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鬼畜眼鏡の小説を一日一話ペースで書いてますv
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※7月25日からの新連載です。
今回は「恋人関係」について掘り下げた内容になっております。
眼鏡が意地悪で、ノマは不安定で弱々しい場面も途中出てくる
可能性が大です。
 他のカップリング要素を含む場面も展開上出てくる場合があります。
 それを承知の上で目を通して下さるよう、お願い申し上げます。

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―澤村を感情的に殴りつけた後、眼鏡は結局適当に入った
ホテルにて一夜を過ごす事になった

 彼が眠っている間に様々な人間の想いが錯綜していた訳だが…
この時点ではまだ何も知らず、彼は朝日を浴びながら意識を
覚醒していった。

「朝か…」

 小さく呟きながら、彼は目を覚ましていく。
 変な感じだった、ずっと長い事こうして身体を伴って朝を迎えた
事などなかったから。
 たまに姿を現わせば、もう一人の自分を抱くぐらいしかやって来なかったし…
克哉が快楽のあまりに意識を手放してしまえば、それから少し経った頃には
自分は彼の中に還っていたからだ。

(普通の人間にとっては当たり前の朝を迎えるという行為が…俺にとっては
相当に久しぶりの事になる訳か…)

 そんな事をふと考えて自嘲的に微笑みながら、身体を起こしていった。
 出来るだけ安い宿を探したが、Rから渡された資金の十万円の内…5千円を
ただ素泊まりするだけでなくなってしまうのは痛い。
 ついでに言うと10時にはチェックアウトをしないといけないというのも
厳しかった。
 
(あのまま本多の家に泊れていればその辺はタダだった上に朝食ぐらいは
ついてきただろうに…。何故、俺はあんな真似をしてしまったんだ…?)

 そうして気持ちが落ち着いて来たからこそ、昨晩の自分の短絡的な
行動の数々を思い返して…我ながら呆れたくなった。
 あんな行動を取っても得るものなど何もない。
 それなのにどうして自分は…愚かしいとも言える事をやってしまった
のだろうか。
 本多がもう一人の自分に、前の日に迫っていたのを思い出した途端に…
感情のタガが外れて、暴走してしまっていた。

―許せない。お前ごときがあいつに触れるなど…! あいつは、俺のものだ…!

 心の中に湧き上がった純粋とも言える激しい感情。
 其れを振り返って思い出すと…否定したくなって小さく首を振っていった。

(俺は一体…どうしてしまったんだ…? 本多にしてしまった行為など
正気の沙汰とも思えない。だが…あの時は、どうしても抑える事が出来なかった…)

 睡眠は、頭の中を整理して…心も鎮める効能がある。
 落ち着いたからこそ、昨晩の己の愚行に溜息を吐きたくなった。
 全くもって自分らしくない行動だった。
 しかし…どうしてそうなってしまったのか、どの動機を胸に手を当てて探って
いくと…眼鏡にとっては否定したくなる真実にぶち当たっていく。

(…くっ、どうして俺が…もう一人のオレごときにここまで振り回される…?)

 本多にした行動によって、彼の本音は其処に大きく反映されている。
 御堂でも、本多でも、太一でも…他の人間がもう一人の自分に言い寄ったり…
その身体に触れる事がどうしても許せなかった。
 焦がすような独占欲が、胸の中に湧き上がって…彼を翻弄していった。
 認めたくなかった、自尊心がどうしても許せなかった。
 
―あいつにいつの間にか本気になってしまっているなんて…認めたくない…!

 そう強く否定をしようとした次の瞬間、昨日…昼間に抱いた時に見た
克哉の顔を思い浮かべていく。
 必死になってこちらに縋りついてくるその姿に、自分に罰を与えてほしいと
懇願する姿に…会えて嬉しいのだと全身で伝えて来た姿が鮮明に思い出されて…
急速に、会いたいと願う気持ちが芽生えていった。

(なあ…お前は一体、どうしているんだ…?)

 ふともう一人の自分の事が気になっていった。
 まさか昨晩、自分がいない間に太一が忍びこんで来て…そのまま、太一からの
告白を断ったとは言え…寄り添いながら一夜を過ごしているなど全く知らない
眼鏡は…克哉がどうしているのか、非常に気になっていた。
 だが時計の針を見れば午前七時を回っている。
 そして今日は…平日の朝だ。
 このホテルから、克哉の自宅に移動すれば恐らく午前八時を回っていく。
 そして克哉はそれより少し前には家を出てしまっている筈だ。

(かなりの可能性で入れ違いになるな…)

 そう考えて、結局チェックアウト寸前まで此処にいる事に決めていった。
 会社まで行くのは、流石にNGだという事は判っている。
 佐伯克哉が出社している時に自分が顔を出して…同時に存在している
処を見られたらどうなるか、それぐらいは流石に判るからだ。

「…このままあいつが出勤してしまったら、夕方までは顔を合わす事が
出来なくなるな…。それまでの間、何をしていようか…」

 働いている訳ではないから、相手の身体が空くまでこちらは身を
遊ばす事になってしまう。
 そんな事を考えて、ふと気づいていった。
 以前の自分は、相手を慮ってそれまでどうしようと何て考えた事など
なかった事に。
 会いたい時に顔を出していたし…自由気ままに生きていた筈なのに、
いつの間に自分はこんな風になってしまったのだろうか。

「…全く、あいつに知らない間に毒されてしまっているみたいだな…俺は…」

 そう自嘲的に呟きながら、脳裏に克哉の顔を思い浮かべていく。
 …彼の中に真っ先に思い浮かぶもう一人の自分の顔は、いつも切なくて…
どこか儚い笑みを浮かべている顔ばかりで。

(そういえば俺は…あいつの心からの笑顔を見た事などなかったな…)

 ふと、そんな事実に気づいて…何気なく思った。
 もう一人の自分が、心から喜んでいるそんな顔を見てみたいと…以前の
彼であったら、決して抱く事がなかった望みを…静かに想い浮かべていったのだった―
 
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※7月25日からの新連載です。
今回は「恋人関係」について掘り下げた内容になっております。
眼鏡が意地悪で、ノマは不安定で弱々しい場面も途中出てくる
可能性が大です。
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―御堂は大いに、葛藤していた

 昨晩、克哉と顔を合わせた時から芽生えた唐突な想いと…
先程、謎の人物から脅迫された事実に彼の思考は大きく
占められてしまっていた。
  電話の向こうでほくそ笑んでいた人物は、昨晩の克哉との
公園の情事を切り出していき…其れを撮影したと言って来た。

―貴方のような社会的地位がある人物が、こんな事をしたと判明して
例えばインターネットとかにその画像が流失とかしたら、MGNは
大打撃を食らいますよね…

 電話の相手は、ヘリウムガスでも使用していたのか非常に
高い声をしていた。
 そのせいかとても人間の声の響きとは思えない不自然な声音で
そう言われる様は…どこか現実離れしていた部分があった。

―詳細は、明日送られてくる書類の中に記してあります。この画像を
流失とかさせたくなかったらどうすればいいのか…詳しく言わなくても
判りますよねぇ?

 凄くイヤらしい口調でそう念を押していくと、電話は唐突に切れていった。
 克哉の事だけでいっぱいだった頭の中は、今度はその謎の脅迫者に
対しての疑問で埋められていった。

(どうして昨晩の情事を撮影なんて出来たんだ…?)

 まず、御堂は混乱しながらもその点に対して最大の疑問を
感じていった。
 そう…普通に考えれば有り得ない事だった。
 御堂が克哉への想いを自覚したのは、嵐のような激しい感情を抱いたのは
『街中で偶然に彼の顔を見た直後』だからだ。
 其れまで佐伯克哉という人間が、御堂の心の中を大きく占めていたかと
いうと答えは否、だった。
 むしろ昨晩は…御堂自身が、突然芽生えたその激しい想いに戸惑いを
覚えているぐらいだったのだ。

(そう…私が彼を欲しくなったのは。想うようになったのは…『昨日』からだ。
それなのにどうして…第三者が、撮影なんて出来る…?)

