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鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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※御克ルート前提の、鬼畜眼鏡R内で判明した澤村や 
ノーマル克哉の大学時代の過去が絡む話です。
 RのED後から一年後の春…という設定の話なので
ご了承くださいませ。
 当分、鬼畜眼鏡側はこの連載に専念しますので宜しくです。

 桜の回想  
                    10  
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 ―御堂が黒衣の男に仮初の世界に招かれたのとほぼ同時刻、
澤村紀次もまた突然室内で大量の白い煙に包み込まれていた。
 
「な、何なんだ…! これは…!」
 
 自分は先程まで執務室で部下たちからの連絡の電話を待っていた筈だ。
 それなのにどうしてこんな煙が突如発生したのか彼には理解出来なかった。
 こんなのは誰かが部屋の中で大量のドライアイスを水の中に投入して、
スモークを発生させない限りは起こり得ない事だった。
 完全に面食らって殆ど視界が利かない中で、原因を究明しようと
手を伸ばして周囲を探り始めていった。
 
「くそっ…! 一体誰なんだ…! こんな時に悪ふざけをしてくるなんて…!」
 
―いいえ、悪ふざけではありませんよ…? 私はただ…これから
開かれる演目のもう一人の主役である貴方を…お迎えに上がっただけですよ…?
 
「っ…! 其処にいるのは…誰だ!」
 
 唐突に霧の中から、誰かの声が聞こえて澤村は狼狽していく。
 まったく聞き覚えのない人物の声が、自分の執務室内に響いている
事実に怒りと畏れの感情を同時に覚えていった。
 
―こんにちは、貴方の前にこうして顔を出すのは初めてですね…私は
Mr.Rと申します。どうか以後、お見知り置きを…」
 
「…お見知り置きを、ではないだろ! ここはクリスタル・トラスト内に
僕に与えられた執務室だ。部外者が無断で入って来れる訳がないだろうう!」
 
―ふふ、万全と呼ばれるセキュリティも私にとっては穴だらけの代物でしか
ありません。それよりも澤村様…貴方の親友であった佐伯克哉さんが
お待ちですよ。一足先にあの方には現地に行って貰っています…」
 
「へぇ、君は克哉君の知り合いなんだ。道理でうさんくさい雰囲気の人だと思った。
それで、僕に何の用? それにこの白い煙もそちらのせいかな…?
 視界が利かなくなって非常に迷惑だからさっさとどうにかして欲しいんだけど…」
 
―嗚呼、この煙をどうにかするのは私には無理ですね。これはこれから
私が作った世界に貴方を招く為にはどうしても発生してしまうものですからね…。
現実と、仮初めの世界を繋ぐための触媒のようなものですし…
 
 
「はぁ…? あの、そちらが何を言っているのか僕には理解出来ないんだけど…?」
 
 黒衣の男が口にした言葉は、澤村の理解の範疇を越えていて
呆然となるしかなかった。
 しかしRの方はすでに相手のその反応は予測済みだったらしくまったく
動じる気配すら見せなかった。
 
―えぇ、理解などしなくて結構ですよ。ただ一つ…私がこれからの余興の
主役の一人として、私が作り出した舞台の上に貴方を招く。その事だけ
理解して下されば結構ですから…
 
 男が艶然と微笑みながらそう告げた瞬間、澤村は背筋に冷たい汗が
伝うのを感じ取っていった。
 もの凄く嫌な予感がして、本能的にこの男はヤバイ存在である事を…
危険を感じ取っていく。
 
「じょ、冗談じゃないよ! どうして僕がお前なんかに付き合わないと
いけないんだか…! 僕には招かれる義理も必要性もまったく感じて
いないんだ! 断らせて貰うよ!」
 
―へぇ、それが佐伯克哉さんに纏わる事でも、ですか…?
 
「な、んだって…?」
 
 佐伯克哉の名前を浮かべた瞬間、澤村の顔色が一気に変わっていく。
 頬が僅かに紅潮して、瞳に強い怒りの色が浮かんでいった。
  その反応を見て黒衣の男は愉快そうに喉の奥で笑っていく。
 
「ねえ、そちらは克哉君とどういった知り合いなのかな
?」
 
「…そうですねぇ。貴方と同じく、小学校の時のあの人を知っている友人…
とでも申しておきましょうか…?」
 
「っ…! 嘘を言うなよ…! 小学校の時までの克哉君の交友関係はほぼ
僕が把握している。彼の幼なじみで…長い付き合いだった僕が言うんだから
間違いはない。デタラメを言うのはそれくらいまでにしてくれるかな?」
 
 剣呑、と言い換える事が出来るぐらいに不穏な空気をまとっていきながら
澤村は目の前の男を見つめていった。
 室内には相変わらずドライアイスを水に浸けた時に発生するような
白い煙に満たされている。
 霞掛かったような視界の中で、相手と自分の姿だけが鮮明に浮かび上がる。
 
「いいえ、嘘ではありませんよ…。小学校の卒業式の日に初めてお会い
したのならば…十分に『小学校の時の知り合い』や、『友人』に数えられるでしょう…?」
 
「…小学校の、卒業の日…だって…?」
 
 澤村にとってその日は、十数年が経過した今も決して忘れることが出来ない
一日で…心に強く引っかかり続けている事でもあった。
 
―えぇ、貴方が親友を…いえ、佐伯克哉さんに重大な裏切りを告げた直後。
それが私と克哉さんが初めて出会った日ですよ…
 
「っ…! どうして、お前がそれを知っているんだよ…!」
 
 澤村は言葉を激昂して、叫んでいく。
 何故こんな胡散臭い男が、自分と克哉との間に起こった事をここまで
はっきりと把握しているのか不気味で仕方なかった。
 本気の怒りを込めて男を睨み付けていくが、一向に動じる様子すら見せない。
 それが余計に青年の気に障っていった。
 
―さあ、どうしてでしょうかね…? それだけ私は昔から…佐伯克哉さんに
関心を持って注意深く見守っていたからかも知れませんね…。ですから
私は貴方の事も良く存しておりますよ…。ニコニコと笑いながら、少年だった
克哉さんを裏切り続けた…元親友の方としてね…
 
「うるさい、黙れ…! その件をお前にどうこう言われる筋合いは僕にはない…!」
 
―おやおや、それならどうなさるおつもりなんでしょうか…? 口封じに私に
対して何をされますか? 直接面向かって本心を言う事すら出来なかった
臆病な性格の貴方がね…
 
「黙れと言っているだろう!」
 
―えぇ、そうですね。なら黙らせて頂きましょうか…
 
 男は嘲るような口調と態度で、こちらを挑発していく。
 それに澤村の心は激しく乱され、動揺させられていった。
 その様は恐らく…蜘蛛の巣に捉えられて、ジワジワと追い詰められて
いるような様だった。
 知らぬ間に澤村は…男の土俵に立たされ、翻弄させられていた。
 男はそれ以後、何も言わず…ただ愉快そうに瞳を細めて、こちらを
見つめてくるのみだった。
 それが余計に澤村の心を苛立たせていった。
 白い煙に包み込まれていきながら…二人は黙って対峙しあう。
 その緊迫感に耐えられず…先に口を開いたのは澤村の方だった。
 
「…一つ聞かせてもらおうかな。一体どこで…僕と克哉君のことを知ったんだい?」
 
―正直にお答えしたばかりですよ。私と克哉さんが初めて出会ったのは…
小学校の卒業の日。貴方があの人に裏切りの事実を告げた直後だと…
 
「嘘だ! 見てきたような事を平然と言うな…!」
 
 その次の瞬間、澤村はゾっとなった。
 
『えぇ、私はあの日…全てを見ていましたよ…。貴方たち二人の間に起こった
出来事を…一部始終、ね…』
 
「っ…!」
 
 その瞬間、澤村は全身が総毛立つのを感じ取っていった。
 本能的な危険を感じ取ったのかも知れない。
ともかく…その一言を口にした瞬間、Mr.Rに澤村は恐怖を覚えていった。
 
「…見て、いる…訳が、ない…。あの日、克哉君に僕がその事実を告げた
時には…絶対に、周囲に誰も…いなかった、筈だ…」
 
 力なく澤村が呟いていく。
 そう、その点に関しては絶対に自分は配慮してあった筈だ。
 遠くの私立中学に進学予定だった克哉と違い…自分は大半の小学校の
知り合いと同じ地元の中学に進学するのだ。
 誰かに聞かれたり目撃されて…評判が悪くなったり、妙な噂や憶測を
されては堪ったものではないと思って…克哉に告げた瞬間、周囲に人が
いないかは特に気を配っていた記憶がある。
 その点に関しては間違いがない筈だった。
 あの場にこんな怪しい男が…自分たちのやりとりをはっきりと聞き取れる
ぐらいに近くにいた筈ならば気づかない筈がない。
 だから途切れ途切れの言葉になっても、確信を込めて澤村はそう告げていく。
 
―えぇ、貴方たち二人以外…誰もいませんでしたよ。『人』はね…
 
「っ…!」
 
 その言い回しで今度こそ澤村は恐怖を覚えていった。
 今の言葉で、この男は自分は人間ではないと認めたに等しかった。
 澤村の心の中で畏れの感情が更に広がって冷静さが急速に失われていく。
 一刻も早くこんな得体の知れない相手の前から立ち去りたいと…根っからの
小心者である彼は願い続けていく。
 だが、硬直した時間は唐突に終わりを迎えていく。
 黒衣の男が手を大きく掲げて行った瞬間、周囲に立ち昇った白い煙が
一層濃くなっていき…自分たち二人を激しくうねりながら包み込み始めていく。
 
「うわっ…! 煙が…!」
 
―そろそろ、舞台の幕が開く時刻が迫って来ましたので…私が紡ぎ出した
仮初の世界へとお連れさせて頂きますね…。それは貴方たち二人が決着を
つけるのに相応しい場所…。あの出来事が起こった小学校を再現させて頂きましたから…
 
「な、んだって…そんな、事…出来る訳が…!」
 
 澤村が驚愕に叫ぶと同時に、視界が真っ白いものに完全に覆われていく。
 同時に意識が遠のき始めていった。
 青年はそれに抗うことが出来ず…煙の中で跪いていった。
 
―それでは貴方をお連れしましょう…。主役の一人として…丁寧に
もてなして差し上げましょう…
 
 そうして、男が恭しく呟いていくのをぼんやりと聞いていきながら…澤村の
意識は完全に途切れていき、その場から静かに連れさらわれていったのであった―
 

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※御克ルート前提の、鬼畜眼鏡R内で判明した澤村や 
ノーマル克哉の大学時代の過去が絡む話です。
 RのED後から一年後の春…という設定の話なので
ご了承くださいませ。
 当分、鬼畜眼鏡側はこの連載に専念しますので宜しくです。

 桜の回想  
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 ―太一と本多が喫茶店ロイドで黒服の男たちに襲撃を受けているのと
ほぼ同じ頃、御堂孝典もまた自らの執務室にいる時に突然男たちに
囲まれる処だった。
 それが未然に阻止されたのは思っても見なかった来訪者の手に
よってだ。
 御堂は今、目の前で起こっている事がとても現実の事とは思えなかった。
 あまりに非現実過ぎて、いっそ夢だと思いたかった。
 だがそんな状況の中…金髪の謎めいた雰囲気を纏った男は愉快そうに
微笑みながらこちらに声を掛けていった。
 
―大丈夫ですか、御堂孝典さん…?
 
「…………」
 
 御堂は何も言えなかった。
 不信感と警戒心を相手に対して抱いているからだ。
 誰でもこんな光景に出くわしたら幾ら相手に助けられたからと言って
素直に歓迎する訳にはいかないだろう。
 現在、御堂の眼前には巨大な植物が部屋の中心で蠢いてその触手を
男たちに絡ませて自由を奪っている。
 首筋や胴体、四肢の至る処に直径一センチぐらいの太さの蔓が絡まり…
彼らの意識も同時に奪っていた。
 その為についさっきまで突然扉を蹴破って室内に入り込んで御堂を
取り囲んでいた男たちはぐったりとしていて、完全に意識を失って
いるようだった。
 一瞬、死んでいないかどうかが心配になったが…微かに息づかいや、
胸元が上下している様子から意識を失っているだけだと判断していった。
 まさかそんな物に襲われるとは男たちも予想していなかったのだろう。
 半狂乱になりながら、彼らは悲鳴を挙げまくっていた。
 
(一体…これはどんな状況なんだ…? 私は起きたまま夢でも
見ているのか…?)
 
