来る精一杯の事をするしかないのだから…!

『行くぞ…オレ!』

 そう声を掛けて、二人は百花繚乱な庭園を後にしていく。
 そうして、太一から…もう一人の自分を奪還するという計画は予想外の
形で終結していった。

 ―その夜から、五十嵐太一は…半月ばかり、死線を彷徨い続けたのだった―

  たった今、眼鏡から聞かされた内容を太一は認めたくなかった。
  だが…真偽がはっきりしない状況でも、自分の父親が…克哉を
殺そうとしている。
 どれだけ裏の世界を身近に見て育ってきたとしても…太一はまだ22歳と
いう若さの青年でしかない。
 唇を大きく震わせながらも必死に平静を取り繕おうとしていた。

―あんたさぁ、デタラメを言うのも大概にしろよ…! どうして親父が、
克哉さんを殺すなんて…そんな事が…。

『お前の父親は、音楽を愛して…必死になってヤクザという家業から
逃れて夢を追いかけていたバカ息子を応援していたんだ。
 だが、こいつの人生を独占する為に夢を捨てて…五十嵐の家を
継ぐ事を選択したお前を見ていられなくなったんじゃないのか?
 事実…今のお前の事を、人が変わってしまった…と評する配下も
随分いる事だしな。…知っているか?

 お前がコイツを恥ずかしがらせる為に、部下に見せ付けるような
セックスを散々してきたおかげで…今のお前の評価というのは
ボロクソになっているという事をな。
 親の立場としては…息子の評価をどん底にまで下げた元凶を
排除したくなるのは極めて自然な感情ではないのか…?』

 今、眼鏡が言った内容は事実…だった。
 事実、この一年…彼は家業を継ぐと決めてから克哉を監禁し続けて
嗜虐的なセックスをこの本家の家の中で飽く事なく繰り返していた。
 最初の頃は、克哉が恥ずかしがって激しく啼く姿が可愛くて…もっと
見たくなって、自分の部下にその現場を立ち合わせて散々犯すような
真似を繰り返していた。

―何で、あんたが…そんな事まで、知っているんだよ…!

『俺とそいつは、同一存在だからな。ある程度はこの一年間…
お前が『オレ』にどんな行為をしてきたかは知っているさ。
 …まあそういう訳でな、お前が周りの人間の目や面子、立場を
考えずに跡取りという身分を乱用して…好き放題してきた結果、こいつは
命を狙われることになった。だから一時的に…避難させて貰うだけだ。
 …今のお前に、こいつを手元に留めておく権利はない。

 いつまで…俺が犯して、お前を傷つけた。その事に引け目を持っているこいつの
罪悪感に付け入って、『オレ』の人生を全てを奪い続けているんだ…?
 たった一度犯した罪の為に、お前は…こいつの持っている全てを奪って…
閉じ込めて。そこまでする権利が…お前に果たしてあるのか?』

―…っ!!

 その事を指摘された時、太一は何も言い返せなかった。
 それは…彼がずっと目を瞑り続けていたことだったからだ。
 あの一件で、彼は確かに深く傷ついた。
 克哉を愛していたから、大好きだったから…だからあんな事をされたのが
本当に辛くて、憎くて…ショックで、当時はグチャグチャだった。
 けれど…同じ事を克哉にする。そういう回答を得た時、彼は一時の救いを
見出せた気がした。
 だから…彼は克哉を監禁して、欲望のままに犯し続けた。
 彼が泣き叫ぼうとも、嫌だと懇願しようとも…容赦しなかった。
 
―あんたが、俺を傷つけたんだろ…? だから償ってよ。克哉さん…

 けれどその言葉を繰り返す度に、大人しくなった。
 それが克哉を逃がさない為の魔法の言葉だと思った。
 だから繰り返し繰り返し、言い続けた。
 …自分は克哉を離すつもりなどなかったから。
 彼を自らの手元に留める為なら、卑怯者になろうとも構わなかったのだ。
 いつしか…克哉は逃げようとする意思も、抵抗も見せなくなった。
 それを見て…やっと克哉を手に入れられたと思った。
 だが…克哉は気づけば、少しずつ飲食をしなくなっていった。
 気づいた時にはすでに遅く…今では彼は、ここ一ヶ月は点滴をする事で
命を繋いでいる有様だった。

『どうした…図星を突かれて苦しいか? だが…それが事実だ。
お前がやっている事は子供の我侭と一緒だ。相手に罪悪感を抱かせて
それで無理難題を突きつけて操作しようと言う…な。
 そんな真似をしているから、こいつは自分の意思を殺す事を選択した。
 …そして、お前の父もそんなお前の目を覚ます為に…こいつを殺すという
選択肢を選ぼうとしている。それでも…お前はこいつを、手放さないと…
そんな我侭を言うのか…っ?』

 眼鏡の口調は、荒げたものだった。
 これだけ内容が容赦なく、きついものになっているのは…彼は、太一の中に
自分と同じようなものを見ているからだ。
 人間は…誰かを強烈に嫌悪する時、その人間の中に己の中の見たくない一面を
見出している場合が多い。
 それは投影と呼ばれる心理現象だ。
 眼鏡の中にも、恐らく太一が今やっているような真似をしでかしかねない…暗い
欲望が心の其処に潜んでいる。
 だから言う、容赦ない現実を…真実を。

―黙れっ! それ以上言うのなら…俺はあんたに対して容赦しない…!

 本気の憤りを瞳に宿しながら、太一は…藍色の絣の着物の懐から長ドスを
取り出してその鞘を抜いていく。
 その視線には本気の殺意が篭っていた。

『ほう…本気で聞き分けのない子供のようだな。お前は…。事実を直視
したくない余りに刃物まで取り出すとは…身体の成りは大きくても、まったく…
精神的には成長していないみたいだな…』

―ふざけるなぁぁぁ!!

 今まで、決して渡すまいと片腕で抱えていた克哉を放り出して…太一は
鞘を放り投げて、ベレッタM92の銃口を突きつけている眼鏡に向かって
突進していった。
 
 彼が言った発言の殆どは、決して見ないようにしていた彼の弱さを
そのまま突きつけている内容ばかりだった。
 だからこそ、許せなかった。頭に血が昇ってしまっていた。

『坊ちゃん! 冷静になって下さいっ! そんな野郎の挑発に乗っちゃ
あきませんっ!』

 配下の誰かが、どこかの県の訛りが色濃く残っている口調で嗜める
言葉を吐いていく。
 だがそんな忠告すらも、今の太一には耳に届かなかった。
 
 太一は本気で、眼鏡を殺そうと襲い掛かってくる。
 その勢いに押されて、彼は…脅す以上に使う予定のなかった
拳銃のトリガーをついに、引いてしまった。
 咄嗟に、照準を合わせそうになったが…辛うじて、致命傷にならない
方角に逸らして一発…眼鏡は放ってしまった。

―うぁぁぁぁぁ!!!