 そう、以前から彼を想っていたというのなら後をつけていたと言う事で
撮影出来るかも知れない。
 だが…『昨日』芽生えて、そして衝動のままに克哉を何度も公園で
激しく抱いてしまった。
 何故、其れを誰かが撮影など出来るというのだろうか?
 御堂は、Mr.Rの存在を知らない。
 あの謎多き男なら…人の思惑を、そして行動をさりげなく読んで幾重にも
策謀の糸を張り巡らせる事ぐらい決して難しい事ではない。
 けれど…御堂は彼の存在を知る由はなかった。
 だからこそ何者かの悪意を感じたが、その正体が誰であるかまでは
思い至る事が叶わなかった。

「まさか…彼の存在、そのものが私を陥れる為の罠…だったというのか…?」

 其れは、確証はない。
 けれど…可能性の一つとして確かに存在しているのも事実だった。
 昨日の佐伯克哉の身体から立ち昇っていた蟲惑的な香りが、御堂の心を
大きく乱して…捕えていった。
 だが…今まで、彼の身体からあのような匂いを感じた事が過去に一度
だってあっただろうか?
 あの香りを鼻腔に感じてから、自分がおかしくなったという事実はあった。
 急速に佐伯克哉という存在に、心を惹かれていった。
 だが其れで彼を衝動のままに犯した翌日の夜に…何者かに脅迫されて
しまったというのは、明確な悪意を感じた。

―まるで、御堂が其処で彼を犯してしまう事を知っている…其れを
教えた第三者がいるかのように…

 その事を考えた時、御堂の心の中に克哉に対して疑う気持ちが
芽生えていった。
 まさか、と否定したい気持ちの方が勝ったが…その疑問は彼の中に
大きな黒い染みを作りだしていった。

(克哉…君は、私を陥れる為に…昨晩、あの匂いを纏って姿を
現したのか…? あの男と、君はどんな繋がりを持っているんだ…?
教えてくれ、君は一体…何なんだ…? 訳が判らない…!)

 そして耐えられず、感情的にドン! と大きく机を叩いて…その憤りを
散らしていった。
 一人で考えれば考えるだけ、悪い方に思考が流れていくのが
耐えられなかった。
 
「私は…君を、好きになっただけ…なのに…! どうして、こんな風に
君を疑わないといけないんだ…! こんな真似、したくないのに…!
どうして他の男に抱かれていた! 何故こんなに電話をしているのに…
メールを送っているのに…君は何の反応もしてくれないんだ!
こんなにも私の心を大きく惑わす! ほんの僅かでも良い…何か
答えて、くれ…!」

 想う人間から、何の反応もないのは何よりも辛い事だ。
 自分だけが、一人相撲を取っているような気分になるから。
 御堂とて衝動的に相手を抱いた事で、不安だった。
 だからこそ貪るように相手を激しく抱いてしまった。
 少しでも克哉の中に己を刻みつけたかったから。
 なのに、今は…相手の反応がないままのせいで、悪い思考回路が
消えてくれない。
 
(君が私を陥れる為に…不思議な匂いを纏って誘惑しただなんて…
そんなの信じたくない…。考えたくない。なのに…君から何の反応も
ないせいで…そんな風に疑い始めている。克哉、君は何故…私に
何一つ返してくれないんだ…?)

 たった一通のメールでも、どれだけ短いものでも…克哉から
返信があれば御堂はここまで極度の不安に陥る事はなかっただろう。
 けれどあれだけ激しく求めたのに、抱いたのに克哉から何の反応がない
事実は急速に御堂の心に大きな闇を作り上げていく。
 其れは疑心暗鬼という名の、暗くて切ない感情だった。

「克哉、どうして…君を、信じたいのに…! 何で私に何の反応を
返してくれないんだ…! 何も…!」

 そして、滅多に泣かない筈の男は…悔し涙を一筋だけ流していく。
 知らない間に、彼は盤上に立たされて…黒衣の男の手によって操られ…
大きく翻弄させられていく。

―彼はまだ、その悪意の主の正体に気づく事もないまま…静かに操られ、
そして…苦悩をさせられ、一人で苦しみ続けていたのだった―
 
 

※7月25日からの新連載です。
今回は「恋人関係」について掘り下げた内容になっております。
眼鏡が意地悪で、ノマは不安定で弱々しい場面も途中出てくる
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 少しずつ克哉の表情から迷いが消えていく。
 もう一人の自分への想いを、確かなものにしていったからだ。
 御堂に強引に抱かれた時点では、迷いがあった。
 本当にもう一人の自分を好きでいて良いのか、そういう気持ちがあったからこそ
その手を振り切る事が出来なかった。
 
(けど、今なら判る…。さっきの、あいつとの時間は嘘じゃないって。オレの都合の
良い夢なんかじゃなかったんだって…だから、もう迷っちゃいけないんだ…。
あんな風にオレの元にどんな形でも来てくれたのに、オレがフラフラし続けて
いたら…あいつにもう顔向け出来なくなってしまうのだから…!)
 
 それは人の顔色ばかりを伺っていた頃の克哉には決して出来ない
事だっただろう。
 これから本多に対しても、御堂に対しても頭を下げていかないと考えると
気が滅入りそうだったけれど…今はまず、目の前にいる太一と向き合っていった。
 無言のまま、火花が散るような勢いで両者の眼差しがぶつかりあっていく。
 太一の方とて、簡単に克哉をあきらめるつもりはないのだと…その鮮烈な
視線から伺える。
 けれど…泣きながらでも、みっともない顔を晒す事になっても克哉もまた一歩も
譲らない気配を見せていた。
 
「克哉さん、好きだよ…。貴方に受け入れて貰えないんだったらもう二度と
恋なんてしない…! それくらいの勢いで好きなんだ…!それでも、ダメなのかよ…!」
 
 太一が最後の攻撃に踏み切っていく。
 言ってみれば其れはある種の背水の陣に等しいものであった。
 それぐらいの真剣さで、太一は決してこちらを諦めてなるものかと
食いついて来ていた。
 しかし克哉は土下座の体制から緩やかに顔を上げていき、どこか達観
したような表情で首を横に振っていった。
 
「…ダメだよ太一。これからの人生、長いんだから…もう二度と恋をしない
なんて言っちゃダメだよ。本当に好きな人が出来た時の喜びは…何物にも
変えられないものなんだから…」
 
「それならどうして、俺の事を拒絶するんだよ克哉さん! 俺がこんなに
好きだって言っているのにどうして…!俺、マジなのに! 克哉さん以外、
他の人間なんていらないって思えるくらいなのに…!」
 
 太一の感情が高ぶっていけばいくだけ、逆に克哉は頭が冷えて
いくような思いがした。
 目からは静かに涙が零れ続けている。
 しかし泣くという行為は、感情を整理して冷静に処理をさせていく冷却水の
ような役割がある。
 さっきまでは克哉も激しく泣きながら、太一と応対していった。
 けれどそれでは決して、太一には通じないと…判って貰えないと悟った
克哉は淡々とした口調で、今度は呟いていった。
 
「…うん、太一の気持ちは良く判るよ。けどね…オレも同じなんだよ…。
決して譲りたくない気持ちがあるからこそ、そいつ以外目に入らない状態
だからこそ…オレはね、太一の想いを受け入れる訳にいかないんだ…。
ねえ、良く考えてみて。太一は今…オレの事をそんなに好きでいてくれている。
けれど…もし、他の誰かが太一を想って付き合ってほしいって言われたら、
受け入れられるかな? 其れが今のオレの心境だっていうのをどうか…
判って欲しいんだ…」
 
「っ…!」
 
 その一言に太一の顔がハっと跳ね上がっていった。
 冷や水を頭からぶっかけられたような反応になって、青年は言葉を失っていく。
 今の克哉の言葉で、どうしてこんなにも相手が頑なにならざるを得ないか…
ようやく心中を悟る事が出来たからだった。

(今、他の人間に想いを寄せられてしまったら…俺は、断るしかない。
こんなにも克哉さんを好きなのに、受け入れる事なんて出来ないから。
嗚呼、そうか…克哉さんがこんなに言っても受け入れてくれないのは、
好きな人をこの人は…今の俺と同じぐらいか、それ以上の強さで
思っているから、なんだ…)

 それに気付いた時、太一は目の前が真っ暗になるような気さえしていった。
 残酷すぎる悟らせ方だった。
 けれどようやく…自分の気持ちだけでなく、相手の想いにも気を回す
事が出来るようになった。
 人は好きになると自分の気持ちだけで精一杯になってしまう。
 其れが恋愛の怖い一面でもある。
 自分の想いが強すぎれば強すぎるだけ周りが見えなくなってしまう。
 そして相手の想いを、つい蔑ろにしてしまう愚も犯してしまうのだ。
 途端に…さっきまでの自分が恥ずかしくなっていった。
 太一もまた克哉に想いを受け入れて貰えなかった事で…落胆を覚えて
いたが…それでも、想いをぶつける事しか考えられなかった時に
比べれば徐々に冷静さを取り戻しつつあった。