 紛れもなく御堂は起きている。
 だが、こんな異常な出来事を目の当たりにして…彼は思考回路が
停止しかけてしまっていた。
 日頃は頭脳明晰、明確な判断力のあるリーダーと評される男性であっても、
現実に起こる訳のない出来事を体験している最中は凍り付いてしまうものである。
 
―これは夢ではありませんよ。れっきとした現実です。これは単純に貴方に
身の危険が迫っていたから…私のペットに頑張ってもらっているだけです
からお気になさらずに…
 
「…これを、気にせずにいろというのか…?」
 
 セックスの趣味以外は基本的に常識人の御堂にとってはとても男の言葉を
鵜呑みにして、気にせずにいるなどという芸当は出来なかった。
 
―えぇ、邪魔者を排除するという目的の為に行った事ですから…。貴方に
何かあれば、克哉さんが悲しみますからね…
 
「…君は克哉とどういった知り合いなんだ? こんな異常な芸当を平然と
する輩とは決して私は関わっていてもらいたくないのだが…」
 
―随分な謂われようですね。まあ、それくらい私に向かって言える方で
なければ…今はしなやかで強くなられた克哉さんに相応しいパートナーとは
言えませんからね…
 
 そうして黒衣の男は不適に微笑んだ。
 一見すると美しいと形容しても差し支えない笑顔だったが…最早御堂には
相手がそんな顔をしようとも胡散臭くしか見えなかった。
 
「話をはぐらかすな。ちゃんと答えろ…。君は一体、克哉とどういう関係なんだ…?」
 
 目の前の男は友人や同級生、仕事上の付き合い、親戚等…どの関係に
当てはめてもしっくりいかないような気がした。
 男の纏う空気は明らかにカタギの人間のものとは大きく異なっている。
 Mr.Rもまた、御堂からのその問いかけにどう答えていいものか軽く
首を傾げているようだった。
 二人の間に沈黙が落ちていく。
 そして強い意志を込めて、御堂の紫紺の双眸が男を睨みつけていく。
 
「…貴方も、なかなかの素材ですね…御堂孝典様…」
 
「質問に答えろ、と私は言った筈だ。関係のない事を持ち出して逃げるのは
いい加減止めてもらおう…」
 
「判りました。じゃあお答えしましょう…強いていうなら、克哉さんの
古い友人と言った処ですね…」
 
「友人、だと…?」
 
 まさかそんな答えが帰ってくるとは思っていなかっただけに
御堂は言葉を軽く失い掛ける。
 逆にこちらのそんな反応を見て、男は満足そうな笑みを
浮かべて言葉を続けていった。
 
―えぇ、私と克哉さんが初めて出会ったのは15年前…あの人が
小学校を卒業した日の事です。大切な人間に裏切られて傷ついた瞳を
浮かべていた彼を…つい放っておけず、その苦しみから逃れさせる為に
手を貸してしまいました。
それが…佐伯克哉さんと私の出会った日に起こった出来事です…
 
「小学校の、卒業式…?」
 
 その単語に、御堂は何かが引っかかって違和感を覚えていく。
 二週間前から様子がおかしくなり始めて、徐々に昔の事を思い出した
克哉の口からも、何度も出ているキーワードだった。
 
「…一体、その日に何があったというんだ…? 傷ついている克哉を
放っておけなかっただと…?」
 
 今の御堂にとって、克哉は最愛の人間だ。
 何人もの相手と今まで付き合って来たが…本気で一生添い遂げたいと
願うほど夢中になり、自分から同棲しようとまで切り出した相手は
彼一人だけだった。
 だから、それが15年も昔の出来事であったとしても…彼が悲しんでいたと
いうのなら、聞き捨てならなかった。
 
―佐伯克哉さんはその日に、大切な人間から長きに渡る裏切りの事実を
告げられました。心からその相手を信じていたからこそ…少年だった頃の
彼にはその体験は耐え難く、それまでの自分の全てを否定する程の
出来事となってしまわれたのですよ…
 
「っ…!」
 
 その言葉を聞いた瞬間、御堂の中で符号が一致していく。
 二週間前、自分のマンションの入り口に立っていた克哉の親友だと名乗る男と、
相手を覚えてないと必死に言い張る克哉の姿。
 そして自分の実家に戻った時に、ある程度のことは思い出したと言っていた。
 
(まさか…記憶喪失、という奴なのか…?)
 
 御堂はその時、ごく自然にその考えに至っていった。
 もし澤村と名乗ったあの男がかつての克哉の大事な人間=親友だとしたら、
その裏切りのショックで記憶が欠落して、思い出せなくなったとしたら…。
 
(そうだと考えれば全てがしっくり来る…。だが、記憶喪失などそう
起こりうるものなのだろうか…?)
 
 ドラマや映画、物語の世界においては記憶喪失という設定は
決して珍しくない。
 物事の確信に触れる謎を持った人物を序盤の方に出しながらごく自然に
物語に出演させられる便利な設定だからだ。もはや『お約束』とすら
言って良いものだ。
 だが自分の身近な人物…恋人がそんな体験をしていたというのを
妖しい男に聞かされて少なからず御堂はショックを受けていた。
 
―ふふ、信じられないという顔をされていらっしゃいますね…ですが、
御堂孝典さん…貴方が今、推測された通りですよ…。今の佐伯克哉さんは
『記憶喪失』された事で引き起こされたペルソナ…。貴方が愛している
克哉さんは、本当の克哉さんが眠っている間…身体を守っているだけの存在。
本質の方が目覚めれば消える筈の儚い存在でした…。なのに貴方との出会いが
その本来辿るべき運命を変えてしまった…。影の方が表に立ち、光が押し込められる
形となった…。私は、その間違った道筋を正したいのですよ…
 
 その瞬間、Mr.Rが浮かべた表情にゾッとした。
 あまりに綺麗で恐ろしい冷笑だったからだ。
 それでも、男が語った内容は決して御堂には聞き捨てならなかった。
 当然だ、最愛の人間を否定されるような事を言われれば恋人としては
決して許せる訳がないからだ。
 
「…そちらは…私の克哉を、彼が生きている事を間違いだと
言うつもりなのか…?」
 
―さあ、どうでしょうね…?
 
「…しかも君の言いようでは、まるで克哉が二重人格者みたいな…」
 
 と言い掛けて、御堂は言葉を止めていった。
 「二重人格者みたいな言い方ではないか」と相手に言おうとした
瞬間…彼との出会いの場面を思い出していく。
 
(あの時、本多君と私の処に乗り込んで来た時…眼鏡を掛けた瞬間、
克哉はそういえば別人みたいになっていなかったか…?)
 
 それは今の御堂にとっては二年半近く前の出来事だ。
 紆余曲折があって結ばれて、今の克哉と接しているうちに彼が眼鏡を
掛けている間…別人のような行動と言動を取っていたその記憶も遠くなっていた。
 その事を思い出した時に、御堂の顔が心なしか蒼白になっていった。
 
―…どうなされました? 貴方は今…何を言い掛けたんでしょうか? 
言わないのでしたら、続きは私の方から言わせて頂きましょうか…?
 佐伯克哉さんがまるで二重人格者みたいな言い方ではないか、
貴方はそう言いかけたのではありませんか…?
 
「くっ…! そう、だ…」
 
 図星を突かれて、御堂が言いよどんでいく。
 対照的に男は愉快そうに微笑んでいた。
 そして大仰に拍手をしてみせる。酷く芝居掛かっている動作のようだった。
 
―やっと貴方もその回答に辿り着かれたようですね。そう
…貴方の最愛の存在である佐伯克哉さんは…二つの異なる魂を一つの身体に
宿している。光と影のように、もしくは黒と白のように…相対していながら、
正反対の性質を持った二つの心を同時に宿しています…
 
「嘘、だ…」
 
 確かに一時、自分もそう疑った時期もあった。
 けれど二重人格なんて、それこそドラマや漫画、映画の中にしか
存在しそうにないものだ。
 それが、よりにもよって一番大切な人間がそうであるという事実が
御堂を打ちのめしていった。
 
―それが事実である事は、恐らく以前から薄々と貴方は気づきつつあった。
けどそれを目を逸らしていただけに過ぎない…。違いませんか? 御堂孝典さん…?
 
 男はたおやかに微笑みながら、ジリジリと御堂を精神的に追い詰めていく。
 薄々と気づいてはいながら、目を逸らしていた事実の数々を白日の下に晒しながら…。
 男の言葉に認めたくなかった。
 だが、恋人関係になってから関係を安定させたくて追及せずにいたことを
突きつけられて…適当なことを言ってやり過ごす事は御堂には出来なかった。
 だから苦渋に満ちた表情を浮かべながら「その通りだ…」と小さく呟いた時、
黒衣の男は満足そうに微笑み…片手を挙げて、唐突に御堂を己の作った
仮初の空間にゆっくりと誘い始めていったのだった―
 
 

※御克ルート前提の、鬼畜眼鏡R内で判明した澤村や 
ノーマル克哉の大学時代の過去が絡む話です。
 RのED後から一年後の春…という設定の話なので
ご了承くださいませ。
 当分、鬼畜眼鏡側はこの連載に専念しますので宜しくです。

 桜の回想  
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 都内の某所。
 夕方過ぎになると殆ど人通りがなくなる住宅街の傍の、
とある施設の近く。
 眼鏡を掛けた方の佐伯克哉は、車に肘をついて軽くもたれ掛かっていきながら、
たった今…かつて親友だった男に電話を掛けて幾つかの連絡事項を告げていくと
静かに携帯の電源を落としていった。
 Mr.Rに手配してもらったメタルグリーンに塗装されたカローラの車内に入り
運転席に腰をかけていくと、彼は溜息を吐いていった。

(…澤村、お前はあのお人好しの『オレ』の事を出し抜くつもりだったのだろうが…
お前の筋書き通りにはさせてやらない。また卑怯な手段で俺に勝ろうとして
いる限りはな…)

 瞳の奥に強い憤りを秘めていきながら、彼は助手席に座っている片桐を
見遣って行った。
 相手が安らかな寝息を立てて眠っている姿を見て、眼鏡は安堵の表情を
浮かべていく。
 片桐に関しては間一髪だった。
 自分が駆けつけるのがもう少し遅かったら澤村の部下の男たちに
拉致されてしまっていただろう。
 
「…少し癪だがな…今回ばかりはあの胡散臭い男に助けられてしまったな…」

 片桐は本日の正午過ぎにキクチ本社から、そう遠くない位置にある
取引先に一人で出向いていた。
 その帰り道…日中でも殆ど人通りのない公園の敷地内を歩いている最中に、
三人の男達に囲まれたのだ。
 その公園は今の時期ぐらいから緑が生い茂り始めて、外部からは草木に
覆われて見通しが悪くなる。
 片桐自身は日常で良く通っていたから自覚はなかっただろうが…張り込んで
誰かを拉致するには絶好のポイントだったのだ。
 Mr.Rが周囲に妖しい香を炊き込める事で…自分以外のその場にいた
全員が深く眠り込んでしまい、特に片桐に関しては効果が絶大で結局6時間
あまりも眠り続けてしまっていた。
 自分に対して殆ど効果が出なかったのは…どうやら任意で効果が出る者と
出ない者をあの男には分ける事が出来るらしい。
 以前から謎が多い男だと思っていたが…其処まで人間離れした事を平然と
やられてしまうと最早何も言えなくなってしまう。
 このカローラも足がつかない手段で確保してきた盗難車だという。
 今日一日使用するだけなら問題ないと言ってキーを渡された訳だが…
こう言ったことを可能にするツテがあるのが本当に謎で仕方なかった。

(まあ、そんな事はどうでも良いか…。あの男がどれだけ常識はずれの事を
しようが、人外だろうが役にさえ立ってくれるならそれで良い。…だが、
片桐さんをどうするかだな…)

 澤村側にこの車の事はまずバレていないだろうが、意識を失っている
相手を一人この車内に残して離れるのは気が引けてしまった。
 本多や太一、そして御堂にももう一人の自分が会社で使っている携帯を
使用して警告文や、指示の類を出してある。だから…彼らを人質にして交渉を
有利に進めようとする澤村の野望は阻止出来ている筈だ。

(まったく…お前は本当に変わっていないな…澤村。また卑怯な手段を
使って俺を叩き潰して…お前は何を得るというんだ…?)