 一発目が放たれると同時に、迸る絶叫。
 スレスレになるように逸らした筈の弾が、誰かに命中したのだ。
 その苦悶の叫び声に…誰もが騒然となった。
 何故なら、その弾は…その場に立っていた人間の誰にも当たらず
桜の花と葉の間に…消えた筈の一発だったからだ。

 そう、偶然だった。
 威嚇の為に太一の肩口のスレスレになるように放った一発は…克哉を
殺そうと潜んでいたスナイパーに偶然、命中してしまったのだ。
 誰も其処に人が潜んでいる事など判らないくらいに巧妙に隠れていた刺客に
何の運命の悪戯か、眼鏡が放った流れ弾が命中してしまったのだ。

―な、何が…起こった、んだ…?

 たった今、至近距離で銃弾を放たれて…断末魔の叫びに近いものを
聞かされた太一は、目を大きく見開いたまま呆然としていた。
 次の瞬間、桜の木の下から…一人の黒い影が落下していく。
 闇に紛れ込むように、全身黒いボディスーツに身を包んだ男は
口元から血を吐きながらも、ヨロヨロとどうにか立ち上がっていった。
 …流れ弾は運悪く、致命傷を男に与えていたのだ。

 突然の闖入者に、その場にいた人間の全てが騒然となった。
 この男をどうするべきか、取り押さえるべきか…その判断を誰も
出来ないままに…男が最後の力を振り絞って、克哉の方へと
標準を合わせていく。

―それはプロの暗殺者である男の、最後の意地だった。

 不運な偶然で、巧妙に隠れていた筈が流れ弾に当たり…無様に
その姿を晒す羽目になってしまった。
 それでも…激痛によって意識を失いそうになっても、己の受けた
依頼を果たそうと…絶命寸前の状態でも、男は最後の力を振り絞って
克哉に銃口を向けて、引き金に指を当てていき―

『しまった…!』

 余りの事態に、眼鏡も反応が遅れてしまった。
 だが、もう間に合わなかった。
 彼が拳銃を構えて男に標準を合わせる前に…男の指はトリガーを
引いてしまい…。

 パァン!!

 桜の花が鮮やかに浮かび上がる中、その華やかな五十嵐本家の庭園内に
一発の銃声が響き渡っていった―
 
 ―彼の瞳は、どこまでも虚ろだった。

 桜が舞い散る中、縁側に腰を掛けていた太一に強引に貫かれていても
その反応は殆どなく、人形のように無反応のままだった。
 ずっと監禁されて、ここ数日はロクに食事も摂取しなくなっていたせいで
肌は抜けるように白くなり、血が通っているとは信じられないくらいに
なってしまっていた。

 風は強く、吹き抜けていく度に鮮やかに淡い色合いの花弁が風に舞っていく。
 春の…酷く肌寒い一夜だった。
 桜吹雪と共に、闇の中から現れた眼鏡の姿を見て…その場に立っていた
者は皆、騒然となっていた。
 一年前に実家に戻り、その家業を継ぐ事となった若頭が異常に執着している
若い男と…眼鏡はまったく同じ顔の造作をしていたからだ。

―なんで、あんたがここにいるんだ…!

 信じられないものを見るような眼差しを向けながら太一が叫ぶ。
 たった一年で、彼は酷く大人びた雰囲気の男になっていた。
 以前は明るく、人懐こい印象の青年だったのが…瞳に暗い色を宿し
鮮やかなオレンジの髪を括らずに下ろしている。
 
―さあな。それを俺が答えてやる義理はない…。とりあえずそいつを
回収させて貰うぞ

 そういって、眼鏡は太一に向かって銃口を向けていった。
 Mr.Rに護身用にと渡された銃は…多少の訓練はしたが、まだ
動き回る的や20メートル以上離れてしまうと命中率は著しく下がった。
 だから脅す意味合いで、彼はベレッタM92を向けていく。
 その場に緊迫感が瞬く間に広がっていく。

―あんた、正気かよ? …俺から克哉さんを奪うつもりだなんて…
まともな考えとは思えないね。…そんな事やったら、俺はあんたを…
遠慮なく消させて貰うよ? それくらいの覚悟はあるんだろうね…?

 物騒な笑みを刻みながら、太一が眼鏡をねめつけていく。
 克哉を独占したい、閉じ込めたい…その暗い欲望を満たす為に
彼は実家の家業を継ぐ道を選択した。
 長年、裏家業に手を染めていた家族に囲まれて育ったという下地が
あったせいか…まだ正式な跡継ぎ候補になってから一年くらいしか
経過していないというのに…太一にはすでに貫禄が生まれ始めていた。
 本気の殺気を込めながら、傲岸不遜な事をいう…愛しい人と同じ顔をした
男を睨みつけていく。

―ちっ…わざわざそんな面倒くさい事をする趣味はない。俺は別に
こいつに執着している訳でも、お前から奪うつもりもない。
 だが…このままにしておいたら、こいつは命を奪われて俺も一緒に
消えてしまうからな…。だから一時避難の意味でそいつを預かりに
来ただけの話だ…。

―な、んだと…。克哉さんの命が奪われてって、どういう意味だ…?

 眼鏡がそう言った直後、いきなり太一の態度が急変した。
 まるで…後ろめたいことを指摘されたような、そんな顔だった。

―どうした? お前…顔色が酷く悪いぞ…?

―茶化すな。キチンと答えろ…。克哉さんは、命を狙われていると…
お前は言いたいのかよ…!

―ああ、そういう意味だ。厄介な事に俺とそいつは…繋がっている。
そいつが死ねば、俺も一緒になって消えるしかない。だから…一時的に
避難させる為に回収しに来ただけの話だ。
 何…心配するな、お前がその問題を片付けたらきちんとこいつはお前に
返してやるよ…だからそいつを、俺に渡すんだ。
 …もう一人の『オレ』を…お前は永遠に失いたくないんだろう…?

 悠然と微笑みながら、眼鏡は告げていく。
 それと対照的に…太一の表情は青ざめたものになっていった。
 そして…この後に及んでも、克哉は何も反応していなかった。

―誰が、克哉さんの命を狙っているっていうんだよ…。
デタラメを言うのもいい加減にしたら…どう?

 それでも人一倍負けん気の強い太一は、動揺を必死になって噛み殺して
不適な笑顔を浮かべながら問いかけていく。
 眼鏡はそれを見て、嘲るように微笑み…銃を構えた状態のまま一歩…一歩と
彼らと間合いを詰めていく。

―近づくなよっ! あんた…自分がどんな状態か判っているのかよっ!
 ここは五十嵐組の本家だぜ? 確かに最小限の人間しか今夜は配備していない
けれど…十人近い人間があんたの周りに存在しているんだぜ?
 俺がその気になったら…どうなるか、それくらいは予測つかないのかよ…?

―やりたいなら、やってみれば良い。ただ…さっきも言った通り、俺と…
お前の腕の中にいる奴は同一人物。いわば一蓮托生な存在だ。
 お前が俺を殺したいのなら好きにすれば良い。だが…その場合、もう一人の
オレにもどのような影響が出るかは…正直、判らないがな…?

―くっ…!