「ねえ、克哉さん…一つ聞いて良いかな?」

「…うん、良いよ」

「克哉さんは…そいつの事、メチャクチャ好きでしょうがないの…?」

「うん、そうだよ。そいつが得られるなら…何もいらないってぐらい…
今は、大好きだよ…」

 小さな子供に淡々と言い聞かせるような優しい声音で、ごく自然に
克哉はそう返していく。
 其れを聞いて…太一は、また一つ涙を零していった。
 けれどそのすぐ後に、顔をクシャクシャにしながら…笑っていく。

「はは、酷いな…克哉さん。そんな風に言われたら…俺、引きさがるしか
なくなっちゃうじゃんか…。マジで、残酷だね…」

 だが、太一の口調からもどこか笑みが混ざり始めていく。
 もう笑うしかなかった。
 潔いくらい、きっぱりと相手に断られてしまった訳なんだから。
 けれど同時に、深く感謝もしていた。
 克哉はどんな形であれ、振られてしまったとはいえ…こちらの想いに
真正面から向き合ってくれた訳だから。
 これが曖昧に濁されてしまったり、思わせぶりな態度を取られてしまった
方がきっと太一の傷は深くなってしまっただろう。
 言ってみれば指にトゲが刺さった時の対処に似ているかも知れない。
 内側にこもった恋愛感情は、どれだけ押し込めようとしても自分の中から
突き破って表に現れてしまう。
 其れを対処しないでいれば延々と疼くような痛みからは逃れられない。
 心に刺さったトゲを、痛みから解放されるには思い切ってメスを入れて
原因を取り除くしかないのだ。
 その時はドバっと血が溢れて傷を負っても…迷いなくスパっとやられた方が
短時間で傷も癒えるし…いつまでもその痛みに苦しめられる事がない。
 克哉のその対応は、そんな感じだな…と何となく思った。

(スッパリ、克哉さんにやられてしまったな…けど、これぐらいきっぱりと
言われた方が…諦めがつけられるわ…)

 そう思ったら、ガクっと身体中の力が抜けていくような気がした。
 そして…克哉がいる方と反対側にゴロン、と転がっていく。
 自分の足先だけが相手の身体の一部に触れているようなそんな体制で…
一つだけ、我儘を言っていった。

「…判った、克哉さん。凄くきっついけど…この気持ちは諦めるよ。けど…
今は立ち上がれないから、少しだけこうして此処で休んでいって良いかな…?」

「うん、良いよ。この体制のままで良いなら…少し休んでいって」

 抱きあってしまったら、きっと変な気持ちになってしまう。
 けれど…少しだけでも良いから、克哉に甘えたかった。
 もうちょっとだけで良いから一緒に過ごしたかったから太一はそう我儘を言い…
間接的に克哉の温もりを感じていく。
 そうすると克哉は身体をズラしていって、背中合わせに太一の横に
寝そべっていった。
 お互いに顔は見ない、向き合わない体制で…体温だけが伝わってくる。
 これは太一にとってはある種の拷問に近かったが、同時に克哉の労わりも
感じられてまた苦笑したくなった。

(貴方は本当に優しくて…残酷だね克哉さん。けど…ありがとう…)

 そうして太一は克哉の体温を背中に感じていきながら、静かにむせび
泣いていく。
 泣いている顔を決して見られないように嗚咽を殺していきながら…自分の
恋を諦める為に、感情にケリをつける為に…シーツを強く掴んでいきながら
彼は涙を暫く流し続けて…二人の間に、どこかせつないような…優しい
時間が流れていったのだった―

※7月25日からの新連載です。
今回は「恋人関係」について掘り下げた内容になっております。
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 克哉と知り合ってから一年余り。
 太一は今年、無事に四年生に進級して…来年の春には
順調に行けば卒業を迎えるだろう。
 その事によって、今年の春から…五十嵐組の方では大きな
動きが存在していた。
 現在のトップである寅一が後継者と定めた太一を何が何でも
裏社会に引き込もうとしている勢力と。
 太一の夢が音楽の世界で食っている事だと理解している…自分の
父親を中心とした勢力が激しく対立を深めていた。
 祖父の後継者になって貰いたいと切望をしている勢力は…言ってみれば
寅一の息が掛かっているという事とほぼ同義語である。
 太一が克哉の自宅の鍵をこっそりと作ったのは…その辺の五十嵐組の
後ろ暗い事情が深く絡んでいたのだ。

(こんな鍵、本当なら作るべきじゃないって判っているけれど…。克哉さんの
身に何か遭ってからじゃ遅いから…だから親父が忠告してくれた時に手配して
用意しておいた物なんだけどね…。緊急事態じゃないのに、俺…悪用
しようとしている…)

 呼び鈴を押しても暫く反応がないままだったので、太一は葛藤しながら
禁断の鍵を差し込んでいく。
 もしかしたら室内に克哉がいるかも知れない。
 寝ている最中だったら出てくれないのだとしたら…きっと見つかれば
咎められてしまう事は必死だった。
 其れでもどうしても克哉に会いたい、もしくはその気配だけでも今は感じ取りたい
欲望を抑える事が出来なかった。

(…もし外出中で…俺が中に踏み込んでいる時に克哉さんが帰宅したら、
言い訳効かないよな…)

 そんな考えも一瞬、脳裏をよぎっていった。
 なのに…理性など、瞬く間に消えていってしまう。
 すでに夜の22時を回っている。こんな時間に人の自宅に来訪するのも…
不法侵入をするのも常識的な行動じゃないというのは流石に判る。
 
「克哉さん…」

 けど、何となくこの扉の向こうに克哉がいるような気がしたから。
 せめて呼び鈴を押した時に克哉が出迎えてくれたなら…この嗅ぎを
使う事はなかっただろう。
 なのに奥にいるのに、出てくれないのなら…障害物である扉など邪魔でしかない。
 そんな物騒な考えと、突き動かされるような衝動に身を委ねて…そして太一は
ついに鍵を開けて、中に入っていってしまった。
 部屋の中は、真っ暗だった。
 藍色の深い闇が周囲を覆い尽くして、何処に何があるのかも満足に
確認出来なかった。
 初めて訪れる克哉の部屋は、彼の匂いで満たされているような気がした。
 電灯の位置すら、はっきり判らない。
 壁に手を這わせて電灯のスイッチを探そうと試みたが、なかなかそれらしき
手応えに遭遇するが出来ないままだった。

(電灯のスイッチって何処にあるんだ…?)

 どんな家屋でも、照明のスイッチが設置されている高さはほぼ一定である。
 太一は其れを意識した位置に手を這わせて探しているつもりだが…真っ暗な
せいでその感覚も若干の狂いが生じてしまっていた。
 事実、彼が最初に探った周辺に望んでいたスイッチは存在していたのに
気持ち、少し高い位置を探ってしまった為に気づかぬまま…太一は闇の中で
右往左往する羽目になっていた。
 暗い闇が、怖かった…明かりが一切存在しない闇には人はなかなか目が慣れる
事すら出来ない。
 ほんの僅かでも明かりがあれば、数分もすれば目が馴染んでくれるが…
克哉の部屋は現在、窓の類は分厚いカーテンで閉め切られてしまっているせいで
真の闇に近い状態が作り出されてしまっていた。
 まるで、部屋の中にいる存在を閉じ込めるかのように…誰にも触れされないと
暗に示されていたのを、太一が強引に破ってしまったかのように。

「克哉、さん…何処…?」

 ついに心細くなって、太一は短くそう呟いてしまった。
 電灯が見つからない以上、簡単に光を得るのはたった今通って来た扉を
開けて廊下の光を差し入れる事ぐらいだった。
 だが、現在の太一は不法侵入真っ最中の身の上だった。
 ほんの僅かでも隙間を開ければ、其処からは微かな光が差し込んで電灯を
探すのは容易になるだろう。
 しかし後ろぐらい思いをして入り込んでいる以上、其れを実際にやるには
酷く勇気がいる事だった。

(…少しだけでも、扉を開けて…電灯のスイッチを点けるべきか…?)