 無意識の内に彼は銀縁眼鏡を押し上げる仕草をしていきながら…
溜息を吐いていった。
 本当はもう一人の自分が、あいつに狙われていようがどうでも
良いはずだった。
 あいつはこちらの踏み込んで欲しくない領域までズカズカと
入り込もうとしていた。
 そんな奴を本当なら助ける道義などこちらにはない。
 けれど澤村に、例えもう一人の自分が良いようにされて打ち負かされるのは
不快だと感じてしまった。
 だから仕方なく手を貸すことにしたのだが…やはり気持ちがモヤモヤしていく。
 その瞬間、携帯に一通のメールが着信していった。

「…澤村からの返事だろうな」

 そう確信して、メールの文面に眼を通した瞬間…彼は驚きを隠せなかった。
 
「あのバカ…どこまでお人好しなんだ…」

 差出人とタイトルを見ただけで彼は苦々しく舌打ちしていった。
『ありがとう』と、そのメールには書かれていた。

ー片桐さんの件は本当にありがとう。お前がオレを助けてくれるなんて
思ってもみなかったから、嬉しかったよ

 そう短く締めくくられた文面を見て、複雑な想いが湧き上がっていく。
 それともあいつは、昨晩こちらが部屋を荒らしたことに気づいて
いないのだろうか。
 そんな筈はない、無くなった物を参照すればこちらが昨晩…写真を
回収する為に忍び込んだことくらいはすぐに判ることだろう。
 それでも、こちらに対して平然と『ありがとう』と告げてくるもう一人の自分の
神経が信じられなかった。
 どこまでお人好しなら気が済むのだろうか…。

「ん、んんっ…」

 もう一人の自分からのメールを読んで考えて込んでいる間に…助手席で
眠ったままだった片桐がゆっくりと眼を覚ましていく。

「…ふぁ…あれ、もしかして…佐伯君、ですか…?」

「…やっと目覚めたみたいですね。片桐さん」

 どうやら、今のメールの着信音をキッカケに長らく意識を失ったままだった
片桐が目覚めたようだった。
 うっすらと開かれた眼差しはまたトロンとしていて、夢の世界を漂っているようだ。

「…あの、ここはどこ、ですか…? それに僕はどうしていたんでしょうか…。
何故、こうなっているのか状況が良く掴めないのですが…」

「それは…」

 眼鏡にしては珍しく、どう答えようかと言葉に詰まっていった。
 直前に起こった出来事を伝えるか否か、とっさに迷ってしまったせいで
暫しの沈黙が降りていく。

(適当に誤魔化すか…? 問題のない範囲でだけ正直に答えておくか…
どちらにすれば良いんだ…?)

 こちらが架空の事情を伝えてやり過ごすか否かで考え込んでいる間、
片桐も必死に記憶を探っていた。

「あっ…思い出し、ました…。そういえばさっき…見知らぬ男の人たちに
囲まれてしまって、本当に困ってしまって…後、もう少しで車に押し込められて
浚われる直前に、妙に甘くて不思議な香りがして…意識がスゥーと遠くなった…
其処までは、思い出しました…」

「…………」

 片桐が直前の記憶を詳しく思い出してしまった事で彼は言葉を
閉ざすしかなかった。
 ここまで思い出されてしまったら付け焼き刃の嘘は通用しなくなる。
 だから覚悟して、事情の一部を相手に説明することにした。もう少し考える
時間があるならともかく、口からでまかせを言うくらいなら多少は事情を話した方が
良いと判断していった。

「…片桐さん、すみません。今…俺の方は少し厄介な奴に逆恨みを
されていましてね…。それで、恐らくこちらに睨みを効かせる為に貴方を
拉致しようとしたのでしょう…。面倒な事に巻き込んでしまって申し訳ない…」

「逆恨み…ですか? 佐伯君は一体何をしたんでしょうか…?」

「…俺も詳しい事は知りませんですけどね。去年手がけたビオレードの
パッケージを、御堂部長に提案を持ちかけて俺が材質とデザインを変えるように
提案し、それが通った事が引き金みたいですけどね…。人づてに聞いた話
なのでどこまで信憑性があるのか判りませんですけどね…」

 眼鏡の方は、Mr.Rが頼んでもいないのにベラベラと澤村の事を語って
聞かせてくれる為にある程度の所までは把握していた。
 そう、澤村がしようとしている事は脅迫であり…決して正当とは
言えない行為だ。
 それを阻止する為に、今回だけはこうして自分が現実に現れて色々と
動いた訳である。

「…そう、なんですか…。佐伯君、大変だったんですね…。精一杯仕事を
したのに、それで恨まれてしまうなんて…。パッケージの件は本多君から
以前聞いた事があるんですけど、御堂部長に提案されて全力で取り組んで
必死に考案したから直前で採用されて…其れが通ったと聞きました。
それだけ、君は真剣に仕事をしただけなのに…」

「いや、俺は…」

 と言いかけて、それ以上何も言えなくなった。
 その採用された一件は自分は関わっていない。
 『オレ』が御堂の期待に応えようと努力しただけの話で…こちらがこんな風に
片桐に労られる謂われはない。
 なのに片桐は慈愛に満ちた表情を浮かべながら…予想してもいなかった
言葉を向けてくる。

―けど、君がどんな状況になっていようとも…僕も本多君も佐伯君を大切に
想っています。巻き込まれたとしても迷惑だなんて想っていませんから…。
むしろ、そんな人に負けないで欲しいですから気にしなくて大丈夫ですよ…

 さっき、自分と澤村との確執に巻き込む形になって…でこの人は複数の男に
囲まれて拉致されそうになった。
 それがどれだけこの人は不安に思ったのか、怖かったのか想像すれば
容易に判る筈だ。
 なのに…そんな状況に陥ってもこの人はこちらに「気にしなくて良い」と
微笑みながら伝えてくる。
 その瞬間、チリリと胸の奥に痛みが走った。

(これが、仲間…か…)

 そう、実感した瞬間に認めたくないが…もう一人の自分に強い
嫉妬を覚えてしまった。
 小学校時代、自分が孤立した時…誰も味方になどなってくれなかった。
 唯一の仲間だと信じていた人間にさえも陰で裏切られていた。
 なのにもう一人の自分は…自分が侮って見下している方の人格は
とばっちりを食らう事になっても離れる事のない人間関係を築き上げている。
 それを今の片桐の言葉で実感していった。
 何と言えば良いのか、判らなくなってしまった。
 これ以上、片桐の顔をまともに見ていられなくなり…彼はそっと
ドアを開けて外に出ていく。

「佐伯君…? もしかして、今の言葉…君の気分を害してしまった
のでしょうか…?」

「…関係ありませんよ。ちょっと外の空気を吸いたくなっただけですから…」

 そうして、眼鏡は目の前に広がる光景を眼を細めて見遣っていった。

(まったく…あの男は。本当に皮肉に満ちているな…。良くこんな所を
見つけだしたものだ…)

 そうして、彼はフェンスの向こうに広がる敷地内を眺めていく。
 初めて来た筈なのに、妙に懐かしささえ感じられた。
 そう…彼が車を停めているのはとある小学校の裏手の道路だった。

―ここならば貴方が過去と決別するのに絶好のロケーションとなる筈です…

 そういってこの車にはナビが設置されていて、片桐を救出した後に真っ直ぐに
ここに向かった訳だが…ここに訪れた時、言葉を失いそうになった。
 
―ここはあまりに、彼が通っていた小学校に似ていたからだ

 建物の外観も、体育館やプールなどの配置も…何もかもが
思い出したくもないあの学校とまったく一緒だった。
 確かに小学校なら、児童が帰った後なら身を隠すには絶好の場所になる。
 目の前の風景を眺めていきながら…彼は逡巡していった。

(いい加減、過去を吹っ切るべきなんだろうな…)

 忌まわしい地に良く似た場所を見つめていきながら…彼は
ごく自然にそう思っていく。
 少しずつ、彼が過去と決別する為の舞台が整い始めていることを
感じていきながら…彼は煙草の先に火を灯して、肺の中を紫煙で
満たしていったのだったー
 

※御克ルート前提の、鬼畜眼鏡R内で判明した澤村や 
ノーマル克哉の大学時代の過去が絡む話です。
 RのED後から一年後の春…という設定の話なので
ご了承くださいませ。
 当分、鬼畜眼鏡側はこの連載に専念しますので宜しくです。

 桜の回想  
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―あの日からずっと、胸の中から消えない罪の意識がある。
  
   桜の時期になると、その古傷が疼いて…半分、正気を
失いかける。
 それでも表面上は何でもない顔をして日常を送っている。
 だが、淡い色の花びらが舞う姿を見る度に心がざわめいて
落ち着かなくなる。
 
(…この時期はいつもそうだ。あれから15年も経っているのに…どうして
僕は桜が咲くと、こんな不快な思いをし続けるのだろう…)
 
 
 澤村紀次は現在、クリスタル・トラスト本社の彼に宛がわれている
執務室の中で一人で待機していた。
 部屋と言ってもあまり広いものではない。
  役職の人間に宛がわれるのに比べれば随分と慎ましいものだ。
 だが、若くして個室を与えられるぐらい澤村なりに入社してからここ数年努
力し続けてきたのだ。この部屋こそ…彼がこの会社内でそれなりの功績を
挙げてきたという証でもあった。
 だが、今の彼は…この部屋をもしかしたら失うかも知れない、というぐらいに
社内でも評価が下がりつつある。
 それに焦りを覚えているせいもあるのだろう。
 何もせずに待つ、という状態だからこそ余計な感傷が入り込んでしまって
いるのかもしれなかった。
 
(君の事を考えると、どうして…真っ先にあの日のことばかり思い出して
しまうんだろう…。僕らは小さい頃からずっといたのに。その他の記憶は
遠く霞んだようになって…いつだって思い出すのは、あの決別の日のことばかりだ…)
 
 その事に軽く苛立ちながら、澤村は腕を組んで…指先をトントンと
叩く仕草をしていった。苛立っている人間特有の癖だ。
 部下たちに指示を出して片桐、本多、太一、御堂の元にそれぞれ
向かわせていた。
 そして佐伯克哉にとって大事な人間を人質に取って、商談を有利に
進めるつもりだった。
 澤村としては全員が捕獲出来なくて、たった一人で良い。
 今の佐伯克哉にとってアキレス腱となりうる親しくて身近な人物を確保
出来れば、こちらの勝利は揺るぎないものになる筈だ。
 
(君自身は知らないだろうけどね…君がMGNに関わってから僕が
手掛けた仕事は全て失敗か、パっとしない結果に終わっているんだ…。
君が関わっている限り…常にMGNと対抗商品ばかり作っている会社は
さんざんな結果に終わるだろう…。ここで巻き返しをしなければ…
会社での僕の立場も危うくなってしまう…)
 
 澤村は自分に与えられたディスクの椅子に腰をかけながら
部下たちからの連絡を待った。
 ソワソワして落ち着かない気持ちをどうにか沈めようと目を閉じて
深呼吸をしていく。
 なのに、心は落ち着く所か…一層ざわめいていくばかりだった。
 
 
「君さえいなければ…何もかもが上手くいくんだ。昔っから
本当に目障りなんだよ…!」
 
 そう吐き捨てながら、澤村は深く椅子に腰を掛けながら
溜息を吐いていった。
 今、澤村が担当している主な仕事は…MGNの機密情報を調べだして、
MGNと対立している会社にその情報を流すことと…対立している会社に
手を貸して、MGNの現在の地位から引きずり下ろすことだった。
 去年MGNが発売したビオレード…それを調べさせて、クリスタル・トラストに
息が掛かった会社に非常に似た商品を先に発売させてMGNの方に
痛手を与える筈だった。 だが澤村が直前に得た情報は、佐伯克哉のせいで
全て無駄になってしまったのだ。
 本来の予定ではガラス製の美しいデザインの容器で発売する筈だった
商品が…佐伯克哉が考案したペットボトルでの容器で発売することと
なってしまったのだ。
 その一件のおかげで、似たデザインの商品をぶつけてこちらが先行発売して、
MGNの新商品を潰すというプランが根本から崩されてしまったのだ。
 結果、澤村のクライアントからの評価は散々なものとなり…この一年間は
特に社内でも扱いが非常に軽くなってしまった事を実感していた。
 
(僕が再び返り咲く為には…君をあの時のように潰さなければならない…!
 君がいる限り、絶対に僕は上手くいかない…。去年、僕が味わった
苦渋を今度は君が味わう番だよ…!)
 