 太一の言葉にまったく怯む様子すら見せず、ついにその間近まで接近
していった。
 今の眼鏡の発言は、太一にとってはアキレス腱に等しいものだ。
 彼は克哉を深く愛している。
 だから…眼鏡を疎ましく思っても、今のような事を言われてしまえば…
安易には手を出せなくなってしまう。
 必死になって歯噛みしていきながら、懸命にこちらを睨みつけてくる。
 視線だけでも抵抗しようとする相手の姿が滑稽だった。

―心配するな。危害は加えるつもりはない…大人しくそいつを保護すれば
俺は大人しくこの場から去るさ…。ああ、そうだ…。お前に一つ良い事を
教えてやろう…耳を貸せ。

―何を吹き込むつもりだよ…!

―お前に、もう一人の『オレ』の命を狙っている奴の事を教えてやろうと
思ってな…。興味ないのなら別に話さなくても良いが…。

 そういって、克哉の肩にそっと手を触れさせようとする眼鏡の手を…
全力で太一は叩き落としていった。

 バシッ!

 克哉に他の男が触れることが、どうしても許せなかったのだ。

―…この人に触わるな…! 

 真偽が判らない戯言ごときで、愛しい人をみすみす他の男に手渡せる
筈がなかった。
 コイツと克哉さんは同一人物だというが、それでも…冗談じゃないと
思った。それくらい…太一は、佐伯克哉という存在に執着して強い
独占欲を抱いていた。

―…なかなか、イキが良いな。その強がりが…狙っている奴の事を
聞かされても続くかどうか…見ものだがな。

―もう戯言は良い! とっとと消えろよ…! あんたの言葉を真に受けて克哉さんを
手放すなんて冗談じゃない!

―ほう、今…この瞬間にアイツに銃口が向けられていても…か?

 そう眼鏡が呟いた瞬間、その場は騒然となった。
 沈黙を守り続けていた太一直属の配下達すらも動揺を隠しきれずにザワザワと
騒ぎ始めていく。

―何をデタラメ言っているんだよっ…!

―ああ、良い事を教えてやろう…。その狙っている奴は…今夜を決行日に
選んできた。だからこの庭の中で…あいつを狙っているスナイパーは
すでに待機している。そして…。

 そういいながら、眼鏡は跪いて…太一の耳元で衝撃的な内容を
告げていってやる。

―こいつの命を奪うように指示を出したのは…紛れもなくお前の実父だぞ…

 そう彼が残酷な真実を突きつけたその瞬間、太一は信じられないとばかりに
瞳を大きく見開かせていったのだった―

 
―永らく彼は深い眠りについていた。
 罪悪感の為に太一の言いなりになって現在の境遇を変えようともしない、
もう一人の自分の姿をこれ以上見ていたくなかったからだ。
 
―馬鹿が…
 
 それ以上、何も言えなかった。
 確かに自分がアイツを報復という名目で犯した事が太一の暗い側面を
目覚めさせたキッカケなのかも知れない。
 だがそれを全て克哉のせいにして、罪の意識を植え付けてあいつを
好き放題にしているのはどうなのか…という思いはあった。
 
 克哉は太一に、罪を償う為に己を差し出す決意をした。
 結果…彼は毎晩のように凌辱され、太一の実家に監禁されて自由に
外出することさえ許されない身の上になっていた。
 そんなもう一人の自分姿あまりに惨めで見てられなかった。
 太一にこちらを解放する鍵である例の眼鏡はすでに壊されていて、
彼はただ傍観者でいるしかない。
 
 彼にとってはただ彼等を眺める事しか出来ない状況は腹立たしく…
それはいつしか、大きな苛立ちの種に変わっていった。
 だから眼鏡は己を眠らせる形で目を閉ざす事に決めた。
 
―アイツに声が届くならともかく、もう届かないなら自分が
いてもどうしようもないからだ。
 
 こうあって欲しかったと…胸にかつての自分達の姿を抱き、それをどう
あがいても取り戻す事が出来ないとようやく悟った時。
 克哉は己の心を闇に閉ざしてしまった。
 
―お前はどうして嘆くだけで必死に考えない? 
 過去ばかり振り返って嘆いて、一体何が変わると言うんだ?
 
 彼は苛立っていた。
 今のあいつのふがいなさに。
 後ろばかり見て、これから先にある未来の事を考えようともしなくなった。
 そんなあいつに心底…眼鏡は呆れていたから。
 
―起きて下さい…
 
 だがそんな自分に何度も呼び掛けてくる声が聞こえてくる。
 最初は無視し続けていた。
 その呼び掛けは執拗で、何度も何度もしつこいくらいに続けられていった。
 平穏な眠りを妨げられて、眼鏡は憤り…最初の頃は絶対に応えてやるものか…
と思っていた。
 しかしある春の夜に、こう切り出された時…初めて眼鏡はその沈黙を破ったのだ。

―このまま、沈黙を守り続けていたら…貴方様の命もまた、克哉さんの
巻き添えになる形で共に失われますよ。
 それでも…答えて下さらないのですか?

 こう語りかけられた時、真偽を疑う心がその呼び掛けに応じるキッカケとなった。
 ゆっくりと心の奥底に存在する、深遠の淵から目覚めていく。
 彼が意識をはっきりとさせていくと…藍色の闇に覆われた空間に、黒衣の
男の姿がしっかりと浮かび上がり目の前に存在していた。

『やはりお前か。先程の物騒な会話の主は…。一体誰が、もう一人の
オレの事を殺そうっていうんだ…?』

―五十嵐様の実父ですよ。実の息子が…克哉さんに溺れて、その在り方を
大きく歪めてしまったことが原因で、その原因となる存在を排除すれば元通りに
なると…そう考えて、この数ヶ月間必死に殺害計画を練り上げていたようです。
 
『…そうか。で…その話が本当だとして、一体いつ…その殺害計画は
実行されると言うんだ?」

―明日の夜ですよ。明日…五十嵐様のいらっしゃるご本家の庭園にて、
大きな宴を催す予定のようです。
 その中に…克哉さんを始末する為の手段を幾重にも張り巡らされて
おられる模様です。
 正直…このまま放置しておけば、特に今の食事すらも自ら摂取することを
放棄してしまわれたあの方は死ぬしか道はなくなるでしょう…。
 ですから、貴方は…五十嵐様にその警告を促した上で、一時的に
克哉さんの身柄を引き受けて…事が収まるまで身を隠して下さい。
 嗚呼、当然の事ですが…潜伏先及び、逃亡生活中に掛かる費用の
一切はこちらが持ちます。引き受けて貰えるでしょうか…?