 そう迷った瞬間、頭に声が響き渡った。

―そんな必要はありませんよ…。貴方が会いたくて堪らない、佐伯克哉さんは…
此処にいらっしゃいますからね…

「っ…! 誰だ!」

 あまりにも鮮明に、誰かの声が聞こえた。
 何となく聞き覚えがあるような、ないような…歌うような口調で何者かが
太一の頭の中に響くように語りかけてくる。
 その事に弾かれたように驚いたが、周囲を探っても…自分以外の人間の気配は
近くからは感じられなかった。
 だが、いきなり…目の前に淡く青色に光る、道が現れていった。
 その奥に、太一が求めている者がいるのだと示してくれているかのように
青い光は淡く優しく、同時に妖しさを帯びていきながら奥の部屋に続いていった。

「はは…これ、一体…何だよ…。俺は夢でも見ているのか…?」

 太一は力なく呟いていった。
 あまりに非現実めいた光景だった。
 だが…扉を開けて外の光を取り入れた以上、他の人間に見つかって
不審がられる可能性がある事は否めない。
 この青い光は確かに妖しい事この上ないが…その危険を犯さずに奥に
進む為には確かに有効だった。
 だがその輝きが浮かび上がる中、目を凝らしても…先程の声の主らしき
人影は一切、感じられなかった。

「…全く、さっきの声…一体何だったんだよ…。すげー不気味…」

 もしかしたら何かの罠かも知れない。
 そう頭の隅では警鐘が鳴り響いていた。
 其れでも暫く迷った末に…太一はその青い光の道を頼りに奥の部屋へと
進んでいった。
 そして…淡い青の輝きに包まれて、闇の中に浮かび上がっている克哉の
姿が其処にあった。
 ベッドの上にぐったりと、裸のままで深く眠っているその姿に…太一は
知らず、唾を飲み込んでいった。
 あまりに無防備で、あどけない顔をして克哉は眠っていた。
 その顔を見て…太一の中の雄が、静かに刺激されていく。

「ヤバイ…凄い、綺麗だよ…克哉、さん…」

 其れはまるで…夜のアクアリウムに浮かび上がる水槽を眺めているような
気分だった。
 深い闇があるからこそ、光に淡く照らされている中身がとても美しく…
同時に明るい光の下とはまた違った魅力を浮かび上がらせていくのだ。
 淡い青い光に照らされている克哉は綺麗で、かつ…いつもにはない
艶めかしさのようなものすら感じられた。
 不法侵入をした上に、相手の寝込みを襲うなんて言ってみれば犯罪行為
以外の何物でもない。
 そう頭の中では判っているのに、太一は目の前の強烈な誘惑に抗う
事が出来なくなっていた。

「克哉さん、御免…俺…」

 そう一言だけ謝罪の言葉を漏らして、太一はベッドの方へと歩み寄っていく。
 安らかに眠っている克哉に一種の神秘的なものさえ感じていきながら…
直接、手に触れる事で相手を確認したい強烈な誘惑に逆らう事が出来ず、
彼は恭しく、愛しい存在に手を伸ばしていったのだった―



 

 ※7月25日からの新連載です。
今回は「恋人関係」について掘り下げた内容になっております。
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―五十嵐太一は気が狂いそうな想いを抱いていきながら、
夜遅くに克哉のマンションに向かっていた

 昨日、克哉に珈琲を淹れた時に…脳内がとろけそうになるぐらいに
濃厚で甘い香りを嗅いでから、どうしても気持ちは鎮まってくれなかった。
 以前から克哉の事を、可愛い人だとは認識していた。
 自分よりも5歳も年上とは思えないぐらいに一つ一つの仕草とかも
可愛くて、愛嬌があって優しくて。
 そんな克哉だからこそ好意を持っているのだという自覚はあった。
 だがその不思議な甘ったるい匂いを感じたその時から…急速に太一の
中でその感情は変質していってしまった。

(もう、ダメだ…。こんなのおかしいって判っているのに…俺、どうしても
克哉さんに会いたいって気持ちを抑える事が出来なくなっちまってる…)

 その唐突な感情の変化に、太一自身も大きな戸惑いを覚えていた。
 だが一日悩んだ末に出た結論は…一度、克哉と面を向かって話して
みようというものだった。
 自分が克哉に恋してしまった事に対してはもう間違いないと確信をしているからこそ…
この感情をどうするのか、直接克哉にぶつけることで決めるしかないと考えたからだ。

「あ~あ…こんな時間に訪ねてもきっと迷惑だって判っているんだけどね…。
それでも、もう抑える事は出来そうにないや…」

 そんな事を自嘲的に呟いていきながら太一はようやく克哉のマンションの
前に辿り着いていった。
 こうして克哉のマンションに来るのは、一度視察の為に足を向けた時以来だ。
 ライブの帰りに克哉が太一のアパートに来たことがあってもその逆はなかった。
 なのにどうして太一が克哉のマンションにこうして来ることが出来たのか…
それは万が一の事態に備えてのことだった。

(全く…あのくそじじぃの事で万が一、俺と親しくしている克哉さんが
巻き込まれる事態が起こってしまった時用に念の為にこうして自宅の住所を
調べておいた訳なんだけど…。まさかこんな形で使う事になるとはね…)

 そうして、太一はポケットから一つの鍵を取り出していく。それは…
克哉の部屋の鍵のコピーだった。
 これも非合法な事をするのが得意な人間たちに依頼して念の為に
作らせておいた物だった。
 通常の人間関係なら、友人の自宅を勝手に調べたり鍵を無断で
コピーを取るなんて真似は常軌を逸した行動と取られる事は自覚があった。
だが…太一は、何度も自分が親しくしている人間が、五十嵐組や母の事業に
対して敵対している奴らの思惑に振り回されて被害を受けるのを目の当たりにしていた。
 行き過ぎ、と取られる事に関しては自覚があった。
 だが、誰かが誘拐されたり失踪した場合…一番の手がかりは自宅に
残されている可能性が高い。
 時間が経過すればするだけ、犯人の手で証拠が抹消されてしまったり
誰かが通報して警察が入り込んでしまえば…有力な証拠が、一般人である
太一にまで届かない。
 そういう可能性があるからこそ…今まで、鍵のコピーを持っていても
使わないように自制していたのだ。
 あくまでこれは緊急事態に備えて作った物であり、悪用をする為ではないのだ…
という良心が、太一の中で生まれてせめぎあっていく。

「この鍵を使って…無断で克哉さんの家に入ったら、それこそ俺は犯罪者だよな…。
うん、そうだ…まずは普通にインターフォンを押そう。それで反応がないまま
だったら…これを使う事にしよっと。昨日、何回も電話やメールをしたのに
未だに返信がないままだっていうのが気がかりなのは本当だからね…」

 太一は、会社の同僚達と違って本日は彼は体調不良で休んだ事になって
いる事を知らない。
 そして克哉の携帯は、先程情事の最中に眼鏡に切られてしまってからずっと
電源が落とされたままになっていた。
 どれだけメールをしても相手から返信がない事が不安で仕方なくて。
 いつもの克哉だったら律儀に、出来るだけ早く返信をしてくれるというのを
良く知っているからこそ…返事が戻って来ない今の状況が苦しくて仕方なくて。
 頭の隅では、こんな行動が間違っていると判っていても得体の知れない
感情に突き動かされて…太一はついに克哉の自宅まで押し掛けてしまった訳なのだ。

「克哉、さん…」

 太一は、土壇場で大きく迷っていく。
 このまま克哉の家に行くべきか、そうでないのか葛藤して…暫くマンションの
入り口の前で立ち止まっていった。

(やばい…もうダメだ。これ以上…この感情を抑える事なんて…俺には、
出来ないや…。ごめんね、克哉さん…)

 自分の行動が間違っていることを自覚しつつ…それでも急激に芽生えた
強い想いに突き動かされて太一はついにマンションの敷地内に足を踏み入れていった。

(まずは貴方の顔が見たい…)

 そう強く願っていきながら太一は克哉の部屋があるフロアまでエレベーターで
向かっていき。そして部屋の前でインターフォンを押して、克哉が出て来てくれるか
どうか暫く待っていったのだった―
 

※若干間が空きましたが連載を再開します。
今回は「恋人関係」について掘り下げた内容になっております。
眼鏡が意地悪で、ノマは不安定で弱々しい場面も途中出てくる
可能性が大です。
 他のカップリング要素を含む場面も展開上出てくる場合があります。
 それを承知の上で目を通して下さるよう、お願い申し上げます。

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―澤村紀次は、愉快そうに笑いながら御堂孝典を脅迫する為の
ビデオのコピーをポストに投函していった

 彼は先程、ボイスチェンジャーを用いて御堂に対して電話を掛けた後、
実際にその証拠の品となるビデオのコピーを、いつもは足を向けない地区に
訪れて発送する事にしたのだ。
 こういう足がつくのを恐れる品は…通常の自分の行動圏内から
外れた場所から送るのが通例だ。
 その為に、殆ど見覚えもない地区を選んで其処に訪れた訳だが…
彼はこの時、Mr.Rによって見えざる糸に操られたように此処に招かれて
いた事には全く気付かなかった。

(ふふ…これで、あの取引は僕らの会社の利益に大きく貢献する会社の
方が有利に運ぶ事が出来る…。笑いが止まらないとは、まさにこの事だね…!)