 澤村自身、その感情が逆恨みである事は薄々と判っていた。
 佐伯克哉は去年のビオレードの一件で、こちらにそれだけの損害を
与えたその事実を知らないだろう。
 しかし彼はいつだってそういう存在だった。
悪意でこちらを傷つけた事など一度もない。
無自覚に劣等感を与えるという形で…彼は澤村を脅かし続けていた。
 だが、それでも恨まなければ…彼にも煮え湯を飲ませなければ
気持ちが収まりそうになかった。
 共に多くの時間を過ごしていた幼い頃、いつだって佐伯克哉は
自分の前を歩いていた。
 そんな彼に憧れて目標にした事もある。
 たった一つでも彼に勝るものを作りたくてがむしゃらに
努力した時期もあった。
 けれど勉強、スポーツ、習い事、そしてゲーム…全ての事において
彼は常に自分よりも好成績を叩き出していた。
 小学校低学年の頃はそれでも、ただ憧れるだけだった。
 しかしそれが何年にも及ぶようになった時…次第と心の中に
黒い染みが広がっていった。
 小さな頃は優秀で何でも出来る彼の一番の親友であった事が何よりも
誇らしかっのに、ある時期からは…彼の存在が自分の劣等感を酷く
刺激している事に気づいた。
 それでも彼が自分を信用してくれていたから、必要としていたから
ずっと抑え続けていた。
 
―本当に心底嫌いな人間だったらあれだけ長い間、嘘をついて
傍にいることなど出来ないから…
 
 だが、小学校の高学年に差し掛かる時期にはそれも限界を迎えて…
結局、無自覚でこちらの心を痛めつけてくれた相手に対しての静かな
報復を開始していったのだ。
 心の奥底では、全て…嫉妬からその恨みが発生している事は判っている。
 だが、彼はあまりに弱く…その本心に直視する勇気をずっと持てないでいた。
 自分よりも遙かに実力が勝る者を前にして…自分が努力して相手を
追い抜くか、もしくは相手を貶めて失墜させるか。
 澤村は常に後者を選んでばかりいた。
 佐伯克哉だけではなく、目障りな人間はいつだってそうやって排除し続けた。
 役に立つ、有益な人間だけしか近づけないようにした。
 無能でこちらの足を引っ張るような人間とは線を引いて絶対に
深く付き合わないようにしてきた。
 だが、彼は気づいていない。正しい手段で相手に勝つように努力
しなければ自分の実力はいつまで経っても伸びてくれず…貶めて人に
勝っていても、必ず限界が来ることを。
 努力する人間は、常に前を見据えることの出来る人間は強い。
 小学校時代の頃から、佐伯克哉は何の努力もなしに『何でも出来る』
のではなく…観察して、影で反復練習を繰り返し続けて…『すぐに出来るように
する努力』を欠かさなかった事に彼は気づいていなかったし、
見えてもいなかったのだ。
 心のどこかではその事に気づいている。
 だが、あの小学校の卒業式の日から15年間…彼は絶対に真実を
直視しようとしなかった。
 目を逸らして…人のせいにして、自分の罪を意識しないように生きていた。
 
―それでも桜の時期だけはその出来事を鮮明に思い出し、心はいつも
苦しみを訴えていた
 
 あの日の、親友だった少年が本当に悲しそうな顔をする…その場面が
幾度も幾度も、澤村の心を抉り続ける。
 愉快だった筈なのに、目障りな奴に自分が勝った瞬間である筈だったのに…
どうしてあの日の自分は泣いてしまっていたのか、どうしても自分で
理解出来なかった。
 
「…くそ! 早く連絡の一つも寄越せば良いのに…。まったく、無能な
部下を持つと苦労する…!」
 
 澤村は言わば、現時点では司令塔のようなものだ。
 全体に指示を出して、結果が出るまでは自分では迂闊に
この場からは動けない。
 だからこそ…こんなにも、忌々しい桜の幻影が襲い掛かってくる。
早く佐伯克哉を打ち負かして、こんなものから解放されたかった。
 だがイライラしながら暫く待機した後、彼の元に次々と寄せられた報告は…
青ざめるようなものばかりで、特に最後の電話を取った時、彼は怒りのあまりに
蒼白になり…全身を大きく震わせていったのだった―
※御克ルート前提の、鬼畜眼鏡R内で判明した澤村や 
ノーマル克哉の大学時代の過去が絡む話です。
 RのED後から一年後の春…という設定の話なので
ご了承くださいませ。
 当分、鬼畜眼鏡側はこの連載に専念しますので宜しくです。

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 ―五十嵐太一のアルバイトしているロイドに、不振な男の集団が
押し寄せてきたのは午後6時を回ったぐらいだった。
 現在、マスターである太一の父親は買い出しに出かけていて
店の中にいるのは太一一人だけだった。
 スーツ姿の男が3人入って来るのを見て、太一は営業スマイルを
浮かべて応対していく。
 
「いらっしゃいませ~。三名様ですか? カウンター席とテーブル席…
どちらをご希望ですか?」
 
 大学も現在、一浪している状態な為…学費を出してもらっている父親に
すっかりと頭が上がらなくなり、今では太一も少しはきっちりした言葉遣いで
客に対応するようになっていた。
 は人間、引け目や弱みがあるとその相手に逆らえなくなる傾向にあるが…
彼にとって今は父親がその対象だった。
 だが、声を掛けたが男たちは何の反応を見せない。
 
「もしもし~お客さ~ん?」
 
「…五十嵐太一だな?」
 
「そうですけど、お客さん達…俺に個人的な用があるんですか? 俺、
まったくそちらには面識がない筈なんですけど…」
 
「答える必要はない。我々と一緒に来てもらおうか…」
 
「げげっ…! もしかしてそれ、スタンガンかよ!」
 
 いきなり、先端の部分に電極のような金属の突起が突き出ている
器具を突きつけられて、太一は面食らっていく。
 紛れもなくそれはスタンガン、高圧の電流を瞬間的に人体に流して
意識を失わせる為の物だった。
 そんな物をいきなり突きつけられるとは尚更穏やかな話ではない。
 
(うっわ~久々にヤバイ場面が訪れたなぁ…。親父が傍にいてくれれば
何て事ないんだろうけど、スタンガンを持っている奴等、三人を相手に
一人ではきっついかも…)
 
 当然、相手が丸腰ならば三人ぐらい同時に相手にしても太一は
逃げる程度の事ならば十分可能だ。
 五十嵐の実家は名の知れた古くからあるやくざの家柄でもある。
 その関係で子供の頃から荒っぽい事にそれなりに免疫があるし…
実家のゴタゴタに巻き込まれて何度か修羅場を体験した事すらあった。
 だから大げさに驚いて見せて、まず相手の出方を伺っていく。
 
「…そうだ。抵抗さえしなければこちらも手荒い真似はするつもりはない。
一緒に来て貰おうか…」
 
「イヤだ、と言ったら…どうするつもり?」
 
「…それ相応の覚悟はして貰おうか…」
 
 そういって淡々とした口調で男はそう告げていく。
 その態度を見て、太一は歯噛みしたくなった。
 素人が慣れない強力な武器を手にしたのなら、もう少し気持ちが
高揚していたり…得意になって頼んでもいないのにベラベラと解説を
始めたりするものだが、男達の態度は落ち着いたものだった。
 それだけで相手はこういった事に対して場数を踏んでいる奴等で
あるのが判明していく。
 
(参ったな…一人で切り抜けられるかな…?)
 
 まず逃げ道を確保しようと、太一はカウンターの裏手にある従業員用の
出入り口の方を見遣っていく。 
 だがこちらの意図を察したかのように、相手が冷然と言い放った。
 
「裏口から逃げようとしても無駄だ…すでに其処はマークしてある…」
 
「ちぇ…こちらの考えはすでにお見通しって訳ね…」
 
 何でもない事のような顔を浮かべて取り繕っていたが、今の一言で
太一は内心、大きく動揺していた。
 大立ち回りを演じれば、太一とてそれなりに腕に覚えはある方だ。
 店の外に逃げ出すだけならば、それでも十分に可能だろう。
 だが、太一にとっては以下に店の内装に損害を出さずにこの場を
切り抜けるか…という算段も意識の中に入っていた。
 
(ここは親父の城だからなぁ…本当にどうしようもない時は仕方ないけど、
ここで大立ち回りを派手にやる訳にはいかないんだよな…)
 
 太一の父がこのちっぽけな自分の店にどれだけ愛情を込めているか…
ここで働いているからこそ、太一は良く理解していた。
 全力で頭を働かせて、この場をどう切り抜けるかを必死になって考えていく。
 
(ちぇ…ちょっとで良い。少しでも隙が出来れば…それを糸口にどうにか
出来そうなのにな…)
 
 現在の太一は三人の男に完全にマークをされている。
 左右正面、どこに動いてもぴったりと張り付かれてとても
逃げ切れそうにない。
 だとすれば後ろに下がって、裏口からがベストかも知れないが…男のさっきの
口振りではすでに其処にも人が置かれているらしかった。
 それが何人程度なのか、情報がない状態では…迂闊に後ろに
逃げるのは早計だった。
 
(さて、どうするかなぁ…。ほんのちょっとでも隙が出来れば其処から
突破口は掴めると思うけど…)
 
 今のこの状況では無駄に睨み合いが続くだけだ。
 空気が硬直しているのを感じていく。
 意識を研ぎすませば連中の息づかいすら鮮明に聞き取れる程だった。
 太一は真剣に、三人の男達の付け入る隙を探していく。だが彼らも
同じようにこちらの隙を伺っているのだろう。
 実力行使に入るとしても一対三では分が悪い。
 全員の体格も、太一よりも一回りは大きかった。
 
(…せめて一対一か、親父を入れて二対三とかだったらまだ勝負になるけど…
俺よりもガタイが良さそうな奴らに真っ正面からぶつかって行っても…返り討ちに
遭うだけっだよな…。あ~防犯グッズは奥の部屋のカバンの中だし。
外出している時ならもうちょい警戒して手元に置いておくけど…まさか店の中で
堂々と拉致してくる輩が出るとは思っていなかったもんなぁ…。うちのじいさんの
事を知っている奴等だったら、少なくともロイドにいる時に親父や俺にチョッカイ
掛けてくるような奴はまずいないからな…)
 
 と、そこまで考えた時に…ふと太一は気づいていった。
 
―この連中は極道絡みの件でこの店に顔を出した奴等でないかも知れないな…
 
 祖父の五十嵐寅一は関西の極道を束ねる存在であるし、父も表向きは
小さな喫茶店のマスターだが、裏社会では痕跡を殆ど残さずに人を殺める、
凄腕の殺し屋として名が知れている人間だった。
 だから裏社会の人間だったら、まず…この店に手を出す愚かな真似はしない。
 父と母、そして寅一を敵に回すことはいわば命がいらない事とイコールになる。
 今では五十嵐組と対立関係にある組とて、安易にこの店で太一にチョッカイ
掛けるような真似はしないだろう。
 なら、この男達はどういったツテでこちらを拉致しようとしているのだろう。
 そこまで考え至った時、太一はカマを掛けにいった。
 
「…ねえ、あんた達さぁ…どこの組の関係者? 俺がさ、関西の極道の元締め、
五十嵐寅一の孫だって知った上で…俺を拉致しに来た訳?」
 
「っ…!」
 
 その瞬間、衝撃が男たちの間に走っていったのを太一は見逃さなかった。
 
(やっぱりそうだ…こいつ等は、俺が…あの厄介なじじぃの跡継ぎと
見込まれているお気に入りの孫だっていう情報を…根本的に知らない…!)
 
 はっきり言うと、太一はあの祖父が好きではない。
 豪快な性格とかイザっていう時は筋を通す部分があることは認めている。
 だが、自分は跡継ぎになどまったくなる気がないのに唯一の男孫だからと
いう理由で事あるごとに…跡目は太一だと周囲に触れ回っているのは嫌だった。
 だが、この状況を打破出来るなら幾らでもそのネタを振ってやろうと思った。
 そういった切り替えの早さと割り切りの良さこそが、太一の武器でもあった。
 
―あのじじぃの事をダシに使うのは気が進まないけど…このネタを使って
こいつらに圧力を掛けるのを成功すれば、絶対隙は作れる筈だ…!
 
 太一はそう考えて、思考をフル回転させていく。
 まずはったりとして余裕のある、不適な笑みを浮かべていった。
 笑顔は時に、相手を精神的に追い詰める最大の武器となりうる。
 出来るだけ自信ありげに、ふてぶてしく笑う事を目標としていった。
 
「…俺さぁ、五十嵐組の血族の中でさ…唯一の男孫な訳ね。だからじじぃがさ…
ガキの頃から自分の跡継ぎは俺だって言って譲る気ないんだよ…。
あんたらが誰に頼まれて、俺を拉致しようとしているのか知らないけどさぁ…
俺に何かあったとしたら、五十嵐組を始め…関西のヤクザ達が黙っちゃいないよ…。
あんたらにはその覚悟があるのかな…?」
 
「で、デタラメはそこまでにして貰おうか…そんな嘘に我々が
引くとでも思っているのか…?」
 
「はは、声が震えているよ…。それにちょっと調べれば俺のことなんて
すぐに判るよ。人の話を嘘だって決め付ける前にさ…調べれば良いじゃん。
じじぃに太一って名前の男孫がいるかどうかさ…。それを調べれば俺が
本当のことを話しているって絶対に伝わる筈だよ」
 
 太一が余裕を取り戻していくのと対照的に、男たちはドンドン青ざめていく。
 もし…太一が言っていることが事実だったら、とんでもない事を
引き起こすキッカケにすらなりうるのだ。
 彼等が慎重になるのは、むしろ当然の事だった。
 
(ようしっ…! この手はイケる…この調子で少しずつ前に出て
間合いを詰めていけば…抜けられる…!)
 