 男は歌うようにスラスラと言葉を紡ぎ、眼鏡に向かって腕を組みながら
そっと語りかけてくる。

『…俺が断った場合はどういう結果になるんだ…?』

―成す術もなく、克哉さんは殺されるでしょう…。そして貴方もまた
この世界に存在するに必要な接点を失い、共倒れになる事でしょう。
貴方と克哉さんはまさに一蓮托生ですから…。

『ちっ…それでは俺には、断る選択肢すらも存在しないという事だ。
…判った、お前に付き合ってやる。俺は…正直、負け犬のようになって
あいつに巻き込まれる感じで死に追いやられるなど正直…御免だからな』

―貴方様の英断に、感謝致します。私としても…貴方達二人は非常に興味深い
存在ですからね。失われてしまうことなど勿体無い、と…そう思っていますから。
 では…もう一人の克哉さんをどのように救うのか今からお話致しましょう―

 そうして…心の世界でも相変わらず、男は綺麗に妖しく微笑んで見せた。
 その間、眼鏡の表情は苦虫を噛み潰したような苦々しいものだった。
 だが…瞳に揺るぎない強い想いを宿らせながら、そっと…Mr.Rが
語る言葉に耳を傾けていった。

 そして翌日の夜も深まり、銀盤の月が鮮やかに空に輝いていた日。
 人形のように生気を失ってしまったもう一人の自分の救出激は
そっと幕が開けようとしていた。

 ―あのような結末が待っていたことなど、誰もがまったく予測もしていなかった
  
 そして彼は桜が舞い散る庭園にて、太一と克哉の前にそっと現れていく。
 その手には…護身用に持ち歩いている拳銃によって、しっかりと
塞がれてしまっていた。

 そして喜劇にも似た悲劇の舞台はその夜、幕を開けていく。
 …各人の胸の中に悲しくも切ない、強い想いを静かに宿していきながら…


 

 雷鳴が鳴り響く中、結局…克哉が意識を失うまで、眼鏡はずっと
犯し続けていた。
 殆ど明かりが存在しない漆黒の闇の中…うっすらとだけもう一人の
自分の姿が浮かび上がっている。
 真っ白いベッドシーツの上でぐったりと目を瞑りながら横たわっている姿を
見て…苛立ちめいたものが湧いてくる。
…その処理をどうすれば良いのか。彼自身も正直、判らなかった。

―イライラする。

 Mr.Rにこいつの保護を頼まれた日から、そして克哉を連れ出した
その日から…彼の心はずっと荒れたままだった。
 ふとした瞬間に蘇る、あの桜が鮮やかだった夜の記憶。
 桜にはもともと、良い思い出などなかったのに…あの一件のおかげで
新たなトラウマが出来たようなものだ。

―あんたに一時、預けておく…だが、絶対に片付いたら克哉さんを
返して貰うからなっ! 絶対に忘れるなよっ…!

 血を流しながら鬼気迫る表情でこちらにそう叫んだ太一の姿が
ふとした瞬間に鮮明に喚起される。
 そう、今…克哉が手元にいるのは一時避難の為だけだ。
 克哉と出会った事により、そして傷つけられた事をキッカケに
太一はマイナスの方に大きく傾いてしまった。
 だから、彼の家族は考えたのだ。

 ―太一を大きく歪める引き金となった克哉がいなくなれば元に戻ると

 そしてあの五十嵐の本家、その庭園内にてごく内輪で宴会が開かれた夜。
 運命の扉は開かれてしまった。
 そこまで思い出した時、声が聞こえた。

『迷っておられるようですね…』

「お前、か…」
 
 一瞬、閃光が走り抜けていくと同時に…部屋の片隅に黒衣の男は立っていた。
 闇の中でもはっきりと判るくらいに艶やかな笑みを浮かべ、こちらを悠然とした
眼差しで見つめてくる。
 それが眼鏡にとっては神経をひどくささくれさせていく。

『あの日より一ヵ月半…手塩を掛けて面倒を看られている内に、情が湧いて
しまわれたんですか…? ですが、五十嵐様がどれだけ…この方に執着して
愛しておられるか…貴方は良く判っておられるでしょう?
 それでも、この方を欲されるんですか…?』

「…そんな事は、お前には関係ないだろう…」

『いいえ、関係ありますよ。こうして貴方達に別荘を貸して…生活する為に
資金援助をしているんですからね。…まあ、貴方の気持ちのままに行動されても
構いませんが…全てを思い出したその時、克哉さんは貴方を果たして選んで
下さるでしょうかね…? あのお二人は、本当に幸せそうな恋人同士でしたから…」

「…あんな扱いをされてて、幸せな恋人同士だと言えるお前の価値観は歪みまくって
いると思うがな…」

『…少々嗜虐的な方向に傾いていたとしても、とっさに我が身を犠牲にしてでも…
五十嵐様はこの人を庇われたことは、事実ですからね…。
 あの人は本気で克哉さんを愛されていますよ…。それを、貴方はお忘れになって
しまわれたんですか…?』

「…あれを、忘れられる訳がないだろう…」

『いいえ、記憶が薄らいで来ているから…そんな迷いが生じておられるんですよ。
だからもう一度、良く思い出して御覧なさい…。あの夜の記憶を。
 貴方がそうして身体を再び持ち、もう一人のご自分を五十嵐様の元から連れ去った
あの…桜の夜の記憶をね…』

 そうして、男はゾっとするくらい妖艶な笑みを刻んで間合いを詰めてくる。
 その間、眼鏡は強い眼差しで相手を睨み付けていたが…Mr.Rは意に介する
様子すら見せなかった。

―貴方に夢を見せましょう

 あの鮮やかに桜と紅が舞い散った、あの狂乱の一夜の出来事を。
 そして貴方が、一時の感情であの二人を引き裂くような愚を犯さないように…
そんな事を考えながら男は、眼鏡の頭にそっと手を触れさせていくと…妖しく
笑いながら囁きかけていく。

―大事な事を思い出せるように。私が手助けをして差し上げますよ…

 そう慈愛に満ちた声で語りかけながら、彼を無慈悲な夢の中に突き落としていく。

「やめ、ろ…っ!」

 抵抗しようにも、何故か身体の自由が利かなくなっていた。
 だからせめて視線だけでも、言葉だけでも思い通りになるものかと必死に
抗ってみせたが…全ては徒労に終わっていく。

―おやすみなさい

 最後にそう、男が甘く告げていくと同時に…眼鏡の意識もまた暗転していく。
 そして彼は堕ちていく。

 ―あの月がとても綺麗だった、満開の桜が咲き誇っていた夜の記憶の中へと―


真っ暗闇の中で…眼鏡の手が怪しく蠢く。
   その度に克哉の唇から、甘い声が漏れていった。
 
(何か…明かりが消えてから、触れ方が変わって来ているような…
気が、する…)
 
 時々、稲光がする時以外は殆ど視界が聞かない状態になっているせいか
彼の手はこちらの存在を確認するような動きになっていた。
 荒々しいキスはいつしか解かれて、自由に息が出来るようになると…
克哉は忙しい呼吸を繰り返していく。 
 激しく上下している胸元をやんわりとに掌全体で揉みしだくように愛撫を
施されていくと、硬い胸の突起から強烈な快感が走り抜けていった。
 
「やっ…だ…あんまり、其処…弄る、なよ…」
 
 まったく相手の動きが見えないせいだろうか。
 逆に普段よりも相手の与えてくる感覚に鋭敏になってしまっているような気がした。
 
「こんなに硬くしている癖に…嘘を言うな。嫌がっている割には、
どこもかしこも…気持ち良いって訴えているみたいだがな…」
 
 ふいに低い声音で、耳元で囁かれてズクン…と背筋に悪寒めいた感覚が走っていく。
 
「そ、んな事…ない…」
 
 頭を振って、否定していくが…相手が静かに触れていく度に全身が
小刻みに震えていった。
 
(何で…こんな触れ方、するんだよ…)
 
 いつだって、眼鏡の抱き方は強引で…こちらの事なんてまったく
配慮している風じゃなかった。
 けれど明かりが消える直前に見た泣きそうな顔…それがどうしても
気になってしまって…全力で嫌がれないし、拒む事が出来なくなってしまった。
 
 チュッ…パッ…!
 