 そうしてポストから離れて、邪悪な笑みが浮かんだ途端…澤村はガシっと
強い力で何者かに肩を掴まれていった。

「いつっ…! 誰だよ! そんな乱暴に…えっ…!」

 自分の肩を乱暴に掴んだ人物の顔を確認しようとして振りかえった瞬間、
青年は目を見開く羽目になった。
 其処に立っていたのは予想もしていなかった人物だからだ。
 確かに先日、顔をチラっと見た時と印象は大きく異なっていた。
 柔和そうでオドオドした雰囲気に成長していた自分の幼馴染み。
 それが今…目の前にいる彼は、眼鏡を掛けて酷く冷たい眼差しを浮かべて
こちらを睨みつけていた。
 一瞬、別人かと思った。
 だが…自分が彼を見間違う訳がない。
 澤村はその眼差しに密かに戦慄さえ覚えていきながら…自分を呼びとめた
人物の名前を呟いていった。

「克哉、君…どう、して…君が…?」

「…たまたまこの辺りでお前を見掛けたから呼びとめただけだ。一体この辺りで
何の用があったというんだ…?」

「…そんなの君には関係ないだろう? 幾ら幼馴染みと言ってもさぁ…プライベートの
事にまでズカズカと踏み込まれたくないし、僕が答える義理なんて全くないだろ?」

 突然の対面だっただけに、一瞬戸惑ったが…冷静に考えればこちらの方が
圧倒的に優位に立てる立場であった事を思い出し…澤村は相手に対して馬鹿に
したような横柄な態度を取っていった。
 たった今、MGNの御堂宛てに送ったビデオの原本は自分が持っている。
 そしてもう一人の出演者は紛れもなくこの佐伯克哉なのだ。
 アレが手元にある限り…自分もまた、この幼馴染みに対して…絶対的な
優位に立つ事が出来る。
 そう考えての対応だったが…その意図に反して、突然浴びせられたのは
眼鏡からの鉄拳だった。
 幼馴染みの拳が鋭く空を切って、澤村の腹部にめり込んでいく。
 予想もしていなかった展開に、男の頭は一瞬真っ白になりかけていった。

「ぐっ…うぅ…はっ…!」

 急所にダイレクトにめり込んだせいか、まともに言葉が紡げない。
 くぐもった呻き声を漏らしていきながら…その場に崩れ落ちる羽目になった。
 雑踏の中での突然の暴行劇に、通りゆく人の何人かが好奇心に満ちた眼差しを
向けていくが…眼鏡は敢えて相手にせずに冷たい一瞥で流していった。

「なに、を…何を、するんだよぉ…! いきなり、こんな真似を、して…!
いつから、君はこんなに…乱暴な人間に、なったんだい…?」

「ビデオの元は何処にある…?」

「えっ…?」

 突然、眼鏡の口からそんな単語が零れて…澤村は驚愕に目を
見開いていく。
 其れは…現時点では、彼が決して知り得る事が出来ない情報の
筈だったからだ。
 確かに澤村はMGNの部長職に就いている御堂に対しては…電話をして
脅迫めいた行為をしたし…たった今、ビデオのコピーを送りつけた。

―だが、佐伯克哉に対してはまだ何の行動にも移していない筈で…
現段階では決して、彼がビデオの存在に気づく筈がないのだ

 だが、目の前の相手の剣呑な態度から…そのビデオの内容まで相手は
すでに知っているようにしか感じられなかった。

(何でだ、何で何だよ…! どうして彼がビデオの存在を知っているんだよ…!
絶対にそれは、おかしいよ。有り得ないだろ…!)

 澤村は知らない。
 こうして対面して話している間に…佐伯克哉の脳裏に、密かにその脅迫の
内容を伝えた人外の存在がいた事を。
 そんな事は想定してもいなかったから…ともかく動揺を隠しきれなかった。
 眼鏡のアイスブルーの眼差しが酷薄な色を浮かべていく。
 其れにゾっとしたものを感じて、澤村は冷静さを失っていった。

(…殺される…! いや、幾らなんでも克哉君がそんな事は…! けど、
何だよこの冷たい目は…どうして、こんなに怖いんだよ…!)

 眼鏡の本気の怒りを込めた冷徹な眼差しに…澤村はただ、畏れた。
 其れは本能的な恐怖と呼べる類のものだった。
 先日の御堂に抱かれている克哉を映したビデオ。
 そんなものが存在している事など…眼鏡は許せなかったからこそ…そんな
ものを撮影して、悪用しようとしている澤村に対して憤りを覚えていった。

「ぼ、僕は用事があるからこれで…。何も言わずにただにらみ合っているだけなら
行かせて貰うよ! 僕はそんなに暇じゃないからね…!」

「待て!」

 捨て台詞を残して、慌てて眼鏡の元から立ち去ろうとした瞬間…強引に
襟首を掴まれて、今度は顔を思いっきり殴られていった。
 
「ぐはっ!」

 そうして勢い余って、澤村は地べたに尻もちをつく形で倒れ込んでいった。
 その眼差しには眼鏡に対しての本気の敵意が宿っていて…実に禍々しい
ものすら感じられていった。

「克哉、君…君さぁ…僕に対してこんな真似をしてタダで済むと思っている訳…?」

「…もう一撃、食らうか?」

 射殺され兼ねないぐらいに鋭すぎる眼差しで睨まれて、今度こそ澤村は
耐えられなくなった。
 このままここにいたら、絶対にもうタダでは済まない。
 其れを察したからこそ、澤村はついに意地を捨ててその場を立ち去っていった。

「ひえぇ! 君みたいな乱暴者にこれ以上は付き合ってられないよ! 僕は
失敬するよ! じゃあね!」

 そうして澤村は全力疾走をして人にぶつかる事も構わずに雑踏の中に
紛れて逃げていった。
 心の中で一層、佐伯克哉という人間に対しての恨みをまた募らせていきながら…。
 その背中を見送っていきながら、眼鏡は小さく呟いていった。

「くだらない者を殴ってしまったな…」

 そうして相手を殴りつけた手を軽く振りながら呟いていく。
 だが…この時、彼は気づいていなかった。
 この時の澤村に対しての牽制的な行為が、大きな火の粉を撒き散らす結果に
なる事を…まだ気づかず、眼鏡はつまらなそうな顔を浮かべて…その場を立ち去り、
今夜の宿を探し始めていったのだった―
 
 
※7月25日からの新連載です。
今回は「恋人関係」について掘り下げた内容になっております。
眼鏡が意地悪で、ノマは不安定で弱々しい場面も途中出てくる
可能性が大です。
 他のカップリング要素を含む場面も展開上出てくる場合があります。
 それを承知の上で目を通して下さるよう、お願い申し上げます。

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―克哉は夢を見ていた

 もう一人の自分に、都合の良い夢だと思いながら抱かれた後…
克哉はただ眠り続けていた。
 まるで現実から逃れる為に深い眠りを必要とするように…。
 何度も何度も、求められて抱かれた余韻と痕跡が体中に残されている
のに気づいて…明かりもつけぬまま、克哉は自問自答していく。
 体調不良で会社を休んで、気づいたら目の前にもう一人の自分がいて…
そして抱かれた。
 其処までは覚えている。
 けれど目覚めた時には辺りは真っ暗で、電気をつける気力も湧かないまま
裸で…グルグルと考えが堂々巡りしていた。

(アレは、夢だったのかな…現実だったのかな…?)