 そうして男たちが惑い、視線を彷徨わせている僅かな隙を狙って…
ジワジワっと間合いを詰めていく。
 精神的な動揺が、彼らの包囲網に穴を作り始める。
 太一はそれを的確に突いて、それを打破しようとしていた。
 
―良し、もう少し奴らに気づかれないように近づけるなら…こいつらの隙を突ける!
 
 そう確信した瞬間だった。
 ロイドの扉はバァン!! と盛大な音を立てて開かれ…立派な体格を
した青いスーツ姿の青年がいきなり中に飛び込んで来た。
 
「太一! 無事かぁぁぁ!」
 
「げげげっ…!」
 
 その瞬間、太一はあまりの想定外のことが起こって一瞬フリーズを
仕掛けてしまった。
 相手の心理を微細な所まで読み上げて、心理戦に持ち込もうとしている
太一にとってはまさにKYを絵に描いたような男が乱入してきた事は
邪魔以外の何者でもなかった。
 
―何でこんな時に本多さんがやってくるんだよぉ…
 
 太一はその瞬間、本気で泣きたくなったが…どうにか気を取り直して、
切り替えていった。
 
「太一、助太刀するぞ! 俺が来たからには泥舟に乗ったつもりでいてくれ!」
 
「…本多さん、それを言うなら…大舟だってば! 泥船だと確実に沈むから!」
 
 太一は力いっぱい叫んで、突っ込み返していった。
 決して相性が良いとも、仲良いとも言えない本多がどうして今日に
限っては太一を助けに来たのか真意を計りかねようとしていた。
 だが、本多が来たことでまた場の空気が大幅に変わったのも事実だった。
 
(あっちゃ~この人のKYっぷり…健在かよ。せっかく良い流れになって
きたのに…何もかもが台無しだっつーの。…けど、この人強そうだし…
実力行使でも平気か…?)
 
 本多は標準的な男性の体系よりも遥かに優れている。
 最近、バレーを再開したみたいだと克哉が少し話していたし…スポーツマンなら
体力も人並み以上にある筈だ。
 とっさに作戦を切り替えて、太一は叫んでいく。
 
「本多さん、この人たちを片付けるの手伝って! こいつら、営業妨害
しているからさ…出来るだけ店の内装を壊さないように配慮しながら…宜しく!」
 
「おいおい…難しい注文をつけるなよ! まあ良い…気絶させりゃあ良いんだな?」
 
「うん! 宜しく!」
 
 二人が男たちを挟みながら、実に物騒な会話を交わしている間…男たちの
全身から殺気のようなものが発生し始めていたが…太一は敢えてスルーしていった。
  喧嘩慣れしている彼は、本多が来てくれた事でこの状況をひっくり
返せると確信をしていた。
 一対三なら直接相手にするのは無謀でも、体格的に勝っている本多と
一緒ならば…認めるのは癪だが、勝負にキチンとなってくれるのだ。
 
―悔しいけど、本多さんが来てくれた事で…勝負になる。とりあえず今は
この男たちを片付けさせてもらおう…!
 
 太一は目配せして、本多にもうこちらが動くことを伝えていく。
 そうして数分後…即興のタッグを組んだことでどうにか男たちを撃退して
追い払い…太一はどうしてこのタイミングで本多がこの店にやってきたのか
その事情を聞き出していったのだった―
 
※御克ルート前提の、鬼畜眼鏡R内で判明した澤村や 
ノーマル克哉の大学時代の過去が絡む話です。
 RのED後から一年後の春…という設定の話なので
ご了承くださいませ。
 当分、鬼畜眼鏡側はこの連載に専念しますので宜しくです。

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―やあ、僕のことは覚えているかい?
 
 本多との会話終了直後に掛かって来た電話を取ると、聞き覚えのある
声の主が…そう声を掛けて来た。
 
「…澤村、さん…?」
 
 故郷の地に戻り、もう一人の自分と彼の写真を見た際にぼんやりと
思い出した名字を、確かめるように呟いていく。
 前回、接触を持った際にはまったく手応えがなく、「思い出せない」を
繰り返していた克哉が…恐々とした様子でも自分の名を口にした事で…男は
電話の向こうで愉快そうに喉の奥で笑っていった。
 
―へえ、僕の事…やっと思い出してくれたんだ…嬉しいなぁ…。かつての親友に
忘れ去られてしまって、僕は本当に寂しかったからねぇ…
 
「一体、何の用ですか? どうしてここの番号を…?」
 
―君がMGNで働いている事はとっくの昔に調べはついているよ。我が

クリスタル・トラストの情報調査員は優秀だからね…。克哉君、君についての
情報はかなり詳しい処まで知っているよ…。例えば、君の直属の上司との
親密な関係とかもね…?
 
「っ…!」
 
 その一言を言われた瞬間、克哉の表情は強ばっていく。
 男が言っているのは間違いなく自分と御堂との恋人関係の事だ。
 だが、すでに本城の時に学習をしている。
 一切、動揺を見せる訳にはいかない。それは相手に付け入る隙を
与えてしまうだけだ。
 だから克哉はすぐに気持ちの体制を直して、出来るだけ平静な声で
言葉を返していった。
 
「…そちらが何を言っているのか、理解出来ないんですけど…」
 
―ふうん、とぼけるんだ。まあ良いよ…今の間が肯定してくれた
ようなものだからね
 
「どうぞご自由に解釈して下さい。根も葉もない噂に左右されるような
愚かな社員はMGNにはいませんから」
 
 御堂に決してこの件で迷惑を掛ける訳にはいかない。
 彼と交際してから二年、一緒に暮らすようになってからは
一年が経過している。
 その事で一部の社員にはすでに、自分たちの関係は薄々とは
気づかれているが…御堂と克哉のスタンスはもし発覚したとしても
胸を張っていようと決めていた。
 言いたければ言うが良い。
 男と女じゃなければ生涯のパートナーになれない訳ではない。
   男同士であったとしても心が深く繋がれば…共に生きていけるし、
寄り添っていける。
 御堂と交際した直後はそれでも自分が男である事に迷う事があった。
 だが、今はあの素晴らしい人に選んでもらえて本当に良かったと思っている。
 だから…自分たちの関係を、かつてもう一人の自分を陰で騙して貶める
ような真似をした奴に決して踏みにじられたくない。
 だから克哉は毅然とした態度で応対した。
 それが相手には面白くなかったのだろう…チッ、と舌打ちする音が
小さく聞こえていった。
 
―まあ良い。そちらはささいな事に過ぎないから。随分と脇道に
逸れてしまったからそろそろ本題に移ろうか…。ねえ、克哉君…君は
今でも前の会社の人達と親しく付き合っていて…時々飲み会をしたり
懇意にしているみたいじゃないか。特に片桐課長と…大学時代の同級生の
本多憲二…この二人は特に君にとって大切な存在みたいだね…
 
「嗚呼、そうだよ。それが何か…?」
 
―ならこの二人はいわば君にとってはアキレス腱に等しいよね。今…僕が
片桐部長を拉致しに、部下を向かわせていると聞いたら…君は一体どんな
顔をするのかな…?
 
「何だと!」
 
 その瞬間、克哉は平静を取り繕う事が出来なくなり、大声を挙げてしまった。
 今の澤村の発言と、先程の本多が電話で言っていた内容が重なっていく。
 正午過ぎから音沙汰なく、姿を消してしまった片桐。
 そして部下を使って拉致しに行ったという澤村の発言が
最悪の形でもって重なっていく。
 
「…片桐さんをどうするつもりだ!」
 
―おいおい、そんなに怒るなよ…。今の処、何もするつもりはないよ…。
だって危害を加えたり怪我をさせてしまったら僕達の方に非が出来てしまう…。
丁重に扱っているから無傷だよ。『今の処』はね…
 
 澤村は現時点では、というのを強調して伝えて来た。
 それはこちらの返答や、行動次第によってはどうなるか判らないというのを
遠回しに伝えて、こちらに脅しを掛けているのと同義語だった。
 克哉はその事実に強い憤りを覚えていった。
 
(こいつ、全然変わっていないし…反省もしていない…! こんな卑怯な真似を
平然と取るなんて許せない…。それに、迂闊な対応を取れば片桐さんが
どうなるか判らないなんて…!)
 
 本多の電話の内容を聞いた時点から、何となくイヤな予感はしていた。
 だが、こんなにも早くそれが的中していた事を思い知る羽目になる
なんて考えてもみなかった。
 克哉は無意識の内に、こう呟いてしまっていた。
 
「…卑怯者、貴方は全然…小学生の頃から、変わっていないんですね…」
 
 その一言が知らず、口から零れた瞬間…澤村が息を飲む
気配を感じていった。
 暫しの間が生じていく。そして…怒りを必死に押し殺した相手の
声が聞こえていった。
 
―黙れ、お前はこちらの事を忘れていたんじゃなかったのか…? 人の
小学校時代の事をどうこう言えた義理じゃないだろうが…
 
 その時、嫌みったらしいぐらいに余裕に満ちていた相手の様子が
大きく変わりつつあった。
 だが、そんな事に今更克哉も動揺する訳がなかった。
 
「…聞こえていなかったんですか? 優位に立つ為にこちらの事を調べて…
こちらの親しい人を拉致する。この行動のどこか卑怯じゃないんだよ…」
 
―うるさい。黙れ…君が目障りな事をしなければ良かったんだ…。
知っているかい? 今…君たちが新しく開発しようとしている新商品は、
クリスタル・トラストが現在提携している会社が新しく開発している商品と
酷く似通っている部分がある。このままそっちに先に発売されたらうちは
大打撃を喰らうんだ…。それを放置する訳にはいかないだろう…!
 
 その時、男の口から初めて聞く情報が漏れた。
 克哉の中で、再びパズルのピースが埋まっていく。
 今、語られた内容…それこそが、この男性が自分の前に突然顔を
出してきた一番の理由のような気がした。
 
(今の一言で、どうしてこの人がオレの前に現れたのか…
ようやく、繋がった…)
 
 克哉は断片的にしか、相手に関しての情報を持っていない。
 ただ、あのような酷い裏切り行為をした相手が何の理由もなしに
自分の前に現れる訳がない。
 もう一人の自分と、澤村との間に起こった事を考えれば旧交を
取り戻す為に…という理由で現れたとしたなら、相手がその事に関して悔いて、
改心している事が前提となる。
 しかし片桐が拉致された事を考えれば、その可能性は完全に
否定されたようなものだ。
 だが、会社の利益の為なら…何らかの圧力なり、裏取引を持ちかける為に
接触しようとしたなら、全ての事例が納得いく形で纏まっていく。
 だが、恐らくこの男にとっての最大の予想外の出来事は…『今の克哉』は
まったく澤村の事を知らなかった事だろう。
 だからあの日、男は動揺して取り乱したのだ。
 自分の事を覚えてもいない相手に、付け入って優位な方向に話を
持っていける訳がない。
 かつて信じきっていた頃のように、その情で…相手は再び自分の良いように
こちらを操作しようとしたのだろう。
 そう考え至った瞬間、沸々とした憤りが胸の奥から湧き上がっていく。
 
(ねえ『俺』…お前はこんな男を親友と信じて、裏切られた訳なんだね…)
 
 奇妙な感覚だった。
 それはまぎれもなく自分の体験した出来事なのに、人事のように
感じられてしまった。
 けれど紛れもなく克哉は怒っていた。
 もう一人の自分を味方面して裏切り、今も自分の利益の為にこちらを
脅そうと片桐を拉致しようとしている。
 そんな理不尽な真似をしている相手に、本気で腹が立った。
 様々な考えが巡っていく。相手もさっきの発言はまずいと思ったのだろう、
 両者の間に重い沈黙が落ちていく。
 
(どうしよう…迂闊な事を言って刺激して、片桐さんの身に何かあったら…)
 
 相手を怒鳴りつけたい衝動に駆られた瞬間、克哉のプライベートで使用
している方の携帯が上着のポケットの中で振動していった。
 
「うわっ…?」
 
 と驚きつつも、慌てて克哉は着信画面を確認していった。今朝紛失して
しまった仕事で使用してある方は、多くの取引先が登録してある。
 逆にプライベートの方はごく限られた人間にしか教えていない。
 逆を言えばこちらに掛かってくる電話や送信されたメールは克哉にとって親しい、
もしくは大事な人間からの連絡であるのと同義語である。
 時間的に御堂からだろうかと推測してメールの文面を確認していくと…
克哉はその場で固まった。
 