 そうしている間に首筋から鎖骨に掛けて再び吸い上げられて…
その赤い痕を舌先で舐め上げられていく。
 先程の痛みが伴うような荒っぽい愛撫ではない。
 一つ一つの動作が…まるでこちらを慈しみ、労わるような優しさが
込められていて…困惑、するしかなかった。
 
(どうして、こんなに…穏やかに触れられているだけで、普段とまったく
違って感じられるんだ…?)
 
 強引に快楽を引き出される抱き方ばかりされていたせいで、こんな
風に全身を撫ぜ擦られるような愛撫をされると…逆にどんな反応を
していけば良いのか判らなくなってしまった。
 足から下着とパジャマのズボンが引き抜かれていくと…大きく足を
開かされて、熱い身体が割り込んでくる。
 
「はっ…ぁ…」
 
(コイツ…興奮、している…?)
 
 いつも、一方的に抱かれているから…気づかなかった。
 こいつがこちらを抱いてこんな風に息を荒げている事なんて。
 まったく見えないからこそ…普段は気づけない、そんなささやかな事すら
感じ取れてしまう。
 声で弄ることもせず、不規則な荒い呼吸だけが闇の中で響き渡る。
 
「…もう、抱くぞ。力を…抜いて、いろ…」
 
「えっ…ちょっと、待てよ…まだ…」
 
 満足に慣らされているとは言えない状態で、眼鏡は己のペニスに大量の
ローションを塗りたくっていくと…そのまま、一気に克哉の中に侵入を
開始していった。
 幾ら最近は毎晩のように抱かれているとはいえ、本来は男の身体は
性器を受け入れるように作られていないのだ。
 いきなりの挿入は…セックスに慣れていてもかなりの負担が伴う。
 それでも強い圧迫感だけでどこかが切れたりするような事はなかった
のだが…。
 
「ひっ…んんっ…うっ…あぁ!」
 
 熱い滾りが克哉の蕾に宛がわれていくと…一気に最奥まで、その塊が貫いていった。
 克哉の喉から、高い嬌声が漏れていく。
 苦しくて頭の奥がキーンとなりそうだった。
 入ってから間もなく、緩やかにだが身体を揺さぶられ始めて…克哉の身体の奥に

妖しい疼きが生まれていく。
 それがいつもと少し違う感覚で、一気に…怖くなってしまった。
 
(なん、か…今夜はいつもと…少し、違う…。上手く、説明出来ないけれど…)
 
 まず、眼鏡の抱き方が乱暴でなかった。
 むしろこちらの身体を労わるように緩やかで…時間を掛けたものに変わっていた。
 そのせいで…ジワリジワリ、と追い上げられていく。

 …逆に頭の芯まで快楽でボウっとなってしまいそうだ。
 相手の熱に、翻弄されて…訳が判らなくなる。
  いや、そもそも目覚めてからずっと…自分の事なのに、今の状況は
判らないことばかりで…どうすれば良いのか見当もつかなかった。
 
「ど、うして…」
 
 ギュっとシーツを握り締めていきながら、本気で克哉は悔しそうに顔を
歪めていった。
 泣きそうな顔を浮かべながら…ただ、もう一人の自分が与える感覚に
耐えていくしかない。
 
(こんな…抱かれ方、したら…心が、引き寄せられてしまいそうで…
怖い…)
 
 自分の身体が、まず…いつもとまったく反応が異なっていた。
 半端じゃなく気持ちがよくて、おかしくなりそうだ。
 いつものセックスが身体の快楽だけを引き出されたものならば…そう、
この快楽は精神的な要素も入り始めていて、まず…快感の性質が違っていた。
 
(…コイツを、好きになって…何に、なるっていうんだよ…。同一、人物…
なのに…そんなの、不毛…過ぎる、よな…)
 
 認めたくなくて、必死に頭を振っていく。
 なのに裏腹に身体は反応してしまって…歓喜に震えていた。
 その身体と精神の著しい乖離した反応に、余計に混乱が酷くなっていく。
 
「どうして…オレを、こんなに…抱く、んだよ…! お前の行動は…
訳が、判らなすぎるよ…!」
 
 泣きそうになりながら訴えていくと、相手が憮然とした声で…どこか
怒ったような顔をしながら返事していく。
 
「お前は…バカか…?」
 
「なっ…ん、だよ…それっ…。そんな、言い草…ん、むぐっ…」
 
 そうしている間に、再び強引に唇を塞がれていく。
 ねっとりとした息苦しいキスに…再び呼吸困難になっていく。
 それでも必死になってもがいて解放されていくと…相手の、熱くて
鋭い眼差しに真っ向から晒されて…つい、ゾクっとなってしまった。
 
「本当に、判らないのか…?」
 
「な、何を判れって言うんだよ…っ!」
 
 そう言うが、克哉は実際は薄々とは感じ取っている。
 けれどそれを…認めたくない気持ちの方が勝っていた。
 その事実を受け入れてしまったら、自分達は限りなく不毛な道に
突き進むしかなくなってしまうような気がして…だから無意識の内に
否定するしかなかった。
 だが、克哉の希望と異なり…男は答えを口にしていく。
 完全ではない、けれど充分にその理由の回答になっている発言を―
 
「…幾らお前と一蓮托生と言っても、何とも想っていない相手をこれだけ
頻繁に抱いたり、甲斐甲斐しく世話してやる程…俺はお人好しではない。
こう答えても…お前には、判らないのか…?」
 
「あっ…うっ…!」
 
 根元まで深く押し入られて、感じるポイントを探られていく。
 そんな状況で…熱っぽい声音でこんな事を告げるなんて…反則に近い
事だと思った。
 
(判ってしまったから…どうすれば良いのか、判らないんだよ…オレ、は…)
 
 そう訴えたかったが、すでに身体はギリギリまで追い上げられしまって…
満足に言葉を紡げなくなってしまっていた。
 
(お前の想いに気づいたら…オレは…コレから先、どうしていけば…
良いんだよ…! 判らない、よ…!)
 
 そう逡巡した瞬間、鮮やかな桜の情景が過ぎっていった。
 
(な、んだよ…これっ…!)
 