 さっきまで抱かれていた事。
 あれは夢だと思っていた。
 自分は御堂に抱かれてしまったから。
 Mr.Rが出した条件をたった一日も守れないような奴だったから…
もう二度と会えないと覚悟した。
 そう思って泣きそうにすらなった。
 けれど…身体の奥に、相手の残した残滓が残っている。
 御堂に注がれた分は朝の時点で描き出していた筈だから…残って
いる筈のものが身体の奥に、証拠として残されていた。
 それが…夢だと思っていた時間が、現実のものであると知らしめる
何よりの証、でもあった。

「あいつが、来てくれたんだ…。なのに、オレ…ずっと夢だと思っていた。
これはオレの都合の良い夢だって…けれど、あれは現実の出来ごと
だったんだな…」

 そう思ったら、胸の中に疼きのようなものが芽生えていった。
 相手に抱かれていた時、自分がどれだけ浅ましく求めていたのか…
乱れていたのかを思い出して、顔がカーと赤くなる気がしていった。

「…ヤバイ、ムチャクチャ…恥ずかしい、かも…」

 克哉自身にも、想いを自覚したのはつい最近で…先程の行為が、
自分の気持ちに気づいてから初めての行為でもあった。
 そう思ったら愛された事が涙が思わず滲んでしまう程、嬉しくて。
 なのに自分が目が覚めた時に、いつものように幻のようにもう一人の
自分の姿が見えないのもまた…切ないものがあった。

「…ねえ、『俺』…。お前はどこにいってしまったの…? どうして…
目が覚めた後もお前は俺の傍にいてくれないんだよ…」

 そうして切なくなって、泣きそうになった。
 そして…あんなに激しく求められた時間が全ては夢だと思いこんでいた
自分が情けなくなった。
 
「会いたい、よ…」

 そして懇願するような思いが、唇から零れていく。
 
「好き、だよ…」

 その言葉は今…呟いたとしても意中の相手には届かない。
 それでも胸の奥から溢れて、止まらなかった。

「…お前に、会いたいよぉ…」

 愛されたからこそ、余計にまたその想いが強くなる。
 心細いと思うから。
 御堂に抱かれてしまって後ろめたい…相手を裏切ってしまったような
想いがあるからこそ…余計に、会いたいという気持ちが加速していくようだった。
 恋しくて恋しくて、心の中に大きな空洞が空いてしまったようで。
 その穴を…もう一人の自分の存在で埋めて貰いたい。
 そして何も考えられなくなるぐらいに激しく抱き続けて貰いたいという
願いで心がいっぱいになっていくようだった。

「…オレの中ってこんなにも、浅ましい事でいっぱいだったんだ。あれだけ…
あいつに抱かれたのに、まだ抱いていて欲しいと思っている自分がいる。
これじゃまるで…あいつに中毒しているみたいだ。いないと、もう生きて
いけないぐらい…俺は、あいつに…溺れて、しまっている…」

 自らの身体を抱きしめていきながら、言葉は止まってくれなかった。
 好きという想いが…まだ、完全に相手との関係が終わっていない事で
甘い希望を捨て切れず…夢想してしまう。
 もう一人の自分とのハッピーエンド。
 冷静になれば、そんなのは絶対にありえない結末なのに…それでも
願ってしまう自分がいる。
 
「好き…だよ。だから…会いたい。ねえ、お前はどこにいるのかな…?」

 そうして力なく呟きながら、もう一人の自分の想いだけで満たされる。
 眼鏡を掛けた克哉の手によって電源を落とされた携帯には…本多と
御堂の異常ともとれる数のメール数と着信が残っていたけれど。
 今の克哉は、その事に気づかず…ただ闇の中で、もう一人の
自分の事だけを想い続ける。
 
―そしてまた、夢うつつの中に堕ちていく…

 心地良い疲れを覚えていきながら…愛する男の温もりを胸に抱いて…
克哉は、一時の安らぎに身を委ねていた…
 この夜に、彼の預かり知らぬ処で大きな動きが生まれて…うねり始めて
いた事など…まだ、知らずに…

※7月25日からの新連載です。
今回は「恋人関係」について掘り下げた内容になっております。
眼鏡が意地悪で、ノマは不安定で弱々しい場面も途中出てくる
可能性が大です。
 他のカップリング要素を含む場面も展開上出てくる場合があります。
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―どんな苦しみを感じても、眠っていれば良かった。親友に裏切られた
痛みも自分なんていなくなってしまえば良いという絶望の感情も…
もう一人の自分に押し付けて自分は寝ていれば、それで良かったのだから…

 本多の家を出てから、眼鏡は己の胸を押さえていた。
 感情に任せて、相手を痛めつけてしまった苦い思いが胸の中に
広がっていく。
 気が向くままに歩いている内に二駅分ぐらいの距離を気づいたら
歩いてしまっていた。
 何かに導かれるように、蟻が蜜の匂いに誘われてしまうかのように…
見えない何かに、引き寄せられている事をまだ知らずに…。

「くそっ…俺は一体、何をしているんだ…。どうして、あんな真似を…」

 自分でも先程の本多への振る舞いは、理不尽極まりない事を
理解していた。
 けれどあの時は、どうしても抑える事が出来なくなっていた。
 もう一人の自分に…克哉に、二日前に本多が激しく迫っていた事を
思いだした途端、どうしても…耐えられなくなった。

(俺はおかしくなってしまったのか…?)

 そう自問自答しながら、深い溜息を吐いていった。
 あんな風に感情のタガが外れてしまうなど…滅多にない事だったので
自分でも混乱せざる得なかった。
 彼は、知らなかった。
 人の感情は無理に抑え込んでしまえば、暴走してしまう事を。
 抱いている内に…克哉の想いを感じ取っている度に、少しずつ…
もう一人の自分への気持ちは無意識の領域で蓄積していた。
 それが昼間に克哉を抱いた時に、発芽してしまっていた事を…
彼は薄々気づきながら、直視しようとしなかった。
 その自分の気持ちに嘘をついた結果、本多は被害者になって
しまった。

(せめてあいつに、謝らなければ…。先程のはあまりに…幾ら
本多だからと言っても…酷過ぎたからな…)

 人に頭を下げるなど基本的に自尊心が邪魔をしてなかなか出来ない
性分の眼鏡でも、自分側にあまりに非がある時は例外もある。
 一言だけ相当に迷いながら…『先程はすまない』という実に簡潔な
メールを送信していくと、溜息を吐いていった。
 どういう理屈かは知らないが、いつの間には自分が着ているスーツの
内側に克哉が使っている物と全く同じデザインの携帯電話が入っていた。
 だが、微妙に番号とメールアドレスが違う。
 普段克哉が使っているものとほぼ同一なのだが…どちらのアドレスも
最後の数字が違っていたり、文末に『・』が追加されていたり…微妙に
異なっていた。
 いつの間にこんな物が存在していたのか判らないが、この十日間…
現実を生きるなら、これはあった方がいざという時に助かるものだ。
 そうして…メールだけでも本多に謝っていくと、深い溜息を吐いた。

(…俺はいつから、こんな風に甘い思考回路を持つようになったんだ…?)

 謝った後、ふとそんな事を思った。
 自分は本来…もっとひどい、欲望に忠実で迷いのない人間の筈では
なかったのか。
 本多だって、何度かこちらの方からチョッカイを掛けている。
 これよりも酷い仕打ちをした事だってあった筈だ。
 あの時は…胸の痛みなど、覚えなかったのに…こんな風に相手に謝ろうなどと
考えた事もなかったのに、一体自分は何をやっているのだと思った。

「変わってしまったのか…俺は…。あのお人好しで弱い、もう一人の
オレに接している内に…」

 ようやく、眼鏡はその事実に気づいていく。
 もう一人の自分と…克哉と過ごしている内に、暖かいモヤのようなものが
心の中に広がっているのを何となく感じていた。
 それが知らない間に彼の心を変質させて、少しずつ影響を受けていたのだろう。
 そうして迷っている内に夜空は曇天に覆われて、雨の気配を感じさせていった。

「これから…俺は…何処に行けば、良いんだ…?」

 惑いながら、小さく呟いていく。
 本来なら、本当にお金を節約したいなら…拠点となる場所を求めるなら
『佐伯克哉』の自宅が一番最適な事は判っていた。
 だが、薄々と気づいてしまった感情にまだ戸惑いを覚えて…今は
克哉に顔を会わせたくなかった。
 肌に湿気を感じて、雨の気配が徐々に濃厚になっていく。

「…っ!」

 何処に行こうか考えている内に…眼鏡は一人の人物の影を
発見して、目を瞠っていった。
 見えざる意図に動かされて、その場所に彼は招かれていた。

「どうして、あいつが此処に…?」

 そう呟きながらも、眼鏡は…知らず、相手の追跡を始めてしまっていた。
 克哉への、強い感情に無自覚に突き動かされてしまいながら―


 
※7月25日からの新連載です。
今回は「恋人関係」について掘り下げた内容になっております。
眼鏡が意地悪で、ノマは不安定で弱々しい場面も途中出てくる
可能性が大です。
 他のカップリング要素を含む場面も展開上出てくる場合があります。
 それを承知の上で目を通して下さるよう、お願い申し上げます。

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 いきなり、夜遅くに自由の身になったとしても行く場所などすぐに
思いつかなかった。
 当面の軍資金は10万ほど手渡されていたが、普通にしていたら宿泊代と
食費であっと言う間に使い果たしてしまいそうだった。
 眼鏡を掛けた佐伯克哉は都会の雑踏の中を歩き回っていきながら
思案していった。
 