『オレへ 片桐さんは無事だ。その件は心配しなくて良い』
 
 たった一言、それだけしか書かれていない素っ気ない内容だった。
 そして送信アドレスは…何と、会社用に使っている携帯からだった。
 一応、念の為に会社から支給された携帯のアドレスもこれに登録して
あったが、今までに必要なメールを転送する以外でメールを送受信
した事はない筈だった。
 だが、実際に…無くなった筈の携帯から、明らかにもう一人の自分が送って
来たと思われる内容が送られて来た。
 それで、もう一つの疑問が解けていく。
 
(…俺の会社の携帯を持っていったのは…お前、だったのか…)
 
 そう、この携帯さえあれば…会社や御堂のマンションのセキュリティを
越えたり、片桐を呼び出す事は容易だろう。
 他の人間だったら携帯一つ取得しただけでは其処までするのは不可能だ。
 だが、もう一人の自分が手にしたならば…佐伯克哉として、合い鍵借りたり、
扉を開けてもらったり…ありとあらゆる事が可能となる。
 
「…ありがとう、『俺』…」
 
 昨日、彼に自分達の部屋に侵入されて荒らされたのはショックだった。
 だがその事よりも、彼が自ら動いて…片桐を助けてくれたことの
喜びが大きかった。
 これで相手が不当な要求をしてきても、心おきなく突っぱねられる。
 そして、克哉は決意を固めて…電話の相手との長い沈黙を破り、戦いの
口火を切る為に…ゆっくりと言葉を語り始めたのだったー
 
 
※御克ルート前提の、鬼畜眼鏡R内で判明した澤村や 
ノーマル克哉の大学時代の過去が絡む話です。
 RのED後から一年後の春…という設定の話なので
ご了承くださいませ。
 当分、鬼畜眼鏡側はこの連載に専念しますので宜しくです。

 桜の回想  
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御堂と克哉が桜を二人で見に行き、帰宅した時に派手に部屋を
荒らされてしまったその翌日。
 就業時間を迎えて、これから残業時間に差し掛かる頃くらいに
克哉の元に一通の電話が鳴り響いた。
 ついさっきまで御堂と一緒に本日の業務をこなしていたのだが…
商品開発部の方に直接打ち合わせに行くと一言残して、ついさっき御堂は
部屋の外に出た直後のことだった
 昨晩の出来事に対して、まだショックが尾を引いていないといったら
嘘になるが…私事で業務に支障を出すのは社会人として失格なので、
勤務中は悩み事は頭の隅に追いやって目の前のことをこなすのに
専念していた。
 だが、そんな彼を嘲笑うかのような驚愕の事実が電話の主から
告げられようとしていた。
 
 ツゥルルルルル…ツゥルルルル…
 
 定時を迎えているせいか、会社全体がどこか静かで…その分、
電話のベルの音が大きく感じられる。
 十回程度、呼し出し音を聞いてから克哉が受話器を取ると…
相手は、本多だった。
 
「はい、もしもし…こちらMGNの製品企画開発室ですが
どういったご用件でしょうか…?」
 
「……克哉か?」
 
「…えっ、もしかして本多か?」
 
「ああ、そうだよ。さっきからずっとお前の携帯の方に呼び出していたのに…
通じないからよ。本気で焦ったぞ…。仕方ないかた
 
「あ、うん…ちょっと事情があって…今日は、会社で使っている方の携帯は
繋がらないんだ。その…バッテリーの部分がおかしくなっちゃってさ。まだ
代替え機も用意されていないから…」
 
「えっ…? 嗚呼、そうだったのか…? なら仕方ないな。何かあったのかと
思っちまったよ。バッテリーがイカれちまっているなら通じなくても
不思議はないよな…」
 
「う、うん…」
 
 と頷きつつも克哉の様子は歯切れが悪かった。
 本多に今、説明したのは半分事実だが…残り半分は嘘だったからだ。
 実際にMGN本社内で働いている時は会社から支給されている方の
携帯を克哉はメインに使用している。
 だが、部屋から写真が消えてしまったように…本日、出社してから
気づいたのだが…克哉のそちらの方の携帯はロッカーから
紛失していたのだ。
 だからそちらの携帯を克哉が今、使うことは出来ないというのは事実
だったが…誰かに取られたと言うよりもバッテリー云々で使用不可能
という方が人を心配させないので、御堂に対しても本日…そう言い訳した。
 だが、一体誰が自分の携帯を盗んだのか見当がつかない。
 写真に関してはもう一人の自分が犯人であることはまず間違いない。
 だが、携帯に関しては…まったく判らない。どういった意図で克哉の
携帯を盗んだのか…それが読めなかった。
 
「あれ? けど…おかしいな。今日の昼頃…片桐さん、その会社の方での
お前の携帯から着信があったって言っていたぜ…?」
 
「えっ…?」
 
 その一言に克哉はぎょっとなった。
 今朝の時点でその携帯に関しては朝の時点で紛失を確認している。
 だから、その電話は自分以外の人間が掛けたものである事は間違いなかった。
 だがここですぐに事実を明かしてしまうのは早計過ぎる気がした。
 
「…嗚呼、オレ…プライベートで使っている方の電話で片桐さんに昼、
電話を掛けたから…間違いじゃないのか?」
 
「…何だと?」
 
 その一言を言った途端、本多の声のトーンが一気に低くなった。
 何かを押し殺しているような、そんな響きだった。
 
(しまった…本多はこの発言が嘘である事を察してしまったみたいだ…)
           
「…克哉、俺に嘘をつくんじゃねえよ…。片桐さんは間違いなくお前の
会社の方の携帯から掛かって来た電話を取って…それで出掛けていったんだ。
たまたま、着信している時に番号は俺…傍に立っていたから見ていたんだ。
それは間違いないからな…」
 
「あっ…」
 
 なら、今の自分は致命的な間違いを犯してしまったことになる。
 それなら克哉の発言が事実でないことの裏づけを最初から本多は
知っていたことになる。
 冷や汗がジワっと背筋に伝っていく感覚がしていった。
 だが…ここで適当な事を言って電話を切ったりしたら、余計に本多の
疑惑を深めてしまうだけだろう。
 それは判っていたが…克哉は半ばパニックになりかけていた。
 何も言えないまま、克哉は黙っていく。電話を通してお互いの間に
重い空気が流れていくのを感じていった。
 
「……ちぇっ、お前…何か事情ありそうだな。良いよ…今はお前の嘘は
置いておくことにする。それより本題にそろそろ行かせて貰うぜ…。
お前、片桐さんの行方を知らないか…?」
 
「な、何…? どうして片桐さんの事が出てくるんだ…?」
 
「…そんなの俺の方が聞きてぇよ。だから片桐さん、お前の携帯からの
電話を取ってすぐに俺達に出掛けると告げていってから…オフィスを出てな。
それから行方不明なんだよ。連絡しても一向に出る様子もないし…就業時間を
迎えたのに戻って来てもいない。あの律儀な人が連絡もなしに…直帰する
訳ないし、他の人に片桐さんの家の方にも向かって確認してもらったけど…
自宅にもまだ帰ってないんだとよ…」
 
「…嘘、だろ…?」
 
 あまりにショッキングな事を聞かされて、克哉は驚愕を隠せなかった。
 どうして片桐が前触れもなく失踪してしまったのか…理解が出来なかった。
 今では克哉はMGNに所属している身で…キクチ時代の仲間たちは
元同僚という位置づけでしかない。
 だが…今でも飲み会や忘年会の類は呼ばれるので参加させて貰っているし、
大切な存在であることは間違いなかった。 
 特に片桐は今では結構親しくなって、何かあった時に話を聞いてもらったり…
たまに相談に乗って貰っている存在だった。
 その人が忽然と足取りを消してしまっている事実を聞かされて…克哉は
言葉を失いかけて、顔が青ざめ始めていった。
 
「…わりぃ、さっきお前が嘘をついた事で…片桐さんの件、もしかしたら
お前が関わっているんじゃないかって一瞬疑っちまった。けど…お前も
本当に驚いていたみたいだからな。そんな事…ある訳ないよな…」
 
「嘘、ついたことに関しては御免…。実はオレ、そっちの携帯…盗まれて
しまっていて。それで…本多に心配掛けたくなかったからとっさに嘘を
ついてしまっただけなんだ…。だからその件に関してはオレも、知らない…」
 
 克哉は仕方なく、その事情を正直に打ち明けることにした。
 本多は長い付き合いである…大切な友人だ。
 こんな事で亀裂や溝を作りたくなかったから…嘘偽りなく事実を伝えていく。
 その説明を聞いて本多は納得がいったが…どこかさびしそうに答えていった。
 
「…そう、だったのか。なら克哉は無関係だな…。悪いな、俺も心配だから
ちょっと疑心暗鬼になっちまっていた…御免な」
 
「ううん、オレも嘘をついてしまって御免…」
 
「いや、気にしなくて良いぜ。少なくともお前が悪意や、俺を騙そうとして
嘘ついたわけじゃないって事は判ったから…。けど、片桐さんの足取りが
判らなくて…八課の全員が心配しているし…不安に思っている。もし手がかり
らしきものでも掴んだらすぐにこちらに連絡して貰えるか?」
 
「う、うん…判った。何か判ったらすぐに連絡するよ!」
 
「嗚呼、頼むぜ。それじゃあ…俺なりに今から色々と動いてみることにする。
ジっとして黙って待っていたって事態は好転しねぇだろうしな…。それじゃ
克哉、そろそろ切るぜ?」
 
「うん、本多も気をつけてな…」
 
 最後に克哉がそう告げると、電話は静かに切れていった。
 あまりに予想外の事が昨晩から起こり続けて、克哉は
混乱しかけていた。
 明らかに自分の周りが大きく動き始めている。
 だがその全貌を未だに掴むことが出来なくて…克哉はどうすれば
良いのか迷い始めていった。
 その直後、もう一度…電話がけたたましくなり響いていった。
 
「あっ…また、電話が鳴ってる…?」
 
 その瞬間、克哉の背筋に猛烈な悪寒が走り抜けていく。
 そして散々迷った末に、受話器を取っていき…そして克哉は衝撃的な
事実を再びその電話口の相手から突きつけられることになったのだった―
 
 
※御克ルート前提の、鬼畜眼鏡R内で判明した澤村や 
ノーマル克哉の大学時代の過去が絡む話です。
 RのED後から一年後の春…という設定の話なので
ご了承くださいませ。
 当分、鬼畜眼鏡側はこの連載に専念しますので宜しくです。

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克哉が御堂と寄り添いながら、部屋のある階までエレベーターに乗り、
其処から出た時…隣のエレベーターに乗り込んだ人物の後ろ姿を見て、
驚愕を隠せなかった。
 マンションの入り口でMr.Rに遭遇しただけで相当に驚いたのに、まさか
彼までがこうして現れるだなんて予想してもいなかったからだ。
 
「えっ…?」
 
「…克哉、どうしたんだ?」
 
「い、いえ…今、入っていった人がもしかしたら知り合いかなと思って
少し驚いただけです…」
 
「…? そうか…」
 
 御堂は怪訝そうに眉を寄せていったが…克哉が言いづらそうにして
いるのを察して、それ以上の詮索はしてこなかった。
 それが克哉にはありがたかった。
 
(良かった…孝典さんがそれ以上、尋ねて来なくて…。まかさ言える訳が
ないよな…。もしかしたら今、オレたちと入れ違いに隣のエレベーターに
乗り込んだ人物が…もう一人の』俺』かも知れないなんて…)
 
 ただでさえもう一つの人格があるだの、しかもその人物と対面して
抱かれた経験すらあるなど、決して口に出して言える事ではない。
 御堂に例の眼鏡の事を打ち明けた時ですら、信じている様子は
なかったのだ。
 そんな事を口に出したら…絶対に正気を疑われることは
目に見えていた。
 自分が誰かからこの体験を打ち明けられたとしても…
恐らく信じられないだろう。
 それぐらいMr.Rと…もう一人の自分の存在については
非現実すぎる体験なのだ。
 だが、このフロアは自分と御堂の部屋がある。
 どうしてその階層にもう一人の自分が具現して現れていたのか…
腑に落ちない気がして克哉は首を傾げていった。
 
(…どうしてあいつはこの階にいたんだろう…?)
 