 それはまるで、こちらに忘れるな…と訴えかけるかのように鮮やかに
圧巻するように迫ってくる記憶の情景だった。
 漆黒の闇の中で舞い散る桜吹雪。
 そして同時に鮮やかに降り注いでいたのは…。
 
「あぁ、あっ…うあっ…!」
 
 その瞬間、記憶の扉が開き始めていく。
 決して忘れてはいけない記憶が、頭が真っ白になる程の強烈な快感と
共に急速に押し寄せて克哉の意識を飲み込んでいく。
 
「た、いち…っ!」
 
 ようやく、思い出す。
 先程の会話に出て来た「五十嵐」という人物の下の名が何であったのかを…
無意識の内に思い出して呟いていくと同時に、一層激しく最奥を突かれていった。
 
「お前…思い、出したのか…?」
 
 相手の声が大きく動揺の色を滲ませながら、問いかけてくる。
 けれどもう…克哉には答えられなかった。
 
「うっ…あっ…そ、だよ…! はっ…あぁぁ…!」
 
 必死になって相手に縋りつきながらその感覚に今は身を委ねるしかなかった。
 やっと記憶の糸口を掴めた夜。
 自分の失われてしまった空白の一年の記憶を取り戻していく。
 全てを叩きつけるかのように、眼鏡が腰を穿ち込んでいく。
 克哉はただ、それに翻弄されていくしか術がすでになかった。
 
 そうして互いに絶頂を迎えて達した後、克哉は意識を失い…眼鏡の顔は酷く
蒼褪めてたまま、そっともう一人の自分を静かに見つめ続けていたのだった―
 
 

 ―その日は結局、微妙な雰囲気が夜まで続いていた。
 
 早朝に聞いた話が尾を引いていたのか、克哉は眼鏡に対してどんな態度を
取れば良いのか判らなくなってしまったのが最大の理由だった。
 いや、妙にそのせいで意識をしたから…と言う方が正しいだろう。
 聞いた内容に対して、整理が全然出来ないのと考察しようにも現在の
彼の覚えている範囲では少なすぎるからだ。
 
(結局今日は…日中に一度も手を出されなかったな…)

 夕食を終えて、今…自分に宛がわれている部屋に戻っていくと
克哉はゴロン、とベッドの上に横になっていく。
 …何かここ二週間は、隙あればチョッカイを出されて、抱かれ続けて
いたから妙な気持ちだった。

 ただ、自分も何か引っ掛かる想いがあるから…変に手を出されても
素直に応じられなかったと思う。
 目覚めてからずっと、なし崩し的に抱かれ続けていて。
 特に最初の数日間に関しては、こちらは自分の意思で身体を動かす
事が殆ど出来なかったから抵抗しようがなかった。
 その内に…慣れてしまったから、あいつが触れても「またか…」と思う程度で
以前のように、ただ…こいつが愉しみたいから抱いているのだと。
 散々言っているように、面倒を看ることに対しての対価を求めていると…
克哉はそれ以上の事は考えていなかった。

(…あいつが、オレの為に銃の訓練までしているなんて…予想も
していなかった…)

 何でそんな物騒な事になってしまっているのだろう。
 その理由がまったく判らなくて、正直…怖くなる。
 記憶の存在しない期間、自分がどんな事に巻き込まれていたのか。
 せめて背景だけでも知る事が出来たならもう少し心理的にマシだろう。
 だが、まったく糸口も掴めない状況では悪戯に不安が育っていくだけだ。

「…どうしよう…」

 ギュっと自分の身体を抱き締めていきながら呟いていく。
 窓の向こうには漆黒の闇が広がっていて、降り始めた雨音がザーザーと
響き渡って室内にも届いていた。
 時期的に雷雨にもなるかも知れない…そんな事を考えている間に、部屋の
扉が勢い良く開け放たれていく。
 ノックも必要ないだろう。
 今、このやたらと広い金持ちが建てた別荘らしき建物の中には…自分達
二人しか存在していないのだから。

バァン!

 扉が壁に思いっきり叩きつけられて、轟音が響いていった。
 それに一瞬、身を竦ませていると…あっという間に眼鏡は間合いを詰めて
こちらのベッドの上まで歩み寄る。
 問答無用で圧し掛かられて、シーツの上にこちらの身体を縫い付けられて
いくと…強引に唇を塞がれていった。

「ちょっと、待てよ…いきな、り…むぐっ…!」

 両手首を強い力で掴まれて、反撃を封じられていきながら…性急な動作で
相手の舌先がこちらの口腔を犯し始めていった。
 グチュグチャ…と厭らしい音を立てながら、荒々しく歯列や頬肉の内側、
そして顎の上の部分までも執拗に擦り上げられながら…舌を絡め取られていく。
 息が詰まりそうになるくらい、ねっとりとした濃厚なキスだった。

「はっ…んんっ…。ちょっと、待って…苦し、…あっ!」

 こちらも白いYシャツとライトブラウンのスーツズボンを纏っているだけの
格好だったが、あっという間にボタンを外されて胸元を晒す羽目に陥って
しまっていた。
 乱暴な指先が、こちらの突起を容赦なく弄り上げていくと…両手は自由に
なっている筈なのに、一気に身体中から力が抜けていってしまう。
 深い口付けだけですでに硬く張り詰めてしまっている其処を、クリクリと
指先で押し潰されていく。
 やや強めの刺激ですらもすっかりと反応して、妖しい快感と疼きが
身の奥で渦巻き始めていった。

「や、だ…ヤメ、ろよ…! お前は…いつも、強引…過ぎるってば…! んぁ…!」

 相手の唇が、こちらの首筋に強く吸い付いてくると鋭い悲鳴が漏れていく。
 反射的に相手の袖をぎゅっと握って、その感覚に耐えていくが…すぐに
はっとなって押しのける仕草へと変えていった。

「…黙っていろ。お前は…大人しく俺に抱かれていれば良い…」 

「な、んだよ…それっ! 何で…そんな、事…」

 と反論しようとして相手の顔を見上げた瞬間…克哉はそれ以上の言葉を
続ける事が出来なかった。
 眼鏡の顔が、どこか苦しそうに歪んでいたからだ。

(何だよ、どうしてコイツ…こんなに苦しそうで、切ない表情をしているんだ…?)