(たった10万程度で何をしろというんだ…。着替え等などを購入する費用も
入れたら、寝る場所と食事代を確保するだけで終わってしまうだろうに…)
 
 普通の人間の感覚だったら、十万もポンと渡されたら驚いて感謝するが、
眼鏡は大いに不満だった。
 質素で地味に生きている克哉に比べて、眼鏡は金に余裕があればブランド
スーツや、高額の費用が掛かるレジャーの類にあっという間に使い果たして
しまう部分がある。
 ようするにもの凄い浪費家の一面を持っているだけに、こうして現実に身を
置くようになったら…この金額程度ではとてもやりたいことをするには
足りないと感じてしまっていた。
 手っとり早く株などで元手を増やしてと考えたが、会社勤めをしていたり自宅
という拠点がある時期ならともかく、自分が自由に使えるPCすら持っていない
状態では情報収集もままならない。
 漫画喫茶等を使えば、ネットをするぐらいは可能だが…十日という
時間がネックとなってしまう。
 下手な事に手を出せば、本来の目的に何も着手出来ないまま…
資金稼ぎだけで期日を迎えてしまいそうだ。
 
(全く、100万ぐらい渡しておけば良いものを…。そうすればこの十日ぐらい
何の不自由もなく過ごせたんだがな…)
 
 そんな身勝手な事を考えていきながら、一度足を止めて雑踏の
流れに身を任せていく。
 これから自分は、どうしたいのか。
 何を望んでいるかを…掘り起こす為に。
 幾つかの見知った顔が脳裏に浮かんでは消えていく。
 そして最後に…もう一人の自分の顔が鮮明に浮かんで、そして幻のように
遠くなっていった。
 もう一人の自分を潜在的に想っている人間たちの顔を浮かべている内に
一つの名案が浮かんでいった。
 
「…ふむ、そうだな。どうせならあいつの所に行こう…」
 
 資金面の不安もあるし、出来るなら衣服等にその予算をある程度つぎこんだら、
とても全てをホテル暮らしにしては賄いきれなくなる。
 それなら、拠点となる場所を快く提供してくれた上に…関係者の一人を牽制する
事が可能な場所に身を移すべきだ。
 
(それにあいつなら…俺なら難なく御する事が可能だからな…)
 
 とそう考えて…眼鏡は、良く知っている人物の自宅へと電車を乗り継いで
向かい始めていったのだった―
 
 
                       *
 
 
 思い立ってから30分後。
 眼鏡は本多の家に顔を出していた。
 一昨日、Mr.Rが克哉に例の媚薬を飲ませた時に真っ先にその影響を
受けた…長年の彼の親友であり、同僚でもある男。
 しかし今現在の眼鏡の顔には、そんな友情や好意の類は全く見受けられず…
険しい顔をして扉の前に立っていた。
 
―ムカムカムカムカ…!
 
 胸の中に訳の判らない苛立ちが広がっている。
 本多の家に厄介になるのが一番、資金面的には最良だと判っているのに…
その件に関して頭を下げるのに対して、非常に腹立たしいものを感じていった。
 
(何で俺はこんなにイライラしているんだ…? ただ、本多を利用しに
来ただけだろう…? それなのにどうして、こんなに俺は憤りを
覚えてしまっているんだ…?)
 
 当の本人は、其れが嫉妬故に起こっている事に気付かない。
 否、本心から必死に目を逸らそうとしていた。
 彼のプライド的に…あんなに自分よりも弱くて、色んな面で劣っている
もう一人の自分に心を寄せ始めている事実は…認められないものだったからだ。
 だが、他の相手にちょっかいを掛けられて腹を立てたり…独占欲を覚えていくのは
むしろ恋愛しているのなら当然の感情だ。
 其れを自覚するのを拒むかのように…荒っぽい動作で本多の家のインターフォンを
鳴らしていくと、相手が部屋の中から開けてくれるのを待つ前に…ドアノブに手を掛けて
眼鏡は家の中に入っていった。
 
ドカドカドカ!
 
 しかも靴を履いたまま玄関に入り込むと、その靴音がうるさいぐらいの勢いで
中に踏み入れていった。
 
「どわっ! 何だよ克哉! いきなり人の家に押しかけて…! って、
何をするんだ! うわぁぁぁ! ぐお!」
 
 本多が風呂上がりで肩にバスタオル、そして右手にフルーツ牛乳を
持っている状態で玄関に向かっている最中…眼鏡は容赦なく間合いを
詰めて相手に頭突きをくらわしていった。
 殆ど八つ当たりに近い行動だが、やられた方はたまったもんじゃない。
 体格的には本多の方が圧倒的に勝っているが不意打ちされた上に、
勢いで押されたものだから…頭突きを顎に食らって、大きく跳ね飛ばされていった。
 
「克哉ぁ! 何するんだよ! 人の家にこんな時間にいきなり押しかけたかと
思いきや…いきなり頭突きをくらわすなんてひどすぎだろう!」
 
「うるさい、黙れ…。一昨日の夕暮れにお前が…『オレ』に対して何をしたか、
胸に手を当ててよ~く思いだすんだな…」
 
「一昨日の夕方…って、あっ…!」
 
 思いだした瞬間、本多の顔が一気に青ざめていった。
 そう、其れは…薬に感情を煽られて…眼鏡を掛けていない方の佐伯克哉に
対して迫ってしまった時の事を指しているとすぐに気付いて…本多は言葉を失っていく。
 
「あれは、その…御免! けど、俺…お前に本気だから…うごっ!」
 
 熱い想いを語ろうとした瞬間、本多の腹に容赦ない蹴りを
食らわしていった。
 何故、こんなに突き上げられるような怒りを覚えているのか…自分でも
良く判らない。
 だが、眼鏡は克哉の深層意識の中で…普段は眠りについているから、
知っている。
 本多がどんな風に克哉に触れたか、迫ったのかを…其れが、脳裏に断片的に
浮かんでいくせいで…凶暴な感情が、止まらなくなっていく。
 
「うるさい、合意なく…あんな行動を一方的にすればレイプだ。だから…
お前に反論する資格はない!」

「うぐ…!」
 
 眼鏡はこの時、初めて…自分でも制御できないぐらいの激しい感情を…
嫉妬と呼ばれるものを自覚する羽目になった。
 本多が、克哉にとって大切な友人である事など判っている。
 だがそれでも…先程、克哉をこの腕に抱いたせいで…その感触や匂いを
良く覚えているからこそ、許せなくなってしまっている。
 
(この感情は…一体、何なんだ! どうして、俺は…!)
 
 何度かケリを食らわしている内に、一撃ごとに鋭さが増していった。
 だが、眼鏡の剣幕に押されて…本多はただ、黙ってこちらの攻撃を
受け続けていった。
 本来なら自分は、この男に暫く置いてくれと頼み込む筈だった。
 金銭の余裕を作る為にもそれが最良だと判っているのに…理性が、
利かなくなっている。
 理屈も損得も、吹き飛んでしまっている。
 本多が憎くて、怒りをぶつけないと済まないぐらいに激しい感情が胸の奥から
湧き上がってくるのを感じていった。
 
―おやめ下さい! そのまま勢いでご友人に大怪我や後遺症に残るような
傷を負わせてしまうつもりですか…!
 
 眼鏡の中に、殺意にも似た気持ちが宿った瞬間…其れを諭すようにMr.Rの
声が鮮明に脳裏に響き渡っていった。
 其れが聞こえた瞬間、冷や水をいきなり浴びせられたかのように…
冷静な思考が蘇っていく。
 
(俺は一体…何をしているんだ…?)
 