 何となくそれが納得いかない。
 用もなく、あいつがこうして現実に存在しているなどとても
思えなかったからだ。
 グルグルと思考が回り始めていく。
 出口のない迷路にまた迷い込んでしまったような気分だった。
 
(判らない…Mr.Rも、あいつも…何を考えて行動しているのか、
その理由が…)
 
 ただ一つ言える事はこの一年…安定していた筈の自分の環境が
あの男性が目の前に現れた二週間前から崩れてしまったという事だ。
 自分が動揺する度に、御堂はいつだって心配そうな…どこか
苦しそうな顔を浮かべていく。
 その表情を見る度に克哉は申し訳ない気持ちでいっぱいに
なってしまう。
 けど、もし逆の立場なら自分だって御堂を心から案じるし…少しでも
手助けしたいと思うだろう。
 
(いちいち、小さな事に動揺するな…孝典さんにこれ以上、心配を
掛けてはいけない…)
 
 そうして気をしっかり持とうと覚悟したのと同時に、自分たちの
部屋へと辿り着いていった。
 そしてカードキーを使用して中に入り、リビングに向かって
二人は愕然とした。
 
「なっ…! これは…!」
 
「そんな…どうして、こんな、事が…?」
 
 御堂と克哉は驚きを隠せない様子で、部屋の中の惨状を
目の当たりにした。
 定期的にハウスキーパーを入れて清掃も行ってもらい…自分たちが
生活している時でも整理整頓に出来るだけ気を配って整えている筈の
室内が、まるで空き巣か何かに入られたかのように荒らされていたからだ。
 このマンションのセキュリティは都内でもかなり上ランクの方に入る。
 住人と一緒に入るか、もしくは住人が許可した人間が入れないように
工夫されている。
 関係ない人間が…入り口より先に入るのはそれなりに骨が折れる筈だ。
 
「何故、こんな事が…? この部屋のカードキーは君と私、後は管理人
しか持っていない筈だ…! 何故、こんな事が起こりうる…?」
 
 このマンションではカードキーを使用する以外でドアを開いた場合、
例えばピッキングなどで強引に開錠した場合は盛大にアラームが
鳴り響いて強盗など出来る状態ではなくなる。
 もし、この高級マンションでそれでも何かを盗みたかったら、住人と
一緒に入るか…もしくは住人になりすまして入り口を越えるのと、
カードキーを何らかの手段で手に入れなければならない。
 その二つのハードルを越えなければ、到底こんな事態になりようがない。
 
(まさか…?)
 
 克哉は慌てて、スーツの上着のポケットに手を差し入れて
カードキーを探っていった。
 其処には確かに肌身離さずに大切に持っているこの部屋の
鍵が入っていた。
 そう…自分が起きている限り、外出する時は常に克哉はこれを
無くさないように意識している。
 これは自分の住んでいる部屋のキーである以上に、御堂から
初めて御堂から貰った…強い想いが込められた品だったからだ。
 合い鍵を渡しても構わないと想うぐらいに、自分を好きになって
くれた事が嬉しくて…だから克哉はこれだけは絶対に無くさないように
気をつけ続けた。
 
「克哉…君のカードキーは…?」
 
「…キチンとここにあります。これは貴方からもらった大切な
思い出の品でもあります…。これを無くすような事はしていません…」
 
 そうして自分の言葉が事実だと相手に伝える為に、ポケットから
キーを取り出して見せていく。
 
「嗚呼、そうだな。君がそんな不注意を簡単にする筈がないし…万が一
やってしまったのなら、黙ってそのままにしておくような愚かしい真似を
する筈がないからな…」
 
「えぇ…」
 
 克哉は小さく頷きながらその言葉に同意していく。
 本当に酷い有様だった。
 
「…克哉、何を取られたのか確認しておこう。金銭に関わる物が
盗み出された場合は早急に対処しなければならないからな。私は
書斎を見てくる。君は寝室の方を確認して来てくれ…」
 
「はい、判りました!」
 
 そうして力強く頷いていくと克哉は早足で寝室の方へと
向かっていった。
 二人はそれぞれ自分が確認を担当した部屋を30分くらい
掛けて入念に調べていった。
 特に金品や高価な物に掛けてはしっかりと無くなった物は
ないか確認していった。
 だが全ての確認が終わった後、お互いに唸るしかなくなってしまった。
 そう、これだけ派手に部屋の中が荒らされているにも関わらず…
お金に繋がりそうなものは何一つ、家の中から無くなっていなかったのだ。
 一度区切りをつけて御堂にその事を報告したが、やはり納得が行かなくて…
二人は今度は金品以外の物でなくなった物がないかを確認する事にした。
 その時、たった一つだけ消えている物をようやく克哉は発見した。
 
―それは帰省する時に持って帰って来た…もう一人の自分と
あの男性の、小学校時代の写真だった
 
 それは今度、あの男性が現れた時の為に自分の会社用のカバンの中に
潜ませていた物だが…其れが全て無くなっていた。
 その事実に気づいた時、どうしてもう一人の自分が隣のエレベーターに
入れ違いで乗り込んでいたのか…全ての符号が克哉の中に一致していく。
 
―どうやら、真実の近くまで辿り着いた事で…オレはお前を敵に
回してしまったみたいだな…
 
 他者を理解したい、知りたいと思う気持ち自体は決して
悪いものではない。
 時に自分を知ってしまい、共感したり労られたりする事で人はどん底から
救われて、立ち上がる気力を得られる時だってあるのだから。
 だが、まだ人に語れるまで昇華されていない出来事や体験を無理矢理
踏み込んだり、知ろうとする事は…される側にとっては暴力に等しい。
 今の克哉の人格は、それ以前の自分を消したいと…変わりたいという、
少年時代の眼鏡が願った事で生まれた心だ。
 例え自分と同じ身体を共有している存在であっても、その事を
知られたくないと頑なになっている事実を目の当たりにして…克哉は
歯噛みしたくなった。
 
「…そんなに、お前を知ろうと…理解しようと思う事が悪いのかよ…! 
何でそこまでお前は、一人で傷を抱えようとしているんだよ…バカ…!」
 
 克哉はこの部屋を荒らした犯人が、もう一人の自分であった事実を
悟ってしまったとき…泣きたくなった。
 それは彼からの拒絶に等しかったから。
 克哉はその時、頬に一筋だけ涙を伝らせていった。
 
「克哉…」
 
 だが部屋の入り口から愛しい人がこちらに対して呼びかけていた事に
気づくと、これ以上愛しい人を心配かけまいと…どうにか笑顔を浮かべて
『はい』と小さく返答していったのだったー
 
             
 
             
 ※御克ルート前提の、鬼畜眼鏡R内で判明した澤村や 
ノーマル克哉の大学時代の過去が絡む話です。
 RのED後から一年後の春…という設定の話なので
ご了承くださいませ。
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―もう一人の自分のかつての親友であり、苦い思い出を伴う存在の事を…
克哉は御堂と一緒に桜を見に行くことでやっと思い出す事が出来た。
 どうして帰省中に彼があそこまでこちらに知られる事を拒んだのか、
知る事が出来た今なら理解出来る気がした。
 二人で満開の桜を見に行って…克哉が眩暈を起こして倒れかけた後…
そのまま帰ることにしたのだが、その途中…運転に集中している御堂と…
助手席の克哉の間には殆ど会話がないままだった。
 自分たちのように夜桜を見に、この周辺に車で来ている
人間が多いのだろう。
 普段なら30~40分程度で自宅に辿り着く筈が、その倍以上の
時間が掛かってしまっていた。
 そのおかげで、克哉は物思いに耽り…克哉自身はまだ、相手の
名前までははっきりと思い出せないが-二週間前に澤村紀次と出会ってから、
その間に起こった出来事を回想し、そしてそれも終わろうとしていた。
 あの赤いフレームの眼鏡を掛けた男性との再会、そして帰省…振り返れば、
桜が咲くまでのこの二週間は殆ど…自分探しに費やされたような気がした。
 
(やっとオレは思い出せたんだな…何か二週間掛けて、あの人と『俺』との
事に着いてはスタート地点に立つ事が出来た来がする…)
 
 御堂との静かなドライブは、もうじき終わろうとしていた。それが少し、
寂しくもあり…もうじき自分たちの家に戻れるという安堵感もあった。
 今朝、一緒に出て来てから半日も経過していない。
 だが…今の克哉には何日ぶりかに、ようやく帰って来れたような…
そんな気がした。
 
「克哉、もうじきマンションの駐車場に着くぞ。降りる準備をしておいてくれ」
 
「はい、孝典さん」
 
「うむ…さっきまでよりは顔色が良くなったな。黙っている間に少しは
気持ちの整理がついたのか?」
 
「えっ…あ、はい…さっき中央公園にいた時よりはずっと…情報とか、
そういうのは纏められたと思います……」
 
「…そうか、なら良い。人間は時に迷って自らの行くべき道を真剣に考え、
模索する事も必要だがな。答えも何も出さずに無為に悩んでいることは
褒められた事ではない。少しでも思い出せたなら良かった…」
 
「えぇ、孝典さん…今日は、オレに付き合ってくれてありがとうございます…。
貴方が隣にいてくれただけでも…凄く心強かったですから…」
 
「改めて礼を言われる程のことはしていない。私はただ…君の隣にいただけだ…」
 
(いいえ、その隣にいてくれたという事がオレには凄く嬉しかったんです…)
 
 と、心の中で小さく思うが…敢えて口には出さなかった。この人の恋人に
なって二年近くが経過するが、きっと直接口に出して言ったら…この人は
凄く照れてしまうだろうから。
 その照れた顔を見てみたいという衝動に駆られていくが、寸での所で止めていく。
 代わりにただ黙って…愛しい人の横顔を見つめていった。
 
「……何をそんなに見ているんだ? 克哉…?」
 
「えっ…? やっぱり孝典さんは恰好良いな…と思いまして、つい
見たくなってしまいました」
 
 率直に常々思っている事を口に出していくと、御堂は珍しく軽く目を瞠っていった。
 
「…君は何を言っているんだ。さあ、先に降りると良い。私は駐車場に車を
置いたらすぐに自宅に戻る」
 
「…はい、お言葉に甘えて先に自宅に戻らせて頂きます。貴方と、オレの家に…」
 
「っ…!」
 
 御堂は言葉を詰まらせていくが、どうにか反論の言を呑み込んで先に克哉を
マンションの入り口前の所に降ろして駐車場へと向かっていった。
 セキュリティが万全なオートロック式のマンション。
 キクチ・マーケティングに勤務していた頃の克哉の月給だったら到底家賃を
払うことも、ローンを組む事も不可能な場所だった。
 其処が御堂と自分の家となり…今では完全に自宅になっている。
 長い過去への旅路が終わったせいだろうか。それが妙に克哉には
感慨深く感じられてしまった。
 
「…俺の、家か…」
 
 帰省した時に実家に立ち寄ったが、克哉の意識の中では…すでに
マイホームは、あちらの生家ではなく愛しい人と暮らすこの部屋
へとなりつつある。
 夜桜を見に行っている最中、ずっと手をつなぎぎながら傍らにいてくれた
御堂の事を思い出すだけで…胸がボウっと暖かくなる。
 あの人への想い、今…自分がいる環境。それを…マンションの入り口に
立ちながら、しっかりと噛み締めていった。
 
(オレは…今、持っているものを決して失いたくない…)
 
 御堂との生活、そしてMGNでの仕事、そして…この数年間で実感した
周囲の人間との絆…今の克哉には失いたくないものが沢山ある。
 だから…負けたくないと思った。
 
「…お前は、一番大切な人に裏切られた時…消えたいと思ったんだな。
自分の足場が不確かに感じられて、存在している事が許せなくて…。その
想いがきっと、『あの人の事を覚えていない』人格を…『オレ』を生み出す
キッカケだったという事か…」
 
 全ての情報を纏めて、導き出された結論は…克哉にとって、
ショッキングな事だった。
 あの男性と、もう一人の自分との間に起こった事を探す旅は…言わば
克哉にとっては自分の生まれた理由を、ルーツを探すことに繋がっていた。
 克哉がそう呟いた瞬間、強い風が吹き抜けて目を開いていられなくなる。
 途端に、周囲に不穏な空気が漂っていく。
 
―どうやら全てを思い出された、いや…知ってしまったようですね…
佐伯克哉さん…。そう、あの出来事こそが貴方の生まれた根元にも関わり、
そして…あの方と私が出会った全ての始まりでもあります…
 
 そしてマンションの入り口に黒衣の男が悠然と微笑みながら
いつの間にか立っていた。
 気配も足音も何も感じなかった。まさに…『突然、フっと湧いて出たような』と
形容するに相応しかった。
 神出鬼没、と言い換えればいいのだろうか。
 Mr.Rの唐突な出現に克哉は驚愕を隠しきれなかった。
 
「…いつの間に、そこに立っていたんですか…?」
 
―そんな些細な事はどうでも宜しいでしょう。しかし…これで貴方は
自らの手で禁断の扉を開いてしまわれた。その事により、どのような結果が
起こるか…私は静かに見届けさせてもらいますよ。ねえ…佐伯克哉さん…?
 