 いつもの通り、愉しげな笑みを浮かべてこちらを弄るような…そんな顔を
浮かべていたのならば、自分は拒んで見せただろう。
 さっき一瞬だけ思い出した声の主。それが記憶に引っ掛かっていたから。
 それだけで…これ以上、安易にもう一人の自分と身体の関係を続けるべきじゃない。
 そういう想いが生まれ始めていた中で…この顔は、反則に近かった。
 今にも泣きそうな危うい様子だった。
 
「どう、して…?」

 知らず、そんな呟きが漏れていく。
 そんな顔をされたら…突っぱねられない。
 そうしている間に、背中がしなるくらい…強い力で掻き抱かれていった。

「あっ…」

 それはまるで、全身で縋られているような…そんな抱擁だった。
 強く、強く…痛いぐらいにしがみ付かれて。
 無言のまま、もう一度唇を重ねられていく。
 強く吸い上げられて、呼吸すら満足に出来なくなってしまいそうな激しく
濃厚なキスだった。
 その勢いに、眩暈すらする。
 あまりにその口付けが情熱的過ぎて。

「んんっ…あっ…ふっ…」

 ようやく唇を解放された時には、銀糸が互いの口元から伝っていて
今のキスが執拗なものであった事を示していく。
 それでも…どうにか苦れようと相手の身体を押し返そうとしていくと…。

「逃げるな…」

 それはどこか、懇願しているような声音だった。

「どこにも、行くな…」

 命令しているような口調。
 けれどこの声もどこか、悲しげだった。

(どうして…こんな声、しているんだよ…)

 混乱していく。
 訳が判らなくなる。
 もう一人の自分の、思いがけない姿を見てしまって…克哉は呆然と
するしかなかった。
 窓の外から聞こえる雨の音が一層大きなものへと変わっていく。
 その瞬間、ピカッ! と辺りに閃光が走っていって…周囲を鮮明に浮かび
上がらせていった。

 その瞬間、周囲に雷鳴が響き渡って…爆音が聞こえた。
 同時に落ちる、照明。
 瞬く間に世界は闇に満たされ、視界が利かなくなった。

「うわっ…!」

 暗転した世界の中、改めてもう一人の自分に組み敷かれていく。
 その時にはすでに克哉には、抵抗することは出来なくなってしまっていた―
 



 
 
 
 地下室のその扉を僅かに開いた瞬間、爆音が響き渡った。

 バァン!!

 耳をつんざくような轟音に、とっさに克哉は鼓膜を守ろうと両手で
耳を塞いでいく。
 予想もしていなかったものに突然遭遇して…半ばパニック
あまりに驚いたおかげで、悲鳴すら出なかった。
 その場に硬直していきながら…微かな隙間から中の様子を
眺めていくと…その奥には射撃場が広がっていた。

(な、何でこんな処に…射撃場なんてあるんだ…?)

 それを射撃場、と一目で判ったのは…古い外国の映画とか、刑事ドラマ
とかでそういう場面を何度か見た事があったからだ。
 奥に設置されている一定時間で、50m程先に的がランダムでスライドしていく
システムのもののようだった。
 当然、普通の家の中に設置されている訳がない施設である。
 特に日本の場合、警察とか軍隊以外で拳銃を扱う場合は必ず許可が
必要であるし…訓練所も携帯を許可されているアメリカなどと違って
一般的な代物ではない。

 バァン! バァン!

 克哉が固まっている間にも、爆音は続いていき…全部で7~8発は
小気味良く続いた処で一旦、止まっていく。
 
(終わった…のか…?)

 驚きながら、ようやく両手を耳から外していくと…そうっと中の様子を
改めて伺っていく。

「えっ…?」

 信じられない光景を見て、克哉は硬直していく。
 ヒアリングプロテクターと言われる耳を守るヘッドフォンのような器具を
装備している眼鏡の傍らには鮮やかな金髪の、黒衣の男が立っていた。
 
(な、何でMr.Rが…ここに…?)

 Mr.Rは拍手をしながら…ゆっくりともう一人の自分の傍に近づいて
いくと…何やら親しげな様子で会話しているようだった。
 当然、部屋の奥にいる二人のやりとりが…克哉に全て聞き取れる
訳がない。
 それでも…断片だけでも聞き取りたくて、必死に耳を澄ましていった。

(あの二人は一体…何を話しているんだ…?)

 頭の中がグルグルしていく。
 いきなり目覚めた途端にもう一人の自分が存在していて、この二週間を
共に過ごし続けて。
 どんな事を話しているのか、その部分は聞けなかった。
 そうしている間に…いきなり、もう一人の自分は怒ったようにMr.Rを
振りほどいて、突き放していった。
 その途端、射撃場内いっぱいに響き渡るように高らかに…黒衣の
男は言葉を紡いでいった。
 おかげで、克哉もこれ以後の会話は…全て聞き取る事が出来た。

―ふふ、何をそんなに怒っておられるのです? そんなに…御自分の手で
克哉さんの記憶を奪う薬を与え続けたことに後悔なさっているんですか?

―黙れ。何でそんな結論になる!

―嗚呼…貴方の怒った顔も実に魅力的ですね。けれどその憤りこそ…私が
指摘したことが事実であると物語っていますよ。
 あの薬は…説明した通り、「心の蘇生薬」です。心をズタズタにした記憶を
一時的に封じることによって、目覚めさせることが出来る。
 ですが…まだ完成品とはとても言えない代物で、その為に…関連した
記憶を一切奪い取ってしまう。まあ…投与を止めればいずれは思い出して
いくでしょうが…それは果たして、どれくらい先の話になるのでしょうか…?
 その間、貴方は克哉さんの中に…ご自分を刻もうとしているのでしょう?
 だから毎夜、いや…一日の内に何度も何度も、繰り返し…あの人を
抱いているんじゃないんですか…?

―戯言を。ただ単に退屈しのぎに…気まぐれで抱いているだけだ。
それ以上ふざけた口を叩くなら、一発…これを喰らっていくか?

 そういって、一発だけまだ弾が残っているベレッタ M92の銃先を
相手の方に向けて威嚇していく。
 当然、しっかりと安全装置を掛け直しているから出来る脅しなのだが…
Mr.Rの方もそれはお見通しみたいで、まったく怯む様子を見せなかった。

―ほう? その割には…五十嵐様が刻み続けた所有の証に上書きを
していくように…克哉さんに痕を刻み続けている理由に説明が
つきませんけどね? …くくっ、本当に貴方は御自分の気持ちに
正直ではない方ですね…。必死になって守ろうと、こうやって毎日の
介護の他に拳銃の訓練を欠かさないくらいに想っておられる癖に…
その気持ちを決して、克哉さんに伝えようとなさらないのですから…。

―何を。ただ単にあいつに死なれれば、俺も消えざるを得ないから
仕方なく守っているだけの話だ。お前の勝手な憶測で…戯言を
ほざくな。それ以上…そんな内容ばかり聞かせるというのなら、
俺は向こうに行くぞ。

―おやおや、やはり連れない御方のようですね。そして…簡単に
己の心中を私に語ったりしてくれないようだ。…まあ、良いでしょう。
本日はそろそろ退散させて頂きますよ。拳銃や的の方のメンテナンスも
我が店の優秀なスタッフにでも依頼してやらせておきますから
貴方はお好きなだけ訓練に打ち込んでいて構いません。
 食料の方の調達も、定期的にやらせて頂きますから…。

―どうしてお前は、そんなに俺達に入れ込むんだ? この屋敷を
好きなように使って良いとこちらに提供してきたり、資金援助を
したり。この一ヵ月半だけでもかなりの額が飛んでいるにも
関わらずに…そんな真似をしでかす理由は一体何だ?

―貴方達が、私にとって魅力的な存在ですから。非常に不安定で…
同時に見ていて飽きる事がないですから。
 特に五十嵐様と貴方の争いを見るのは…とても楽しそうですからね。
 その芝居を見る為の舞台を整える為の資金援助…とでも解釈しておいて
下さい。それを見届ける為なら…私は多少のお金など、全然
惜しくはないんですよ…。

 そうして、男は踵を返して…入り口の方へと向かっていく。

(ヤバイ…このままここにいたら、見つかってしまう…!)