 こんなにも、感情に突き動かされて制御が効かなくなる事は初めてだった。
 本多を、そして問答無用に克哉を一昨日の夜に犯した御堂の顔が浮かんで…
止まらなくなっていった。
 馬鹿げていると、きっと誰もが思うだろう。
 そして冷静さを取り戻すと…口の端を切って、血を口元にうっすらと浮かべている
本多の姿にやっと気付く事が出来た。
 満身創痍と呼ぶに相応しい傷の在り方だった。
 
「なあ…克哉。気が…済んだか…?」
 
「………………」
 
 眼鏡は、答えられなかった。
 無言のまま相手を凝視していく。
 正直な話、顔を見ているだけで相手を壊したくなるような衝動を覚えた。
 己の中に、得体の知れない怪物がいるような気分だった。
 
「…帰る、邪魔をしたな…」
 
 そして暫くの無言の時間が過ぎていく。
 金を取るなら…ここで頭を下げれば良い。
 だが、今の眼鏡にはそれがどうしてもできなかった。
 これは立派に暴力沙汰と呼べるレベルの行動である自覚はあった。
 それでも謝ればお人好しである友人はこちらを許すだろう。
 
―だが、其れが判っても…謝って何もなかった事にして…こちらを泊めて欲しい
など口が裂けても言える訳がなかった
 
 だからそのまま、本多から目を背けていく。
 お互いの間に重苦しい空気が満ち溢れていた。
 バタン、と本多の部屋の扉を閉めて…眼鏡は近くの壁に凭れ掛かって
頭を抱えていった。
 これは意地を無意味に張っただけの意味のない行為に限りなく近かった。
 それでも…其処まで考えた時に、深い溜息を一つ吐いていった。
 
「俺は…一体、どうしてしまったんだ…?」
 
 そしてエレベーターに乗り込んでいきながら苦渋の顔でそう呟き…
眼鏡は、彷徨い人へとなっていったのだった―
 

 

7月25日からの新連載です。
今回は「恋人関係」について掘り下げた内容になっております。
眼鏡が意地悪で、ノマは不安定で弱々しい場面も途中出てくる
可能性が大です。
 他のカップリング要素を含む場面も展開上出てくる場合があります。
 それを承知の上で目を通して下さるよう、お願い申し上げます。

 恋人の条件                       10 
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―克哉を抱いた後も、眼鏡の身体は何故か今回は現実に残り続けていた
 
抱き終わった直後、克哉は力尽きるように意識を失ってしまったので…
眼鏡は簡単に後処理を済ませると、その部屋を出て…マンションの屋上に
足を向けていた。
克哉が現在、住んでいるマンションは屋上は住民の立ち入りが許されている。
其処で一人立ちながら…煙草に火を点けて吸い始めていく。
 
(…一体どうなってしまっているんだ…?何故、俺はいつものように
消えてないんだ…?)
 
自分の存在が仮初めのものである事を彼は自覚している。
だからいつも行為が済めば…ようするに当面の要件が済めば、
彼は眠りについて…静かに消える筈だった。
それが彼にとっての当たり前であり、特に不満がある訳でもなかった。
なのにどうして今夜に限ってはいつもと同じようにならないのか、疑問を
覚えていきながらも眼鏡は一人、黄昏ていた。
視線の先には無数の光が地上に輝いていた。
住宅街であるせいか、夜景の名所とされている処から見える光景に
比べれは控えめな灯りばかりが輝いている。
いつの間にか夕暮れ時を迎えているせいで…空も鮮やかな茜色の部分と、
紺碧の帳が緩やかに混ざり合い…複雑な色合いを生みだしていた。
 其れを見て、眼鏡は自嘲的に笑っていく。
 
―様々な人間の想いが交差して、予想も付かない未来を生み出していく。
この複雑な色合いはまるで…もう一人の自分の心のようだと感じていった
 
その渦中にいるのは紛れもなく自分の半身、佐伯克哉その人だった。
Mr.Rが彼に飲ませた薬は、あくまでキッカケに過ぎなかった。
どれだけ佐伯克哉という人間が無自覚に周囲の人間を惹きつけていたのか…
例の媚薬はそれを明らかにしただけだった。
 はっきりした境界が存在しないから、他の色をも容易く受け入れる。
 そして混ざり合った部分から…予想もしない一面を覗かせ、そしてこの空の
ように様々な色合いを見せていくのだ。
 もう一人の自分は弱く、情けない存在だが…確固とした信念を持たないが故に
…そのような可能性を同時に秘めていた。
 
―お前という存在はタチが悪い…御堂も、太一も、本多も…皆、潜在的に
お前を特別に想っていた。だが…当の本人であるお前はずっとその事実を
認めようとしなかった。だから今のお前の状況は…それを受け入れなかったが
故に起こった事だぞ…
 
眼鏡を掛けた方の克哉は心の中でもう一人の自分を静かな糾弾していきながら…
紫煙を燻らせていった。
一本、二本と立て続けに吸っていく内に少しずつモヤモヤした気持ちが
一時だけでも晴れていくような気がした。
 ほんの気休め程度にしかならない平穏である事など、良く判っている。
 それでも彼は…この心地よい一人の時間に身を委ねていくと唐突に、
その一時は終わりを告げていった。
 
『こんばんは、少しお話させて頂いて宜しいでしょうか…?』
 
 歌うように話す人物の声が、耳の中に滑り込んでくる。
 その方向を何気なく眺めていくと…其処には、黒衣の男が妖しい笑みを
浮かべて立っていた。
 
「…お前か。別に構わない…俺も少々、暇を持て余しているからな…」
 
『おや、それは随分とお優しい言葉ですね。なら少々…貴方と話をさせて
頂く事にしましょうか…』
 
 そうしてMr.Rは愉快そうに微笑みながらまるで幽霊か何かのように
気配を消して…眼鏡の傍らに立っていった。
 軽く目を瞠っていくが、それしきの事で今更眼鏡も驚かなかった。
 そもそも自分をこうやって現実に具現化させるような真似を平然と
やってのける男だ。
 こいつのすることでイチイチ驚いていたら身が持たないと割り切ることにして…
眼鏡の方から切り出していった。

「それで…一体何の用だ? お前が自ら…こうやって俺の前に
現れてくるって事はそれなりに重大なことなのだろう…?」

『ふふ…その通りですよ。貴方にお伝えしたいことは二点あります…。
一つ目は、貴方は暫くの間…己の肉体を伴ってこの世界に存在し続けます。
期日は今日より十日間。その間に…もう一人のご自分との関係を
どうされるか答えを出して下さい…』

「何だと…?」

 だが、切り出された内容は眼鏡の予想を超える代物だったので
一瞬我が耳を疑って凍り付いていく。
 しかし黒衣の男はそんな彼の様子を面白そうに眺めるだけだった。

『いつも用が終われば…幻のように消えて、もう一人のご自分の
中に還ってしまう。そういう風に生きている限り…貴方に責任など
何も発生せず、全てを放棄することが可能になります。
それでは…何も変わらないでしょう? ですから…ここに最低限の
資金はお渡ししますから、十日間をこちらの世界で過ごして下さい。
十万程度あれば、充分それくらの期間は生きられるでしょう…?』

 そうして男は黒革のシンプルなデザインの財布を眼鏡に
手渡してくる。
 眼鏡は其れを手に取って受け取っていった。

「…どうしてこんな真似をする? その意図は何だ?」

『簡単なことですよ。ただ…関係がゆっくりと変化しつつある貴方達
二人の行く末を見届けたいだけですよ…。本来なら、佐伯克哉さんは
貴方に会う資格など失ってしまった。けれど…そんなご自分の半身の前に
現れたのは紛れもなく貴方自身の意思。私の思惑とは違った行動を取って
強引にこの世界に現れたことで…貴方の存在は、それまでとは変質を
してしまいました。…ですから、その十日の間に考えて下さい。
貴方は…どのような在り方を望むのかをね…』

「…俺の、在り方…」

 そう呟いて考え込むと同時に目の前の男の姿がゆっくりと透けていき…
そして瞬きする間に、あっという間に濃くなった闇の中に溶けていった。
 その間際に、男は二つ目の伝えたい事柄を鮮明に声に出していく。

―後、克哉さんに害を成そうとしている男は…かつての貴方の親友だった存在です。
彼はこれから弱みを握って、御堂孝典さんと克哉さんを脅かすことでしょう…。
貴方が望むなら、彼の元にいつでも連れてって差し上げます。それも…
そちらのお心のままに決めて下さい…

 そしてその言葉を残し、完全に黒衣の男の姿は消えていった。
 確かに男の意図を振り切って、自分は克哉の前に現れた。
 其れがこのような事態を招いたのならば…自分は果たして、克哉と
どのような関係を自分は構築するのを望むのだろうか。
 まだ、その答えは彼の中には浮かんでいない。
 だが…とりあえず降りかかる火の粉は払わないといけないと感じていた。

「仕方ない…。あいつの尻拭いなど面倒なことだが、そのまま放置して
おく訳にもいかない…。まずは、火消しに動くとするか…」

 そう深く溜息を吐きながら…彼は頭の中で、今後の方針を
物凄い速さで固めていったのだった―



 
 
 
 

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プロフィール
HN:
香坂
性別:
女性
職業:
派遣社員
趣味:
小説書く事。マッサージ。ゲームを遊ぶ事
自己紹介:
 鬼畜眼鏡にハマり込みました。
 当面は、一日一話ぐらいのペースで
小説を書いていく予定。
 とりあえず読んでくれる人がいるのを
励みに頑張っていきますので宜しくです。
一応2月1日生まれのみずがめ座のB型。相性の判断辺りにでもどうぞv(待てぃ)

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