「っ…!」
 
 そう男に言われて笑まれた途端に、克哉は背筋に悪寒が
走っていくのを実感していった。
 本能的に、これからただ事では済まないのだと察していく。あの二人の間に
起こった事を自分が知るという事は、大きな波紋を呼ぶ行為であった事を…
今更ながらに克哉は察していった。
 
(だけど、知ってしまった以上…オレは簡単に引く訳にはいかないんだ…! 
今のオレ二は守りたいもの、そして失いたくないものが沢山あるから…)
 
 そう考えた時に真っ先に思い浮かんだのは恋人である御堂の顔だった。
それから、キクチ・マーケティング時代の同僚たちや、今の職場の仲間達、
そして本多や太一、片桐のように自分の事に耳を傾けてくれる友人達…
彼らの顔が次々に浮かんでいき、克哉は決意を固めていく。
 
―良い目をなさりますね…かつての貴方は虚ろで何も持っていらっしゃらない
方だったのに。あの方が眠っている間…その肉体を守る為の仮初の仮面に、
まさかここまで強固な意志が宿ってしまうなど…あの時は考えても
いなかったですね…
 
 その一言を言われた途端、克哉は胸がズキリと痛むような気がした。
 そう、自分は『後から生み出された心』である事を克哉は知ってしまった。
 澤村紀次と決別するまでの12年間…そうあの日まで現実を生きていた
最初の佐伯克哉は、眼鏡を掛けて現れる方の人格だと知ってしまった。
 だから…きっと、今の自分は…本当の自分を封じ込めて、その上で
生きているのだという事実を知ってしまった。
 
(その事だけは…どうしても罪悪感が湧いてしまう…けど、今更…オレは、
もう戻れない。今…手にしているものを手放したくない…)
 
 だが、克哉はどうしても引く訳にいかなかった。大切な存在が幾つも
あるのに、感傷に負けて手放すのは身勝手だと思った。
 
―私には君が必要だ。それだけは決して忘れないでくれ…
 
 恋人関係になってから、ふとした瞬間に御堂がそう伝えてくれた
事が何度かあった。 
 その一言が今の克哉を支える芯となってくれていた。
 この身体も、心も今は唯一人に捧げている。
 だから克哉は、それがもう一人の自分に犠牲を強いる事に繋がって
いても、間違っても彼にこの身体を返すとは言えなかった。
 
(オレがそんな事を言えば…きっとあの人は悲しむだろうから…)
 
 だから瞼の裏にくっきりと御堂の顔を描いていきながら克哉は力強く呟いていく。
 
「えぇ、オレはこの旅路で…オレが後天的に作られた人格に過ぎない事を
思い知りました。けど、オレだってこの15年間を…特にこの三年ぐらいは
精一杯生きて来ました。だからオレは今更、あいつに人生を返せない。
それが…オレの答えです…!」
 
 力強く言い放った瞬間、黒衣の男は冷笑を浮かべた。
 それが妙にこちらの心を煽っていく。
 
ーなら、貴方がこの先…どのように足掻き、悩み苦しむか見届けさせて
頂きましょう…。桜によって狂わされたのは貴方だけではない。貴方と
因縁のある人もまた、この時期は心を乱されて…半ば正気を失って
いるのかも知れませんね…
 
 それは男からの警告であり、同時に脅しでもあったのかも知れない。
 そしてどこまでもシニカルが笑みを浮かべていきながら…男の姿は
まるで幻のように一瞬で消え去っていく。
 
「なっ…!」
 
 この男性の奇行に関してはそれなりに免疫がある克哉も、
これには流石に驚いた。
 だが呆然と立ち尽くしていると…背後から声を掛けられていく。
 
「…克哉、まだこんな所にいたのか…。随分前に先に行かせた筈だから
もうすでに部屋の中に入っていると思ったんだがな…」
 
「あ、その…すみません。軽く目眩を覚えてしまって…つ
い…」
 
「……そうか、さっきも君は倒れ掛けていたものな。愚問だった…
では、そろそろ戻ろうか…?」
 
「はい…」
 
 そうして克哉は御堂にそっと支えられていきながら
マンションの中に入っていく。
 僅かに触れ合っている箇所から伝わってくる温もりを感じて…
克哉はしみじみと思った。
 
―この人とこれからもずっと生きていきたい…。命ある限り、ずっと…
 
 小さくそう祈りながら、相手の身体に自分の頭を擦りつけていく。
 そうして…記憶を取り戻した事をキッカケに、確実に嵐は徐々に
克哉のそばに確実に接近しつつあったのだった―
※御克ルート前提の、鬼畜眼鏡R内で判明した澤村や 
ノーマル克哉の大学時代の過去が絡む話です。
 RのED後から一年後の春…という設定の話なので
ご了承くださいませ。
 当分、鬼畜眼鏡側はこの連載に専念しますので宜しくです。

 桜の回想  
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―勢いよく燃えていた写真がフローリングの床に落ちた瞬間、例の
銀縁眼鏡の力で持って閉じこめられていた方の克哉の意識は
再び主導権を取り戻した。

(早く行動しないと、火が大きくなって大変な事になってしまう…!)

 この家は今は住んでいなくても、克哉の実家である事は変わりない。
 こんな事で失ってしまうのは絶対に御免だった。
 大慌てで大ざっぱに近くにあったアルバムを火元から放り投げて
遠ざけていって、全速力で風呂場へと向かっていく。
 脱衣所にあった青いバケツの中に、全開で蛇口を捻って
水を一杯にしていく。
 そして先程まで自分がいた部屋まで運んでいくと、克哉は
盛大に水を掛けていった。
 
 バシャッ!!
 
 フローリングの床に過剰な水気は厳禁だ。
 だがこの緊急事態では仕方がなかった。
 幸い、写真は完全に燃えつき掛けていたせいで火の勢いは
あまりなかったのが幸いしていた。
 すぐ近くに可燃性の物を置いたままだったら戻ってくるまでの相手に…
もしかしたら天井にまで火が届いて個人では手に負えない状態に
なっている可能性があったがフローリングは着火するまで
若干の猶予時間がある。
 当然、悠長に構えていて引火してしまえば手遅れだが…迅速に
対応したおかげで若干、焦げ痕がついたぐらいの被害で止まってくれた。
 
「ま、間に合って本当に、良かったぁ…」
 
 克哉は安堵の息を漏らしていきながらその場に座り込んでいくと…
自分の膝が少し笑っている事に気づいていく。
 こうなるのも無理はない。
 後一歩で、大惨事を引き起こすかも知れなかったからだ。まさかもう
一人の自分が呆然と見守っているだけで何もしないだなんて思いも
よらなかった分だけ、克哉も衝撃を隠し切れなかった。
 
「何であいつ、あんな風に突っ立っているだけだったんだ…? 後もう少しで
大変な事になっていたかも知れないのに…そんなの、全然
あいつらしくないのに…」
 
 そう、いつもの彼ならばきっと迅速に動いて対応をしている筈なのに…
さっきの彼は何もせずに見ているだけだった。
 いや、もしかしたら彼は動けなかったのかも知れない。
 それならどうして動けなくなってしまっていたのか。
 回答は、直前に彼が見ていたアルバムにあるような気がした。
 克哉はゆっくりとそれに手を伸ばして、何枚かページを捲っていく。
 
「ああっ…!」
 
 そして克哉はこの帰省において、二つ目の鍵を見つけていく。
 小学校低学年の頃の写真だろう。
 あどけない幼さが残っている頃の自分の隣に、あの赤いフレームの
オシャレ眼鏡を掛けた男性と良く似た子供が一緒に写っていた。
 運動会、遠足、誕生会、プール開き…近所の公園やこの家の中で
撮影されたと思われる物が沢山、アルバムに収められている。
 
「…あの人はやっぱり、『俺』の方の関係者だったんだ…」
 
 ぼんやりとは思い出していた。
 あの男性と出会って、そしてもう一人の自分と心の中の世界で
語り合った時から、十中八九間違いないとは確信していた。
 その仮説が正しいと確認したくて、克哉は決算期を迎えた忙しい時期に
ワガママを言って一日休みを貰い…故郷の土を久しぶりに踏んだ訳だが、
通っていた小学校でMr.Rと遭遇して警告を受けた事。
 そしてこの写真を見れた事が克哉にとって何よりの収穫だった。
 その写真の量は膨大で、学校内で撮影された大抵の写真の中には
ワンセットであの男性と写っている。
 確かにこれを見る限り、相当に親しかったことが伺えた。
 確かに小学校では一クラスに平均20~30名、子供の数が多ければ
四十人近くにまで達する事がある。
 だから親しくなければ例え同じクラスであったとしても卒業して十年以上が
経てば名前を覚えていない人間が出てきてもおかしくはない。
 
(けど、ここまで親しかったのなら…普通なら絶対に忘れない範囲だ…)
 
 二人が本当に親しかった証こそ、この膨大な量の写真なのだ。
 無邪気な笑顔を浮かべながら友人に寄り添うかつての自分の姿を見て…
克哉は胸がズキンと痛むようだった。
 
「ねえ、何で…オレはまったくこの人の事を覚えていなかったんだ…? 
あいつにとってここまで大事な人間であったのなら、オレが知らないなんて、
おかしくないか…?」
 
 克哉の中で写真を追いかければ追いかけるだけ、疑念が広がっていく。
 その瞬間…天啓のように一つの単語が浮かび上がった。
 
―記憶喪失
 
 最初、その言葉が浮かんだ時…まさか、と思った。
 だがそれ以外に説明がつかない気がした。
 これだけ親しかった二人、そして眼鏡を掛けた方と今の自分の…二つの
人格、そしてMr.Rのあの警告の言葉…それぞれが頭の中で組み合わさって
真実が全体の輪郭をもって浮かび上がっていく。
 
(…けど、まだ足りない。オレが記憶喪失になった訳が…そして何で
二重人格になったのか、その原因となった出来事が…どうしても
思い出せない…)
 
 そう、恐らく記憶喪失が起こった原因。
 トリガーとなった体験だけが、埋まっていない。
 全体像はゆっくりと浮かび上がっているのに、肝心のものが…一番重要な
ものが、まだ欠けているのに克哉は気づいていった。
 食い入るように写真を眺めていきながら…克哉は、その記憶を思い出す為の
鍵を得ようと必死になっていく。
 だが、あの例の男性とかつての自分は相当に親しい間柄だった。
 その事実以上の収穫は、大量のアルバムの山の中から
得られるものはなかった。
 
「…オレがこの地で得られるものは、ここまでかな…。後は桜が咲くまで
待つしかないのかな…」
 
 後は待つしかないと察し始めて…克哉は心がモヤモヤしてくる。
 出来るだけ早く答えを得たいという欲求が湧き上がってくる。
 一体、あの二人にどんな事が起こったのか知りたいと逸る気持ちが
収まってくれない。
 今の克哉の心境は、九割ほどパズルのピースはすでに揃っているのに
完成させる糸口を掴む肝心の部分が抜けているような、そんな感じだった。
 その部分が組みあがれば、きっとこの帰省中に得られた情報を筋道立てて
理解出来るようになるだろう。
 まだ半信半疑だが、克哉はきっと桜を見れば知る事が出来るような気がした。
 
(早く桜が咲いてくれ…オレの中で何が欠落しているのかを…知りたいから…)
 
 そしてその後、うっすらと焼け焦げたフローリングを研磨材入りの洗剤で
磨いてどうにか誤魔化せる程度にまで汚れを落とし、ワックスを掛けて
換気扇も念の為、回して喚起も行っておいた。
 夕方頃に両親が戻ったばかりの頃は…内心ヒヤヒヤしながら出迎えて
いったが、実質の被害は写真一枚程度なので他の家族も気づいず終いだった。
 そして久しぶりに母親の作った夕御飯を食べて…克哉は故郷の地を後にしていった。
 
―今、貴方の元に帰ります…孝典さん…
 
 そして東京に戻る最終の新幹線に乗り込み、克哉は愛しい恋人の事を
考えながら、今の彼にとっての帰るべき家へと戻っていった。
 
―そしてその日から十日後、桜は満開の時期を迎えて…約束の通り
御堂と共に中央公園に一緒に見に行き…その時に克哉は追い求めていた
最後の記憶のピースを手に入れ、あの男性ともう一人の自分との決別の日
の記憶を手に入れていったのだった―
    
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香坂
性別:
女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
 鬼畜眼鏡にハマり込みました。
 当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
 とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)

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