 あまりに衝撃的な内容ばかりを聞かされて、その場から動けないままに
なっていた克哉は…黒衣の男が動くと同時に正気に戻り…慌てて
その場から駆け出していく。
 何を、どうすれば良いのか判らなくなってしまった。

(な、何なんだよ…今の、会話…! 心の蘇生薬とか、拳銃の訓練とか
あいつがオレを好きなように抱く理由とか…お金を出してくれているのは
Mr.Rだったとか…信じられない内容、ばかりで…)

 何も情報がなかった状態から、一気にパンクしそうな量の内容を
唐突に知ってしまって、克哉はどうすれば良いのか判らなくなって
しまった。

 動揺の余りに心臓がバクバクして、そのまま壊れそうだった。
 だが克哉は懸命に、ガクガクと震えてしまいそうな足を動かして地下室から
一階を繋ぐ階段を駆け上っていった。

(一体…この空白の一年で、オレの身に何が起こっていたんだ…。
命を狙われているとか、何とか…。どうすれば、良いんだよ…!)

 その瞬間、鮮やかな映像が浮かんでいく。

―克哉さん

 誰かの呼び声が、頭の中に再生されていく。

「だ、れ…なんだ…?」

 それはとても優しい声。温かみのある呼ばれ方だった。
 思い出した瞬間…胸が締め付けられたように痛んでいく。

「あ…れ…?」

 それが誰だか、判らなかった。
 けれど…知らない内に、克哉は涙を流していく。
 ポロリ…ポロリ、とまるで涙腺が壊れてしまったかのように。

「何で、オレ…泣いて…?」

 階段を昇りきった地点で、呆然と立ち尽くし…克哉はただ…
涙を零し続ける。
 何故、こんな状態になっているのか…まだ、薬の呪縛が強くて肝心の
記憶を思い出せない克哉にはまったく判らなかった―

 
 ―優しいメロディが聞こえていた
   誰かが奏でている綺麗なバラード
  この曲どうかな? と照れ臭そうに青年が笑う
  自分はそれを…とても良いよ、と答えながら
  静かに耳を傾けている
  とても、幸せな夢だった―

 ―はっ…!

 明け方にその夢を見て、荒く息を吐きながら克哉の意識は覚醒していった。

「また、あの夢だ…」

 もう一人の自分と一緒に暮らすようになってから早くも二週間が経過していた。 
 今朝見た夢は、今週に入った辺りから明け方頃にチラリ…と見る事が多かった。

(何だろう…あの夢。とても大切なものだった気がするんだけど…)

 欠けてしまった記憶のカケラ。
 その中でも今のピースは、重要な役割を果たしている。
 克哉はそう確信していたが…おぼろげ過ぎて、はっきりと判らないのがもどかしかった。
 彼の顔が、思い出せない。

(何でオレは…思い出せないんだ? 断片的には色んな夢を見ているのに…)

 幾ら思考を巡らせても、今はそれを引き出す糸口が余りに少なすぎるのだろう。
 今朝もすっきりしない気持ちを抱えていきながら、ベッドから身を起こしていった。
 もう一人の自分から衝撃的な内容を告げられた日から丸二週間、今朝は15日目の
始めに当たっていた。

「幾ら尋ねても、あいつはまったく答えてくれないしな…。何でこんな状況に陥っているのか
知っているなら…教えてくれても、良いのに…」

 だが、彼は肝心な所はいつもはぐらかして真相にはまったく触れようともしない。
 こちらが詰め寄ると、のらりくらりとかわして…気づいたらセックスに持ち込まれてしまって
いるのが大体のパターンだ。
 その時の事を思い出してしまって、克哉はバっと赤くなっていく。
 幾度となく繰り返された生々しい情事の記憶が蘇って…とても平静ではいられなく
なってしまった。

(思いっきり朝から反応しているしな…)

 チラリ、と布団の下で盛り上がっている部分を眺めて…はあ、と溜息をついていく。
 自分とて健全な成人男子である。
 朝勃ちくらい健康なら当たり前にある生理現象である事は理解しているが…
ふと、あいつに抱かれた記憶が過ぎるとつい切なくなってしまう。
 ふいに…あいつに身体全体を弄られている時の情景が頭の中で再生されて、
あっという間に居たたまれなくなってしまった。

「くそ…何で、あいつは…こんなにオレを、抱くんだろ…?」

 苦々しげに呟きながら、鈍い身体をどうにか起こしていった。
 克哉の身体は、14日間の厳しいリハビリの末…かなり回復していた。
 すでに日常の動作なら全然問題なくなっていた。
 だが、未だに指先の感覚はどこか遠く…指先を動かしながら集中しなくてはならない
細かい作業まではまだ出来なかった。
 それでも初日は、食事介助をして貰わなければご飯も食べれなかったことを思えば
劇的な進歩であった。

「お腹空いたな…ご飯の用意、してあるかな…」

 時計の針をチラリ、と眺めるとまだ朝五時半だった。
 通例ならば、朝食の時間は7時くらいだ。
 意外ともう一人の自分は時間を守る性分らしく…毎朝の朝食の時間が大きく
変動するような事は一度もなかった。
 待っていれば…七時には確実に朝食にありつける。
 それは判っていたが、一度空腹を自覚していくと…強烈に何かを食べたい
欲求が生まれていった。

「キッチン内の冷蔵庫の中に…何かすぐつまめそうなものがあるかな…?」

 そんな事を考えながら、克哉は…ゆっくりとベッドから起き上がって台所の
方へと向かっていく。
 この二週間、こんなに朝早い時間帯に彼が目覚めたのは初めてだった。
 毎晩のように抱かれていたので…これくらいの時刻はいつも泥のように
眠っていたからだ。
 だが、今朝はたまたま…疲れているから、とあいつが気まぐれを起こしたから
昨晩は抱かれないで済んだと…それで早く起きれただけの話である。

「…一体、どこにいるんだろ…? 『俺』…もう食堂でご飯でも作っているのかな…?」

 そんな事を考えながら克哉は扉の方へ、よちよちした足取りで向かって…部屋の
外へと出ていった。
 真っ直ぐに食堂の方へと向かい…彼の姿を探していくが、どこにも彼の姿は
なかった。
 気になって他の部屋もざっと覗いていくが、その姿はやはり見えないままだ。

(どこに向かったんだろう…?)

 自分達が今、身を寄せている別荘はかなりの大きさを誇っていて…克哉自身も
まだ全ての部屋を確認出来ていなかった。
 身体も随分と動くようになった事だし…そろそろ、彼を探すがてら探索を始めても
良いかもしれない。
 そう考えて、克哉はこの別荘の探検を始めていった。

―そして探し始めてから15分後。
 彼は、地下室で思っても見なかった光景に出くわしたのだった―
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香坂
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女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
 鬼畜眼鏡にハマり込みました。
 当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
 とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)

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